2007年7月アーカイブ

・SNSの研究 あなたはまだ「マイミク」のことが好き?
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ソーシャルネットワークの研究本。

佐々木 俊尚 (著), 原田 和英 (著), 保田 隆明 (著), 齊藤 和生 (著), 田口 和裕 (著), 平山亜佐子 (著), 「シナトラ千代子」管理人 (著), 松永 英明 (著), 園田 道夫 (著), 寺本 秀雄 (著), SE編集部 (編集) とたくさんのライターが参加して執筆している。

一般論として、執筆者多数で書いたIT本というのは、文章の寄せ集めになりがちで、面白くないものが多いのだが、この本は、違った。寄せ集め本ではあるのだが、それによって、妙なインパクトが出ている。

前半と後半でまるっきり違う本だとも言えそうなのだが。

前半の目次はこんな感じで

「Part 1:SNSはどこへ向かうか
・ソーシャルネットワーキングはネットとリアルの関係を変えていく/佐々木俊尚
・Singing new songs「新しい歌」/寺本秀雄
Part 2:ソーシャルメディアの可能性
・世界のSNSは多彩で充実している/原田和英
・意外とクチコミに向かないSNSで上手くマーケティングする方法/保田隆明
・モバゲータウンのDNA リアルとヴァーチャルを揺れ動くケータイSNSの世界/畑村匡章(株式会社ディー・エヌ・エー)
・Twitter・Vox・Tumblr・コトノハ ミクシィに疲れたアナタにおすすめ ユル~いソーシャルメディアたち/齊藤和生
・Singing new songs「ビヨンド・ザ・タイム」/寺本秀雄」

前半は、ジャーナリスティックに、データに基づいて、真面目なSNS研究の内容が多かった。評論家たちがSNSの世界の見取り図を客観的に描いてくれている。普通に役立つ情報である。

ところが、後半でライター達が暴走する。

「Part 3:素晴らしき「マイミク」の世界
極私的mixiクロニクル 僕と誰かとミクシィで/田口和裕
古屋兎丸さんが二十年前の記憶を漫画に昇華させるためにソーシャルネットワーキングがどんな役割を果たしたのか? またはサブカル部部室としてのmixi
・コミュニティ管理人は指四本で殺れる/平山亜佐子
・ミクシィ疲れの傾向とその対策 SNSはルールのない荒野だった/「シナトラ千代子」管理人
・Singing new songs「アイネ・クライネ・ナハトミクシィ」/寺本秀雄

Part 4:本当は危険なSNS
・コミュニティ乗っ取り事件 SNS=性善性な巨大社会における異文化衝突の顛末/松永英明
・ミクシィの危うさ SNSは個人情報の宝の山だ/園田道夫
・Singing new songs「妖怪スパムメエラ」/寺本秀雄

もうタイトルからして大暴走である。日経BPの編集者だったら止めただろうが、止めないのが翔泳社の良いところ。私が高く評価するのは当然、圧倒的に後半である。サブカルチャーとしてのSNSの良い面も悪い面も、高いところにいる評論家としてではなく、どっぷり中の人になったライター達が、現状を語る。

前半は一般人向け、後半はマニア向けで両方を楽しめるお得な一冊になっているなあと思う。

・視界良好―先天性全盲の私が生活している世界
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先天性全盲である著者が、聴覚、触覚、嗅覚をフル稼働させて、どのように世界を認識しているかを書いた本。この表現が適切かどうかわからないのだが、”目から鱗が落ちる”記述の連続である。そして面白い。

生まれてから世界を一度も見たことがない著者にとって、見えないということは何かが欠落しているということではない。視覚ナシで全方位の世界認識を確立しているわけであり、その視界は常に良好なのである。

著者の日常生活の記述は、視覚アリの人にとっては、非日常であり、驚きと気づきの連続である。たとえば「目が見える人が絵を描くとき、目で捉えられないものは描かないという話は私にとって大きな衝撃でした」という一文から、世界認識の大きな違いが見えてくる。

この本は、日々の生活や幼少時代を振り返った短いエッセイで構成されている。それぞれのエッセイには、読者を引き込むトピックが仕込まれているので、ぐいぐい引き込まれる。

「私は嗅覚で空模様がわかります」
「私は毎晩夢を見ます」
「最近料理をよく作るようになりました」
「卓球にも盲人用があります」
「怒り顔ができない」
「アザラシがイメージできない」
「自動販売機のスリル」

「え、それってどういうこと?」、「そういえば見えない人はそれどうやるのだろう?」という疑問に対して、明快な答えを書いている。視覚アリの人向けにデザインされた社会に、視覚ナシの著者が生きるのは苦労が多そうだが、その他の研ぎ澄まされた感覚を使って、上手にこなしていく。ときには自動販売機のランダム押しのようなことを楽しんでさえいる。

この本が素晴らしいなと思うのは著者が、実に楽しそうに持ちネタをしゃべっていることである。目が見えるから見えないことがあり、目が見えないから見えることがある。だから、ピアノを上手に弾くとか、英語がペラペラであるとか、円周率何万桁暗唱できるってどういう体験なのかを、それを得意な人がしゃべるのと同じように、著者は、視覚なしで世界を認識できるとはどういうことなのかを、能力の一つとして、しゃべっているのである。障がい者が健常者に向けて書いた本ではなく、達人が凡人に向けて書いた本なのだ。
だから、広く一般の読者が楽しめる面白い本になっている。

邂逅の森

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・邂逅の森
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「秋田の貧しい小作農に生まれた富治は、伝統のマタギを生業とし、獣を狩る喜びを知るが、地主の一人娘と恋に落ち、村を追われる。鉱山で働くものの山と狩猟への思いは断ち切れず、再びマタギとして生きる。失われつつある日本の風土を克明に描いて、直木賞、山本周五郎賞を史上初めてダブル受賞した感動巨編。」

一言でいえばこれはレゾンデートル(存在理由)についての物語である。読者の90%は感動することうけあいの傑作である、と思う。だから、あまり内容についてこまかく説明したくないのだが...。

唐突であるが「アンパンマンのマーチ」って歌をご存じだろうか。これがよく聞いてみると、とてもじゃないが幼稚園生向けとは思えない深遠な人生哲学の歌である。歌詞の重さを意識するようになってからというもの、この歌がかかるのを聞くたびに、自分のレゾンデートルについて考えさせられてしまうのである。

たとえば1番の歌詞はこうである。

「「アンパンマンのマーチ」
         作詞:やなせたかし 作曲:三木たかし 編曲:大谷和夫

そうだ、うれしいんだ生きる喜び
たとえ胸のキズが痛んでも

なんのために生まれて、なにをして生きるのか?
答えられないなんて、そんなのはイヤだ

今を生きることで、熱い心燃える
だから君は行くんだ微笑んで

そうだ、うれしいんだ生きる喜び
たとえ胸のキズが痛んでも

ああアンパンマン
やさしい君は 行け みんなの夢守るため」


幼い子供にいきなり「生きる喜び」「胸のキズ」とは、作詞者やなせたかし恐るべしである。これ何百回も聞いて育つ子供は、そのときは意味がわからなくても、ある種の生き方、価値観について刷り込まれているに違いない。好き嫌いありそうだが、メッセージソングとして、アコースティックギターで静かに弾き語りをしたら、かなりかっこいいのではないかとさえ思える。

現実には「なんのために生まれて、なにをして生きるのか?」は、かなり生きてからでないと、わからない。しかし、人間はそれがまだわからない若い時期に、人生の重要な選択を迫られる。だからいろいろなことがうまくいかない。選択の幅が狭かった時代にはなおさらであった。

この小説の登場人物たちは、思うようにはならない人生を、それぞれに必死に生きながら、レゾンデートルを探している。それは職業にかける情熱であったり、愛や嫉妬であったり、友情であったり、山の信仰であったりする。ひとりのマタギの男の物語の上に、いくつものレゾンデートルが強烈に衝突して、次々に熱いドラマが生まれていく。

本物の人生の物語を読みたい人、おすすめ。

気づいたら、カメラ馬鹿。

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・気づいたら、カメラ馬鹿。
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著者は、2004年のイラク邦人人質事件で、日本中から「自己責任」を問われた3人のうちの一人 郡山 総一郎氏。決してふらふらしていたわけではなく、命がけで取材していたジャーナリストだったことがわかる。

「2004年4月の「拘束事件」では、僕がフリーだったがゆえにいろいろと叩かれることになった気がしてならない。もし僕が大手新聞社のスタッフ・フォトグラファーだったなら、あんな状態にはならなかったであろう。」

乳製品を運ぶトラック運転手だった著者は、ある朝、テレビでパレスチナで投石を行う少年たちの映像にひきつけられ、仕事を辞めて、フォトジャーナリストになる。カメラは触ったこともなかったくらいの素人だった。そんな著者が世界を飛び回るプロのフォト・ジャーナリストになるまでの冒険を描く。もちろん写真も多数。

読みどころは、カメラ馬鹿の部分だ。なにも知らずに中古のニコンF2(現代なのに古すぎる!)に始まり、デジカメになってキヤノンに乗り換え、一方でライカに手を出す。道楽カメラではなく、徹底的に実用カメラ遍歴の話である点が面白い。少ない予算をやりくりして、現場で使える本体やレンズの組み合わせを探っている。

プロカメラマンの仕事の過酷さと醍醐味。等身大のフリーランスの生きざまがかっこいいなと思った。ただし、これはジャーナリズム論の本ではない。人質事件のことは、こちらの別の本に書いているようである。

・人質―イラク人質事件の嘘と実
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あくまでこれはカメラ馬鹿の本なのであった。

・歴史地図2000
http://www.ugoky.com/chizu/setsumei.htm
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大学受験で世界史は大好きな科目だった。色分けされた年代別の世界地図を眺めるのも楽しかった。だから当時、こんなのがあったらよかったのに、と思う。

歴史地図2000は、西暦0年から2000年までの東アジアの領土の変遷を、映像として再生する。数分間で2000年間の陣取り合戦が映し出される。各国の栄枯盛衰を、領土の面積の大きさや拡大速度、そして滅亡までの時間で体感することができる。モンゴル帝国がいかに大きな領土を持ち、どのくらいの期間栄華を誇ったのかが、イメージでつかめる。

5回くらい最初から最後まで眺めてみると、時空感覚による新たなアジア史観が形成されてくるといっても過言ではない。世界史を学ぶ人は最初にこのソフトをたっぷり鑑賞したらいいと思う。マルチメディアの良さを活かした秀逸な教材。

・今日の芸術―時代を創造するものは誰か
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このロングセラー本で岡本太郎の偉大さをしみじみ実感した。

「岡本太郎はテレビのお陰で、眼玉ギョロリの爆発おじさんという印象だけで固定されているかもしれないけれど、この本はじつに明晰な論理をもって書かれている」と解説に赤瀬川源平が書いているように、極めてわかりやすい芸術論である。同時に凄まじく情熱的な人生論でもある。

「今日の芸術は、うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」。芸術家はつねに前衛であれというメッセージ。

「芸術は、つねに新しく創造されなければならない。けっして模倣であってはならないことは言うまでもありません。他人のつくったものはもちろん、自分自身がすでにつくりあげたものを、ふたたびくりかえすということさえも芸術の本質ではないのです。このように、独自に先端的な課題をつくりあげ前進していく芸術家はアヴァンギャルド(前衛)です。これにたいして、それを上手にこなして、より容易な型とし、一般によろこばれるのはモダニズム(近代主義)です。」

岡本太郎の考えでは表現行為とは人間の本質であるから、誰もが思う通りに絵を描いたり音楽を作ったりすればいいのだ、下手も上手もなくて、ユニークかどうかが大事なのだということである。上手な芸術家をまねて美しく、ここちよい表現をするのは芸術ではないのである。日本の芸術家も教育も間違っていて、けしからんのである。

岡本太郎は長いフランス滞在から帰国して、日本の旧弊な芸術家の世界に不満を持っていた。権威や体制に迎合するのではなく、そんなものをぶちこわすのが芸術なのだと繰り返す。「芸術家は、時代とぎりぎりに対決し、火花をちらすのです。」。岡本太郎はアンシャンレジームに対して何度も喧嘩を仕掛け、孤立していたらしい。

こんなことも書いている。

「さあやろう、と言って競技場に飛び出したのはいいけれど、気がついてみると、グラウンドのまん中に、ほんとうに飛び出したのは自分ただ一人。エイクソ!こうなれば孤軍奮闘!ところで前方の敵とわたりあっていると、意外なほうから、こっそりなにかしらんが伸びてきて、足をすくうらしいのです。バカバカしい。いったい、これを日本的というのでしょうか。しかし、このバカバカしさに、これからの人は、けっしてめげてはならないのです。」

この本の出版は1954年。万国博覧会のシンボル「太陽の塔」で国民的な名声の芸術家になる16年前であった。文章の端々から、やけどしそうなほどのチャレンジャースピリットが伝わってくる。

「私はこの本を、古い日本の不明朗な雰囲気をひっくり返し、創造的な今日の文化を打ちたてるポイントにしたいと思います」。冒頭でそう宣言している。常識にとらわれず、新しいことをやってやろうと思っている人、古い業界体質と戦っている人は、この本を読んだらぐっと勇気づけられると思う。

・岡本太郎 神秘
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004986.html

・仕事を100倍楽しくするプロジェクト攻略本
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著者は「バロック」「キングオブワンズ」「ぷよぷよ」「トレジャーハンターG」「魔導物語」等のゲームを監督/脚本/企画した米光一氏。仕事のプロジェクトをロールプレイングゲームの冒険に見立てて、その攻略法を説く。

米光さんはプロジェクトに対する観察眼が鋭いなあと何度も感心した。

「 根本の部分で冒険をデザインできていないと、必要のない苦労をすることになる。そうすると、人は「あのリーダーは人望がない」なんて言う。「人望がない」なんて言われると、簡単にはどうにもならない気がしちゃうけど、そんなことはない。
 ぐらぐらした土台の上で、ふらふらしながら、怒鳴ったり、愚痴を言ったり、言い訳しているから「人望がない」と思われる。
 冒険の土台をしっかり作れば、それだけで「人望がある」状態になる。かんたんだ。」
これは、自分の経験でも、その通りだよなあと、しみじみ共感する。

いいリーダーになれるかどうかは、能力や性格がどうだという以前に、ちゃんとした土台に立っているか、が問題なのだ。みんなが楽しめる、しっかりした土台の上にいるなら、ちょっとくらい優柔不断だったり横暴だったりしても、愛されるリーダーになったりするものだ。だからプロジェクトのデザインができる人こそ、いいリーダーなのである。

それから、”王様”とのつきあい方。これは他のプロジェクトマネジメントの本にはあまり書かれていない重要な事柄だと思った。若い勇者の冒険には”王様”という存在がつきものだ。会社という王国を率いてきた上司であったり、スポンサー、プロデューサーという人たちのことである。彼らは自分たちの方法論で成功した時代があった。

「新しい冒険では「旧A」という方法は使わない。別の「新B」という方法で行う。
勇者たちは「新B」という方法のよさをわかっている。逆に「旧A」については現場的な知識はないことが多い。古いよな「旧A」は、と思っている(そして実際に古くなっている)。
 だけど、「旧A」という方法でがんばってきた人たちにとっては、とても愛着のある方法だ。だから、勇者が「新B」の良さを言えば言うほど、勇者にその気がなくても「旧A」が否定されたように思えてしまう。」

王様の「旧A」に敬意を見せつつ、「新B」をやらせてもらう関係づくりが必要であるという話。この本のノウハウは、昔の言葉でいえば、空気を読み、根回しを怠るな、ということでもあるようなのだが、現代の勇者の気質向けにアップデートされている。

「ギラギラと競争するより、仲間と一緒にレベルアップしたい!
あくせく出世を狙うより、仕事を楽しく、充実させたい!
「オレについてこい!」と言われるより、自分で動きたい!

こう思っている人には、きっと最強の攻略本になります。 」

「ついてこい」式ではない、リーダーシップ論とも言えそう。

それから「ダメな会議の座席表」にバカ受けした。本のデザインやサイズもゲームの攻略本風で、最初から最後まで楽しく読める。

Portraits

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・Portraits
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世界各国240人の顔を真正面からまじまじと見る写真集。

写真家スティーブ・マッカリーを知ったのは、ナショナルジオグラフィック誌2002年4月号の「「アフガン難民の少女」、ついに発見」という特集記事から。1985年に同誌の表紙として使われ、世界的に有名なポートレート写真となったアフガンの少女と、写真家が再会したという内容だった。この緑色の瞳の少女の写真は以前に見て強く印象に残っていた。

英語の解説に「The intensity of the subject's eyes and her compelling gaze made this one of contemporary photography's most celebrated and best-known portraits. 」と書かれていて、なるほどと思った。うまい訳し方がわからないが、”compelling gaze”がこの写真家の作品の肝なのだと思う。

表紙の代表作以外にも、人の顔って味わい深いなあとしみじみ思える作品ばかりである。顔のつくりや表情はもちろん、顔や手に深く刻まれた皺、目の充血ぐあい、着ている衣服、撮影場所の背景から、その人たちが生きている人生を想像してページをめくる。

アジア・アフリカが力強さで圧倒している。”compelling gaze”がいっぱいある。

インド、アフガニスタン、パキスタン、チベットなどアジアの国々や、マリなどアフリカの国々の人たちの顔は力強く見える。猥雑な背景で撮影しているからかもしれないが、やはり眼が違う。たまにアメリカ人やイギリス人が混ざっているが、いくら体格が良くても、眼が弱くて、とてもひ弱に見えるのである。なぜか日本人は一人も居ないのは残念。

この写真集は、基本的には市井の人々を写した作品集だが、何人かは世界的有名人を同じように撮影したポートレートが、何枚か、説明もなく混ざっているサプライズ要素もある。写真館風ではない、本物ポートレートを見たい人におすすめ。

・オフィシャルサイト
http://www.stevemccurry.com/main.php

・スティーブ・マッカリー
http://www.magnumphotos.co.jp/ws_photographer/mcs/index.html

・ナショナル ジオグラフィック 日本版 2002年4月号
http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/bn/200204.shtml

・MagnumPhotos
http://www.magnumphotos.com/Archive/C.aspx?VP=XSpecific_MAG.PhotographerDetail_VPage&l1=0&pid=2K7O3R13O2CM&nm=Steve%20McCurry

赤朽葉家の伝説

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・赤朽葉家の伝説
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これは傑作。素晴らしい。桜庭一樹という作家をベタ褒めしたい。

「“辺境の人”に置き忘れられた幼子。この子は村の若夫婦に引き取られ、長じて製鉄業で財を成した旧家赤朽葉家に望まれ輿入れし、赤朽葉家の“千里眼奥様”と呼ばれることになる。これが、わたしの祖母である赤朽葉万葉だ。―千里眼の祖母、漫画家の母、そして何者でもないわたし。高度経済成長、バブル景気を経て平成の世に至る現代史を背景に、鳥取の旧家に生きる三代の女たち、そして彼女たちを取り巻く不思議な一族の姿を、比類ない筆致で鮮やかに描き上げた渾身の雄編。」

1953年から現在まで、それぞれの時代を生きた3人の女性の物語が、3部構成の回想形式で語られる。各世代の生きざまは、日本の時代状況を色濃く映し出す。

第一部 1953年〜1975年 赤朽葉万葉
第二部 1979年〜1998年 赤朽葉毛毬
第三部 2000年〜未来  赤朽葉瞳子

昔の話ほど強烈で面白い。

思い出話や昔話は時間の経過とともに、淘汰され、デフォルメされて、伝説や神話になるからだ。だから、この作品では、未来を透視する力を持つ祖母が主役の、第一部「最後の神話の時代」が最も印象的である。

現代に近づくにつれて次第に平凡な物語になっていくのだが、その物語性の時間に対する遠近感が、この作品の最大の魅力だと思う。時代のパースペクティブが開けていくにつれて、過去の意味が大きくなっていく。第二部のタイトルは「巨と虚の時代」とつけられているが、いつの時代も祖先の時代は、生きる意味に溢れた激動の時代だったようにに見えるものなのではないだろうか。

一方で、平凡に思える「わたし」の今の人生もきっと、やがて時の流れの中で、伝説や神話の一部になっていくのだ、とそんな風にも思えてくる。なにしろ、この小説の設定はよく考えればたった50年前なのである。まだ存命の、私の祖母の時代なのである。

ところでこの作品は、どういうわけか日本推理作家協会賞受賞を受賞しているが、推理小説でもミステリ小説でもないと思う。時代の流れと人間の生きざまを壮大に描いているので、大河小説と呼ぶのがふさわしいと思う。娯楽性と文学性の両方を満足させる傑作。おすすめ。

第60回日本推理作家協会賞受賞。第137回直木賞候補作。

思考の整理学

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・思考の整理学
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初版は1983年。日本に”マイコン”が登場したころだ。著者は既にコンピュータ普及の影響を見通していた。

「これまでの学校教育は、記憶と再生を中心とした知的訓練を行ってきた。コンピュータがなかったからこそ、コンピュータ的人間が社会で有用であった。記憶と再生がほとんど教育のすべてであるかのようになっているのを、おかしいと言う人はまれであった。コンピュータの普及が始まっている現在においては、この教育観は根本から検討されなくてはならないはずである。」

人間らしい思考法を追求している。たとえば、まず寝かせるのである。

「思考の整理法としては、寝させるほど大切なことはない。」

大作映画の宣伝などで「構想ウン十年」というフレーズがある。あれはたぶん原作者がウン十年前に思いついたには違いないが、ほとんどの間は放っていたもののはずである。それでも、長く寝かされたテーマは発酵して力を持つことがある。人間の記憶とコンピュータの記録の違いだ。

小説などでも子供のころをテーマにした作品に名作が多いのは、それが理由なのではないかと著者はこう述べている。「素材が充分、寝させてあるからだろう。結晶になっているからである。余計なものは時の流れに洗われて風化してしまっている。長い間、心の中であたためられていたものには不思議な力がある。寝させていたテーマは、目をさますと、たいへんな活動をする。人間には意思の力だけではどうにもならないことがある。それは時間が自然のうちに、意識を超えたところで、おちつくところへおちつかせてくれるのである。」

寝かせるということは完全には忘れないようにほどほどに忘れるということだ。それでも強化されていくテーマは本物のテーマなのだ。「これはその人の深部の興味、関心とつながっているからである。忘れてよいと思いながら、忘れられなかった知見によって、ひとりひとりの知的個性は形成される。」

忘れないようにしながら、いったん忘れるために、紙に書き出して記録するのがよいと著者はすすめている。手帳→ノート→メタ・ノートというユニークな著者のメモ術が紹介されている。日常のメモは手帳に、重要なことはノートに転記し、さらに重要に思うことはメタ・ノートへ転記せよ、という手法である。

転記がすすむにつれ、重要度とともに抽象度も上がっていくわけで、究極のメタ・ノートというのは、座右の銘やことわざのようなものになっていくのかもしれない。そうやってメタに上がってくるものを常に見直すことが、思考の整理術として最重要なのだろう。

考えるということについて、本質的な考察がエッセイとして楽しく読める古典。

謎解き フェルメール

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・謎解き フェルメール
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オランダの風俗画家ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer, 1632-1675)についてのガイドブック。新潮社とんぼの本。作品と出身地の町デルフトの写真が美しい。

私は美術史について初心者でこれから詳しくなりたいと思っているのだけれども、この本は知識がなくても、作品の全部鑑賞と背景知識の勉強ができて、素晴らしいと思った。全部鑑賞というのは、フェルメールの作品は現在三十数作しか残っておらず、この本に全作品がカラーで収録されているからである。

フェルメールの代表作は、人物がいる部屋に、向かって左にある窓から光が差し込んでいる構図ばかりだ。これはどうやらフェルメールが絵を描いた家の配置と関係があるらしい。

・牛乳を注ぐ女  (ウィキペディア、パブリックドメインより)
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a8/Vermeer_-_The_Milkmaid.jpg/180px-Vermeer_-_The_Milkmaid.jpg

タイトルに「謎解き」と入っているのは、

・フェルメールは謎の画家とされているが実態はどうだったのか
・フェルメールが絵を描く際にカメラ・オブスキュラを使ったかどうか
・戦前戦後の美術テロリズムにフェルメール作品が何度も狙われてきた経緯

などを謎解き風に解説しているから。

・フェルメール 「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展
http://milkmaid.jp/

国立新美術館で9月からフェルメール作品が展示される。よい予習になる本。

第3回WebマーケティングROI Day 2007年8月1日(水)10:00〜 東京国際フォーラム
http://www.digitalforest.co.jp/mroi/index.html
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8月1日に東京国際フォーラムで開催される下記イベントにて、KandaNewsNetworkの神田敏晶さんとインターネットの未来を予想する対談を行います。

「Web3.0型社会 リアルとネットの進化、融合、淘汰」

時間帯 14:20 - 15:10 (PM2) / ホールB7
講演内容 ウェブ2.0の先に、人間は何を選択するのか?

Youtube、セカンドライフが見せる新しい世界や、ユーザーが求める新フェイズなど、これからの新しいネット型社会のあり方について、アルファーブロガーで「情報考学 Web時代の羅針盤」著者の橋本氏と、「ウェブ3.0型社会」「テレビ業界を震撼させる『動画共有』ビジネスのゆくえ 」などの著者のジャーナリスト・神田敏晶氏の二人の論者が未来を予想し対談する。

講演者 :

橋本 大也 氏データセクション 代表取締役 CEO
神田 敏晶 氏 ITジャーナリスト

無料です。お申込みはこちらから。

・参加お申し込み
http://www.digitalforest.co.jp/mroi/index.html


神田さんの最近の著書。

・ウェブ3.0型社会 リアルとネット、歩み寄る時代
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神田さんといえば現在、参院選に立候補中です。当選された場合は、私は国会議員と対談することになるわけですが、どうなることやら。

・KandaNewsNetwork
http://knn.typepad.com/
神田 敏晶さんのサイト

・KNN Store - KandaNewsNetwork,Inc.
http://kandaknn.googlepages.com/home

"インターネット選挙"を可能にしよう!
そこから政治2.0が始まる!マニフェストほか

・エアペン アイデマアラソン スターターキット
http://www.airpen.jp/collabo/b.html
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昨年から私の情報処理スタイルに大きな影響を与えているのがエアペン。私が使っているのは、アイデアマラソンの樋口さんがプロデュースしているスターターキット。

自宅に1台、会社に新型1台を置いている。

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エアペンは専用ペンで紙に書いた文章や図を、メモリーユニットにデジタルデータとして保存することができる。PCとUSBケーブルで接続すれば、パソコンでメモの内容を扱える。付属ソフトを使えば、文字認識も可能なので、テキストデータとして保存しておけば、紙に書いたメモを検索できるようになる。

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専用バインダーに取り付けて使うメモリーユニットは、実は取り外しが可能で、どんな紙の上においても使うことができる。私は裏技的に、A4コピー用紙の上にメモリーユニットだけを置いて、ブレインストーミングに使っている。発想をラクガキするのだが、紙に書くだけだとラクガキであるが故に、大切にしないから、どこかへ行ってしまうものだ。同じラクガキでもデジタルで保存しておけばなくならないのである。

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また、ラクガキをPC画面上で縮小して一覧できるのは、アイデアの再発見に最適である。
このエアペンのシステムの最も素晴らしい点は、デジタルツールを使っていることを意識させないことである。たまに私は認識ボタンを押し忘れて、ただのメモとして使ってしまったりするのだが、別にそれでもいいわけである。ペンやノートとしても十分に使いやすいのだから。自然に発想を書き留めておけば、自動的にデジタル&アナログ同時に蓄積されていくお得感が最大の魅力である。

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なにか新しい文房具を探している人におすすめ。高い万年筆やシステム手帳を買う数十倍の生産性が見込めると思う。

妄想に取り憑かれる人々

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・妄想に取り憑かれる人々
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最もふさわしくない場面で、最もふさわしくない「おぞましい想念」を考えてしまう精神状態に関する、強迫性障害の世界的権威の書いた一般向けの心理学の本。

ここでいうおぞましい想念とは、たとえば、

・誰かがこの地球上から消えてなくなるよう切に願う想像
・幼い子供や老人を残虐な暴力の犠牲にしたくなる衝動
・パートナーを痛めつけるような性行為への衝動
・動物とセックスをする空想
・公共の場でみだらなことを口ばしる衝動

というような妄想である。これらは攻撃的なもの、性的なもの、宗教への冒涜的なものの3カテゴリに大別できるそうだ。

高層ビルを見てそこから飛び降りること想像したり、自分が子供を橋から投げ落としてしまうのではないかと考えたり、女性を見てレイプすることを想像してしまったりする人は意外に多い。これが日常的に起きる強迫性障害に該当する人は、少なく見積もって米国の人口の1%で200万人以上いると著者は推計している。軽微ないけない妄想くらいならば、さらに多くの人が考えている。

そして、おぞましい想念を思い浮かべる人たちは、ほぼ間違いなく、実際には、その行為には及ばないという。むしろ、場にふさわしくないことを考えてしまうことを悩んで一生を過ごす。この本には、そうした普通の人たちのおぞましい想念の実例が多数紹介されている。

進化論的見地からすると、これらの妄想は次のような意味を持っていたと著者は述べる。
・「セックスのことをしょっちゅう考えていた祖先の方があまり考えなかった祖先よりたくさん子孫を残した」
・「攻撃的な男性の先祖が、グループのリーダーになる傾向があった」
・「幼いわが子に恐ろしいことが起きるという、残虐な想像をすればするほど、母親はわが子の安全を確認するために頻繁に点検する」

同時にこれらの想念を抑制する機構も進化の過程で発達した。だから、人間だれしも不適切な考えを持つことはあるが、実行に移してしまう人はほとんどいないのである。本当にやってしまうかどうかは、その人の過去の行為が最高の予測因子となるそうで、過去にやっていないならば、これからもやらないと考えてよいから安心しなさい、と著者は断言している。

ただ思考は過度に抑制しようとすれば強化されてしまうというこころの仕組みが存在する。たとえば「1分間キリンのことはまったく考えないこと。キリンが頭に浮かぶたびに手を挙げること」という思考抑制の指示を与えると、人はキリンのことを普段よりも考えてしまうそうである。考えてはいけないことを消し去ろうとすることで、逆に強化してしまうのだ。こうしてイケナイことを考える自分に悩む人が増える。

この本の後半は「おぞましい想念を治す技法」がたっぷり解説されている。最良の方法はなんと、いやというほどその想念と向き合わせる暴露療法であった。その人が恐れる状況を逃げ場がないような状況で体験させたり、人を殺したりしてしまう妄想の最悪のシナリオをテープに吹き込ませて、毎日何度も聞かせたりする。おぞましい想念は飼いならして、想起してもスルーできるようにするのが最良の解決策だそうである。

頻度や深刻さの差はあるだろうが、イケナイ妄想ってほとんどの人が経験があるものだと思う。こういう妄想力は、創作には不可欠だろうし、ユーモアや笑いの背景にも「考えてはいけないこと」が前提されている場合が多い。そうした人間心理のメカニズムや制御方法がわかりやすく書かれていて大変興味深い内容だった。

・ウェブ仮想社会「セカンドライフ」 ネットビジネスの新大陸 と SecondTimes創刊
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セカンドライフ導入支援のメルティングドッツ社長の浅枝さんが書いた本。まだ浅枝さんにはセカンドライフ内でしかお会いしたことがないのだが、この本にはセカンドライフの可能性が前向きに書かれていて、勢いのある旬な本だ。

日本人以外のユーザーは自分に似せたアバターを作るが、日本人は動物や二等身キャラなどの変身キャラを作ることが多いと書かれている。そうですね。私なんかこんなバケモノですもん。

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IT業界の人間として、セカンドライフってどうなると思いますか?とよく聞かれる。セカンドライフかどうかは分からないが、近い将来に何らかの3次元仮想空間のコミュニティが、ミクシイと同じくらいの規模のユーザを集めてもおかしくないと考えている。プラットフォームはPCではないかもしれない。携帯やゲーム機上の可能性もありそうだ。

私がそう思う理由は、90年代から具体的にはDiablo、AOE、Unreal、FF11などのネットゲームをずいぶん遊んできたから。敵を倒したりするゲームシナリオよりも、リアルな大人たちの”ゴッコ”コミュニケーションが麻薬的に面白いと当時思っていた。三次元仮想空間のコミュニティは、万人にとっての魅力になりうると今でも思っている。


デジハリ大学の杉山学長はこんなことを書いている。

・THE SECOND TIMES : コラム ≫ キーマンに聞く ≫ 「メタバースが提示する世界」 デジタルハリウッド大学 杉山知之学長
http://www.secondtimes.net/column/person/20070717_person.html
「メタバースが提示する世界」 デジタルハリウッド大学 杉山知之学長

「Second Lifeやその他のメタバースに対して、今、懐疑的な意見を持つ人は多いだろう。でも、それはコンピューターが新たな世界を一般の人々に提示するとき、必ず起こってきたいつもの事だ。中でも技術的な問題はいずれは解決されてしまうことはあまりにも明らかだ。」

私の周囲には、セカンドライフにハマった人と、まったくハマらない人がいて、ハマった人はメタバース内に仲間がいる。対人コミュニケーションが面白いのであって、一人で試しに遊んでみても、面白くならない。局所的でも密に、ある程度の大きな数のユーザーがハマっていくと、ネットワーク効果で爆発ということはあるかもしれない。

昨日、セカンドライフをはじめとする3Dインターネットのニュースサイトをngi groupが立ち上げた。私もライターとして参加することになった。連載名は「橋本大也の3Dインターネット向上委員会」。ネット上の3Dモノをネタに不定期で更新していくつもり。

・THE SECOND TIMES
http://www.secondtimes.net/


・橋本大也の3Dインターネット向上委員会
http://www.secondtimes.net/column/3di/20070717_3di.html


どうかよろしくお願いします。

「いき」の構造 他二篇

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・「いき」の構造 他二篇
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日本民族独自の美意識「いき(粋)」とは何かについて書かれた昭和5年の古典。

この本にでてくる表現としての「いき」についての記述を集めてみた。

「まず横縞よりも縦縞の方が「いき」であるといえる」
「縞模様のうちでも放射状に一点に集中した縞は「いき」ではない」
「模様が平行線としての縞から遠ざかるに従って、次第に「いき」からも遠ざかる」
「一般に曲線を有する模様は、すっきりした「いき」の表現とはならない」
「一般に複雑な模様は「いき」ではない」
「幾何学的模様に対して絵画的模様なるものは決して「いき」ではない」
「「いき」な色彩とは、まず灰色、褐色、青色の三系統のいずれかに属するもの」

これだけだとよく分からないが、ビジュアル表現として、何らかの二元性を内包していないと「いき」ではない、ということなのである。

それはいきの構造と関係がある。

まず「いき」とは、男女の関係から現れたもので、

1 異性に対する媚態 なまめかしさ、つやっぽさ、色気
2 江戸っ子の意気地 異性への一種の反抗意識
3 運命に対する諦め 垢ぬけ、解脱

の3つを構成要素とするものだと著者は定義する。

真剣で一途な恋は「いき」ではない。恋の束縛から自由な浮気心は「いき」である。追いかけすぎてもいけない。もっといえば「運命によって諦めを得た「媚態」が「意気地」の自由に生きるのが「いき」である」。

「要するに「いき」とは、わが国の文化を特色附けている道徳的理想主義と宗教的非現実性との形相因によって、質料因たる媚態が自己の存在意義を完成したものであるということができる。」

この本の特徴は「いき」をトポロジーで説明したことだ。表紙にあるこの図は見ていて飽きない。さらに詳しい解説を読みこむと、漠然としていた言葉の意味がすっきりと整理される。

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「いき」の説明を通して、同時に野暮、意気、渋味、城品、下品、地味、派手という伝統的な日本の趣味の位置づけを説明している。

併収された『風流に関する一考察』『情緒の系図』も「いき」論と関係する部分が多くあり、近代日本の美的センスについて、詳しくわかる。

・連想メモ帳
http://www.vector.co.jp/soft/win95/personal/se399951.html
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メモの左右にリストがある。左のリストはこれまでに作成したすべてのメモのリスト。右のリストは現在表示しているメモに関連するメモである。更新時間が24時間以内のメモは関連するメモであるとみなして、ここに表示される。

主な機能

・編集中のメモと更新日時が近いメモを一覧表示できます。
・常駐させることができます。
・自動保存機能。保存操作が不要です。
・スキンを選択できます。
・ホットキーを設定すればいつでもワンタッチでメモの編集ができます。
・書いたメモをHTMLに変換することができます。
・ネットを検索するときのように複数のキーワードでメモを探せます。
・ホットキーで呼び出す際に小さいウィンドウにできます。

メモの1行目が自動的にファイル名になって自動保存される。ファイル名決めや保存処理が不要なのはメモとしてとても使いやすい。全文検索もできるので、メモをデータベース的に活用したい人にも向いている。

千利休―無言の前衛

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・千利休―無言の前衛
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路上観察家として"トマソン"を流行らせ、ライカ同盟結成でカメラオタクとしても著名だが、本当はまともな文学受賞歴もある異才 赤瀬川源平が書いた利休の芸術論。

このくだりがいいなと思った。

「つまり利休の時代の、芸術という言葉の確立していない未分化な汎芸術状態というものは、それを究めれば、先の気功師が示した見えないスイカ玉のようなものになるのである。その時代の茶人たちは互いに茶会を開いてもてなし、もてなされながら、その見えない玉を少しずつ大きくふくらましていったのである。それを右手から出し、茶碗に盛り、茶筅でふくらませて差し出す。相手もそれを右手から体に入れて左手から出し、それを両手に包んで鑑賞する。その両手にお茶室の各所に潜むち茶気とでもいったものが吸い寄せられて、また散らばっていく。そうやって互いの気を感じながら、「私のはもうこのくらいになりました」「そうですか私のはまだやっとこのくらいで」などという具合に、それぞれスイカぐらいの玉や、ミカンぐらいの玉を空中に描いて、そういう見えないものを見せ合っていたというのがお茶の世界にはあったと思うのである。」

あったのだろうか?(笑)。いや、あったのかもしれない。それが芸の本質なのかもしれない。この本はタイトルからして千利休の研究書であり、著者は映画「利休」のシナリオを担当したくらいなのであるが、実は千利休について専門家というわけではないそうである。むしろ千利休をネタに、こんな風に、赤瀬川流の超芸術論を展開している部分こそ、面白いのだ。

「<略> どんな入れ方であれ毎日繰り返すうちには、お茶の入れ方にある筋道ができて、リズムが生まれてくる。そのおこない自体が、目的を離れて、少し浮き上がってくるのを感じる。ただのお茶を入れるというおこないに「道」が出来上がっていくのが、何となく自分でもわかるのである。」

こういう心理って男に多そうだ。そして、路上観察家でクラシックカメラおたく赤瀬川源平そのものだ。男のつまらないこだわりや見栄を張るような心理が、芸術の発達と関係があるのだと、この人が言うのは大いに説得力がある。響いてしまうのである。

千利休は太閤秀吉に切腹を命じられて死ぬ。お茶の先生がなにゆえ切腹を命じられることになったのか歴史の真相は不明だが、男同士の嫉妬の感情が関係していたのではないか
という分析がある。そうしたこだわりは命をかけるほどのものなのだ。

・Eugene Atget (Masters of Photography Series)
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Eugene Atget(ウジェーヌ・アジェ 1857−1927)の代表的作品を集めた写真集。洋書。このAperture masters of photographyシリーズは写真史を学ぶ人向けに作られているので、安価でありながら、装丁もプリントの質もよくて好きである。

アジェのパリの写真はストレートなものが多い。街角の建築を広角レンズを使って、遠近感たっぷりにとらえている。画面の中央にすっと入っていくような奥行きのある画面が好きらしい。ページをめくっているとアジェらしい構図に次第に目が慣れて、こう撮るしかないだろうという、迷いのない構図に見えてくる。

解説を読んだところ、アジェは芸術としてというより、主に博物館におさめる記録として、パリの街の写真を撮影していたことがわかった。当時、写真は、画家たちが絵を描くための素材としての需要もあったらしい。経済的に恵まれていなかったアジェにとって、写真は生計を立てるための手段でもあった。

「アジェする」。カメラの本や雑誌などにときどき登場する言葉だ。アラーキーも使っている。記録写真でありながら、名前が動詞活用されてしまうくらいの、強い独創性が感じられるのが、アジェなのだ。

アジェは街の中の人を撮った写真にも名作が多い。たとえばこの「オルガン弾きとストリートシンガー」。当時の撮影は大判カメラで長時間露光が必要だったはずで、すべて演出の、やらせ写真だと思われるが、記録であると同時に写真であるアジェらしさが出ている。


#ウィキペディアより画像を引用。

アジェらしさってなんだろうかと考えてみるに、街の写真については、

・建築を真正面から全体像でとらえる
・奥行き、遠近感をだすような構図をねらう
・雲、壁に落ちる木々の影など、明暗要素を多く取り入れる
・池など水がある場合は、写りこみのシンメトリーを活用する
・広角レンズで周辺がケラれた写真が結構多い

などであろうか。

どれも凝った構図ではないので、素人でも”アジェ風”に撮るのは簡単なのだが、本物はやはり質感も風格も凄いものだなと、大きなプリントを眺めながら味わえる一冊である。

悪人

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・悪人
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「なぜ、もっと早くに出会わなかったのだろう――携帯サイトで知り合った女性を殺害した一人の男。再び彼は別の女性と共に逃避行に及ぶ。二人は互いの姿に何を見たのか? 残された家族や友人たちの思い、そして、揺れ動く二人の純愛劇。一つの事件の背景にある、様々な関係者たちの感情を静謐な筆致で描いた渾身の傑作長編。」

ある殺人事件をめぐる加害者、被害者の群像劇。傑作長編。

まったく内容は違うのだが、町田康の傑作犯罪小説「告白」と読後感が似ている。「悪人」は朝日、「告白」は読売で、共に新聞連載小説だったからかもしれない。テンポが似ているのだ。数ページごとに拍子があるような。そのリズム感がちょっとずつ加速していく感じ。長編であることが読んでいて嬉しくなってしまう。

・告白
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004743.html

この作品には美男美女がでてこない。華麗な生き方をしている人がいない。舞台は地方都市の郊外で、ぱっとしない人生に、何かを諦めて生きているような人たちが登場人物である。そんな脇役のような人物たちが、読み進むうちに、ちゃんと思い入れできる主役キャラクターに見えてくるのが、この作品の読みどころ。

事件をめぐる関係者ひとりひとりに対して、ドキュメンタリ風に、強いスポットライトを当てていく。ストーリーもいいが、それ以上に、各章で人物が入れ替わる一人称による内面描写が魅力なのだ。人物デッサンの積み重ねによる厚みがすばらしい作品だと思う。そこにたちのぼる「人間の匂い」にむせかえる。

今年ここまでに読んだ新作長編小説でベスト、かな。

・宇宙のランデヴー4 〈上〉
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・宇宙のランデヴー4 〈下〉
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「謎の知性体によって建造された巨大宇宙船ラーマ3が、火星軌道上で2000人の人類を収容し、太陽系を離脱してから、すでに3年の歳月が流れていた。このあいだに、独裁者ナカムラが権力を掌握し反対派を容赦なく弾圧―地域の良心として活動していたニコルは投獄され、死刑を宣告された。リチャードは2体の小ロボットをニュー・エデンに潜入させ、必死の救出作戦を開始したが…壮大なスケールの宇宙叙事詩ついに完結。」

宇宙のランデヴー 327p、2(上334p・下327p)、3(上346p・下367p)、4(上460p・下457p)と7冊、文庫で2600ページを超える長い物語がついに完結である。

さて、2600ページを読破しての正直な感想を書こう。

初作「宇宙のランデヴー」はSF史上に輝く大傑作である。続編の3作品は凡作である。続編は引っ張りすぎなのである。初作から15年後に書かれた続編の読者たちは、ラーマの正体を知りたくて読み始めたはずである。だが、そこにはチープな印象の人間ドラマが延々と展開されていた。ときどきラーマの本題がチラっと現れるため、読者はニコルとリチャードたちの物語につきあわざるをえない。当初はそれが不満であった。

ただ慣れというのがある。評論家にはそっぽを向かれた続編であるが、ファンの読者は結構いるようである。実は私もいつのまにか、この世界に慣れ親しみ、3の後半あたりでは、物語が終わってほしくないと思うようになっていた。初回を見てしまった連ドラを毎週見たいと思う感覚に近い。続編3作はそういうスペース・ソープ・オペラなのである。

長く登場人物たちとつきあうと、苦楽をともにしてきた感が醸成されてきて、4のあたりでは泣かせるシーンもある。本来、そういう作品ではなかったはずなのだが。スタートレックに近い。

人間ドラマ部分のアイデアはおそらく共著者のジェントリー・リーによるものだと言われている。文明批判や宗教色はアーサー・C クラークの要素であろう。当時、実現しなかったが、映画化、ドラマ化が予定されていたらしい。多分に映像化を意識した絵作りが感じられる。

それで結局、ラーマの秘密は明かされるのか?。答えはイエスである。最後の100ページはラーマの創造者たちについて真正面から語られている。はぐらかさない。極めてまともでオーソドックスな答えが用意されている。最後まで謎で終わりというわけではないので、安心して読んでいいと思う。

私にとって特別な作品であった「宇宙のランデヴー」。その続編をいつか読みたいと思っていたので、長い読書であったが大きな達成感があった。

さて、当時は実現しなかったと書いたが、現在もモーガン・フリーマンらRevelations Entertainmentがハリウッドで映画化の企画を進めているそうだ。資金集めに苦労しているそうだが、絶対に実現して欲しい。ちなみにこの会社は映画のP2P技術によるネットワーク配信に着手していることでも知られる。公開後はネットで観られるかもしれない。

数年後の映画公開の頃、このエントリは多くの人に参照されているといいなあ。

・Revelations Entertainment
http://www.revelationsent.com/flash/index.html

・Rendezvous with Rama - Wikipedia, the free encyclopedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Rendezvous_with_Rama

・Sir Arthur C. Clarke
http://www.arthurcclarke.net/

・宇宙のランデヴー
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004864.html

・宇宙のランデヴー2(上)(下)
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004872.html

・宇宙のランデヴー3〈上〉〈下〉
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004873.html

・ぼくには数字が風景に見える
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円周率22500桁を暗唱し、10ヶ国語を話す天才で、サヴァン症候群でアスペルガー症候群で共感覚者でもある著者が書いた半生記。これらの病は稀に天才的能力を持つ者を誕生させるが、自閉症やその他の精神障害を併発することが多いため、こうした本を書ける人が出てくることは稀である。

まさに天才の頭の中がのぞける貴重な内容。

「ぼくが生まれたのは1979年の1月31日、水曜日。水曜日だとわかるのは、ぼくの頭のなかではその日が青い色をしているからだ。水曜日は、数字の9や諍いの声と同じようにいつも青い色をしている。ぼくは自分の誕生日が気に入っている。誕生日の含まれている数字を思い浮かべると、浜辺の小石そっくりの滑らかで丸い形があらわれる。滑らかで丸いのは、その数字が素数だから。31,19,197,79,1979はすべて、1とその数字でしか割ることができない。9973までの素数はひとつ残らず。丸い小石のような感触があるので、素数だとすぐにわかる。ぼくのあたまのなかではそうなっている。」

カレンダー計算や素数の判別を行うには高度な計算が必要だ。著者は累乗などの難しい計算を、瞬時にイメージ上の操作で行うことができるのだ。「ある数を別の数で割ると、回りながら次第に大きな輪になって落ちていく螺旋が見える。その螺旋はたわんだり曲がったりする。割る数が違えば、螺旋の大きさも曲がり方も変わる。ぼくは頭のなかで視覚化できるために、13÷97のような計算も小数点以下第100位くらいまで計算できる」。

複数の感覚が連動してしまう共感覚者が稀にいることは知られているが、著者はその中でも極めて珍しい数字と色や形、感情が結びついているタイプである。数字を見るとイメージが頭にあふれてしまうらしい。

自閉症である著者は、この数字を感情にむすびつける能力を使って他者の感情を理解するという離れ業でカバーしていると告白している。たとえば友達が悲しい、滅入ったと言ったら、6の暗い穴に座っている自分のイメージみたいなことかなと想像する。怖いは9のそばにいる感覚だそうだ。

サヴァン症候群ではない普通の私たちも直感でかなりの高度な判断ができるわけだが、そうした直感の隠れたレイヤーには似たような脳内の情報処理が隠れているのかもしれない。そのプロセスをかなり明瞭に言語化できる著者は脳の仕組みの解明に役立つ重要な存在になる可能性がある。

なお、2007年8月にNHK番組「地球ドラマチック選」で「ブレインマン」として著者が登場する番組が放映される予定。同ドキュメンタリは世界40カ国で放映されて話題を呼んだ。今読んでおくと話題を先取りできる旬な一冊である。

このブログではこの種の話題については何度も取り上げてきたので関連書の一覧を掲載。

・火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004319.html

・脳のなかの幽霊
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003130.html

・脳のなかの幽霊、ふたたび 見えてきた心のしくみ
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003736.html

・共感覚者の驚くべき日常―形を味わう人、色を聴く人
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000533.html

・脳のなかのワンダーランド
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002735.html

・マインド・ワイド・オープン―自らの脳を覗く
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002400.html

・脳の中の小さな神々
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001921.html

・脳内現象
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001847.html

・快楽の脳科学〜「いい気持ち」はどこから生まれるか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000897.html

・言語の脳科学―脳はどのようにことばを生みだすか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000718.html

・脳と仮想
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002238.html

・喪失と獲得―進化心理学から見た心と体
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002945.html

・ひらめきはどこから来るのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001692.html

・神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003679.html

・脳はいかにして“神”を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000134.html

・音楽する脳
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004148.html

・天才と分裂病の進化論
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001298.html

・天才はなぜ生まれるのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001320.html

・ユーザーイリュージョン―意識という幻想
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001933.html

東京人生SINCE1962

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・東京人生SINCE1962
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アラーキーは凄いのである、と、えらく感動してしまった写真集。

藤原新也や森山大道の写真集は、ハードボイルドな男の生きざまである。かっこよくて時代性や社会性を背負った劇画モノという感じである。ゴルゴ13みたいである。飾らない風でいてちゃんと飾っている作品だ。それに対して荒木経惟の人生の集大成みたいなこの作品は、男のめめしいセンチメンタリズムの歴史である。もちろん、かっこよさを求めた写真が数としては多いのだけれど、目立つのは、アラーキーが泣きながら撮ったような写真である。

1962年から最近までの200枚くらいの写真が、年代別に収録されている。写真芸術家としての各時代のベストショットの合間に、アラーキーが身内を撮影した作品が挟まれている。

たとえば駆け出し時代の、新婚の妻との幸福な写真は、あまりにふつうなスナップショットだ。どんな夫婦にもある、ありふれた蜜月を素直に写していて、観ている方が面映ゆくなってしまう。作品になろうがなるまいが、写真家は人生を写すのが生きがいなのであった。

この「東京人生」を読むきっかけになったのは、別の本「写真とことば―写真家二十五人、かく語りき」だった。25人の写真家が紹介されているが、ここに荒木経惟が身内の死を撮影したことについての思いを綴ったエッセイが収録されていた。心を打つ、凄い名文である。私はそれを読んで、荒木経惟に強い関心を持った。

・写真とことば―写真家二十五人、かく語りき
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「写真家は、見事な写真作品だけでなく、自らの芸術を言葉でも表現している。土門拳、森山大道、荒木経惟、星野道夫他、代表的な二十五名の写真家達の言葉を収録しつつ、それぞれの芸術を解説する。」


「東京人生」にはそれらの身内の死の写真が含まれる。アラーキーは父親の死に際して遺体を撮影した。苦しそうな死に顔を撮れなくて腕の刺青を写した。母親の死の時には、それが少し残念だったので、今度はちゃんと顔を写した。そして先立たれた妻の死は、癌を知らされた日から、死の直前まで、カメラでたくさん記録して作品にした。

荒木の写真は年代を追うごとに、作為性が薄くなって、真正面から人の笑顔や幸福を写すようになっていく。いわば人生そのものを写すようになる。東京人生というタイトルは、東京で生きてきた著者の人生そのものという意味だ。

「死を感じてるから、ことさら生に向かえという。だからものすごくいい写真は照れとかなんとかが抜けちゃってる。だって最初は、たとえば「冷蔵庫、幸福」とか、バカなことやってるじゃない。それがストレートに、家族がいいんだ、その時の声が聞こえればいいんだ、笑顔がいいんだって、平気で撮れるしね。すごいもんですよ。だからどんどんピュアというかストレートになっていくんだね。」

10年ごとの年代で区切られた作品群を、順番に見ていくうちに、悲しくなって嬉しくなって、自分の人生の一部を重ね合わせてしまって、いつのまにかアラーキーという異人が身近に感じられてくる。それでいいのだ、そうでなくっちゃという気で写真を眺めるようになる。そういう体験は他の写真集で味わったことがなかった。名作だと思う。アラーキーはヌードじゃない方もすごい。

・Steganos LockNote
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Steganos LockNoteはテキストファイルを暗号化するオープンソースのソフトウェア。

テキストファイルをゼロから入力するか、既存のファイルをドラッグアンドドロップすると、パスワード設定画面が立ち上がる。任意のパスワードを入れて保存すると、元ファイル名.exeという認証機能付きのファイルが生成される。日本語利用もできた。

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Webサービスのログインアカウントなど、極秘というわけでもないが流失したら困るレベルの秘密にしておきたい情報を手軽に暗号化できて便利である。

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中判カメラのブローニーフィルムには6×6フォーマットというのがあって、正方形の写真が撮影できる。世の中の多くの写真は横長なので、正方形にプリントするだけで、普通の写真とは違った感じが出せる。最近はデジカメでもこの正方形フォーマットを採用する機種が現れた。RICOH Caplio (キャプリオ) GX100は私の周囲で大流行中だ。

ときどき私はトイカメラで正方形の写真をとっている。

・例:Holgaで土門拳風?

しかし、オリジナルが正方形でなくても、中央部を正方形で切り取って、丸型や角丸にしてくれる一発変換ソフトが角丸パンチと全丸パンチである。普通のデジタルカメラで撮影した画像をこのソフトにドラッグアンドドロップするだけで、オシャレに見えたりする。楽しい。

・角丸パンチと全丸パンチ
http://www.vector.co.jp/soft/win95/art/se335998.html

遠野物語 森山大道

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・遠野物語 森山大道
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写真家 森山大道の1976年の作品の文庫版。

・森山大道オフィシャルサイト
http://www.moriyamadaido.com/top.html

モノクロで極端にローキーで、こってりと真っ黒で、粒子が粗い写真が並ぶ。眼をほそめて世界をぼんやり眺めているときの見え方だ。白くぼおっと浮き上がる景色は、柳田国男の遠野物語ではなくて、一昔前にどこかで見た日本のふるさとのイメージである。

「僕のように実際に帰るという意味での「ふるさと」などどこにもなく、ただただ恋を恋するがごとく、いい年をして甘ったれて、イメージの「ふるさと」を追い求めている者にとっては、「ふるさと」って、きっと幼時からの無数の記憶のなかから、さまざまな断片をつなぎあわせてふくらませた、あるユートピアというか、「原景」なんじゃないかって自分では思うわけです。そんな僕の「ふるさと」像の具現というか仮構の場所として、僕にはやはり遠野へのこだわりが抜きさしならずあったと言うほかないわけです。」

「だから僕がいまの遠野にカメラを持ってでかければ、たとえ架空のイメージにどんなに憧れていたところで、オシラサマや、ザシキワラシや、カッパたちに会うことはできませんが、そのかわりにアグネス・ラムや桜田淳子のポスターや、萩本欽一のペーパードールにあえるわけですよね。つまりそのことのほうが言うまでもなく大事なことだろうと僕は思うんです。」

ひたすら自らの故郷の原景を追い求めて、クリシェ(典型的なイメージ)を撮ろうとしても、実際に写るのは、クリシェの影としての現実の遠野だったということなのだろう。解説によるとこの作品を撮影中、写真家は長い内省を深めている時期だったらしく、どの写真も心象風景である。夢にでてきた世界をそのまま印画紙に焼き付けてしまったような、印象の強さがある。

・カラー写真を白黒写真に簡単キレイに変換するGekkoDI
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004969.html

・モノクローム写真の魅力
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004940.html

・木村伊兵衛の眼―スナップショットはこう撮れ!
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004923.html

・Henri Cartier-Bresson (Masters of Photography Series)
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004931.html

・The Photography Bookとエリオット・アーウィット
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004958.html

・岡本太郎 神秘
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004986.html

・マイケル・ケンナ写真集 レトロスペクティヴ2
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005007.html

・中年童貞 ―少子化時代の恋愛格差―
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著者は「全国童貞連合」会長。連合のサイトで顔出ししている、おそらく日本一有名な童貞男、渡部伸、執筆時34歳。「少子化問題は童貞問題である」という問題意識の本。童貞についての人口統計、切実な自身の体験談、連合会員の童貞たちの様々な考え方、フェルディナント・ヤマグチ、室井佑月らとの座談会など、もりだくさんの内容。

・全国童貞連合
http://www.cherrybb.jp/

日本家族計画協会の調べによると、25〜29歳の17.1%、30〜34歳の6.3%、35〜39歳の5.1%、40〜44歳の7.9%は「セックス経験がない」そうである。”無回答”も経験がないと考えると、40〜44歳の1割強が童貞だと予測できると著者は分析している。

こんな調査も紹介されていた。

・国立社会保障・人口問題研究所 結婚と出産に関する全国調査
http://www.ipss.go.jp/ps-doukou/j/doukou13_s/Nfs13doukou_s.pdf
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処女を見てみると、18歳〜19歳の、「性体験のない女性」は1987年の81.0%から、2005年には62.5%に減少しており、「高校を卒業するころには、10人に4人はセックスをしている」そうである。処女率はこの15年で、20〜24歳で64.4%→36.3%、25〜29歳で53.6%→25.1%に急激に下がっているらしい。(20代後半で4分の1が処女というこの数字は妙に高い気がするが。)

著者は、さらに各種調査データを引用して、モテる男とモテない男の二極化が進み、モテる男が女性を独占しているという現実があるのだと結論している。この恋愛格差の拡大によって、モテないものは一層モテなくなる。そうした弱者が40代で1割もいる状況はマズいのじゃないか、改善しよう、声をあげようというのが著者の意見である。

童貞連合会員の、他の中年童貞たちの意見は、必ずしも著者と同じではなく、中には恋愛は無理と諦めている保守派や、性欲をなくそうと女性ホルモンを使った解脱派もいる。生々しい意見が飛び交い、現代の中年童貞の実態が浮かび上がってくる。

うーん。

童貞連合を企画し書籍に意見をまとめられる著者は十分に魅力的で、モテておかしくないと私は思うし、好きで童貞を続けている面があるように感じた。だからこの本の主張は、どう受け止めるべきなのか、よくわからない。これって本当に一般的で深刻な社会問題なのだろうか?。ネタなのだろうか。なんにせよ、やっぱり個人の問題でしかない気がするのだが。

文章は読みやすく、面白くて本としてかなり面白い新書である。最近はこういう映画も話題になったが、中年童貞って世界的に流行なのだろうか。歴史的にみると童貞=硬派=カコイイ時代もあったわけで、童貞や処女というのはいつの時代も注目される稀少性なのだよなあ。

・40歳の童貞男
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生物と無生物のあいだ

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・生物と無生物のあいだ
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生命とは何か?

人は生物と無生物を簡単に見分けられるが、何が生命なのかと定義を問われると、明確には答えることが難しい。この世紀の難問に対して、分子生物学者の著者は、生命とは「動的な平衡状態」であり、「かたちの相補性」を原動力にするものだ、と明解で美しい答えを出す。

「肉体というものについて、私たちは自らの感覚として、外界と隔てられた個物としての実体があるように感じている。しかし、分子のレベルではその実感はまったく担保されていない。私たち生命体は、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかない。しかも、それは高速で入れ替わっている。この流れ自体が「生きている」ということであり、常に分子を外部から与えないと、出ていく分子との収支が合わなくなる。」
人間の細胞を構成する分子や原子は、年中、総入れ替えが行われている。1週間経つと分子レベルではそっくり別人だといわれる。しかし、原子レベルで入れ替わっても、個は同一の個のままである。生命は「現に存在する秩序がその秩序自身を維持していく能力と秩序ある現象を新たに生み出す能力を持っている」という特徴があるという。

そして、その平衡状態を維持する仕組みとして分子レベルの相補性があると説明している。相補性とは、パズルのピースが偶然その形であったとしても、結果的に隣り合うピースの形を規定してしまう、という関係性を指す。

「生命とは動的平衡にある流れである。生命を構成するタンパク質は作られる際から壊される。それは生命がその秩序を維持するための唯一の方法であった。しかし、なぜ生命は絶え間なく壊され続けながらも、もとの平衡を維持することができるのだろうか。その答えはタンパク質のかたちが体現している相補性にある。生命は、その内部に張り巡らされたかたちの相補性によって支えられており、その相補性によって、絶え間のない流れの中で、動的な平衡状態を保ちえているのである。」

動的平衡状態の具体例や、その発見に至るまでのエピソードたっぷりの生物学の歴史が、抜群に面白い読み物である。読ませ方がうまい。たとえば冒頭、お札にまでなった野口英世は、米国ではまったく評価されていないって知ってますか?という話題で始まる。野口英世の間違った研究アプローチが紹介され、それに対して隠れたヒーローが同時期にいたのですよ、という話が次の章で続く。気になる話題が連鎖していくので飽きることがない。

総論レベルで明快でわかりやすく、各論レベルで面白いエピソード満載の、科学読み物として名著だと思う。

・Cmd MsgBox
http://www.vector.co.jp/soft/win95/prog/se295080.html
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メッセージボックスを自作するソフト。フォントの色やサイズ、点滅やスクロールを好きなように設定できるので、一般的なアプリにはないド派手なメッセージボックスも作成できる。タスクスケジューラーに登録しておけば、スケジュールアラートとして使うことができる。

たとえばこんなメッセージボックスを作成できる。

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DOSコマンドとしても呼ぶことができるので、自作プログラムと組み合わせて使うこともできる。たとえば自分のブログにコメントがついたら、デスクトップに大きくポップアップするプログラムなどを書いたら楽しいかもしれない。

CMB.exe "<メッセージ>" "<フォント名>" <カラー> <ポイントサイズ*10> <スタイル>
<最前面で表示> <ブリンク間隔> <自動的に閉じるまでの秒数>
<スクロール速さ> <スクロール文字表示割合>
{"<再生ファイル名>" <繰り返し> {<ボリューム>}}

デジカメのえほん

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・デジカメのえほん
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初心者向けのデジカメ撮影ガイド。すごくよくできていて驚いた。

難しい技術の説明はなし。こうするとこう撮れるよ、こんなときはこう撮るといい式の、美しい作例写真と絵本のようなシンプルな説明文だけで、写真上達のコツを教える内容。それでも撮影技術の基本は網羅されているので、めくっていくだけで、カメラやレンズの仕組みが理解できるように思った。少し技術を詳しく知りたい人向けには詳細な文章説明のある「おさらい」コーナーが用意されている。

これまでに読んだどの撮影術の本よりもわかりやすいと思った。アマゾン他で読者に絶賛されているのもうなずける。この絵本に学ぶことはふたつあって、ひとつめは、もちろん、よい写真の撮り方なのだが、ふたつめは、視覚的に教えるやり方である。

このハートアートシリーズは他にも数冊出ているが、どれもビジュアルで一目瞭然に教えることに優れている。わかりやすいプレゼンテーションとはなにかの研究材料にも使える。

・絵のえほん
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・色のえほん
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デジカメのえほンには、マクロモードの面白さも紹介されていた。私はコンパクトデジカメのマクロモードでご飯を撮るのが以前から好きだった。数センチまで被写体に寄ることができるから、料理の質感をとらえて、おいしそうに見える。

・2006年のフード写真集

Food Photo

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