十牛図―自由訳

|

・十牛図―自由訳
jyugyuzu.jpg

禅の悟りに至る道を、十枚の牛の絵を使って表したものが十牛図である。

この牛とは自分の心を象徴しており「心牛」である。人は失われた牛を探し求め、見つけ、手なずけ、連れ帰り、牛を忘れ、自分も忘れて、悟りの境地に至るのだ、という内容。詳しくは目次にあるとおり。

自由訳 十牛図(じゅうぎゅうず)のもくじ

第一図 尋牛(じんぎゅう) 牛を捜しにゆく
第二図 見跡(けんせき) 牛の足跡をみつける
第三図 見牛(けんぎゅう) 牛を見つける
第四図 得牛(とくぎゅう) 牛をつかまえる
第五図 牧牛(ぼくぎゅう) 牛を飼い馴らす
第六図 騎牛帰家(きぎゅうきか) 牛に乗って家に帰る
第七図 忘牛存人(ぼうぎゅうぞんじん) 牛は消え私だけがいる
第八図 人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう) 人も牛もいなくなる
第九図 返本還源(へんぼんかんげん) 生まれ変わる
第十図 入てん垂手(にってんすいしゅ) 俗に入り教化する

それぞれの絵には教えの漢文漢詩がつけられている。十牛図の自由訳、現代語訳は他にも複数出ているが、これは「千の風になって」の新井満による自由訳。原典のコンセプトを守りながら、できるかぎりわかりやすい日本語で訳すというコンセプトで貫かれている。イメージ写真や、章ごとの重要部分のまとめもあって、とっつきやすく、読みやすいのが特徴である。

「本書は悟るための手引書です。どうか本書を活用して一日も早く悟ってください」と著者は帯に書いている。やさしい日本語になっているが、当然、読めば誰でも悟れるわけはない。やはり第七図以降の理解が難しいと思う。全身全霊で分かった!という「大悟」段階の先は、頭でわかるという次元を超えてしまうからである。だからこそ昔の人は言葉ではなく絵にすることで、悟りのツールとしたのだろう。

悟れるかどうかはともかく、何らかの求道者であれば、共通の極意として受け取れる古典だなあと思った。30分で本文を読んで、そのあと2時間くらいその意味を考えてみる。そういう読み方で読む本だと思う。

・現代語訳 般若心経
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004792.html
・タオ―老子
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004803.html
・現代語訳 風姿花伝
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005081.html

このブログ記事について

このページは、daiyaが2007年10月11日 23:59に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「箱舟の航海日誌」です。

次のブログ記事は「デスクトップのアイコンが回って踊るマイムマイム うぃんど渦」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

Powered by Movable Type 4.1