2008年3月アーカイブ
・DeskLamp
http://labo.piny.jp/desklamp/

ウィンドウをすべて全画面で実行する癖がある私は、作業をはじめてしまうとデスクトップが見えない。朝からデスクワークがいっぱいある日は、夕方までデスクトップアイコンを見ないこともある。Windowsには「デスクトップの表示」という機能があるが、あれを使うと作業の流れが分断されてしまう。そもそもデスクトップの表示の挙動が重たくてよろしくない。
DeskLampは今広げているウィンドウの上に強制的でアイコンにアクセス可能にするフリーソフト。起動後に無変換キーを連続で2回押すと、デスクトップ上にあるアイコンが浮き上がってクリック可能になる。キー設定などは任意のボタンに変更が可能。
これでちょっと便利になったが、その前に何十個もアイコンが散らかっている状態をどうにかしないといけないのだが...。
不妊治療を受けている女性を二つのグループに分け、一方のグループは他者からの祈りを受ける、他方は受けない。被験者及び現場の治療スタッフはこの実験が行われていることを知らない。二つのグループの妊娠率を計測した。すると「実験の結果は驚異的だった。祈りを受けた女性群の妊娠率は、受けなかった女性群の二倍に近かった。数値はそれぞれ50%と26%で、このようなことが起こる確率は0.0013未満。非常に意味のある統計差だ」。
こんな実験もあった。被験者を画面の前に座らせて好きなときにボタンを押させる。すると数秒後にランダムに「感情的を揺さぶる写真」か「静かな写真」が表示される。被験者は手に電極をつけて生体反応を計測される。「これまでの実験には131人の参加者がいましたが、それで判明したのは、感情的な写真を見る前は、静かな写真を見る前よりも、わずかに汗をかく量が増えることです」。こうした実験では、その予知のタイミングを調べると、コンピュータが乱数発生回路を使って、次に出す内容を決める前に、生体反応が検出されるという。
著名な心理学者が、祈りの効果、虫の知らせ、ジョー・マクモニーグルらの未来予知、行方不明者や遺失物を発見するダウジング、テレパシーなどの超常現象を徹底分析する。昔から科学者によってこうした実験が行われてきたが、多くの驚異的な結果報告は、非科学的であるとされて科学の表舞台に出る前に排斥されてきた事実を著者は事例を多数挙げて解説する。
心理学者が書いた本らしい興味深いロジックがあった。それはゲシュタルト認知のあり方を、科学と超心理学の関係になぞらえた次のような記述だ。(認知心理学の実験でよく使われる、見方によって複数の解釈ができる影絵が挿絵にある。)
「もう一つ、ゲシュタルト心理学者によって明らかになったことがある。それは見える絵......たとえば杯か横顔か......を切り替えるのは、慣れれば上手くできるようになっても、両方を同時に見ることはできない、ことだ。つまり、杯と横顔は同時に前景にはなり得ない。一つの見方で知ったこと、もう一つの見方で知ったことを統合できれば役立つことがわかっていても、同時に二つを見るように知覚を働かせることはできない。」
異なる宗教を持つ人の世界理解にも同じことが言えそうである。ある世界観を持つということは、別の世界観を見えなくしている。重要なのは二つの世界観が両立するメタ世界観を確立すること、二つの見方ができる眼を持つことだ。
超能力や超常現象の報告を詳細を調べもせずにすべてナンセンスだとして排斥してしまうのは、合理的、科学的な考え方とはいえないと思う。99%以上はナンセンスなのだろうけれども、科学の歴史は本流の科学者の考え方を異端とされていた研究がひっくり返す歴史でもあった。
あとがきで訳者がこう書いている。「ある面で、これに不思議はないかもしれない。なぜならテレパシーや予知、透視や念力などの体験は、人類に共通しており、古今東西、あらゆる文化圏において普遍的に報告されているからだ。」。
・幽霊を捕まえようとした科学者たち
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005228.html
・Text Viewer for Novel
http://www.interq.or.jp/student/yuasa/bcb.html

長い文章をゆっくりと読みやすく表示するソフトウェア。テキストファイルまたはHTMLファイルを読み込ませると、テキストを「。」「?」「!」で区切って少しずつ順次表示する。クリックで次の区切りまで進む。スペースで前画面へ戻る。

ユーザーは任意の背景やフォント、区切り文字を追加することができる。しおり機能も充実しており、文書ごとに10か所どこまで読んだかを記録し、すぐに呼び出せる。
全画面で実行するモードは、プレゼンで長文を会場全員で読んでみたい時に便利な機能だと思う。
・カーソル兄弟
http://onjn.nomaki.jp/software.html

このソフトウェアを使うと通常の白いカーソルと、もうひとつの赤いカーソルを、任意のタイミングで切り替えて使うことができるようになる。切り替えはボタン(マウスの中央ボタンや右クリックなどを割り当て可能)を押すたびに動かすカーソルが交代する仕組み。ボタンを押している間だけ変更するという設定もできる。
白いカーソルを動かしている間も、固定した赤いカーソルが表示されたままにできるので、パワーポイントなどのプレゼン時に便利に使えるシーンがありそう。カーソルを複数化するというアイデアが新しいと感じた。
暗号メモ帳
http://www.geocities.jp/is3000nx/soft/tool/#mem

秘匿情報を暗号化テキストファイルとして保存するテキストエディタ。ふつうにエディタに文字を書いて保存すると.atxtという拡張子のファイルとして記録される。このファイルの中身は暗号化されているので、無理やりテキストエディタ等で開いても、まったく読むことができない。
ファイル保存時にファイルごとにパスワードを設定することができる。パスワードを知らなければ中身を見れないので秘密が守られる。万が一ファイルが流出しても安心である。と、ここまでは普通の暗号化ソフトの利点だ。
このソフトにはパスワードを敢えて設定しなくてもよいというユニークな特徴がある。パスワードを指定せずに保存すると、使用しているOSのプロダクトIDを元にしてパスワードが自動作成される。この場合は次回に開く際にパスワードは聞かれない。その代わり、そのファイルはその端末でしか開くことができない。
WebサービスやネットワークゲームのIDとパスワード、懸賞応募に使う個人情報などを手元に一覧を保持しておくのに使いやすいソフトだ。
写真家 小川義文氏の写真とエッセイ。
http://www.crossroad.tv/
著者のオフィシャルサイト
私は車には乗らないしモノとしての車にもまるで興味もないのだが、この自動車写真本にはすっかり魅了されてしまった。ジャガー クーペ、ランドローバー ディスカバリー、ボルボが、自然や都市を背景に、ありえないほど美しく撮影されている。
「19世紀の人々にとって、写真術は移ろいやすい自然を永遠に固定するという長年の夢を実現してくれる手法だった。現代のデジタルによる写真術は、本物よりもっと本物らしい、まるで虚構のイメージにさえ思えるほどクォリティの高い画像をつくり出すことが可能になった。」
クルマというのは街にありふれていて、普通に写してもオモシロい写真にはならないものだが、この本に収録された作品は露出も構図も計算されつくしていて、一枚一枚がまるで美術館の絵画のようだ。
これらはすべてデジタルカメラによるもので、デジタルフォトの真髄を著者は「写真を絵画化すること」と語っている。それは撮影後のデジタル加工も含む。
「私の写真は非現実になろうとしているかもしれない。写真の目的が、写実からより絵画に接近しているのだから。写真に写し撮られたものは実在であることを意味するが、芸術におけるリアル(真実)とは、現実をそのまま再現することではないはずだ。それは、作家の主観と創意とを通じて選択された事実である。」
クルマに特化した作品が何十枚も続くが、飽きることなく楽しめる。作品をテーマに写真術を語る数ページのエッセイが間に16本挟まれている。写真と文章の配分が絶妙で、写真展にいって作品の横で作者の話を聞いているみたいな体験ができる本である。
「世界最悪の仕事は何か」をテーマにヨーロッパ(主に英国中心)の歴史を振り返って、ワースト1を決めるという趣旨の本。そこでローマ時代、中世、チューダー王朝時代、スチュアート王朝時代、ジョージ王朝時代、ヴィクトリア王朝時代という区分で、最悪職業のノミネートが行われる。最終章で発表される史上最悪の仕事とは?
登場する職業は、金鉱夫、写本装飾師、沼地の鉄収集人、コイン奴隷、ウミガラスの卵採り、治療床屋、亜麻の浸水職人、財務府大記録の転記者、焼き串少年、御便器番、爆破火具師助手、シラミとり、疫病埋葬人、浴場ガイド、絵画モデル、船医助手、ネズミ捕り師、骨拾い、など約70種類。名前からは仕事の中身がわかりにくいが、どれも身の毛もよだつような作業や労働環境が含まれる。
たとえばローマ時代の最悪候補が「反吐収集人」である。ローマ人たちは享楽におぼれ、たくさん食べるために、食べては吐きを繰り返したらしい。セネカの著作にはこんな記述があるそうだ。「われわれが宴会で寝椅子に寄り掛かっているときでさえも、或る奴隷は客の反吐を拭き取ったり、或る奴隷は長椅子の下に身を屈めて、泥酔した客の残したものを集めます。」。
チューダー王朝時代の最悪候補はヘンリー8世のお尻を拭く「御便器番」。スチュアート王朝時代の最悪候補はガマの油売りの英国版「ヒキガエル喰い」。薬の万能さをデモンストレーションするために観衆の前でヒキガエルを丸呑みしたという。
この本に出てくる仕事は多くが現在の「3K(きつい、汚い、危険)」どころではない大変そうな仕事ばかりだ。全体の総括として共通する要素として以下の5つがあげられていた。3Kに低収入と退屈が加わっているわけだ。
1 体力が必要なこと
2 汚れ仕事であること
3 低収入であること
4 危険であること
5 退屈であること
もともとこの本は英国のテレビ番組をベースにしている。番組では実際にその職業を体験してみて、昔の人たちの厳しい労働の実態や、社会のゆがみなどを考えさせるという教育的趣旨で構成されている。
・The worst jobs in history
http://www.channel4.com/history/microsites/W/worstjobs/
番組の公式サイト
この本を読むと、そんな時代に生まれなくてよかったと思うだけでなく、社会における職業について考えさせられる。誰かがやらねばならない辛い仕事というのはどの時代にも存在している。社会には上水道と同時に下水道が必要である。
仕事の中身の最悪度だって主観的なものでもある。たとえば、人間を手術や解剖する医者の仕事は見方によっては身の毛もよだつ仕事だ。弁護士は犯罪者や事件事故ばかりを相手にするやばい仕事である。人々から尊敬され、高収入だから、それらは3K仕事には決してならない。
結局のところ、やりがいがあるかどうか、ということが最高と最悪を決める本当の要素ということになるのじゃないか、というのが私の結論であった。
雑誌「カメラ毎日」に1974年から1985年までの間に13回発表された、植田の作品群(写真とエッセイ)が収録されている。先日紹介した「植田正治の世界」は関係者による360度評価のような本であったが、こちらでは本人の肉声がきける。
伝記というシリーズタイトルについては本人がこう語っている。「その「伝記」という言葉を使うのはちょっと気になったんですよ。なんか思い上がったような感じでちょっと気になったけども、切羽詰ってそういう題つけてね。それから言い訳になりますけど、伝記というのは私自身のたどった道、これからたどるであろう道であるし、それから撮ってる被写体、対象のそのときの記録ということは、撮られた人物なら人物のひとつの伝記の1ページになるであろうという気持ちなんですよ。」
断続的だがシリーズが8年間続いたことで、実際、植田正治のある時期の伝記的内容となった。植田が約50年前に撮影したが未現像のフィルムを新作として発表した回もある。カビに浸食されたネガから1930年代の日本の情景が現れる。驚くべきことに「植田流」はその頃から変わっていないことがわかる。
植田正治の作品の最大の魅力は構図の面白さなわけだが、一般に写真術で言われる構図のタブーをしばしば犯しているのが興味深い。メインの被写体をど真ん中に配置してしまう日の丸構図とか(ローライフレックスの正方形写真では一層それが目立つ)、人間の背景に電信柱がある串刺し構図などを堂々とやっている。それが印象を悪くするどころか、効果として活きているのが凄い。
日常をどう写せば非日常になるかを徹底的に考えつくした写真家なのだ。そしてそれは田舎暮らしから育まれた才能でもあったらしい。「それはとにかく外国行ったら、もの珍しい、右向いても左向いてもシャッター押しますね。それは写真になると思うわ。山陰におるとなかなか写真になる対象に恵まれん。」と話している。
植田は自分の作品について「非常に空間がとぼけてる写真かもしらんなァ」と述べている。これ以上ないほど的確な説明だと思った。植田作品はメインの被写体へのピントは常に完璧に合わせている。背景は砂丘や曇りの白い空であることが多いから、当然のことながら被写体だけが中央にぐぐっと浮き上がり、広がる余白との絶妙のバランスが「とぼけた空間」の一因になっているようだ。
カメラ雑誌などの月例コンテストで植田流を模倣した作品をよく見るが、本家の持つ、そのとぼけ具合がない。まじめに計算して作ってしまうととぼけたことにならないようだ。「五十年間つづいた道楽が我が写真家としての取り柄ならん。」と語り生涯「アマチュア」として生きた植田だったからこそ、究めることができた遊びのセンスだったのかもしれない。
・植田正治の世界
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005283.html
・学歴詐称疑惑
http://www.vector.co.jp/soft/win95/personal/se212697.html

私はエジプトの小学校へ入って帰国後日本の学校へ編入し全日制高校を中退し通信制高校に入学し18歳で大検に合格したので通信性を退学し予備校に1年通って大学に合格し8年目で中退して、と実にややこしい話が続くため、たまに履歴書を作る作業というのは凄く面倒である。詐称するつもりなどないのに間違わないように書くのが大変である。
このソフトウェアは学歴作成支援ツール。誕生日と最終学歴を入れると標準的な年表が出力されるので、イレギュラーなことがあった人は修正項目をチェックする。その対応項目が細かくて浪人、留年、中退、編入、飛び級、大学秋季入学、大学秋季卒業、夜学、通信、放送大学にまで対応している。
「例えば『昭和54年1月13日の早生まれで、病気で中学を1年留年し、高校は夜学で、1浪して短大へ、短大から大学3年次へ編入し、単位を取り損ねて前期卒業(9月卒業)、大学院へ進学したがすぐ辞めた場合』なんて複雑な計算もできます。」とのこと。西暦と和暦を簡易変換するツールも付属。
・MebiusBox
http://mebiusbox.crap.jp/software_mebiusbox.html

なるほどね、確かに便利である。
このファイル管理ソフトは、一画面内に4つのフォルダを表示させて、相互にファイルを移動・複製することができる。一度にふたつではなくて4つも開けるようにするのが特徴的だ。文書や写真などのファイルを複数のフォルダへ振り分けたい時に、直感的にここからここへとドラッグ移動できるので使い勝手がよい。
ファイル名の検索や一括リネーム、連番ファイル、連番フォルダ作成機能などの強力なファイル管理機能を備えている。外部コマンド呼び出し、キーカスタマイズなどキーボード操作派を支援する機能もついている。ファイル管理を頻繁に行う中級者以上のユーザーに特におすすめなフリーソフト。
毎日新聞社が戦後まで保管していた第二次世界大戦中の報道「不許可写真」が2冊の本になったもの。軍部の検閲により写真には「検閲済」「不許可」などのハンコや赤ペンでの修正指示がびっしり書き込まれている。「検閲済」は新聞掲載がOKという意味で、不許可はダメということである。
実はこれらの不許可写真の多くは物凄い秘密が写っているわけではない。そこに写っているのは戦争の日常で、戦闘シーンだけでなく休息する兵士たちのようなのどかな写真も含まれる。
検閲には明文化された規則があって、全文が掲載されているが、要約すると
・飛行機や飛行機事故の写真
・旅団長(少将)以上の写真
・軍旗が写った写真
・多数の幕僚の集合写真
・司令部、本部名などの名称がわかる写真
・装甲車や戦車、艦船や戦闘機の写真
・輸送・移動の様子がわかってしまう写真
・捕虜や敵兵を逮捕尋問している写真
・死体の写真
などがダメだった。現場の検閲官の裁量で微妙な判定が行われるケースもある。
修正すれば可というのもある。たとえば山の稜線が写っている写真は場所の特定に結びつくのでそこを削るように指示される。肩章が映った兵士の写真は肩章部分を修正で消すように指示される。
何百枚もの写真と検閲理由の解説を見ていくと、読者の眼は当時の検閲官の眼になる。途中からは9割くらい、次の写真が許可なのか不許可なのか、修正を入れるとしたらどこに指示をするかが、わかるようになってしまう。
テリー伊藤が解説で面白いことを書いている。「不許可にした写真でも、軍はネガを没収しなかったというのは、多分、「お役所」なんですね。許可をしない、掲載しない、というお役所仕事だったから、ネガを没収するというのは別の「仕事」なんですよ。」。検閲するほうも、されるほうも、なんだかんだいって同じ民族だから信用していたのではないかという。
当時の新聞社は軍の検閲を受けて、この写真は不許可という指示を与えられていたが、この写真を使えとは言われていなかった。民間企業として残された新聞社は、軍の検閲と馴れ合いながらも、軟禁状態の言論機関として情報を発信していた。国家のプロパガンダ機関として徹底しなかったのが日本の情報統制の弱さだったという指摘があった。
なにか歴史をひっくり返すような中身があるわけではないのだが、戦時中の検閲そのものを体験できる貴重な写真集であると思う。
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http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005260.html
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http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005177.html
堪忍袋の緒、舌鼓、左うちわ、相槌、思う壺、助け舟など、現実には存在しないけれど、日本語のことばのやりとりには頻繁に登場する「ないもの」のカタログ。架空の商店クラフト・エヴィング商会の店主がすべて書いていることになっている。各商品についてのウィットに富んだ説明文と、いかにもそれっぽいかんじのイラストの組み合わせが愉快。
たとえば「自分を上げる棚」のページにはこんな解説がある。
「ある程度の大人になりましたら、御自分の棚の規模を把握しておきませんと、調子に乗って、どんどん自分を上げてしまい、収拾つかなくなることがあるのです。なにより、棚は、貴方が想像しているほど大きくありません。のみならず、そんなにも次から次へと自分を棚に上げてしまったら、棚に上げている自分が、どんどん減少していき、最後には、自分のすべてが棚に上がってしまって、棚の下には何も残らなくなってしまいます。」
この本に出てくるモノを片っ端から画像検索したり楽天で商品検索にかけてみるという楽しみ方も発見した。売っているものも見つかる。たとえば左うちわは1500円だ。
巻末には赤瀬川源平が書き下ろしエッセイを寄せている。いいナンセンス本をつくるには相当のセンスが要ると思うのだが、この本はハイセンスで面白かった。
・CursorFX
http://www.stardock.com/products/cursorfx/

GmailやサイボウズなどのWebアプリの利用時間が増えてきたからか、そういえば最近、壁紙を見なくなってきている。見ないのだから壁紙を変えてもあまり気分転換にならない。むしろ、カーソルが変わると作業環境のムードが変わるのだなあと、このソフトを使ってみてわかった。
カーソルの外観をカスタマイズするソフトウェア。13種類の中から選択でき、さらにWincustomize.comに登録されているユーザー作成アイコンも追加することが可能。クリック、ダブルクリック、ホイールクリックの押す、放す動作時のビジュアルの変化をそれぞれ個別に設定することもできる。(一部はPlus版のみ)
私は小説を書くのが子供の頃からの夢である。でもまだひとつも書いていない。いいガイド本はないものかとずっと探しているわけだが...。
高橋源一郎が書くのだから並みの内容ではあるまいと予想して読んだが冒頭から「実際、わたしの知っている限り、「小説教室」や「小説の書き方」を読んで小説家になった人はひとりもいません。」と読者を突き放す。
「真実というものは、知ってみると、たいていガッカリします。身も蓋もない、という感じだからです。この「小説家」の代わりに、「音楽家」や「数学家」や「建築家」ということばを入れてみてください。みんなあてはまっちゃう。ほんとに、真実って味気ない。」
とはいいつつも、もちろん高橋源一郎なりのアドバイスがある。「つかまえる」「口まねする」という二つの方法が小説家になる近道だと教えている。
つかまえるというのは、生きていればいろいろなボールが飛んでくる、ボールの中にはきっと小説も含まれているのでつかまえなさい、という意味。古今東西の名作の一節を引用して、ほら今何か飛んできたでしょ?あなたわかった?という風なケーススタディが続く。
「ふつう、人は、なにかを考えて、それから、おもむろに、その考えたなにかをことばで表現する、と思われています。しかし、それは、まったくの誤りではないでしょうか。ほとんどの「小説教室」で、まちがったことを教えるようになったのは、そのせいではないか、とわたしは思ったのです。まず、口まねがあるのです。」
好きな小説家の文体を真似してみなさい。そうすればそれを書いた人の感覚で世界を見る練習をしていれば、自分のオリジナルの視線と融合して、やがて自分自身の小説も書けるようになるよ、と高橋源一郎は言う。キャラクターが自然に動き出すという状態に近いのだろうか。
「小説家は、小説の書き方を、ひとりで見つけるしかない」。小説家志望の孤独な挑戦を、もしかすると近道になるかもしれないヒントを提示することで勇気づけてくれる本である。
・物語の作り方―ガルシア=マルケスのシナリオ教室
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005281.html
・2週間で小説を書く!
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004901.html
・人生の物語を書きたいあなたへ −回想記・エッセイのための創作教室
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001383.html
・小説の読み書き
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004878.html
・書きあぐねている人のための小説入門
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001082.html
・つい口に出る「微妙」な日本語 その言い方は他人にどう聞こえているか

著者は、ビジネスパースンや学生を対象に200件の聞き取り取材を行って「耳障りな言葉」と「自分でも言うことがある語句」の両面で「微妙な日本語」を選び出した。たとえば第一章で紹介されているのは、「微妙」、「とりあえず」、「かもしれない」、「一応」、「ちょっと」、「できれば」、「思われます」、「〜なはずですけど」、「〜という可能性も否定できない」。出現度と不快度を5つ星でそれぞれの言葉が評価されている。
後半にでてきた「ある意味」、「逆に言うと」、「要は」。これも私が一日のうちに何度も使ってしまう微妙語である。微妙語のほとんどはそれがなくても意味が通じるばかりか、ないほうが明確になるものが多い。
自分の言葉づかいを振り返って、諸問題の一因となっている言葉が、この本にでていた「難しいですねえ」である。何らかの仕事を「お願いできますか?」と聞かれると「できません」「不可能です」と言わずに、ついつい「難しいですね」と言ってしまうのだ。相手の困った顔をするのを見たくないと思うあまり、完全否定の言葉を出すことができず、とりあえず「難しい」と一応いうのだが...。
「お願いする側は必死ですから「難しい」と言われれば一縷の望みを捨て切れずに食い下がってきます。<中略>それでも、できないことははっきり言って差し上げる必要はあると思います。そうでないと、相手だって代替案の検討など、先に進めなくなってしまいます。また、足元を見て高い条件を吹っかけようとしていると勘繰るかもしれません。」
口に出す言葉というのは短くするとぶっきらぼうな印象を与えがちである。それを回避するために、意味的には不要な言葉を挟んでみるわけだが、NOをYESにすることはできないのだから、それは使い手の優しさとはいえないわけである。はっきり言ってあげた方が仕事では適切なのだ。
逆に長いほどよさそうなのが、ほめ言葉である。この本と同時にこれを読んでいた。
「「マメだね」を「リスク管理、きっちりできてるね」に、「ダンドリがいいね」を「仕事の全体像をイメージできてるね」に…。「ほめる」ことに慣れていない人がつい言ってしまいがちな言葉を、効果的なフレーズに変換して紹介。 」
実用予定なので、あまり中身を紹介したくないのだが(笑)、ほめ上手になるための、褒め言葉長文化テクニックが多数紹介されている。
・Port Viewer
http://homepage3.nifty.com/rio_i/lab/portviewer/

現在使用中のTCP/UDP接続のポート情報を一覧するソフトウェア。上下二段のリストビュー構成で上段が TCP ポート一覧、下段が UDP ポートを表示する。各プログラムをクリックすると細かいパラメータが確認できる。
これらの情報はポート一覧のコピー / CSVファイル出力ができるので、調査報告にも使いやすい。
それで自分の端末で実際に使ってみたところ、「dmsf」という正体不明のプログラムが複数プロセス存在していることを発見。なんじゃこりゃウィルスかと思って調べてみたら、NEC製ノートPCにプレインストールされているマルチメディア関係のプログラムであることが判明した。
・dmsf.exeについて
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1885281.html
いくつかのQ&A掲示板にもdmsf関係の質問があって、不審に思うのは私だけじゃないらしい。
・日本語シャッフル
http://pencilsoftware.com/j_shuffle.html

日本語の文章を入力すると、単語に分解してランダムに並べ直してくれるソフトウェア。単語の分解(形態素解析)にはYahoo! JapanのWebサービスを利用している。合成文章はランダムとはいっても日本語の特徴を再現するように構成されている。
たとえば、先日のブログの文章
・伝説のプラモ屋―田宮模型をつくった人々
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005284.html
を入力すると上のサンプル画面のような合成文章が出力される。ぼうっと文字を目で追っているだけだと、本当の文章であるかのように錯覚する。よく読むと意味が通らない不思議な感覚。
それで、どういうときにこれを使うか、だが。
Web制作時にとりあえず入れ込んでおくダミーテキストを作成するのによいかもしれない。あるいは、誰も読まない調査報告書や議事録とかをでっちあげるのによいかもしれない。
世界最大のプラモデルメーカー田宮模型を育てた伝説の2代目社長が語る田宮模型の歴史。この社長自身が模型が好き好きでしょうがない、こだわりを持った人である。だから製品開発で「数字にしたら0.7〜0.8ミリの誤差。私が感じた「何となく厭だ」を是正するのに要する費用は数千万円。時間は丸一年以上だった。」なんてこともよく起きる。
数あるモデルの中でも、社長が「世界に誇れる名プラモデル」というのがこのフェアリーソードフィッシュ。
あの小さな兵士のフィギュアにも物凄いこだわりがあった。「もっとも、35分の1という小さな人形のモデルの表情にこんなにこだわったところで、何人の人が価値をみいだしてくれるか、はなはだ疑問だ。が、たとえ一万人にひとりであれ、違いに気づいてニンマリと笑みをうかべてくれる人がいれば、本望である」。
田宮模型の社史をたどって興味深く感じるのは、これだけ本業のプラモデルに思い入れをもっているにも関わらず、会社の危機を救ったり、急成長の原動力になった製品はプラモデルではないということだ。
昭和30年代に玩具用金型を流用してつくった小さなレースカーが最初の大当たりをだして大赤字の会社を再生させた。そしてラジコンカー、ミニ四駆(1億数千万台も売れた)など、プラモデルを追求していく過程で技術を応用してつくった製品が大ヒットとなっている。そうして儲けたお金をプラモデルの完成度を高めるのに回す。製造現場のクラフツマンシップと経営者のマーケティング発想が、理想的な相互作用をしてきた会社といえるのではないだろうか。クラフツマンシップだけだったら今の田宮模型はなかっただろう。
パッケージの重要性にいち早く気がついたのも田宮模型であった。当時すでに大物の作家だった小松崎茂に頼み込んで箱の絵を描いてもらうことで差別化をはかっている。私も子供時代にいくつか田宮の戦車を作った記憶がある。(その後ガンプラにいってしまうのだが。)。パッケージが本格派っぽくて惹かれた。
この本は決して成功者の昔話に終わっていない。社長は70歳を超えたが21世紀以降も、世界を舞台に不断の挑戦をし続けていることが紹介されている。ホームページの充実ぶりを見ても、いつまたミニ四駆クラスの大ヒットがでてもおかしくないくらい雰囲気を感じる。
・★★TAMIYA INC. 株式会社タミヤ
http://www.tamiya.com/japan/j-home.htm
日本が誇れる会社の中身を知ることができて経営の勉強になった。
植田正治の砂丘写真シリーズは演出表現があまりにもユニークであった。一度見ると忘れられない。なにもない真っ白な砂丘の上に、計算された構図に並べられた人間たちは、みな普段着でなにげない表情をしている。植田正治の写真は完全に作為の写真だ。日本の写真文化はリアリズムの価値が中心的であったから、アート志向の植田正治は鳥取という地域性と相まって周縁で異彩を放つ存在でありつづけた。2000年に他界したあとその作品は海外でも展示されて、今また高い評価をされている。
・植田正治美術館
http://www.japro.com/ueda/
・植田正治事務所
http://www.shojiueda.com/jp/index.html
この本は本人の言葉や家族の証言、そして同時代の写真家や評論家たちの回想によって、植田正治の表現世界を立体的にうかびあがらせる。代表作の紹介や植田が生きた環境の取材記事などコロナブックスらしいビジュアルなドキュメント。
植田正治の作品には同じ女性や子供がよくでてくる。ここに出てくるモデルは植田の家族や近縁の人たちだったのである。子供を実にいきいきとした姿で写す写真家だが、実態は別にこだわっていなかったらしい。
「親父はごく一般的な親父ですね。子どもにあまり興味がない。ほったらかしもいいところで、ほんとうに毎日のように写真を撮りにでかけては、夜帰ってきました。」と息子は証言する。本人の言葉もそれを裏付ける。「僕は子供の世界を撮ろう。子供の世界を表現してやろうというのはない。僕はあれは物体として使っていますから」。
土門拳は「絶対非演出の絶対スナップ」と言ったが、植田正治は絶対演出写真の人なのである。植田と交流のあった荒木経惟は「私も子どもの写真は得意にしてたんだけど、自分のネオリアリズム風のどろどろした現場っぽい写真と違って、植田さんのは、あっちの国のみたいにさ、スッキリしているわけだよ。時代とか場所とか環境なんて、ぜんぜん意識していない。もっとピュアに、子どもの気持ちとか子どもに対する気持ちとかが写ってる。」と評している。
植田正治の砂丘写真はリアリズムの対極で、もはや絵画といってもよいほど緻密に計算された表現である。しかし、そこに写ったモデルの表情は余計なものが一切ない背景だからこそ、すごく生々しく質感がある、リアルに感じる。よく教科書で「写真は引き算」というが、まさに典型的な引き算のお手本を貫き通してアートにしたのが植田正治なのである。
・写真批評
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005242.html
・土門拳の写真撮影入門―入魂のシャッター二十二条
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004954.html
・東京人生SINCE1962
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005034.html
・遠野物語 森山大道
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005029.html
・木村伊兵衛の眼―スナップショットはこう撮れ!
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004923.html
・Henri Cartier-Bresson (Masters of Photography Series)
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004931.html
・The Photography Bookとエリオット・アーウィット
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004958.html
・岡本太郎 神秘
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004986.html
・マイケル・ケンナ写真集 レトロスペクティヴ2
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005007.html
司馬遼太郎とドナルド・キーンの対談。古典的名著。
キーンの日本文化についての知識の幅広さと深さに驚かされる。議論の中で何度も司馬遼太郎が防戦側に回っているように感じた。8本の対談が収録されている。議論はだいたい日本らしさ、日本人らしさとは何か、ということに収斂する。キーンに言わせると歴史的にみて「日本人はいつも何が日本的であるかということについて心配する」民族であったらしい。
原理というものに鈍感な日本人は、仏教と神道と儒教をごちゃまぜにして平気である。「日本の歴史を眺めておりますと、あらゆる面に外国文化に対する愛と憎、受容と抵抗の関係があるように思われます。」とキーンは指摘する。最初は軽蔑したり嫌々ながらに外来を取り入れていくが、やがて不可分なほど融合する。日本の文化史というのは、確固たる日本文化があるわけではなくて、外来文化が入ってくる、そうしたせめぎあいそのものなのだ。
それでも日本人は日本文化の絶対価値をアプリオリに認めている民族である。そこが日本人のおもしろいところでもあると思う。地政学的な安心感が土台にあるのだろう。
「もう一つは、中国には日本人にできないようないろいろ素晴らしいものがあるけれども、日本にも中国にはないような立派なものがある、と考えていた。それは何かというと、日本人の独得の「まこと」、あるいは「まことのこころ」でした。中国人に「まこと」がないという証拠はあまりないのですけれども、ともかく、どうしても日本には中国にないものがあるということを信じたかったようです。」とキーン。
真心、誠、大和魂。日本人の精神の芯にはなにか特別で正統なものがあると仮定して疑わない。それが何なのか言葉で説明したり、論理で証明はできないが、とにかく信じているわけである。その上で外来文化を取り入れているから平気なのである。
司馬はこういう。「日本という国は外にたいしてあまり影響を与える国じゃない。つまり世界史における地理的環境というものがあって、日本はいろんなものが溜まっていく国だと思うのです。中国になくなったものが日本のなかに溜まっている。文化のなかにも、言語のなかにも、むろん建築のなかにも、正倉院にも溜まっている。それではそれが中国に押し出していくか、思想として中国思想に影響を与えるべく出て行くかというと、それはありえない国のようですね。」
日本的な美とは伊万里や柿右衛門ではなくて、志野や織部だという話。日本の大きな合戦はここぞというときに裏切り者が出て勝敗が決まってしまうという話。日本人は政治を女性的にとらえてしまうという話。日本に来て成功した外人と失敗した外人論。多彩なテーマで日本人と日本文化の本質がわかりやすく語られている。
現代の世界文学を代表する偉大な作家の一人ガルシア・マルケス(とその仲間たち)が、面白い物語の作り方の秘密を明かす。その秘密とは、意外なことに、みんなで議論しながら共同作品としての物語をうみだしていくという斬新な方法であった。小説についても触れられているが、どちらかというと脚本家養成講座である。
ガルシア・マルケスは、プロのシナリオライターの友人たちとハバナに集結し、30分のテレビドラマをつくるシナリオ教室を開いた。誰か一人が原案をつくって披露する。他の参加者たちが、それに突っ込みを入れながら改善していく。真実味がない箇所や、面白みのない箇所に対して容赦なく他のメンバーから指摘が入る。みんなで修正する内容を発案、提案して物語をよりよいものに変えていく。この本にはその議論が二段組で400ページ分も収録されている。
ガルシア・マルケスは随所で議論をリードする。
「こういうストーリーは、現実というのはどの程度までたわめ、歪めることができるのか、本当らしく見える限界というのはどのあたりにあるのかといったことを知ることができるので私は大好きなんだ。本当らしさの限界というのは、われわれが考えているよりも広がりがあるものなんだ。」
このシナリオ教室では本当らしさを複数の創作者の視点でチェックして完成度を高めていく。具体的な議論ばかりなので、本気で物語を作りたいと思う人にとって参考になりそうである。
これがガルシア・マルケスの才能の秘密かと思う記述もみつけた。
「真の創造には危険がつきものだし、だからこそ不安を抱くんだ。本ができあがるだろう、そうすると、不出来なところを見落としているんじゃないかと不安になるものだから、わたしは決して読み返さないんだ。本の売れ行きや批評家の賛辞に目が入ると、みんな、つまり批評家や読者は何か勘違いをしている、実を言うと自分の本はクソみたいなものだということが明らかになるんじゃないかと不安で仕方がないんだ。それに、妙に謙遜して言うわけじゃないが、ノーベル文学賞の受賞を告げられた時、「へぇー、うまく引っかかったんだな、あのお話を信じたんだ」と真っ先に考えたんだ。」
これだけ大家になっても決して緊張感を失っていない。ガルシア・マルケスは頭の中でも、自分の作品を客観的に評価する批評家がいて、この本の内容のような脳内議論が行われているのだろうなと思った。
・2週間で小説を書く!
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004901.html
・人生の物語を書きたいあなたへ −回想記・エッセイのための創作教室
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001383.html
・小説の読み書き
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004878.html
・書きあぐねている人のための小説入門
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001082.html
「ヘレナ、人間はいくらか気違いであるくらいでなければ。それが人間の一番いいところなのです。」
「ロボット」という言葉は、チェコスロバキアの劇作家カレル・チャペックの作品「R.U.R ロッスムのユニバーサルロボット」ではじめて使われた。発表は1920年のことだった。20世紀後半になると、ロボットという言葉は日常生活でも使われるようになり、モノとしてのロボットの実用化も進んだ。
チャペックが描いた最初のロボットは、きっとブリキのオモチャみたいなものだろうと想像していた。ところが、この作品に登場するロボットは、外観は本当に人間と見分けがつかないし、知性も人間同様に備わっている。機械というよりは人造人間といったほうが近い。
人間の労働を肩代わりするためのロボットの生産工場が作品の舞台である。人間に奉仕するはずのロボットたちが、やがて団結し主人である人間に反乱を起こす。工場設備をのっとり、自ら生産によって増殖するロボットの群れは、人間を次々に抹殺していく。ロボットという存在は、人間の脅威になりうるものとして描かれていた。
生き残った工場首脳部はロボットにみつからぬように逃げ込んだ部屋で議論する。われわれのせいなのだろうか?と。「あんたって人は結構なお方さ!生産の主人公が社長だなんて考えているのかね?そんなことなんて、生産をつかさどっているのは需要です。世界中が自分のロボットを欲しがったのです。われわれはただその需要の雪崩に乗せられていたのです。」
企業が倫理感を持たず市場の要求にこたえるだけの存在になると、技術が暴走して世界が破綻してしまうかもしれないという未来予想と警告の作品である。
「メディアからの解放」 〜次世代型映像ビジネス考〜
オーバルリンクが主催で下記のイベントを開催します。私は司会で登場します。メディアの近未来をみんなで予想してみようという内容です。今週の金曜の夜です。ぜひご参加ください。
オーバルリンク @niftyビジネス共催
http://tcc.nifty.com/cs/catalog/tcc_schedule/catalog_080222183952_1.htm
「メディアからの解放」 〜次世代型映像ビジネス考〜
Open 18:00
Start 19:00
End 21:00 (予定)
前売り券2000円 当日券2200円(ともに飲食代別)
ファーストドリンク代は別途必要になります。500円〜
「メディアからの解放---次世代型映像ビジネス考」
新たな映像ビジネスの可能性はどこに開かれるのか。先進的領野で活躍する多様な知見が集い、映像ビジネスの近未来を占なう公開セミナーです。
セッション1 「仮想空間に流行るツボとは?」
神田敏晶 はたけ(シャ乱Q)
セッション2 「疾走する映像に開かれる可能性」
JR東日本企画 山本孝
セッション3 「映像ビジネス再構築とライツマネジメント」
荒川祐二 津田大介
セッションコーディネーター:橋本大也
【出演】橋本大也 神田敏晶 はたけ(シャ乱Q) 荒川 祐二
山本 孝(株式会社ジェイアール東日本企画交通媒体局 媒体開発部部長)
津田大介(IT・音楽ジャーナリスト)
橋本大也(はしもと・だいや)
データセクション株式会社 代表取締役
株式会社早稲田情報技術研究所 取締役
株式会社メタキャスト取締役COO
著書「アクセスを増やすホームページ革命術」
神田敏晶(かんだ・としあき)
ビデオジャーナリスト。
1995年よりビデオストリーミングによる個人放送局「KandaNewsNetwork」を運営開始。ビデオカメラ一台で、世界のIT企業や展示会取材に東奔西走中。
現在、impress.TVキャスター、関西大学総合情報学部 非常勤講師、デジタルハリウッドスクール非常勤講師。世界で初めてのビデオ投稿スタジオを併設したBAR 「BarTube」を展開中。2007年参議院議員選挙東京選挙区無所属で出馬。
荒川 祐二(あらかわ・ゆうじ)
1965年4月14日生まれ。長野県長野市出身。
88年より、広告関連イベント制作プロダクションで、企業イベントの企画制作を手がける。
92年、株式会社電通の契約社員となり、営業の立場から企業の冠イベントの企画制作やプロモーションなどに携わる。このときパートナーシップを組んでいた株式会社プロマックスに誘われ、1995年、(株)プロマックス取締役就任(現任)。95年11月に行なわれた坂本龍一コンサートのM-BONEを使用したインターネットライブの制作をはじめ、ネットワークを使ったコンテンツ配信実験や、非接触ICカードを使用したコンサートチケット流通実験などに参画する。2000年11月の著作権等管理事業法成立を受け、同年12月(株)にジャパン・ライツ・クリアランス(略称JRC) を設立、代表取締役に就任(現任)。02年6月、JRC子会社「グローバル・プラス株式会社」を設立、取締役就任(現任)。03年8月、JRC純粋持ち株会社「株式会社JRCホールディングス」を設立、代表取締役就任(現任)。
07年2月、JRC子会社「株式会社JRCラボラトリーズ」を設立、取締役に就任(現任)。
山本 孝(やまもと・たかし)
JR駅・車両等におけるニューメディア媒体開発・映像制作に国鉄時代より携わる。その後、東京駅・上野駅リニューアルにおいて「情報発信スペース」開設を担当。現在、ジェイアール東日本企画にて、IT技術を活用した次世代広告媒体(デジタルサイネージ・Suicaポスター・電子ペーパー等)の開発を担当する。
<関連サイト>
津田大介
神田敏晶
はたけ(シャ乱Q)
参加のお申込みは下記のサイトから。
http://tcc.nifty.com/cs/catalog/tcc_schedule/catalog_080222183952_1.htm
社会的に中堅になるとペラペラ自己主張をしゃべることが必ずしもプラスに評価されなくなるものだ。実力も実績もあって当たり前。安定や落着きこそ求められる。この本は静かなカリスマが持つオーラ「サイレント・パワー」とは何か、どうしたらそれを身につけられるかを語る、スピリチュアル要素50%の指南書。
他人と違う雰囲気、自然に惹かれる魅力を持った人は何が違うのか。それはまず心の持ち方が違うのだ、寄りかからないことが大切なのだと著者は次のように最初のステップを教える。
1 自分のものでないものに寄りかかるのを止めること
2 未来に寄りかかって、いつも先のことばかり話すのをやめること
3 他人に何も要求しないですむような人生を設計しよう
そして寄りかからないためには、個人的なことはあまり詳しく人に話さないようにすること、心理的に相手の下に入るようにしてみることが重要なのだという。
「だから、人と張り合わないように、会話に気をつけることだ。誰かがフランス旅行に行った話をしてきたとしよう。もしあなたがフランスに二十年間も住んでいたことがあったとしても、そのことは口にしないことだ。ただ、相手の話を聞けばいい。そう心がけることで、あなたはだんだんと、人の下に入る会話スタイルを身につけることができるようになる。」
ただのしゃべらない人と、サイレントパワーのある人の違いは、内に秘めたエネルギー量の違いらしい。この本ではスピリチュアル用語の「エーテル」として説明されている。科学的にはともかく、自信があるかないかは、しゃべろうがしゃべるまいが自然に態度に現れてくるというのはわかる気がする。
「最大の防御は、他人に対する批判や判断をできるだけ控えることだ。恨みや、憎しみ、反感を持たないようにしよう。防御すべきものを持たないことこそ、最大の防御だ。」
隙をなくして、ゆったりと構えよ、そういう人にサイレントパワーは備わるということみたいだ。「カリスマ性」という言語化しにくいものを、感覚的にとらえることができる面白い本である。
斬新な切り口でまっとうな歴史哲学を語る本。
著者の調べによると日本全国で1965年ごろを境に、キツネにばかされたという話が発生しなくなったのだという。本当にキツネが人を化かしていたのか、その話をみんなが信じていたのか、という問題はともかく、そのような話が出なくなったことは歴史的な事実である。
高度経済成長に伴う変化の中で、日本人は知性でとらえられるものを重視するようになった。同時に知性によってとらえられないものはつかめなくなったということでもある。
この本でとても気になった一節がある。かつての村社会における情報流通についての説明である。
「人間を介して情報が伝えられている間は、情報の伝達には時間が必要だった。大事な情報は急いで伝えられただろうが、さほど急がなくてもよい日常世界の情報は、何かの折に伝えられる。ところがその情報は重要ではないのかといえば、村ではそうでもない。なぜならそれらをとおして村人どうしの意思疎通がはかられ、ときにそれが村人の合意形成に役割をはたしていくからである。
もうひとつ、人から人に伝えられていく情報には次のような面もあった。人から人に伝達される以上、そこには脚色が伴われる、ということである。その過程で話が大きくなっていくことも、一部分が強調されることもある。だから聞き手は、話を聞きながらも、その話のなかにある事実らしい部分を自分で探りあてながら聞いていく。すなわち、聞き手が読み取るという行為が伴われてこそ情報だったのである。主観と客観の間で情報が伝えられる以上、それは当然のことであった。」
インターネット時代のコミュニケーションで失われているのがまさにこの
・何かの折に伝えられる情報が重要な共同体
・伝達過程で脚色が加えられ話が大きくなっていくコミュニケーション
ではないだろうかと考えた。
情報流通の効率化、最適化によって、情報を瞬時に正確に伝達できるようになったかわりに、キツネに化かされるような物語だとか、そういう話にリアリティを感じる心を失ってしまったということでもある。死者や動物や自然と対話する能力=キツネにだまされる能力の喪失である。
そのような社会変化の背景には、高度経済成長という「国民の歴史」があった。国民の歴史は宿命的に発展の歴史として描かれると著者は指摘する。「それは簡単な方法で達成される。現在の価値基準で過去を描けばよいのである。たとえば現在の社会には経済力、経済の発展という価値基準がある。この基準にしたがって過去を描けば、過去は経済力が低位な社会であり、停滞した社会としてとらえられる。」
それを経済力を科学技術、人権や市民社会という基準でおきかえてもおなじこと。私たちは遅れた社会から進んだ社会へと進歩発展してきたという物語を信じている。キツネや死者と対話する世界は取り残されて崩壊していった。
「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」という問題に対する答えを探す旅は、いつのまにか進歩史観的な歴史認識に大きな疑問符をつきつけて終わる。この本のタイトルと構成に、ちょっと化かされた気がしないでもないのだが、現代人に見えていないものを可視化する内容でたいへん勉強になった。
・CSVデータをテーブル形式のHTMLに変換するdata2html
http://www.vector.co.jp/soft/winnt/net/se439938.html

ちょっとしたテーブルデータをWebで公開したいときに、CSVを簡単なHTMLに変換してくれるフリーソフト。カンマやタブ区切りのテキストデータを読み込ませて、フォント、罫線、背景などのテーブルの要素を指定すると、一発でHTMLを生成してくれる。
プレビュー機能があるので思い通りに変換されたかどうかを見ながら作業ができるのがよい。趣味でもゲームのスコア表などを公開するのに使えそうである。
類似ソフトはいろいろあるのだが操作と生成するHTMLがシンプルなのが気に入った。
私たちはいつのまにか流行歌の歌手のことを「アーティスト」と呼ぶようになった。これを「芸術家」と訳したら違和感がある。アートと芸術は別物で、無意識にアート<藝術という前提があるのである。しかし、どこからがアートでどこからが芸術なのかと問われると戸惑う。
現代において芸術とは何かという難しい問いに著者は真正面から答えている。
「近代の藝術、というのは端的に藝術ということです。なぜなら、ほかの文化圏においては、また西洋でも近代以前には、「藝術」の概念は存在しなかったからです。今日われわれが藝術と見做している作品のレパートリーは広大なものですが、それは、西洋近代において成立した藝術の概念を、それ以前の時代に、また異文化の世界に適用したものです。たとえば、百済観音は仏像以外の何者でもありません。」
「ところが藝術とは、広大なartsの領域のなかからその一部分を取り出して、価値的に区別したものです。具体的に言えば、絵画は藝術だが、家具を作るのは職人仕事だ、ということになりますし、さらに細かく言えば、油絵は藝術ですが銭湯にある富士山のタイル画は職人仕事という具合に区別されます。その区別の標とされてきたのは、作品に込められた精神的意味の深みです。」
デザインや職人芸は、芸術というよりアートといったほうがおさまりがよい。ネイルアートサロンなどという言葉もあるが芸術とは関係がなさそうだ。「背後に精神的な次元を持ち、それを開示することを真の目的としている活動が藝術です。」という著者の結論が納得である。デザインや職人芸では作者は透明で匿名であることが本来の特性であるのだから。
この本の芸術論の中でやはり面白かったのはコピーとしての芸術という章である。現代の私たちは、生演奏のコンサートや演劇の舞台をたまに劇場で見るが、DVDやCDは自室やiPodでひとり鑑賞することのほうが圧倒的にが多い。芸術の鑑賞スタイルが大きく変わってきているのだ。
「ここに、複製による藝術体験の特徴を見ることができます。すなわち、複製の体験は個人化し、体験の様式は自閉的なものになります。それは藝術だけのことではなく、われわれの生活様式全般に広く見られる現象です。」
そしてコピーで知ったモナリザを追体験するためにリアルの美術館へ向かうのである。商品化されたコピーがオリジナル以上の影響力を持っている時代になった。自分の体験をみても確かにコピーで知って(たとえばネットで美術館を調べて)、オリジナルを追体験するという機会のほうが多くなってきたように思う。
自宅の大きなハイビジョンテレビで鑑賞する絵画のほうが、混雑する企画展で遠巻きに眺めるオリジナルよりも、深く味わえたりすることさえある。これから現代の芸術を大きく変えるのは、実は高精細なディスプレイの技術だったりするのではないだろうか。
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年間65000件が申請され厳正な審査のもとに1500件が認可される世界記録の殿堂ギネスブック。オフィシャルサイトをのぞくと「『ギネス世界記録』の歴史」が次のように語られている。
「1951年、当時ギネス醸造所の代表取締役だったサー・ヒュー・ビーバーが狩りに出かけたとき、仲間と議論をしました。それは、「ヨーロッパでもっともはやく飛ぶ猟鳥は、ヨーロッパムナグロとライチョウのどちらだろうか?」というものでした。そこで彼は、こういった疑問に答える本を出せば、人気が出るのでは、と思いついたのです。サー・ヒュー・ビーバーは、ロンドンで情報調査会社を経営していたノリスとロスという双子のマクワーター兄弟に、世界一の記録を集めるよう依頼しました。そうして、『ザ・ギネス・ブック・オブ・レコーズ』(現在の『ギネス世界記録』)として出版されたのです。1955年8月27日に発行された初版は、その年のクリスマス前には、イギリスでベストセラーとなりました。」
やがて、その記録集は37の言語に翻訳され、100か国で通算1億冊以上売れている本になったのだそうだ。自動車の利用を促進するためにタイヤメーカーのミシュランはレストランガイドを発行したそうだが、ビールメーカーのギネスとしては、いろいろな世界一を話題にしながら一杯やって盛り上がってくれということなのだろうか。
私はギネスブックを5年おきくらいに買っている気がする。いつのまにかカラー写真が大量に使われた図鑑のような本になっている。子供のころのギネスブックはこんなにビジュアルではなかった気がするが、世界記録の凄まじさが一目瞭然に分かって楽しい。
そして馬鹿話のタネにはぴったりである。洗濯機を投げた最長記録、茶わんをお腹に吸いつけて乗物を引っ張った最重量記録、ひたいでスイカを割った最多記録、最も多くの本を逆にタイプする記録など、なんでそんなことにチャレンジしたのかと問い詰めたくなるような項目でいっぱいなのである。100メートル走とかマラソンの記録のような真面目なスポーツ記録は巻末におまけのように収録されているだけである。
世界記録は目指してとるものだけではなくて、先日引退したキューバのカストロは暗殺未遂の最多記録638回を誇る、とか、もっとも多くの従業員を抱える事業体はインド国営鉄道で2000年時点で165万人の正社員がいたなどの事実も含まれる。
そして圧巻は「世界最大の○○の写真」だ。○○には虫とか動物(ヒトも)などが入るのだが、世界最大のカタツムリ(実物大)とか、ムカデ(実物大)とかナナフシ(実物大)とかは、SFチックであり、もう勘弁してくれという感じである。でも怖いもの見たさでついついページをめくってしまうのである。
ビジュアルで話題性のある記録中心に編集されているせいか、昔のギネスブックよりも、娯楽性が高い内容になっている。偉人よりも奇人変人が目立つということでもあるのだが。ブロガー向きでもあると思う。この本はやはりネタの宝庫であるから。
・ギネスワールドレコーズ オフィシャルサイト
http://www.guinnessworldrecords.com/ja/default.aspx
USBカメレオンはUSBでパソコンとつなぐカメレオンである。手足が針金のように曲がるので、これを使ってノートPCの角に取り付ける。
目玉をぐるぐる廻しながら、口を開閉して舌を伸ばす。
USBにつなげた直後は必ずひとしきり動くのだが、その後はいつ動くかはランダムなのでわからない。静かにしているなと思ったら突然に動く。PCからカメレオンを操作するという高級なことはできない。いつ動くか分からないのでハラハラする。結構頻繁に動く。
役員をしている会社の会議で、これからは「週間MVP社員」を表彰する制度が発案されたので、「じゃあ、MVPはパソコンにこのカメレオンをつけたらどうだろう?」と提案してみたが、あまり賛同者が得られず、悲しい。
色はオレンジ、ブルー、ライトグリーンがある。私が買ったのはオレンジ。
ビデオに撮影してみた。こんなかんじ。


























