2008年6月アーカイブ

・天才の脳科学―創造性はいかに創られるか
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ちょっとユニークな読後感の脳科学の本だ。

まえがきに「幼稚園のころ私はIQ検査を受け、「天才」と認められた」という個人的な告白がある。著者は奨学金でハーバードとオックスフォードに進み英文学と医学で博士号を取った。現在はアイオワ大学精神病理学教授として脳の画像解析の最先端で多数の受賞があり、関連する学会の会長を歴任した医学者である。天賦の才能にあふれた人生に思えるが、著者は自分は結局「並外れた天才」にはなれなかったと述べている。そしてレオナルド・ダ・ヴィンチやシェイクスピア、ニュートンやアインシュタインのような真の大天才になる条件を研究している成果がこの本である。

英文学の専門家でもあるから、科学の本には珍しく各所でルネサンス期や近代の文学の天才たちの作品が、著者の見解を支持するために、しばしば引用されている。文学や芸術の天才の能力にたくさん言及しているのが、理系の天才を評価することが多い他の天才研究本とこの本が異なる独特なところだ。

だから、定量的な生産性で計るのではなく、創造性という部分で、並外れた天才を計る。まずは天才の創造性の定義だが、チクセントミハイの創造性の定義を著者は強く支持している。興味深いのでまるごと引用すると、

「創造性は、ある人物がたとえば音楽、工学、ビジネス、数学など特定の領域のシステムを用いて、新しい思想をいだき、あるいは新しいパターンを発見して、その新しさが、その当該分野によって選び取られ、関連する領域に取り込まれるときに生ずる。」

というもの。「独創性」「有用性」「生産物」がキーワードになる。本人の能力的優秀さだけでなく、その能力を使った作品として成果物を完成させ、それが世の中に有益と認められる必要があると総合している。そして、著者は有名な天才研究の内容に言及しながら、並外れた天才たちによく見られる創造パターンをこう描き出す。

「創造するためには、創造者は非常な集中と熱中状態に入り込む。精神医学の用語ではこれは「分離した状態」といえよう。つまりその人は、精神的に自分自身が環境から離れており、比喩的に言えば、「他の場所に行っている」。通常の言葉では、「現実との接触を断っている」とも言えよう。しかし主観的にはその創造者は、現実よりも本当のものである別の現実に行っているのだ。」

モーツアルトは作曲のときオーケストラの完全な演奏がいきなり頭に思い浮かぶと自ら書き残している。真の天才は部分を集めて作るのではなくていっきに完成形を創造してしているのである。それはもうひとつのリアリティの中で聴いた音楽を、こちらの世界で譜面に書き起こすような作業なのだろう。

「創造性を育てる文化的な環境」として次の5要素を挙げている。

1 自由、新規、先端にいるという自覚
 知的な自由が確立されている
2 創造的な人たちの臨界量
 他社との相互作用と思想の交換ができること
3 自由で公正な競争的な雰囲気
 競い合うことで成長する
4 指導者とパトロン
 直接育てる人、支援する人の存在
5 経済的な繁栄
 多くの偉大な創造者は経済的繁栄の時期に出ている。

そして「創造的な個人に特徴的性格としては、経験に対して開放的、大胆さ、反抗的、個人主義的、敏感さ、茶目っ気、忍耐強さ、好奇心の強さ、単純さが挙げられる。」ともまとめている。

創造性というものは、個人の中に存在するものではなくて、個人が文化や環境の中に入って相互作用をする過程で出現するものだという視点が興味深いと思った。著者の少女時代と同じように、IQの高い少年少女を半世紀以上追跡調査した研究も紹介されているが、結局、並外れた業績を残した天才はほとんど出てこなかった。個人の能力ではなく社会や時代の文脈が天才を生んでいるということを裏付けている。

犬身

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・犬身
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「親指Pの修行時代」の松浦理恵、2008年度読売文学賞受賞作。

この本は話題になっていたから買ったのだけれど半年くらい床に積んでいた。帯に「あの人の犬になりたい」、背表紙(帯)には「さまよえる犬の魂」と書いてある。つまりSM系と獣系の複合官能小説だろうか?と思ったが、読売文学賞?いまひとつ中身が想像できない上に500ページもあるので、先週まで手つかずになっていた。ところが読み始めたら止まらなかった。もっと早く読めば良かったと後悔。

主人公の房江は強い「犬化願望」を持っている30代の女性陶芸家。本来自分は犬に生まれてくるべきだったのにと感じながら人生を生きている。

「性同一性障害ってあるじゃない?『障害』っていうか、体の示す性別と心の性別が一致していないっていうセクシュアリティね。それと似てるのかな。わたしは種同一性障害なんだと思う。」

「こういうわたしにセクシュアリティというものがあるとしたら、それはホモセクシュアルでもヘテロセクシュアルでもない、これは今自分でつくったことばだけど、ドッグセクシュアルとでも言うべきなんじゃないかと思う。」

こんな房江がある日、本当に犬になってしまう。人が犬になってしまうというのはどういうことかというと、それはネタばれになるので読んでいただくとして、房江は残りの人生を犬生として犬の視点で生きる。愛する飼い主との触れあう幸せに浸りつつ、飼い主を取り巻く複雑な人間模様を足下から見守る。

前半の犬と人間の幸せな相互依存をユーモラスに語っている部分は犬好きにはたまらない魅力。そして登場する人間同士の不幸な相互依存は次第に緊張度を強めていき後半に波乱のドラマを引き起こす。常に身近に寄り添う犬はすべての目撃者になる。

吾輩は猫である、とか、高みの見物(北杜夫、ゴキブリが主役の傑作)とか、人間と共生関係にある生き物視点で人間模様を語る小説は昔からあるのだけれど、だいたいはナレーターのような客観的語り部として生き物が出ていた。この作品では語り手自身が元人間であるが故に、登場人物たちに深く共感しながら物語に参加していく。これはやはり人と相互依存しやすい犬だから成り立つ設定だったろう。


・電子書籍 『犬身 第一回』松浦 理英子|Timebook Town
http://www.timebooktown.jp/Service/bookinfo.asp?cont_id=CBJPPL1B0046100S

この小説は初出が電子書籍だ。一流の作家が電子書籍で出版して文学賞を受賞するというのは文学のIT化が着実にするんでいるということだなあ。

・Raptue
http://www.vector.co.jp/soft/win95/personal/se386376.html
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これはユニークなスクリーンキャプチャツール。

普通の画面キャプチャツールは画像として保存することを目的としているが、このRaptureは保存するというより、一時的に特定の領域を記録してデスクトップに置いておくために使う。

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たとえばデスクトップからサーバにログインして何かをインストールする作業では、インストール方法の書かれたWebの一部をコンソールの横に表示させておきたいということがある。Webブラウザーを小さく表示させるだけでは、ふとしたはずみでウィンドウが切り替わったり終了させてしまったりで面倒なことになる。Raptureでキャプチャしてから最前面に表示を設定すれば便利である。

画面キャプチャソフトとしても、領域を選択するだけとシンプル操作なので常用ツールとしても実力がある。

・Amasear
http://www5.plala.or.jp/visage/
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これはネットショッピング好きにはかなり便利。

Amazonの他に、楽天市場、楽天オークション、Yahoo!ショッピング、Yahoo!オークション、biddersショッピング、biddersオークションの検索アプリケーション。検索結果は専用画面で一覧できる。ソフトウェアの名前が示すとおりAmazonのみ対応している機能が多い。

複数のECサイトをチェックして、購入検討リストをつくる際に、Webブラウザーでそれぞれを巡回するよりも、数倍は効率よく商品情報探しができる。便利というだけでなく、余計な画面を見なくてよいので、目が疲れないという意外な効果もある。

Amazonでは商品情報、商品紹介、カスタマーレビュー、この商品を買った人はこんな商品も買っていますを専用画面で確認できる。またAmazonのサイトを自動監視してお気に入りの商品が販売されたら、ユーザーにメールで通知したり、自動注文を行う機能がある。

・橋本大也の"帰ってきた"アクセス向上委員会 #007 ~サイトのアクセス向上に"専用アプリ" | Web担当者Forum
http://web-tan.forum.impressrd.jp/e/2007/10/16/1970

昨年書いたコラム。「巷で"専用しょうゆ"がブームである。冷や奴専用、焼き魚専用、餅専用、卵かけごはん専用など、それぞれ最適化された専用しょうゆが次々に開発され、人気を呼んでいるのだ。カレー専用、アイスクリーム専用のしょうゆまであるという。「○○専用」というのは、成熟した市場をいま一度活性化させる可能性がありそうな、マーケティングの手法である.......」

・一発プランクトン
http://www.seasidesoft.net/s3plankton/s3plankton.html
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なんなのだろうか、これは。

写真や画像のデータを使って、デスクトップを浮遊するプランクトンみたいなものをつくるソフトウェア。「絨毯のようにはためきながら飛んだり、球になって飛んだり、回転して飛んだりします。複数画像をそのまま飛ばすこともできるので、スライドショーのようなこともできます。 」とのこと。

プランクトンというのは、たとえば

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こういうのや

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こういうののこと。さらにわからなくなったかもしれないですが...。

要は登録した写真がさまざまに変形されて、デスクトップを気ままに漂うというもの。ただそれだけで機能なないがゆえに精神的に和む。新しい彼氏や彼女ができたばかりの人が相手の写真をデスクトップにもただよわせて楽しむ?とか用途は幅広そうだ。

プラントンはタイプ、スピード、サイズ、重なり、画像送り速度などがお好みでカスタマイズできる。

浄土

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・浄土
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文庫化されたタイミングで読書。天才町田康の短編集、読者の心をつかみ、ゆさぶり、首しめるような全7編。

とりわけ「どぶさらえ」が最高。

「先ほどから、「ビバ!カッパ!」という文言が気に入って、家の中をぐるぐる歩きまわりながら「ビバ!カッパ!」「ビバ!カッパ!」と叫んでいる。 なぜ気に入ったかというと、単純に「ビバ!カッパ!」という音の響きが連なりが気に入ったからだけれども、ただそれだけならこんなに何度も言わせない。せいぜい水道水をカップに入れ、ぐいと飲み干したる後、「ビバ!カッパ!」と一声叫んでそれで終わりだろう、それをばこうして何度も何度も言うというのは、そのビバ、カッパ。という文章に明確なビジョンが伴っているからである。」という出だしで始まる怨念の小説。

この感覚、実によくわかるのだ。この現象は私にもときどき起こるから。私の場合「寒山拾得」「六根清浄」「十返舎一九」など小さな「っ」が入って且つ古くさい感じの言葉が一度心に浮かんでくると、リフレインが止まらなくなってしまうことがある。この言葉は意味なんだっけと思いながら何百回も唱えることになる。こういうの、結構一般的な現象なのだろうか?。

この作品でも町田康が捕まっているのは「っ」が入っているフレーズなのだった。尊敬する作家と共通点が見つかって単純にうれしくなってしまう。だが作家が凄いのはそうした困った現象をも表現技法に取り入れることだ。「どぶさらい」では、頭の中をぐるぐるまわる言葉が、渦を巻いて大きくなって、主人公を駆り立て、やがて外の世界に飛び出していく。いつもの町田節が冒頭から炸裂している。

それから「どぶさらい」と並んで「あぱぱ踊り」も傑作だと思う。社会に生きていると、こいつは正座させて小一時間問い詰めたい奴すなわちトンデモ勘違い野郎がいるものだが、そういう「俺様」をムキになって徹底的に追い詰めていく。その追い詰めプロセスを楽しむ独特の娯楽作品である。かなり笑えた。

最初から最後までいつもの如く人を喰った作風。解説で松岡正剛氏が指摘しているように、そもそも「浄土」というタイトルの作品が収録されていないし、その説明もない。たぶん、町田康は確信犯的に、説明しない効果を狙ってニヤニヤしているのだろうなあと思うと悔しいけれども、本は面白かった。

・悪人
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/07/post-603.html

・告白
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/10/post-474.html

・フォトグラフール
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/04/post-745.html

・土間の四十八滝
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/04/post-733.html

・対称性―レーダーマンが語る量子から宇宙まで
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ノーベル賞物理学者レオン・レーダーマンが「対称性」を切り口に、ビッグバン理論や相対性理論から量子力学や最新宇宙論までを語る科学読み物。

宇宙は対称性で満ちている。

「物理系とは原子のような単一の粒子、あるいは分子、岩石、人体、惑星、全宇宙のような粒子の複雑な集まりであって、物理学のいろいろな法則にしたがって運動したり行動したりするものである。物理学というプリズムを通して見れば、本質的にすべてのものは物理系となる。もしある物理系にある変化を起こさせ、変化の後でもその物理系が変化の前とまったく同じであれば、その物理系は対称性をもつという。われわれが物理系に起こさせるそのような変化を対称操作または対称変換という。ある変換を加えても物理系が同じであれば、系はその変換に対して不変であるという。」

たとえば完全な球体があるとする。球体はその中心を通るどんな軸に沿って回転させても外観は変わらない。このとき球体は回転という変換に対して対称性を持っているという。そして、ちょっと動かしてもたくさん動かしても対称性は変わらないので連続対称性を持つともいう。(これに対して三角形や四角形は正確に120度や90度回転させたときだけ対称性を持つので離散的対称性をもつ。)。

本書はほとんどネーターの定理の本である。ネーターの定理とは「物理法則の何か一つの連続的対称性があれば、それにともなって一つの保存則が存在するはずである。何か一つの保存則があれば、それにともなって一つの連続的対称性が存在するはずである。」というものだ。対称性があるところには必ず保存則があり、保存則があるということは対称性があることを意味する。

たとえば、さきほどの球体の回転対称性には角運動量保存の法則が働いている。フィギュアスケートの選手が回転するとき、手を大きく伸ばしていれば回転はゆっくりだが、縮めると速くなる。角運動量が一定に保存されているからだ。

対称性は回転という変換に限らない。ビリヤードの二つの玉が衝突するとき、二つの玉は相互作用して別々に転がる。別の空間でまったく同じ状態を再現して衝突させれば、同じように転がる。そして全運動量は2回ともまったく同じである。空間の並進に対して運動量は対称である。空間に対する対称性には運動量保存の法則が対応しているのだ。

そして物理法則は時間における並進に対して不変である。厳密な環境で行うならば今日の実験結果が明日には変わるということはない。物理法則は時間という変換に対して対称性を持っているということだ。時間が進もうが戻ろうが宇宙という系全体ではエネルギーは増えもしないし減りもしないということを意味する。ネーターの定理の示すとおり、物理法則にはエネルギー保存の法則という対応を見出すことができる。

レーダーマンはさらに電荷の保存法則、バリオン総数の保存法則、クォークのカラー保存法則など、ミクロの世界、量子力学の世界における対称性と保存則について言及していく。ゲージ変換、ゲージ対称性、対称性の破れや超対称性など、変換や対称性の抽象度、複雑度が後半になるにしたがって次第に上がっていく。一般向けの本だが、後半の難易度は高めで要予備知識だ。

相対性原理、不確定性原理、量子力学、統一場理論など古典物理学と現代物理学の主要理論における対称性の役割が論じられている。こうして科学史を振り返ると、対称性を発見してそれに対応する保存則を見出すということが、科学の革新のパターンになってきたように見える。だから現代のノーベル物理学者である著者は、歴史に埋もれがちな女性科学者エミー・ネーターがいかに偉大であったか、を大いに讃えている。先にも書いたが本書はほとんどネーターの定理の本なのである。

幸運な宇宙 - 情報考学 Passion For The Future
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/06/post-761.html

・多世界宇宙の探検 ほかの宇宙を探し求めて
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/11/post-670.html

・ビッグバンの父の真実
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004784.html

・ガリレオの指―現代科学を動かす10大理論
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002797.html

・はじめての"超ひも理論"―宇宙・力・時間の謎を解く
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004230.html

・ホーキング、宇宙のすべてを語る
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004047.html

・奇想、宇宙をゆく―最先端物理学12の物語
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003562.html

・科学者は妄想する
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003473.html

・J・S・バッハ
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楽聖と呼ばれるバッハの人柄や生活、職場や家庭について、この本ではじめて知ることができた。バッハは世襲の名門音楽家職に生まれたが、当時の音楽家は職人の一種であった。徒弟として師に学び職人修行の末に独立した楽士になるものだった。バッハはそうした職人気質の世界でも並外れて頑固で妥協を許さない性格で知られ、それが出世にマイナスに響いた部分もあり、高名ではあるが必ずしも時代の寵児で人気者というわけではなかったようだ。そして、そうであるが故にバッハの厳格さと倹約の精神はいっそう強くなったとらしい。

バッハの音には無駄がない。そしてポリフォニー(多声)での展開を基調とする。

「バッハは倹約を通じて、情報の豊かさを獲得した。バッハの倹約の主旨は、とくに、時間・空間の無駄を、音楽に少しも許さないことにあったと思う。したがって、単位時間当たりの情報量は、バッハの音楽は当時の他の作曲家のそれにくらべて、はるかに多くなっている。」

さらにバッハは耳に聞こえる音だけではなくて、楽譜の中にメタレベルのメッセージを隠したことでも有名だ。たとえばバッハは作曲の中で、特別な数字を音符に置き換えて暗号を織り込むことがあった。3を神の数、4を人の数、7を神の聖性、10は律法、12は神の民や教会、14はバッハの名前(BACH=2+1+3+8=14)を表す。そして楽曲の構成が神の世界のパートから人間世界のパートへ移るときには、3拍子が4拍子に変化させる。謎が多いとされる「フーガの技法」の各パートは、聖書の詩篇の各章の構成と対応しているのである。バッハはポリフォニーを超えてメタポリフォニーとでも言うべき高レベルの芸術を創り出していたのだ。

「要するにバッハは、音楽を、人間同士が同一平面で行うコミュニケーションとは考えていなかったのだと思う。バッハの音楽においては神が究極の聴き手であり、バッハの職人としての良心は、神に向けられていた。バッハはオルガンに向かうとき、また五線譜に向かうとき、理想的聴衆としての神の存在をどこかで考えて、気を引き締めていたのではないだろうか。 神が聴き手だということになれば、音楽は人間の耳を超えることができる。人間の耳にはとらえられぬ隠された意味を書き込んで、それを信仰のあかしにすることもできる。」

有名な楽曲「音楽の捧げもの」は君主に捧げたものだが、バッハの芸術はまさに神への「音楽の捧げもの」だったのである。この本のバッハの人生と時代背景の解説によって、作品の楽しみ方がぐっと深まった気がする。最終章「バッハを知る20曲」では各時代・各ジャンルから20曲が選ばれ、鑑賞のポイントとおすすめ演奏CDが紹介されている。バッハ入門におすすめである。

・バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第1番&第2番&第3番
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1000円と物凄くお買い得。

・カノン
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/04/post-740.html小説「カノン」を読んでからまた個人的にバッハブームなのでした。

・バッハ インヴェンションとシンフォニア
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004158.html
仕事の休憩時間によく聴く

・美を脳から考える―芸術への生物学的探検
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科学書としては古い本(邦訳版で2000年の出版)なのだが、素晴らしい内容で感動した。こういう本をずっと探していた。

世界の脳科学者、文化人類学者、認知科学者らが各分野の知見をもちより、脳と美しさの関係性をひもとく。「美の生物学的基礎」「韻律詩、脳、そして時間」「音楽におけるテンポ比率 ~普遍的なものだろうか~」「ダンス、うつろいゆく芸術形式 -行動としての美」「視覚的な美と生理的制約」「美の情報処理」「大脳皮質の非対称性と美的経験」「美しさは見る者の視野の各半分で異なっているかもしれない。」の8本の小論文から構成される。各論文は非連続で分析の枠組みも異なるが、そこに見出されるメタレベルの共通性に驚く。

この本の全体を通しての共通性としては、脳を活性化させる「スーパーサイン」のような構造が見いだせるということだろう。

「私たちの知覚は秩序を求め、それを楽しむ。この傾向は、一部分は私たちの脳の情報処理能力に限界があることに寄る、一般原理であるように想われる。短期記憶は1秒当たり16ビットを処理する能力をもつと思われる。それ以下では退屈だと知覚され、それ以上だと緊張を与える。私たちはパターンの規則性を発見し、入ってくる情報量を減らすための「スーパーサイン」をつくろうとする。」

「観察者にとって秩序を見いだすのがあまりにもやさしかったり、あるいは規則的な関係を見いだすことができないと、その対象は美的な魅力を欠く。したがって美的対象は、複雑すぎず、また単純すぎない程度の秩序をもつものでなければならない。」共に第1章「美の生物学的基礎」より。

たとえば、大きな頭に小さな顔、丸くふくらんだ頬など幼児の特徴(ベビースキーマ)を備えた容姿は養育的な行動を誘発する。お守りや神像の凝視する目のパターンは、社会的相互作用としてのアイコンタクトと同じ緊張感をもたらす。豊かな乳房や大きなお尻(あるいは逆に引き締まったライン)は女性の美を連想する。だから世界中の男性は幼児的な特徴の顔と成熟した女性の身体を同時に持つ女性を最も好ましいと考えるそうだ。私たちの相当複雑に思える思考や感情も、実はこうした比較的単純なスーパーサインの刺激に大きく影響されているのかもしれない。

世界の民族に共通するスーパーサインは会話にも見いだせる。「幸せと愛の感情は高めの声と生き生きとしたメロディ遷移、エロチックな感情は少し低い声、悲しみの感情は感情のない場合よりも低い音調」、「すべての文化で赤ん坊は通常より高い声で話しかけられる」という共通性があるそうだ。そして第2章の韻律研究では会話のイントネーションにも普遍性があるという事実が明かされた。

「韻律詩の基本的単位はライン(詩句)であろう。この基本単位は、行を止めるなどの慣習的書き方によってすべての文化において明確に示されるというわけではないが、韻律からそれとわかり、ほとんどの場合、吟詠に2秒から4秒かかる。われわれの集めたデータによると、分布上、2.5秒から3.5秒のあいだに高いピークがある。」

こうした美の原理の発見は、美の創造にも役立つ基礎データになるだろう。音楽におけるリズムの研究やダンスの研究の章もあるが、結論として世界中で言語は違っても、詩や音楽、会話のテンポは似ているのだ。その普遍性には聴覚器官の知覚能力や脳の情報処理能力と深い関係があるようだ。

「約1000分の3秒(0.003秒)以下の間隔でおこる事象は聴覚系では同時と分類される。もし一つの短い音が片方の音に提示され、その後他方の音が他方の耳に0.003秒以内に呈示されると、被験者はたった一つの音しか知覚しないだろう。」「2音が約100分の3秒(秒0.03秒)離れていると、被験者はその順序を経験することができ、どちらが先か正確に報告できる。」「しかし時間間隔が10分の3秒(0.3秒)より長いと、反応という新しい時間カテゴリーに入ることになる。10分の1秒はヒトが音刺激に反応するのに十分な時間である。1秒の間隔をおいて2音を鳴らすと、被験者は第一音を聴いた後、第二音をどう処理するかに備えて準備することができるだろう。そうなると知覚者はもはた受け身ではない。」そして「経験のひとかたまり」が約3秒である。大まかに言うと、3秒の時程とは人における現在の長さである。」

脳科学の進展があったので第7章と8章は少し内容が古くなっている気もするが、哲学的な考察は今も説得力を持つものだと思う。「視覚的な美と生理的制約」の章の結論部で美についてこう書いている。

「美しいとか楽しいというのは中枢神経系の処理ルールに最適に対応するタイプの資格入力なのかもしれない。こうしたルールは、ある程度遺伝的にあらかじめ定められている。しかし、視覚経験の豊かさや持続的な学習過程を通して、美的な選好性は変わっていく。」

「アイブルーアイベスフェルトによれば、まず美的反応は他の高等脊椎動物にもみられる基礎的知覚メカニズムのレベルで引きだされる。次のレベルは種に固有の感覚信号の符号化プロセスとかかわり、第三のレベルでは文化的に規定された反応パターンがある。一つのレベルでの反応にもとづく美的選好が、他の符号化レベルで評価されて無視されるということが十分おこりえる。シカゴ美術館を訪れる訪問者はその個人史に応じて、印象派の展示室のモネの絵に感嘆したり、隣りの部門のジョセフ・ボイスの作品「そり」を見て敬慕の気持ちを抱いたりするのだろう。」

美には、生物学的な美と、人間的な美と、個人的な美の3次元があるということになる。優れた芸術家は直感のインスピレーションで人間を感動させる作品を創りだす。それは学習で身につけたセンスや表現技法とは別に、直感=無意識から低次元の美の原理を呼び出せる能力を持っているということなのかもしれない。

こういう論文集型の構成は章ごとに質のばらつきがありがちだが、この本は見事にすべての章が粒ぞろいでひとつの方向に向いていて、わくわくしながら最後まで読み通すことができた。豊富なデータとユニークな考察の連続で、大変にエキサイティングな読書体験ができる。

・脳は美をいかに感じるか―ピカソやモネが見た世界
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/04/post-742.html

・形の美とは何か
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005144.html

・美について
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005145.html

・デザインにひそむ〈美しさ〉の法則
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004944.html

・黄金比はすべてを美しくするか?―最も謎めいた「比率」をめぐる数学物語
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004272.html

・美の呪力
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005223.html

・瞬間情報処理の心理学―人が二秒間でできること
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000624.html

・音楽する脳
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004148.html

・快楽の脳科学~「いい気持ち」はどこから生まれるか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000897.html

・共感覚者の驚くべき日常―形を味わう人、色を聴く人
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000533.html

・感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004238.html

・脳のなかの幽霊、ふたたび 見えてきた心のしくみ
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003736.html

・IETester
http://www.my-debugbar.com/wiki/IETester/HomePage
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Web開発者にとってこのフリーソフトはかなり便利だ。

IETesterはインターネットエクスプローラのバージョン5.5、6,7、8(ベータ)でのHTML表示を画面上に再現するWeb開発のテストツールだ。同一ページの表示結果をタブで並べて見ることができるので、IEのバージョンによる違いが一目瞭然にわかる。

自分が関係している会社やサービスのサイトでチェックすると、6と7では大丈夫でも、古い5.5や次世代版の8(ベータ)だと表示が作り手の意図と違う表示になってしまうページがいくつか見つかった。サービス提供者としてそれらを直すかどうかは別問題として、状況を把握しておくことは必要だと思う。

日本語に対応。このソフトウェア自体のオンラインアップデートにも対応している(この用途には必須機能だろう)。とりあえず関係先のURLをお気に入りに登録しておいて、ときどきチェックしてみるとよいのではないだろうか。

ブラウザシェアについて、インターネット黎明期からの、レイアウトエンジンにおけるブラウザ占有率の推移に関する興味深いグラフを見つけた。

・layout engine/web browser usage share
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Layout_engine_usage_share.svg
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・GmailChecker
http://soft.udonge.net/software/gmailchecker.html
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私は個人のメールはGmailがメインなのだが、長い間、自動メールチェックにGmail Notifierを使っている。バックグラウンドでGmailに新着メールの問い合わせを行い、着信があったらポップアップ表示で教えてくれるメールエージェントである。

・Gmail Notifier
http://toolbar.google.com/gmail-helper/notifier_windows.html

Gmail NotifierはGoogleのオフィシャルソフトで大変便利なのだが、メールをちゃんと読もうと思ったら、やはりWebブラウザーを起動しなければならない。受信一覧と本文を手軽にチェックすることができるという点では、第三者の日本人が作ったGmailCheckerは優秀だ。乗り換えようかと検討している。

GmailCheckerの機能は以下のとおり。

1 新着メールのバルーン表示
  これはGmailCheckerとほぼ同じである。チェック間隔は指定できる。デフォルトは2分おき。

2 受信一覧のポップアップ表示
 設定により直近20通から100通までの受信メール一覧が表示される。

3 本文の専用ビューアー表示
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 受信一覧から選んだメールの本文が専用ビューアーで表示される。

Gmailを愛用するようになって、もうデスクトップアプリとしてのメールソフトを使わなくなったはずだったが、こんな便利ソフトがでてくると、またメール環境はデスクトップに戻ってくることになるのかもしれない。

・人生を決めた15分 創造の1/10000
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「カーデザイン業界で、世界中でたった1人、僕だけが達成したことがある。それは世界の3大スポーツカーと言われるコルベット、ポルシェ、フェラーリのすべてをデザインしたことだ。これは前例がなく、以降も例はない。」という世界レベルのプロフェッショナル奥山清行氏の仕事術。全ページカラーで見開きに奥山氏が仕事で描きためたスケッチが半分、本文が半分という構成。

世界の厳しい競争を勝ち抜いてきた著者は、日本の優等生や組織人に終始疑問を投げかける。たとえば日本のチームリーダーは「人を管理する」のが仕事だと間違えていると指摘がある。本来は自己管理が原則だからリーダーは人を管理する必要はなく「仕事を管理する」ものだという意見。競争が激しく転職が頻繁な世界では、管理されるような人は淘汰されて存在できない。自己主張と自己プロデュースも競争では必要だ。「自分の特徴をアピールしなければ、お客さんの期待は生まれない」。

出る杭になることを恐れるな、迷ったらやれ、好きなら極めろと、著者が言っていることは、成功したクリエイターとしては比較的オーソドックスな方向性のアドバイスだ。だが、本文と一緒に提示される、著者が何十年も描き続けてきたスケッチからは、まさに好きで極めた仕事というオーラがひしひしと伝わってくるのだ。ふたつを併せて奥山清行の生き様になることで、この本は大きな説得力を持っている。

「意見を言ってくる人は、みな「より良くしたい」と思っている。だが、100人の意見を全部取り入れてしまえば、ものすごくつまらないものか、化け物みたいなものしかできない。」。強引に進める自分の仕事の方向性が正しいかどうか、迷ったときに思い出したい言葉だ。

「時代がMBAをもてはやすようになれば、人を見る目のない管理職とのたまう輩は、面接しても紙に書かれた資格だけをもとに相手を評価する。そして実際は本人がやったかどうかもわからない業績を基に、高い給料で役に立たない資格保持者を雇う。」。なんて痛快な発言だろうか。

タイトルの「人生を決めた15分」はなんとフェラーリ会長の前で新車をたった15分でデザインした著者の武勇伝だ。しかし、物理的時間ではたった15分であっても、そこには著者の経験と情熱のすべてが濃縮されていた。

「僕らの商売には「ハレとケ」ではないが、2つのモードがある。1つめは「溜め」で、自分の中で材料を溜め込み、熟成し、並べ替える作業をしている。これは外から見ても知ることのできない部分で、一見何もしていないかのようだ。もう1つは「発散」で、一気阿成」にアウトプットするモードだ。絵を描き、シナリオを形にし、成果物として世に問う。人はこの部分だけを見て、仕事をしていると思うものだ。」

誰の力でもなく自分のブランドで戦ってきた人だからだろう、この人の自慢話はどれも清々しい。いつか自分もこんな仕事をしてみたいと情熱の火を焚きつけられる。クリエイティブの世界で一流の仕事をしたいすべての人たちにおすすめ。

・日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ
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飯尾潤政策研究大学院大教授の著。サントリー学芸賞、吉野作造賞を受賞した新書。

「はじめに」で日本の首相の権力は、アメリカ大統領よりも大きい、という意外な分析トピックで始まる。その事実の意味を知ることが、本書において日本の議院内閣制の成り立ちと仕組みを知るための導入となる。

「つまり民主政のもとでの大統領制は、大統領と議会とが別々に選出され、それぞれが正統性を有しているため、民意は二元的に代表される。それに対して議院内閣制は、議会のみが民主的に選出され、その議会の正統性を基盤として内閣が成立するために、民意は一元的に代表される。ここに着目すれば、議院内閣制のほうが大統領制よりも権力集中的な制度なのである。」

議会、内閣、首相、政治家、官僚、政党について、本来の一般的な機能役割の説明と、日本における個別的な現実の姿が語られる。歴史的経緯と国際比較によって、日本の統治構造の長所と短所が明確になっていく。著者は学者の立場からかなり中立的に現実の日本の構造を俯瞰している点が、この本のよいところだと考える。

一般に日本の官僚は優秀だと言われる。ところが意外にも官僚機構には法的な規定がないと指摘がある。国家公務員法で守られていると思われがちな公務員たちの身分だが実は人事は慣行ベースで自律的に動いている。

「だが、官僚の人事に手をつけるのは簡単ではない。たとえば、事務官と技官の区別、キャリアとノンキャリアの区別など、国家公務員法にはまったく記載されていない。実際の人事の仕組みもまた、慣行として続けられているだけで、法的に定められたものではない。むしろ国家公務員法が制定されたときの経緯から考えれば、法律の趣旨とはまったくかけ離れた慣行であるということさえできる。」

かくして官僚は政治家による介入も、法改正による影響も受けない特別なシステムを構成している。そして、彼らは自民党本部に出入りし政治家と密接に連動することで、政策形成と予算決定において、ときに政治家以上の重要な役割を果たす。「総合調整」や「族議員」「御説明」「鉄の三角同盟」などのキーワード解説を交えて、日本独自の政治と官僚の協調構造が明らかにされる。

こうした複雑な日本の統治構造はもちろん多くの問題点を抱えているが、過去を振り返ると日本の戦後の経済成長および国際社会における地位の引き上げに成功した、優秀なシステムではあった。故にそれぞれに一定の肯定的評価を含めつつも、自民党の一党優位制と目的なき政権運営、空洞化した国会と曖昧な野党機能という戦後体制の棚卸し総括が行われる。

「つまり、特定の政党が政権を独占するという一党優位性が長期にわたり、総選挙が政権選択選挙にならず、有権者の選択によって首相や内閣が成立することが非常に少なかったからである、政権の座をめぐる争いは自民党内の派閥抗争に限定され、有権者の多くは傍観者として、それを眺めるだけであり、いわば見世物を見て楽しみという状況に置かれて。」

政権与党が変わらないので首相の交代で有権者に変化のカタルシスを与えてきた。そして与党は野党にも一定の政策権限を分け与えて野党の政策もある程度は通るようにした。官僚は審議会を使って政策の方針展開を進めようとした。本来あるべき政党政治とは異なる状況で、それぞれがなんとかうまく民意集約を行うことに成功してきた工夫の産物が、今の日本の姿であるようだ。

日本において政党政治や議院内閣制はこれからどう展開していくのだろうか。国民の政治参加とフィードバックが弱いという根本的な問題解決が大切な事項として挙げられている。最大の問題は国民の意識かも知れない。著者は日本人の政治観についてこのように鋭く指摘する。

「ただ日本においてはまだまだ党派に属することへの拒否感が強い。党派性への拒否感が強いと有効な政党間競争が阻害される。政治的な中立性や政党と無関係であるということは、公正な法執行に携わる公務員には必要であっても、一般の市民生活には特に必要ない。 政治教育の必要性が一般には認められながら、なかなか定着しないのは、こうした党派性への拒否感が強いからである。党派性とのかかわりを持たずに有効な政治教育を行うことはできない。党派間の公平への配慮は必要だが、公平性の幅を狭くしてしまえば、教育機会がつまらないものになりがちである。」

そうだよなあと思った。政治や社会に対する日本人の意識は決して低いとは思わない。飲み会などの場でも政治に対する批判や意見を述べる人は結構多いしブログに政治トピックを書く人も増えている。選挙開票が娯楽番組として人気の国であるから政治全般に対する意識が低いというわけではあるまい。著者の指摘のように、党派に所属するということへの拒否感が根強いのだ。

これは社会のありようと根深い関係があるかもしれない。日本人の多くは社会的に協調性のある人間になるように家庭でも学校でも教育されている。特定の利害団体に肩入れして政治的にパワフルになれとは決して教わらないで育つ。同質性を前提とした社会では、政治性が強い人間は社会性が弱いことになったからではないかと考える。しかし、今や同質性の前提が壊れた。幅広い意見を政治団体に集約し政策決定に反映させることが公共の観点からは大切な世の中になりつつある。世論形成や情報開示という点ではインターネットの役割再考も含めて統治構造の見直しがテーマの時代になっているはずだ。

私の受けた日本の教育では、国の運営について肝心のところを教えてもらえなかったと不満に思っている。社会の教科書には、憲法の主旨、三権分立の概念、二院制、選挙制度など日本のハードウェア構成は書いてあるのだが、それらが実際にどう運用されているのかの話はほとんど書かれていなかったと思う。90年代以降の改革の意味も含めて具体的にわかりやすく説明がある。高校や大学の授業でこれを教えるべきである。政治学者が書く一般書のお手本になる名著だと思った。

少年少女

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・少年少女
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表紙の印象だけの勘で買ったら、大当たりの掘り出し物だった。福島聡の漫画はほかの作品も読んでみようと思った。

第一話。小学生の女の子と友達の兄弟二人組が遊んでいる。女の子は、ふざけたはずみで兄の方を突き飛ばし古井戸に落としてしまう。転落した兄は死ぬ。事故とはいえど友人の兄を殺してしまった女の子は、心に重い十字架を背負いながら多感な少女時代を生きていく。微妙な同級生の弟との関係。そして彼女が考えた責任の取り方とは?。

こんな話もある。日常生活の中で唐突に「宇宙パンダ」が現れた。怪しいパンダは3つの願いをかなえてくれるという。そんなわけないと思いながらも、願いを伝えると、パンダは必死になって依頼者の願いをかなえようと努力する。その行動スタイルがなにか人間社会のルールとズレているがとても情熱的。このパンダ何者?。

すべて少年少女が主役の物語。ときどき連作がある(第1話の少女や宇宙パンダは何度か出てくる)オムニバス作品集。全4巻。舞台は第二次世界大戦中のヨーロッパもあれば、未来の日本や、場所の不明な並行世界のような回もある。

宣伝文句的には「生きる不思議、死ぬ不思議」ということらしいが、つまりは「存在の揺らぎ」がテーマということかなと思う。少年少女が主役なのは現代の彼らが揺らぐ存在の象徴だから、だろう。第一話の女の子の行為のように、ほんの少しのぶれが生死をわけるくらい危うい。浅野 いにおに通じる部分も感じる。

・福島聡のホームページ
http://members3.jcom.home.ne.jp/breton
著者のWebサイト

・浅野 いにお 「おやすみプンプン」「素晴らしい世界 」「ひかりのまち」「ソラニン」
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/01/post-691.html
これが好きな人はこれもおすすめ。


・怪しい少年少女博物館
http://ayashii.pandora.nu/
伊豆高原にあるらしい。ぜひ行ってみたい。この紹介作品とは何の関係もない。

・百頭女
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・慈善週間または七大元素
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「百頭女」「慈善週間または七大元素」はシュルレアリスムの代表的画家のひとり、マックス・エルンストの代表作。古い挿絵、博物図鑑、商品カタログなどから、図柄を切り抜いて貼り合わせるコラージュ絵画による物語。「二十世紀の生んだ最大の奇書のひとつ」とも評される。

「百頭女」ではすべての絵にキャプション(詩?)がつけられていて、謎めいたストーリーが展開しているが、あまりに謎めき過ぎていて理性的に筋を追いかけることは難しい。むしろ、一枚一枚の強烈な奇想イメージを連続して体験するのが本来意図された鑑賞スタイルのようだ。

不安をかき立てるような、不吉なイメージの数々。書き手も読み手も亡くなっている時代の古い書物から切り出してきた挿絵は、宗教的で時代がかった古めかしいものが多い。あとがきで、澁澤龍彦、赤瀬川源平、埴谷雄高など7人の濃い面子がマックス・エルンストの芸術について熱く語っているのだが、澁澤龍彦はこの古めかしさと不安不吉な印象の関係を、こう説明している。

「シュルレアリストたちは、細部の平俗をおそれなかった。博物学の書物の挿絵や広告写真のような平俗なトリヴィアリズムを恐れなかった。なぜかと言えば、私たちを最も不安や驚異の情緒で満たすものは、神の行うような無からの創造ではなく、かえって既知のものの上に加えられた一つの変形、一つの歪曲であるということを、彼らは直感によって知っていたからである。これがつまり錬金術ということだ。 だからエルンストのコラージュに、十九世紀のオールド・ファッションの亡霊たちが出没するのも、偶然ではない。不安や驚異をもたらす使者たちは、多かれ少なかれ、古めかしい相貌を呈しているものだ。」

「慈善週間または七大元素」にはエルンスト自身のシュルレアリスム論がついている。そこには潜在意識の解放による新しい芸術を目指したことが、端的にまとめられている。

「西欧文化の世界には、最後の迷信として、また創造神話のあわれな残滓として、芸術家の創造能力という風説が残っていた。シュルレアリスムのおこなった最初の革命的行為のひとつは、客観的な手段によって、もっとも痛烈なかたちでこの神話に攻撃をしかけることであり、そしてもちろん、この神話を永遠にうちくだいてしまうことであった。それと同時にシュルレアリスムは、詩的霊感のメカニズムにおいて「作者」の役割が純粋に受動的であることをつよく主張し、それとは反対の、理性による、道徳による、あらゆる美的配慮による「能動的な」コントロールのすべてを告発していた。」

魂(潜在意識)の表現という点では最近、話題のアウトサイダーアートにもつながる部分があるように感じた。

・アウトサイダー・アート - 情報考学 Passion For The Future
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/04/post-739.html

マックス・エルンストの影響を受けている作家にエドワード・ゴーリーがいる。ダークでシュールな大人向けの絵本作家だ。ウエスト・ウイングはどこの西棟ともわからぬ建物の中に、不気味な影や魑魅魍魎が見え隠れする。説明は一切なく、すべての解釈は読む者にゆだねられている。余計に怖い。

・ウエスト・ウイング
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エルンストのコラージュそっくりであるが、時代が近い分だけ、幾分かわかりやすい。

今、エルンストやゴーリーの世界観をゲームや仮想空間で再現したら、面白そうに思うなあ。

・ブルバキとグロタンディーク
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数学と構造主義の歴史を再評価する本。

ニコラ・ブルバキ。1886年、モルダヴィア出身。1935年から最近までに「数学原論」をはじめ総計で1万ページ以上の数学の教科書を執筆した天才数学者の名前である。ブルバキのカバー範囲は幅広い。集合論、代数、位相、実一変数関数、位相線型空間、積分、リー群とリー環、可換代数、多様体、スペクトル論など、抽象性の高い数学原理を追究した。人間業とは思えない知的業績には秘密がある。ブルバキの正体は一人の人間ではなくて、アンドレ・ヴェイユらが結成したフランスの若手数学者の集団なのだった。

ブルバキは"今後2000年間にわたって通用する"新たなユークリッドの原論を作り出すことを目指した。彼らは厳密に原論の公理を定義していった。たとえば点と集合については「ある決まった"性質"」を持ち、それ自身や他の集合の要素との間にある決まった"関係"を持つことのできる"要素"から構成されるものを。"集合"と呼ぶ」といった具合に。

ブルバキの研究内容は極めて抽象的であった。彼らは実際の数字をあてはめて計算するいうプロセスをほとんど無視して、高度に一般化された数学世界を構築していた。彼らは事象の背後にある関係性=構造にこそ真理を見いだしていたのである。ブルバキはそうした構造の規則を「構成」「近接」「順序」「等価」と定義している。

時代は当初は彼らに味方した。ブルバキの最盛期は、まさに実存主義に代わって、関係性を重視する構造主義思想が、あらゆる学術分野に影響を及ぼし始めた時期だった。ブルバキの数学は、自然や社会現象の背後にある構造を数学的に証明するための強力なツールとなることができた。

「ピアジェの考えでは、数理科学は"人間の科学"を含めたあらゆる科学の基礎であり、その数学は人間の精神に隠された構造に基づいているという。ピアジェは、人間の精神の内部的仕組みを理解するために、ブルバキの説く構造を重要な要素として利用した。これら構造は脳の仕組みを決定するだけでなく、レヴィ=ストロースが示したように、社会的行動に対する脳の影響を通じて社会全体の振る舞いをも左右するのである。」

ところが、ブルバキの栄光はわずかの期間しか続かなかった。彼らは抽象的であるが故に成功したが、同時にそれは失敗の原因ともなった。20世紀後半の数学においてブルバキの業績はじわじわと色褪せていき、やがて振り返る者はいなくなってしまった。

「進歩というものは、個別から一般へと進んでいくものだ。数学者はたいてい、まずは特定の問題や定理から取り掛かり、それが解決できた後で、一般化が可能かどうか見極める。一般性は、より大きな力、より大きな意義、そしてはるかに大きな重要性を意味する。だが、一般的な命題から出発する者など、めったにいないのである。 もう一つ問題となるのが、抽象性と厳密さだ。数学においては、結果が正しく、証明の中に抜けているステップや間違っているステップがないことを保証するには、抽象性と厳密さが必要不可欠である。もちろん、これは数学の持つ極めて重要な側面で、それを広めたという点ではブルバキを高く評価すべきだ。しかし、抽象性と厳密さはあくまで道具であって、それを目的にしてはならない。ブルバキの著作では、抽象性が目的へ変わり、厳密さが全体を支配して、直感や一般的な理解の隙の入る余地さえも残されていないことがしばしばである。」

ここを読んで思ったのだが、プログラミングの世界でもブルバキ的な落とし穴は多いのではないかということだ。抽象性と厳密性を高めることを強く意識しすぎて、実装のことが忘れられていると、それはよいコードとは言えないのではないか。孤高すぎて誰にも使われないコードはブルバキの数学のように死滅してしまう気がする。

タイトルにブルバキと並んだアレクサンドル・グロタンディークは、ユダヤ系フランス人の数学者。アインシュタインと比較されるほどの明晰な頭脳を持つが、天才にありがちな変わり者。ブルバキに参加して大きな影響を与えたが、やがて衝突して脱退し、政治活動にのめり込み数学界からも離れ、1991年にはピレネー山脈に独り隠遁してしまって以来、生死も定かではない。

歴史的には、ブルバキとグロタンディークという二人(一人はバーチャルだが)の数学者が台頭し消えていった半世紀は、構造主義がつぼみから花開いてしおれていった時代であった。言語学や人類学など文系の思想と思われがちな構造主義だが、ブルバキの数学が与えた影響も大きかったことがよくわかった。構造主義の数学的根拠を具体的に知ることが出来る、文系のための理系史である。


・ソシュールと言語学
http://www.ringolab.com/note/daiya/2005/01/post-189.html

・レヴィ=ストロース―構造 現代思想の冒険者たちSelect
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000240.html

・Wiiフィット(「バランスWiiボード」同梱)
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ついに手を出してしまったWiiフィット。で、バランスゲームとヨガに感動した。どう感動したかというと、これが体感ゲームであると同時に精神性のゲームでもあるということに感動した。

地面に引かれた白線の上を歩くのは簡単だ。しかし、白線より太いはずの平均台の上を歩くとき人は少し緊張してしまう。白線では転ばないのに平均台では転んでしまうかもしれない。地上数十メートルの高所の綱渡りであるとしたら、綱が太くても転落の恐怖によって足下はグラグラふらつく。

Wiiフィットのバランスゲーム"綱渡り"も、仮想空間の映像に影響を受けずに、現実の白線の上を自然に歩くような心境でいられれば、悠々わたって行けるのではないかと思う。敢えてバランスを取ろうと重心を意識すると、逆にバランスが崩れる。赤い点で表示される重心を、指定された小さな円の中に収めようとすると、円からぐいっとはみ出てしまうのだ。

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ヨガをプレイするといっそう身体と精神は直結しているんだということが明白になる。心に雑念が入ると重心が揺らぐのがビジュアライズされる。「微動だにしない」と口で言うのは易しいが、実際に身体で実現しようとすると難しいのだ。

最初のユーザー登録時の測定で、私は自分の普段のバランスが5%くらい右に偏っていることを知った。これは毎日重いカバンを右肩にかけて通勤しているせいだ。からだ測定では、重心バランス、BMI、運動能力から「バランス年齢」が表示される。私はプラス10歳の数値が出てしまう。こうして実測で指摘されると、まずいなと思った。で、運動せねば、と思うとWiiフィットには40種類のゲームが用意されている。

健康に良くて精神修養にもなる(かもしれない)Wiiフィット、当面続けてみる予定。

・Wii Fit:40種類以上の『トレーニング』が楽しめる!
http://www.nintendo.co.jp/wii/rfnj/training/index.html

・今夜、すべてのバーで
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中島らも、1990年発表、吉川英治文学新人賞受賞作。35歳のときの深刻なアルコール依存症による入院体験を小説に書いたわけだが、らも氏はその14年後に酔っぱらって階段から落ちて死んでしまった。お酒を愛し追究しそして翻弄された作家の、本物アル中フィクション。

「退屈がないところにアルコールがはいり込むすき間はない。アルコールは空白の時間を嗅ぎ当てると迷わずそこにすべり込んでくる。あるいは創造的な仕事にもはいり込みやすい。創造的な仕事では、時間の流れの中に「序破急」あるいは「起承転結」といった、質の違い、密度の違いがある。イマジネイションの到来を七転八倒しながら待ち焦がれているとき、アルコールは、援助を申し出る才能あふれる友人のようなふりをして近づいてくる。事実、適度のアルコールを摂取して柔らかくなった脳が、論理の枠を踏みはずした奇想を生むことはよくある。」

クリエイティブな業績があるアーティストは、お酒もクスリも創造性の源としてしばしば引き合いに出される。だが、飲まないで面白いものを書く人もいるわけだから言訳に過ぎないと言える。だから、要は作家としていかにかっこよくそれを言うかだろう。自堕落でかっこよい言訳の小説なのだ、これは。

「「教養」のない人間には酒を飲むことくらいしか残されていない。「教養」とは学歴のことではなく、「一人で時間をつぶせる能力」のことでもある。」

底なし沼の「ズブズブ」感がたまらない小説である。冷静にアルコール依存症という病気を分析している部分もあるのに、気を抜くとやっぱり飲んでいる。わかっちゃいるけどやめられないまま、また飲む言訳を探す。これはアルコールに限らない。依存する人間の弱さと怖さが魅力の入院小説。

・ガダラの豚
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/06/post-762.html

・昭和聖地巡礼 ~秘宝館の胎内~
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大変よくできたDVDなので「ワンダーJAPAN」を読んでいるような好事家にはおすすめ。

『 「等身大人形に見られる造形美」
  「参加型展示物に見られるユーモア」
  「性への純粋な知識」
   という3つの要素を備えた遊興空間。これを秘宝館とする。』

昭和に日本各地の観光地に登場した秘宝館は、21世紀に入って次々に姿を消している。上記の定義に合致する秘宝館はもはやこのDVDで取り上げられた6館しか存在しなかった(このうち元祖国際秘宝館は2007年春に閉鎖している)。存続している館もこの調子ではそう長くはあるまい。

冷静に考えてみると、あったりまえだよなあ、と思う。秘宝館は観客層が想定できなくなってしまったのだ。かつては企業の慰安旅行で温泉に行くなんてことが多々あって、これらの施設はその暇つぶしに同僚らとニヤニヤしながら見るもの、であったのだろう。非日常の空間を笑い飛ばして楽しんだ。あるいは不倫のカップルのオヤジの方が妙な下心で女を誘って「もうエッチねえ」なんて会話をするものだった、のかな?。性の情報が少ない時代には童貞学生君たちは真剣に中をのぞいてみたいと、情熱がほとばしっていさえしたかもしれない。ある館には最盛期に1日2000人もの入場者があったひもあったという話が映像の中で出てくるが、とにかく昭和には観客層が存在したのだ。

けれども平成、今や性の情報なんてメディアにあふれている。インターネットには、アダルトサイト群という人類史上最大の24時間営業の秘宝館がオープンしている。もはやへこへこ動く等身大模型を薄暗がりで見る体験は、ナンセンスな笑いとしても成立しえないということなんだろう。かくして、ここ数年は、寂れゆくモノ好きの、サブカルチャーのファン層がかろうじて秘宝館営業を支えてきているのじゃないかと見ている。

このDVDは秘宝館の中身を映像で紹介しながら、昭和の秘宝館文化とは日本の風俗史において何であったのかを説明しようと試みる。東京大学の研究者の論文をベースにしていたりして、記録性と研究生が濃い、案外に真面目なドキュメンタリである。

なかなか訪問のチャンスがない各地の秘宝館をまとめて映像体験できるのが素晴らしい。秘宝館の経営者らのへインタビューも興味深い。設立の背景、ねらっている客層、ビジネスとしての実態、近隣住民の冷たい目線との戦いなどが赤裸々に語られている。

運営者らの話を聞くと、往事は気分転換とガス抜き装置として、秘宝館という非日常は、ある程度は社会的な役割も果たしていたのではないかと思った。こういう大いに馬鹿馬鹿しいものを、大がかりな建築施設として作ってしまう余裕が昭和にあったということでもある。

中央のカルチャーと切り離されて、土俗的でローカルなサブカルチャーが地域で存在していた時代ともいえる。平成の時代では発想が「テーマパーク」「ミュージアム」のカルチャーに回収されてしまう。中央カルチャーでは分類不能だった秘宝館の閉鎖は、多様性、冗長性としての豊かさが失われていく象徴でもあるのだ。(とか、書いてみたが、それほど深刻・重要な話でもなんでもない...。サブカル娯楽映像として、オモシロなのでここまでに出てきたキーワードにビビンと反応した人、ま、見ましょう。よいよ。

・晴れた日は大仏を見に
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/05/post-748.html

・奇妙な情熱にかられて―ミニチュア・境界線・贋物・蒐集
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/05/post-387.html

・昭和聖地巡礼 DVDオフィシャルサイト
http://www.sasatani-chez.com/seichijyunrei/index.html

・とんかつの誕生―明治洋食事始め
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前にも書いたような気がするが、私はとんかつが大好物で、うまいといわれる店に食べに行くのが趣味だ。本屋で見かけてこりゃ読んでおかなきゃねと思って読んだら、お腹がすいて、その日は2食もとんかつになってしまった。

この本はとんかつの誕生というエポックメイキングを中心に、明治維新が日本人の食文化に与えた衝撃的な影響を丁寧に解説している。中盤までは明治維新がいかに料理維新であったかが語られる。とんかつの誕生の章は3分の2くらいのところでやっと出てくる。

天武天皇が675年にだした肉食禁止令以来、実に1200年間も日本人は一部の例外を除いて肉というものを口にしなかったそうだ。それが変わるのは、欧米諸国から開国を迫られ、近代化を余儀なくされた幕末のことだった。政府は西洋の肉食文化の輸入によって、日本人の体位の向上と体力的な劣等感の払拭を目指した。まずは明治天皇自ら肉食をデモンストレーションしてみせることから、洋食輸入がはじまる。

庶民は馴れない洋食を米飯にあうようにローカライズしていった。牛鍋(すき焼き)、あんパン、ライスカレー、コロッケといった現在の日本の洋食の原型がこの時期に生まれていく。しかし、それは簡単な道のりではなかった。先人たちの試行錯誤が紹介されている。

「『女鑑』(1904~05年〔明治37~38〕)にはカレーの味噌汁・牛乳入り汁粉・ハムの粕漬。刺身のマヨネーズかけ・マスタードつきのカバ焼き・牛乳入りのマグロぶつ切りが紹介されている。『紀伊毎日新聞』(1910年〔明治43〕)に、和歌山の宴会料理屋が、ハムの切り方がわからず、マグロの刺身のように分厚く切っている、と出ている。同じ頃の『婦人の友』には、牛肉吸物・牛肉酢味噌和え・牛肉飯・豚味噌汁・豚肉ぬた・豚肉刺身・豚肉茶巾絞り・豚肉飯・豚肉サラダがある。」

肉食解禁から60年の試行錯誤の時代を経過して、ようやく「とんかつ」が登場する厚いパン粉で厚切りの豚肉を揚げる調理法、生のキャベツの千切りをつけあわせにする工夫、ウスターソースの組み合わせも、欧米のカツレツにはない斬新な工夫であった。

「米飯は淡泊な味であり、さまざまな外国産の料理とも相性が良く、醤油や味噌の味付けにもなじみやすい。このような特色が、日本の食の多様性を可能にしたのだろう。」

米飯で食べるおいしさという方向性があったことで、日本ローカライズは成功を収める。かくして日本の洋食というジャンルが確立された。現在の日本人の食生活の約3割が洋食となっている。明治と比べて体位の向上も著しい。明治政府の料理維新は日本をまさに国家百年の計で大きく変えたのである。

とんかつとカレーライスはその偉業達成の象徴なのである。すばらしい。

で、最近、職場のある中目黒でうまいとんかつ屋をみつけた。一見すると古いビルの2F喫茶店風の内装で、大衆食堂のような雰囲気なのだが、味は一級のとんかつを出す。うまいので、値段はちょっと高めのメニューを頼もう(経験からすると1500円以下では本当にうまいとんかつは食べられない。)。塩で食べるロースがおすすめ。

・たい樹
http://www.tontei.com/taiju.html#menu

・プールサイド小景・静物
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昭和30年 第32回の芥川賞を受賞した庄野潤三の初期代表作を含む短編集。

夕食前にプールで泳ぎ、大きな白い犬と一緒にマイホームへ帰っていく家族。絵に描いたような幸せそうな家族だが、実態は経済的にも愛情的にも、破滅の秒読みが始まっているのだった。「プールサイド小景」はモーレツに日本人が働いていた時期に書かれた作品だ。置き去りにされた妻はこんな風につぶやく。

「男は退屈すると、棍棒を手にして外へ出て行き、野獣を見つけると走って行って躍りかかり、格闘してこれを倒す。そいつを背中に引っかついで帰って来て、火の上に吊す。女子供はその火の廻りに寄って来て、それが焼けるのを待つ。もしそういう風な生活が出来るのだったら、その方がずっといいに決まっている。男が毎朝背広に着替えて電車に乗って遠い勤め先まで出かけて行き、夜になるとすっかり消耗して不機嫌な顔をして戻ってくるという生活様式が、そもそも不幸のもとではないだろうか。彼女は、そんなことを考えるようになった。」

労働というものが家庭と完全に切り離されて、ワークライフバランスの問題の原点をみるような気がした。今は女性も働くが、仕事と家庭の両立の難しさは、昭和も平成も本質的には変わっていないような気がする。

収録一作目の「舞踏」は、夫の浮気に気がつきながら、それを夫に言い出すことができないでいる妻との微妙な関係を描いた秀作。冒頭の語り部分からひきこまれる。

「家庭の危機というものは、台所の天窓にへばりついている守宮のようなものだ。それは何時からと云うことなしに、そこにいる。その姿は不吉で油断がならない。しかし、それはあたかも家屋の内部の調度品の一つであるかの如くそこにいるので、つい人々はその存在に馴れてしまう。それに、誰だってイヤなものは見ないでいようとするものだ。」

登場人物の主観の文と、客観的視点の文が入り交じる「二元描写」の技法が、ストーリーを立体化するのが特徴。ドキュメンタリ番組のように頭の中に物語が映像化される感覚がある。

男と女、仕事と家庭、ささやかな幸せというのは微妙なバランスの上で成り立っていて、均衡が崩れると、いっきに奈落に暗転するかもしれない。日常というのは緩いようでいながら、実は張り詰めているんだということを書くのがうまい作家だと思った。

・人類が消えた世界
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Amazon.comベストブック2007の第1位、Times誌が選ぶ2007年ノンフィクション第1位に選ばれ200万部を突破した米国の大ベストセラー。

人類がある日突然地球上からいなくなったとしたら、世界はどう変わっていくかをシミュレーションされている。数日後にはメンテナンスを失った排水機能が麻痺して、ニューヨークの地下鉄は水没する。2,3年後には下水道やガス管が破裂する。5から20年後にはボルトが劣化して木造住宅やオフィスビルが崩れ始める。200年や300年もすればブルックリン橋のような建築も崩落する。世界は野生動植物のものに戻るが1万5千年後には氷河期ですべては凍りつく。そこには人類が不在の未来史10万年、100万年、数億年先になにが起こるかが描写されている。

この本はサイエンスフィクションではなくて、ドキュメンタリであり、人類が地球環境に与えている負荷の大きさを知ることが本筋にある。今人類が消えたとしても、排出済みのCO2や破壊したオゾン層、ダイオキシンなどの化学物質の影響は数万年から数百万年は持続する。地下に埋めた放射性廃棄物に至っては数億年先の生物をも脅かすかもしれない。人類はすでに容易に取り返しのつかない爪痕を幾つも残している。

たとえ人類が滅亡しなくても、廃棄物の垂れ流しや地下に埋めて隠す方式では、同じ環境を使う予定の我々の子孫に影響を及ぼすことになる。コロラド州の防衛施設ロッキーフラッツの放射性廃棄物の処理については、遠い未来にどう危険を伝えるか、という問題が具体的に議論されている。

「アメリカのエネルギー省は、向こう1万年にわたり、ロッキーフラッツの廃棄物の大半が送り込まれたWIPPに人が近づくのを防ぐ法的義務を負っている。人間の言語の変化は速く、500年から600年後にはほとんど理解不能になるという問題が議論されたあげく、ともかく7カ国語で警告を掲示したうえに図を加えることになった。警告と図を刻んだ高さ7.5メートル、重さ20トンの花崗岩の碑がいくつも建てられ、同じ内容の直径23センチの焼いた粘土板と酸化アルミニウムの銘板が敷地全体に無作為に埋め込まれることになっている。まったく同じ三つの部屋の壁に地下に潜む危険性についてより詳しい情報を刻み、そのうちの二室も埋める予定だ。施設全体を、高さ10メートル、四方800メートルの土手で囲み、そこに磁石トレーダー反射器を埋め込む。あらゆる可能な手段を用いて、なにかが下に潜んでいるという合図を未来に伝えるためだ。」

ピラミッドやスフィンクスのような遺跡も、数千年が経過すると何のための建造物なのかさえ、私たちは読み取ることができなくなっている。放射能やバイオハザードの危険性を確実に未来に伝える方法は宇宙人のコミュニケーション並に難しい問題だ。

それから、人類が消えるシミュレーションからは必然的に、人類が消えた後の世界に人類は責任感を持つべきか、という哲学的な問題を考えさせられる。これから人類が繁栄したとしても種としてはせいぜい数十万年程度だろう。遅かれ早かれ私たちは地球を次の生物に明け渡す。

最終章にロマンチックな記述があった。この本で一番好きな一節だ。脳の活動は微弱な電波を生じる。この電波が私たちの情報を宇宙に発信していることになる。だから「電波と同じく、私たちの脳が発した信号は進みつづけるはずだ。だが、どこへ向かって?宇宙の構造は膨張する泡のようなものだといまは言われているが、それはまだ一つの理論にすぎない。ひどく謎めいた宇宙のひずみのことを思えば、私たちの思考の波がやがて元の場所に戻ってくる道を見つけると考えても、あながち不合理ではないかも知れない。」

人類の、いや生命の本質は情報なのである。そして情報は永遠に不滅かもしれないのである。

・+6℃ 地球温暖化最悪のシナリオ
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/02/6-4.html

・成長の限界 人類の選択
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003701.html

・地球のなおし方
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003752.html

・世界の終焉へのいくつものシナリオ
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004729.html

・文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004210.html

・文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004218.html

・感染症は世界史を動かす
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004403.html

・インフルエンザ危機(クライシス)
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004247.html

・したたかな生命
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本書のテーマのロバストネスを「システムが、いろいろな擾乱に対してその機能を維持する能力」と著者は定義している。ロバストネスを持つシステムの代表例が生物だ。生物は温度や湿度が多少変動してお体内の状態を一定に保つように調節が働く。病気になっても自然治癒する。怪我をして身体機能の一部を失っても、残りの機能を総動員して、生きていくことができる。

インターネットのシステムや優れた会社組織もまたロバストネスを持っていると考えられる。外部環境の変化や局所的な問題に対して、柔軟に対応する仕組みは、変化の時代のキーワードだ。生物学とシステム論を総合しながら、北野宏明と竹内薫という著名な二人の研究者が、その「しなやかな強さ」の秘密を探る。

「複雑なシステムのロバストネスを向上させる方法には、大きく四つの方法があります。それはシステム制御、耐故障性、モジュール化、デカップリング(バッファリングとも呼ぶ)です。」

システム制御とは、フィードバック機構によってシステムの現状と望ましい状態とのずれを修正していく仕組みのこと。耐故障性とは冗長性と多様性で故障に対応する機構。モジュール化は、システムが細かく区分けされていて、内部要素は強く結びつき、他のユニットとはゆるく結ぶ機構。部分故障の全体への波及を防ぐ。デカップリングは重要な機能を、ノイズや変動にさらされるレベルから切り離すということ。

システムを安定状態に保つという点ではロバストネスはホメオスタシスと似た概念だ。ホメオスタシスは、ある状態を維持することが本質だが、ロバストネスは機能を維持することに重点がある。ロバストネスは、必要に応じてあらたな安定状態へ移行する可能性を含む。ロバストネスのほうが、したたかに強靱な生命らしさがある。

しかし、完璧なロバストネスは存在しない。

「それは、すべての擾乱にロバストなシステムは存在しないということです。結局、ロバストネスとフラジリティの関係というのは表裏一体で、どこかをロバストにすれば、必ずどこかにフラジリティが出てくるものなのです。」

F1レースカーや戦車のような特定環境に最適化した車は、ある環境では無敵でも、一般道を走る乗用車としては弱点だらけだ。ロバストネスとフラジリティはトレードオフになる宿命にある。システムレベルでのこの性質が、どんな環境でも最強の生物がいない理由なのだろう。

本書のロバストネスのカバーする範囲は幅広い。大腸菌、癌細胞、ジャンボジェット機、ルイ・ヴィトン、吉野屋、糖尿病など、自然界と人間界のさまざまな現象の基本原理として、ロバストネスがあることを紹介している。生命のしなやかな強靱さを、システム科学の言葉でとらえようとする興味深い思考。

・私塾のすすめ
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面白かった。

「レールのない時代である現代をサバイバルするには、一生学びつづけることが必要だ。では、自分の志向性に合った学びの場をどこに見つけていったらいいのか? 本書は、志ある若者が集った幕末維新期の「私塾」を手がかりに、人を育て、伸ばしていくにはどうしたらいいのかを徹底討論する。過去の偉大な人への「私淑」を可能にするものとして、「本」の役割をとらえなおし、「ブログ空間」を、時空を超えて集うことのできる現代の私塾と位置づける。ウェブ技術を駆使した、数万人が共に学べる近未来の私塾にも言及し、新しい学びの可能性を提示する。 」

尊敬する人物を人生の師匠として設定するのが好きであると同時に、情報発信の結果として自身も塾長的な存在になってしまうという点でも「私塾体質」という点が共通する二人のダイアログ。

共通点が多い二人だが、読者とのつきあい方の部分で意見が大きく分かれて、二人の心理構造の違いが明確になった。有名ブロガーである梅田氏は丁寧にウェブ上の読者のコメントを読み、ときに反論する。一方の齋藤氏はフィードバックに対して積極的ではない。


梅田 本に対する反応、たとえば読者はがきなども読まないですか?

齋藤 はがきは読みます。ただし、編集部に、あらかじめ、悪意のある批判などが書かれたものはカットしておいてくださいと言ってあります。ブログだとそうした声が満載でしょう。

梅田 ブログだと、誰かがすすめていたからと、リンクをたどってやってきた人が見ます。だから、「あなたに向けて書いたんじゃない」という人も反応してきます。「出会い頭の言いがかり」に遭ったりする(笑)。そこが面白い。その面白さにはまっています。」

齋藤氏は批判に対して、とても敏感で怖がりだ。一方、ネットで耐性を持っている梅田氏は余裕がある。こんなコメントもしている。

「梅田 こちらは、ある程度名前も知られていて自分の名前で仕事をしている人間だけど、そこにコメントしてくる人というのは、まだ何ものにもなれていない一人の人である可能性が高いでしょう。僕がその人に対して、非常に強く戦いを挑んだら、勝つかもしれないけど、相手は本当にダメージを受けてしまうかもしれない。だからそれは絶対にしません。」

しかし、次々に同時代的にウケる本を生み出してきた齋藤氏が、読者の反応を無視しているとは思えない。そうではなくて、齋藤氏の心の中には、とても厳しいバーチャル読者が無数に住んでいるように思える。怖がるのは強く意識していることの裏返しである。だから、現実の批判的コメントを読むまでもなく、フィードバックを自己完結できるのじゃないかと思った。

二人とも「不遇の20代」を告白している。そのまだ固まっていない時期に、ある種世間からイジめられたことで、批判に対する敏感な感性が養われたのだろう。そして、そのルサンチマンを社会に向けた創造性に昇華した。新しい話のようでいながら、実はかなり普遍的な人生論だ。

二人がこの本で追求しているのは、自分が成長できるフィードバック環境をいかにつくるか、現代において何を励みやプレッシャーにして生きていくべきか、である。それを二人が自身の成功体験ベースで語っている。

生き方を考える上で非常に勉強になった。20代の人に強くおすすめ。

・PhotoStagePro
http://www.vector.co.jp/soft/winnt/art/se446271.html
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デジカメ写真データの整理ソフト。Proという名前で高機能だがフリーソフトである。

画像のプレビューと管理ができる。

Proの意味はおそらく二つあって、ひとつは各社のRAWファイルに対応していること。もうひとつは撮影条件で非常に細かく写真を分類できる機能を持っていることにある。一覧画面では、シャッタースピード、F値、露出プログラム、ISO、EV、測光モード、焦点距離などExifデータに記録された撮影条件でソート表示できるのが素晴らしい。

一覧画面からは一括リネームやコピー、移動ができる。撮影後の整理に必要な作業がこれ一本でできる。動作が軽快なのがよい。各社RAWファイルに幅広く対応するので、写真部で部員の写真データを1台のPCに集めて画面投影する批評会などで活用できそう。


■主な特徴
・世界最速レベルの画像プレビューを実現。
・コピー、削除などよく使う動作を指定のワンキーで実行。自由なアクション機能。
・自動メモリ最適化プログラムにより非力なノートPCでも軽快に動作。
・高品位アンチエイリアス処理によるハイクオリティ表示。 カラーマネジメント対応。
・一目でわかるヒストグラム付きExif一覧。
・撮影時間でソートはもちろんExif情報でのソートも自由自在。
・一括リネーム機能搭載。リネームの規則もユーザーカスタマイズ可。
・DVD-R等の容量に合わせてフォルダ分け機能搭載。バックアップ作業もスムーズ。
・見ながら簡単レイアウトできるインデックスプリント機能。
・気に入った画像をその場で壁紙に。壁紙機能搭載。

■対応画像フォーマット
BMP/JPG/PNG/GIF/TIFF/CRW/CR2/NEF/PEF/ORF/RAF/SR2/ARW/MRW/DNG

・HoverIP
http://www.hoverdesk.net/freeware.htm
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先日、社内で私の席の移動があり、情報システム担当者がPCの接続確認にきてくれた。当然のように、コマンドラインでipconfigを呼び、値を確認する。そしてPingの応答をチェックする。「はい、できてますね」。CUI使いは颯爽としていてかっこいいのだが、GUI愛好家の軟派な私としては、ビジュアルなツールで自分でチェックしたくなる。家で自家鯖を立てたときとかに工具として必要ですからね。

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探してみたところ、この手のソフトはたくさんあるが、HoverIPはなかなかよさげ。このソフト一本にIPConfig、NSlookup、RoutingTable、Ping、Traceroute、Port scanningといったネットワーク調査ツールのビジュアル版が内蔵されている。オールインワンツールということは、何を調べればいいのか考えなくてよいということでもある。

ネットワークのスイスナイフみたいなツールとしてインストールしておく。

ガダラの豚

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・ガダラの豚 1
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「アフリカにおける呪術医の研究でみごとな業績を示す民族学学者・大生部多一郎はテレビの人気タレント教授。彼の著書「呪術パワー・念で殺す」は超能力ブームにのってベストセラーになった。8年前に調査地の東アフリカで長女の志織が気球から落ちて死んで以来、大生部はアル中に。妻の逸美は神経を病み、奇跡が売りの新興宗教にのめり込む。大生部は奇術師のミラクルと共に逸美の奪還を企てるが...。超能力・占い・宗教。現代の闇を抉る物語。まじりけなしの大エンターテイメント。日本推理作家協会賞受賞作。」

中島らもの大傑作小説。圧倒的に凄いものを読んだ感じがする。

中島らもといえば1984年から10年間も朝日新聞に連載された「明るい悩み相談室」が有名だ。本人には深刻だが一般的にはどうでもよい悩みの相談に対して、親身に相談に乗りながら、いつのまにやら常識とズレた落とし所に話を持ていって、読むものを笑わせるという内容。コピーライターとして活躍したこともある中島らもの明るい表の顔であった。

一方で、中島らもは、作家でロックアーティストで劇団主宰というエッジの立った表現者であり、学生の頃からひたすらに放蕩人生を生きた。アル中であり、フリーセックス、フリードラッグを地でいった。そして晩年は大麻で逮捕投獄された揚句に、泥酔して飲み屋の階段から落ちて死んでしまった享年52歳。世の中の光も闇も知り尽くした芸術家であった。

・ガダラの豚 2
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ガダラの豚は冷静に物語の全体構造を設計する表のらもと、人間の心の闇を知り尽くした裏のらもが、総力をあげて作り上げた大作だ。娯楽作品であると同時に深い闇がある。

主人公は大槻教授と吉村教授を足して2で割ったような、超常現象をテレビで否定する役割をこなしながら、呪術のフィールドワークを行う大学教授である。超能力者や似非教祖らとの激しい論争の中で、だましのからくりを次々に暴いていく。第1部は実際の事件や人物がモチーフになっていて、ぐいぐいひきこまれる。

第2部では教授たちはテレビ番組制作のために、調査チームを結成してアフリカへフィールドワークの旅にでかける。そこで遂に、教授にも正体が暴けない強力な呪術が登場する。人が人を呪い殺す魔術は本物なのか偽物なのか。やがて旅の一行は死の呪いとの決死の戦いを余儀なくされる。

・ガダラの豚 3
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ガダラの豚は大傑作と呼ぶべき代表作だが、第3部で突然ドタバタ劇になってしまうのは少し残念だ。映像化しやすい娯楽作品として完結させようとしたのだろうか。第1部と第2部のような、じわじわと迫りくる凄みが第3部にはない。スピーディーなハリウッド映画のような、わかりやすくて派手なエンディングで物語は幕を引く。評論家の間でも、第3部については賛否両論があるようだ。

しかし、作品全体としては100点満点で、

第1巻 120点
第2巻 120点
第3巻  60点

という感想で、全体としては満点である。フレーザーの呪術研究あたりに興味のある人には絶対的におすすめである。読まないと損である。

・図説 金枝篇
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/05/post-563.html

・中島らも オフィシャルサイト
http://www.ramo-nakajima.com/top.html

・ミリメシ食べたい No.1
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軍が兵士に支給する食事、戦闘糧食(レーション)の特集本。ミリタリーマニアではないが、まったく知らない世界をのぞいてみた。

アメリカ軍、イギリス軍、イタリア軍、スペイン軍、オーストリア軍、ドイツ軍、そして自衛隊と各国の兵士たちの食事が写真で紹介されている。基本的には飛行機の機内食みたいなものが多い。スパム缶やM&Mチョコレートなど民間物資を流用しているケースもある。これは手抜きではなくて、兵士が食べなれたものを支給する工夫であるらしい。

レーションは目的に応じて、個人用、特殊任務用、集団用、サバイバル用などが用意されている。最も中身が充実しているのはアメリカ軍で、レトルトパウチ実用化や宇宙食開発で知られる陸軍ナティック研究所での最新のレーション研究開発も取材されている。

「腹が減っては戦ができぬ」といったのはナポレオン・ボナパルトであった(本当)。ナポレオンは軍事行動における食糧補給を重視した結果、レーションの開発史に革命を起こした。

「現在食料保存に用いられている瓶詰だがこれは食品を瓶に詰めて加熱殺菌するもので原理は缶詰と同じ。瓶詰開発の背景には戦争があり、そのきっかけを作ったのがナポレオンだった。彼は軍の食料を現地調達に頼らず確保する方法を模索していたが、イギリスとの戦争で食料保存に不可欠な砂糖(微生物が増殖しない環境を作る)がフランスに入ってこなくなってしまう。そこでナポレオンは農業協会を通じて保存法を公募。これに応募したのが料理人ニコラ・アベールで、彼は瓶に食材を詰め、その中で加熱調理する方法を考案。これが1809年に採用され、アベールは賞金1万2000フランを獲得した。しかし瓶は割れやすいため、イギリス人ピーター・デュランがブリキの缶に食品を詰める方法を考案。1812年から生産が開始されている。」

大勢の人間が異文化と接する戦争では、食文化も交わる。たとえば日本独特のスパゲティ・ナポリタンは、占領アメリカ軍のレーションを、日本人の口に合うようにアレンジしたも。もともとはイタリアのボロネーゼが、アメリカ軍に入ってミートソースになり、日本でナポリタンになったということらしい。

どれもあまりおいしくはなさそうなレーションであるが、宇宙食と同じで一度食べてみたくはなる。ネットで一部販売されている。

・ミリメシ「戦闘糧食II型」仕様 4食セット+1(副食)
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「本品は防衛省に実際納品されている民間調達食糧です」とのこと。

最近、バナナを2本食べるとか油を飲むなどユニークなダイエット法が話題になるけれども、ミリメシによるサバイバル・ダイエットっていうのも結構いけるかもね。いけないか。

幸運な宇宙

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・幸運な宇宙
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ビッグバンによって生じた膨大なエネルギーから、物質が生成され、銀河や惑星ができて、太陽のほどよく近くに地球できた。最初のエネルギーの大きさや分布、物質の割合、太陽と地球の距離などが、ほんの少しでも違っていたら、地球や人間の存在の可能性はなかった。確率論的に考えると、人間の誕生は奇跡に等しい出来事である。この宇宙の奇跡的な幸運をどう考えるべきか、現代の最先端の宇宙論の視点からじっくり考察する内容。500ページの大作。

前半はビッグバン理論の解説から始まって、万物理論構築の経緯と最新状況、インフレーション理論、超弦理論、M理論、マルチバース論、ダークマター、ダークエネルギーなどキーワードを整理し、これまでにわかっている宇宙の姿が要約されている。宇宙は何でできているのか?、どうやって始まったのか?、果てはあるのか?などの疑問に明快に答える。科学読み物として楽しい。

そして後半では、なぜ奇跡的な確率で今の宇宙と私たちが存在しているのか?という根源的なテーマに挑む。そのありえない確率は、神が創造に介在したからだと宗教者やインテリジェントデザイン論者は、目的や意味を見いだす。

著者は「福引の当選者の多くが思い違いをするように、わたしたちも、自分が当選したことに、間違って何か深い意味(幸運の女神に微笑まれて、などの)を認めてしまうかもしれない。ほんとうは、偶然の結果で幸運だったに過ぎないにもかかわらず。」とし、目的や意味を見出すことはナンセンスであると斬る。

そして科学的態度としての数種類の既存の人間原理説を分類し、それぞれの説の長短を明確にする。宇宙や人間がなぜ存在するのかを突き詰めて考えていくならば、本当の問題は「何が存在するかを決めるのは何か?」ということだと著者は問題を絞り込む。そして、著者独自の人間原理説を展開する。

著者の結論は、人間と宇宙と心を総合する理論。量子力学における観察者の必要性と同じように、宇宙論に心を必要物として持ち込む。要約抜粋すると「宇宙は自らを意識しているという状態を、量子論的後戻り因果関係もしくは、未発見の何らかの別の物理的メカニズムによって自ら作り上げたのだ」「自らを理解することができる自己一貫性を持ったループだけが、自らを作り出すことができるので、生命と心(少なくとも、その可能性)を持った宇宙だけが実際に存在するのではないか」というもの。

人間原理説の拡張である。何かが存在することを認識するものがいるから存在ということがありえる。宇宙に生命や心が現れるのは、幸運であると同時に必然でもあるということになる。宇宙論は存在の哲学そのものになる。

宇宙論のアップデートと存在の哲学のふたつが一冊で味わえる実にお得な内容。読み応えたっぷり。

・多世界宇宙の探検 ほかの宇宙を探し求めて
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/11/post-670.html

・ビッグバンの父の真実
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004784.html

・ガリレオの指―現代科学を動かす10大理論
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002797.html

・はじめての"超ひも理論"―宇宙・力・時間の謎を解く
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004230.html

・ホーキング、宇宙のすべてを語る
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004047.html

・奇想、宇宙をゆく―最先端物理学12の物語
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003562.html

・科学者は妄想する
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003473.html

・DS 美文字トレーニング
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ニンテンドーDS用ソフト。

駅名の習字を添削する交通広告キャンペーンで気になっていたゲームが、品薄だったが、やっと買えた。このゲームは、毎日出題される文字を、専用ペンで画面に書くと、美しさが採点されて、改善ポイントを教えてくれる。遊べば遊ぶほどペン字が上手になっていくeラーニングソフトなのだ。

私は字が下手である。学生時代はいつか直そうと思っていたが、都合よくパソコンの時代になり、そのままになっていた。日常ではペンで文章を書くことがほとんどないのだが、契約文書や献本へのサイン、冠婚葬祭イベントや転職よせがきでのサインなど、むしろ非日常で大切な場面で、字を書く必要がある。うまくはなりたい。

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美文字トレーニングでは、原則として、ゆっくりと書くと線が太くなって、点数が高くなる。落ち着いて筆を運ぶことを推奨している。これは筆圧感知がないハードウェアの技術的な事情で、そうした仕様になっているように思うのだが、実際にゆっくり書くということがきれいに字を書くポイントなのだなあと学んだ。

ゆっくり書くということは考えながら書くということ。それだけでも字がうまく書けることに気がついた。漢字の各部位のバランスやきれいにまとめるコツが多数収録されている。実践しながら学べるのが素晴らしい。

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常用漢字1945文字と、ひらがな、カタカナ、人名用など全3119文字が収録されている。発想力を養うラクガキ(このクマをもっと楽しくしてください、など)モードなどの遊びの要素もある。

我が家では幼稚園生の息子がこのゲームにはまっている。彼はゲームが好きなので、放っておくと2時間でも3時間でも平気で遊び続ける。親としては、放っておいちゃいけないかもしれないのだが、着実に漢字の読み書きができるようになっているのを見ると、まあいいかと思ってしまうわけだ。

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