美を脳から考える―芸術への生物学的探検

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・美を脳から考える―芸術への生物学的探検
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科学書としては古い本(邦訳版で2000年の出版)なのだが、素晴らしい内容で感動した。こういう本をずっと探していた。

世界の脳科学者、文化人類学者、認知科学者らが各分野の知見をもちより、脳と美しさの関係性をひもとく。「美の生物学的基礎」「韻律詩、脳、そして時間」「音楽におけるテンポ比率 ~普遍的なものだろうか~」「ダンス、うつろいゆく芸術形式 -行動としての美」「視覚的な美と生理的制約」「美の情報処理」「大脳皮質の非対称性と美的経験」「美しさは見る者の視野の各半分で異なっているかもしれない。」の8本の小論文から構成される。各論文は非連続で分析の枠組みも異なるが、そこに見出されるメタレベルの共通性に驚く。

この本の全体を通しての共通性としては、脳を活性化させる「スーパーサイン」のような構造が見いだせるということだろう。

「私たちの知覚は秩序を求め、それを楽しむ。この傾向は、一部分は私たちの脳の情報処理能力に限界があることに寄る、一般原理であるように想われる。短期記憶は1秒当たり16ビットを処理する能力をもつと思われる。それ以下では退屈だと知覚され、それ以上だと緊張を与える。私たちはパターンの規則性を発見し、入ってくる情報量を減らすための「スーパーサイン」をつくろうとする。」

「観察者にとって秩序を見いだすのがあまりにもやさしかったり、あるいは規則的な関係を見いだすことができないと、その対象は美的な魅力を欠く。したがって美的対象は、複雑すぎず、また単純すぎない程度の秩序をもつものでなければならない。」共に第1章「美の生物学的基礎」より。

たとえば、大きな頭に小さな顔、丸くふくらんだ頬など幼児の特徴(ベビースキーマ)を備えた容姿は養育的な行動を誘発する。お守りや神像の凝視する目のパターンは、社会的相互作用としてのアイコンタクトと同じ緊張感をもたらす。豊かな乳房や大きなお尻(あるいは逆に引き締まったライン)は女性の美を連想する。だから世界中の男性は幼児的な特徴の顔と成熟した女性の身体を同時に持つ女性を最も好ましいと考えるそうだ。私たちの相当複雑に思える思考や感情も、実はこうした比較的単純なスーパーサインの刺激に大きく影響されているのかもしれない。

世界の民族に共通するスーパーサインは会話にも見いだせる。「幸せと愛の感情は高めの声と生き生きとしたメロディ遷移、エロチックな感情は少し低い声、悲しみの感情は感情のない場合よりも低い音調」、「すべての文化で赤ん坊は通常より高い声で話しかけられる」という共通性があるそうだ。そして第2章の韻律研究では会話のイントネーションにも普遍性があるという事実が明かされた。

「韻律詩の基本的単位はライン(詩句)であろう。この基本単位は、行を止めるなどの慣習的書き方によってすべての文化において明確に示されるというわけではないが、韻律からそれとわかり、ほとんどの場合、吟詠に2秒から4秒かかる。われわれの集めたデータによると、分布上、2.5秒から3.5秒のあいだに高いピークがある。」

こうした美の原理の発見は、美の創造にも役立つ基礎データになるだろう。音楽におけるリズムの研究やダンスの研究の章もあるが、結論として世界中で言語は違っても、詩や音楽、会話のテンポは似ているのだ。その普遍性には聴覚器官の知覚能力や脳の情報処理能力と深い関係があるようだ。

「約1000分の3秒(0.003秒)以下の間隔でおこる事象は聴覚系では同時と分類される。もし一つの短い音が片方の音に提示され、その後他方の音が他方の耳に0.003秒以内に呈示されると、被験者はたった一つの音しか知覚しないだろう。」「2音が約100分の3秒(秒0.03秒)離れていると、被験者はその順序を経験することができ、どちらが先か正確に報告できる。」「しかし時間間隔が10分の3秒(0.3秒)より長いと、反応という新しい時間カテゴリーに入ることになる。10分の1秒はヒトが音刺激に反応するのに十分な時間である。1秒の間隔をおいて2音を鳴らすと、被験者は第一音を聴いた後、第二音をどう処理するかに備えて準備することができるだろう。そうなると知覚者はもはた受け身ではない。」そして「経験のひとかたまり」が約3秒である。大まかに言うと、3秒の時程とは人における現在の長さである。」

脳科学の進展があったので第7章と8章は少し内容が古くなっている気もするが、哲学的な考察は今も説得力を持つものだと思う。「視覚的な美と生理的制約」の章の結論部で美についてこう書いている。

「美しいとか楽しいというのは中枢神経系の処理ルールに最適に対応するタイプの資格入力なのかもしれない。こうしたルールは、ある程度遺伝的にあらかじめ定められている。しかし、視覚経験の豊かさや持続的な学習過程を通して、美的な選好性は変わっていく。」

「アイブルーアイベスフェルトによれば、まず美的反応は他の高等脊椎動物にもみられる基礎的知覚メカニズムのレベルで引きだされる。次のレベルは種に固有の感覚信号の符号化プロセスとかかわり、第三のレベルでは文化的に規定された反応パターンがある。一つのレベルでの反応にもとづく美的選好が、他の符号化レベルで評価されて無視されるということが十分おこりえる。シカゴ美術館を訪れる訪問者はその個人史に応じて、印象派の展示室のモネの絵に感嘆したり、隣りの部門のジョセフ・ボイスの作品「そり」を見て敬慕の気持ちを抱いたりするのだろう。」

美には、生物学的な美と、人間的な美と、個人的な美の3次元があるということになる。優れた芸術家は直感のインスピレーションで人間を感動させる作品を創りだす。それは学習で身につけたセンスや表現技法とは別に、直感=無意識から低次元の美の原理を呼び出せる能力を持っているということなのかもしれない。

こういう論文集型の構成は章ごとに質のばらつきがありがちだが、この本は見事にすべての章が粒ぞろいでひとつの方向に向いていて、わくわくしながら最後まで読み通すことができた。豊富なデータとユニークな考察の連続で、大変にエキサイティングな読書体験ができる。

・脳は美をいかに感じるか―ピカソやモネが見た世界
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・形の美とは何か
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・美について
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・デザインにひそむ〈美しさ〉の法則
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・美の呪力
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・瞬間情報処理の心理学―人が二秒間でできること
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・音楽する脳
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このページは、daiyaが2008年6月22日 23:59に書いたブログ記事です。

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