2009年9月アーカイブ

・PolyglotVideoSearch
http://cgi.crystal-creation.com/software/polyglotVideoSearch/
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これは本当に面白いツールだ。異文化サーチツールといってもいい。

下記のサイトから指定した動画サイトの検索をおこなうことができる。

Dailymotion
Google Video
LiveVideo
Metacafe
MySpace
Veoh
Yahoo! Video
YouTube

面白いのは多国語翻訳と一覧表示の方法だ。

入力キーワードを42カ国語に変換して、動画サイトを検索する。検索した結果は言語別で横並びに表示される。対応している言語の幅広さと縮小表示による見やすさがポイント。一つの言葉に対して、各言語で表示される動画の内容は大きく異なっていて、まさに世界が丸見えになる。

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42カ国から必要な言語をまず選ぶ。右から左へドラッグアンドドロップするだけだ。

「日本人」で検索すると、各国の言語で話題の日本人の動画が一覧できる。アラビア語で日本のゲームのデモ映像が、韓国語では「日本語基礎講座」の映像が、チェコスロバキア語では「チェコ・日本 合同コンサート」の模様が、オランダではエプソンの写真プリンタのCMが、ヘブライ語では「日本のビーズは最高品質だ」と絶賛する映像(何これ?)が見つかってきた。

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動画はワンクリックで別ウィンドウが起動して再生される。

学生に「このツールで100語試して、気がついたこと、感じたことをレポートせよ」なんてやったら、勉強になるだろうな。いや、まず私がやってみよう。

・脱「でぶスモーカー」の仕事術
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元ハーバード・ビジネス・スクール教授でコンサルティング会社経営のデービッド・メイスターの新刊。

でぶスモーカー症候群(短期的誘惑や満足感に負けてためになるとわかっていることをしない)を克服し、成功するための方法論。意欲や決意をどう引き出すかの組織論でもある。著者はプロフェッショナル・サービス・ファーム(PSF)研究の世界的な権威。PSFとは、コンサルティング、会計・法律事務所、建築、エンジニアリング、ITサービスなどの専門分野で、物理的な製品を作るのではなく、人々の才能を使ってアイデアと価値を生み出していく、ナレッジーワーカーの組織のことだ。

プロフェッショナルとはいえ一人一人は弱い人間である。目標達成の報酬は将来にあるが、我慢や不快や規律は目の前にある。だから、わかっちゃいるけどやめられない、とか、明日やることにしよう、ということになる。そうした「でぶスモーカー症候群」を克服することが、ナレッジワーカー組織の生産性を飛躍的に高めることに繋がるのだ。プロ意識を持つ人間とその集団の心理に対して深い洞察にもとづく鋭いアドバイスが続く。

「私たちは自分に甘い。やましさを抱いて生きることはたやすい。かなり強い罪悪感でさえ、人を変えるとはかぎらない。ところが恥ずかしさとなると、たとえそれがわずかでも効果は絶大である。」

「人に弱みを認めさせ、改善させるのに最悪の方法は、その人を批判することである。」
「人はあなたとつき合いたいと思うのは、あなたに好印象を抱いているからではない。あなたといるとき、自分に好印象を抱くからこそいっしょにいたいと思うのだ。」

チームワークの本質を突いた視点に頷かされる。PSFの人材にとって、問題の解決法を見出すことはやさしい。大抵は自分がどうすべきか理性的にわかっているが、それを実行しようとするときの実践の知恵が不足している。ダイエットが続かない、タバコをやめられないという状況にそっくりなのだ。

PSFのケースから抽出された方法論がたくさん紹介されている。

「むしろ、誰かを改善の道へと誘いこみたいなら、将来に控えた仕事の全体像にはまったく触れないで、目前の小さな改善のみに焦点を当てるべきだ。すぐれたコーチはどんな分野の人でもそうしている。」

年寄りは自分ができることを若手ができないのを見ると、ついつい全体像をしゃべって説教みたいになりがちだ。だが、それでは教える方の自己満足である。自主性で楽しみながら発見する道へと、自然に導く方がずっと立派なボスなのだ。メイスター自身が受けて感動したメンターの教え方("このリストに電話してみると良いよ")も具体的に示されていて、わかりやすい。

なお巻末には知識経営の専門家で、多摩大学大学院教授の紺野登氏が「知識時代におけるリーダーの実践経営学」として、本書を含むデービット・メイスターの過去の仕事を振り返っている。時代は製造業からサービス業へ、知識労働を通じて経済的価値を生み出す企業の時代へと向かっている。そんな中でメイスターが探究してきたPSF型組織は一部の業種のものではなく、未来の創造的な企業の姿としてとらえなおす価値のあるモデルなのである。

・脱「でぶスモーカー」の仕事術 公式サポートサイト
http://www.knowledgeinnovation.org/publi/Maister_book.html

何故、今PSFなのか?などデービット・メイスターと紺野教授の対談。

・オンライン・コミュニティのパターンを探る ~ 時を超えた共創の原則 ~
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掲示板やメーリングリスト、ソーシャルネットワーク、
Twitterチャットや2ちゃんねる。インターネット上には無数のコミュニティがありますが、その運営ノウハウを一覧したことはありますか?。本イベントはそれを可視化し、共有する場です。

参加者を増やす、絆を深める、存在を広報する、議論を盛り上げる、創造的活動へ発展させる、マネタイズする。営利でも非営利でも、オンライン・コミュニティには共通の課題があります。足りなかったのはノウハウ共有の場です。

『パターン、Wiki、XP 時を超えた創造の原則』著者で、次世代コミュニティ創造プロジェクトに多数関わってきた江渡浩一郎氏と、コミュニティビジネスの第一人者である関心空間ファウンダーの前田邦宏氏を迎えて、対話の中から、コミュニティ運営のノウハウを明らかにしていきます。

主催者の先端研究集団オーバルリンク(設立7年目、会員数70名)も、3万通に及ぶメーリングリスト流通と、2000件を超える専用Wiki型掲示板への書き込み、多数のイベント開催という実績を持ったネットコミュニティ老舗です。このたび過去を振り返って抽出した運営ノウハウのパターンを具体例として公開します。

お申し込みはこちら
http://blog.ovallink.jp/2009/09/post.html

講演者プロフィール

■江渡 浩一郎(えと こういちろう)
独立行政法人産業技術総合研究所サービス工学研究センター研究員。1997年、慶応義塾大学大学院政策・メディア研究科修了。在学中よりメディア・アーティストとして作品制作を行う。1996年、sensoriumプロジェクトにてWebブラウジングの軌跡を世界地図上でリアルタイムに可視化する「WebHopper」を発表。sensoriumは1997年にアルス・エレクトロニカ賞グランプリを受賞。1998年、Canon
ARTLABとの共同制作として「SoundCreatures」を発表。2001年、ボールの流れでインターネットの仕組みを再現した「インターネット物理モデル」の制作に参加。日本科学未来館の常設展示となる。2004年、メーリングリストとWikiを統合したグループコラボレーションシステム「qwikWeb」を公開。2005年、仮想生物の制作・共有環境「Modulobe」を発表。主な著書に「パターン、Wiki、XP」(技術評論社)。日本ソフトウェア科学会、情報処理学会、各会員。
http://eto.com/
http://staff.aist.go.jp/k-eto/

■前田邦宏(まえだ くにひろ)
株式会社クォンタムアイディ代表取締役。株式会社関心空間取締役ファウンダー。
東京大学大学院情報学環講師。ウェブ草創期から「見えない関係性の可視化」をテーマにネット上での人と人とのつながり方をデザインし、2001年にその活動を発展させたコミュニティサイト『関心空間』を立ち上げる。趣味や嗜好の共感にもとづくコミュニケーションをウェブ上で生み出すネットワークオーガナイザー。主な受賞に、グッドデザイン賞新領域デザイン部門入賞、日本広告主協会WebクリエーションアウォードWeb人賞。オーバルリンク共同代表。

■司会 オーバルリンク共同代表 橋本大也
http://www.ringolab.com/note/daiya/

■日時:2009年10月8日(木)、19:45開場(20:00開演)
■場所:デジタルハリウッド大学、メインキャンパス(秋葉原・ダイビル7F)
千代田区外神田1-18-13秋葉原ダイビル7階
■定員:100名
■会費:3000円、デジハリの学生は無料
■主催:先端研究集団オーバルリンク

お申し込みはこちら
http://blog.ovallink.jp/2009/09/post.html

・サイバービア ~電脳郊外が"あなた"を変える
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「人間とは終わりのない情報ループを進むメッセンジャーである」というサイバネティクスの視点で、現代のデジタルコミュニケーションの生態系を眺める内容。サイバービア(電脳郊外)という言葉ははじめて聞いた。人々がネットワーク上で長時間を過ごす"巨大な電子情報ループ"を著者はサイバービアと名づけた。ソーシャルネットワークやブログや動画投稿サイト、あるいはセカンドライフのような電脳コミュニケーション空間のことだ。

「サイバービアでは電子的な弱いつながりによって、かつての直接的な関係という強いつながりよりもはるかに素早く情報を世界中に伝えられる。だがどのような情報が伝わるのだろうか?。より強い関係ではもみ消されていたはずの悪い噂も、弱いつながりのネットワークでは簡単に流される。サイバービアでは人々同士の関係が確かに弱く、後述するように、さまざまなつながりが生まれたことによってそれが強くなるわけでもない。むしろその反対だ。より強大になるのはサイバービアそのものである。」

こうした情報ループの囚人して鎖でつながれてしまう危険性も指摘されている。イギリスのユーザーの3人に2人がネットを閲覧しながら「自分は何を探しているのだろう?」と疑問に思っているだとか、4人に1人がネット利用の30%を電子的な空想に耽って過ごすという興味深いデータが挙げられている。インターネットはもはや人間関係ネットワークなので、みんなが何をしているか覗きたくなったり、自分のしていることを見せたくなったり、あるいは仲間の圧力によって一緒に行動をすることになったり、する。

本書の探究の軸には、ノーバート・ウィーナー、スチュアート・ブランド、マーシャル・マクルーハンという3人のサイバネティクス系の思想がある。コミュニケーションによるフィードバック機構が系を制御するのだから、問題はテクノロジーではなく、人間がそれをどう利用するかであるという考え方だ。サイバービアを有益な共創空間にするのも、過激な暴走システムにするのも、そこで行われるコミュニケーションの質にかかっている。
マクルーハンは、人間が道具を作るのではなく、道具が人間を作るという逆転の発想をした。デジタルコミュニケーションのツールは、人間が作ったものだが、それを使った情報ループに慣れ親しむうちに、人間の考え方の方が変わっていく。郵便と電子メール、電話とチャットでは用途も作法も内容も変わっていく。

本書で取り上げられたような

「多重性=複数の出来気が常に同時進行する」
「非線形=物語の進行もなければ最終的な目的もない」
「フィードバック=一部のコンテンツが過剰に注目される」
「ネットワーク効果=ネットワークの力が個人を凌駕する」

といった"非人間的"な性質も、当初はオールドタイプに批判されるが、やがては万人にとって当たり前のものとして常態化する。本書副題の「電脳郊外が"あなた"を変える」が表しているように、住み処はそこに棲む住人の意識を自然に変えてしまうからだ。

・Manictime
http://www.manictime.com/
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日常的なパソコンの作業時間を計測してみるというのは面白い。Manictimeは、パソコンでアプリケーションやファイル、Webサイトの種類と起動時間を記録するソフトウェアだ。一週間くらい記録してみると、自分が何に一番時間を費やしているのかがよくわかる。アクセスしたWebサービスも分かるので、オンライン作業も集計できるのが素晴らしい。

Manictimeは、アプリケーションやWebサービスに対してタグをつけることができる。たとえばOutlookとGmailに対して「メールの読み書き」、FirefoxとMSIEに対して「Web閲覧」、パワーポイントやエクセルに「文書作成」などを設定しておけば、あとで各タグごとの集計値をグラフ化できる。そのうちパソコンの前を離れていた時間(Away)もわかる。

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1日のうち何時間くらいWebを見て、メールを読み書きし、文書を作成し、合間に音楽や映像に逃避しているか、ばっちり判明した。一番時間をたくさん費やす作業に対して、便利ツールを投入したり、改善を考えてみたら、実際の仕事効率もアップしそうだ。

アプリケーションを「インプット系」「アウトプット系」だとか、「情報収集」「情報整理」「情報分析」「情報活用」などに分類して、グラフで分析してみると行動指針の考え直すデータになる。

・ビートルズから始まるロック名盤
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私は60~70年代のロックが大好きだ。この本は1964年の『ミート・ザ・ビートルズ』から1969年の『アビー・ロード』までの5年間の中から、ロックの名盤50枚を選び、録音または発売順で並べた評論集。ロックがもっともおいしかった時代の濃縮ダイジェスト。

「事はそう単純なものではないかもしれないが、アメリカで生まれた「ロックンロール」が「ブルース」をたっぷり含んでイギリスに漂着、やがて「ブリティッシュ・ロック/ブルース」となり、それがビートルズによってアメリカに輸出されたことによって「ロック」が生まれたと規定するなら『ミート・ザ・ビートルズ』こそその幕を切って落としたアルバムといっていいだろう。」

ビートルズ『ミート・ザ・ビートルズ』
ビーチ・ボーイズ『オール・サマー・ロング』
デイヴ・クラーク・ファイヴ『ザ・ヒッツ』
アニマルズ『シングル・EP・コレクション』
ヤードバーズ『ファイヴ・ライヴ・ヤードバーズ』
ボブ・ディラン『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』
ベンチャーズ『ベンチャーズ・イン・ジャパン』
バーズ『ミスター・タンブリン・マン』
ポール・バターフィールド・ブルース・バンド『ポール・バターフィールド・ブルース・バンド』
ラヴィン・スプーンフル『魔法を信じるかい?』
ほか。

ロックファンにはおなじみの定番ラインナップの中に、著者の趣味が隠し味的に混入する。初心者はガイドブック情報として受け取り、マニアは趣味の部分を議論のネタづくりのために読むことができる。

個人的には音楽評論の文章術研究資料としても参考になった。対象への想い、熱さをどう表現するのか。アーティストが好きです、愛してますと書いたって伝わるわけがない。たとえばボブ・ディランの『追憶のハイウェイ61』のイントロを語る部分。

「いってみれば「たんなるスネア・ドラムの一打にすぎない、しかしその一打は、時代に投げかける大きな疑問符のように聴こえることもあれば、歓喜の感嘆符として響くこともある。このディランのセッションが初のロック担当となったエンジニア、ロイ・ハリーが施したエコーも絶大な効果を上げている。さらにこの一打は、時代に打たれた句読点でもあり、その瞬間、時代は半ば強引に改行を余儀なくされたように思う。」」

イントロのスネアドラム一打でこれだけ語れる。蘊蓄やデータも提示しながら。個人的にはここで紹介されるアルバムの大半は保有しているか、聴いたことがあるものだったが、紹介文の視点がいいので、楽しみながら読めた。

ちなみにこの文庫本を買ったのは池袋駅のホームだった。文庫本の自動販売機という珍しいものを発見して、ついつい何か買ってみたくなったのが購入動機。ちょうどこの本は、1アルバムを数ページで語るので、電車でちょっとずつ読むのにも向いていたなあ。

朝日新聞では2007年に記事になっていた。

・本の自動販売機、キオスクで人気 首都圏JR5駅
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200712190101.html
「人気があるのは女性向けの軽めのエッセー。自販機では女性の利用者が多くなり、20~30代が中心という。恵比寿駅なら月に450冊、約20万円と予想以上の売り上げ。 」

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池袋駅の写真。もっと増えると良いなあ。

・「ふるさと」の発想―地方の力を活かす
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著者は福井県知事で"ふるさと納税"発案者の西川一誠氏。現役の自治体トップの視点に加えて、歴史的経緯や世界状況のデータを前提として、都市との関係を整理し、説得力のある地域再生論になっている。なぜ地方がそこに住む者にとっても、都市住民にとっても重要なのか、がよくわかった。

著者は「地方は都市に依存している」「都市が地方を養っている」という見方が誤りであることを簡潔に説明した。

地方は、都市に水、電気(原発は地方にある)を供給している。米も地方で生産される。そして何より人材を育てて都市に送り込む。人材って何の話かというと、つまり、

「人口82万人の福井県では、毎年約3000人の若者が進学や就職などにより県外に出て行く。そのうち戻ってきてくれるのは約1000人。毎年約2000人が減っていく計算である。福井県で成長する若者が出生から高校卒業までに受ける行政サービスの総額は、一人当たり約1800万円である。ざっと計算して数百億円規模の公的な支出が、大都市へ流出しているのと同じことになる。ライフサイクル・バランスを正そうとする考え方は「ふるさと納税」が構想された際の、基本になっている。」

都市は地方の資源を消費して成長している。歴史的に見ると明治初期の国税収入の3分の2は地租(最大の納税地域は新潟県と北陸地方)であったそうだ。人口も全国に遍在していた。現在の都市の繁栄は地方で産み出された富と人材を都市部に集中投資した結果だったのだ。

「人材こそ、都市の市場がさまざまな付加価値、利潤を生み出している経済的な源である。日本のように、優れた人材を地方から都市に供給するシステムは、人口の単純な移動と見るべきではない。なるほど都市は若い人材にとって活躍できるチャンスを与えてくれる場ではあるが、経済的には、都市と地方の間のアンバランスな所得が生まれる隠れた要因にもなっているのだ。 多くの国では人口の都市流入は年川のコスト要因になっているが、日本は必ずしもそうではない。もはや都市にとっても利益の源泉を失うことになる。」

地方の優秀な付加価値の人材というのは、私は早稲田大学時代に体感した思いがある。都市部で育ったスマートでハイセンスな学生に対して、多様で独特の粘り強さや無骨さを持つ地方出身の学生。両者が混在して刺激しあうことで、日本の次世代リーダーが育っていくのだと思う。地方出身がいなくなったら、都市の大学も視野の狭い人材しか作れないだろう。

そして、地方が持つ自然環境、伝統産業、農業、文化など、人間らしい暮らしに必要な人間的資源は、経済合理性の追求では得られないものである。都市で育っても、結婚して子供ができると郊外や地方に住む人が多いのは、経済的理由だけでもないだろう。のんびりした雰囲気や子育てのできる社会的インフラを求めての移動でもあるはず。

知事は自由な個人が作り上げる「新しいふるさと」をつくろうと提唱する。自分が望む自治体に寄付をすると今住んでいる住所の税金が翌年その分安くなる「ふるさと納税」はその制度化の第一歩だとする。

「人びとが、共感と信頼によってつながり、共に行動、活動する新しいコミュニティ」「つながりの共動社会」。豊かなソーシャルキャピタルに支えられた地域コミュニティの具体例や予兆が本書にはいくつも紹介されている。

都市と地方の情報発信量の格差の指摘もあった。東京が全体の23%でトップ、下位33件を合計しても10%に満たない。あらゆる情報に「東京バイアス」が潜んで、世論が偏って形成されてしまう現状がある。「ふるさとからの発信」という一章では、地域の外とのつながりに焦点を当てたケーススタディがある。

人間関係が豊かな地方の再生は、個人の自由と対立するものではないという意見も深く納得だった。こんな一節、

「しかし、自由と共同性は本当に対立するものなのだろうか。自由の尊重は、立場の異なる人びとや弱者などに対する共通意識が根底になくてはならない。相手に対する最小限の関心や好意、言い換えると「思いやり」の存在は、互いの自由が守られる基本である。」
都市部では安心安全のために不自由を迫られたり、高いコストを払わされたりする。人の流動性が高い都市ではソーシャルキャピタルの形成には限界がある。「新しいふるさと」のビジョンは、まだまだ精緻化が必要そうだが、都市・地方の両者にとって理想的な方向性を提示しているように思った。

・地域情報化 認識と設計
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/05/post-384.html

・はてなスクリーンショット拡張
https://addons.mozilla.org/ja/firefox/addon/14198
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Firefoxで表示中のWebページのスクリーンショットを撮るツール。一部または全部を画像ファイル化して、デスクトップに保存またはクリップボードへコピー、あるいは画像アルバムサイトのはてなフォトライフへ直接アップロードすることができる。

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Firefoxの右下のカメラアイコンをクリックすると、画像を送る先を選択できる。ブラウザと一体化していて、他のツールを立ち上げ不要な感覚がとても使いやすい。

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こんなふうに画面にマジックで書き込みをしてからアップすることもできる。注目してもらいたい場所や、ここを書き換えてなど変更の指示をいれて共有するとよさそうだ。

・プレイフル・シンキング
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この夏に子供を連れて、ICCのキッズ・プログラムに行ってきた。(8月31日でイベントは終了している)。実際に子供と大人が一緒に遊びながら学ぶための作品が展示されていた。実験的メディアアートで遊ぶ感覚が楽しい内容。

・「ICCキッズ・プログラム 2009 プレイフル・ラーニング たのしむ ∩ まなぶ」
http://www.ntticc.or.jp/Archive/2009/Kidsprogram2009/index_j.html

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↑子供は特にフォントで遊ぶ作品に熱中していた。

帰りにこのプログラムをデザインした上田信行氏の著書をミュージアムで買って読んだ。道具、活動、空間、人の組み合わせで創造性を引き出す方法論、空間論。あのイベントは著者の持論「まず「活動」があって、それを楽しむ「人」がいて、そこから生まれる「コミュニケーション」をとおして学ぶことができる場所」を体現していたようだ。

「プレイフルとは、物事に対してワクワクドキドキする心の状態のことをいう。どんな状況であっても、自分とその場にいる人やモノを最大限に活かして、新しい意味を創り出そうとする姿勢」

・真剣に向き合うこと
・柔軟であること
・協調のためのエンジン
・実現できそうな予感にワクワクすること

を大切にした方法論。チクセントミハイのフロー体験にも通じる。

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創造的な学びについて著者はこう簡潔にまとめている。

「学びとは子どもが何かを体験し、その体験を振り返るプロセスを通してみずから構築していくものである。」

「知識とは、他者から与えられるものではなく、みずから創り上げていくもの、つまり「創造するもの」である」

インストラクションではなくコンストラクション・ラーニング(構成主義的学び)として教育をとらえている。だからこそ、ワクワク体験ができる環境が重要なのだ。

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そしてとても面白いなと思ったのは、多くの場合、何をやるかより誰とやるかが重要だという話。あの人とだったらできそうだという他者含みの自信が、学習者を動かす強いモチベーションになるという。

自分の子供時代を思い出してみると、結局、何をどう学ぶかというよりは、どの先生に教わるか、誰と塾に行くか、なんていうことが学習意欲と結果につながっていたように思う。いや大人になった今だってそうかもしれない。誰とやるかで、仕事の楽しさもやりがいも大きく左右される。

ワクワクを一番簡単に創り出す方法は、一緒にやる人を選ぶ、選べる状態にするということなのかもしれない。

・ウェブブロッカー
http://blocker.clipper123.com/
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Webページを公共の場でプロジェクター投影したいときや印刷して配布したいときに、大人の事情で一部を隠しておきたいということがないだろうか。広告を隠したかったり、投稿者名を伏せておきたかったり、ライバル企業のサービス名を隠蔽したかったりと、立派な大人には事情がいろいろあるが、このツールはそこらへんをうまく処理してくれる。

ウェブブロッカーは指定した矩形領域(HTMLで規定された領域が選択可能になる)をマスクする。上記のサンプルのように、検索エンジンのトップページから、ニュースヘッドラインや広告をマスクして表示させることができる。

また矩形ブロックをした状態をブックマークして、再度アクセスした際にも隠すことも可能である。その場合、下記のようなURLになる。書き換えプロクシーサーバとして動作する仕様のようだ。Webに実際にアクセスするプレゼンでも使える。

http://127.0.0.1:55225/favBlockData?url=http%3A%2F%2Fwww.yahoo.co.jp%2F

・佐野実のラーメン革命― 麺は男、スープは女
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裸の少年のラーメン紹介コーナーの書籍化。佐野実が厳選した「今食べるべき」ラーメン店を解説する。"佐野JAPAN"座談会と、"ラーメンの神"山岸一雄氏(大勝軒会長)との対談も収録。この番組が発掘した店も多いらしい。

佐野実というのは、私の地元藤沢に最初の店を開いた人ということで、昔から注目しているのだが、正統派のあっさりしょう油ラーメンをつくらせると感動的にうまい。目新しいだけの新具材だとか、こってり系の味噌でごまかすなんてことを絶対にしない人である。この本でもやはりクラシックなこだわりのラーメン店を紹介していく。

中華そば屋伊藤(王子)
六厘舎(大崎)
麺処くるり(市ヶ谷)
きら星(武蔵境)
町田汁場 しおらーめん 進化(町田)

などなど。首都圏中心の30店舗。一般的な百科事典的ガイドブックと違って、ひとつの視点と価値基準で店を厳選しているから、行ってみたい店ばかり見つかった。

収録されている対談ではちゃぶ屋(この店も相当うまい)の森住康二が経営者としての感慨を率直に述べているところが印象的だった。新世代の売れっ子なのに厳しい認識。

「森住
 経営者と職人の違いって、身を削れるかどうかですね。経営者って、やっぱり身を削るんです。社員に給料を払うために自分はとれない時が必ずあるし、個人保証とか、重いものを背負っていかなきゃいけない。身を削るというのは経験しないとわからない。今月の支払いがたりなくても顔に出さない。その積み重ねでね、現場に立つ人間とは違う所で交感神経を使うようになる。命がけですから、ホント。しかも自分の命だけじゃないから。リスクは大きいですよ。博打とか、そんな生やさしいものじゃない。」

これに対して巨匠 大勝軒山岸氏は、修行期間に対して柔軟な考え方をみせていて、意外である。勘のよい人をいかに見つけて育てるか、ということらしい。

「佐野
 昔は10年だったけど、今は1年で店ができますね。
 山岸
 私は3ヶ月でものになる人はなると思っている。軽々しく出展させるなと文句を言われたこともあるけどね。3年、5年とやらせなきゃ本当はだめなんだけど、本人が一番燃えているときに「来い、教えてやるぞ」と言ってすぐ来させる。その短期間でぱぱっと教えて、「人生の試練に打ち勝て」と書いた色紙を持たせて送り出しちゃうわけ。」

佐野実の支那そばや本店は戸塚にあるそうで、この連休にでも食べに行く予定。この本は予習なのでした。

・つきはぎだらけの脳と心―脳の進化は、いかに愛、記憶、夢、神をもたらしたのか?
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愛情、記憶、夢、楽しむセックス、神(宗教)など多くの「人間らしさ」は脳の進化上の制約(設計ミス)から生じたとする刺激的論考。著者は脳の可塑性研究の国際的リーダーのデイビッド・J・リンデン教授。

脳の進化上の制約とは、

1 既存のもののうえに新たな部分を付け加えるしかない
2 いったん持たせた機能を「オフ」にするのが非常に難しい
3 ニューロンの処理速度が遅く信頼性が低い

ということ。「その場しのぎの対策」のためのつぎはぎによって、脳は大きくなり、ネットワーク構造は複雑になり、万能機械になっていったが、燃費は悪く非効率で、予想外の副産物を多く生み出していった。

へんてこなシステムとして夢がある。著者によると、人間は毎晩夢を見ることで膨大な記憶を整理していく。レム睡眠とノンレム睡眠の反復によって記憶の定着と統合を行っているというのだ。そして、非論理的で奇想天外な物語が夢の中で展開されることで、超自然的な物語が脳に定着し、宗教を信じる脳ができあがったと説く。

こうしたユニークな見方が幾つも提示されるのだが、記憶の想起はグーグルと似ているという話も特に印象に残った。

「たとえば「去年の夏、海岸に日帰り旅行に行ったとき、一緒だったのは誰?」と入力すると、「海岸」や「去年の夏」といったキーワードに関わる記憶の断片が数多くヒットするというイメージだ。これが「去年の夏、海岸に日帰り旅行に行ったとき、雷雨にあって、家に向かう車のなかで気分が悪くなって戻った時、一緒だったのは誰?」だと、キーワードの下図がさらに増えることになり、出来事についての記憶が多く蘇る可能性が高くなる。同じ出来事でも、そのさまざまな側面について思い出せる可能性が高まるのだ。もちろん、記憶(宣言的記憶)の検索の場合、通常、文字を使って検索するわけではないところがグーグルとは異なる。」

ただし想起のプロセスは似ていても、記憶と記録ではその後がかなり異なる。人間の脳はグーグルと違って、正確に記録データを再現するわけではないからだ。ついつい物語をつくろうとする性質がある。さまざまな記憶の誤りや、過大・過小評価も伴う。

「記憶の検索は、蓄えてあるものをただ見つけ出して取り出すようなものではなく、もっと積極的、能動的な活動である。過去の出来事についての記憶に後から修正を加えることもある。」

進化上の制約によって、人間の脳にはさまざまな記憶のエラーが起きやすくなっている。かつては生存のために有利だった認知バイアスも、現代では判断を誤らせるだけの設計ミスになっている。脳の成り立ちや仕組みというハードウェアの理解は、脳の誤りを意識的に補正して考えるソフトウェア設計の知恵になるだろう。

また、記憶のエラー、非論理的な夢はともに設計ミスではあるが、おそらく創造性の源でもあるはずだ。本書が集中的に論じている脳の非合理性を、もっと突き詰めて研究したら、天才的ひらめきを連発する脳も作れるようになるのかもしれない。


・脳はあり合わせの材料から生まれた―それでもヒトの「アタマ」がうまく機能するわけhttp://www.ringolab.com/note/daiya/2009/04/post-973.html

・Link2Html
http://uwa.potetihouse.com/soft/link2html.html
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インターネットエクスプローラのお気に入り情報をHTMLファイルとして出力したり、FTPでサーバにアップロードするフリーソフト。

MSIEのお気に入り情報の実体は、1リンクにつき1ファイルのショートカットファイルなので、編集して公開しようと思っても、扱いにくいのだが、このソフトを使えば簡単に1ページのHTMLファイルになる。

入力としてお気に入りフォルダを指定すると、そこに含まれるリンクの情報が読み取られて、階層構造をそのままにリンク集のHTMLページを生成される。出力するお気に入りの順番も、名称、登録日順などでソートが可能。

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HTMLのデザインは、作者のページに複数用意されていて、プログラムフォルダに置いておけば選択できるようになる。


またこのソフトを使って変換したHTMLから、お気に入りフォルダを復元することもできる。

・安原製作所回顧録
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カメラ好きでベンチャー精神の人は絶対に読もう。面白すぎる。

著者は1997年に、たったひとりで世界最小のカメラメーカー「安原製作所」を設立し、「安原一式」「秋月」という名前のフィルムカメラ2機種を世に送り出した伝説の人。元京セラ出身のエンジニアなので技術は分かったが、経営は素人、カネはないし、会社を離れたら信用もない。ないないずくしの状態から、過去に例がない零細カメラメーカーを興していく起業物語。

「今は良いメーカーの良い製品だけが存在している時代だ。人の生き死にに関わる製品ならそうあるべきだが、それ以外ならあやしいメーカーのあやしい製品があったほうが面白いと考えるのは私だけだろうか。安物の服を買って洗濯したらばらばらになった。これを友達に話すネタができたと考えるのは心が豊かなことではないだろうか。」

ユニークな会社であるが故にマスコミには200回以上取り上げられ「一式」は最初の1ヶ月でネット予約3000台が入った。定価は一台5万5000円。予約金5000円をとってひやかしを防いだ。開発と中国の契約工場での量産は難航し3て、すべて納品するのに2年もかかったという。その苦労から学んで2台目の「秋月」をリリースするが、結局、マニアックなフィルムのレンジファインダーカメラでは、採算は合わなかったらしくカメラ生産の事業は2004年に撤退する。この本はその全プロセスの回顧録なのだ。

カメラ職人ならではのカメラ評論が楽しい。

「昔のレンズは味のある写りをする。物は言いようで、「味」というものの多くは工業的に言えば欠点のことである。コンピュータが無い時代に高度な光学設計ができるはずがなく、レンズの製造技術も今から考えるとひどいものだ。たとえ元は良いレンズであっても製造されてから何十年も経っているものが性能を維持しているとは考えられない。ただレンズの良し悪しを評価するのは最終的に人間の感性なので、その人が良いと思えばそれで良い。」

と味のあるクラシックレンズの幻想を打ち砕き、

「第一そのドイツのカメラ業界は日本に全く歯が立たないから衰退したわけで、滅ぼした側の日本人がいまだにドイツの光学製品を信仰しているのはある意味笑い話だ。」

と、ドイツ信仰を笑い飛ばす。

「私は職業柄友人にプロのカメラマンが沢山いるが、彼らは必要な物しか買わないし、あまり買い換えず長く使う。商売の相手としてはどんどん買ってくれるカメラマニアの方が有り難かったことも本音である。」

マニア向けの製品を幻想と喝破しつつも、開発者として誠実にその幻想につきあう物作りをしていたのが、一時的にせよ、ブームを作ることができた理由なのだろう。

ところで著者は小さなメーカーが存在することがフィルムカメラでさえ難しかったが「デジカメでは全く無理」と書いているのだが、2009年現在、少人数の家電ベンチャーが、新製品をリリースしようとしている。安原製作所が果たせなかった夢を、Cerevoはかなえることができるだろうか。

・Cerevo
http://cerevo.com/

カメラファンとして発売がとても楽しみだ。両社の対談も実現されたらいいなあ。

・情継 こころをつぐ
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最近聴いているCDを3枚。共通点はハイトーン、女性楽曲カバー。

さだまさしによる美空ひばりカバーアルバム。どちらのファンにもおすすめ。

曲目リスト
1. 東京キッド
2. 港町十三番地
3. 真赤な太陽
4. リンゴ追分
5. みだれ髪
6. ひとりぼっち
7. 人生一路
8. 哀愁波止場
9. 悲しき口笛
10. 愛燦燦
11. 悲しい酒
12. 川の流れのように

どれも美空ひばりの有名曲だから、カバーは難しいはずだが、さだまさしの歌唱でまったく違和感がない。不思議なことに『愛燦燦』などでは美空ひばりにそっくりに聞こえる部分もあった。美空ひばりと、さだまさしでは性別が違うし、声の質も全然違うはずだが、情感も見事にカバーしているのである。感動的。

・男と女-TWO HEARTS TWO VOICES
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そういえば何をしているんだろうと思っていた稲垣潤一による女性楽曲のデュエットによるカバーアルバム。下記のように名曲ばかりの選曲だが、デュエットの相手も結構、豪華なのだ。

1. Hello, my friend(松任谷由実/1994年7月27日)/ 高橋 洋子
2. 悲しみがとまらない(杏里/1983年11月5日)/ 小柳ゆき
3. あなたに逢いたくて (松田聖子/1996年4月22日) / 松浦 亜弥
4. Piece of my wish(今井美樹/1991年11月7日)/ 辛島 美登里
5. セカンド・ラブ (中森明菜/1982年11月10日) / YU-KI from TRF
6. サイレント・イヴ(辛島美登里/1990年11月7日)/ 大貫 妙子
7. あの日にかえりたい(荒井由実/1975年10月5日)/ 露崎 春女
8. 人生の扉(竹内まりや/2007年5月23日)/ 白鳥 英美子 with 白鳥 マイカ
9. 木綿のハンカチーフ(太田裕美/1975年12月21日) / 太田 裕美
10. 秋の気配(オフコース/1977年8月5日) / 山本 潤子
11. ドラマティック・レイン(稲垣潤一/1982年10月21日) / 中森 明菜

松田聖子の、『あなたに逢いたくて』を松浦亜弥と歌う、とか、木綿のハンカチーフをオリジナルの本人と歌うなんて企画の勝利である。

・Ken's Bar II
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平井堅によるカバーアルバム。

1. Open
2. even if ~instrumental~
3. New York State Of Mind
4. 僕がどんなに君を好きか、君は知らない
5. LOVE ~Destiny~
6. DESPERADO
7. MOON RIVER
8. Intermission
9. Because Of You
10. LATELY
11. わかれうた
12. Heart Of Mine
13. 白い恋人達
14. Close
15. Stardust

洋楽カバーが多いのが特徴。中でもイーグルスのDESPERADOがゾクゾクするくらいいい感じ。白い恋人達は原曲と全く異なる魅力をみせて秀逸。

関連記事

・VOCALIST3
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/12/vocalist3.html
ハイトーンがマイブームなのはこの徳永英明から、なんだなあ。

・奇跡のハイトーンボイストレーニング―プログラムCD付き 高い声を手に入れる
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/11/post-861.html

VOCALIST & SONGS ~通算1000回メモリアル・ライヴ (Blu-ray Disc)

・バッファローコクヨサプライ BUFFALO ステレオイヤホン Bluetooth 2.1対応 ブラック BSHSBE06BK
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パソコンで再生する音楽をワイアレスで聴く目的で購入。

パソコンの音声をBluetooth経由でキャッチして再生するネックストラップ型イヤホン。

・ネックストラップ型
・レシーバー本体にマイク内蔵でテレビ会議対応
・イヤホン部分は取り換え可能 3.5mmステレオミニプラグ
・連続再生6時間 連続待ち受け200時間
 充電はUSBケーブル経由。

重くて疲れ、耳が蒸れてしまいがちなワイアレスヘッドホンと違って、イヤホンというのは長時間の利用に向いている。重量は約15g。10メートル以内であれば自由に動き回ることができる。音質的には無線であるからか、若干ノイズがのる。クラシックをじっくり鑑賞には向かない。ポップミュージックやネット動画を楽しむのに適している。

夜中に歩き回りながらアイデアを練る時間に、よい感じに使える。

説明書を読んでいると、※SCMS-T(著作権保護技術)対応 という表記があった。こりゃなんじゃと調べてみると、

・Wikipedia SCMS
http://ja.wikipedia.org/wiki/SCMS

「SCMS(Serial Copy Management System、シリアルコピーマネジメントシステム)は、民生用のDATやMini Disc、DCC、CDレコーダーなどのデジタル録音機器に付加されているコピー防止技術。対応機器間では、デジタル接続によるコピーは1世代のみ可能。2世代目からは、録音側機器がデジタル信号に含まれるコピー情報を検出して、録音を行わないようにする。ただしアナログ接続によるコピーは無制限で行える。なお、音楽コンテンツの制作やそのメディアのバックアップを主な用途としている業務用のデジタル録音再生機器では、SCMSの制限を解除できるものもある。」

なるほど、Bluetooth経由でガンガン録音してしまいましょう、ということはできないわけか。

・メーカー公式サイト
http://buffalo-kokuyo.jp/products/catalog/multimedia/bshsbe06/

・PLANEX Bluetooth Ver2.1+EDR対応 Microサイズ USBアダプタ
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/06/planex-bluetooth-ver21edr-micr.html

・人を幸せにする話し方―仕事と人生を感動に変える言葉の魔法
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良い本だなあ、読み終わって、拍手したくなった。
人前で話す機会の多い人は一読の価値あり。

年間200本の講演をこなす感動体験のコンサルタントが語る話し方の極意。

「たとえば、講演を聴き終わった人が、「今日の講演はすごかった。あんなすごい人がいるんだなあ」という感想を持ったとします。 この講演は、成功したと思いますか?それとも失敗したと思いますか?。 その講演の目的が「講師がすごい人であることを知らせること」なら別ですが、残念ながら、講演として成功したとは言えません。」

私もやってみたい、私にもできるかもしれない、元気になった、と自分が主語になる感想をもってもらえる講演こそ本当の成功なのだと著者は定義する。繰り返し呼んでもらえる講演というのもそういうものなのだろう。本書の人間的な共感指向の話し方は「ハーバード流」みたいなやり方とは対極にある。

冒頭に「悲しいことに、話し方のテクニックが世の中に広がれば広がるほど、人と人のつながり感が薄れてきているような気がします。」と書かれている。この本は聴衆の心理を操作する技術の本ではない。わかりやすく話の中身を伝えるためのやり方の本でもない。「人と心がつながるための話し方」の本である。

開示される5つの極意

1 最強のポジションを取る
2 空気を読まずに空気を創る
3 つなげてひっぱる
4 たった一人に一度だけ
5 喜びは最大の防御なり

を核にして、聴衆とドラマを生み出す共演者という関係性を築くような話術がまとめられている。「共感でつながり、違いで刺激する」という術を、成功したスピーチの実例も挙げながら、具体的にどう構成していくべきかの指導がある。

個人的には「話す内容を決めるときのコツは、まず最初に、最後の話(ラストシーン)をどのような終わり方にするのかを決めることです。」というのはとても参考になった。起承転結の起ではなく結からつくるべきなのだ。後を濁すことになるから、質疑応答など受け付けるなというのも潔い。講演後の名刺交換のときまで結構見られているから背筋を伸ばしておけ的なアドバイスも実践的だ。

講演や授業が生業の一部になっている人は、話術の最低限のテクニックは身につけているものだ。だが、聴衆と、どのような関係性をつくるべきかという点で、根本を誤っているケースは結構多いなと思う。タイトルの「人を幸せにする話し方」はいいタイトルだなとほれぼれ、惚れた。

ブライアン・トレーシーの 話し方入門 ー人生を劇的に変える言葉の魔力
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/09/post-838.html

・たった2分で人の心をつかむ話し方(CD付)
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/10/cd-1.html

・「頭がいい人」が武器にする 1分で話をまとめる技術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004383.html

・「感じがいい」と言われる人の話し方
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004992.html

・話し方の技術が面白いほど身につく本
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001029.html

・人生を変える黄金のスピーチ〈上〉準備編―自信と勇気、魅力を引き出す「話し方」の極意
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001456.html

・人生を変える黄金のスピーチ〈下〉実践編―自信と勇気、魅力を引き出す「話し方」の極意
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002404.html

・人を10分ひきつける話す力
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003857.html

・「できる人」の話し方、その見逃せない法則
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000445.html

・ハーバード流「話す力」の伸ばし方!―仕事で120%の成果を出す最強の会話術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000228.html

・その場で話をまとめる技術―営業のカリスマがその秘密を大公開!
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003713.html

・知識の社会史
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古今東西の社会と知識の関係を、大きく全体像を鳥瞰すると同時に、細部も観察する。博覧強記の著者だからできた包括的な知識の歴史学。古代から現代までの知識人、首都、図書館、宗教と官僚制、出版と市場、知識と分類などがキーワードである。

冒頭、知識とは何かの定義から始まる。バークは、

「情報」(Information)= 「生の」素材 特殊で実際的なもの
「知識」(Knowledge)=「調理された」素材 思考によって体系化されたもの

としている。「生の」、「調理された」は人類学者レヴィ・ストロースのフィールドワークでの「自然」と「文化」の分類と同じ言葉である。そうすると知恵(Wisdom)とかデータも定義が欲しくなるのだが、知識の社会史は分類の歴史でもあった。

集めた情報を体系化し、再編成していくやり方は時代や地域によって大きく異なる。西洋の近代の学問体系に大きな影響を与えたベーコンは、心には3つの能力(記憶、理性、想像力)があるとして、その図式のもとにあらゆる知識を分類した。たとえば歴史を「記憶」、哲学を「理性」、詩学を「想像力」に分類した。分類思想の変遷は、大学の学部構成や、図書館・博物館の配列といった知識を生み出す制度にも影響を与えている。

知識の社会史は、知識を生み出す体制とそれを破壊するイノベーターの歴史でもある。制度化されることの重要性について、著者はこう書いている。

「一般的にいって、周縁にいる個人は輝かしい新思想を生み出しやすい。他方、その思想を実践に移すには制度を築く必要がある。たとえば、われわれが「科学」と呼んでいるものの場合、十八世紀の制度改革は学問分野の実践に大きな効果を及ぼした。しかしながら制度は遅かれ早かれ固定化し、さらなる変革への障害になる。定着した制度は既得権益の場となり、その制度に権益をもつ集団によって占められ、その知的資本を失うことへの恐怖が生まれてくる。クーンが「通常科学」と呼んだものの支配は、このようにして社会的にも制度的にも説明できるのである。」

中心と周縁、異端と正統、愛好家と専門職、改革と日常仕事、公式と非公式など、しばしば対立する二つの集団の相互作用ぎあいによって、知識を創造する社会自体が進化してきたのだ。

「読者はきっと伝統の維持者よりも改革者の肩をもちたい気になるだろうが、有給の知識の歴史においては、その二つの集団は同じくらい重要な役割を果たしてきたのである。」
バークは中盤で知識の地理学という視点を問題提起的に持ち出す。かつて「この山脈のこちら側では真理であっても、反対側の世界では誤りとなる。」とモンテーニュは言ったそうだが、歴史的にみて情報や知識は、どこにいるかによって異なるものだった。

情報がネットワークでフラット化したはずの現代だって同じである。

・ダーウィン映画、米で上映見送り=根強い進化論への批判
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2009091300077
「【ロンドン時事】進化論を確立した英博物学者チャールズ・ダーウィンを描いた映画「クリエーション」が、米国での上映を見送られる公算となった。複数の配給会社が、進化論への批判の強さを理由に配給を拒否したため。12日付の英紙フィナンシャル・タイムズが伝えた。」

こんなニュースがあったが米国内でもどの州に住むかによって、人類が猿から進化したかどうか、真理が異なる。中東と欧米では宗教によってテロや戦争を引き起こすくらいの真理の隔たりがある。重大事に関する真理は未だに知識の地理性によって決まっている。

しかし、知識の社会史を鳥瞰してみると、場所によって真理が異なること自体は悪いことともいえないようだ。世界の中心はどの時代にも、ひとつではなくていくつもあるということを理解する柔軟さが必要なのだ。

ほかに知識流通の市場の歴史や、読書における精読と速読の対立などという話も面白かった。
この知識の社会史こそ「情報学」として学校で教えたらいいのにと思った。

・読書の歴史―あるいは読者の歴史
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/08/post-1047.html

・猛スピードで母は
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異才 長嶋有、第126回芥川賞受賞作「猛スピードで母は」と文学界新人賞受賞作「サイドカーに犬」の2作品を収録。どちらもかっこいい女がでてくる話。猛スピードでは再婚をほのめかす母であり、サイドカーでは母が出て行った家にやってきた父親の若い愛人である。

男に依存するのか、男を利用するのか。"いい女"というのは男から見た評価なわけだが、"かっこいい女"というのは年下の少年から見た評価である。本来は母親の再婚も、父親の愛人も自分の生活に関わる深刻な問題のはずなのだけれど、どこか距離がある。男を利用しながら颯爽と生きる女が少年の目にかっこよく見える。

両作品ともかっこいい女が、内面的に男に依存している部分も垣間見せるのが上手い。切ないのだ。男と女の関係は子供には意図的に隠されている。隠された立場からちらちら見える大人の事情という構図だからこそ、かっこよさと切なさの両方が成立したのだと思う。同じ物語を大人の当事者視点で書いたらぜんぜん違う話になっているだろう。

ところで「猛スピードで母は」「サイドカーに犬」はインパクトがある題名なわけだが、後に著者は題名を論ずる本も書いている。

・ぐっとくる題名
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004762.html
「やぶから棒ですまないが『ゲゲゲの鬼太郎』のゲゲゲとはなにかを、説明できる人はいるだろうか。」。

・長嶋有 公式サイト
http://www.n-yu.com/

・映画「サイドカーに犬」
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「芥川賞作家・長嶋有の同名小説を竹内結子主演で映画化。80年代初頭を背景に、小学4年生の少女・薫と、自転車に乗って突然やって来た父親の愛人・ヨーコが過ごす刺激的なひと夏をノスタルジックに綴る。古田新太ほか個性派俳優の共演も見どころ。」

ちくま書房のつげ義春コレクション 全9巻から2冊読んだ。

・つげ義春コレクション ちくま書房
http://www.chikumashobo.co.jp/special/tsugeyoshiharu/

「この全集は全作品を収録したものではなく、初期の貸本時代の作の大半は除いてある。全作をまとめるのは量的に難しいだけでなく、稚拙で未熟な過去を晒すのは気がすすまぬからである。が、旧作は目にする機会が少いとのことで一部をここに収めたが、粗末な作であるのは生活苦による乱作のためばかりではなく、マンガ全般のレベルが低かった時代でもあり、その点を酌量して戴ければ幸いである。後期の作に関しては弁解するところはない」と著者が書いているが、個人的には初期の粗っぽい絵から作家の原点が見られる気がして、楽しめた。

・ねじ式/夜が掴む
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稚拙未熟と本人がいいそうな「外のふくらみ」(ねじ式/夜が掴む収録)がとても好きだ。開けた窓から外のふくらみが室内へ入り込もうとするというシュールなネタで、線も極めてシンプルに省略されており、「紅い花」系の旅モノとはまったく違う、しかし、どこか繋がっている、つげらしさがある。本人談話ではこれは失敗作らしいのだが。

逆に有名作「ねじ式」はやりたいことはわかるんだけれども、シンボリズムや抽象化などインテリ技法のにおいがぷんぷんしており、稚拙に感じられた。

・紅い花/やなぎ屋主人
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こちらは有名な旅行物中心の巻である。幻想的な「紅い花」はやはり大傑作。漫画のネタを探すという名目で日本各地の温泉宿を貧乏旅行し、出会った人々とのエピソードを描く。すべてを投げ出して地方の温泉宿を巡るというのは、都会での仕事や生活に縛られた現代人にとっては、少し羨ましい気もするあてどなさである。

・ペルセポリスI イランの少女マルジ
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この漫画は素晴らしい。内容も絵柄も強いカルチャーショックを受けた。日本からは物理的にも精神的にも遠いイスラーム社会の空気、生活感が、漫画という慣れ親しんだメディアによってちゃんと伝わってきた。

1979年のイランのイスラーム革命とイラン・イラク戦争という激動の時代を、テヘランに暮らす少女マルジ(6歳から14歳まで)の視点で描いた漫画。著者の自伝である。マルジは次第に宗教色が強められていく革命情勢下にあって、反対デモに参加する進歩的思想を持った両親の下で育てられている。当時のイラン女性としては珍しく欧米風な考え方を身につけていった。

宗教革命によって自由な言論と女性の権利はますます失われていく。抑圧的な世の中や不合理な出来事に対して少女なりに疑問を持ち、怒り、そして悲しむ日々。少女ならではのささやかな心の中の抵抗が漫画の主要な内容だ。だが、大人のあからさまな抵抗は死を意味する。弾圧により友人や親戚が拷問にかけられたり、処刑されたりしていくのを、少女は目の当たりにするようになる。

革命があって戦争があってということは描かれるが、当時の政治背景の詳細はほとんど説明されない。だが、少女が目にしたもの、体験したことを通して、どういう時代であったのかが、しっかりと伝わってくる。日本の漫画にはない独特の絵も魅力だ。明確な輪郭線とベタ塗りの画風は、抑制された感情生活を淡々と描く内容と見事にマッチした。


・ペルセポリス
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この漫画は映画化されている。2007年カンヌ映画祭審査員賞受賞映画『ペルセポリス』。

・テヘランでロリータを読む
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/12/post-498.html

・ぼっけえ、きょうてえ
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ぼっけえ、きょうてえは岡山地方の方言で「とても、怖い」の意。山本周五郎賞、日本ホラー小説大賞受賞作。短編が4つ。土俗の風習や言葉遣いが、得体の知れなさ、情念のこもり具合を強調していて、表題通り、とても、怖い。

『ぼっけえ、きょうてえ』

顔の片側がつり上がった醜い女郎が、一夜を過ごす客に語った、陰惨な身の上話。「確かに妾は目や鼻が、左のこめかみに向けて吊り上っとるよな。醜女とからかうお客だけじゃのうて、怯えるお客も結構おりますわ。目に見えん手が、こうして妾を左側から吊り上げとるみてえじゃとな。」

『密告函』

「岡山県下にては虎列刺病(コレラ)蔓延につき××役場裏に密告函なるものを設けたり。近隣に疑似患者及び隠蔽患者あらばその名を投函すべし。尚この密告函は錠前付にて投函せし者も匿名にてよしとすなり。伝染病予防の為これを大いに奨励せんと決したり。 昭和三十四年六月一日 和気××村役場」。その密告函担当の役人が味わう恐怖。

『あまぞわい』

嫁いだ漁村になじめない女が、身体の不自由な網元の息子と浮気する。あまぞわいで。「この島でええ死に方をせんかった者はあそこに居着くと伝えられとるけん。そいでも、祀りはせん。なんでて、ほれ、満潮にゃあ沈んでしまうんじゃろ。お供えしてもみな流されるんじゃけぇ、祀っても何にもならんがな。」

『依って件の如し』

件(くだん)は牛の妖怪のこと。「シズは牛とともに寝起きし、時には牛の餌とまったく同じ稗も食わされた。」。貧しい小作の家で家畜のように酷使される孤児の少女と兄。かつて兄弟の母親は、村中に忌み嫌われる死に方をしていた。

なお表題作は映画化されている。

・インプリント~ぼっけえ、きょうてえ~ [DVD]
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「古今東西のホラー映画の巨匠監督13人が集結した「マスターズ・オブ・ホラー」BOXの人気作が単品で登場!巨匠・三池崇史が岩井志麻子のホラー小説を全編英語で映画化。アメリカ人の文筆家・クリスは小桃という女を探して浮島の遊郭を訪れる。彼がそこで出会った不思議な女郎は「小桃は自殺した」と言い、その経緯を語り始める。それは死と生、現実と妄想が交錯する長く恐ろしい夜の始まりだった...。 」

なんだか設定が変わっているような?。これから観る予定。

・瞽女の啼く家
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/09/post-1061.html

・べっぴんじごく
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/10/post-843.html

・「歌」の精神史
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日本人の叙情精神を「歌」という切り口で平家物語から現代歌謡曲まで通史的に振り返る。短歌や俳句も「歌」であるし、琵琶法師の平家物語や瞽女唄だって「歌」である。乃木将軍の辞世の句も、サラダ記念日も、浪花節や演歌、JPOPも歌である。

だからこの本は、こんな章立てだ。 幅広い。

・空を飛ばなくなった歌?美空ひばりと尾崎豊
・「短歌的抒情」の否定と救済?小野十三郎と折口信夫
・『サラダ記念日』の衝撃?斎藤美奈子と富岡多惠子
・浪花節と演歌?朝倉喬司と春野百合子
・『平家物語』の無常観?小林秀雄、唐木順三、石母田正
・吉川英治と『平家物語』
・挽歌の伝統と「北の螢」?古賀政男と阿久悠
・西行と啄木のざわめく魂
・道元と白楽天
・親鸞の「和讃」
・親鸞和讃と今様歌謡
・瞽女唄と盲僧琵琶?小林ハルと永田法順
・西條八十と北原白秋?日本的叙情

最後の転換期は美空ひばりと尾崎豊のあたりにあると著者は指摘する。

「私は美空ひばりの歌には、いつでも独特の悲哀感が漂っていたように思う。だが尾崎豊の歌には、苦しみと怒りの叫びがいつでもこだましていた。悲哀感は、それこそ「川の流れのように」人びとの胸の裡に浸透し、その内攻する心の扉の中に融けこんでいく。世代の垣根をこえ、誰にでもある観jこうの高ぶりや不安を慰撫して、それを鎮める役割をはたす。悲哀感とは、何よりも時代の感性を生みだす母胎のようなものではなかったのか。」

古の時代から昭和まで、日本人にとって「歌」とは「身もだえの調べ」が本質であった。琵琶法師の平家物語は時の流れに無常を嘆くわけだし、親鸞の和讃は自己の罪悪性に対する悲嘆でもあった。またかつて歌には魂鎮めとしての挽歌(死者を弔う)、相聞歌(愛の歌)という要素もあった。歌謡の底流には、寂寥感や喪失感から何かを嘆く叙情、生命の高揚感や無常観が流れていた。

湿っぽい歌を我々日本人はは長い年月、脈々と愛し、育ててきたのだ。

ところが現代では、湿った叙情に対する軽蔑、敵意さえ感じられるようになった。悲嘆や身もだえは現代の歌謡には、演歌をのぞいて見られなくなった。これは日本の1000年以上の長い歌謡史において、大変な変化であり喪失なのであると著者は結論する。

ユニークな視点で歴史資料を調べ、明解な解説をされていて、まさに歌の精神史として完成されている、よい本だ、面白かった。ただ現代のポップミュージックが本当に叙情を失ったかというと個人的にはちょっと疑問符だ。

私も、確かに昔の(自分が学生だった頃の)歌謡曲は良かったなあ、今聴いても泣けるなあと感じる。それに比べると最新のオリコンチャートのJPOPでは泣けない。悲哀感を感じない。

いまどきの歌謡の歌詞というのは、たとえば

"複雑にこんがらがった社会で組織の中で頑張るサラリーマン。安直だけど純粋さが胸を打つのです。知らぬ間に築いていた「自分らしさ」の檻の中でもがいてるなら照準を絞ってステップアップしたい。とはいえ暮らしの中で、今 動き出そうとしている歯車のひとつにならなくてはなぁ。"

みたいなものだ(ミスチルのマッシュアップ)。著者が言うように「言葉が、うたう対象と距離をおくように慎重に配置されている」ように感じる。なんだか冷静なレイアウトで叙情がないように思える。

ただこれで本当に泣けないかというとどうだろうか?。歌謡というのは同時代の大衆のもの(特に若者)であって、これを聴いて育った世代は結構、これで身もだえできるんじゃないのか?とも思う。実際、著者が叙情がないと指摘する尾崎豊の歌に、私は叙情をたっぷり感じられるのである。

歌謡の伝統は代々受け継がれてきたものであり、常に新しい世代の心を動かす歌が残ってきたのだろうから、1931年生まれの著者が、今の歌謡に響かなくても、大丈夫かもしれないと思ったりもする。まあ、それはともかく日本の「歌」の精神史として非常に興味深い議論の本であった。

・放送禁止歌
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001449.html

・案外、知らずに歌ってた童謡の謎
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003167.html

・裸体とはじらいの文化史―文明化の過程の神話
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大変にユニークであり中身も濃く、面白い。5つ星の本。

人類のはじらいの文化は、野蛮から文明化社会へ、不作法から洗練へ向かったという一般的な見方(ノルベルト・エリアスの文明論に代表される)を真っ向から否定する研究書。原始社会の人々は裸体や排泄する姿を人前に晒すことに恥を感じない野蛮な社会だったというのは根拠がないウソであるという。むしろ原始社会と言われる社会の方が恥の感性は発達しており、裸体の社会的管理も厳格だったりするのである。

全裸で暮らす≪未開の≫部族は、一見、裸に対して羞恥心を持たないかのように思えるが、実は彼らはお互いの裸体を見ないように暮らしているのだ。うっかり男性自身を硬直させないよう女性に近づかないように心掛ける。もし少女の陰部をみつめたりすればその親に報復されたり、村から追放される厳しいルールがある、などということが解説されている。

男が女を見るというだけではない。たとえばいくつかの社会では父親や目上の男の陰部を見てはならない。それは大変な恥辱を与える失礼なことだった。聖書でも父ノアの陰部を見てしまったハムが呪われている。見えても視線を向けてはならなかった。

「裸の社会では、服を着た人たちより礼儀正しく振る舞わねばならない。言葉、身振り、視線もすこぶる慎重で用心深くなければならない。」

原始社会には物理的な個室の壁や衣服がない代わりに心理的な「幻の衣」をまとい、「幻の壁」を作りだして、恥を社会的に管理していたのである。羞恥心の発達は現代人以上に高度で複雑で繊細だったことに驚かされる。

たとえば排泄を見られたら死んでもおかしくなかった。

「ミクマク族の兄弟が森の中にいた時、若い娘は兄の衣服に跳ね上げた便の汚れをみつけたが、それは彼が今しがた傍らの藪の中で用を足したことを物語っていた。それを指摘された兄は、余りの恥ずかしさに大枝で首を吊ってしまったのである。」

小学校でトイレで大の用が足せない子供の感覚は人類史的には結構まともなのである。

「ニューギニアのハーゲンベルグ族は、排泄の最中を偶然見つかると恥ずかしさの余り両手で顔を覆い、首を吊るべきかどうか考える。<中略>用を足している女性を見た男性は、そばへ行き、自分といっしょに寝ないかと尋ねるのが当たり前である。普通、彼女はそれに同意する。なぜなら性交後二人はたがいに親密な関係になったため、恥はなくなるからである。」

うっかり女性が用を足しているトイレのドアを開けてしまった場合、結婚して責任をとるべき社会というのもあるのだ。なんて世界は広いのか。

中世ヨーロッパの魔女裁判の取り調べにおいても死ぬほどの羞恥心が利用された。魔女の疑いがある婦人に対して、悪魔の印がないか検査のため、毛を剃るぞと脅したのである。すると「陰部のあたりの毛を剃られるのはひどく恥ずかしかったので、多くの婦人はへなへなとなり、拷問なんかせずとも一切を白状した」という。

古代ギリシアの裸の英雄、中世の浴場、近代の水浴び、日本やロシアの裸体の扱い、ヌーディストの視線、ベッドでのはじらい、幼児の性、便器、排尿・排泄・放屁、召使いや奴隷の前での露出、刑罰、俳優と娼婦の露出など、裸体とはじらいの関係について、古今東西の文化を比較検討していく。すると裸と恥がヨーロッパだけでなく世界中の原始的社会でも密接に結びついており、はじらいとは人類に普遍の感性であることがよくわかる。恥ずかしさが文化文明を発達させてきた一因でもあるのだ。

この本は写真資料と参考文献が大量に掲載されているのが特徴だ。特に写真資料は古今東西において恥とされたり卑猥とされた絵や写真ばかりだ。学術書なので、そこまできわどいものはないが、ちょっとした珍宝館みたいである。私が一番猥褻だなと思ったのは、フランスの農夫の寝間着の写真だ。上から被るように着るものなのだが、陰部のあたりにスリットが開いている。これは宗教的に性が抑制されていたため、最低限の肌の露出で夫婦の義務を果たせるようにした工夫なのだが、逆にその目的のためだけに開いた切り込みが、いま見ると実に艶めかしく、いやらしい。

本書で人類の歴史を振り返ってみると、ヌードがメディアにあふれた現代日本は、むしろ羞恥心や社会的抑制が極めて衰退しているようにも思える面もある。だが今だって女性は黒いベールで顔を隠す国もあれば、壁のない公衆便所で並んで排泄するのが普通の国もある。どちらが文明化されて洗練されているかなんて一概にはいえないわけだ。そうした「文明化の神話」を裸体とはじらいの関係史をひもとくことで打ち壊すのが本書の著者の真のねらいなのであった。

日本の神々

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・日本の神々
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日本のカミの原型とは何かの源流をたどる。日本には弥生時代から8世紀の古事記・日本書紀成立までの1200年以上のアンドキュメンテッドな豊穣な歴史がある。それが記紀成立時に国策イデオロギーによって大きく変容した。さらに後代の神社神道、国家神道によって改変される過程で古来の要素はどんどんそぎ落とされていった。著者はその歴史の流れを逆流すべく、奄美・沖縄の古い神話からアイヌの神の世界まで、記紀以前の日本の神々の姿に関する手がかりを収集して、日本の神の原型を追究する。

「日本の神の源流をたどってみると、西洋の神にみるような、意志をもち人格をそなえた存在からはなはだ遠いものをカミと呼んでいるいことを知る。本居宣長は「可畏きもの」をカミと言った(「古事記伝」)。」

「原初的なカミは非人格的、非意志的であってむしろタマと呼ぶにふさわしいものであった。「霊魂そのものにはそれ程はっきりと思慮記憶があるものとは古人は思はず、霊魂を自由な状態において考へたのであると折口信夫は言っている(民族史観における他界観念)」

「その本質に於て何等合理性を持たず、人格的規範を伴はぬために倫理的道徳的色彩を帯びず、特に低級な迷信の巣となるかと思へば、高級宗教とも結合する可能性がある」(仲原善忠の引用)

古事記・日本書紀のお話の中で活躍する神々は個性的でキャラクターが立っているのに、現実の神社や祭りで祀られる地域土着のカミサマというのは、一般にとらえどころがない存在であるなあと思っていたのだが、つまりはマナのような超自然的パワーの概念的存在だったのだ。概念的であったが故に、後年の体制イデオロギーや仏教との融合によって容易に変容を遂げることができたのでもあったのだろう。

この本では、日本の原初的神観念について、地域的にも時代的にも幅広い史料に基づいて、とても説得力のある論理が展開されている。国つ神の正体や民間信仰の原型について興味のある人に強くおすすめの一冊。

・アマテラスの誕生―古代王権の源流を探る
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/08/post-1057.html

・日本語に探る古代信仰―フェティシズムから神道まで
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/03/post-959.html

・日本人の原罪
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/03/post-946.html

・[オーディオブックCD] 世界一おもしろい日本神話の物語 (CD)
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/02/cd-cd.html

・日本史の誕生
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/08/post-799.html

・読み替えられた日本神話
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/02/post-700.html

・日本神話のなりたち
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/05/post-573.html

・日本古代文学入門
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004835.html

・ユングでわかる日本神話
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004178.html

・日本の聖地―日本宗教とは何か
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004661.html

・劇画古事記-神々の物語
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004800.html

・日本人の神
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003868.html

・日本人はなぜ無宗教なのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001937.html

・「精霊の王」、「古事記の原風景」
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000981.html

・古代日本人・心の宇宙
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001432.html

・日本人の禁忌―忌み言葉、鬼門、縁起かつぎ...人は何を恐れたのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000809.html

・神道の逆襲
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003844.html

・古事記講義
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003755.html

・日本の古代語を探る―詩学への道
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003206.html

・Shape Collage
http://www.shapecollage.com/
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ああ、これは凄く楽しい。完成度も高い。

SHapeCollageは写真をコラージュするソフト。多数の画像を自動的にお好みの形状にレイアウトしてくれる。Photoshopなどでやろうとしたら相当手間がかかる画像処理が数分でできてしまう。結婚式や卒業式などのイベントでも活躍しそう。

まず素材となる写真群を指定する。フォルダまるごと指定やWeb上の画像のURL指定もできる。そしてレイアウトしたい形状を選ぶ。長方形や丸やハートなどの単純な形状だけでなく、日本語を含む文字や自由描画の形状にレイアウトすることもできる。

早速、最近使った画像を集めたフォルダを使ってやってみた。やろうとしていることの複雑さに対して、とても簡単だし軽快に動作する。

たとえば、下図のように、文字や名前、世界地図の形状にレイアウトができる。

・結婚式の写真アルバムに使えそうな「愛」
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・自分の名前でやってみた。元画像は巨大。
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合宿イベントの最終日にみんなで撮影した写真をコラージュで見る、なんて使い方がよさそう。

・ThumFall
http://mnopqr.net/thumbfall/
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動作にはAdobeAIRのインストールが必要。

YahooやGoogleの画像検索でヒットする画像を、デスクトップに降らせるソフト。たとえばドラクエというキーワードを設定すると、上から勇者やモンスターや売り場の写真などが次々に降ってきて、デスクトップ画面にどんどん堆積していく。画像はマウスで動かすこともできる。

ちなみに画像検索先はリストから選択することができて、BaiduやFlickrやFFFound!など設定可能である。試しにやってみたが「グラビア」などというキーワードで実行するとデスクトップが美女で埋め尽くされる。

デスクトップが画像だらけで、こんなに動いてしまうと作業は難しい。スクリーンセーバー代わりか娯楽観賞用ソフトである。作者はノリがよくて3D版も公開している。こちらも試したが、無駄に技術力が使われていて素晴らしい。

・ThumbFall3D
http://mnopqr.net/thumbfall3d/

・クラウドソーシング―みんなのパワーが世界を動かす
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個人的にはクラウドコンピューティングよりクラウドソーシングのほうがずっと凄いと思う。コンピュータネットワークの上に実現されるヒューマンネットワークにこそ、インターネットの可能性があるのだ。世界中で使われていない才能や知識を、ネット上で集約し、活用する。オープンソースやウィキペディアは、そうした社会的生産の先鞭を付けた。世界最大のソフト開発と世界最大の辞典編集はオンラインのコミュニティが行っている。さらに世界には1日に20~60億時間もの潜在的な労働力が眠っているそうだ。あらゆる不可能を可能にできそうなパワーである。

近年のアマチュアのルネサンスは唐突に起きたのではなくて、高等教育を受ける人々が急増したこと、知識分配メカニズムとしてのインターネットの登場、複数の能力を身につけた労働力が専門性の高い労働市場で能力や教養を生かし切れず充実感を得られないでいること、などの現代社会の複合要因の必然的な結果であると著者は分析している。

この本では、群衆の持つ能力や適性を成功例をベースに検討している。ビジネス化という点では、コミュニティとコマースという一見対立するものを、いかに融合させて経済的価値を生み出す仕組みにしていくか、が最大の課題であろう。

そもそもコミュニティに何を任せたらよいのか。クラウドソーシングと単純労働の積み上げである従来の「人海戦術」はまったく異なるものだ。単純作業の割り当てでは、群衆のボランタリな参加を望めない。

「簡潔に答えれば、コミュニティは能力のある人々を見分け、彼らの作ったものを評価することに長けているのである。コミュニティのもつこの作用は、いまや情報経済の核心になりつつある。情報経済での原材料は鉄や鋼などではなく。ベンクラーの言によれば、「人間の創造的な労働」である。」

人間の創造性を生み出すにはモチベーションが必要だ。たとえばあるテーマでサイトに記事を書くことを頼んでもなかなか引き受けてもらえないが、尊敬する誰かと話をする"インタビューウィーク"を仕掛けると、人々は参加して記事が投稿されるようになったなどという事例が紹介されている。

本書では「クラウドソーシングのルール」が10個挙げられている。

1 正しい方式を選ぶ
  1 集団的知性 2 群衆の創造 3 群衆の投票 4 群衆の投資
2 正しい群衆を選ぶ
3 正しい動機を与える
4 早まってリストラしてはいけない
5 ものいわぬ群衆、あるいは慈悲深い独裁者の原則
6 ことを単純にし、小さく分ける
7 スタージョンの法則(90%はカスである)を忘れない
8 スタージョンの法則を逆手にとって、10%の存在を忘れない
9 コミュニティはつねに正しい
10 自分のために群衆に何ができるかではなく、群衆のために自分に何ができるかを問う
見ず知らずの人たちから参加や協力を引き出す方法を熟知したヒューマンネットーク専門のシステムエンジニアが求められているといえる。それはもはや従来のネットワーク技術者の範疇を超える。社会的技術、政治的技術が機械的技術と融合してこそヒューマンネットワークが花開くのだと思う。

この本はハヤカワ新書juice創刊の最初のラインナップ(2冊)のうちの1冊。「知的な渇きを癒す「新鮮で濃厚な」作品をお届けする」がコンセプトだそうだが、新書としてボリュームも内容もよくて大満足。

・瞽女の啼く家
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岩井 志麻子の怪奇ホラー。

「哀れな。お前はどんな因果を背負うて、暗闇に生まれてきたんじゃ。こねえに可愛い顔をして、こねえに清い心を持っているのに」

明治時代の岡山。三味線弾きや按摩を生業にしながら、村々をめぐる盲目の女旅芸人、瞽女たちが共同生活を営む屋敷があった。分限者の娘で親が建てた屋敷を取り仕切るすえ、霊感が強く異界の存在を感じ取ってしまうお芳、不美人できつい性格だが行く先に福をもたらすイク。3人の瞽女の立場を入れ替えながら、呪われた村に起きたおぞましい事件の顛末が語られる。

すえの夢に繰り返し現れるようになった「牛女」。生まれつきの全盲なのに目が見えていた古い記憶を持つお芳。すわの生家にみつかったという泥人形。ばらばらの不吉の予兆がやがて一本の線でつながっていき、村の因縁に生じた怪異の正体が曝かれていく。

「後ろになにかおると思わんか」。夜道を一列に歩く瞽女たちの背後に忍び寄る「良うないもの」が彼女たちの後ろから距離を縮めてくる。

土俗因習、エロで、えぐい表現が得意な岩井 志麻子の岡山モノの中でも、本作はかなり完成度の高い作品であると思う。設定上、視覚を封じて音や触覚、気配の描写が多くなったことで、目には見えない物の怪のイメージが鮮烈に立ち上がってくる。もう最後はぐちゃぐちゃのねちゃねちゃですけど。

・べっぴんじごく
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/10/post-843.html

・公認野球規則 2009
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初めて読んだが予想外に内容が面白くて飛ばさず読破。野球観戦が一層楽しくなった。

1.01
野球は、囲いのある競技場で、監督が指揮する9人のプレーヤーから成る二つのチームの間で、一人ないし数人の審判員の権限のもとに、本規則に従って行なわれる競技である。
1.02 
各チームは、相手チームより多くの得点を記録して、勝つことを目的とする。

1.03 
正式試合が終わったとき、本規則によって記録した得点の多い方が、その試合の勝者となる。

<中略>

1.10 バット
(a) バットはなめらかな棒であり、太さはその最も太い部分の直径が二インチ四分の三(七・〇センチ)以下、長さ四二インチ(一〇六・七センチ以下)であることが必要である。バットは一本の木材で作られるべきである。

1.11
(e)ユニフォームには、野球ボールをかたどったり、連想させるような模様をつけてはならない。


規則を知らなければ"正式試合"を開始することさえできない。野球で試合を開始するにはまず何をすべきか知っているだろうか。答えは、

「まず、ホームチームの監督が、球審に二通の打順表を手渡す。」

である。へええ。次にビジティングチームの監督が同様に球審に渡し、球審は同一を確認した後、両チームに手渡すのである。

「5.03 まず投手は打者に投球する。その投球を打つか打たないかは打者が選択する。」なんていう、あったりまえじゃねえかという項目もある。規則だから全部書いてあるのだ。

野球規則のなかで特に思想が感じられるのが「6.07 打撃表に誤りがあった場合」の「ただし」以降である。

「打順表に記載されている打者が、その番のときに打たないで、番でない打者(不正位打者)が打撃を完了した(走者となるか、アウトとなった)後、相手方がこの誤りを発見してアピールすれば、正位打者はアウトを宣告される。 ただし、不正位打者の打撃完了前ならば、正位打者は不正位打者の得たストライクおよびボールのカウントを受け継いで、これに代わって打撃につくことはさしつかえない。

つまり攻撃側が打順を間違えても、守備側が相手の誤りを球審に指摘せず、次の打者の「投手の投球」が行われてしまうと、不正位打者は正位打者と認定されるものなのだ。そして審判は誤りに気づいても指摘してはいけない。プレイヤーの不断の注意とアピールが野球精神の原則となっているのだ。

競技場や用具の細則、用語の定義など細部も面白い。ボークの規定、準備投球の制限、監督が投手のもとへ行く制限、審判員の報告義務、など、あまり考えてみなかったところも細かく決まっているのである。

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