2010年4月アーカイブ

・インターネットはいかに知の秩序を変えるか? - デジタルの無秩序がもつ力
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素晴らしい内容。ネットの知の構造化を考えたい人に、おすすめ。

整理の第一段階 物質それ自体の整理
整理の第二段階 物理的な対象(カード式索引等)で整理する
整理の第三段階 デジタルでの整理

という段階が定義されていて、その第三段階の原則は、

・フィルターは入り口ではなく出口で
・葉っぱは出来るだけたくさんの枝にぶら下げよ
・すべてはメタデータであり、すべてはラベルをつけられる
・管理をあきらめよ

というもの。

伝統的な図書館分類による秩序だった整理ではなくて、YoutubeやFlickrのタグ整理あるいはWikipediaのようなフォークソノミー的アプローチの方が、ネット時代には有効であるという。

コミュニティによる知識創造と構造化がテーマだ。従来型のナレッジマネジメントシステム(KMシステム)についてはこう書いている。

「KMシステムは、従業員にビジネスに関して、知っていることをすべて明示的にすることを求めて失敗した。あたかも誰もが作家か教師であるかのように扱ったからだ。あるいは誰もがボタンを押すことでレポートを作成出来るデータベースであるかのように扱ったからだ。KMシステムは静かに機能するときにこそ、最もうまくいく。それは、仕事の中で暗黙のうちに出来上がってきた知識を集める時であり、例えば電子メールを情報源として再編する時や、社内のやりとりで誰がもっとも頻繁に回答しているかで専門家を推定する時や、社員がお互いにやり取りするリンクからライブラリーを作ったりする時である。」

形式知という氷山の一角ではなくて、その下に沈んでいる巨大な暗黙知という意味のインフラストラクチャーを、いかに掘り出すか、が重要だと著者は繰り返し述べている。有用な無秩序こそ意味の源泉なのだ。

「というのも、会話は相違点があるからこそ盛り上がるからだ。従来、違いの存在は知識に到達していないことのサインであった。知識は一つだけであり、なぜならば世界のあり方は一つしかなく、別のあり方はなかったからだ。しかし、これからは常に多数の会話があり、かくして多数の見方があるだろう。我々は決して他人との会話をやめることはなく、単一の結合された真の逃れられない最終的な知識によって黙らされることおはないであろう。」

相違から会話が生まれ、無限に知識を生みだしていく。ネット上のコミュニケーションでは、多様な視点と動機の人間が短いメッセージで対話をするから、ボタンの掛け違いみたいなことも多いが、そうした齟齬が思いもよらない情報を創造しさえする。そうした雑多な会話の集まる知の交差点に立つ者こそニュータイプの知識人ということらしい。

「ワールドワイド・セマンティック・ウェブは野心的すぎたために、デューイや他の大規模分類学を悩ませたものと同じ問題の餌食になっている。セマンティック・ウェブでも、不完全で、スマッシーで、領域ごとの努力をゆるやかにまとめたものは、より実現性が高いのみならず、より好ましくもある。継ぎ目のない全体で曖昧さを排除するものは、暗黙の意味が持つ深みをも排除してしまう。そうであるとすると、ワールドワイドウェブのごちゃごちゃをきれいにしようとしたティム卿の試みの成功の鍵は、皮肉にも、それをもっとごちゃごちゃにすることかもしれない。」

単一の何かであることをみつけようとするのではなく、「のようなもの」「の種類のもの」「七十三%のもの」を知ること=複雑さの中で泳ぐこと、意味を最終的に確定させないでいること、が無秩序から意味を取りだす秘訣になる。ある種のいい加減さ、アバウトさ、知的な寛容さ、が大事になるということのようだが、そういうのは私は得意だな、しめしめ(笑)。

・ポケット付箋
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どこにでも収納ポケットを取り付けることができるユニークな付箋。

付箋として使うことはあまりない。ポケットとして使うのが本質だ。

チケットや領収書などの小さな紙片を、ノートに入れておきたいときに、このポケット付箋が活躍する。半透明で挟んだ紙の上の文字が見えるというのもポイント。

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私が使っていて便利だなと思ったのは、もらった名刺をポケットに入れてノートの左ページに貼って、右ページにその人と話した内容をメモするという使い方ができること。

それから、小さな現場メモを、とりあえずポケット付箋でノートに挟んでおき、後でそのメモを頼りにそのページに原稿を書くのにもいい。

いわば紙片はタグみたいなものなのだ。これまでまとまりが悪かった紙片を、このポケットで一緒に置いておくと、ノートを見直しての知的生産が促進される。

他にもデジカメで撮影済みのSDメモリカードを入れておく、とか、より小さな付箋を入れておくとか、収納するものはいろいろ考えられるから、使い方はまだまだ広がりそうだ。

・TOSHIBA Premiugate UHS-I SDXCメモリーカード64GB SD-E064GUA
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いわゆるSDカードの最新規格SDXCは、ハイスピードのメモリアクセスが可能で、規格上の最大容量は2テラバイトもある(この記事執筆時点で市場で販売されているのは最大で64ギガのモデル)。これまでは携帯電話やデジカメのメモリとして裏方で活躍してきたメディアだが、これからはDVDやBlu-Ray、ハードディスクを凌ぐパッケージメディア、ストレージメディアに化ける可能性がある。

ということで、ブロガーが大集合して、SDXCの未来を語り合う場が、AMNさんによって開設された。私は書評ブロガーということで、電子書籍との関わりという視点から、次の記事を書いた。

・SDXCで変わる文字情報の富豪的未来
http://agilemedia.jp/sdxc/book/passion.html

そして、東芝のオフィスで開催されたブロガー座談会イベントにも参加してきた。

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私は長い間、MicroSDカードのまわりを樹脂で太らせて、MiniSDカードやSDカードをつくっているのではないかという疑惑をいだいていました。SDの中にはMicroSDカードがまるごと入っているのではないか?というマトリョーシカ人形的な入れ子構造かもしれない、と思っていたのですが、「そういうことはありません、3つは別のつくりです」とのこと。

で、いろいろと考えたこと、上のサイトに書かなかったことをこちらに書いてみる。

SDXCの2テラバイト級が登場すると、こんな変化がありそうだ。

1 データの消去が不要になる

まず2テラバイトなどという超大容量のSDXCカードができたら、メモリ内のデータを消去すると言う必要がなくなる。2テラバイトもあれば、普通の人ならばデジカメ記録メディアとして、一生分の写真を入れることができそうだ。写真は一切消去する必要なくなる。連写もすべて保存しておけばいい。

2 大量に保存しておいてから選ぶ

自分で撮影する動画でも写真でも、映画や音楽のような商業コンテンツでも、まず大量に保存しておいて、観るもの使うものを選ぶ(+必要ならばアクティベートする)というコンテンツの流通が可能になる。

ロックやポピュラー音楽は、10代の頃聴いた20年前の音楽を30代が大人買いして市場を支えている、なんていう人がいるが、昔の音楽は変わらないので、60年代フォーク全部、70年代ロック全部、80年代JPOP全部とか、全部入りパッケージが人気になるかもしれない。

3 それでもまだ足りない?

座談会でSDXCの想定用途として、マルチチューナーのテレビ録画という話があった。たとえばテレビ8つのチャンネルを24時間同時に録画し続けるという使い方。SDXCのハイスピードと大容量を活かす用途なのだが、こうなると2テラバイトでもまだ十分ではない。寄稿記事でも書いたが、やはり、ストレージの不足というのは技術の進歩を、人間の欲望が上回ってしまい、常に不足するというのが、ムーアの法則以上に普遍的な法則なのではないだろうか。

・ザ・マインドマップ
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私が教員をしている大学・大学院では、ここ数年で、20人に1人くらいの割合で授業ノートをマインドマップでとっている学生を見かけるようになった。世界では教育分野とビジネス分野で2億5千万人が使っている思考ツールであるといわれる。この本はマインドマップ発案者トニー・プザンによる、世界1千万部突破のオフィシャルガイド。

マインドマップの利点はなにか?

最初に普通のノートの4つの欠点

・キーワードが明確でない
・記憶しにくい
・時間を無駄にする
・脳の創造性を刺激しない

が挙げられている。

授業内容を最初から最後まで時系列でノートをとるよりも、自分が気になったキーワードを軸にして、関係性をネットワーク状にまとめていく方が、頭に定着する。読み返した時も効率よく想起することができることが魅力であるという。

同じ講義を聴いていても10人いれば10通りのマインドマップができあがる。まったく同じものができてしまうことはない。個性が発揮され、頭を使えば使うほど個性的な思考ができることがマインドマップの素晴らしいところだと思う。

そして「マインドマップ作成のプロセスから答えが出る」ということ。きれいにノートを取って終わりではなく、考えながらマップを描くことで自分の思考が整理されていく。ただ記録するだけの方法論ではないのだ。

実は私はマインドマップが苦手である。直観的に自分に向いた思考ツールだと思って何度も挑戦しているが、なかなか定着しない。それでオフィシャルガイドブックを読んで再挑戦してみようというわけ。きれいにマップを描こうとする心理がいけないらしい。見やすさ、美しさを意識しないことが大切のようだ。心がけてみよう(そうは言われてもこの本の例は見やすくて、美しいんだよなあ...。)

巻末のおまけが豪華。アインシュタインやエジソン、ニュートンやダヴィンチ、ベートーベン、ミケランジェロ、コロンブスにピカソなど、歴史的な天才たちのノートが写真で収録されている。天才はみんなビジュアルなノートを取っていることに改めて気がつかされる。

・完全教祖マニュアル
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ネタというレベルを超えて、結構本当に使えちゃう本かもしれない実践的内容...。

「みなさんは、人に尊敬されたい、人の上に立ちたい、人を率いたい、人を操りたい、そんなことを思ったことがありませんか?でも、自分には才能がない、学がない、資産がない、そんなのは一部のエリートだけの特権だ、等と理由を付けて夢を諦めていませんか?確かに、これらの夢を叶えることは非常に難しいことです。ですが、悲観することはありません。何も持たざるあなたにも、たった一つだけ夢を叶える方法が残されています。そう、それが教祖です!新興宗教の教祖になれば、あなたの夢は全て叶うのです!」

新興宗教の教祖になりたい人のためのマニュアルだ。

「インテリは組織運営の核として絶対に必要なものです。ですが、実際問題としては、組織の主たる層は一般人ですし、そして、一般人は哲学など毛ほどの興味もありません。」

既存宗教を焼きなおして教義を作り、幹部になるインテリをリクルートし、教えを簡略化して大衆に迎合し、教団組織を成長させていく。教えは反社会性を入れながら、同時に社会的弱者を救うものにせよ。現生利益をうたおう。葬式をやろう。信者には不安を与えて救済してやる。食物規制や断食も効果的。科学的体裁もとるといい。迫害されたらその事実を利用しよう。異端は追放しよう。教祖になるための教えとチェックリストが続く。

教祖の基本要件は「なにか言う人」と「それを信じる人」がいること。

「たとえば、いま、あなたの目の前に、奥さんの膝でガタガタ震えている男がいるとしましょう。彼は姉さん女房に泣きつき、自分を襲った怪奇現象を必死に訴えています。「本当なんだ。超自然的存在がオレの首を絞めたんだ」。彼女は夫を慰めて言います。「あなたの言うことを信じるわ」。そうです。この瞬間、夫は「教祖」になったのです。ちなみに、この男の名をムハンマドといいます。ご存じ、イスラム教の教祖ですね。」

いろいろな既存の宗教の発展形態を調べたうえで、現代において新たに宗教を興すにはこうするのが現実的であり、近道だよということがまとめられている。実際に興す人は稀だろうが、会社にせよ学校にせよ、地域コミュニティにせよ、成功している集団には少なからず宗教っぽさが感じられるものだ。特殊なリーダーシップ論として読むと、いろいろと勉強になる真面目な内容である。

・振仮名の歴史
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平安時代から現代まで振仮名の歴史を振り返るトリビアな新書。

日本語特有の表記法である振り仮名には大きく「読みとしての振仮名」と「表現としての振仮名」の二つがある。「合図」と書いて"あいず"と振るのが前者であるなら、"サイン"と振るのが後者である。

古くは、漢語で書かれた日本書紀にも振仮名が振られていることがわかる。中国語を日本語で読むことが契機となって誕生したものであるらしい。二つの使い方は当初から存在していた。室町時代の頃には左右両振仮名というのもあって、読みと表現の両方を左右に書いた例もある。

表現としての利用が極まった例として、実際にはない漢字をでっちあげて、それに振仮名を振って遊んだ平安時代の嘘字なども紹介されている。実用性だけではなくて、それ自体がかなり饒舌なサポーターとして日本語文化を支えてきた。

明治時代に官権派の「大新聞」は振仮名を振らず、大衆的な読者を対象にした「小新聞」は振っていたという話がある。振仮名があったおかげで、日本の民主化が進んだとさえいえるのかもしれない。

本分を補助する形で微妙なニュアンスを表現でき、漢文や英語のような外国語にも振ることができる。振仮名は考えてみればかなり便利なしろものだ。自由度が高いから使い方は定まらず、しぶとく残ってきた。Webでも振仮名は使えるわけだから、これから新しい形の表現が生まれてくることもあるだろうか。

振仮名についての歴史とマメ知識がいっぱいの本である。学校ではまず習わなかったことばかり。ルビという言葉はダイヤモンド、パール、ルビーのRubyから来ていたというのは初めて知ったなあ。

・キャッツ スペシャル・エディション 【-プレミアム・ベスト・コレクション-リミテッド・エディション】
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横浜にできた劇団四季キヤノン・キャッツ・シアターで、家族とCATSを観てきた。

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(階段には猫たちの名前が書かれている)。

ミュージカルの代名詞みたいな作品を、はじめてみたのですが素晴らしかった。

人間に飼いならされることを拒んで逆境に生きる猫たちが、年に1回、街のゴミ捨て場に集まって、天上にのぼって転生する一匹"ジェリクルキャッツ"を選ぶ夜。選ばれるために猫たちはそれぞれの生きざまを舞踏で披露する。約20匹の全員がかわるがわる主役になる。

「メモリー 仰ぎ見て月を 思い出をたどり 歩いていけば 出会えるわ 幸せの姿に 新しい命に」

名曲がいっぱい。孤独な老猫が歌う有名なバラード「メモリー」(私はCATSを今回初めて見たけれど、このテーマは知っていた)、そして「忘れてはいけない ネコはイヌにあらず」の大合唱になる「猫にごあいさつ」。

・劇団四季ミュージカル 「CATS」オリジナル・キャスト
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「ネコにはひとつのルールがある。こちらからは話しかけない」

キャッツは、プライドを持って自由に生きることの素晴らしさ、がメッセージなんですね。いろいろな生き方があるという物語に共感しました。

なお、円形劇場は通路側に座っていると猫と握手できてお得です。

・湘南みやげとお取り寄せ
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私の地元「湘南ブランド」を紹介するムック。

豊島屋の鳩サブレー、大船軒の鯵の押寿し、江の島の生シラスなど定番から、最近登場した店まで、食品・洋菓子・和菓子・パン・服飾・インテリア・作家作品など、湘南のニュースタンダード100がカラー写真で説明されている。

冒頭の「あの人が好きな湘南の一品」では、よくまとめ買いしてスタッフに差し入れするという木村太郎の「葉山コロッケ」のほめっぷりが凄い。このコロッケは言ってしまえば普通のコロッケなんだけれども、その昔ながらのコロッケの気取らなさ、温かみがいかに素晴らしいか、普遍的かを、身の回りのエピソードやシーンを挙げて推奨する。また食べたくなってきた。

地元の人間でも知らないブランドがいっぱいあった。ゴールデンウィークに湘南に来る人にもよさそう。

【私のおすすめ編】

湘南育ち何十年の私のおすすめは(1と2はこのムックに掲載されていた)次の5つ。

1 Kibiyaベーカリー
http://r.tabelog.com/kanagawa/A1404/A140402/14014244/
私はこのパン屋が世界一うまいと思う。鎌倉へ行くたびに必ず大量に買う。しかし、こんなパンのどこがいいの?と言った人もいた。ここのパンは中身が詰まっていてとにかく固い。クロワッサンまで固い。軟弱なパンが好きな人は、ここのパンが大嫌いみたいだ。あんなにうまいのに。人を選ぶパン。

2 メーカーズシャツ鎌倉
http://www.shirt.co.jp/
10枚くらい持っている。上質のドレスシャツが5000円で買えるのが魅力。どんどん新作が入ってきて商品が入れ替わる。鎌倉本店にはカフェが併設されていて、ゆっくりと選ぶことができる。横浜ランドマークタワーや渋谷のマークシティにも支店はあるが、品ぞろえは本店にはかないません。

3 古久家 藤沢店
http://r.tabelog.com/kanagawa/A1404/A140404/14002904/
藤沢駅前の名店ビル地下にある中華料理屋さんというかラーメン屋さん。老舗中の老舗だがコマーシャルを嫌うようで、メディアにはあまり登場しないが、ラーメンとチャーハンが絶品。学生と年配に人気。

4 十代目 まぐろ問屋 三浦三崎港 江ノ島店
http://r.tabelog.com/kanagawa/A1404/A140403/14004371/
江の島にある回転寿司屋さん。回転としては高級系。江の島なのに「三浦三崎港」というのは変だし、チェーン店ではあるのだが、この江の島店は明らかに素材が新鮮でおいしい。海を見ながら食べる寿司が意外によいのでおすすめ。

5 PICO 江ノ島店
http://r.tabelog.com/kanagawa/A1404/A140403/14006193/
江ノ電の江の島駅近くにあるピザ屋。生シラスやシラスを使ったピザの料理がおすすめ。「釜揚げシラスのオリーブオイル煮」なんかたまりません。「PICOのスープパスタ
ニンニクと赤唐辛子」も。

・日本人だけが知らない 日本人のうわさ 笑える・あきれる・腹がたつ
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世界を取材するライター石井光太氏が集めた日本にまるわるうわさ話とその背景を解説する軽い読み物。海外の人たちの偏見や誤解がいっぱい。笑えるものも多いが、棘があって痛いものも多い。

たとえば、日本人は入国手続きの書類の「SEX」の欄に数字を書くがそれは週に何回の意味だ、なんていう話し。英語ができない日本人への皮肉のニュアンスも込められて、外国では実際に広まっているそうだ。

日本の地下鉄は痴漢だらけだが、中国人や韓国人女性がひとりで乗るときは、バッグに国旗をつけると、痴漢にあわない、なぜなら日本人男性は外国人には痴漢をしないからだ、などという日本留学時の注意があって、実際、そうした自衛手段を取る女性も存在するようだ。

「日本企業は中国でつくった一番いい製品を欧米に輸出する。二番目にいい製品を日本へ逆輸入する。そして最悪の品を中国本土で売る」なんていう日本企業の悪評が中国で流れている。もちろん背景には反日感情がある。こうした噂は普段は笑い話でも、いったん何かの事件が起きると、日本製品の不買運動や現地日本人への暴力にまで発展することもある。

そして、やはり濃いのは「日本女性のアソコは...」式の日本人のセックスにまつわる噂だ。匍匐前進している女性をつかまえて性行為に及ぶ風俗店があるとか、日本人男性は淡白だとか、女性は凄いとか、である。性にまつわる噂は、流すのが愉快だし、真実を知ることが難しいから、デフォルメされて流布していく。

著者は日本人男性は性欲が弱いという噂に対して、世界のセックス回数ランキングを調べて、本当にそうなのか検証する。各国の初体験の年齢、避妊具の使用率、女性バストの大きさ、自殺率や方法、肥満の度合い、薄毛率など、普段目にしない数字がたくさん紹介されているのが面白かった。

「噂というのは、人々が抱く無知や不安や恐怖のバロメーターだと言えます。大勢の人の胸の中に共通した感情があればあるほど、その噂は広範囲に広がっていくのです。逆に言えば、噂がどれだけ広く語られたかということが、人がどれだけ共通する感情を抱いているかということを示しているのでしょう。」

偏見は知っておくべきだ。それが解けない誤解であっても。

・絶対貧困 世界最貧民の目線
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/07/post-1037.html

・物乞う仏陀
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/02/post-935.html

・ライフログのすすめ―人生の「すべて」をデジタルに記録する!
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著者はスパコン界のノーベル賞といわれるゴードン・ベル賞の設立者のゴードン・ベル本人とマイクロソフトの上席研究員のジム・ゲメル。前書きはなんとビル・ゲイツが書いている、「指先に情報を」のコンセプトを一番最初に提唱したのは俺だ、と。

ライフログとは、人間の個人的な活動のあらゆる面を記録し、保存し、検索できるようにするテクノロジーのこと。ライフログはトータルリコール(完全な記憶)を実現する。人生のすべての情報をクリックで呼び出すことができるし、保存したデータ分析によって、傾向を把握できるだけでなく、リスクやチャンスの予兆をとらえることができる。生活も人生も大きく変わる。ケータイにつぐイノベーションになるのかもしれない。

むろん、テクノロジーの負の側面も懸念される。現在マイクロソフトの研究員もしているゴードン・ベルは、

「みんなが目指すのは「リトルブラザー」の世界。ビッグブラザーが独裁主義的な監視社会を統治しているのであれば、リトルブラザーは「民主主義的」な監視社会を統治している。至る所で監視される社会ではあるが、記録装置を監視しているのは独裁的な中央権力ではなく、幾多の人や民間の企業だ。」

と書いているが、グーグルやマイクロソフトのような寡占企業にライフログを集中的に握られてしまう怖さは感じる。情報漏えいで誰かが人生を棒に振るような事件も起きるかもしれない。だが、ライフログの便利さや可能性は無限大だ。危険性はあるけれども、やはり未来に目は向いてしまう。

「脈拍、声の高さや大きさ、脳はといったデータが充実してくれば、ライフログ用ソフトがその人にとっておもしろい瞬間を上手に見つけてくれるようになるだろう。映像と同時に脳からのアルファ波を記録する仕掛けがついた野球帽を使って、東京大学の研究チームがすでにこの実証を開始している。アルファ波を参考にすれば、記録された映像のどの部分に興味を持ったかをかなり高確率に推測できるのだ。」

自分の人生のハイライトの瞬間を走馬灯のように映像で映し出すなんてことも可能になるのだろう。恋愛中の男女はどのレベルまで互いのハイライト映像を見せ合うかでつきあいの深さが決まったりするかもしれない。記録がある、いつでも見えるということは、人間の関係性や社会のあり方を変えてしまうだろう。

ゴードン・ベルは恐るべきアイデアマンだ。この本は未来はこうなっていくのではないかという想像の世界のディティールがいっぱい語られている。大御所なのに、こんなに自由なイマジネーションで本が書けるなんて驚きだ。こんなベンチャーを起こせばきっと成功するよベスト10なんて情報も、惜しげもなく披露される。第10位は「写真が撮れる鏡」だ。

・PIANO PITTORESQUE/LIVE
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ピアノの連弾がここまでエキサイティングなエンタテイメントになるなんて。

ピアニストの兄弟が1台のピアノを2人4本の手で弾く"キャトルマンスタイル"で聴衆を魅了するライブDVD。ピアノという楽器を見る目がちょっと変わった。

1台を2人で弾く?そんな窮屈なことをするより、2台のピアノを使えばいいじゃないか、と思ったら大間違い。これは1台のピアノを息のあった2人が極限まで鳴らしまくるパフォーマンスが凄いのだ。2人の手が交差するだけでなく、2人の身体の位置がめまぐるしく入れ替わる曲もある。でも流れている音楽の方はまったく途切れない。大道芸的なものではなくて、演奏能力も完璧なのだ。

ライブだから視覚的にも楽しませるショウを強く意識している。兄弟が仲がよさそうで、一緒に演奏することが本当に楽しそうに見えるのが何よりいい感じ。楽曲として得意とするのは、激しく鍵盤をたたきまくるブギーピアノ。こんなに勢いよく弾いたら、ピアノの調律狂っちゃうんじゃないのというくらい×2人なのだけれども、最後までご機嫌に続いていく。

ピアノ演奏オンリーなのだけれども、ノリノリのダンスミュージックとして成立している。ロマンチックなバラードやストーリー朗読付きの演奏など、観客を飽きさせない仕掛けが幾つも用意されていて、クラシックピアノは爆睡でダメなのという人も、きっと引き込まれて思わずエンドロールで画面に拍手してしまう、はず。一見の価値あり。

しかし、こういうピアノってどこで習えるんだろう?。私は過去に何度もピアノを挫折しているが、主因はクラシックの定番練習曲がでてきて辟易するからだ。叩きつけるように弾く、お行儀の悪そうな、こういう曲こそ、やりたいんだよなあ。いきなりじゃ無理なのか。


・レ・フレール公式サイト
http://lesfreres.jp/top.php

・強い者は生き残れない 環境から考える新しい進化論
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強い者は最後まで生き残れない。他人と共生、協力できる者こそ生き残る。

近代ゲーム理論の大きな2つの成果であるナッシュ均衡と、ジョン・メイナード・スミスらの進化的安定戦略(ESS)。従来理論によれば、人間の利他的な協力行動は、いくつかの場面で生存に少し有利に働くもの、というレベルで理解されてきた。大部分は、利己的に自己の取り分の最大化を図る個体のゲームとして説明されてきた。

しかし、人類文明は、大々的な協力行動の成果であるように思われる。協力は社会の規範ともなっている。現代のゲーム理論には何らかの欠陥があるのではないか?と進化生物学者で「素数ゼミの謎」の著者はにらんだ。

「ゲーム理論の最大の落とし穴は、何よりもその目的がプレイヤーの最大利益を求めることにあるという点に尽きる。人間が社会を作ったそもそもの動機は「存続のための協力」だったが、そんなことはすっかり忘れ去られてしまったかのようだ。」

余裕のある時は利己的ゲームもよいが、結局は環境そのものや所属集団自体が亡びてしまったら元も子もない。厳しい環境変化のもとで生きる生物は、互いの協力によって、環境からの独立を果たし、共生関係によって生き延びてきたのだという。

血縁選択と包括適応度、履歴効果、遺伝子の進化と表現系の進化、予測と対応、リスクに対する戦略、環境改変などさまざまな生物の進化戦略が紹介されている。生物進化にとっては共生関係こそ基本であり、最適が最善ではない、最強が生き残るわけではないというロジックが繰り返し展開されていく。そして最後は人間社会の話になる。

「人間社会は環境の不確定性に備えるための「協力」から始まった。それが民主主義のスタートラインのはずだった。ところが、その民主主義との両輪であるはずの自由主義が高度に発達するにつれて、様相が変わってきた。「個人の利益を最大限に追求する」ために、経済活動においてはゲーム理論の「ナッシュ解」が成立してしまっているのである。」
確かに、私たちは自然環境から独立して生きている。社会規範こそ人間にとってのゲームのルールであり、もはやむきだしの強さ=現実の強さではない。思えば弱肉強食のような戦国時代にだって、天皇を担いだり、忠義を大切にしたり、敵に塩を送ったりと、不合理なことをやってきたのが人間の歴史だった。私たちはゲームをやっているのではなくて、個や集団の視点から見えるドラマを生きているのが本当なのではないかというのが、この本を読んでの私の感想。

・ペリカン ペリカーノJr - Pelikan Pelikano Junior
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本来は子供向けの万年筆なのだが、大人が発想をメモするための普段使いにおすすめ。

私は万年筆を日常的に使っていない。ボールペンばかりである。思いついたことをさっとメモするのにはやっぱりボールペンの方が便利だ。ボールペンなら強く降ってもインクが飛び出たりしないし、ペン先の向きを考えなくていい。

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一方で、万年筆だと自然と目はペン先を見ながら、姿勢を正して、丁寧に書くことになる。殴り書きというわけにはいかない。だから、自然とゆっくり考えることにつながる。ボールペンで書きながら考えるのと、万年筆で考えるのでは感覚がまるで違うのだ。だから発想が停滞したら、ふたつのモードを筆記具交代で使い分けるといいことに気がついた。

・カラーバリエション
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おもちゃみたいなデザインだが、ペリカン製であり書き心地はとてもいい感じ。高級筆記具の重たさ、堅苦しさ、エラそーさとは無縁。安いから安心。気軽に普段使いできる万年筆である。

・プロテック iWALK モバイルバッテリー for iPhone&iPod PIB-800WH ホワイト
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我が家は夫も妻もiPhoneを使っている。

で、私はモバイルバッテリーとして

・iPhoneたっぷり2回充電 液晶で残量表示するリンケージ Infinity リチウムポリマー内臓 AC充電器
http://www.ringolab.com/note/daiya/2010/02/iphone2-infinity-ac.html

を愛用しているのだが、妻がこのプロテック iWALKを使っている。

この小さなタイプはケーブル不要で、iPhone端子に直結できるのが便利だ。私の大型充電器が2回フル充電できるのに対して、こちらは飽くまで緊急充電用であり、iPhoneを60%程度まで充電できる。充電状態はランプで確認することができる。

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外出時に、充電ケーブルの携帯が不要で、ポケットに入れたまま充電できるのがいい。ストラップがついているため、ストラップ対応のiPhoneジャケットならにぶら下げることもできる。

スマートフォンはもはや単なる電話ではなくて、パソコンでありデータベースでありライフラインである。スマートフォン依存症の人間にとって、その電池が切れるというのは重大問題なわけであり、モバイルバッテリーもどんどん進化してもらいたいものだ。

メル・プラッツ公開研究会「コミュニティをつなぐテクノロジー」 に出演します

ゴールデンウィーク中になりますが、下記イベントに出演することになりました。
コミュニティが情報社会の未来のキーワードだと思っている人、ぜひご参加ください。

http://mellplatz.net/info/study/000217.php

■テーマ :「コミュニティをつなぐテクノロジー」

■日 時 :2010年5月8日(土)14時~17時50分
■会 場 :東京大学本郷キャンパス工学部新二号館9階93b
      http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_04_18_j.html
      地下鉄丸の内線・大江戸線[本郷三丁目駅]から徒歩8分
      地下鉄南北線[東大前駅]から徒歩8分

■登壇者 :「ネビュラ」エキスポバージョン・プロジェクトチーム
          水島久光(東海大学) 沼晃介(東京大学)
      田中克明(東京大学先端科学技術研究センター特任助教)
      橋本大也(データセクション株式会社/デジタルハリウッド大学)
      堤智久(ローカル・ビズカフェ幹事/「つたえびと2」編集長)
      [司会] 伊藤昌亮(愛知淑徳大学)
■参加費 :500円
■事前登録:不要
■共催  :メディア・エクスプリモ http://www.mediaexprimo.jp/
       (JST CREST研究
        「情報デザインによる市民芸術創出プラットフォームの構築」)

今年度メル・プラッツは、「コミュニティからメディアを問う」という年間テーマを設定し、公開研究会を企画していくことになりました。いよいよはっきりと目に見えるようになってきたマスメディアの危機、新たなメディアをとりまく混沌とした状況――、市民のメディア表現や実践活動の位置づけは、いままさに転換期を迎えているといえます。

「コミュニティ」は、こうした環境の中でメディアと私たちの関係の再構築という課題に向き合うとき、必ずといっていいほど耳にする言葉になりました。しかしこの言葉にどのようなイメージを抱くかは人それぞれです。マスメディアの対極にあるもの、地域社会やリアルな人々の集い、ネットが生み出したさまざまなサービス......。その本質は一体なんなのか、どのような意味でその可能性に期待すべきなのか――残念ながら、どちらかといえば「マジックワード」的に用いられているこの語の内実が、十分な論議にさらされてきたとはいえません。

そこで2010年度のメル・プラッツは、メディア社会の動向や、各地で行われているさまざまな分野の実践の意義を、この「コミュニティ」という視点から問い直していこうと思います。その第一弾が、5月8日(土)の第19回公開研究会です。

テーマは「コミュニティをつなぐテクノロジー」。

この3月5日~7日の三日間、東京大学福武ホールで開催されたメルエキスポ2010には、全国各地および中国で実践を行ってきた51の出展者が集いました。今回は特に、パネル展示やプレゼンテーションを行うだけでなく、出展者同士の出会い、交流を生み出す「祝祭的」な場づくりを目指しました。そこで出展者の「知(ナレッジ)」をアーカイブ化したうえでその位置どりや相互の関係性を可視化するシステム「ネビュラ」を導入。エキスポ向けにこのシステムをチューンし、交流の仲介役として活用する実験的なワークショップを行いました(※「ネビュラ」は「星雲」という意味)。

今回の公開研究会では、この「ネビュラ・エキスポバージョン」を、参加者の声をデータに加えてさらにバージョンアップ。システムの構想から活用、フィードバックまでの一連のプロセスをご紹介し、実践のフィールドとなる人間的な営み(文化システム)とデジタル・テクノロジーが相互に育っていく関係とは何かを考えていきます――特に後半のディスカッションでは、単に「ネビュラ」をどう評価するかにとどまらず、マスメディア・システムの崩壊や、ツイッターなどに代表される新しいウェブ・トレンドを、コミュニティの問題やそれを支えるコミュケーション・デザインの観点からどのように捉えていくべきか、話し合っていきたいと思います。

■プログラム
 14:00-14:15 「2010年度のメル・プラッツ」
   ・伊藤昌亮(愛知淑徳大学/メル・プラッツ2010オーガナイザー)
 14:15-15:30 「メルエキスポをつないだシステム:ネビュラ」
   「ネビュラ」エキスポバージョン・プロジェクトチーム
   ・水島久光(東海大学/メル・プラッツ運営メンバー)
   ・沼晃介(東京大学/メディア・エクスプリモ・メンバー)
 15:40-16:40 ディスカッション1「ネビュラに向けていくつかの視角から」
   ・田中克明(東京大学先端科学技術研究センター特任助教)
   ・橋本大也(データセクション株式会社/デジタルハリウッド大学)
   ・堤智久(ローカル・ビズカフェ幹事/「つたえびと2」編集長)
 16:50-17:50 ディスカッション2「コミュニティとテクノロジーの関係をめぐって」
   ・ 田中克明+橋本大也+堤智久+水島久光 司会:伊藤昌亮

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※事前に申し込みは必要ありません。
※お問い合わせ先
メル・プラッツ事務局<2010@mellplatz.net>
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月桃夜

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・月桃夜
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文学好きの友人がTwitterで 「大也さんが薦めてたので読んでみた。恒川光太郎「雷の季節の終わりに」面白かった。よくこんな難しい設定をこんなに少ないコトバで語れるなと関心した。」とつぶやいていたのを見た。

恒川光太郎「雷の季節の終わりに」
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004801.html

私がこの本を紹介したのは2006年のことであり、今頃読んだのかよ遅すぎだよと思う反面、おすすめした小説がほめられるととてもうれしい。おすすめしたノンフィクションや実用書がほめられるよりも数倍うれしい感じだ。文学趣味をほめられると全人格を肯定されたような気持ちになれる(勝手にですがね)から、なのだろう。

で、私が彼に言いたいのは最近のファンタジー作品では「月桃夜」(遠田潤子)が素晴らしいから無条件に読んでくれたまえということである。絶対損はさせないはずである。

「想いは人知れず、この世の終わりまで滾り立つ―。死んでもいいと海を漂う茉莉香に、虚空を彷徨う大鷲が語りかける。熱く狂おしい兄の想いを、お前はなかったことにできるのか?かつて二百年前の奄美にも、許されぬ愛を望んだ兄妹がいた...。苛酷な階級社会で奴隷に生まれた少年は、やがて愛することを知り、運命に抗うことを決意する。第21回「日本ファンタジーノベル大賞」大賞受賞作。 」

海で生死の境を漂う女の前に、二百年前に生きた男の化身である大鷲が舞い降りる。現実世界の「海のはなし」と異世界「島のはなし」が交互に出てくる構成が巧妙な、境界線上のファンタジー。とても悲しくて、とても美しい物語。無条件に読んでくれと言った手前、あまり詳しく語りたくないのでこのへんにしときますが、大変おすすめ。

下記のセミナーを企画しました。当日はナビゲーターをつとめます。 よろしくお願いします。

電子書籍セミナー
お申込みは下記URLからどうぞ
http://www.ovallink.jp/event/digital_publish.html

電子書籍元年ともいわれる2010年。iPhoneOS4.0、iPad、Kindle、Xperia...新しい情報端末が次々に発表されています。そしてネットからはBlog、Twitter、uStream、セカイカメラなど新しいメディアが勃興しています。

本セミナーは2010年代のメディアの進化を、多様な視点から眺め、議論する連続イベントです(4月~7月、全4回)。出版社、雑誌社、新聞社の経営者、営業マン、編集者。本の著者、読者、書店、取次。ソーシャルメディアの担い手としてのブロガー、ネット映像プロデューサー、そして電子書籍端末や携帯電話の開発者やコンテンツパブリッシャーなど、今、変化に関わる各界のオピニオンリーダーたちに、語っていただきます。

ナビゲーター:
KandaNewsNetwork 神田敏晶氏
OvalLink 代表 橋本大也氏

講演者:
柴田よしき氏(作家)
松浦 晋也氏(ジャーナリスト)
鈴木一人氏(編集者)

各自が20分ずつ講演者の自身のポジションから「次世代メディア」について注目や視点をご講演いただき、その後1時間程度の全員参加のパネルディスカッションを行う予定です。
■日時:2010年4月26日(月)、19:45開場(20:00開演)
■場所:デジタルハリウッド大学、メインキャンパス(秋葉原・ダイビル7F)
千代田区外神田1-18-13秋葉原ダイビル7階
http://www.dhw.ac.jp/access/
■定員:100名
■会費:3000円、デジハリの学生さんは無料
■参加方法:下記お申し込みフォームより登録してください。どなたでも参加できます。
■主催:先端研究集団オーバルリンク


【参加者のプロフィール】
柴田よしき氏
http://www.shibatay.com/
被服会社、病院、出版社等に勤務し、結婚、出産の後に退職、子育てのかたわら小説を書くようになる。1995年、『RIKO -女神(ヴィーナス)の永遠』で第15回横溝正史賞(現在の横溝正史ミステリ大賞)を受賞してデビュー。その作風は多彩で、前出の作品を初めとする警察小説シリーズ、『RIKO シリーズ』等、いわゆる女探偵ハードボイルド系統に近いものから、『猫探偵正太郎シリーズ』等、コージー・ミステリの枠に入るもの、SF、ホラーまで幅広い。

松浦 晋也氏
http://smatsu.air-nifty.com/
日本のノンフィクション作家、科学ジャーナリストである。東京都出身。宇宙作家クラブ会員。慶應義塾大学理工学部卒業、同大学院メディア・政策科学研究科修了。日経BP社にて、機械工学、宇宙開発、パソコン。通信・放送などの専門媒体で、取材と執筆を経験。2000年に独立し、主に航空宇宙分野での取材・執筆活動に入る。

鈴木一人氏
http://www.kobunsha.com/
http://twitter.com/dorobohitori
文芸編集者。光文社文芸図書編集部所属。静岡県出身。明治大学文学部卒。主に国内ミステリ作家を中心に担当。

神田敏晶氏
http://www.knn.com/
ジャーナリスト。Macintosh系フリーペーパーの編集長等を経て、1995年に世界で一番小さなデジタル放送局「KNN(KandaNewsNetwork)」 を起業。執筆、講演活動も精力的にこなす。関西大学講師、デジタルハリウッド講師、宣伝会議「編集・ライター養成講座」講師としても活躍。著書に「Web2.0でビジネスが変わる」「You Tube革命」「ウェブ3.0型社会」「Twitter革命」等。

橋本大也氏
http://www.ringolab.com/note/daiya/
オーバルリンク代表。データセクション株式会社取締役会長。起業家、ブロガー。デジタルハリウッド大学教授。多摩大学大学院客員教授、早稲田情報技術研究所取締役などをつとめる。著書に「情報力」(翔泳社)「Web時代の羅針盤213冊」(主婦と生活社)「アクセスを増やすホームページ革命術」(毎日コミュニケーションズ)などがある。

電子書籍セミナー お申込みは下記URLからどうぞ http://www.ovallink.jp/event/digital_publish.html

・REMIX ハイブリッド経済で栄える文化と商業のあり方
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ローレンス・レッシグが語る新しい文化と商業の理想形。

レッシグは2つの文化を定義する。

RW文化 リードライト文化  多数の人たちがプロ・アマともに文化創造に参加する
RO文化 リードオンリー文化 多数の人たちはただプロのコンテンツを消費するだけ

RW文化に象徴的なのは既存のプロの楽曲をアレンジするリミックス音楽だ。リミックスは新たな作品と価値をつくりだす再創造行為だが、現行の著作権法の枠組みでは違法になってしまう。YouTubeやFlickrなどWeb上のユーザー参加型コンテンツも、無断で権利作品を使用したものが多くあって、著作権法的にはアウトと判断されてしまう。

何十年も前の文化や商業の実態に合わせて作られた著作権法が、現代の実態に合わなくなっており、このままでは、大多数の若者たちを犯罪者扱いすることになるし、再創造の文化発展を阻害することになってしまうとして、著作権法の新しいあり方、考え方を提唱する。特にアマチュアの創造に対する規制を緩めよという。

レッシグは、お金を核として価値を作る商業経済と、お金を無視して価値を作る共有経済のリミックス=ハイブリッド経済こそ未来の可能性だと話す。ハイブリッド経済はクレイグリストやFlickrやYoutubeのようなコミュニティ空間、WikiaやSlashdotのように協力してメディアを作り上げる協働空間、あるいはコミュニティそのもののような形をとる。コミュニティによる文化創造と、その基盤を持続可能にする経済活動(多くは企業が担う)が幸福な形で両立するのが未来だという。

「ハイブリッドをつくるあらゆる企業は、ずばり同じ問題に直面する。自分の仕事や期待する利益を、コミュニティを怖がらせない形でどうやって述べるか。「相互ただ乗り」がポイントになるだろう。少なくとも双方にとっての価値がもっと明確にできるのであれば。」

たとえばFlickrやYoutubeでコミュニティの運営企業が丸儲けで、参加者がまるで小作人のような意識になると、このモデルはうまくいかなくなる。参加者に公平だと思われることがハイブリッドのバランスをとるカギになる。新しい経営者、新しいコミュニティーリーダーの資質の再定義が必要になってきたのだと思う。

・STEADTLER シルバーシリーズ 2mm芯シャープペンシル 925 25-20
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シャープペンというと普通は0.5mmくらいのまさに"シャープ"な芯を使う。あとで読み返すノートをきちんと取りたいときは、細くて尖った芯がいい。でも、スケッチブックに落書きをしながらアイデアを考えたいときには、太い芯をすららと滑らせた方が気持ちがいい。

STEADTLERの925 25-20は、ボディは製図用の「925 25」シリーズでありながら、平均的なボールペンの4倍の太さの2mm芯を使うシャープペンシルだ。これだとほぼ鉛筆と同じ太さである。

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それからネット系業界人としては、この、

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2.0という数字がたまらない。銀色の未来を描いている気がする。

2mm芯は使っているうちにシャープでなくなるため、芯削り器で細くしながら使うという方法もあるようだが、ラフケッチや発想メモなら、太さを楽しんでそのまま使うのがいいと思う。

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・マルス カーボン 2mmシャープ用芯 2B 200 E4-2B
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赤い替芯もあり、赤シャープペンシルにもなる。

・殉教 日本人は何を信仰したか
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「日本における殉教のあり方は、世界のどこにもない特殊なものである。ローマ時代、キリスト教徒が迫害された時代は別として、わずか二十数年という短期間に確実に四千人を超える大量の殉教者が出たことは稀である(松田穀一「日本切支丹と殉教」)。特に日本における殉教は、後述するようにいかなる勧誘にも拷問にも屈せず行われた点で、特筆すべきものだと思われる。」

江戸時代のキリスト教弾圧は有名だが、実際には内面の信仰を厳しく問うわけではなく、表向き信仰を捨てたふりをすれば容易に許される程度のものだったそうだ。しかしキリシタンたちは、迫害されて死ねば天国に行けると信じて、敢えて役人が管理するキリシタン名簿に載りたがり、捕まると進んで信仰を告白し、厳しい拷問にも屈せずに死んでいった。

著者はキリシタン弾圧の実態を史料を読み解くことで、当時の政治的社会的な背景や実際にとられた政策を明らかにしていく。また日本で殉教のイメージを広めたキリスト教徒作家の遠藤周作「沈黙」の、フィクション的な歴史認識の偏りを正していく。なぜ死を賭してまで当時の日本人信者は信仰に固執したのか。

ひとつにはキリシタンになった武士たちにとって、潔く死ぬ殉教の精神は、武士一般のメンタリティの延長線上にあったのではないかという。迫害の張本人である家康は、取り調べで信仰を捨てた家臣を褒めるのではなく「臆病で卑怯な者」と非難したこともあったそうだ。武士道と信仰は、何かのために死ぬことに価値を見出す点で似ている。だから信仰を捨てることは武士を捨てることと考えられていた節がある。

それから著者は、刑場で信者たちが殉教者の遺体を集めて持ち帰り、聖遺物として崇めたという事実に注目した。ヨーロッパの民衆も同じように聖遺物を信仰していたが、それまでの日本人の感性では遺体は穢れであって、信仰の対象になどならなかった。この事実は内面の奥深くまでキリスト教化が進んでいたことを現すと同時に、絶対者キリストではなく、その使徒や殉教者を崇める多神教化としてとらえることもできる。土俗信仰が氏神をまつっていたように、キリシタンたちは聖人や殉教者を自然に信仰対象にしたのだと考えられる。信仰が当初の大名・武士から、民衆へと広まるにつれて、西洋世界と同じように卑俗化が進んだことがわかる。

イエズス会から派遣された外国人宣教師たちがおかれた複雑な立場にはドラマも多かった。危険を冒して日本に入り、日本人信者と一緒に捕まって死んでいく。キリシタンの信仰生活において宣教師の影響は非常に大きい。

受け入れ素地としての武士的エートスの存在と、キリスト教教義の魅力、生命を賭けて伝道する打算のない宣教師たちの姿が、当時の日本人を深い信仰に導き、自発的な殉教を選ばせるまでに深化させたというのが本書の結論である。

過酷な拷問や凄惨な殺戮の様子が多く紹介されている。信仰を棄てるといえばすぐに許されるのに、敢えて死にに行く。人が「○○のために死ぬ」というとき、○○にはリアルなものより、「神」「正義」「愛」のようにバーチャルなものが入るものなのだなあ、としみじみ思った。バーチャルなものは人間にとって何より大切であると同時に、とても危険なものなのだ。

・切腹
http://www.ringolab.com/note/daiya/2004/10/o.html
同じ著者による。こちらも抜群に面白い。

・機動戦士ガンダム アッガイ北米横断2250マイル
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アッガイ操縦士の兄弟が、連邦軍の追撃を受けて撤退するジオン軍のしんがりを引き受ける。カリフォルニアベースを目指して水陸両用MSのはずのアッガイが徒歩で北米大陸を横断するロードムービー的な漫画。絵はシリアスだがネタはギャグというちぐはぐさがいい味を出している。

負け戦。

二機のアッガイの背中の悲哀がたまらない。

書店でこのマンガを見つけた時、やっぱりアッガイに特別な思い入れをもつ人って多いんだなとうれしくなった。私がガンプラを再開したときにまず選んだのがアッガイだった。登場回数は少ないし大した活躍もなかったが、哀愁漂う体育座りポーズで、記録より記憶に残る名機。

30周年記念でクリアパーツ付きのMGが発売になった。

・MG 1/100 アッガイ (限定クリアパーツ付き)
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パーカーもあって、自分がアッガイになることも。なりたいわけではないが。

・【機動戦士ガンダム】アッガイ パーカー サイズ:L / BROWN
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アッガイいいなあ。

・愛蔵版 機動戦士ガンダム THE ORIGIN V シャア・セイラ編
http://www.ringolab.com/note/daiya/2010/01/-the-origin-v.html

・MG 1/100 ゴッグ MSM-03
http://www.ringolab.com/note/daiya/2010/01/mg-1100-msm03.html

・ラーメンズ・片桐仁のガンプラ戦士ジンダム
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/06/post-1007.html

・ザク大事典 All about ZAKU
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/03/-all-about-zaku.html

・MG 1/100 ズゴック MSM-07と愛蔵版 機動戦士ガンダム THE ORIGIN IV ジャブロー編
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/01/mg-1100-msm07-the-origin-iv.html

・HGUC 1/144 MSM-10 ゾックと機動戦士ガンダムTHE ORIGIN
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/02/hguc-1144-msm10-the-origin.html

・機動戦士ガンダム THE ORIGIN、MGアッガイ、ターゲット イン サイト
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/01/the-originmg.html

・ガンプラ・パッケージアートコレクション
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/08/post-820.html

・俺たちのガンダム・ビジネス
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/11/post-662.html

・ガンダム・モデル進化論
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003091.html

・テルマエ・ロマエ
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これは非常に面白い漫画だ。

表紙と題名からは想像もつかない内容。

テーマは「風呂」。

古代ローマ帝国華やかなりしころ、市民の憩いの場として人気の公衆浴場の底が、現代日本の銭湯や温泉、家庭の風呂桶の底と、時空を超えてつながってしまう。荒唐無稽な設定だが、「へうげもの」みたいな比較文化論の深み、おもしろさがある。

主人公のルシウスは公衆浴場を設計する技師で、なぜか風呂に入るたびに現代にワープしてしまう体質を持つ。日本の銭湯体験に感動して、ローマ風呂の壁にヴェスビオス火山を描いたり、風呂上がりのフルーツ牛乳をつくってみたりして、ローマの人々を喜ばせる

日本ではあたりまえの風呂周り、水周りの技術や文化が、古代ローマでは斬新なイノベーションになる。ルシウスの評判はやがてローマ皇帝ハドリアヌスの耳にまで届き、ルシウス技師の風呂設計は国の行く末を左右しかねない大仕事となっていく(かどうかは、1巻のみなのでよくわからないが...)。

毎話、ああ日本の風呂文化って本当に素晴らしいのだなと再認識させられる。著者はポルトガル在住の女性で画家、夫はイタリア人の歴史家だそうだ。こんなニッチなテーマで連作できる人は世界にこの人しかいないだろう。

「平たい顔族」日本人のお風呂文化礼賛の書である。英語に翻訳して海外で売ったら、どういう反応が返ってくるのだろうか、これ。マンガ大賞2010年度の大賞受賞作。

・マンガ大賞
http://www.mangataisho.com/

・努力しない生き方
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20年間無敗の雀鬼 桜井章一の語る人生哲学。努力と書いて「努めて力まない」ととく、そのココロは?。ポジティブシンキング、ロジカルシンキング、クリティカルシンキング全部試したけどダメ、肌に合わないよっていう人は、この本でうまくいくかもしれない。

「この本では「努力する」「求める」「つくる」といった足し算へと向かうさまざまな発想や行為を俎上に載せている。そしてそれらがどれだけ無理で不自然なものを孕んでいるか、それゆえ破綻しやすく、かつ人生に対していかに破滅的なものになりうるかを述べたつもりである。」

確かにどんな分野でも達人の極意は、いかに力を入れないか、にある。

「つまり、麻雀にせよ、何にしろ、そこにあったのはいつも「努力」ではなく「工夫」だったと思う。「工夫」があれば何事も楽しくできるのだ。「努力」をしようとすればかならず余計な力が入る。練習して上達を続けるには力が入っていてはダメだ。」

努力の嘘っぽさが嫌いだと著者ははっきり言う。

この本の中身は、持たない、得ない、壁を超えない、頑張らない、悟らない、満たさない、才能を磨かない、覚えない、急がない、意味を求めない、計算しない、集中しない、育てない、など数十の「○○しない」ノウハウの集積だ。しかし、姿勢はちっともネガティブでもニヒリズムでもない。ポジティブでもネガティブでもなくて、しなやかな生き方論なのだ。

「私は道場で「勝つ」ことを求めず、「負けない」気持ちでやれと言っている。「勝つ」は人がつくりだす欲望だが、「負けない」は野生の動物がもっているような本能に近いところからくるものだ。」

自然に潜在能力を引き出すための方法論として、努力しない、があるわけだ。目標は前にではなくて、両脇に置くような感覚がいいという。目指したら負けなんだよ、と。

でも、努力しないだけじゃダメ人間じゃないの?いやいや違うのだ。伝説の勝負師である著者には数々の修羅場体験がある。そして自ら好んでサメの海に入ることを楽しむ。生命の危険と隣り合わせになることで本能的な生きる力を引き出しているのだ。努力しない生き方は何もしない生き方とはまったく違う、デンジャラスなにおいを感じた。

勝間でも香山でもないオルタナティブな方法論が桜井にはある。

・機長の「集中術」
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わかりやすい極意の書だ。

「集中力がスキルである以上、テクニカルスキルと同様に、目的意識の強さ、教育、訓練、努力、工夫、習慣などによって、いくらでも何歳になっても伸ばすことができるのです。」

著者は日本航空で常務歴42年の元機長。総飛行時間1万8500時間(地球800周相当)。引退まで一度も病気で休んだり自己都合でスケジュールを変更したことがなく、この4月、63歳まで現役で機長を務めた。日本航空の国際路線すべてを飛んだ伝説的パイロットが語る集中力発揮の方法論。

集中力とは捨てる技術だという。自分が好きなこと、やりたいこと、やるべきことに集中し、それ以外をいかに捨てるかが重要だという。具体的に著者は長年のパイロット生活においてどう心がけてきたかを教えている。

「パイロットが一般の職業に比べて、集中力の発揮の仕方がうまい、スゴイと言われるのは、数百名の尊い生命をあずかっている、という使命感があることはもちろんですが、常に時間というものを意識して仕事をしていることも、大きな要因のひとつです。 そしてフライトに関わるすべての業務を、出発の時間、あるいは到着の時間から逆算して、それぞれの仕事、手順、操作、打ち合わせなどに時間の制限をつけて実施しているのです。 このように、一般の仕事でも常に時間を意識して実施すれば、必然的に、集中力を発揮せざるを得なくなります。」

とても思い当たることがひとつある。私は普通の人よりも多くの本を読むから、しばしば「どうやったら本を速く読めますか?」という質問をいただく。答えは簡単で、30分おきに何ページ読めたかをチェックすれば自然と速くなる。速読メソッドなんて不要で、人は文字を速く読もうと意識すれば、少なくとも意識しているうちは速く読めるものだ。そのうち忘れて遅くなるので、一定間隔で読み進めたページ数を確認すれば、それだけで何割かは速くなる。私の場合は電車内での読書が中心なので、時間内に何ページ読めるかが特に重要なのだ。

また「間」の使い方にもパイロットならではの秘訣がある。

「ノーマル・オペレーション(通常操作)では、「間」をとりながら、ひとつひとつ確実に操作をしていくことに、注意力・集中力を使っています。トラブルや緊急事態が発生した場合は、逆に迅速に対応しないと、手遅れになってしまいます。このように、「平時においては、ちょっと『間』をとり、緊急時には迅速な対応」が「間」のとり方のポイントです。」

著者はアスリートのような一瞬の集中力と同時に、長時間にわたる持続的な集中力も常に意識している。小さなことを見逃さない注意と、本質と重要度を見極める注意を同時に持つことも重要視している。虫の眼、鳥の眼、魚の眼、心眼の4つの眼をバランスよく使うことが大事だと説く。

著者の話す秘訣は、当たり前に聞こえるものが多い。だが42年間、人命を預かって飛行機を運航してきた機長の実績は重い。長期間にわたって高い集中力を発揮してきた達人の振り返りの言葉はまさに金言であると思う。日常の中で自己の集中力を客観的にコントロールすることが、仕事や人生を大きく変えうるということに気がつかされる。

・集中力
http://www.ringolab.com/note/daiya/2004/03/post-64.html

・<就活>廃止論 と 4月20日開催 早稲田大学キャリアサポートセミナー
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仲の良かった学生が就職活動をする姿を見ると、悲しくなることがある。あんなに活き活きとしていた若者が、慣れないリクルートスーツを着て、借りてきた猫のように、行儀よくしている。覇気や活力が見えなくなる。業界の大物でもなんでもないタダの面接官を前にして、それまでの生き方や能力を試される。一斉試験とあわただしい面接でわかることなんてわずかだ。私が知っているその学生の良いところを面接官は引き出す能力があるだろうか?。面接官の資質の方を私は疑いたくなる。

「ワン・トゥー・ワンマーケティング」と呼ばれる、ターゲットを絞り、ターゲットに合わせたアプローチをとる手法が一般商品のマーケティングの世界では当たり前になっているのに、新卒採用業界ではいまだにマスマーケティングが主流だ。企業と学生の間に入る採用支援の業者にとって「たくさん集めて、たくさん落とす」手法のほうがお金になるので、巧みに真実が隠されているのだ。」

学生の就職支援、企業の採用支援を行うジョブウェブ社長の著者は、終身雇用、年功序列と一体だった新卒一括定期採用は、世界でも異例であり、その前提が崩れた今や時代に合わなくなっているから止めるべきだと提言する。

こんな大胆な提案をしている。

提案1 「選考試験」は大学一年生からスタート
提案2 優秀者には複数年入社パスを発行
提案3 学生の入社意思表示は大学四年の十月に
提案4 選考試験フィードバックの実施
提案5 新卒通年採用、毎月入社

そして理想的な就職の在り方として技術系学生のモデルを紹介して、インターンシップの導入をすすめている。

「たとえば、技術系学生の就職を考えてみればよい。技術系学生の生活は基本的に研究室を単位に成り立っており、研究室はその先生が持つ技術と関連の深い企業と非常に密接な連携を保っている。それはもちろん就職のためにそうしているわけではなく、研究・教育活動というものが、企業社会の動向と切り離すことができないからそうなっているのである。学生たちは先生や卒業生との関係を前提に、そうした関係の深い企業に就職していく例が多い。」

優秀な学生をとるには「行動原理の有無」をみろという。学生を採用する企業の面接官にとってのポイントも学べて、大変勉強になった。

さて、同窓生であったこの本の著者の佐藤幸治さんのプロデュースで早稲田大学にて学生向けに下記イベントに出演することになりました。早稲田大学にご縁のある方はぜひご参加ください。

・キャリアサポートセミナー 第一弾(トークセッション)
http://www.waseda.jp/career/event/2010/4-20.htm
・早稲田大学キャリアサポートセミナー第一弾
http://koji.jobweb.jp/?p=4131


=================以下は告知です。


キャリアサポートセミナーでは複数のスピーカーをお招きし、「学生時代を如何に過ごし自分を作ってきたか」についてご自身の体験談や考え方をトークセッションや講演会の形で語ってもらい、その上で、各分野においての今の生き様を披露してもらいます。

第一弾 トークセッション
本学OB(一部他大出身者含む)の方々が各日のテーマに基いて行うトークセッションです。

■1日目 4/20(火)「インターネットの可能性」早稲田大学
国際会議場 井深ホール(定員400名)16:30~18:00
<スピーカー>津田大介氏
IT・音楽ジャーナリスト。本学社会科学部卒業。2002年、個人運営のニュースサイト「音楽配信メモ」を立ち上げる。『Twitter社会論 - 新たなリアルタイム・ウェブの潮流』『仕事で差がつくすごいグーグル術』等の著者。

<スピーカー>橋本大也氏
データセクション株式会社取締役会長。早稲田情報技術研究所取締役。本学在学中に「アクセス向上委員会」を立ち上げビジネスを開始。ITビジネス全般の技術評価及びマーケティング戦略のコンサルタントとして活躍。主な著書『情報力』『情報考学--WEB時代の羅針盤 213冊』。


<トークセッションイメージ(案)>
(1)いま、どんな活動をされていますか。(自己紹介)
(2)学生時代はどんなことをしていましたか。
(3)今の自分につながるターニングポイントはありますか?
(4)学生時代を充実するためのネットをどのように活用すべきでしょうか。
(5)今、変えなくてはいけないと思っている世の中の問題ってなんでしょうか。
(6)学生からの質疑
(7)これから、どんなことをして行きたいと思っていますか?
(8)学生へのメッセージ

・Atomic Floyd HiDefDrum AcousticSteel SAF-EP-000005
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昨年の検索会議でヤフーさんからプレゼントとして頂いた英国の高級イヤホン Atomic Floyd。

・Atomic Floyd
http://www.focal.co.jp/product/atomicfloyd/index.html

私はこれまでiPod付属やソニーの数千円のイヤホンを使ってきたが、これを使ってしみじみ、さすが本格的な製品は違うのだなと感動。見違えるほどキレイという言葉があるが、これは聞き違えるほどキレイ。高級イヤホン万才。

透明な女性ボーカルや広がりのあるクラシック音楽をくと違いがよくわかる。高級AVマニアにとっては、これでもエントリレベル製品なのかもしれないが、一般人にとってはかなりイノベイティブな違いなのである。

インナータイプなので耳の中で音が鳴る。耳の形との相性もあるだろうが、インナータイプにも関わらず耳の中での違和感がない。耳の奥でクリアに音が響く。

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4ヶ月ほどほぼ毎日愛用。心配なのは、これが壊れちゃったらどうしようか、ということである。この高音質からは元に戻れない気がする。ということは、今後もハイエンドイヤホンを買い続けるしかないのだろうか。

・フォーカル、英Atomic Floydのイヤフォン5モデル -カナル型や耳掛け型。iPhone/iPod対応も
http://av.watch.impress.co.jp/docs/news/20091027_324625.html

・数学は最善世界の夢を見るか?――最小作用の原理から最適化理論へ
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18世紀中頃、ベルリン科学アカデミーの院長モーペルテュイは観察から

「自然の中に何らかの変化を引き起こすのに必要な作用の量は可能なかぎり小さい」

という原理を発見した。自然現象には無駄がない。最も単純な道を通って効果を生む。たとえば光は屈折させても点ABCの間の最短距離を進んでいくように見える。光は無駄な経路を避けて作用量を最小に節約しようと心がけているのだと結論した。世界は合理的に作られている。そこに世界の創造主としての神の叡智をみた。

我々が生きているこの世界は、ありえたかもしれない世界の中で、最も好ましい世界、最善世界である。ガリレオもライプニッツもこの世界は神によって創られたと信じていた。科学者の役割は神が創造をおこなうときに従ったルールを、人間が再発見することにほかならなかった。あらゆる自然法則を貫く最小作用の原理はキリスト教世界の形而上学と物理学を統一する大理論だとモーペルテュイは唱えた。

後に、最小作用の原理は数学的にも物理学的にも誤っていることが発見される。実現可能な一経路は、最小でもなく最大でもなく、アップダウンのある山上りの途中の峠のような停留ポイントに落ち着くと考える(停留作用の原理。)のが正しいことがわかった。

モーペルテュイの最小作用の原理は科学的には誤っていたわけだが、自然のはたらきには無駄がないという思想は、日常の経験的には共感しやすいものだと感じる。だから400年以上にわたって根強く残ってきた歴史がある。そして神と善の概念が切り離されても、現代社会の最適化の原理=最善の原理という考え方に通じるものだ。つまり現代では経済合理性が神になったということなのだろう。「神の見えざる手」というし。

力学と幾何学の関係性の本でもある。ビリヤード玉の運動モデルを使って、可積分系から非可積分系への移行、計算から幾何への移行とカオス状態の意味を説明する。ビリヤードの単純な運動モデルが、少し条件をひねっただけで、単純な計算が不能な、幾何的モデルに変貌していくのが面白い。

後半では最適化の精神を生物学、経済学、社会学の話題として展開していく。我々人間は理性を使って最善世界をどうつくるべきなのかという話になる。たどりつくのはデカルトの「仮のモラル」とにたもの。

「特定の理論を絶対視せず、科学が進歩してそれが使えなくなったら、新しい理論に乗りかえるように、よりよいモラルが見つかるまでの間、いわば「当面のモラル」でやっていくのだ。いいかえると、科学だけでなくモラルにおいても、わたしたちはすべてを包含する決定的な真理には到達していない。」。

著者は考えられる限り、これが一番賢明な方法じゃないかという。合理的精神と科学の方法論こそ最善であるという科学者の強い意見表明で終わる。合理性信仰の流れを肯定的にまとめた400年間の歴史書だ。

・スティッキー&スウィート・ツアーCD+DVD
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日本にはこなかった2008年のマドンナの「スティッキー&スウィート・ツアー」のDVDとCDセット。DVDにはワールドツアー中で最も盛り上がったとされるブエノスアイレス公演を収録。マドンナは13年前にアルゼンチンを訪れて、国民的なヒロインの元大統領夫人エバ・ペロンの生涯を描いた映画『エビータ』を主演し、アカデミー賞を受賞している。

映画のクライマックスで使われた「Don't Cry For Me Argentina」をタメもたっぷりに歌い上げるマドンナの姿に6万人のアルゼンチン人が涙を流して喜んでいる。私もこの映画が大好きだったので、アルゼンチン人じゃないけれども、その気分になってえらく感動。劇団四季の『エビータ』も見に行こうかな...。

マドンナ(51)の鍛え上げられた肉体と、妥協のない圧倒的なパフォーマンス。

ヴォーグ 2008 、ダイ・アナザー・デイ 2008 、MUSIC 2008、イントゥ・ザ・グルーヴ 2008、ライク・ア・プレイヤー 2008 のように、大ヒット定番曲もそのままではやらない。換骨奪胎して現代風のアレンジを仕掛けている。こういうのって他のアーティストでは「原曲のほうがよかった」なんてことが多いが、マドンナの場合、どれも原曲を超える凄みや新たなグルーブ感が加わっていて、CDでも聴きこめるものになっている(CDは一部の楽曲のみだが)。ロックになった「ボーダーライン」いいなあ。マドンナの進化は止まらないことが実感できる。

DVDは2時間半の素晴らしい映像と録音。音楽と完璧にシンクロした映像編集があって、テレビの前で踊りたくなってしまう。マドンナは「ラ・イスラ・ボニータ 」などもともとラテン系のノリが得意に思えるが、14曲目「スパニッシュ・レッスン 」から20曲目「ドント・クライ・フォー・ミー・アルゼンチーナ 」までの客席を巻き込んだ流れは、アルゼンチン公演ならではの素晴らしさ。

アンコール1曲目、アカペラの『ライク・ア・ヴァージン』はファンは泣いちゃうかもしれない。そして公演終盤になると声が枯れちゃう日本人アーティストと違って、余裕の最高潮でコンサートを終えるマドンナのプロ魂にしびれてエンディングロールを迎える。

アイム・ゴーイング・トゥ・テル・ユー・ア・シークレット
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/09/post-453.html

コンサートDVDの曲目は以下の通り。

・交響組曲「ドラゴンクエストIX」星空の守り人
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ドラゴンクエスト9の交響組曲版。

プレイした人向け。耳になじんだゲーム楽曲が、オーケストラで壮大な感じで演奏されています。今回はテーマをアレンジしたラスボス用BGM「決戦の時」がよかったなあ。

先日「すぎやまこういちと東京メトロポリタン・ブラス・クインテット」コンサートに子供を連れて行ってきました。

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金管五重奏による「ドラゴンクエスト9」の演奏がメインで司会にすぎやまこういち氏ご自身が登場。すぎやま氏自身のドラクエのはまりぶりも披露しておりドラゴンクエスト6は「クリア後の裏ダンジョンのボスを2ターンで倒せる」レベルなのだとか。すごい。

演奏は金管楽器だけでドラクエ音楽を再現するのが素晴らしい。「王宮のオーボエ」なんてオーボエがいないのにやっちゃうんですねえ。アンコールは期待通りのサンディのテーマで締めて異様に盛り上がっておりました。

ドラクエのコンサートとはいえなぜか子供はほとんどいません。大人ばかりであちこちで開演前と休憩中にDSを開いています。カップルも多い。年配者も多い。あなた方はどういう客層なのですか?と聞いてみたくなりましたがコンサートは満員御礼状態。

結局、この現場でドラクエ9のすれちがい通信が60人、ドラクエ6のすれちがい通信が20人もつかまえることができました。マイナーなドラクエ6がこれだけ釣れるのは他にはルイーダの酒場くらいかも。

親子で楽しめるドラクエコンサートはすぎやまこういち氏のサイトで情報がアップデートされています。

・すぎやまこういちの世界
http://sugimania.com/

・ドラゴンクエストIX 星空の守り人 オリジナルサウンドトラック [Limited Edition]
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/08/ix-limited-edition.html

・ドラゴンクエスト スライムスピーカースタンド
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/07/post-1039.html

ドラゴンクエストIX 星空の守り人 と 東京ディズニーリゾート便利帖
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/07/ix.html

・教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ
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日本人の大卒のほとんどは企業へ進むはずなのに、大学では職業のことはほとんど教えない。就職では地頭がよくて<適応>する素直な若者が好まれた。企業は採用に当たっては個人の能力ではなくて「潜在能力」を基準としてきた。高度経済成長期には企業が職業教育を丸抱えしたので、それでもなんとかなっていた。しかし「日本的雇用」が後退する中で、職業能力を形成することができなかった学生たちが非正規社員、不安定な雇用、低賃金にあえぐことになった。だが彼らは不当な扱いに抗議する<抵抗>の術も教わっていなかった。

日本は高等教育の職業コースに進む人が少ないというデータが紹介されている。日本の後期中等教育(主に高校をさす)では、普通教育コース在学者比率が75%に達しているが、OECD加盟国平均では同比率は50%程度。他国ではほぼ半数の生徒が職業に関連するコースを学んでいるのに対して日本では四分の一にとどまっている。

こうした職業専門領域には「ビジネス・法律」「技術・建築」「農業」「サービス」「医療・福祉」「情報」「人文・芸術」などがあるが、ほぼすべての領域で日本は在学者が少ない。多くの学生は普通科に進み、進学のための選抜基準としての科目を学習する。どうしてこんなことを勉強しなければいけないのかと思う」比率が高校一年時で61%に及ぶそうである。(本書紹介のベネッセ教育研究開発センター調査)。

そして高校や大学を卒業した途端に「勤労観や職業観」を問われる。もっていなければおかしいとされる。だから一斉に自分探しとやりたいこと探しに追われて「自己実現アノミー」に陥る。

大学と企業がうまくつながっていないのは明らかだ。日本的雇用の終焉と不況によって、その齟齬が明らかになり、本書の言う「教育の職業的意義」をもう再考する必要がでてきたというのは本当だと思う。著者は重要なのは「柔軟な専門性」を身につけることだと結論している。

柔軟な専門性とは「弾性と開放性をもつ「暫定的な」職業的専門性を、「とりあえず」身につけること、そこを言わば基地として、隣接領域やより広範な領野への拡張を探索してゆくこと」。高校福祉科を出て福祉以外でその能力が活かせた例などが挙げられている。
プログラミングでも会計でも旋盤工作でも、専門技能をひとつ持つことから広がるというのは確かにいいアイデアな気がする。プロ意識も芽生える。企業のインターンシップや社会人の講義などがもっとあるべきだったと私も自分の受けた教育を振り返って感じている。

もちろん高等教育が職業教育に終始して就職予備校化するのは本末転倒である。この本がいうように、「金融の知識を与えると同時にマネーゲームがもたらす世界的な機器や不安定化をも伝え、いかにしてその危険を抑制しうるかについて考える。食品の加工・調理についての実践的スキルを教えるだけでなく、農産物や水産物と密接に関わる地球規模の環境問題や南北格差についても伝え、未来にわたる人類の持続可能性に関して考える」というあり方でなければならないわけではあるが。

大学では「教育の職業的意義」は常に議論が分かれる話題だ。しかし、この本の国際比較や実態研究を見る限りでは、もっともっと重視すべき話のように思える。

現代における教育の意義を考えるのにとても良い本。

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