殉教 日本人は何を信仰したか

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・殉教 日本人は何を信仰したか
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「日本における殉教のあり方は、世界のどこにもない特殊なものである。ローマ時代、キリスト教徒が迫害された時代は別として、わずか二十数年という短期間に確実に四千人を超える大量の殉教者が出たことは稀である(松田穀一「日本切支丹と殉教」)。特に日本における殉教は、後述するようにいかなる勧誘にも拷問にも屈せず行われた点で、特筆すべきものだと思われる。」

江戸時代のキリスト教弾圧は有名だが、実際には内面の信仰を厳しく問うわけではなく、表向き信仰を捨てたふりをすれば容易に許される程度のものだったそうだ。しかしキリシタンたちは、迫害されて死ねば天国に行けると信じて、敢えて役人が管理するキリシタン名簿に載りたがり、捕まると進んで信仰を告白し、厳しい拷問にも屈せずに死んでいった。

著者はキリシタン弾圧の実態を史料を読み解くことで、当時の政治的社会的な背景や実際にとられた政策を明らかにしていく。また日本で殉教のイメージを広めたキリスト教徒作家の遠藤周作「沈黙」の、フィクション的な歴史認識の偏りを正していく。なぜ死を賭してまで当時の日本人信者は信仰に固執したのか。

ひとつにはキリシタンになった武士たちにとって、潔く死ぬ殉教の精神は、武士一般のメンタリティの延長線上にあったのではないかという。迫害の張本人である家康は、取り調べで信仰を捨てた家臣を褒めるのではなく「臆病で卑怯な者」と非難したこともあったそうだ。武士道と信仰は、何かのために死ぬことに価値を見出す点で似ている。だから信仰を捨てることは武士を捨てることと考えられていた節がある。

それから著者は、刑場で信者たちが殉教者の遺体を集めて持ち帰り、聖遺物として崇めたという事実に注目した。ヨーロッパの民衆も同じように聖遺物を信仰していたが、それまでの日本人の感性では遺体は穢れであって、信仰の対象になどならなかった。この事実は内面の奥深くまでキリスト教化が進んでいたことを現すと同時に、絶対者キリストではなく、その使徒や殉教者を崇める多神教化としてとらえることもできる。土俗信仰が氏神をまつっていたように、キリシタンたちは聖人や殉教者を自然に信仰対象にしたのだと考えられる。信仰が当初の大名・武士から、民衆へと広まるにつれて、西洋世界と同じように卑俗化が進んだことがわかる。

イエズス会から派遣された外国人宣教師たちがおかれた複雑な立場にはドラマも多かった。危険を冒して日本に入り、日本人信者と一緒に捕まって死んでいく。キリシタンの信仰生活において宣教師の影響は非常に大きい。

受け入れ素地としての武士的エートスの存在と、キリスト教教義の魅力、生命を賭けて伝道する打算のない宣教師たちの姿が、当時の日本人を深い信仰に導き、自発的な殉教を選ばせるまでに深化させたというのが本書の結論である。

過酷な拷問や凄惨な殺戮の様子が多く紹介されている。信仰を棄てるといえばすぐに許されるのに、敢えて死にに行く。人が「○○のために死ぬ」というとき、○○にはリアルなものより、「神」「正義」「愛」のようにバーチャルなものが入るものなのだなあ、としみじみ思った。バーチャルなものは人間にとって何より大切であると同時に、とても危険なものなのだ。

・切腹
http://www.ringolab.com/note/daiya/2004/10/o.html
同じ著者による。こちらも抜群に面白い。

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このページは、daiyaが2010年4月11日 23:59に書いたブログ記事です。

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