2007年08月07日

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・群衆心理
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1895年に書かれた群衆心理学の古典。ル・ボンは、「これからは群衆の時代になる」と20世紀の展開を正しく予言した。すぐれた研究であるが故に、現実の独裁者にも参考にされ、ヒトラー、ムッソリーニ、レーニンらが好んで引用した本でもあった。

群衆は衝動的で、動揺、興奮しやすく、暗示を受けやすい。物事を軽々しく信じてしまう。指導者の言葉がうみだす心象(イマージュ)に操られてしまう、など、群衆の一般的性質と特殊的な性質、その原因を説明する。出版から100年以上が経過し、メディアやコミュニケーション手段はめざましく発達したが、群集心理の基本はここに書かれた状態とあまり変わってはいないようだ。

群集心理を操る指導者は言葉を巧みに選び、理性ではなく感情に訴えかけることで、抗いがたい心象(イマージュ)を人々の心の中に呼び起こす。断言、反復、感染というテクニックがその扇動効果を倍増させる。現代でも使われている選挙の公約や、社会運動メッセージの技術である。

「道理も議論もある種の言葉やある種の標語に対しては抵抗することができないであろう。群衆の前で、心をこめてそれらを口にすると、たちまち、人々の面はうやうやしくなり、頭をたれる。多くの人々は、それらを自然の力、いや超自然の力であると考えた。言葉や標語は、漠然とした壮大な心象を人々の心のうちに呼び起こす。心象を暈す漠然さそのものが、神秘な力を増大させるのである。言葉や標語は、会堂の奥深く隠れて信心家がびくびくしながら近づく、あの恐るべき神々にも比せられよう。」

歴史を動かす英雄や独裁者の本質を見抜いた記述が見事だなと感動した。

「指導者は、多くの場合、思想家ではなくて、実行家であり、あまり明晰な頭脳を具えていないし、またそれを具えることはできないであろう。なぜならば、明晰な頭脳は、概して人を嫌疑と非行動へ導くからである。指導者は、特に狂気とすれすれのところにいる興奮した人や、半狂人のなかから輩出する。彼等の擁護する思想や、その追求する目的がどんなに不条理であろうとも、その確信に対しては、どんな議論の鋭鋒もくじけてしまう。軽蔑も迫害も、かえって指導者をいっそう奮起させるだけである。一身の利益も家庭も、一切が犠牲にされている。指導者にあっては、保存本能すら消えうせて、遂には、殉教ということが、しばしば彼等の求める唯一の報酬となるのだ。強烈な信仰が、大きな暗示力を彼等の言葉に与える。常に大衆は強固な意志を具えた人間の言葉に傾聴するものである。群衆中の個人は、全く意志を失って、それを具えている者のほうへ本能的に向かうのである。」

つまり、政治家になってほしい、と思われるような理性的でマトモな人は、歴史的変革の指導者にはなりえない、ということでもある。指導者は、自身の信念を盲信しているからこそ、群衆を従えるだけのパワーを持っている。その後の日本や世界の有力な政治家を振り返っても、そういった傾向はあるなあと思う。

煽動されたくない人と、世界征服や独裁者を目指す人、共に必読の古典である。


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Posted by daiya at 2007年08月07日 23:59 このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーをはてなブックマークに追加
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