Books-Brain: 2009年1月アーカイブ

・マインド・ウォーズ 操作される脳
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本書が紹介していくDARPA(米国防総省国防高等研究計画局)の最先端脳科学研究は、人間の脳を意図的に操作する可能性を探っている。脳科学の可能性を示す、興味深い研究事例が次から次に出てくる。

・思考を読み取る技術
・思考だけで物体を遠隔操作する技術
・電子的、薬物的な認知能力の強化
・恐怖や怒りや眠気を感じなくする技術
・敵の脳に影響して戦闘能力を奪う化学物質

ブレイン・リーディング、ブレイン・コントロール、ブレイン=マシン・インタフェースなど脳を操作するテクノロジーの最先端がどうなっているかを、大統領倫理委員会のスタッフをつとめた科学者がレポートする本である。

実験マウスのレベルでは脳に電極をつけることで体を無線制御することが可能になっているらしい。脳画像解析によって何を考えているかを機械が判断する技術も、思い浮かべた数字を当てるくらいならば実現されつつあるという。

こうした技術が進めば脳のレントゲンのようなものになる。将来的には悪意のテロリストを飛行場のゲートで脳スキャンして発見するなどの用途が期待されているようなのだが、心の中まで丸見えになると社会のあり方、人間関係もずいぶん変わらざるを得ないだろう。

悪意を持つ人がセンサーで検出されたら即逮捕、人間はそもそも悪意が発生しないように電子的に脳を自己制御することが義務づけられる、などという暗黒SF時代がくるのだろうか。研究の現状を見る限り、可能性としてはゼロではないが、まだ時間はかかりそうで少しほっとする。

私がいま欲しいのは脳の中身をすべてWiki形式にエクスポートする機能である。"ROM吸い出し"みたいな要領でできるようにならないであろうか。そうやってみんなの頭脳が外部化されてつながっていけば知識の革命が起きると思うのである。Webどころの騒ぎじゃないと思うのだが、これも実現はまだ遠いか。

DARPAの研究の本来の目的は最強の兵士や兵器を作りだすためだ。その政府の軍事目的のために研究に従事しているのは、ほとんどが民間の大学の研究者達である。当然、倫理的な問題が発生する。著者はこの本の中で科学の最前線を紹介すると同時に政府や軍部と民間の研究期間がどういう関係を構築していくべきかを大きなテーマとして扱っている。

「民主的な社会が秘密主義の最小化を実現する方法は、国家安全保障諸機関を、より大きな、アカデミックな科学界に結びつけておくことだ。DARPAは外部への資金援助から手を引くべきだと議会やその他の場で提案されているが、同じ理由からこれには抵抗すべきである。アカデミック世界と国家安全保障に係わる体制側とのあいだがつながっていれば、両者が隔離されれている場合に比べ、社会はずっと健全なものになるのだ。」

そして何より科学者、技術者が高い倫理意識を持つことが重要になりつつあるのだともいえる。この本はそうした問題提起の書である。

・心の起源―生物学からの挑戦
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心とは何かを科学者が哲学的に探究する。面白い。

著者は記憶こそ心の基本であるという。記憶には想起、記銘、保持といった機能が生物学的に備わっている。こうした記憶の照合作用から、時空(位置や時間の堆積)、論理(原因と結果の堆積)、感情(快不快の堆積)という3つの基本的な枠組みがでてくる。そしてさらに統合能力としての統覚が、記憶の中の離散的なもの(時刻、位置、事象、快苦)の中から連続的なもの(時間、空間、因果律、好悪)を見出し、世界の認識に至る。

著者のアプローチは心を物質に還元しない。物質世界、生物世界、心の世界が入れ子構造になっているが、それぞれの世界に独自の法則が働いていると考える。心も遺伝子の乗り物と考えるようなドーキンス的アプローチとは一線を画す。

まず各世界を特異点(開闢)、基本要素、基本原理、自己展開といったキーワードで分析していく。物質世界の自己複製のはたらき(例:RNA)が生物世界を開く特異点となったように、生物世界が心の世界を開く特異点は記憶の成立とその自己複製作用だと著者は指摘する。記憶の能力を高めた人類は、経験する世界を統合して理解しようと試みる。だが、個別の経験からは当然ながら矛盾が現れる。

「離散と連続、有限と無限とは所詮は水と油であって、何としても橋渡しが叶わぬものであるのに、統覚がこれらを結び合わせてしまったことは、心の世界観に決定的な矛盾を忍び込ませる結果をまねいた。これは心の世界のその後の展開に測り知れない影響を与えている。というのは、それからというもの絶えず綻びかかる個別と普遍とのあいだの結び目を、際限なく繕っていかねばならぬ破目に陥ったからである。」

基本原理で世界を理解しようとすれば矛盾があるから、それを解決すべく私たちの認識する世界は自己展開し常に新しい世界として開く。これまでの公理を書き換えて新しい公理系を打ち立てようとする。「一つの世界とは一つの公理系であって、新しい世界を開くとは新しい公理系を立てることにほかならない」。このライブな動きこそ私たちの心の原動力なのだ。

まるで証明問題の如く心の世界を極めてロジカルに説明している。一つの説明としての自己完結度、収まりの良さはちょっと感動である。

アマゾン、ブログなどの読者評価はふたつに分かれているようだ。

この本はほとんど哲学なのであるが、難解な哲学用語は出てこない(用語は必ず定義が示される)。哲学者が好む文学的レトリックも少ない。その代わり簡単な言葉の積み重ねなのだけれど複雑な論理式がしばしば用いられる。理系頭の人には高評価で、文系哲学好きにはアプローチ的にちょっと辛いというのが、評価をわけた理由かなと思う。