Books-Culture: 2007年1月アーカイブ

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知識人とは何か

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・知識人とは何か
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大江健三郎が「「伝える言葉」プラス」で絶賛していたのでパレスチナ系アメリカ人の文学研究者、文学批評家エドワード・サイードを読んでみた。サイードは学者としての仕事とともに、社会状況に対しても積極的な発言をしてきた人物であった。この本は時代を代表する研究者が一般にわかりやすくその価値を説明することで知られるBBC放送のリース講演「知識人の表象」(1993年)での講演内容を書籍化したもの。

・エドワード・サイード - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%89

著者は「知識人とは亡命者にして周辺的存在であり、またアマチュアであり、さらには権力に対して真実を語ろうとする言葉の使い手である。」とそれを定義する。現代の日本ではかつての知識人はただの「物知り」か「専門家」へと後退し、高い志を持った大衆の代弁者としての「知識人」という言葉は「教養」と並んでいまや死語であると思う。

サイードが求める知識人とは上意下達で高い場所から大衆に教えを垂れる存在ではない。支持者や聴衆におもねることなく共感や連帯をつくり、世俗の権力や国家に対して異議申し立てを行うリーダーを指す。

「思うに知識人が迫られるふたつの方向とは、勝利者や支配者に都合のよい安定状態を維持する側にまわるか、さもなくばーーーこちらのほうがはるかに険しい道だがーーー、このような安定状態を、その恩恵にあずかれなかった不運な者たちには絶滅の危機をもたらす危険なものとみなしたうえで、従属経験そのものを、忘れられた人間の記憶ともども考慮する側にまわるということなのだ。」

サイードは、わたしたちは全体主義国家の思想統制や言論活動の制約には監視の目を光らせているのに、「研究や業績も、市場内部でいかに多くのシェアを獲得し維持できるかに主眼がおかれている」自由市場の原理を当然のようにみなしていると批判している。この人気重視の知識流通の仕組みが、戦う知識人にとって大きな脅威なのだという。

そして「現代の知識人は、アマチュアたるべきである。アマチュアというのは、社会のなかで思考し憂慮する人間のことである。」と書いている。専門家が無自覚に行っている活動に対して、一個人として根本的な問いを投げかけ続けるアマチュア精神が、権力に対して真実を明らかにする方法となりうるという。

この本を読むと本来の知識人という概念、社会的役割が明らかになる。権力に対しても、自分の支持者に対しても、常に批判的であり続け、弱者の代弁者であり続けようとする知識人なら、いつの時代でも価値はあるし、情報化社会だからこそ、改めて必要とされているのだと思う。

・「伝える言葉」プラス
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004794.html

・グロテスクな教養
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003896.html

・日本という方法―おもかげ・うつろいの文化
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編集の神様、松岡 正剛著。日本は主題の国ではなく方法の国であるとし、万葉から満州までの歴史を、情報編集国家日本の歴史として説明する。

「日本人が外来の自然や文物や生活を受け入れ、それらを通して、どのような方法で独特なイメージやメッセージを掴もうとしたかということが、本書で説明したいことのひとつです。この方法が日本的編集です。」

日本の社会文化的特徴を「おもかげ」「うつろい」という言葉に託している。おもかげのおもは、主・面・母と重なり、「おもしろい」「おもむき」「おもう」などにもつながる。うつろいは移行・変化・変転・転移を意味するが、うつは空、虚、洞とも通じる広がりを持っている。

外からやってくるものを巧妙に内なる文化に取り込む。それが日本文化の方法だったのである。移ろう影として実体がなかったものも、その面を映し出すことで、現(うつつ)として成る。そんな風にしながら日本的な文化は柔軟に形成されてきた。古事記や万葉集の古代から近代までの日本の歴史を振り返りながら、日本的編集の巧妙さがよくわかる本である。

「日本人はもともと、互いに異なる特色を持つ現象や役職や機能を横に並べて、それらを併存させることがそうとう好きなのかと思わせます。日本人は対比や対立があっても、その一軸だけを選択しないで、両方あるいはいくつかの特色をのこそうとする傾向を持っているのではないでしょうか。」

確かに日本というのは方法の国としてみると凄い国である。文字だけみても仮名と漢字にカタカナ、英数が混在している。食べるものも和洋中伊仏など混在している。外来の強力なものを、取り込まれるのではなく、ちゃっかり取り込んできた。そうして100年もすると外来文化もいつのまにか日本文化の顔をしていることがあると思う。

この本の扱う年代をさらに遡っていくと、縄文時代を含めて10万年くらい、南方や大陸から段階的に波状的に外来文化と人と一緒に渡ってきて、日本という文化が成っていったのだろう。そうして考えると、日本文化はたまねぎの皮みたいなものでどこまで向いても、オリジナルなメッセージというのは出てこないのかもしれない。そうではなくて、外来を取り込んで重層的に織り成していく方法論こそ、日本文化の肝であるという著者の主張はとても的を射た主張であると思われる。

・知の編集術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003328.html

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