Books-Culture: 2007年2月アーカイブ

・モノ・サピエンス 物質化・単一化していく人類
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大臣が女性を子供を産む機械にたとえたことが大問題になっている。その発言の文脈を読むと、どうやら大臣は「人口を統計の数字としてみると女性はその数字を増やす機能を持ちます」的なことを、言いたかったらしい。経済学者が説明に使う言葉として見ればギリギリ許されたような気がするのだが、政治家が使うには配慮が無さすぎた。叩かれているのはモットモである。

だって女性はモノじゃないんだから。

しかし、ヒトはどんどんモノ化しているのでもある。

この本のいう人間のモノ化には物質化と単一化の二つの意味がある。

現代はすべてをモノとして消費する「超」消費社会だと著者はいう。単にモノの売買にとどまらず、教育や医療などの側面でも消費者の立場が強調されており、学生や患者はお客さんとして扱われる。恋人選びや子育てさえも、その行為を「消費したい」という欲望に動かされる。

ブルセラや援助交際はカラダをモノ化することだが、この傾向は女子高生に限った話ではなく、現代消費社会の宿命である。医療においてもカラダや生命のモノ化が進んでいる。試験管ベビー、臓器売買、クローン人間、遺伝子組み換えなど、技術の進歩によって人間の生命は操作の可能な対象になってしまった。

この本はそうしたモノ化の現実を多角的に分析している。各章ではブランド、メディア、労働、思考、命、遺伝子などあらゆるモノ化の側面があぶりだされる。現代を消費主義を超えた「超」消費主義という観点から捉えなおす面白い読み物である。

モノ化が一番わかりやすいのはバイオテクノロジーの分野である。中絶やクローン技術は、米国では大きな政治の論点になっている。モノ化のなにがいけないのか?。著者は肯定も否定もしないのだが、保守派のモノ化に対する反論の一つが人間の尊厳というものである。人間には尊厳があるのだから、軽々しく遺伝子を操作したり、クローンをつくるべきではないという主張である。

そこでこの本には、米国ブッシュ政権の生命倫理委員会委員長レオン・カスの言葉が引用されている。

「「尊厳」で第一に問題になるのは、それが抽象的で、しかも主観的ということだ。(中略)「尊厳」はとらえどころがなく、あまりにも漠然としている。(中略)尊厳の本質や背景について意見の一致が得られない。(中略)根本的な問題は、より普遍的で万人に通用するような「人間の尊厳」の欠如である」

人間の尊厳は絶対のようでいて、その中身をはっきり語れる人がいないのである。受精卵を遺伝子操作することで病因を取り除き健康な赤ん坊を産むことの何がいけないのか、倫理という観点で説得力のある反論をすることは難しい。

人間の自由な欲望が駆動する超消費主義社会においては、欲望の加速化は避けられない。むしろ行くところまで行ってみたらいいのではないかと著者は大胆な結論をしている。
倫理の問題はともかく現実はこういう大勢になっているんだから、時代の波に逆らうより、モノ化の方向で明るい未来を考えてみてはどうかと問題提起している。

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