Books-Culture: 2009年6月アーカイブ

・ヤンキー進化論 不良文化はなぜ強い
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最近、盛り上がってきたヤンキーという文化集団の研究。これまで表で語られることが少なかった日本の地方の不良文化の系譜を明らかにする。特攻服の暴走族、リーゼントのツッパリ、ギャル、スケバン、レディース、DQNなどヤンキーと、曖昧にされてきた周辺の概念を定義していくのが面白い。

著者は、ヤンキー的であるとは、

・階層的には下(と見なされがち)
・旧来型の男女性役割(男の側は女性に対して、性的でありかつ家庭的であることを求める。概して早熟・早婚)
・ドメスティック(自国的)やネイバーフッド(地元)を指向

というファクターを帯びていることだという仮説を提示する。

ヤンキー研究の意義を「階層的に下位に位置づけられることが、自身のアイデンティティを毀損しない生き方」をポジティブに語ることに見出している。上品・洗練・高尚な文化資本だけで社会は成り立っていない以上、「バッドテイストですが、何か?」という強さも時に必要とされるのではないかと書いている。

著者は、諸説あるなかヤンキーの源流はやはり米兵(Yankee)文化だろうと分析する。暴走族、ツッパリ、親衛隊、ヤンキー的なものは脈々と受け継がれてきた。その様子を可視化した50年代からの時代の変遷マップが掲載されている。

ヤンキーの系統を芸能人の世代を分類したデータもあった。少しずつ違うのである。言葉にはしにくいがイメージがしやすくなる。

第一世代 矢沢永吉、館ひろし、和田アキ子、岩城滉一、ブラザーコーン、横浜銀蝿、鈴木雅之、島田紳助、長渕剛

第二世代 石橋貴明、哀川翔、宇梶剛士、嶋大輔、ゲッツ板谷、長原成樹、杉本哲太、ヒロミ、XJAPAN、中森明菜、小泉今日子

第三世代 工藤静香、辰吉丈一郎、ZEEBRA、飯島愛、中居正広、品川祐、綾小路翔、千代大海龍二、鈴木紗理奈

反学校的、悪趣味というキーワードも出てくる。

ヤンキーは「反学校的」だが、完全な反社会ではないだなと気がつく。彼らが好んだ学生服(改造する)も特攻服も、考えてみれば体制側の与えた服装だ。ルールに逆らいたいが完全に破ってしまうわけではない。そして大人になると地域の社会に溶け込んでいき、祭りで主要な役割を担っていったりする。そして「悪趣味」。敢えてダサいファッションを取り入れる。

主にファッションの変遷の分析から、ヤンキーという文化集団の様相が見えてくる本だった。ヤンキー文化論序説とあわせて読むべき本である。しかし、この本も著者はヤンキーというわけではないので、視点の設定に苦労しているのがうかがえる。根がヤンキーだと社会学者にならないわけで、なかなか難しい研究領域なのだなあ。

・ヤンキー文化論序説
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/03/post-951.html

・アニメ文化外交
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「アニメ文化外交」をテーマに世界中で講演を続けるコンテンツメディアプロデューサー櫻井 孝昌氏のフィールドワーク。ミャンマー、サウジアラビア、チェコ、イタリア、スペイン、フランス、カンボジア、ラオス、ドイツ、各地で日本のアニメがどのように受け容れられているかを、自身の訪問体験としてまとめた。

日本のアニメが公式の放送では流れていない国でも、いまやインターネット海賊版を介して、各国の若者にはすっかり浸透しているようだ。国際交流基金のバックアップを得て世界中を講演して回る著者のイベントには熱狂的なファン達がたくさん集まってくる。しかも彼らのコンテンツの理解度はかなり深いのである。

「ドイツでもスペインでも、通訳の方に聞いたところ、日本語の「せつない」に完璧に対応する言葉はないということだった。だが、日本のアニメのさまざまな場面で視聴者が感じる「せつない」という感情をヨーロッパのファンは明らかに理解しているというのが、これまで私がヨーロッパをアニメ文化外交で回ってきての印象だ。」

「もったいない」という言葉に続いて「せつない」も輸出できるのかもしれない。こうやって日本人の独特の心性が世界に理解してもらえるのであれば、まさに国際相互理解につながる。

カンボジアでは「まだ腐敗や暴力の根がたくさん残っている知で、友だちを何があっても信じたり、壁に向かって立ち向かっていく主人公たちを描いたアニメを子どもたちに好きになってもらうことの意義」を高く評価されたという。

世界中の若者にとって日本のアニメは、日本人にとっての往年のハリウッド映画やロック音楽のような存在になっているのだと著者は指摘する。基本的にアニメ好きは親日家になる。

「幼年期、少年少女時代、青年期といった多感な時期に長時間触れたコンテンツは、確実になんらかの形で人格形成に影響を及ぼす。そして、自分が好きなコンテンツを作ったクリエイターや会社、国に対して好印象を持つ。アイデンティティの形成期に自分のなかで育った、そうした感情はそうそう消えることはない。そういう意味でアメリカは、ハリウッド映画やディズニーアニメーションを通して、二十世紀、文化外交政策を世界の中でもっとも上手に進めることができたと言うこともできるだろう。」

ところで著者が世界中を回ってわかった、最も人気のあるアニメは、

『NARUTO』
『ONE PIECE』
『犬夜叉』
『BLEACH』
『鋼の錬金術師』

の5本だそうである。

正直、30代後半以上の人間は中身を知らないのじゃないだろうか。かくいう私もアニメは好きな方だが、この5つは世代が違うからよく知らない。日本の宝なのだから、一応、教養として知っておかないと損なのかも知れない。アニメ検定でも受けておくか...。

・アニメ検定
http://aniken.jp/index.html

最近観たアニメで感動したのは「つみきのいえ」。第81回 米国アカデミー賞 短編アニメーション賞受賞で有名になった。ジブリ以外の可能性としてこういうクリエイターが次々に誕生してくるといいのだが。

・つみきのいえ
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「まるで「積み木」のような家。
海面が、どんどん上がってくるので、
家を上へ上へと「建て増し」続けてきました。
そんな家に住んでいるおじいさんの、家族との思い出の物語。」

たった12分で人生の追憶という普遍的な体験を視覚化した。DVDにはナレーションの有無で2バージョン収録されている。ナレーションなしを見てから、ナレーション付を見た。どちらもよいと思うが、なし→ありの順で見るのが正しい鑑賞方法だろう。

・心霊写真
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宗教学者が宗教、科学、芸術の3つの視点で欧米の心霊写真を研究した本。(もちろん心霊写真満載ですが、実はあまり怖くはありませんよ)。

まず19世紀から20世紀初頭の心霊写真の原版は(撮影技術は稚拙だが)芸術作品に近い上質なものが多いことに驚かされる。(それを明らかにするために、この本は印刷にこだわっている)。現代のピンボケ心霊写真とは比較にならない。その洗練の理由の一つが当時の心霊写真は鑑賞を前提として作られたものだったからだ。3000枚も心霊写真を作成したプロの写真家も存在した。人々は誰か大切な人を亡くしたとき、自分の写真を撮ったのである。その横に死者に似た「エクストラ」が浮かび上がってくるのを期待して。

「心霊写真は死別を儀式化し、商業化した。嘆き悲しむ親族や友人たちにとって、心霊写真師の前でポーズを取ることは、故人の生前に「普通の」写真師を訪れたのと同様に、そして個人の死後に葬儀屋に予約を入れるのと同様に、慣習的な行事となった。写真師=霊媒は天国と地上を、死者と生者を、ガラスの板の上で結合させる。この意味で彼らは「司祭」の役割に就いたのである。」

その文化的背景には、

1 写真という科学技術は真実を映し出す信仰
2 不可視のリアリティが実在するという信仰

という人々の意識が横たわっている。霊という古い信仰を新しい技術が支援する関係ができあがった。心霊写真の最初のブームである。もちろん作り物であるから表現方法は時代の影響を受けている。著者は次々に時代背景と表現法の絡みを明らかにしていく。

心霊写真の構図や表現は西欧美術における天使や悪魔などの超自然的存在を図像化するコードと関係があること、ディケンズの小説『クリスマス・キャロル』における亡者達の描写も強い影響を与えたという事例が詳しく紹介されている。たとえば亡霊の文学上の伝統的な表現が「透明」であったため、心霊写真においても霊は半透明で表現されたようなのだ。

「心霊写真は、時代の子として、時代のものの見方、視覚言語、そして画家たちの主題と方法とを反映し、同時にそれに影響を与えた。」。

おそらく同じような現象がUFOやUMA写真、超常現象の報告にも言えるのだろう。私たちは心霊にではなく時代にとらわれているのだ。

・心霊写真 不思議をめぐる事件史
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/08/post-621.html

・美人好きは罪悪か?
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現代における美人の意味をさまざまな角度から問い直すエッセイ集。「もてない男」の評論家 小谷野敦による新書。表題のもてないけど美人が好きはいけませんか問題から始まる。

「二十世紀後半以後の人間は、未曾有の時代を生きているが、テレビや映画で、ふんだんに美女の姿を目にするというのは、昔であればありえない話だった。むろんその国の中心都市には美人が多いから、田舎者が都会へ出て美人に心奪われるといった話も多いけれど、テレビや映画はその比ではない。隣近所の娘たちだけ見て、まあこの程度が美人、と思っていた時代とはえらい違いである。」

「今の日本で、二十代の女性は七百万人くらい、三十代前半まで入れれば一千万人を超える。十人に一人の美人なら七十万から百万人、百人に一人という美人でも、七万人から十万人いるのである。」

メディアに登場する女性は美人が多い。全体では計算上は総数も多い。それにも関わらず、周囲に自分とつきあってくれる美人をみつけるのは難しいわけで、それが現代人に「ある疲れをもたらす」と著者は嘆いている。今は「美への憧れが強いけれど現実の美女を手に入れられない男を大量生産する時代」なわけだ。

メディアは容易に手が届かないものを作り出し、それへの欲望を煽る。そんな状況とどう向き合っていくかというのが、美人問題に限らず他のテーマについても、現代人にとって普遍的な問題なのだろう。美人論はほとんどメディア論である。

著者は近年の文学賞の成功度と受賞者における女性作家(しかも美人)の割合が正比例していることも指摘している。美人だから受賞したわけでなくとも、出版社は美人の経済効果を利用して本を売る。文学の内容もいずれ振り返ったときに、著者が美人であることの影響が出てくるだろう。

他に谷崎潤一郎の描く美人、髪型とヌードの関係、不美人ヌードの味わい、など、どうでもよさそうだがなんだか気になる問題について半ば趣味的に半ば探究的に語り尽くされている。井上章一の近著「日本の女が好きである。」と対で読むと良い内容。

・日本の女が好きである。
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/06/post-1010.html

・キルヒャーの世界図鑑―よみがえる普遍の夢
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アタナシウス・キルヒャー(1601~1680)はルネサンス最大の綺想科学者と呼ばれる。バロック音楽の研究第一人者、地質学の父、幻灯機や自動演奏機械の発明者、ヒエログリフの解読者、アジア文化の研究者、論理学や記号学の専門家、博物館の設立者などあらゆる分野に通じた。

「キルヒャーが同時代人たちと共有していたふたつの仮定によって、歴史はきわめて簡潔なものとなった。第一の仮定は、世界が創造されたのがキリストの降臨から数えてわずか4053年前であったこと、第二の仮定はそれから1657年めに世界を襲った大洪水のために、人類が八人を残して絶滅したことである。」

その時代の科学は、「神意がいかにはたらくか」を見抜くことが目的であった。キルヒャーは聖書の記述を信じた。ノアの箱船やバベルの塔の実在を疑わなかった。それらの実在を前提として、当時のあらゆる分野の知識を総合し、壮大な統合的宇宙観を完成させた。そしてその知識体系を多くの図鑑本として後世に残した。

キルヒャーは著書『ノアの方舟』には想像の方舟透過図を描いている。聖書の記述通り三層構造で中央の廊下で分断された部屋には、上層が鳥類、人間、中層は食糧その他の貯蔵室、下層が四足獣、船底に蛇が割り当てられている。他の本でもキルヒャーは、伝説の建造物や動物を見てきたかのように精密に描いた。図示・図解の重視がキルヒャーの研究の特徴であった。イメージ喚起力が抜群である。

キルヒャーは比較宗教学の祖でもある。聖書記述を絶対的に信じながらも、宗教に共通するシンボル体系を抽出するなど、あらゆる宗教に真理の存在を認める部分もあった。矛盾を包含しながらリアルな世界を描く壮大なだまし絵的なアプローチを取ったのだといえる(キルヒャーはだまし絵の研究者としても知られる)。

「キルヒャーは、いかなる伝統にも顕教的側面と秘教的側面とが共存し、つねに後者のほうが真理に近く、しかもそれはほかの伝統における秘教的教義に類似していることを実感した。」

キルヒャーは生前から科学者には批判の集中砲火を浴びていたらしい。絵は描けても、論理的には矛盾しているのだから当然である。極東から伝わる伝聞も検証せずに信じていたので、キルヒャーのアジア研究書には、どこにも存在しなかったシナやインドの奇妙な生活習慣や動物が描かれている。

結局、キルヒャーが描いたのは世界はこうあるべきだという絵なのである。当時判っていること、伝わっていることを無理矢理の超統一場理論で統合してしまった。学術の専門分化が進む前に、何とか世界を丸ごと理解できた最後の時代の人であった。

キルヒャーは有名だが、図資料が満載の和書は少ない。錬金術的世界観(キルヒャーは錬金術そのものは否定したが)が好きな人は視覚的にとても楽しめる貴重な一冊。

・西洋絵画名作101選
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私は美術館が好きだが美術史をよく知らない。有名な絵画を前にして「ほら、これはあれだねえ」なんて会話になってしまう。有名な絵とそのタイトルを一致させるために購入した。「世界最高水準の『世界美術大全集 西洋編全28巻』と同じ印刷技術」を使っているそうで、極めて美しい大判の画集。重いので寝ながら読むのだが、横から眺めている幼稚園の息子の方が先に作品名を憶えてしまった。教育用にもよいらしい。

絵画の解説が詳しい。美術知識よりも鑑賞の役に立つ記述が中心である。

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たとえばブロンズィーノ「愛のアレゴリー」にはこんな説明がついている(抜粋)。

「中央の女性はヴィーナスだが、手には禁断の果実を持ち、自分の息子であるキューピッドと恋人同士のように口づけしながら、キューピッドの矢をそっと取り上げている。左下の鳩は「愛欲」の象徴、薔薇の花びらをもって踊る男の子は「快楽」を表わし、その後ろの少女は下半身が怪物になっていて、手には蜂蜜と蠍を持っており、「欺瞞」を寓意している。キューピッドの背後の老婆は嫉妬。 これら愛のマイナス面の象徴群を覆う青いベールを剥いでいる(あるいは覆っている?)のは、左上の「真理」の擬人像だが、よく見ると仮面をかぶっている。ベールを奪うようなしぐさをする老人は、肩に砂時計をのせた「時」の擬人像で、「時は真理のベールを剥ぐ」ということわざに基づいている。しかし「真理」ですら偽りの仮面をつけているのだから、何が真理で何が偽りなのかわからない。」

当時の宮廷人たちは、この絵を前に知的な謎解きの会話を楽しんだものらしい。美術は見たままに味わえばよいという考え方もあるが、背景知識はやはり教えてもらわないとわからないことである。鑑賞の深さも変わってくる。

第1章 イタリア・ルネサンス
第2章 北方ルネサンス~マニエリスム
第3章 バロック
第4章 ロココ~レアリスム
第5章 印象派~キュビズム

から101の名画が選ばれている。

絵と解説を分けたのは正解であると思う。鑑賞時はじっくりと考えずに味わうことができる。

本だと聖堂の天上画を楽に眺めることができるのも良かった。

・女装と日本人
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自身がトランスジェンダー(性別越境者)で性社会史研究者の三橋順子氏が書いた女装からみた日本論。中身が濃い研究成果だ。濃すぎて度肝を抜かれる。著者は本書冒頭で自分は「性同一性障害」という立場を取らないと最初に宣言している。そもそもトランスジェンダーは日本文化の重要な要素であるいう。

「女装のヤマトタケルの物語、男装の神功皇后の風習を考え合わせると、双性的な人が常人と異なる力や「神性」をもつという「双性原理」が、日本の伝統文化の中に根強く存在することは、間違いないと思うのです。」

歌舞伎の女形が人間国宝である日本。盛り場でニューハーフショー、ゲイバーが人気である。テレビを付ければ、美輪明宏やIKKO、おすぎなど性別越境者が活躍する芸能界がある。日本の現代社会はトランスジェンダーに対して比較的寛容だ。欧米キリスト教圏では女装者が迫害されてきた歴史と対比される。

「日本の近現代社会は、上からの「近代化」によって構築された社会システムや「変態性慾」論の影響を受けたインテリ男性の意識は、性別二元・異性愛絶対的で、異性装者や同性愛者に否定的・抑圧的である一方、そうしたものが届かなかった一般庶民の意識は、前近代のままで、異性装者や同性愛者に対して抑圧的ではなく、異性装芸能への嗜好に表れるように異性装者に対しては親和的ですらある、といった二重性をもつことになりました。」

日本神話、僧侶と稚児、歌舞伎の女形、江戸の陰間茶屋、日本のゲイバー営業の歴史(男性同性愛系と女装系)、女装コミュニティや雑誌の昭和全史、著者自身の半世紀など、写真資料も豊富に日本のトランスジェンダー文化を徹底レビューしている。その生々しさに圧倒される。

トランスジェンダー5つの機能として

・宗教的職能
・芸能的職能
・飲食接客的職能
・性的サービス的職能
・男女の仲介者的機能

が総括されていた。

歴史的には、双性の美を愛でるのは男性が中心だったのだが、現代では女性がニューハーフショーやゲイのスタイリストを好むように、女性が消費主体に変化してきたそうである。マーケットとしても広がりを持ち始めた。帯に「"女装"を抜きに日本文化を語れない」とあるが、最近盛んな「ヤンキー論」と並んで「女装論」も日本を読み解く秀逸な着眼点になるのかもしれない。

・〈性〉と日本語―ことばがつくる女と男
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/11/post-669.html

・武士道とエロス
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/06/post-410.html

縄文の思考

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・縄文の思考
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考古学資料から縄文時代の豊かな精神世界の形成を説明していく。

素材を割ったり削ったり磨いたりして最終的な形態をつくりだす「引き算型造形」から、素材を継ぎ足してつくる「足し算型造形」になったのというのが縄文土器の特徴だそうだ。岡本太郎がその美を再評価した火焔土器や土偶の造形は、モノの出し入れの邪魔になる不要な突起に満ちており、無駄の塊である。この無駄こそ精神性の高さであり文化の発現だった。

縄文の精神世界の急速な発達は何に起因するものなのか。著者は壁や屋根のある閉鎖的な居住空間(イエ)やその中で家族が囲んだ炉が大きな役割を果たしたのではないかと論じている。

「壁で四周を囲まれて閉じられた住居は、縄文人が創り出した縄文人独自の空間である。その性質は他のいかなるものとも画然と区別され、固有の装置によって象徴的意味をもたらした。聖性を備え、家族の身と心を安堵させるイエ観念をはっきりと意識させたのだ。」

自らの技術が作り出した居住環境のフィードバックを受けて、精神のあり方が変わっていく。イエ(閉鎖居住空間)、ムラ(生活の根拠地)、ノラ(農地)、ハラ(周囲の自然)、ヤマなど、わかりやすい言葉で、縄文時代の精神世界が説明されている。

「火を囲んでただ座っているとお互いに息苦しくもなるから、場をなごますためにあれこれおしゃべりが口をついて出るようになり、そこから団らんというものが生じた」

この団らんの中でその日の現実に起こった体験を語るようになる。毎日の飽きを克服するため、話を大げさにしたり他人の話を借りて膨らませたりするところから物語が発生する。個人の物語が蓄積されて共有されムラの共同幻想としての抽象的世界が形作られる。代々語り継がれた物語はやがて伝説・神話となっていった。

環境の大きな変わり目という点では現代はネットの縄文時代かもしれない。私たちはインターネットという仮想環境の中で長い時間を過ごすようになっている。仮想空間、情報空間の中での過ごし方にも新しいタイプの団らんがあるし(チャットやTwitterなどがそうだ)、独特の話し方が生まれてきている。ネット時代も新たな伝説や神話を発展させ人類の精神性を進化させたりすることもあるのだろうか。

・日本語に探る古代信仰―フェティシズムから神道まで
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/03/post-959.html

・日本人の禁忌―忌み言葉、鬼門、縁起かつぎ...人は何を恐れたのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/2004/01/post-51.html

・日本の古代語を探る―詩学への道
http://www.ringolab.com/note/daiya/2005/03/post-210.html

・古代日本人・心の宇宙
http://www.ringolab.com/note/daiya/2004/05/aaulesif.html

・日本史の誕生
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/08/post-799.html

・CD&DVD51で語る西洋音楽史
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先日レビューした

・西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)  岡田 暁生 (著)
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/04/post-970.html

という新書があまりに素晴らしかったので、同じ著者がCD&DVDを紹介するこちらも読んでみた。やはり音楽は聴いてみなければ分からないわけだから。「音楽西洋史」とほぼ同じ構成で各時代の音楽を知る51枚のCD、DVDを紹介する本だ。

「この本はいわゆる名曲名盤ガイドではない。あらゆるCDに耳を通し、それらを格付けすることは、私の本意ではない。広く知られた名曲でも省いたものは数多くあるし、スタンダードな名演とはいえないものを選んだ場合も多い。あくまで本書は「音楽史を知るための」CDガイドであって、「音楽版うまいもの案内」ではない。つまり選択にあたっては、「聴いて美味かどうか」ではなく、「音楽史の勘所を端的に実感できるかどうか」を第一の基準としているということだ。」

たとえば西洋音楽のルーツとしてのグレゴリアン・チャントを知るために、

・グレゴリアン・チャント・ベスト
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バロックにおける通奏低音の偉大さを知るために

・バッハ:管弦楽組曲(全4曲)他
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時代は降って現代音楽における無調を知るために

・シェーンベルク歌曲集
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などを数ページの解説つきで紹介する。

1 作品を知るために過不足ない演奏
2 音楽史のある側面が非常に特徴的に出ているCD
3 多くの人が鮮烈な印象を受けるだろう録音

という観点で、学びのためのガイドである。

私が全クラシック音楽の中で最高(そんなに私は詳しくないのだが(汗))と考える作品が数枚お勧めになっていたのを見て、全面的に信頼できるような気がしてきたので、いま順番に聴いている。

ネットの口コミもいいけれども、専門家の教育的見地から、筋の通ったリコメンド本もなかなか良いと思う。

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