Books-Culture: 2009年7月アーカイブ

・明るい部屋 写真についての覚書
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ロラン・バルトが晩年に書いた写真論。写真の本質を現実≪それはかつてあった≫であると定義するが、それが真実≪これだ!≫と結びついたとき狂気の真実とも呼べる希有な感動を呼ぶという理論。

写真には二つの根源的な要素があるという。

1 ストゥディウム(一般的関心)
2 プンクトゥム(突き刺すもの)

である。1は一般的関心や文化コードであり、大半の写真はこれだけで構成されていると言える。撮影者の芸術的意図や政治的意図も含まれる。言葉で言い当てられるものである。ありふれている。一方で2を持つ写真は稀である。

「ごく普通には単一のものである写真の空間のなかで、ときおり(といっても、残念ながら、めったにないが)、ある≪細部≫が、私を引きつける。その細部が存在するだけで、私の読み取りは一変し、現に眺めている写真が、新しい写真となって、私の目にはより高い価値をおびて見えるような気がする。そうした≪細部≫がプンクトゥム(私を突き刺すもの)なのである。」

ある写真家が写した肖像写真でアンディ・ウォーホルは両手で顔を隠している。ウォーホルは写真を見る者に自分の手を読み取らせようと試みたわけだが、その隠れん坊行為はストゥディウムである。偶然カメラがとらえてしまった「へらのように反り返り、やわらかで垢が黒くたまっている爪という、いささか胸くその悪くなる素材」こそプンクトゥムなのだと具体例で挙げてみせる。

「私が名指すことができるものは、事実上、私を突き刺すことができないのだ。」。突き刺すとは感動と同義である。ロラン・バルトは写真に写った亡き母の姿を見たとき、自己の内側から立ち上がってくる感覚を分析していく。形容詞を無限に連ねていくしかないような感覚を感じて驚く。そのきっかけもまた一見ありふれたような構図と被写体の写真の中の、バルトだけにわかる細部なのである。

「写真が心に触れるのは、その上等的な美辞麗句、≪技巧≫≪現実≫≪ルポタージュ≫≪芸術≫等々から引き離されたときである。何も言わず、ただ細部だけが感情的意識のうちに浮かび上がってくるようにすること。」

人を感動させる写真というのは、撮影者の意図的な表現を超えたところに存在するということなのだ。社会や芸術に飼い慣らされた写真はつまらないとバルトは批判しているのである。必要なのは狂気でありエクスタシーだ。「写真」と「俳句」は共に激しい不動の状態だと言っている。

「狂気をとるか分別か?「写真」はそのいずれをも選ぶことができる。「写真」のレアリスムが、美的ないし経験的な習慣(たとえば、美容院や歯医者のところで雑誌のページをめくること)によって弱められ、総体的なレアリスムにとどまるとき、「写真」は分別のあるものとなる。そのレアリスムが、絶対的な、もしこう言ってよければ、始源的なレアリスムとなって、愛と恐れに満ちた意識に「時間」の原義そのものを思い起こさせるなら、「写真」は狂気となる。」

イメージ論として秀逸。技巧的に上手い写真ではなく、半端でなく人を感動せせる写真を考えたい人に。

・植田正治 小さい伝記
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/03/post-726.html

・写真家の引き出し
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/03/post-728.html

・心霊写真―メディアとスピリチュアル
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/06/post-1016.html

・いま、ここからの映像術 近未来ヴィジュアルの予感
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/03/post-952.html

・植田正治の世界
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/03/post-717.html

・不許可写真―毎日新聞秘蔵
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/03/post-724.html

・写真批評
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005242.html

・土門拳の写真撮影入門―入魂のシャッター二十二条
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004954.html

・東京人生SINCE1962
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005034.html

・遠野物語 森山大道
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005029.html

・木村伊兵衛の眼―スナップショットはこう撮れ!
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004923.html

・Henri Cartier-Bresson (Masters of Photography Series)
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004931.html

・The Photography Bookとエリオット・アーウィット
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004958.html

・岡本太郎 神秘
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004986.html

・マイケル・ケンナ写真集 レトロスペクティヴ2
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005007.html

・琵琶法師―"異界"を語る人びと
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「最後の琵琶法師」の記録映像のDVD(8cmDVD)が付録についた岩波新書。本文では琵琶法師の歴史的な位置づけ、平家物語の成立の経緯を解説する。映像では語り手の主体が消失し、自己同一的な発話主体を持たず、物語中の登場人物に転移していく"モノ語り"の実演を見ることができる(この映像背景、かなり生活感漂うのだが...本物だからか)。

先日、人工知能学会全国大会で講演するため飛行機で高松に出かけた。機内でこの本を予習読書。イベント翌日に平家物語ファンとして、市内にある平家物語歴史館を訪問してみた。(高松には源平合戦ゆかりの屋島がある)。

・平家物語歴史館
http://www.heike-rekishikan.jp/
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かなり大がかりなミュージアムだが、工場地帯の一角にあり観光客には不人気?なのか、私以外のお客さんがいなかった。ここでは蝋人形で平家物語の有名シーンを再現している。もちろん琵琶法師による語りが大音響で場内に流れている、唯一の客である私だけのために!。随分贅沢な気分になったが一人で何百体の蝋人形館を回るのは実は不気味な体験でもあることが判明。人形が結構よくできているので怖いのである。おまけに冷房が効きすぎて寒い。

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平家物語が好きな人にはかなり楽しめる博物館なのだが、それ以外の人にはどうなんだろうなあ。なかなか微妙なところだよなあ、前半の四国ゆかりの著名人の蝋人形群が実はビジネスなんだろうなあなどと、と独り言を言いながら「好きなだけどうぞ」と勧められた写真撮影をして展示をゆっくり回る。

・安徳天皇の入水のシーン。
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琵琶法師の語る世界観にどっぷりと1時間浸ることができた。マニアックなB級スポットとして、なかなか。

それと琵琶法師の平家物語の絵本化としてはこの本も素晴らしかった。子供に平家物語をインストラクションするのに最適である。

・祇園精舎
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琵琶法師が集まってきた聴衆に栄枯盛衰の物語をおどろおどろしく語る。「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす おごれる人も久しからず ただ春の世の夢のごとし たけき者も遂には滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ 」を絵本にした。

・「平家物語 あらすじで楽しむ源平の戦い」と「繪本 平家物語」
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/09/post-823.html

・安徳天皇漂海記
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/09/post-445.html
平家物語のバリエーション。

・性欲の文化史 1
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1.遊廓の形成と近代日本――「囲い込み」と取締り
2.性教育はなぜ男子学生に禁欲を説いたか――1910―40年代の花柳病言説
3.出口王仁三郎の恋愛観・男女観――『霊界物語』を中心として
4.日本女性は不淫不妬?――中華文人の日本風俗観察小史
5.女装男娼のテクニックとセクシュアリティ
6.「胎内十月」の見世物を追って
7.「人体模倣」における生と死と性
8.兄妹性交の回避と禁止

・性欲の文化史 2
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1.桂離宮にエロスを読む
2.神仙の証――中国古代房中術にみるセックスと飛翔
3.韓国整形美人事情
4.摩登上海にうかぶ女体の群れ
5.映画のなかの性――戦後映画史における性表現と性意識の変遷
6.「ギャル男」のいる光景
7.男から生まれた女
8.ホステスたちは、何を売る?

井上章一を編者に複数の研究者が性欲の文化史をあらゆる視点から論考する。

「われわれの性感は、文化によって拘束されている。何に感じ、そそられるかは、時代により民族により、ことなっている。たとえばパンツでわくわくする文化史もあれば、そうでもない文化だってある。」「人間の性感を、生物学あるいは生理学的な性欲だけで論じきるのは、まちがっている。」(井上)。

いわゆる"パンチラ"を見た方が歓び、見られると恥ずかしがるというのは日本のローカルな文化なのである。アメリカでは見られた女性がウィンクして去っていくし、中国では「パンツをはいているから平気」なのである。「えへへ」「いやーん」なのは日本だけ(というわけでもないだろうが)文化が性感を作り出している例だ。

「性教育はなぜ男子学生に禁欲を説いたか――1910―40年代の花柳病言説」は、近代の性教育の言説戦略の考察。男子学生に男らしくあれと教えながら同時に禁欲を説いた理由が解明される。そこには結婚前に性交渉すると花柳病に罹患して破滅して志した事業に失敗した上、子供を作ることもできなくなるぞという脅しが含まれる。

「よりよき将来の「男らしさ」の発揮(立身出世と一家をなすこと)に、現在の一時的な「男らしさ」の抑制(性的卓越性の抑制)が貢献する仕組み」を織り込んだ巧みな言説だった。勉強して知識を得ることと子をなすことという近代社会の個人に対する要請に応えるための、国家戦略として性教育が形成されていたのだ。

このほか、魏志倭人伝から女装男娼まで、日本文化と性の歴史が多彩なテーマで多くの話者によって語られている。性欲、性感は自然な本能的な欲求だという見方が、いかに間違っているかを教えられる論考集である。

・日本の女が好きである。
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/06/post-1010.html

・愛の空間
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/04/oso.html

・性の用語集
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/11/post-482.html

・刺青とヌードの美術史―江戸から近代へ
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/07/post-807.html

・ナンパを科学する ヒトのふたつの性戦略
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/04/post-972.html

・ウーマンウォッチング
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/03/post-958.html

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