Books-Culture: 2011年5月アーカイブ

・快楽なくして何が人生
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「相撲取りが大食するように、精神を使って仕事する作家のような人間には、多くの快楽が必要と思います。私自身、人から快楽主義者といわれるような生き方をしてきました。」

故団鬼六の自伝的快楽主義論。腎臓が悪化して透析を拒否した75歳のときの著書。その後3年生きて今年の5月に78歳で永眠。才能に満ちたアウトローの無軌道人生はなんとなく知っていたが、本人の口から詳しく語られると、ゴクリと唾をのむ迫力。大学時代に仲間に大金を借りた相場に失敗して東京へ逃げ、ストリップ劇場の照明係として働くが、小説を書いたら一儲けすることができ、新橋で酒場を経営するも失敗して、再び夜逃げ。神奈川県の三崎の中学教師になって結婚する。落ち着くかと思いきや官能小説の執筆依頼にこたえているうちに、その道の第一人者となっていく。

「教師時代に「花と蛇」を再開することになる、それまでの花巻京太郎のペンネームを団鬼六に変えたのですが、別にペンネームにこれという意味はありません。団令子という女優が好きで、下からいくと昭和六年生まれの私、これからは鬼みたいになって団令子みたいな女を犯しまくる、といったところになりますか。」

教師時代には授業を自習にして教室の机で「花と蛇」の連載を書いていたという。

かつての恋人・愛人遍歴を実名を関係者含めて赤裸々に語る。何が不倫とか変態とかもはや一般の通念は通用しない。そもそも団鬼六は、学生時代に友人に彼女を寝取られるのだが「そして、このとき、私が感じたことは女性に口説きや振る舞いは必要ではない。一発、先にやってしまった方が勝ちだということです。 山の中でたった一発、セックスしただけで山田は私が四年間も真面目な交際を続けていた菊江の気持ちをかっさらっていったようなものです。」とここらへんに屈折の原点があったみたいだ。

快楽主義のむちゃくちゃな人生だが、文筆やプロデュースの才能があったため、団鬼六の人生は、作品への高い評価や有名人との交友による華やいだものになっていった。幸せな人だなあと思う。

2010年には団鬼六賞というのが創設されていて、第一回は団鬼六のSM小説の流れを組むバスガイド作家の作品『花祀り』が大賞を受賞している。追悼にと読んでみたが、いやー、これは文学というより完全に官能小説だった。『花と蛇』の流れはこの賞の周辺で受け継がれていくのかもしれない。

・花祀り
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「第1回団鬼六賞 大賞受賞作 京和菓子をモチーフに男と女、女と女が綾なす至福の官能小説。 京都に息づく秘めやかな悦楽・・・。 「濡れ場が手段になってはいけないと思うんです。目的であってほしいなと。ここを一番書きたかったんだ、という。その面では、『花祀り』の花房さんはこれを書きたかったんですよ、ヒヒオヤジたちに犯されていくところを」                     ―重松清・選考座談会より― 「官能小説っていろいろ書き方があると思うんですが、エンドレス、団先生の『花と蛇』みたいに永遠に終わらないというのが面白い。独特の世界。この『花祀り』も、終わらない感じがあるでしょう」                   ―高橋源一郎・選考座談会より― 「シットリ系エロの中で適度にバランスがよかったんですよ、濡れ場の配置が。官能としては、完成度はいいなと思いました。」 」

・中華料理四千年
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日本生まれの華僑である著者が中国料理の歴史を日本人にわかりやすく解説する。

私は世界の料理の中で中華料理が一番好きだ。では中華の何が好きなのかというと、あれも好きだしこれも好きだしと、バラエティに富んでいるのが、一番の理由だ。その多様性はその長い歴史と多民族融合の産物だ。

「北京料理は山東料理を元祖として、蒙古族やイスラム族など北京以北の民族の影響を多分に受けている。上海料理は、蘇州や杭州などを含めた近隣地方の料理をひとまとめにしたものだ。かつては中原地方と呼ばれた黄河、長江の河川沿いに広がる穀倉地帯にどっかりと腰をすえて、豊富な農作物を食材にしている。広東料理は亜熱帯地方独特の解放感から、野趣にあふれた豊富な食材と新鮮な海産物からなる。四川料理は対照的に、内陸部の乾燥した酷暑や玄関を耐えしのぶために、唐辛子や香辛料をふんだんに使っている。」

北京料理、上海料理、広東料理、四川料理の4大料理の説明をはじめとして、各地域料理の特色や名物を紹介している。歴史蘊蓄だけでなく、現代の食べ歩きにも役立つ中華料理の知識がたくさん見つかる。

たとえば、

人数プラス一品+スープを注文するのが原則
 →これはいつも迷っていますが目安によいですね

一度食べ始めたら食べ終わるまで箸は置かない
 →置いた箸をもう一度取り上げるのは意地汚い行為

接待で出された料理は少し残すのがお客のマナー
 →食べきれないほどたくさんの料理を出すのがもてなし

中国人は量も重視しているから小さな皿に山盛りで出す
 →いっぱいあるように見せる中国人の見栄

北京ダックは日本人は皮しか食べない、中国人は身も食べる
 →北京ダックは皮しか食べないものと日本では教えられているような...嘘なのです

「酒家」は確実に広東系の料理店
 →「南国酒家」いいですね

「清炒蝦仁」「紅焼海参」「青椒牛肉」など基本的に四文字の漢字で表わされる料理名から正確にどのような料理かを知る読み方を教えてくれる部分が勉強になった。

片=スライス、丁=賽の目切り、塊=ぶつぎりのような切り方や、

炒(チャオ)= 炒める
炸(ヂャー)= 揚げる
爆(バオ)= 強火で炒める
清蒸(チンヂェン)=下味をつけて蒸す
紅焼(ホンシャオ)=炒めて醤油味で煮込む

のような調理法、そして酸、甜(甘い)、苦(苦い)、辣(唐辛子の辛さ)、咸(塩からい)の味付け。数十の漢字と意味の対応を知っていれば、中国語メニューをかなり読み解けるらしい。

・勲章 知られざる素顔
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凄く面白い5つ星の新書。

十字軍の戦士が身につけた十字架の記章を起源とし、日本では「薩摩琉球国勲章」を嚆矢とする勲章とその制度は、実はそれを運用する法律がない。明治の勅令や太政官布告によって運営されている。諸事情と経緯を背負った不思議な制度である。

日本では春と秋の叙勲で約4000人ずつ、高齢者叙勲、死亡叙勲、外国人叙勲、気兼業務従事者叙勲、緊急叙勲を含めると受勲者は年間2万人を超える。対象は「国家又は公共に対し功労のある者」。最高位の大勲位菊花賞頸飾の下に、総理大臣ら政治家や公選職、民間人系の旭日大綬章、公務員系の瑞宝章の2系列があり、それぞれに重光章、中綬章、小綬章、双光章、単光章と続く。国家・公共にとっての功労とは何か。2003年の改革で勲一等のような数字による等級区別は廃止されたが、その度合いが等級によって序列化されるしくみにかわりはない。だから受賞者をみれば典型的な旧体制の価値観が勲章授与のありかたからみえてくる。

過去には政治家、官僚、軍人に偏っていたが、昭和になってから文化勲章による文化功労者への授与も広がった。必死の「運動」をしてまでも、名誉の勲章を欲しがる経営者もいるそうだが、あからさまに人間をランクづけする制度として批判や辞退者も少なくない。
この本に引用されている勲章制度に対する人々の意見を私が気になったものだけ抜き取って、時代順で並べてみる。

「現在子供の世界はまさにワッペンに明けワッペンに暮れるばかりのありさまです。この流行におくれをとってはならぬとばかりにりっぱなおとなたちが叙勲を急ぐありさまは、童心に返ったほほえましい姿」石橋政嗣衆議院議員(社会党) 1964年

「文化勲章と言うのは、家が貧しくて、研究費も足りない。にもかかわらず、生涯を文化や科学技術発展のために尽くした。そういう者を表彰するのが本来のやり方とは違うのか?」昭和天皇 1971年ごろ

「世論の反対の前に民主的な栄典法をつくることができず、いまなお明治八年の太政官布告に基づいて行われていることや、その叙勲が、かつての天皇の臣下にたいするごとく、政治家や官吏が高い階等を占め、黙々として働く一般の国民には低い回答しか認めないことなどは、天皇の前にひな段の格差をつくることであて、それはひいては復古的な天皇制の空気を生みだすことにつながりやすい」朝日新聞社説 1976年

「それにしても勲章の如きものに人は何故かくも執着するのか。真に世の為、人の為に陰ながら尽くした人々を顕彰するは結構なることなれど、既に功成り、名遂げたる高位、高官の物欲しげなる態、誠に見苦しきものなり。これを見れば、大体その人の器量は解るものなり。」 細川護煕 元首相 1993年

「政治家や官僚に比べ歌手や俳優、落語家など芸術分野で活躍した人に十分報いていない。美空ひばりや石原裕次郎が勲一等にならないような制度はおかしい」亀井静香 自民党政調会長 1999年

批判は常にあるが、一方で叙勲を受けた人たちが感激と喜びを感じていることも事実。国家としてはカネをかけずに功労者に報い、国家への貢献インセンティブをうみだすことができるおいしい制度という側面が強い。だから世界のほとんどの国に勲章制度は存在する。

この本では、日本の勲章制度の全貌、歴史、そして批判と改革の方向性が詳しく解説されている。勲章制度というマニアックな切り口だが、意外にもそこから、国民の名誉欲とそれを利用する国家システム、日本社会の本質的価値観が立ちあがってくるのが面白い。

「切腹」「殉教」「かたき討ち」も日本人を知る上でいい切り口だったが、勲章も同じだ。

・切腹
http://www.ringolab.com/note/daiya/2004/10/o.html

・殉教 日本人は何を信仰したか
http://www.ringolab.com/note/daiya/2010/04/post-1199.html

・かたき討ち―復讐の作法
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/08/post-814.html

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