Books-Culture: 2011年6月アーカイブ

・セックスメディア30年史欲望の革命児たち
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電話風俗(Q2、テレクラ)、出会い系サイト、エロ雑誌、アダルト動画、大人のオモチャ、性風俗...。欲望のメディアは新たな規制や技術が登場するたび、大きく形を変えながら発展してきた。この本は過去30年間でインターネットとケータイがセックスメディアをどのように変えていったかを、メディアの作り手へのインタビューも交えて、総合的に振り返る。

セックスメディアをオカズ系、出会い系、性サービス系の3つに分類し、それぞれの市場の発展具合を検証していく。各分野の仕掛け人的な人たち、たとえばTENGA、ラブドールのオリエント工業、芳賀書店、DMM、動画ファイルナビゲーターなどの経営者や担当者へのインタビューがあって、生の声があるのも面白い。

エロを大きく変えてしまうのが、規制と技術だ。

規制がメディアを変えるわかりやすい例が、この本で紹介されている、コンビニで売っているエロ雑誌の表紙の変化だ。

「2005年11月から東京都では青少年健全育成条例の改正により、二か所のテープ止めが義務化され、立ち読みができなくなった。このため表紙で内容をわからせなければならないと、コンビニ売りエロ雑誌は必然的に内容を全て表記するようなゴチャゴチャしたデザインへと変わっていった。」

私の思春期のエロ本と言うのは表紙が文字でゴチャゴチャということはなかった。作り手たちはこうした制約の中で、青少年を魅了するコンテンツ、売れるコンテンツをつくりだそうと創意工夫を展開する。品質を真面目に考える経営者もいる。だからこそ脈々とアダルトコンテンツ産業というのは、したたかに続いてきたのだろう。

風俗サービスへのナビゲーションの変化の話もあった。

「スポーツ新聞、アダルト雑誌、ピンクチラシ=電話ボックスといった広告から、ウェブと案内所を用いた広告へ。「ポン引き」や「案内所のお兄さん」に「社長、今日はどんな子を?」と尋ねられていた風景から、勧誘が禁止になり(といいつつも、2011年現在でも多くの場所で見受けられるが)、風俗へのアクセス方法も「探索から検索へ」とその姿を変えた。そのため「店舗での写真見せ」から「ネットでの写真見せ」へ変化し、掲示板などで口コミ情報が共有される「ネットを前提とした風俗」へと変わっていった。」

「探索から検索へ」というのはWebのキーワードでもあるが、一般のネット広告産業がたどった道のりと一緒で、アダルトの広告も投資対効果や説明責任やらが重要になっていくのかもしれない。この本では触れられていなかったが、アダルトの広告の状況も知りたいなあ、と思った。

私は昔から思うのだが、こういうセックスメディアというのは、もっと一般人がふつうに楽しめるものであっていいと思う。裏社会の、うしろめたい、日陰の存在にしているよりも、もっと明るくおおっぴらに性を語れる世の中にしてしまった方が健全だと思う。この本に紹介される「欲望の革命児たち」のなかには、TENGAみたいな日陰のアダルトグッズのメジャー化を指向する人などもいて、おもしろい動きだなと思った。

・ブスがなくなる日
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面白かった。美容ジャーナリストによる男女の見た目格差研究。ブスと美人の定義の歴史、それぞれの時代の両者の生き方など興味深い論点が満載。井上章一の『美人論』が好きな人は、現代版としてこの本をおすすめ。

著者いわくメイクの進化や安カワ服のおかげで街からブスが消えたという。"規格外れ"の顔を、美しいとされる理想顔に近づけるのが庶民でも簡単になったからだそうだ。空気を読む人が増えたのと連動して、自身の容貌に気を使う人が増えてきたというのもあるかもしれないと思う。

明治初期の日本人の顔は「貴族階級は細長く、庶民は丸ないし四角い」だったと当時の外国人の記述がある。日本の原住民としての丸顔の縄文人と、細長の渡来弥生人。しだいに前者が後者を支配するようになって「色白で鼻筋が通っていて、細面」が美人の基本形となった。今もその影響は続いている。

「弥生時代の埴輪顔、平安時代の引目鉤鼻、江戸後期のうりざね顔、明治時代の大きな目、そして戦後の立体的な顔と、美人は有史以来ずっと支配者の顔でした。「強いものが美しい」。美醜の価値観の仕組みって、実はとてもシンプルです。」

江戸時代までは美人であっても下層階級の女は正妻になれなかったが、明治時代には美貌で玉の輿に乗って上流階級へ上っていけるようになったという。民主的になると同時に、美を巡る女性の競争もし烈になる。美容の市場はここで誕生したわけだ。

戦争に負けてアメリカ人女性が一時期理想の顔になったが、高度経済成長で日本人は自信を取り戻し、日本人女性の特徴をとらえた美人像がふたたび生まれた、それがかわいいアイドル顔だと著者は説明する。

「アジア人は、体格が小さく頬が丸く声が高いといった、子どもに似た特徴、生物学でいうところのネオテニー(幼形成熟)という特徴を持っており、大人っぽい白人とは根本的に違うのです。このネオテニーを誇張したのがアイドルで、日本特有の"カワイイ文化"を体現したのが彼女たちだったのです。」

弥生時代から現代の可愛いにいたる美人史はなかなか説得力がある。

現代日本には「美しい」と「可愛い」のふたつのベクトルがあるなあと思う。海外で高く評価されるのが美しい系美人で、国内で評価されるのは可愛い系美人。アジアっぽいエキゾチックな顔というのも国内ではあまり評価されないが、海外ドラマのアジア系の女優には多く登場する。美人、ブスは相対的なものに過ぎないから異文化に行くと評価が異なる。

国際化の時代「○○国へ行けば美人」ということがわかる顔写真分析アプリとかあったら、本当に世界からブスはなくなるかもしれないな。

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