Books-Culture: 2011年12月アーカイブ

・平清盛 -栄華と退廃の平安を往く-
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2012年のNHK大河ドラマ『平清盛』の予習。といってもドラマの情報はあまりなくて、歴史上の人物としての平清盛についてまとめたビジュアルムック。

源平合戦はまず名前をおぼえるのが大変。平家方の「盛」がつく名前の人物を挙げると清盛、家盛、経盛、教盛、頼盛、重盛、基盛、宗盛、知盛、光盛、維盛、資盛、有盛、師盛といっぱいいて、主要な登場人物として登場してくる。この本にあるような系図は必須である。

それから平家の時代を開いた保元の乱と平治の乱、そして源氏争乱の幕開けとなる宇治合戦から勝負が決した壇の浦まで主な合戦の解説がある。天皇と上皇、源氏と平氏の誰がどちらの勢力についたのかが説明されている。権謀術数の時代なので、とにかく人間関係が複雑に錯綜している。

厳島神社、六波羅蜜寺、祇園、八坂神社、東大寺、興福寺、清水寺、平等院などゆかりの地の歴史と今も紹介されている。今回は関西を中心に広がりを持ったエリアが舞台となりそう。

紅白戦のルーツは源平合戦にあったとか、平安貴族の1日の過ごし方とか、蘊蓄記事もある。どのページにもグラフィックが満載で、ドラマや小説を読み解く予備知識を楽しく学べる。

・平家の群像 物語から史実へ
http://www.ringolab.com/note/daiya/2011/10/post-1533.html

・「平家物語 あらすじで楽しむ源平の戦い」と「繪本 平家物語」
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/09/post-823.html

・安徳天皇漂海記
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/09/post-445.html
平家物語のバリエーション。

・琵琶法師―"異界"を語る人びと
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/07/post-1034.html

・贈与の歴史学 儀礼と経済のあいだ
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クリスマスプレゼントを渡す日ですね。

「贈与の最盛期」である15世紀後半の日本の贈与儀礼を研究することで、日本独特の贈与文化が浮かび上がってくる。お中元のやりとりが若者層で低調になっても、まだまだ日本人は贈答好きだ。結婚祝い、香典、出産祝い、入学祝い、年賀状...。バレンタインデーができたら、返礼のホワイトデーもすぐに定着した。日本の民法はいかなる理由があっても贈与の撤回を認めていない。贈与の保護が厚いのはなぜか?。起源は中世にあった。

世界の歴史をみると贈与は「神にたいする贈与」から始まる。それが国家や領主に対する税に転化していく。キリスト教と密接に結びついていた中世ヨーロッパの贈与と異なり、日本では比較的早い段階で贈与が宗教と切り離され、より世俗的な用途が主体のかたちに変容していった。

贈与は、贈与者と受贈者の二者だけで完結するものではなく両者の関係を律する外部の別の支配者があったと著者は指摘する。それは神とは限らない。広義の「法」であり「先例」がそれに変わった。

中世武家社会で贈答は経済的な側面がつよく、見返りを期待する功利的な贈答儀礼の性格が強くなった。賄賂ではなく前例によって受ける当然の報酬「役得」という言葉もこの時代にうまれた。中世の人々は損得勘定に敏感でつり合いが取れる「相当」であることを強く求めた。対称的返済、同類交換の原理は、現金の贈与にまで発展する。現代でもそれは結婚祝いや香典のような形で続いているが、現金が平気で贈答されることは日本の贈与の特殊性であるそうだ。

現金の贈与もまた中世がはじまりだ。さまざまな贈与の形態が解説されている。たとえばこの時代には「折紙」が発明された。贈与をする側はまず金額を記した「折紙」を先方に贈り、現金は後から届けることができた。この「後から」の時期は記録によると1年以上後であることもある。だから贈与者は手元に現金がなくともとりあえず贈与ができる。そして大抵の場合、それは賄賂であったから、相手が期待にこたえてくれるかを現金を渡す前に確認ができ、贈り損もなくなるというわけだ。後年、この折紙は債権として流通することもあったという。現代では祝儀や香典に金額を書いた紙を使うのが名残のようだ。

『贈与論』のマルセル・モースやモーリス・ゴドリエは、贈与には4つの義務があると定義した。

1 贈り物を与える義務(提供の義務)
2 それを受ける義務(受容の義務)
3 お返しの義務(返礼の義務)
4 神々や神々を代表する人間へ贈与する義務(神に対する贈与の義務)

世界にはこれらの組み合わせの強弱からさまざまな贈与慣行や儀礼が生まれてきたが、とりわけ中世の日本では功利的で商取引のような贈与慣行が発達してきたことがわかる。東南アジアの人類学で取り上げられるポトラッチ(競争的贈与)のようなエキゾチックな贈与儀礼ではなく、キリスト教圏の神への贈与でもなく、現代の私たちの文化と地続きの、贈与文化が中世にあった。贈与には国民性がでるものということがよくわかる本であった。

・ラーメンと愛国
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「戦後の日本の社会の変化を捉えるに、ラーメンほどふさわしい材料はない。ラーメンの変化は時代の変化に沿ったものである。本書が試みようとしているのは、そんなラーメンの変遷を追って見た日本の現代史の記録である。」

都市下層民の夜食だった「支邦そば」がわずか100年で日本の「国民食」となるまでの歴史が語られている。戦後のアメリカの小麦輸出戦略があり、安藤百福(日清食品創業者)のパン食文化への抵抗としてのチキンラーメンの発明と大量生産があり、田中角栄の国土開発と「ご当地ラーメン」による地域振興があり。昭和の時代、インスタント、カップラーメンも含めて「ラーメン」という呼称が確立されてマスメディアにものり、当時大量発生した独身の都市生活者を中心に、受験生や機動隊員など幅広い世代に親しまれるようになった。

この本はラーメン現代史を総括するだけではないのが面白い。

ラーメン文化は幾度ものブームによって発展してきたが、著者は80年代以降のラーメン博物館、「TVチャンピオン」、「ガチンコ!ラーメン道」あたりが捏造したラーメン列島神話に異議を唱える。

ご当地ラーメンは地域の個性や特性を反映したものではなく、全国均質のファストフードの流れから出てきた食べ物だという事実。「作務衣」を着るラーメン屋の主人のスタイルは、「日本の伝統」「伝統工芸の職人の出で立ち」を再現しようとして、まったく正統性のない捏造された伝統である、とか。最近の店に目立つ、相田みつお的前向きメッセージを店内に飾る宗教色や、「麺屋武蔵」以降の国粋主義的傾向も指摘されている。

「1990年代末以降、日本のラーメンは、かつてラーメンが持っていた中国的な意匠をはぎ取って、「日本の伝統」らしきフェイクで塗り替えていった。」。伝統の捏造のリアリティショーが現代ラーメンカルチャーの本質にあるという指摘が鋭い。私は常々、ラーメン屋の"ノリ"がよくわからないと思っていたが、すっきり整理された。

ほかにも北海道の札幌ラーメンと九州の博多ラーメンは、中国の北方料理と南方料理が別ルートで伝わったものではないかという仮説。ラーメン二郎におけるコミュニケーション消費論などラーメンを愛好家の興味をひくテーマがいっぱい。

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