Books-Economy: 2012年4月アーカイブ

・帝国ホテルの流儀
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初代帝国ホテル社長の息子で、自身も社長となった犬丸一郎氏。上流階級のサラブレッドぶりがすごい。

永田町や田園調布の自宅から慶応幼稚舎から慶応大学まで通い、大学ではハワイアンバンドに夢中になる。プロを目指すが才能に見切りをつけて父の勧めで帝国ホテルへ入社する。すぐに海外留学が決定。戦後の海外渡航が難しい時期だったが宿泊客の米軍少将の口利きで、米国の大学へ進む。昼はサンフランシスコ市立大のホテル・レストラン学科で学び、夜は一流ホテルで接客やサービスを学ぶが、すぐに父の手配でコーネル大学へ編入、1年間会計学や建築学を学ぶ。

帰国時には「帰国前に欧州を回って来い。客船は一等で大西洋航路の一等先客への食事、サービスをよく見てこい。」と父の指示。欧州の一流ホテルを泊まり歩いて、日本出発から2年9か月の遊学から戻り再び帝国ホテルへ。

人生の重要な場面で重要な場面で「イヌマルか、以前、日本に行った時、お父さんにとても世話になったことがある」という言葉がでてきてとんとん拍子で進んでしまう。白洲次郎にジェントルを学び、各国VIPやハリウッドスターと交流する。社長時代は次々に海外政府や日本政府から勲章をもらう。服はイタリアでそろえるのがいいんだと店の名前も楽しそうに教えてくれる。育ちが良いせいで、ハイソな生活ぶりをこれでもかとばかりに披露しても、嫌味に聞こえない。本物の上流階級なのだ。

本人の弁だけ聞いていると、なんとも苦労知らずで幸運なボンボンのように思えてしまう内容だが、実はこの人、かなりすごい人なんじゃないかという気もする。

上流階級向けの一流のサービスを提供するためには、自らがそういう立場でなければわからない。父親が英才教育としてリッチな遊学をさせたのは当然だ。その成果は後年、バイキングやランドリーサービスの充実施策など、帝国ホテルの"さすが"をいくつもつくりだして実を結んでいる。若いころに遊んでいるようでいて実は相当学んでいたのだ。

それに最後は社長や顧問となった50年間の帝国ホテル生活の間、帝国ホテルの経営は安定していたわけではない。昭和の大政商小佐野賢二氏に株を買われて経営に乗り込まれていた時期もあったし、著者が社長就任時に同社は235億円の負債を抱えていた。今日の復活に至るには、経営者として相当の苦悩や内外での駆け引きがあったはずだ。単に苦労した話はかかないという流儀なのかもしれない。

哲学が何か所かで披露される。たとえば「お客様と自分の間に、いつも一本の棒を置いて考えるようにしなさい。その棒を越えてはいけません。」。どんなに親しくなっても、お客様との馴れ合いになってはいけない。それがサービスの真髄だという。

「金の貸し借りはしない」。貸すならあげてしまいなさい。ややこしい人間関係をつくるなということのようだが、これはまあお金持ちだからできることか。そして「プライベートで仕事の話はしない」。それが紳士・淑女なのだ、と。

・帝国ホテルの不思議
http://www.ringolab.com/note/daiya/2010/12/post-1356.html

・帝国ホテル 伝統のおもてなし
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004861.html

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