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変な給食

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・変な給食
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全国の学校で実際に出された「変な給食」を再現してカラー写真で紹介する問題提起本。

例:
味噌汁とてんぷらと黒糖パンと牛乳
雑煮と食パンと揚げしゅうまいと牛乳
冷やし中華、原宿ドッグ、牛乳
みそラーメンとドーナッツと牛乳

など、73点の再現写真はどれも「うへえ」な感じで食欲が湧かないものばかり。和洋中ごちゃまぜで砂糖と油まみれ、これじゃあ味覚だって育たない。結局、パンを主食にするのが原因なのだが、米飯給食は東京都平均は週に2.6回だそうで、週の半分は変な給食が出る可能性があるわけだ。

しかし、思い出してみるとこうした「変な給食」は私の小学生時代にはちっとも変じゃない、普通の給食だった。米飯は年に1度あったかどうか。パンに豚汁に牛乳にスライスチーズが一枚なんていうのがよく出た。当時は当たり前と思っていたが、大人が好んでこんな組み合わせで食べることはありえない。確かにこれはおかしい。変えるべきだ。

なぜパン食主体の変な給食が続くのか?

「その理由は、「予算がない」「人件費の問題」「パン業者への配慮」などさまざまですが、その中でも、最も多いのは、「栄養素のバランスを考えて献立を作成しています」というものです。「ラーメンに牛乳という献立はおかしいのではないか」という批判に対して、「カルシウムを満たすためには仕方ないのです」という答えが返ってくるのです。」

唐突にスライスチーズ一枚がついたりするのは栄養士の工夫らしいのだが、学校給食法には食文化の正しい理解も明記されているわけで、やっぱりまずいのではないか。牛乳を毎回つけるのも味覚を育てるという観点ではどうかと個人的には思う。

4月からうちの息子は小学校1年生になる。給食がある。私と同じ小学校だ。この30年で給食はどう変わったのか楽しみであると同時に、あいかわらず変なままだったらどうしよう、と不安になる。主張をもって戦う著者は学校給食に異を唱えて自分の子供に教室でひとりだけ弁当を持たせたらしいが普通の親としてはそうもできない。

最近都内には昭和の給食を食べさせる店がいくつもある。揚げパンとかソフト麺とか揚げしゅうまいとか、かつて無理やり馴らされた変な味覚を懐かしく感じる人がたくさんいるということだ。つまり普段食べていない。大人が食べないものを子供に毎日食べさせるのは普通に考えて、おかしい。著者の学校給食改革の主張を支持したい。

・ドキュメント高校中退―いま、貧困がうまれる場所
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・毎朝登校する生徒は33人中5人
・1から100まで数えられない生徒がいる
・九九が完全にできるのは160人中20人
・入学者の半数が中退する
・高校を中退する生徒の半数は1年生
・やめさせようとする教師たちの存在

などいわゆる底辺校の実態と増加する高校中退者のドキュメンタリ。

現代の高校中退は個人の問題ではなく社会の深刻な病理のようだ。

高校中退の背景には家庭の貧困があり、不安定な生活や余裕がない家庭環境が、生徒の低学力、不登校を引き起こし、中退へとつながっている。学習意欲と貧困の間にも密接な関連が見出されている。エリート校と底辺校の格差は増大傾向にある。

高卒以上が圧倒的マジョリティを占める日本社会において高校を出ていないことは極めて不利にはたらく。実際、不況の中で高校中退者の就職は困難を極めている。調べてみると生徒の父母もまた中退者であったりして、格差の拡大という負の再生産が発生してしまっている例もある。

「1980年代からの世界を巻き込んだ新自由主義の実験は、世界中に無惨な結果を残した。新自由主義が主として攻撃の対象とした福祉国家とは、資本主義の成立の要である労働力の再生産にとって欠かせないもののはずだった。ところが新自由主義は、労働力の再生産に必要な住宅・教育・医療・福祉を市場化し、福祉国家を解体することによって、もっとも福祉を必要とする貧困層に打撃を与え、さらに中間層をも分解するという結果をもたらしたのである。」

「社会の底辺」という言葉が存在しない社会をつくるには、夢や希望を失った一番若い人たちを救済することが特に重要だろうなあと思う。著者が解決策として結論する高校教育の無償化が効果的なのかは確信が持てないが、高校中退=社会からのドロップアウトという図式をなくすことが何より大切だろう。競争社会とセーフティネットは共存しないと人間的ではないと思う。

・くらべる図鑑 (小学館の図鑑・NEOぷらす)
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子供に好評で、親が見ても楽しいカラー図鑑。小学校低学年向け。

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動物の大きさを比べるページでは、大腸菌からシロナガスクジラまでノアの箱舟をひっくりかえしたように多種多様な動物を並べる。小学生の子供と皇帝ペンギンの身長はほぼ同じであるとか、シロナガスクジラは25メートルプールに入りきらないなど、子供の読者が実感でわかるように描かれている。

走りや泳ぎの速さも可視化される。競争で一番速い動物ほど先頭に描かれる。泳ぎの競争では、トップのバショウカジキは25メートルプールを1秒で泳ぎ切ってしまう、マグロも相当に速い。人間はまだスタートしたばかりなのにねえと親子で会話がはずむ。

さまざまなものの高さを大阪の通天閣と比較するページがあって笑えた。世界で一番高い木のセコイアはだいたい通天閣と同じ高さなのだって、関東育ちの私にはよくわからない。関西人にはわかる、のだろうなあ。

この図鑑いいじゃんと思ってWebを調べたら、昨年の発売以降にベストセラーになっているらしい。図鑑で16万部というのは圧倒的なのでは?。

・【手帖】小学館『くらべる図鑑』売れ行き好調
http://sankei.jp.msn.com/culture/books/090906/bks0909061317011-n1.htm
「小学館の図鑑NEO+(ぷらす)、加藤由子ほか監修・指導『くらべる図鑑』(1995円)が売れている。7月初旬に初版7万部で発売したが、約2週間後には4万部を増刷。それもたちまち売り切れて、2日現在第3刷(5万部)を合わせた計16万部に達している。」

・防災ゲームで学ぶリスク・コミュニケーション―クロスロードへの招待
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ゲームを使って災害時のリスクコミュニケーション(情報共有)を学ぶ「クロスロード」開発者たちの本。続編も出ている。

防災ゲーム「クロスロード」では5人くらいの参加者によるグループが、10枚のカードを順番にめくる。各カードには災害時を想定した、重大な意思決定をせまる、次のような質問が書かれている。

「あなたは、食料担当の職員。被災から数時間。避難所には3000人が避難しているとの確かな情報が得られた。現時点で確保できた食料は2000食。以降の見通しは、今のところなし。まず、2000食を配る? YES(配る) / NO(配らない)」

参加者は各自で意思決定を行った後で、全員の判断を公開する。結果として多数派の決定を選んだ人は青い座布団(ポイント)がもらえる。YESとNOが同数なら誰もポイントがもらえない。YESまたはNOが一人だけだった場合はそのひとりだけ金座布団(青と同じ1ポイント)がもえらえる。

カードを10枚やって最もポイントを獲得した人が勝利者となる。

ゲーム後のふりかえりセッションでは、各問題についてなぜそうした決定をしたのかを話し合う。多数派の青座布団を最も多く手に入れた人は誰か、なぜその人はたくさんの座布団を得られたのか。金の座布団(唯一の意見)を手に入れた人の心理は?。すぐにきめられた質問、なかなか決められなかった質問はどれか、など。ふりかえりながら、参加者は災害のリアリティを構築し、自分たちの災害対応のローカルなコンセンサスをつくっていく。

クロスロード開発チームは、阪神大震災に対応した職員に対する膨大な量のインタビューから、当時の意思決定場面を徹底的に分析した。すると「あのときの判断はあれでよかったと思っているが、今思い返すと、もっと他のやり方があったと思える部分もある。」と当時に思いをはせる職員が多かった、という。危急の場面では、その場にいる人間がその場にあるリソースを使って意思決定をしなければならない。普遍的なマニュアルには頼ることができない部分が大きい。

「なぜなら、これらの課題には、普遍的に通用するような真理(正解)がないからである。言い換えれば、これらの課題は、自然や社会の中にすでに存在する「真理(正解)」を見つけ出すことによって解決されるのではなく、当事者たちが、各地域のローカルな事情や自分たちの価値観を踏まえて、ローカルな「合意」を共同で生成していくことによってこそ解消される。」

こうしたローカル知識の共同生成を、ゲーミングを通して行うことができると著者らは考えた。ゲームは、ソーシャルリアリティを即座に構築し、多重の対話を生み出すことができるツールである。「ゲーミングの体験をふり返ってみることで、何がゲームの現実を規定しているのかという制度的側面や、立場の差によるリアリティの構成の差異を具体的、体験的に認識することが可能になる。」(出口、1998)という効用があるという。

ローカル知識の共同生成というモデルは災害時だけでなく、経営や現場の意思決定も応用が利きそうな考え方だと思う。このノウハウでリスクコミュニケーション以外の分野でも、ゲームを作ったら面白そうだなあ。

・教育×破壊的イノベーション 教育現場を抜本的に変革する
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「破壊的イノベーション」のクリステンセンが語るエデュケーションのジレンマ。

「途上国が製造業を基盤とする経済を発展させるとき、生徒は科学、数学、工学を学ぶことで、貧困からの脱出を保証する大きな見返りを得ることができる。だが同じく国が安定と繁栄を実現すれば、生徒は自分が楽しいと感じ、自発的動機づけの持てる科目を、より自由に学べるようになる。」

この現象は日本の理系離れの原因でもある。少子化と同じように繁栄する国が抱える宿命にある問題なのだ。かつてのように大勢の生徒に同じ内容を教える一枚岩型授業が国の教育システムとして、効率が高かった時代も終わっている。

「一枚岩型の教授方式が、生徒中心の技術を装備した教室へと移行するにつれて、教師の役割も徐々に変化していく。この移行は容易ではないかもしれないが、得るところも大きいはずだ。教師は来る年も来る年も画一的な授業を行いながらほとんどの時間を過ごす代わりに、生徒の間を回って、一人ひとりが問題を解決する手助けをすることに、今よりずっと多くの時間を費やせるようになる。生徒が自分に最適な学習方式を探す手助けする、学習コーチやチューターに近い役割を果たすようになるのだ。」

なんだか個人的に響いた。学生時代の私は人の話を聞くのが苦手で、授業理解がさっぱりだめだった。集中力が低い子供だったわけではない。いま考えてみると、私は教師の話す内容より、顔や身振りや服装、言葉尻という枝葉にばかり妙に強い興味行ってしまう子供だったのだと思う。視線が生徒から先生へ一方向だとそうなりやすい。マンツーマン型だったらだいぶ違っていたかも知れないなあ。

そして未来の教育は「生徒の習熟度に関するリアルタイム・データを利用しながら、学習を通じて生徒を導き、やる気にさせる。」という。そして、破壊的イノベーションにつながる教育の手法改良として、

・一人ずつ異なるプロセス、異なる進度で学ぶ

・コンピュータを利用した教育(最初のうちは効果が出ないがやがて強力になる)

などが有力であると結論されている。習熟度とリアルタイムデータ。それって公文式とかsmart.fmみたいなものだろうか。究極的には、褒める、叱るところだけ人間で、あとは全部がコンピュータという教育システムになるのかもしれないなあ。教育の破壊的進化という重要だがあまり議論されないテーマについて、じっくりと考えさせられる本だ。

・プレイフル・シンキング
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この夏に子供を連れて、ICCのキッズ・プログラムに行ってきた。(8月31日でイベントは終了している)。実際に子供と大人が一緒に遊びながら学ぶための作品が展示されていた。実験的メディアアートで遊ぶ感覚が楽しい内容。

・「ICCキッズ・プログラム 2009 プレイフル・ラーニング たのしむ ∩ まなぶ」
http://www.ntticc.or.jp/Archive/2009/Kidsprogram2009/index_j.html

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↑子供は特にフォントで遊ぶ作品に熱中していた。

帰りにこのプログラムをデザインした上田信行氏の著書をミュージアムで買って読んだ。道具、活動、空間、人の組み合わせで創造性を引き出す方法論、空間論。あのイベントは著者の持論「まず「活動」があって、それを楽しむ「人」がいて、そこから生まれる「コミュニケーション」をとおして学ぶことができる場所」を体現していたようだ。

「プレイフルとは、物事に対してワクワクドキドキする心の状態のことをいう。どんな状況であっても、自分とその場にいる人やモノを最大限に活かして、新しい意味を創り出そうとする姿勢」

・真剣に向き合うこと
・柔軟であること
・協調のためのエンジン
・実現できそうな予感にワクワクすること

を大切にした方法論。チクセントミハイのフロー体験にも通じる。

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創造的な学びについて著者はこう簡潔にまとめている。

「学びとは子どもが何かを体験し、その体験を振り返るプロセスを通してみずから構築していくものである。」

「知識とは、他者から与えられるものではなく、みずから創り上げていくもの、つまり「創造するもの」である」

インストラクションではなくコンストラクション・ラーニング(構成主義的学び)として教育をとらえている。だからこそ、ワクワク体験ができる環境が重要なのだ。

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そしてとても面白いなと思ったのは、多くの場合、何をやるかより誰とやるかが重要だという話。あの人とだったらできそうだという他者含みの自信が、学習者を動かす強いモチベーションになるという。

自分の子供時代を思い出してみると、結局、何をどう学ぶかというよりは、どの先生に教わるか、誰と塾に行くか、なんていうことが学習意欲と結果につながっていたように思う。いや大人になった今だってそうかもしれない。誰とやるかで、仕事の楽しさもやりがいも大きく左右される。

ワクワクを一番簡単に創り出す方法は、一緒にやる人を選ぶ、選べる状態にするということなのかもしれない。

・ゲームと犯罪と子どもたち ――ハーバード大学医学部の大規模調査より
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「1994年から2001年までに殺人、強姦、強盗、加重暴行による逮捕者数は44%減少し、逮捕者数に占める青少年の割合は1983年以来最低となった。1993年には殺人事件による青少年の逮捕者数が3790人に達したが、2004年は1110人で71%減少した。」

ちなみに1995年が一般には暴力的とされるアクションゲームの大ヒット作『DOOM』の発売年である。この7年間はゲームが一般に浸透していく時期であった。一般の予想に反して、米国では(おそらく日本でも)ゲームの人気と現実世界の青少年の暴力は確実に反比例していたのである。

この本はハーバード大学医学部は1257名の子供と500名の保護者、数百名の業界関係者を対象に、ゲームが子供に与える影響を科学的に調査した報告である。結論からいうと、いくつかの相関はあるが、子供のゲームと暴力行動の間に強い因果関係は認められないという。

確かにゲームをする時間が長ければ長いほど、ゲームの内容が暴力的であればあるほど、男の子も女の子もいじめの加害者である割合が高くなる。週にゲーム遊び1時間未満の子供が加害者になる割合は1.4%だが、6から8時間ゲームをする子供では11.7%である。特に女の子の場合は顕著で、ほぼ毎日ゲームをする女の子は他の女の子と比べていじめの加害者や被害者になる割合が高い。

だが、この数字をゲームが子供に悪影響を与えると解釈しては間違いである。逆に、ほとんどのゲームをする子供がいじめも問題行動もしないことを意味しているのである。圧倒的多数の子供がゲームを遊ぶ中で、たとえ6から8時間も遊ぶような熱中派でさえ、9割の子供には問題が起きないということになる。ゲームと暴力は一部に若干の相関が見られるが、強い因果関係は認められないのだ。軍隊ごっこや宇宙人ごっこと何が違うのか。

そして定期的にゲームをしない(まったくしない、または通常週に0回)という子供の方が、暴力的ゲームをする男の子に比べて、けんかや窃盗、学校での問題行動を起こす割合が多かった。

これについては著者らは「男の子にとってゲームをするのは普通のことであるため、調査結果をそのまま解釈すれば、「ゲームをしない男の子は普通ではない」ということになる。」と解釈している。同様にゲームをたくさんする女の子は普通ではない。だから問題行動につながりやすいと見る。

他の研究事例の分析からは反社会的行動や暴力的行動の多くは遺伝的特性によるものが大きく、メディアの影響はあまり大きくないという事実も挙げられている。ゲームにも何らかの悪影響はあるかもしれないが、総体的に見たら順位が低くて問題にならないレベルというのが著者らの結論である。

ゲームについて保護者にできることとして「最初の一歩は、「子どもを暴力的なゲームから守るには、どうしたらいいですか?」というよく聞かれる質問を「子どもがゲームをする時間をもっとも有効に使えるように、どう手助けすればいいですか?」に変えることだ」という提言がある。

この本にはゲームのレイティング表示の話が出てくる(一定の効用を認めている)のだが、暴力や性的要素を判定するのではなくて、クリエイティブ度だとか教育的効用というポジティブ面を評価する別のレイティングを作ったらいいのではないかと思った。悪いゲームを禁止するのではなく、よいゲームを推奨することができれば、ゲーム市場も活性化するだろう。じゃあ、なにが本当に良いゲームなのか?ということになると、それはそれで調査研究が必要ではあるのだが。

・ダメなものは、タメになる テレビやゲームは頭を良くしている
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/02/post-937.html

・19×19 トクトク―日本人のアタマをもっとよくする2桁かけ算
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ITにおけるインド躍進の背景にはユニークな数学教育があったと言われている。インドの九九は9×9で終わらず、20×20まで憶えさせるというあれである。これはインド式掛け算を教えるメソッド本だ。

10の段と11の段、それから20×20の段は簡単なので省略され、12×12~19×19を学習することになる。A×BとB×Aは同じなので逆順もまた省略される。暗記項目の数は案外に少ない。これなら小学生が高学年で九九に加えて憶えてしまえばいいというレベル。

まず12から19にキャラクターが割り当てられる。各キャラクターの絵とプロフィールを右脳的に記憶することから始まる。この数字の語呂+キャラクターの掛け合わせで生まれてくるストーリーを暗記していくのである。

12はトリだ。トリはニワトリだが好奇心旺盛な勉強家で好物は煮干しで空を飛び忍者を目指しているという性格が設定されている。

12×12(トリトリ)=144(ピヨヨ)

12×12はトリが2羽いるからピヨヨである。トリトリピヨヨを語呂とそのイメージで記憶する。

13はトミさんで、ハイテクを駆使する50歳の資産家で骨董好きで女性には興味なし。勝負事には弱い。武士に憧れるというお金持ちの紳士の絵柄。トミさんが財布からお札をトリに渡そうとするイメージで、

12×13=(トリトミ)=156(イチコロ)

トリトミイチコロを憶えるわけである。

日本的な漫画キャラクターのキャラクターが親しみやすく、イラストを眺めながら語呂を暗唱していくと、不思議と頭に入ってくる。暗記が苦手な私だが、やってみたらたくさん憶えられてびっくりした。短期記憶への刷り込みは十分な効果が見込めるメソッドだと思う。長期記憶に定着させられるかが今後の課題だが。

非属の才能

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・非属の才能
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私は人から「橋本さんって本当に変わった人ですね」と言われるのが好きだ。そのために生きているといってもいいくらい快感だ。だから学生や後輩を褒めるのにも「君は変わってるねえ」とか「お前は変人だからなあ」という言葉遣いをする。私としては最上級の賛辞のつもりなのだが、ときどき真意が伝わらず、困った顔をされてしまうことがある。みんなもっと変わっていることに自信を持てばいいのに、と思う。

自他共に認める変人指向の人は、この本をすぐ読むべきだと思う(そうではない人は読まない方が良い)。変わり者であることに自信のない人は勇気づけられるし、うまくいっていない人はどうすべきかのヒントを学ぶことができる。

世の中のマジョリティはいかに良い群れに属するかを競っている。高学歴、高収入、良い家柄、「みんなが認めるタグには価値がある」という画一的価値観に染まっているから行列に並ぶ。非属の才能を持つ人間は行列の最後尾に並ぶのではなくて、自分の後ろに行列ができてくれないかなと願う。

漫画家という非属の代表格のような職業で活躍する著者は、自分の人生を振り返り、見つめ直し、変わり者であることの価値を再確認する。その上で異端児ならではの幸福論を話す。熱いメッセージが感動的だ。

「変わり者のいない群れは、多数決と同じでいつも同じ思考・行動をくり返し、環境や時代の変化に対応できず、やがて群れごと淘汰されてしまう。学校や会社などでは、変わり者は「百害あって一利なし」とまで言われてしまうが、皮肉なことに、停滞した群れの未来はたいがいこの手の「迫害されがちな才能」にかかっている。」

この本は前半で非属系の読者にそれでいいのだと自信を持たせ勇気づける。後半ではそうした非属系が世の中と折り合いをつけて才能を開花させるためのアドバイスがある。決して単純な独りよがりを礼賛する本ではない。非属人間にとっては耳が痛い記述も多い。

「人間は自分を認めてくれる人を認めたがるし、謙虚な人を褒める生き物なのだ。」

「...この自意識というやっかいなものは、他人にとっては本当にどうでもよく、うっとうしいものなのだ。ひと言でいえば、非属の才能を持ちながらみんなとうまくやっている人は、この自意識のコントロールのうまい人間である。」

という非属が陥りがちな傾向に対する警句がある。一番心に響いたのはこれである。

「僕が出会った非属の人たちの多くは、自分の世界を大切にしているだけでなく、その自らの世界をエンタテイメントとして相手に提供する術を知っていた。自分のなかにある非属をみんなのためにわかりやすく翻訳したり、調理したりすることが、幸福な人生を送るためには必須なのだ。嫌われる変人はここで怠けている。どこにも属さないということは、はじめから受けいれてもらうのが困難なところにいるということであり、それなりの努力はつきものなのだ。」

結局のところ、異端で変人でオタクでも、話が面白ければいいのである。世の中にわかってもらえる価値を作り出せれば、そのユニークさゆえに価値が倍増して見えるのである。幸せな孤独者として生きるには、群れずにつながれ、という著者のメッセージに深く感銘した。

・新レインボー 写真でわかることわざ辞典
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百聞は一見にしかず。ことわざや慣用句を写真で説明するビジュアル辞典。基本的に児童学習用。

たとえば、苦労しないでたくさん儲ける「ぬれ手であわ」の項目では、実際に水にぬらした手で粟をつかむとどうなるかを、粟がべったりと着いた手のひらの写真で見せる。どれほど濡れ手に粟がうまいやり方なのか実感できる。

特に動物ネタが楽しい。ことわざや慣用句が作られた頃は人間と一緒に暮らしていた動物も今は生活空間で見ることができないものがほとんどだ。子供に教えるとき、こうしたビジュアルブックがあると便利である。

たくさんの人や物が一箇所に集まる「目白おし」の項目には野鳥のメジロが木の枝の上におしあうようにびっしりと並んだ写真がある。「おなじ穴のむじな」ではムジナが何なのかよくわかった。「蛇足」は実在するものだという発見もあった。「ねこの額」は本当に狭い。「虎視眈々」獲物を狙うトラの目つきは本当に鋭い。瓜を真っ二つにして「うり二つ」を検証する。

実は、私はこの本で数十年来の大きな誤解に気づいた。

「灯台もと暗し」

灯台は海辺の灯台ではないのである。灯台は部屋の中で油を使って火をともす照明器具のことなのである。知ってましたか?写真を見て愕然としましたよ私は。

子供だけでなく、一緒に見ている大人も楽しい本である。

・いつか、すべての子供たちに――「ティーチ・フォー・アメリカ」とそこで私が学んだこと
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アメリカ一流大学卒業生の人気就職先ベスト10にランク入りした非営利団体Teach for America(TFA)のファウンダー ウェンディ・コップの自伝。21歳の女子大生がアメリカの教育に大きな一石を投じることになった最初の10年間のサクセスストーリー。

・TFA
http://www.teachforamerica.org/

アメリカでは所得の格差は教育の格差となり、貧困を次の世代に遺伝させてしまうことが大きな問題になっている。

「生徒は通常、非常に不利な状況を抱えて、彼らのもとにやって来る。多くの生徒は、小学校一年生になったその日から遅れている。よい入学前プログラムに通っていなかったり、十分な栄養を取っていなかったりするからだ。子供が成長するにつれ、貧困から生じる問題により、優れた学業成績をあげることはさらにむずかしくなる。」

「低所得地域の子供たちは九歳の時点で、高所得地域の同い年の子供と比べて、算数では一~二学年遅れ、読解では三~四年遅れている。その後、このギャップは広がる一方で、ロサンジェルスの中南部で育った子供が大学を卒業する確率は、ビバリーヒルズで育った子供の約七分の一になる。」

「いつか、この国のすべての子供たちに、優れた教育を受ける機会が与えられること」。教育の不平等を解消するという夢を実現するために、大学生だったウェンディ・コップは、TFAプログラムを考案した。長い苦労の末、TFAは最も成功した現代のNPOのひとつとなった。

TFAは全米の劣悪な環境にある公立学校に、一流大学を卒業したばかりの新米教員を派遣する。2008年度の実績ではハーバード大学の卒業生の9%が、TFAの教員に応募したという。

誰でもTFA教員になれるわけではない。厳しい採用試験がある。2万5千人の応募者のうち合格は3600人の狭き門である。合格しても任期は2年間。年収は約2万5千ドルというから経済的な報酬は若きエリートにとって決して魅力的なものではないはずだ。純粋な動機が選別される。

こうして選ばれた優秀な頭脳と高い意欲を持つTFA教員は、全米各地で短い間に底辺校をトップ校に作り替えていく。彼ら自身も優秀教員として表彰されている。その型破りな活動は、当初は古い教育界から疑問視する声もあがったが、今では米国大統領や著名な経営者にも賞賛されるものになった。

「従来の先生には、教師という仕事が「生計を得るためのジョブ」となっている人たちが多い。それに対して、TFA教師たちを突き動かしているのは「使命感」なんです。」と解説にあるが、それが本質であろう。

興味深いことに、この本のほぼ半分はウェンディが自転車操業のNPOを存続させるために、全米を飛び回りながら資金調達を行った最初の10年間が描かれている。恐らく経営者の彼女にとってこの10年間は組織のためにカネを集めることがトップ・プライオリティの日々だったのだろう。

夢を実現するために必要な金も同時に追いかける。当初は情熱一辺倒の彼女が次第に経営リーダーとして成長しいていくのがわかる。理想と現実の間を埋めるためのマネジメント、ファンドレイズ、それができたことがTFAと彼女の成功の要因だっただろう。持続可能な経営と財務の基盤を築けない、ひ弱な社会起業家ではダメなのだ。

・アメリカ下層教育現場
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/02/post-923.html

・未来を変える80人 僕らが出会った社会起業家
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/05/80.html

・誰が世界を変えるのか ソーシャルイノベーションはここから始まる
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/09/post-821.html

・ビジョナリーカンパニー【特別編】
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/06/post-403.html

・お笑いの世界に学ぶ教師の話術―子どもとのコミュニケーションの力を10倍高めるために!!
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「1980年代の荒れは、中学生たちが学校教師に暴力をふるい、校舎を壊すという非常にわかりやすいものでした。しかし、1990年代に火のついた学級崩壊は、小学生たちが先生の話を聞かずに、おしゃべりをし、立ち歩きを始めるという地味な荒れでした。教師がその対応に失敗してトラブルになることはありましたが、基本は私語とと離席という現象の発生でした」

飽きやすくなった子供たちには、わかりやすいだけではダメで、わかりやすさプラス「面白く」話す必要が出てきた。私語も禁じるのではなく、バスガイド嬢のように、私語が一杯の中でも、それを柔軟に対話に活かしながら、授業を進めるる姿勢が有効という。

そこで著者は、明石家さんまやビートたけし、みのもんたや島田紳助ら、テレビ番組で活躍するお笑い芸人や司会タレントの巧みな話術を研究して、教育の現場で使えるノウハウ集をつくった。

お笑いは「フリ」「オチ」「フォロー(つっこみ)」から成り立つ。「今まで教師は「オチ」を自分で担当しようとして失敗をしてきた。子供たちに「オチ」を担当させ、教師は「フリ」「フォロー(つっこみ)」を担当しよう」という路線である。脱線トーク、ツカミの技術、フリの技術、フォローの技術、キャラの技術、バラエティゲームなどにカテゴリ分けされて、ワザが紹介されていく。

たとえば「先生、その字間違ってますよ」と言われたら、板書している手をピタリと止める。手にはチョーク、体は黒板の方を向いたままである。数秒間、この体勢のままでいる。「先生、どうしたんですか?」という声が子どもから上がったら、黒板の字を何気なく消して、さらりと言う。「何かあったんですか?」」などという切り返しワザ。ミスに意地悪なツッコミを入れる学生は本音では先生に近づきたいので、先生側もちょっと意地悪なユーモアで切り返す。すると距離が縮まるというわけである。

基本は小・中学の教員向けなのだが、大学の授業や会社の新人研修、家庭での教育にも応用が効きそうなワザが満載である。いかに聴衆のアテンションを保ちながら、長い話を聞かせるかの技術論だから。

・環境教育 善意の落とし穴
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未来バンク理事長、ap bank監事の田中優氏が書いた環境教育論の小冊子。善意と無知が環境問題を間違った方向へ導こうとしていると指摘する。

・東京の純粋な家庭ゴミは一般廃棄物のうち27分の1に過ぎない
・純粋な家庭からの二酸化炭素排出量は全体の13.5%に過ぎない
・家庭の電気消費量は全体の4分の1、問題の夏場ピーク時の1割に過ぎない
・日本の二酸化炭素の半分は200の事業所から排出されている

いくら家庭で「みんなの心がけ」や「電気をたいせつに」したところで、環境問題は全然解決しないのである。

著者はこれまでの「身近なところから」式の環境教育に異論を唱える。

「環境教育が問題解決をめざすものであれば、全体像で、自分たちの位置をつかむことが重要だ。「やっぱりゴミは産業が出すものが圧倒的だから、こういう企業を変えていかなければなりませんね」という結論なら理解できるのだが、「やっぱり私たちのライフスタイルが大事ですね。心がけで地球を守りましょう。がんばれば不可能はありません」では、竹槍でB29爆撃機に立ち向かおうとした、どっかの国民のようではないか。」

大局を俯瞰するのは日本が歴史的に苦手とすることだ。もともとエネルギー効率の良い日本がCO2排出量を6%削減したところで、世界の排出量においては誤差の範囲程度の小さな規模に過ぎない、とか、そもそも地球温暖化は自然の周期であって人間の活動と無関係という説もある。現在推進されている環境問題の意識や環境教育の方向性は、政治経済のパワーゲームの産物であり、いま一度各自が見直す必要があるのだ。

善意が悪い影響を及ぼすケースもあるという。たとえばリサイクル品の輸出である。環境に優しく、困っている人を助ける援助にもなるはずだったこの行為が、被援助国では大迷惑となっているそうだ。

「その彼らにとって、日本でリサイクル品が余り、それが「援助」というような美しい言葉で送られてくることが最も怖いことだったのだ。実際に、駅前の放置自転車が大量に「援助」された国では自転車屋が破綻し、衣類や毛布が「援助」された国では工業化に向かう最初のステップである繊維産業が破綻した。「援助」で安く輸出することは、その国の同業種を破綻させるのだ。」

環境問題は複雑な社会や科学の問題であり、何が本当なのかは現段階ではわからない部分が多い。しかし、今起きていることをのうち、明らかに間違っていることや、無意味なことを再考していくことはできる。昨今の環境異論反論本はそうしたオルタナティブ視点を提供してくれるので有益と思う。

「たった一つの巨大な解決策」ではなく30万人規模のコミュニティで内部の問題を解決していくような分散的な解決の枠組みが必要などの著者の提言もあった。これはよさそうだな。

・足もとの自然から始めよう
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/03/post-939.html


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3月22日に超環境イベントをやります。参加者受付中です。よろしくお願いします。

ネットコミュニティ「オーバルリンク」が、今年も公開トークライブを開催します。今年のテーマは"ハイパーグリーン"。私はこの団体の理事なのですが、第一部に出演することになりました。情報問題と環境問題に関心のある方のご参加をお待ちしております。

■オーバルリンク公開トークライブ2009
http://blog.ovallink.jp/index.html
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増殖する[緑]の覇権を撃て!
『 HYPER GREEN 』
複雑系のインターネットから生態系の未来へ
from the internet as complex system to the earth as cybernetic organism

HYPER GREENは、単にトレンド的な環境保全を示すキーワードではない。
これは、情報環境から政治経済の施策までをも含む包括した視座から今問われる
「GREEN」の本質を語ることで、思考停止のエコロジー気分を超える試み。

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■開催日時

2009年3月22日(日) 14時~

■場所

スタジアムプレイス青山イベントホール
http://www.visioncenter.jp/aoyama/access/index.html

■構成

Session1:『情報環境からの創発』橋本大也+上田壮一(出演調整中)

Session2:『環境問題の問題』池田清彦+橋本大也

Session3:『運動する緑』ハセベケン+池田清彦

Session4:『生活を再考する』上田壮一(出演調整中)+ハセベケン

オーガナイズ:前田邦宏+久野木吉蔵

18:00から懇親会を開きます。

■話題提供者

橋本大也(データセクション株式会社 代表/オーバルリンク 理事)
http://www.datasection.co.jp/
http://www.ringolab.com/note/daiya/

池田清彦(早稲田大学国際教養学部 教授)
http://www.waseda.jp/sils/jp/about/faculty/ikeda_kiyohiko.html

ハセベケン(渋谷区議会 議員)
http://www.hasebeken.net/index.html

上田壮一(Think the Earthプロジェクト プロデューサー/スペースポート代
表)=出演調整中
http://www.thinktheearth.net/jp/about/aboutus.html
http://www.spaceport.co.jp/index_j.html


■参加費(当日、会場でお支払ください)

5000円(オーバルリンク会員は3000円)

懇親会:3000円

※オーバルリンク会員ではない方で懇親会まで参加された方は、オーバルリンク
の入会金4000円を免除させていただきます。

■お申し込み : 下記あてメールでお申し込みください。

  info08@ovallink.jp

・足もとの自然から始めよう
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子供達の環境教育に投じられた一石。

「"環境保護的に正しい"とされるカリキュラムは、現在進行している悲惨な事態を目の当たりにすれば、子どもたちのなかに現状を変えていこうという意志が育つにちがいないという思い込みの下に進められている。しかし、実際にはこうした悲惨なイメージというものは、自己、そして時間と場所の感覚を形成する途上にある幼い子どもに対して、始末におえない、悪夢のような影響を与えている。」

著者は、熱帯雨林の破壊、オゾン層破壊、地球温暖化、絶滅危惧種の問題などの複雑な環境問題を、あまりに早い時期に子どもに教えようとするのは逆効果であるという。破壊された環境や殺された動物の映像を見せる前に、まず自然を好きになるような機会を用意すべきだと説く。

子どもの地理的、概念的な視野を超えた複雑さは、彼らに混乱を与えて自然に対する恐怖症を植え付けてしまったり、偽善的なうわべだけの環境意識を持たせることになる。年齢に応じた学習プログラムが大事であるとし、著者らの開発した具体的な活動案が提示される。それは、

1 子ども期初期には自然界に共感する心を励まし
2 中期には"秘密基地"遊びなどで探検する心を優先させ
3 思春期の初期には社会的な活動に参加させる

というもの。「4年生まで悲劇はなし」。ある程度の広い視野を子供達が獲得するまでは環境破壊の怖さはできるかぎり見せないでおく。まず自然に対する好奇心や愛情(動物が可愛いなど)を育むプログラムになっている。

「環境活動にかかわっていく本物の姿勢というものは、まず自分で管理できる狭い場所での経験から生まれるものだ」

で、これは本来は小学4年生までの児童の教育について問題を指摘しているわけだけれども大人だって同じかもしれない。好きだから守るのが自然な流れであって、世界の大問題だから守るというのでは動機づけとして弱い。地球温暖化や生物多様性など抽象度が高い環境問題を無理に考える前に、大人もまた「足もとの自然」を大事にするようになれば、結果として環境保護というのは解決に向かうのではないか、と思った。

「愛のない知識が根をはることはない。しかし、初めに愛があれば、知識は必ずついてくる」ジョン・ブラフという人の言葉が印象的。

・ダメなものは、タメになる テレビやゲームは頭を良くしている
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読書とテレビゲームではどちらが頭をつかうだろうか、タメになるだろうか?。

ずばりゲームであるという本である。

著者は過去30年間に映画や音楽、テレビやゲームなどのポピュラー文化の中身が複雑になり知的な要求度が高まったと分析し、その傾向を「スリーパー曲線」と名づけた。視聴者はテレビやゲームをするとき、平坦な読書体験よりも遙かに頭や五感をフルに働かせているという。

たとえば70年代のテレビ番組と現在のテレビ番組を比べると内容の複雑さや展開スピードの速さが段違いだ。マルチスレッド(複数のストーリーが並行して進む)、点滅矢印(わかりにくいヒント)、社会的ネットワーク(錯綜する人物相関図)といった点で最近の人気ドラマのスリーパー曲線を検証している。

ネットやゲームにはまると人間関係がおろそかになるというのも俗説に過ぎない。なぜならネットでもゲームでも実際に人気なのはコミュニティであり、ネットワーキングだからだ。

「でも実は、過去数年間でウェブで最ももてはやされてきた展開は、ほとんどすべてが社会的交流を増大させるツールだった:出会い系サイト、フレンドスターなどの社会的ネットワークサイトおよびビジネスネットアークサイト、2004年に選挙運動で政治組織の中核をなしたミートアップなどブロガー同士の会話増加を目的としたツールが多く作られた。」

私はゲームが大好きなのだが、特にロールプレイングゲームは私達の世代以降の日本人の人生観に大きな影響を与えていると思う。それはレベルと経験値によるドラクエ的人生観を植え付けたという意味で、だ。経験値を溜めていけば技能が着実に身について、いつか強い敵を倒すことができるという人生モデルを、スクエニは数百万人の若者の脳にインストールしてしまった。単純であるが結構まともな考え方だよなあと思う。

本書によると「ゲームをやる人のほうが、一貫して社会性が高く、自信があり、問題を独創的に解決することをためらわなかった」という研究結果もあるそうだ。ゲームも捨てたものではない。

ゲームが非行暴力を助長しているという一般論にもデータをあげて反論している。実際に数字の上では1992年から2002年の10年間でアメリカにおける暴力犯罪は半減している。そして学生のIQが全般的に向上している。教育的な背景を反映しない技能の向上(おもに流動知性)が目立つ。知能の中位から低位の範囲で向上が顕著である。あれれ、みんなゲームやネットの時代に、それにどっぷり浸かりながら、賢くなっているのである。

「ぼくの主張は、何が本当に認知的なジャンクフードで、何が本当にためになるものか、というのを見極める基準を変えるべきだということだ。番組の暴力や扇動性を心配したり、服装の乱れやfuckなどの言葉尻を心配するよりも、問題はその番組が頭を使わせるか、それとも考えさせないかということであるべきだ。」

ゲームやネットを悪者にする人たちに反撃する論拠が満載の痛快な本である。

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