Books-Educationの最近のブログ記事

・高校生からの経済データ入門
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高校生向けに、物価、金利、人口、経済成長率、国際収支統計、就職率などの基本的な経済データの読み方を教える新書。国の大きな数字だけでなく、コンビニの来客数・売上データから夏は客数、冬は売り上げ単価重視の経営戦略を読み取ったり、プリンタの価格(変動するがモデルチェンジで価格戻す)とインクの価格(安定している)にみるメーカーの価格戦略の巧みさに感嘆したり。身近なビジネスのデータ分析の例もたっぷりあって大人も勉強になる。

経済のデータというのは、公開された数字を見て、へえ、そういうものなのか、覚えておこうと思って終わりにしてしまうことが多い。結局、覚えてさえいないものだが。この本には考えてみよう!という練習課題が用意されていて、さざざまな経済データのグラフや表から、何が言えるかを問う。たとえばじゃがいもとポテトチップスの価格が連動しないのはなぜか。分析の切り口を自分で考えられれば、記憶にも定着しやすい。

データ分析はグラフではなく表で行えという指導があった。あまり考えたことがなかったが、

「一般的に、表とグラフでは、グラフのほうがすぐに特徴をみつけやすいといえます。だからといって、そうしてみつけた特徴が本当に意味がある特徴かどうか、単なる錯覚ではないのか、グラフをみたことで先入観をもってしまったあとでは、検証がむずかしいでしょう。 だからこそ、まずは、特徴をみつけにくい表をながめてデータ分析をすることが、データ読解力を高めるうえでは大切です。」

こういうことはあるかもしれない。私たちはついつい楽な方へ流れてしまうから、わかりやすいグラフに頼りがち。ITツールに頼りがちということもありそう。学校の勉強と同じで、スキルとしてのデータ読解力を高めようと思ったら、練習問題を解くように、頭に負荷をかけるしかないということなのだろうな。

・竜退治の騎士になる方法
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児童文学だが大人が読んでも考えさせられることが多い傑作である。いやむしろ大人の方が受け取れるメッセージが多いはず。

「おれは竜退治の騎士やねん。」

夕暮れの教室。忘れ物を取りに行った二人の小学生の前に現れた関西弁の竜騎士の男。どう見ても日本人なのに名前はジェラルドで略してジェリーと呼んでくれという。竜騎士は疑いの眼差しを向ける二人に、竜騎士の仕事を話し始める。こうしておしゃべりしていればそのうち竜が出てくるから、と前置きして。

この物語は映画監督、小説家、歌手、俳優、宇宙飛行士、大統領とか、子供時代に憧れる人は多いが、どうやったらなれるのか道筋が決まっていない職業になる方法を示唆する。ジェラルドによると竜騎士になる第一歩は、トイレのスリッパをきれいに揃えること、なのだが。

おしゃべりしていると出てくる竜の正体は何か、人にそこにいないはずの竜を見せてしまうものとはなにか。どのテーマにも作者は答えをずばりと書いたりはしないが、物語の中で、子供には子供なりに、大人は大人なりに、意義深い答えを読み取ることができるように設計されている。

夢を叶えるゾウに似たところもあるが、こちらの方がずっと古くに書かれている。子供向けの自己啓発には大人向けの本にありがちな、いやらしさがなくていい。

・キッザニア裏技ガイド 東京&甲子園2012~13年版
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このキッザニアのガイドブックだが、私は子供(小学3年)にぜひやってもらいたい仕事体験のページに緑のふせんをつけた。妻はピンクのふせんをつけた。こうすると夫婦の考え方の違いがわかって楽しいのでキッザニアの待ち時間のつぶし方として推奨だが、私がふせんをつけたのは、テレビ局、ラジオ局、出版社、新聞社、で、メディア系だった。

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ところが子供曰く「人前で何かやるのは嫌だ」とあっさりテレビ、メディア系を辞退。研究開発系を希望している。うーん、そこをなんとか一つは父の希望をお願いしますよと、息子に頼み込んで新聞記者体験だけやってもらった。

子供たちは朝日新聞の腕章をつけて、キッザニアの街に取材に出かけ、インタビューを行い取材メモをつくる。そして帰社してからパソコンルームで記事に仕上げる。終了時には記者名と写真を入れて印刷した新聞がもらえる。やっている間は、楽しんではいたようなのだが、子供の感想は「長かった」。

この子は物書きにはならないかもなあと思った。

自分の過去を思い出した。小学校2年生の夏休みに作文の課題がでた。私は家族旅行について事細かに書くことで原稿用紙25枚くらいの大作を提出した。課題としては原稿用紙数枚の作文でよかった。そこへ約1万字書いた。小学生にしては高いハードルを超えた。当然、私が一番の大作だろうと自信満々でいた。ところが、休み明けの発表で、同級生のT君が30枚を超える超大作を提出していたことが判明した。私は限界に挑むくらいの気持ちで書いていたので、愕然とすると同時に、これは完全に負けたなと思った。

その後の人生どうなったかというと、T君は新聞記者になって日々原稿を書き、それをもとに本を出版している。私も日々ブログを書き、本を出版している。今思えば小学2年生の夏の段階で、私たち二人には物書きになるという素質の芽が出ていたのだと思う。文章がうまい、下手というよりも、好きでついついいっぱい書いてしまうという素質が。

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息子は研究開発系の仕事体験でいきいきとやっていた。やはり研究職になるような気がする。

キッザニアでは90種類もの職業を体験することができる。こういう伸びる素質みたいなものを子供の中に発見するのにいいテーマパークだなあと思った。大人も体験できるパビリオンがあればさらによいのに。

・こどもと楽しむマンガ論語
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「『論語』というのは、今から約二千五百年前の中国で生きた、孔子という人が話したことや行動などをまとめたものなんだ。どうせ昔のもの?むずかしそう?確かに孔子は昔の人で、先生とよばれるような人だよね。でも、孔子も君と同じなやみを持ち、同じようなことを考えていたのかもしれないよ。」

親と子供が一緒に楽しめる論語のマンガ参考書。

38の教えが元の漢文と読み下し分と解説、そして小学生くらいの生活で身近なことにたとえたマンガで説明していく内容。児童向けの本だが、取り上げる教えがやさしいものばかりではないのと、構成がしっかりしているので、実は一緒に読む親も楽しめる。

だっていきなり第1章が、

子曰く、「異端を攻むるは、斯れ害なるのみ。」

である。第2章は、

子曰く、「衆之を悪むも、必ず察す。衆之を好むも、必ず察す。」

である。歯ごたえあるな。

児童には難しいんじゃないかという内容だが、それぞれ「やたらに自分の考えとちがうことをきらっているようでは、かえって自分によくないよ」「みんながきらっていても、必ず本当にそうなのか確かめること。みんなが好んでいても、必ず本当にそうなのか確かめること。という意味なのだよと、文章と漫画でかみくだいて教えている。

編者のポリシーを感じる本だ。わざわざ「女子と小人とは養い難し」という現代の子供に教えるにはややこしそうな教えも敢えて収録しており、見事に解説している。論語とは何かをはじめて教える教材としてよくできている。

・知の広場――図書館と自由
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司書歴30年、イタリアの有名公共図書館のリノベーションにかかわってきた著者が、21世紀の図書館のあり方について語る。インターネット時代の、高齢化の時代の図書館のあるべき姿は「屋根のある広場」。世界の図書館の意欲的な変革の事例を次々に取り上げて、旧態依然とした図書館業界に未来像を示す。成功している図書館の事例写真集が冒頭にあってイメージが湧く。素晴らしい本だった。

「私たちは、対話の場、知り合う場、情報の場をもう一度創ることができると思いますし、またそうした場を必要としています。それが、広場でありながら図書館でもある。つまり、屋根のある広場───本や映画を借りるのと同じように、友達に会いに行くということが大切に思われる場───なのです。」

インターネットにつながったパソコンがあれば多くの情報収集が自宅でできる先進国において、図書館の役割は大きな変化を求められている。インターネットでできないことは、人と人が現実に触れ合うこと。著者は「つまり、優れた運営の公共図書館は、地域のソーシャルキャピタルを豊かにする場所なのである。」と強調する。

経済不況のなかで無料のインターネット接続を提供した米国の公共図書館は、低所得者を中心に、生活補助の申請や求人へのエントリを行う場として利用者を増やし、本の貸し出し数も伸ばすことができた。本を提供する以外の目的を強化することで、本来の図書館のサービスも使われるようになった。

そして利用者同士の交流、利用者と図書館員の交流によって、豊かな人間関係をベースにした知的交流の空間が育っていく。そのためにはおしゃべりを許容する交流の場もデザインされねばならない。

「図書館は、新着映画や人種差別反対の本を増やす以上に、さまざまな人と出会う経験を通じて、自分の世界から飛び出たり、ヴァーチャルではない現実世界で人に出会ったり、世界で起こっていることを知ったり、孤独、疎外、無視と闘ったりもできるということを伝えられる。こうしたことを、他の方法、例えばネット上などで実現できるだろうか?」
若者をひきつけるには商業施設のようなカジュアルなデザインで入りやすくすることも大切だ。重厚な建築で知的静謐な従来の図書館デザインは、立地によっては利用者にとって敷居が高い。ショッピングセンターの商業施設に同化したような新しいスタイルの図書館も提案されている。イギリスのIdea Storeの写真はショッキングだ。まるでおしゃれなブティック、カフェみたいなのである。

著者は図書館員の意識改革を求めている。どうやら図書館業界の閉塞感は世界中で共有されているものらしい。

「今日でもまだ、多くの同僚たちが図書館員の主たる仕事とは、利用者と接するそれ───ほとんどの場合、専門家ではない人が配置されている───ではなく、バック・オフィスでのそれだと信じている。しかし、利用者との接触が、目録番号の記入された請求用紙を受け取り、書庫にさがしに行くことを意味する時代はだいっぶ前に終わっており、いずれにしてもそうした考えは、図書館員の活動の中心を蔵書にではなく利用者に置く「パブリック・ライブラリー」の構造とは無縁なのである。」

日本でも多くの利用者は司書と話をしたことがなく、本について質問したことがないはずだ。司書は本を選んだり、整理したりするだけの役割を脱して、もっと前面に出てその知を活かすべきだろう。それから図書館運営に図書館員以外の職業の人たちを参加させることが、世の中のニーズにこたえることにつながっていくという著者の意見にも賛成だ。

少子高齢化とデジタル化の時代に、図書館は10年以内くらいのスパンでの大変革を求められていると思う。この本はひとつの有効なビジョンを示していると感じる。

・人種とスポーツ - 黒人は本当に「速く」「強い」のか
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「1984年五輪ロサンゼルス大会から2008年北京大会まで、直近の過去七大会の競争種目男子100メートルの決勝で、スタートラインに立った56人はすべて黒人である。」

陸上競技、バスケットボール、フットボールというスポーツでは黒人の活躍が顕著である。濃い褐色の肌は強靭な肉体をイメージさせる。メディアは強い動物のイメージにたとえたりもした。

黒人は先天的に身体能力が高い?
奴隷制の試練を耐え抜いた強靭な肉体の男女から生まれているから?

黒人身体能力ステレオタイプという偏見は、世界中にあるが特に日本人に強く持たれているらしい。現実には黒人が他の人種と比較して生得的な身体能力が優れているという証拠はないし、そもそも「黒人」の定義が曖昧であり、肌が黒いからといっても遺伝学的には大きく異なる集団が混在しているそうだ。

黒人自身も自分たちの身体能力が生まれつき高いと勘違いしていることがあるのは、この問題の難しさを示している。それは音楽の能力と同じで、個の素質と環境によって伸ばされるものに過ぎないということを、多くの人が誤解している。

著者はさまざまなスポーツの歴史を丁寧にみていく。黒人の大活躍する陸上競技、バスケットボール、フットボールといった競技がある一方で、黒人が活躍しない種目もある。米国のベースボールやボクシングのように、一時は黒人選手が上位を占めたが現在はそうではなくなった種目も結構ある。

奴隷制の時代から現代まで、黒人のスポーツへの進出を時系列で追いかけることで、歴史的な経緯やいくつもの条件が重なって、黒人優位のスポーツができあがっていった様子がみえてくる。

この内容、そうだったのか!という人もいれば、やっぱりそうか!、という人もいるだろう。どちらにせよ、いまだに広く持たれている偏見と差別に真正面から一石を投じる内容。面白い。

オリンピック前に呼んでおきたい一冊。教科書でちゃんと教えてもよいのかも。

・越境者的ニッポン
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職業は博奕打ち。経歴が凄い。高校にはほとんど行かず賭場に出入りし父親ほどの年齢の親父たちを相手に勝負した。21歳の時、1万円の原資で競輪に挑み、勝った金を次のレースに全額突っ込むという乱暴な戦法で3連勝し、300万円を稼いでしまう。新卒の月給が2万円の時代にだ。大金を持った著者はそのまま海外へでて国際的な博奕打ちとなった。以来40年ほとんど日本には住んでいない。現在はオーストラリアを拠点に世界の賭場を攻めている。

著者は中学3年生レベルの知識しか持たない人間として「チューサン階級」を自称している。アウトローの立場からの豪放磊落な語りを楽しむ本なのだが、途中で子育ての話が書いてある。子供も父親と同じように、集団生活になじめず登校拒否になる。だが、オーストラリアで、個性を伸ばす環境を与えると、子供は一流大学に十五歳で飛び級入学する。ここから私はすっかり教育論として、態度を改めて真面目に読むことにした。

「ある年齢を過ぎると、絶対的知識量が不足している子どもたちは、全体主義者となる。他の子どもがやることをやりたがり、同じ物を持ちたがり食べたがり、同じテレビ番組を見たがる。これに関しては、いくらでも例が挙げられるはずだ。 放っておけば全体主義者となってしまう子どもたちを、言葉は悪いかもしれないが、社会を社会たらしめる論理ですこしずつ「矯正」していくのが、教育の重大な役割のひとつではなかろうか、とわたしは考える。」

子供を型にはめるのではなく、個性を伸ばして育てる。そうすることが社会のためでもあるという論。ひとりひとりを異質な人間に育てる。フリーという名のゲイの中学教師が、問題児であった著者の息子に「きみはきみのままでいい」と言って導く教育。日本の普通の学校では不可能な話に思える。

越境者の目から日本を憂う。確信犯としての素朴な視点で、日本の政治やメディア、教育、文化をぶった切る。とらわれるものがないグローバルレベルの自由人による痛快な放談。ここがヘンだよ日本人論。

・源平争乱群雄ビジュアル百科
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視聴率が低迷するNHK大河ドラマ『平清盛』ですが、登場人物が知られていない、関係が複雑というのが人気がない理由なのではないかと思います。

振り返ってみると、私が戦国時代の武将の名前を覚えたのはゲーム『信長の野望』の攻略本でした。三国志もそうでした。光栄万歳。歴史上の人物の顔は、現代風の絵でみたほうがリアリティがあって、歴史の物語にも感情移入しやすくなるなあと思います。

このビジュアルガイドは源平合戦に登場する人物たちをゲーム攻略風に解説したたいへんわかりやすい本です。源氏と平氏、藤原氏、天皇系をイラストと簡単なプロフィールで紹介していきます。解説の大きさでだいたいの重要度もわかります。

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そして源平合戦といえばたくさんある戦いですが、誰が誰と戦っているのかがわかりにくい。この本では全23合戦を4段階チャートで分析し、主要人物たちの「勝ち」「負け」を明らかにします。図式が理解できました。

一般には無視されますが、ゲームの攻略本はしばしば書店のベストセラーになります。子供も大人も慣れ親しんだゲーム攻略本的な様式の教科書を作ったらいいのではないかなあと思いました。

・源平武将伝 平清盛 (コミック版日本の歴史)
http://www.ringolab.com/note/daiya/2012/01/post-1578.html

・清盛
http://www.ringolab.com/note/daiya/2011/12/post-1567.html

・平清盛 -栄華と退廃の平安を往く-
http://www.ringolab.com/note/daiya/2011/12/post-1565.html

・平家の群像 物語から史実へ
http://www.ringolab.com/note/daiya/2011/10/post-1533.html

・「平家物語 あらすじで楽しむ源平の戦い」と「繪本 平家物語」
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/09/post-823.html

・安徳天皇漂海記
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/09/post-445.html
平家物語のバリエーション。

・琵琶法師―"異界"を語る人びと
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/07/post-1034.html

「ソーシャルラーニング」入門 ソーシャルメディアがもたらす人と組織の知識革命
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複数の人間が一緒に学ぶことをソーシャルラーニングと呼ぶが、この本はソーシャルメディアを活用した「新しいソーシャルラーニング」を定義、提案する本である。CIA、インテル、IBM、デロイト、シェブロンなど海外の大企業、大組織の事例が多数ある。

「専門家が1回限りのセミナーを行ったり、1日まるごとの研修を行ったりする古典的な企業研修のモデルは、近代化されようとしている。他者との対話から、あるいは業務の中で学びを得るには偶発的なチャンスを最大限に生かすような仕組みが必要である。」

私は企業研修の企画を仕事のひとつにしているが、よく提案するのがワークショップだ。社会人は皆なにかしらのプロだから、インタラクションによって、持っている経験知を引き出しあうことが、一番効果的な実践的学びになると考えている。ワークショップ未経験の企業では、従来の講義形式と違って「上司から遊んでいるようにみられてしまうのでは?」と担当者が懸念する場合がある。しかしそこで意思決定者たちを集めて一度体験してもらうと皆納得する。遊びに熱中するように学ぶのが一番効果的だとわかるからだ。ワークショップではひとりも居眠りをする者がいない。

「学習に関する研究レポートで明らかにされているように、学習者は深く関与すればするほど、学びが効果的になる。言い方を変えれば、学習者が質問をすればするほど、学習が強化されることになる。ソーシャルラーニングは、人々にとって(自分の)質問と、(自分の)答えの両方を容易に見つけることのできる手段であると言える」

いまならばITを活用することでソーシャルラーニングの効果は倍増させることができる。その具体例やキーワードが本書にはたくさん取り上げられている。たとえば社内でネットを活用している企業だったら「メディアシェアリング」や「マイクロシェアリング」の効果は体験しているのではないだろうか。Web上の記事をネタに、ネット上で情報交換をすることだ。

「バックチャネル」という言葉をこの本ではじめて知った。「ライブ・イベントなどの場において聴衆がツイッターやチャットを使って行うリアルタイムのテキストコミュニケーション」を指す。セミナーを聴いている聴衆が、ツイッター上でリアルタイムに議論をするあれである。

「多くの発表者は自分の話を聞かないで他のことをしている聴衆を見ると、発表者を無視しているのだと思うかもしれない。しかし、これは必ずしも実証されていない。多くの人は副次的なことをすることで主目的に集中するものである。"Applied Cognitive Psycology"の調査では、「ながら族」はそうでない人たちに比べて29%多く電話の会話を思い出すことができると報告している。」

教える方と学ぶ方をわけずに、皆でインタラクションして学ぶというスタイルがソーシャルラーニングである。バックチャネルにこそ本質があるような教育もでてくるかもしれない。講師は場のデザインとファシリテーション能力が求められるようになっていくのだろう。

そしてとても響いたのは「学ぶとは、自分のネットワークの質を最適化することである」という一文。ソーシャルメディアによって、より一層、知は人と人の間で創造されるものになっていくのだなあと予感させる内容。

この本の出版記念イベントやります。

「ソーシャルラーニング入門」出版記念「ソーシャルラーニング元年!学びで加速するソーシャル世界」セミナー開催
http://www.ringolab.com/note/daiya/2012/01/post-1569.html

・高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院
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ひたすら"無職博士問題"を世に訴え続ける僧侶で博士の水月昭道氏の本。2007年にベストセラーとなった本書だが、いまだによく話題になるので、読んでみた。

大学院博士課程を修了した人の就職率は約50%。この20年で大学院生は7万人から26万人と約4倍に増え、博士とその予備軍が毎年5千人、その出口からでてくる。しかし、大学にも企業にも博士を迎える就職口は少ない。せっかく頑張って博士になったのに、路頭に迷ってしまうケースが増えているという。

なんだかんだいっても高学歴で恵まれた人たちの話じゃないかと片付けるには状況が厳しいようだ。なんと博士課程修了者の11.45%が"死亡・不詳の者"になっている。人文・社会科学系では19%にもなるという。(日本の自殺率は0.03%程度)。10人に1人が自殺したり行方不明になっているのだ。

博士が就職できないと社会的コストも無駄になる。ポスドク1人育てるのに1億円の税金がかかるという試算が示されているが、社会にとっても宝の持ち腐れ状態になっている。就職できない個人の問題ではなくて、国の大学院重点化政策がつくりだした構造的問題だ、どうにかしなければならないというのが著者の主張である。

アメリカでは博士は専門家として大学以外の公的機関や企業へ就職する道が開けているという。社会に出た後で、時間とお金に余裕ができると博士を取得しにいく人も多い。日本の博士課程は、フルタイムの教員か研究職になる以外の道が狭い。入学時にそれ以外の見通しが与えられていないから、学生側も人生設計をたてにくいのだろう。

「博士号は、大学院で学んだ若者が専任教員の口を得るためのキャリアパスとしての位置づけから、市民社会における豊かさを個々の市民が実現していくことを間接的に助けうるものとして、その姿を変化させていく過渡期に現在があるのかもしれない。」と著者は書いている。少子高齢化の時代、人生を豊かにするための学びの場、生涯教育としての大学院は、学生にとっても大学にとっても、たいへん魅力的だ。学問分野にもよるが、博士の社会的な位置づけを変えていくことが重要か。

それからどうせ不安定な雇用ならば、ベンチャーとのマッチングもよさそう。シリコンバレーのITベンチャーでは、チーフサイエンティストなどの役職で、理系の博士人材が活躍している。以前米YAHOO!やGoogleを見学しに行ったら、説明に出てくる人が、情報系の博士で元○○大の先生だったという人が珍しくなかった。日本のベンチャーでは専門を活かした博士人材の登用が非常に少ないように思う。

企業側が博士を受け入れるための研究職をわざわざ作るというのは難しい。博士の側が、専門性を応用すると具体的に何ができるかや、研究活動における能力の高さ(情報収集や分析、プログラミングなど)を、企業の側にもっとアピールする必要があると思う。

・新書で大学の教養科目をモノにする 政治学
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公務員試験対策に使われていた人気テキストに加筆修正して新書化。コンパクトながら政治学全体の流れをつかめる構成。ポスト3.11やら総理交代やらで、改めて政治について考えてみたくなるときに、ちょうどよいと思って手に取った。

政治とは何か、権力とは何かという基本的な概念の説明から始まって、マキャベリ、ホッブズ、ロック、モンテスキューら近代国家の原理を造った思想家たちの政治思想の整理
、そして議会主義、権力分立の原理と具体例、日本及び諸外国の特徴、近代国家の理念が建前と化した現代大衆国家の特徴といった解説が並ぶ。

たとえばイデオロギーという概念の説明は、「イデオロギーというと、一般に政治思想、それも社会主義や共産主義あるいはファシズムといった急進的な思想について用いられることが多い。しかし正しくは、イデオロギーとは私たちの誰もがなんらかの形で抱いている世界観のことである。もう少し厳密に定義するならば「人間、自然、社会等についての一貫性と論理性をもった表象(イメージ)と主張の体系」ということになる。」と、とてもわかりやすい記述。

そして、そうした解説を受ける形で、要所要所に「例題」「ポイント」がおかれており、「現代民主政において、正常な政治と腐敗した政治を区別する基準は何か、またそれを正す手法について、その有効性と限界を述べよ。ただし、歴史と現状にも必ず触れること」のように大学の一般教養試験問題のような出題もなされる。新書であるが参考書みたいな形式だ。

ブログやツイッターで国民総評論家時代の今、無用で的外れな発言をしないためにも、今の政治を批判する前に、前提となる基本知識を整理することって重要だと思う。

・読書感想文がラクラク書けちゃう本―宮川俊彦のオタスケ授業 (日本一の教え方名人ナマ授業シリーズ)
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ドラえもんとのび太くんととっちゃまんによる小学校中・高学年向きの参考書。低学年の息子に読書感想文の書き方を教えてやろうと思って父親視点で読み始めたが、読書感想ブロガーの私が参考になってしまった。なかなか、いいことが書いてある。

書きだしのテクニックや「感想ワード」や「展開ワード」を使って、子供たちがまずは原稿用紙を埋める方法を教える。「本との出会いから入る」「もしも」「主人公への手紙」「ベタボメ」「セリフ抜き出しの術」「表紙がいいとかまわりからせめる」など。

そして、起承転結的な、たくさんの構成テンプレートを紹介している。11項目からなる「とっちゃまん式組み立て理論」など、大人でも本の紹介に役立ちそうな形式がある。

小手先のテクニック指導だけじゃないのも好印象だ。

たとえば、例文として

「ぼくは『マッチ売りの少女』を読んだ。こいつってばかじゃん、と思った。」

とか

「『桃太郎』は、みんながよく知っているむかしばなしで、桃太郎がおにたいじに行く話だ。 この本のテーマは、「おにたいじをすることが正義だ」「正義の味方の桃太郎はエライ」ということなのかな。ぼくはちがうと思う。桃太郎は、みんなにほめてほしかっただけで、正義の味方なんかじゃないと思う。」

で始めていいんだよ、自分なりの感性を伸ばしていく延長にいい感想文があるよと教えている。巻末FAQの「先生にほめてもらえる感想文が書きたい!」という質問への答えが気が効いている。著者の答えは「「いい子ちゃん感想文」を書くか、書きたいように書くかだ」。ちなみに「いい子ちゃん感想文」とは、たとえうそでも感動したと書いて、自分の気持ちと主人公の気持ちをかさね合わせ、反省と目標を書く。テーマは家族、友情、自然破壊などにし「これから~したい」という文章を入れて、いちゃもんをつけないことだよ、と、ちゃんと教えている。

ドラえもんがあんまり活躍していないのが気になるが、とっちゃまんはなかなか為になることをいう。正体は国語作文教育研究所所長らしい。なるほどね。

・国語教科書の中の「日本」
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いやあ、おもしろいなあ、痛快だな。子ども時代からのもやもやがすっきりしていく。昔からそうだったよ、国語の教科書は。

著者は、小中学校の教科書を精査し、国語教育が「古き良き日本」ばかりを教える偏った道徳教育になっている実態を批判する。私の頃もそうだったがトップシェアの光村図書の教科書を中心に、そこは保守イデオロギーの塊なのだ。

「光村図書の『こくご 上』を読んでいたときのことだ。小学校に入学してはじめて手にする国語の教科書である。だから、「あいうえお」を学ぶことになる。それに例示されているものが気になったのだ。「あ」は「あめ・あり・あひる」、「い」は「いす・いるか・いのしし」、「う」は「うし・うみ・うちわ」、「え」は「えき・えほん・えんとつ」。いまの子供が「うちわ」や「えんとつ」にどれだけのリアリティーを感じるだろうか。しかし、もっとおかしいのは「おけ・おに・おの」。どれも「古い日本を象徴するものばかりなのである。」

「動物に関する教材」が多く、全体として「自然に帰ろう」で「都会生活の無視」は国語の教科書のパターンのひとつだそうだ。高学年になってくと保守イデオロギーは、どんどん顕著になっていく。いまだに母親は「かっぽう着を着て、白いてぬぐいをかぶっている母」のイメージがまかり通っており、戦争中や戦後は「物の豊かさ」はなかったが「心の豊かさ」はあったことになっている。そして「過去から現代、そして未来へと暮らしは変化していくが、人々の心は同じはずである」という「心」に関するメッセージ。

私の小学校時代の国語の記憶といえば井上靖の『しろばんば』だが、あれも田舎で昔はよかったという話だ。教科書に頻出する「少年時代の思い出」や「父親の不在」「田舎の生活」で典型的要素たっぷりの作品だった。

著者はこうした偏りを指摘するが、出版社の編集者や教科書の編集委員を批難するわけではない。「おそらく意識しないで「自然」な感覚で編集したらこうなってしまったことこそが大きな問題」だとしてイデオロギーの恐ろしさを指摘する。

相対化し、客観化し、批判的に見る能力を養うべきだというのが著者の教育への提案のようだ。曰く日本語に「正しい」も「美しい」もないし「乱れ」もない。基準がないのだから主観に過ぎない。「古き良き日本」の保守イデオロギーは教科書に浸透し、子供たちに偏ったパラダイムを植え付けるている。さらには受験勉強で求められる正解としての答えとして、思考回路に刷り込まれていき、多様な解釈の可能性を阻む。

国語に置いては「論理的思考力」もまた相対的なパラダイムのひとつに過ぎないという。
「「論理的思考力」は普遍的なものだと思い込むと、「あなたは論理的ですね」「あなたは論理的じゃあありませんね」という振り分けが必ず起こってくる。そうではないのだ。パラダイム・チェンジによって「論理も変わるということが理解されていれば、「あなたの言っていることはこういうパラダイムの中でならば論理的ですよ」という教育ができるはずだ。」

ここに著者の教育観の真髄がみえる。いろいろな道徳がある、いろいろな価値観がある、ということこそ教えるべきことだという意見に、天の邪鬼な子供だった私(今でもか)はものすごーく共鳴してしまうのである。

正解はひとつじゃないと教えるのが難しいという教育の現場の問題はきっとあるのだろうけれども。

・おそらに はては あるの?
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子どもを理系に導くならこの絵本がおすすめ。小学生くらいがいい。

"おそらに、はてって あるのかな。
 それとも、はては なくて
 どこまでも どこまでも つづいているのかしら。
 よるの ほしぞらは
 はてしなく どこまでも どこまでも
 つづいているのかしら。

 あなたは どちらだと おもいますか?"

もしも宇宙が無限の広さを持ち、星が無限にあるならば、夜空は星の光りでみたされてしまうのではないか。1826年に提唱された"オルバースのパラドックス"を材料にして宇宙論の研究者 佐治晴夫教授がつくった子供向けの絵本。

オルバースのパラドックス自体は現代ではその前提が否定されているが、この本では、こどもに宇宙の果てがあるかもしれないことを理論的に想像させる、知的な道具として実に見事に使っている。親もいろいろと考えることができて名作だとおもう。

うちの息子も小学生になって、理系の資質をあらわしはじめている。先日の寝る前の質問は「4次元とか5次元とかはあるの?」だった。私は得意になって「いや実はだな、最新の物理学によると、この世界は11次元なんだ。3次元+時間で4次元あるよね、で、残り7次元はすごいミクロのレベルで折りたたまれていて、人間にはわからないんだよ」と本で読んだ知識を答えてやったら不満そうな顔で寝た。この疑問をすっきりわからせる絵本ないかなあと探している。

・日本のすがた 2011―日本国勢図会ジュニア版 表とグラフでみる 日本をもっと知るための社会科資料集
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世の中全体が日本再生を考えるムードですが、まず日本の基本的なすがたを俯瞰することが重要であると思います。

この本は小学校高学年から中学生を対象にした社会科資料集。日本の産業、経済、社会の各分野の基本的な成り立ちと現在のすがたをデータで示します。小学生の学ぶ情報ではあるのですが、不勉強な私は結構な再発見、再認識がありました。

たとえば、

1 農業就業人口の平均年齢は66歳

農業就業人口は1955年から2005年までの50年間で5分の1の261万人にまで減りました。驚くべきはその年齢構成で、65歳以上が全体の62%を占めて、平均年齢で66歳になるという事実。就業人口は減り続けており、少数ながらあらたに農家を始めた人も、半数が60歳以上という状況。

2 日本の国土は70%が森林におおわれています

そんなに広かったかと思いました。3分の2が針葉樹で3分の1が広葉樹。輸入木材におされて価格下落し伐っても採算がとれない状況。国土の7割が有効に使われていないという見方もできます。どうしましょうか。

3 2008年に世界で生産されたパソコンのうち97%は中国製

グラフを見ると2000年くらいから中国が急激な成長カーブを描いて、他国を抜き去りました。2008年時点で中国2.7億台、日本780万台。日本製のパソコンはもはや激レアなのですか、私使ってますが...。

4 1950年、発電エネルギー源は水力81.7%、火力18.3%だった

今話題のエネルギー源ですが過去を振り返ると60年前は水力が圧倒していたのですね。1960年になると水力と火力が半々になり、1980年代にやっと原子力が10%を超えて登場します。2009年では水力7.5%、火力66.7%、原子力25.1%。火力の6割台という数字は80年くらいから大きくは変わっていなくて、水力が減った分、原子力が増えたという構図。

小中学生向けの参考書なのに、メモをいっぱいとって、考え込んでしまいました。

専門家の解説よりも前に、事実をみて、ひとりで考えてみることができる大人にも勉強になる本です。

しかし、なんで表紙がiPadなんだろう。内容はまったく関係ないのですが...。