Books-Fictionの最近のブログ記事

魚神

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・魚神
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「魚の目を覗いてはいけないよ。人間とは心の造りがちがうのだから。」

目は不思議だ。

瞳を見つめていると相手の心の中を覗いている気がする。本当のことを言っているのかどうか、口は欺いても目は嘘をつかないはずと思っている。だからペットの動物の目を見たときにもそこに心を見出そうとする。でも動物は人間と違う。裏切られて悲しくなると同時に、見た目は同じなのに異なるものが背後にあることに、怖さ、不気味さを感じることがある。

捨て子だった白亜とスケキヨは本土から隔離された遊郭の島で育てられた。やがて美貌の姉は遊郭で身を売り、薬学を身に付けた弟は暗闇で不思議な薬を売るようになる。二人は幼い頃から強く惹かれあっていたが、姉は弟の暗い目の奥に自分とは相いれない不気味なものを感じていた。

この小説、読者は独特で幻想的な世界観にまず強く惹かれるだろう。島民の夢を喰らう獏の伝説、巨大な雷魚、遊郭を管理する裏社会の掟、女の体に月一度訪れる「月水」やスケキヨが発するデンキ。時代小説の遊郭モノに異界設定というひねりを加えている。そのひねり具合が絶妙で登場人物は人間とそうでないものの境界線に、濃い闇の目をして存在している。

デビュー作にして小説すばる新人賞と泉鏡花文学賞をダブル受賞した話題作。千早 茜はまだ一冊しか出していないようだが、大物の予感。新刊.netに作家名をキーワード登録しておこう。

・ブラッド・メリディアン
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現代アメリカ文学の巨匠コーマック・マッカーシーの長編。

アメリカ開拓時代、インディアン討伐隊に加わった少年が体験する無法と殺戮の旅路。

インディアンを殺して持ち帰った頭皮の数だけ、町から報奨金をもらうという契約を結んだならず者たちは、インディアンを見つけ次第に惨殺しながら荒野を前進していく。力だけがすべてのような世界で、「判事」と呼ばれる2メートル超の巨漢の男は哲学や科学の知識で信望を集める。しかし同時に判事は冷酷な殺戮者でもあり、邪魔なものはインディアンでも仲間でも容赦なく消していく。

少年がたどる荒野の旅路という点では『ロード』と同じなのだけれど、同行するのが息子をどこまでも守ろうとする父親ではなく、怪物的な判事であるという点が違う。このどこの判事なのか定かでない通称の「判事」は、ヨーロッパ的な知性の化けの皮をはがしたようなものとして描かれている。

「倫理というのは強者から権利を奪い去る弱者を助けるために人類がでっちあげたものだ、と判事は言った。歴史の法則はつねに倫理規範を破る。倫理を重んじる世界観は究極的にはどんな試験によっても正しいとも間違っているとも証明できない。決闘に負けて死んだからといってその人間の世界観が間違っていたとみなされるわけではない。むしろ決闘という試行に参加したこと自体が新たな広い物の見方を変えが採用したことの根拠になる。」と判事は言う。

話せばわかるという前提ではなくて、話せば殺しあいになる世界で、勝ったからといって善とも悪ともいえないということ。「生か死か、何が存在しつづけ何が存在をやめるかという問題の前では正しいかどうかの問題など無力だ。この大きな選択に倫理、精神、自然に関する下位の問題はすべて従属しているんだ」と判事。世界の本質的などうにもならなさをむきだしにする衝撃作品。うなった。

・ザ・ロード
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/09/post-831.html

・ザ・ロード 映画
http://theroad-movie.com/
今年日本公開が決定している。

・エクスタシーの湖
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スティーブ・エリクソンの前衛世界文学の和訳最新刊。これまた大変な奇書である。

筋がよく分からなかったのに、強烈な印象を残して、いつまでも引きずる映画っていうのがある。たとえばデヴィッド・リンチ監督の『インラインドエンパイア』などかがまさにそうだ。現実と劇中で撮影中の映画の筋が錯綜し、何が現実なのかわからなくなっていく。精神錯乱状態で見る悪夢のような内容なのだが、映像の持つ強いイメージ喚起力は、トラウマの如く記憶に刻まれる。エクスタシーの湖もこれに似ていて、読者の脳裏にいつまでもこびりつくタイプのやっかいなビジョン小説だ。

ハリウッドの交差点にできた小さな水たまりが、次第に成長してロサンゼルス全域をのみこんでいく。謎の湖にゴンドラから飛び込んだ女は、湖底を突き抜けて向こう側の世界の湖面へ浮上する。湖に浮かぶ廃墟のような建物で、女はSMの女王として君臨する。前の世界にゴンドラに残してきた幼い息子のことを思いながら、名前と役割を転々とする数奇な人生を生きる。話の筋を追えなくなるほど話は混乱と錯綜を極めていく。

カオスな内容だけでなく、テキスト表現の前衛アプローチも見事に翻訳・再現されている。まず一目見てかなりおかしな本なのだ。水中に落ちていく女の物語は、一行のテキストとしてひたすらまっすぐ、何百ページもまたいで突き抜けていく。女の水中への落下と並行して、フォントとレイアウトを頻繁に変化させながら、錯綜した物語は進んでいく。どう読むべきかまず悩むところからとりかかる。表現の奇抜さと挑戦読書度はともにジェイムズ・ジョイス級。ちょっと気力体力いるのだが、とてつもない読書体験を保証できる。

私が読んだエリクソン本では「黒い時計の旅」や「ルビコンビーチ」の方がとっつきやすいが、ビジョンの強烈さははるかに「エクスタシーの湖」が強いと思った。最初にこれでもいいのかも。

・拳闘士の休息
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死と隣り合わせのベトナム戦争の兵士、高額報酬と引き換えに危険な深海に潜る潜水士、ガンと戦う初老の女性、癲癇と記憶喪失でインドを放浪する男など、人生の苦難と戦う人たちの姿を描いた短編集。トム・ジョーンズ。表題作は93年にO・ヘンリー賞を受賞。日本では96年に新潮社から単行本で出版されていたものが、2009年9月に河出書房で文庫化。

虚しく終わる闘いだとわかっていながら、運命に抗いのたうちまわっていると、ふと見えてくる至高の境地みたいなもの。アドレナリンが沸騰して感覚が限界を超越する"紫の領域"の戦士。長距離ランナーが感じるという苦しさの末の至福でハイな状態みたいなものを描く作品が多い。暗い話なのにどこかに明るさを残す。

著者の経歴は相当にユニーク。アマチュアボクサーとして150以上の試合に出場し、海兵隊に入隊するが、ボクシングで負った傷がもとで側頭葉てんかんを患い除隊、大学の創作科に学ぶが小説家としては売れず、用務員の仕事をして暮らす。糖尿病、アル中、薬物依存に10年間苦しんだ。あるとき、2万5千通に3編しか採用されないといわれる『ニューヨーカー』誌に掲載が決まって、突如売れ始めた。この本に収録された10編には10人の、性別も年齢も職業も異なる、いろいろな境遇の主人公が登場するが、おそらくすべてに著者の経験が反映されている。だから濃い。

ショーペンハウアーの言葉が何度も引用される。一般にペシミストで皮肉屋に分類されがちなショーペンハウアーだが、この作品の文脈では、その言葉が希望であり真理のように響く。

「若き日に、来るべき未来に思いを馳せるとき、我々はさながら開幕前の劇場に座り、カーテンが上がるのを胸ときめかせて待っている子供である。待ち受けている現実を知らずにいることは、我々にとっては幸いである」(ショーペンハウアー)。

・読書について
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/01/post-913.html

・小説 ファイナルファンタジーXIII エピソード0 -約束-
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大ヒット中のPS3のRPGゲーム ファイナルファンタジー13の書きおろし小説。

FF13はストーリーが第1章、第2章...と小説のように区切られているが、この小説エピソードゼロが描くのは第1章以前の世界。だからこの小説のエピローグはゲームのプロローグに当たる。主要登場人物たちはまだ出会っておらず、共通の"使命"も帯びていない。多くの登場人物たちは最初は平和にそれぞれの人生を生きている。

FF13の開発は、まず舞台となる世界の神話体系を創造することから始まったそうで、厚みのある世界観が確立されている。同じ神話が関連作品としてリリース予定の『アギト』と『ヴェルサス』も共有するそうだ。ゲーム内でも、ストーリーが進行するのに従って、背景情報がテキストで明かされていくのだが、あれだけ膨大な情報をテレビ画面で読むのは面倒だ。登場人物たちの背景だけでなく、モンスターや小物(武器やアクセサリー)、コクーンとパルスについても詳しく書かれている。だから、この小説を読むとプレイ中に曖昧だった部分がすんなりと入ってくるようになる。

私の場合はゲームが第11章まで進んだところで、この小説を読んだが、本編ストーリーの楽しみを損なうようなネタバレはなかった。むしろ、本編ストーリーに深みを与える部分が多い。小説ではモンスターの容姿はわかりにくいので、ゲームをちょっとやってから読むとイメージがわきやすい。結論としては、ゲームと同時進行で読むのがおすすめ。それでゲーム進行が有利になるということは、まったくないのだが。

ノベライズ作品というと文章が低レベルなものも多いのだが、この作品は筆力のある作家がちゃんと書いているため、結構長いのだけれども、飽きずに楽しく読めた。ひとつだけ不満をあげるとすれば、ゲーム内のヴァニラの能天気なブリッコキャラクターは、小説では再現されていないように思えた。ゲームでも浮いているわけだから、まあ、しょうがないのか。

・新春ポッドキャスト 「ツイてる!ポッドキャスト新春2010」3日目 と ファイナルファンタジーXIII
http://www.ringolab.com/note/daiya/2010/01/2010xiii.html

・夜中に犬に起こった奇妙な事件
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世界で1000万部を突破したベストセラー。

自閉症の秀才の視点で書かれたという設定のミステリ風小説。主人公のクリストファーは養護学校に通う自閉症児。他者の感情を読み取ることができず、対人プレッシャーがかかるとすぐパニックを起こしてしまう。その一方で数学の能力は飛びぬけていて、もうすぐ大学レベルの上級試験を受けようとしている。

母親は亡くなっており、面倒を見てくれる父親と二人で、閉じられた世界の中で静かに暮らしていた。ある日、隣の家の犬が何者かによって殺されるという事件が起きる。クリストファーはその第一発見者になるが、説明が誤解されて犯人扱いされてしまう。調べに来た警官を殴って警察へ連行されてしまう。

濡れ衣を晴らすというよりも、事件という難解なパズルを解くことに興味を覚えるクリストファーは、犬殺しの犯人を捜すべく、自ら近隣の聞き込みを始めることにした。その捜査はまたトラブルを招き、多くの騒動を巻き起こすが、やがて意外な真実を明らかにする。

健常者は他人が笑ったり、涙を流していれば、直感的に相手の感情を感じることができる。しかし、自閉症の患者は、その表情や態度を客観的にデータとして分析しないと、他人の心理が理解できない。ああ、この人は大きな声を出しているから怒っているのだ、とか、眉毛を上げたということは気に入らないという合図だとか、論理的に感情を推測する必要がある。

すべてが終わった後に事件を振り返って、劇中の主人公のクリストファーが書いた小説ということになっているが、本当は自閉症児とのつきあいが深かった著者が書いたフィクションである。その観察に基づいて不自由な他者認識を完全シミュレートしたのがこの作品なのだ。マイノリティの世界認識では世の中すべてが奇妙なミステリみたいなものだということがよくわかる。

巡礼

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・巡礼
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橋本治の小説。

「自分のしていることが無意味でもあるのかもしれないということを、どこかで忠市は理解していた。しかし、その理解を認めてしまったら、一切が瓦解してしまう。遠い以前から、自分の存在は無意味になっていて、無意味になっている自分が必死になって足掻いている─その足掻きを誰からも助けてもらえない。絶望とはただ、誰ともつながらず、誰からも助けられず、ただ独りで無意味の中に足掻く、その苦しさ。」

近隣住民との対話を頑なに拒否するゴミ屋敷の主人の屈折した半生をたどる。

テレビのワイドショーを見ていると、この作品の登場人物のようなゴミ屋敷の老人や、騒音をまき散らすおばさんがテーマになっていることがある。レポーターは本人を追い回すが、ほとんどの場合、意味不明なコメントしか取れない。テレビ的にはそれでいいみたいだ。その奇行に込み入った事情があるより、話が通じず、怒鳴り散らす老人というのが困った問題を象徴していて、絵的にはわかりやすいから。

この作品、戦後を生真面目に生きてきた男のなれの果てがゴミ屋敷の主という、やりきれない話なのだが、テレビと違って、そこには深い事情があるのだということがわかって、すっきりとする。おそらく現実のゴミ屋敷の一つ一つにだって、相当に深いドラマがあるのだろう。それをわかりやすさ追究のテレビ映像では表現できないだけなのだ。

大多数の人間にとっては高度成長と繁栄の時代だった昭和をうまく生きられなかった男の哀しい精神史。興味本位で読ませる出だしと、悲喜こもごもの男の半世紀、しみじみとして泣かせるラスト。とてもよく構成された上質な小説。いいものを読んだ。

ところで一軒家の持ち家を維持できた昭和の狂人は恵まれていたよなあと思う。平成のゴミ屋敷はバーチャルかもしれませんね。私も老後にゴミブログにならないように気をつけよう...。

・最後にして最初の人類
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年始にふさわしい壮大な話を読もうと思って今年はこれにした。

オラフ・ステープルドンの人類20億年未来史。素晴らしい。うっとりした。

20億年後の最後の人類(第18期人類)が、遠い昔の最初の人類である我々に語りかける形式で書かれている。現代の人類はこれから1千万年くらい生きた後に絶滅して、さらに進化した第2期人類の時代に入る。

火星人との接触の記述には思わずうなった。これほど現実的にファーストコンタクトを想像した作家が20世紀初期にいたなんて驚きだ。あまりに異なる生命(空を漂うアメーバのような生物)の様式を持った火星人と地球人は、お互いの高度な知性を認識することができない。その数億年先では第5期人類が別の星の知性と出会うが、このときにも相互理解に失敗する。

最後の人類は振り返ってこう語っている。「しかしこの議論はクラゲや微生物にもあてはまるだろう。入手できる証拠をもとに判断が下されねばならなかった。どのみち人間がその問題に判断を下しうる限り、人間がより高次の存在であるのは間違いなかったのである。」。結局、判断基準を設定するものが高次なのだ。

人類と火星人は相互理解には失敗するものの、第一期人類の細胞に入り込んだミトコンドリア(太古には別の生命体だったといわれる)との関係に似た共生関係に入り、共進化を進めていく。しかしそれもたかたか数千万年の間の人類史の初期の出来事。すべてが終わったところから眺めると、第一期と第二期人類などはさして重要な存在ではなかった。

やがて人類は地球を捨てて宇宙へと飛翔する。自らの種を改造して新しい形態に進化していく。私利私欲を制御して高い精神性を持った人類の時代が訪れる。それでも惑星レベルの危機は数億年単位でやってきて、人類の歴史は思わぬ方向へと展開していく。

すべてが地質学的年代のスケールで描かれるため、この長大な物語に名前を持った登場人物は一人もいない。固有名詞もほぼ出てこない(最初の数章には国名がいくつか出てくるが)。世紀の大事件も20億年の大河においては一滴の水に過ぎない。人類史を大きく変えた大発明も、結局は遠からず誰かがそのうち見つけるのだから、誰が見つけたというのはあまり意味がない話になる。

グーグルアースで自分の自宅近辺の地図から、市や県、国、地域、そして地球、宇宙と表示を拡大していくと、自分の見えている空間はなんてちっぽけなんだろうと思ったりするが、この本は、その遠近スケール体験を極限的に味わうツールである。

ステープルドンが代表作となるこの作品を書いたのは1930年のこと。「エーテル」のように科学的な誤りだとか、実際にはそうはならなかった20世紀の歴史予測が含まれるが、話のスケールがあまりに大きいため、そんな多少の間違いは歴史の流れにまったく関係がない。重要なのは人類の普遍的な性質と宇宙レベルの年代スケールである。想像力の限界に挑んだ歴史的な奇書。

・スターメイカー
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/10/post-470.html

『最後にして最初の人類』の次は宇宙の最後を五千億年のスケールで描くステープルドンの究極「スターメイカー」をおすすめ。

・増大派に告ぐ
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この小説は傑作なのだが、外山恒一の都知事選の政見放送も今思い返しても傑作だった。
・東京都知事候補 外山恒一 政権放送

「諸君。私は諸君を軽蔑している。
このくだらない国を、そのシステムを、支えてきたのは諸君に他ならないからだ。
正確に言えば、諸君の中の多数派は私の敵だ!
私は、諸君の中の少数派に呼びかけている。
少数派の諸君。今こそ団結し、立ち上がらなければならない。

奴ら多数派はやりたい放題だ!
我々少数派が、いよいよもって生きにくい世の中が作られようとしている!

少数派の諸君。選挙で何かが変わると思ったら大間違いだ!
しょせん選挙なんか、多数派のお祭りにすぎない!
我々少数派にとって、選挙ほどばかばかしいものはない!
多数決で決めれば、多数派が勝つに決まってるじゃないか!」

外山氏の言う多数派というのがマインド的にはこの作品の中の「増大派」に近い。勝ち目がない外山恒一氏は「減少派」の典型サンプルだ。私はつねづね人間は100%、イヌ(タヌキ)系、ネコ(キツネ)系に弁別できるなあと思っていたのだが、増大派と減少派に分けることも可能なのだな。

主人公の少年は片目をつぶって、つぶったほうの目の闇を、見えている目の光景に重ね合わせる。そういう見方で周りの人間を見て、闇が深く見える人は増大派、薄い人は減少派だ。団地に棲みつく妄想凶ホームレスと、父親の暴力に追い込まれた少年の二人の減少派同士の危うい関係が、やがて最悪な感じのカタストロフィーを呼び込んでしまう。

悲壮な話なんだけれど、なんだかふきだしてしまう。自分は減少派だと思っている人にはそんなふうに苦面白い小説である。というか、これを読んで面白いと思う人が減少派なのだ。増大派減少派の診断ツールでもある。

日本ファンタジーのベル大賞受賞

1Q84

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大晦日。

それでは、そろそろ1Q84についても一言、言っておくか(笑)。

私も読みました。面白かった。今年のフィクション ベスト5には入る。でも1位ではないなあというのが感想。ノーベル賞候補になったが故の、7年ぶりの新作だった故の、バブルが入っている気がする。日本文学にとっては人気があって、それはそれでいいのだが、本来読者対象でない人も手に取ってしまうミスマッチが起きているような気もする。

・1Q84 BOOK 1
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・1Q84 BOOK 2
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オリコンの調べによると、2009年度に最も売れた本は『1Q84 BOOK1』で108万部だった。第3位に『1Q84 BOOK2』が89万部でランクインしている。流行のケータイ小説やライトノベルとは違って、なかなか難解な文学作品が合計で200万部も売れたことに驚く。

ところで本当に皆さん読みましたか?

このブログの読者は読んでいそうだけれども、そういう人は全体ではマイノリティなんじゃないだろうか。購入者のうち半分以上の人が読み終わっていないような気がするのだ。BOOK1とBOOK2は108:89と部数がきわめて近接している。同時発売だったので一緒に購入した人がほとんどだったのではないかと、私はにらんでいる。だから1Q84 BOOK2の部数がBOOK1の完読率というわけではないはずだ。私の周囲で買ったという人に感想を聞いて回ったけれど、ちゃんと返ってきたのは2人しかいなかった。

整理された短い文章の積み重ねで書かれているから、読むのは決して苦痛ではないが(っていうか相当に楽しいが)、話は後半にいくに従い錯綜している。多くのモチーフとメタファーに彩られているので、通読するには相当の知的労働を強いられる。

まずタイトルの『1Q84』が、ジョージオーウェルの『1984』が連想させる。リトルピープルというのが出てくるが、これはビッグブラザーに対応している。作品中に登場する新興宗教は実在の宗教団体とよく似ている、などなど、

作中の○○は□□であり、××は△△のことだ

を挙げ始めるときりがない。そうした関係性を指摘したり、事物の含意を説明していけば、いくらでも解説が長く書けそうである。そうした関係性を指摘したり、事物の含意を説明していけば、いくらでも解説が長く書けそうである。実際たくさんの解説本が出版されている。こうして話題が話題を呼ぶ。

・村上春樹『1Q84』をどう読むか

・「1Q84」村上春樹の世界

・村上春樹の『1Q84』を読み解く

・村上春樹「1Q84」の世界を深読みする本

・村上春樹・戦記/『1Q84』のジェネシス

・1Q84スタディーズ

100万部売れることやメディアで取り上げられること。こうした状況を含めて、この1Q84という作品は村上春樹によってプロデュースされているように感じた。作中で主人公のひとり天吾書いた小説「空気さなぎ」がメディアで話題になる場面があるが、天吾は村上春樹のアバターであり、「空気さなぎ」は「1Q84」のメタファーである。作中ですべての謎が明らかにされないことへの不満に、現実世界ではBook3の出版を発表した。1Q84はまだプロデュースが継続中のメタ・メディア小説なのである。書評は3の後に書くべきかもしれない。

自己言及の迷宮の中でパラレルワールドとしての20年前の日本が現れる。鍛え上げられた肉体の如く無駄のない文体、バッハのバロック音楽の如く緻密な構成に、村上春樹ってやはりすごい実力を持っているなあと、しびれる。ただ100万人が読んで感動する話かというとそれはちょっとどうかなと疑問に思う。

また、今年の小説では高村薫「太陽を曳く馬」が内容的に1Q84に近い内容である。宗教や実在論についての深み、凄味では1Q84よりもこちらに軍配を上げたい。

・太陽を曳く馬
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/10/post-1080.html

とかなんとか書いているが、1Q84、現代文学の傑作であることに間違いないし、Book3が楽しみである。

太陽の庭

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・太陽の庭
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『花宵道中』の宮木あや子の新作。

日本の上流階級だけが謁見を許される"神"永代院由継の屋敷に暮らす女たちの物語。そこは外界と接触を絶った閉鎖的な封建社会。正妻と多数の妾が相互監視下に同居している。男児が誕生すると妬まれ人知れず闇に葬られる母子、飼殺しにされる妾の子供たち。屋敷の住人達は日本の戸籍を持たずそこで一生を過ごす。由継の寵愛を得るものだけが存在を許されている。

一子相伝の永代院は日本の天皇制を連想させる。現実の天皇制はだいぶオープンになっているから、もはやそれはどこにもない制度なのだが、著者の日本の宗教と社会の関係性の解釈にいろいろと含みが読み取れる。天皇制というロマンを書いている。

前半は制度と因習にがんじがらめにされた空間で、妾織枝の子の駒也と、正妻雅恵の娘の葵、その弟の和琴らが繰り広げる官能的で悲劇的な愛憎劇。同性愛と近親姦の濃密なにおい。後半は一転してマスコミのタブー永代院の実像を追いかける雑誌記者の外部視点で描かれる。インターネットの掲示板炎上など現代的な要素も織り込みつつ、内と外から永代院の神秘性が曝かれていく。

『花宵道中』『白蝶花』の閉鎖的世界観がここでもしっかりと構築されている(未読だが『雨の塔』の設定が似ているらしい)。R18文学としてのあからさまな性表現は低めになったが、相変わらず退廃的で妖しい官能美が読み所。

・白蝶花
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/05/post-996.html

・花宵道中
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/02/post-936.html

・ロスト・トレイン
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大変面白かった。

「日本のどこかにまだ誰にも知られていない、まぼろしの廃線跡がある。それを見つけて始発駅から終着駅までたどれば、ある奇跡が起こる。」。テツ(鉄道ファン)の間に広まる噂とそこから始まるスタンドバイミーのような冒険のストーリー。2008年『天使の歩廊―ある建築家をめぐる物語』で第20回日本ファンタジーノベル大賞を受賞した中村 弦の受賞後第一作。

「わたしはどきどき思うのですが、人の一生というのは鉄道に乗るのと似ています。どこへでも自由い行けるかのように見えて、じつはそれほど自由があるわけではない。すすむべき線路は一本ではないけれど、あらかじめ親や学校や社会によって幾通りかのレールが敷かれていて、ほとんどの場合そのきめられたなかから選ぶしかない。とこどころ乗り換え駅があるけれど、よくよく注意しないと番線や列車をまちがえて、目指しているのとは全くちがう場所へ連れていかれてしまう。私は乗り換え駅に着くたびに、乗るべき列車を選びそこなっていたような気がしますよ」

と言う初老の平間さんと、廃線巡りで知り合った若いぼく。世代を超えて鉄道談義で親交を深める二人だが、突然の平間さんの失踪。ぼくは残されたわずかなてがかりを頼りに、旅行代理店の菜月さんと一緒に平間さんの行方を探す。

テツの蘊蓄とミステリーと恋愛と少しオカルト要素をからめて、鉄道ファンタジー小説という独特の新ジャンルを確立している。テツでない人にテツがわかりやすく教える場面が多いので、読者はテツでなくても大丈夫。

マニアックなテツの生態がネタにされているが、作品全体としてはさわやか青春小説。昨今の日本のファンタジー路線的には恒川光太郎の異界モノが好きな人に特におすすめ。

昨日の神様

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・昨日の神様
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傑作映画『ゆれる』の監督西川美和が、小説家モードで書いた短編小説5編。直木賞ノミネート作品。

主に僻地の医者を主人公にしている。人間の心の機微を描くのがうまい。日常の中にある無数の小さなドラマを浮かび上がらせる。内気な子供の心の動きみたいなものをよくとらえているなあと感心してしまう。

特に「1983年のほたる」。街まで往復何時間もかかってバスで塾通いをする田舎の少女とバスの運転手との微妙な関係の物語。運転手の方は好意的に話しかけているのに、少女は毛嫌いしている。そんな関係の二人が深夜のバスに乗っている時、村の住人を巻き込む交通事故が起きてしまう。それがきっかけでそれまで少女には見えていなかった隣人たちの人生を垣間見るという話。

・ディア・ドクター
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収録作品のうち一本「ディアドクター」はこの映画の原作でもある。父親が倒れてたことをきっかけに、病院の待合室で久々に再会した兄弟の心の葛藤を描く。本の数時間の話なのだけれど、兄と弟の人生模様がよく伝わってくる印象的な作品だった。映画はまだ観ていない。

・ゆれる

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久しぶりに故郷へ帰ったカメラマン(オダギリジョー)は、兄と一緒に幼ななじみの千恵子と峡谷へドライブする。兄と千恵子が二人で吊橋を渡ったときに千恵子が転落死してしまう。これは事故なのか殺人なのか?揺れる吊橋のようにゆれる関係者の心。手に汗握るサスペンスであり、心揺り動かされる人間ドラマ。西川美和監督のファンになった。

ヘヴン

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・ヘヴン
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第138回芥川賞の川上未映子が、壮絶ないじめを受ける少年と少女の心の葛藤を描いた衝撃的な作品。

「ねえ、でもね、これにはちゃんとした意味があるのよ。これを耐えたさきにはね、きっといつかこれを耐えなきゃたどりつけなかったような場所やできごとが待ってるのよ。そう思わない?」と少女は、同じようにいじめられている少年に言う。

なぜ人は誰かをいじめるのか? なぜ人をいじめてはいけないのか?

この作品は問いかける。

いじめにかかわる双方の張りつめた対話が続く。登場人物はいじめる側も、いじめられる側も雄弁に自分の立場を語る。現実にはこれだけ気持ちを整理して話せる少年少女はいないだろうが、その超現実的につきつめたやりとりが、いじめ問題の本質を白日のもと晒す。朝まで生テレビで一晩議論するより、この作品を読んだ方が、いじめとは何かがよくわかるはず。その根の深さにやりきれなくもなるのだが。

社会問題の提起という価値だけでなく、緊張感のあるドラマとしてもよく構成されている。いじめられっ子の二人が心を通わせる共感のひとときに感情移入をしていると、陰湿で過酷になる暴力が突然にそれを吹き飛ばしてしまう。読者は作中のいじめられっ子と同様に何をされるかわからぬ怖さに不安と緊張がやまないのだ。

いじめの怖さというのは、未知の恐怖が大きいと思う。相手が何を考えているのかわからない怖さであり、次に何をされるかわからない怖さである。それを逆手にとって恐怖を最大化するように、いじめっこはいじめを設計することを楽しむ。

「...君も、わたしも、なんでこんなふうに、...みんなからこんなふうにされているんだと思う?」

なんでそんなことをするのか。それが人間心理や社会の性質に自然に根ざすものなのだとすると、なかなか論理的な答えは返ってこないだろう。人間や社会はそういうものだから、いじめはあるというのが本当のところだろうか。

いじめの底知れなさをいやというほど見せつけられる衝撃作である。

学問

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・学問
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本当に素晴らしい。ストレートに心にじーんときてしまう感動小説である。山田詠美の大傑作。とりあえず今年これだけは読んでおけ的な、絶対いちおし作品。

東京から引っ越してきた仁美、包容力のあるリーダー格の心太、食べ物に目がない無量、眠ることが好きな千穂。仲良し少年少女4人組が海辺の平和な町で過ごした小学校から高校までの日々が語られる。

テーマは性と生だが、本質はまっすぐな青春小説だ。

やがて芽生える性の衝動。

「まったくセックスというやつは、どれほど多くの枝葉を携えているものなのでしょう。幸せに喜ばせ合う夜もあれば、怒りを噴出させる昼もある。神聖な儀式にも、しこしこの鍛錬にも配属される。まったく、油断も隙もありゃしない」

欲望にときには翻弄されながらも、しっかり自分を持って人を愛することを覚えていく少年少女の成長がまぶしい。欲望の奴隷ではなく、欲望の愛弟子になる。だからそれは学問。

「元、高校教師の香坂仁美(こうさか・ひとみ)さんが2月14日、心筋梗塞のため死去した。享年68。」

だが、"秘密基地"で過ごした幸せな少年少女時代はいつまでも続かない。各章は登場人物たちのそれぞれの訃報から過去を振り返る形で始まる。青春を謳歌する少年少女の物語に、やがて訪れる人生の終わりの予告が全体に濃い陰影を与えている。

山田詠美ってこういうのが書けるのかと大発見。文章は読みやすいが、行間を読ませて、感動を誘う深みがある。完璧な小説。