Books-Fiction: 2008年2月アーカイブ
「車輪の下」のヘルマン・ヘッセのもうひとつの代表作。アメリカ合衆国だけで500万部、全世界では43カ国で翻訳され、1000万部を超える大ベストセラーになった。和訳はいくつもあるが、これは2006年に草思社(がんばれ)から出た新訳版。現代人にわかりやすい文章。
仏陀ガウタマ・シッダールタと同じ時代、同じ場所に生きたという設定の別人「シッダールタ」の物語。もう一人のシッダールタも、仏陀と同じように「人は何のために生きるか」の答えを求めて修業に入る。そこで迷い誘惑され中年には世俗に生きる道を選ぶ。そして、老年にいたって再び道を求めて遂に悟りを得る。
この本は仏教の本であると同時に、知識や知恵についての哲学を説いた本として秀逸だと思った。何箇所か感銘した部分を引用してみる。
「「探り求めるとき」とシッダールタが言った。「こういうことが起こりがちです。その人の眼が自分の求めるものだけを見て、その人は何も見いだすことができず、何も心に受け入れることができないということです。その人はいつも求めているもののことしか考えないからです。その人は目標をもっていて、その目標にとりつかれているからです。求めるということは、すなわち目標をもつことです。見いだすということは、自由であること、開いていること、まったく目標をもたないことなのです。」
目標に向かって努力している人は視野が狭くなりがちだという指摘は鋭い。ビジネスのことばかりを考えていると環境や社会のことを忘れがちである。すべてがつながっているということを知る人が見いだす人なのだと、いう。現代のリーダーシップに一番求められていることだと思う。
「シッダールタの心の中で、本当の叡知とは何か、自分が長いあいだ探し求めてきたものは何であるかということについての認識が、自覚が、ゆっくりと成長して花開き、ゆっくりと実っていった。叡知とは、生きているあらゆる瞬間に「一如」の思想を考え、「一如」を知覚してそれと共に生きられるような心構え、心の能力、各個人がもつ技能以外の何ものでもなかった。」(一如=すべては一体で不可分)
しかし、同時に「叡知は人に伝えることができない」ということを悟る。
「それは、『あらゆる真理は、その正反対も同様に心理である』ということだ!つまりこういうことだよ。真理というものは、それが一面的である場合にのみ、表現することができ、言葉につつまれ得るのだ。思想で考えられ、言葉で表現できるものは、すべて一面的なのだ。すべて一面的で半分なのだ。すべて全体を欠き、完全を欠き、全一を欠いているのだ。」
この本は最終章で解脱の境地に至ったシッダールタが語る人生の総括にすべてがある。「愛」とは何か、「時間」とは何か、「人は何のために生きるか」に対して現代日本に生きる私にも説得力のある答えが書かれていた。90年近く前にドイツ人の作家がこれを書いたということに驚かされる。学生時代に「車輪の下」を読んでもスルーだったノーベル賞作家なのだが、こちらはズシンときた。
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山本周五郎賞を受賞した篠田 節子の代表作。
地方の名士として代々続いてきた農家の後継ぎ結木輝和は40を過ぎて独身であった。農家に嫁いでくれる嫁を探して見合いを続けたが失敗続き。そこでアジアの花嫁仲介業者の世話になって、ネパールから若い妻を迎えることになる。彼女の名前はカルバナ・タミ。輝和は耳慣れない名前を嫌って自分のかつての意中の女の名前「淑子」と呼んだ。淑子は日本語も満足に話せぬまま結木家に入った。旧家の一族は彼女を日本の生活に馴染ませようとするのだが、やがてそのプレッシャーが淑子の秘めていた「生き神」としての能力を発動する。
文庫650ページの壮大な物語の冒頭はそんな風に始まる。農家へのアジアの花嫁お見合いの話はニュースなどで耳にするが、実態が生々しく書かれていて、週刊誌の特集的な好奇心で読み始めた。やがて淑子が不思議な力で家を滅ぼし、生き神教祖として変貌していく部分はホラー作品風でもあり緊張感あふれる展開である。後半の淑子を追ってのネパール行は魂の再生がテーマの精神世界の話になる。どれだけこの作家は知識のひきだしをもっているのだろうと感心する。
・神鳥―イビス
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005177.html
芥川賞作家で僧侶の玄侑宗久とカメラマン坂本真典のコラボレーション。
恋愛小説+蓮の写真集。
30を過ぎたライターの男と、日本で働く中国人の若い女性が、蓮の花が咲く上野の池で恋に落ちる。
ふたりが出会い、意識し、恋が芽生えて、熱愛に燃えるようになる様子が、蓮が芽吹いて育ち、蕾をつけて花開いていく写真に重ねられている。そして枯れて種を散らして次の春を静かに待つ蓮が、後半の波乱含みの展開では写しだされる。
バラでもタンポポでもなくて蓮の花。挿入された写真は1万7千枚も撮影した中から選ばれたという。蓮はその一生の中で時期によってまったく違った姿態をみせる。清純でありながらエロティックであり、儚いようでいながら力強いのである。それがふたりの恋愛や人生にうまく重なっている。
官能的な濡れ場の描写を読んでページをめくると、そこには咲き誇る花弁の写真がある。実にいやらしい。水滴に濡れた、薄紫の花弁の筋が、植物のようではなくて、息をしているようにみえてしまう。これが写真だけだったら違った感想だったろう。官能小説で秘所を花弁とか花芯とかいうけれど、まさにそのまま可視化してしまったわけである。エロい。
引用されていた錬金術師パラケルススの言葉が印象的だったのでメモ。「花々がどのように惑星たちの運行に従い、月の相に従い、太陽の循環や遠い星たちに感応して花弁を開くか、気づきなさい。」。
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