Books-Fiction: 2008年4月アーカイブ

東方綺譚

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・東方綺譚
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アカデミーフランセーズ初の女性会員となった「ハドリアヌス帝の回想」の著者マルグリット・ユルスナールの短編集。ギリシア、インド、中国、そして日本。東方に伝わる神話や伝承をベースに紡がれた、幻想的な物語が9編収録されている。マルコポーロの見聞録からしてそうであったように、西欧人が思い描く東方のイメージというのはどこか歪曲されている。神秘的で、美しく、そして残酷にデフォルメされる。ここには本当の東洋には存在しない魅惑の架空オリエンタリズム世界が広がっている。

「老画家汪佛とその弟子の玲は、漢の大帝国の路から路へ、さすらいの旅をつづけていた。のんびりした行路であった。汪佛は夜は星を眺めるために、昼は蜻蛉をみつめるために、よく足をとめたものだ。二人の持ち物はわずかだった。汪佛は事物そのものではなく事物の影像を愛していたからである。」

この世のものと思えぬ完璧な世界を絵画に描いたために、皇帝から死を命ぜられた老画家の最期をえがいた「老画師の行方」は大傑作だと思う。この作品のラストシーンの崇高で幻想的な美しさは、まさに作中の老画家の仕事のように完璧な出来だ。

源氏物語の勝手な外伝ともいえる「源氏の君の最後の恋」は日本が舞台。かつて数多いる情人のひとりであった花散里は、自身の正体を隠して、年老いて盲目となった源氏の傍に仕える。源氏の思い出の中に残されているはずの自分の姿を知りたいという一心で。訳者あとがきによると、原作の時代考証は少々いい加減だったらしいが、名訳によって恋の儚さを描いた印象深い作品に仕上がっている。

カノン

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・カノン
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「学生時代の恋人が自殺する瞬間迄弾いていたバッハのカノン。そのテープを手にした夜から、音楽教師・瑞穂の周りで奇怪な事件がくり返し起こり、日常生活が軋み始める。失われた二十年の歳月を超えて託された彼の死のメッセージとは?幻の旋律は瑞穂を何処へ導くのか。「音」が紡ぎ出す異色ホラー長篇。

芸術作品に込められた怨念は篠田節子のお得意のパターン。「神鳥―イビス」は見たものにとりつく魔性の絵画がテーマだったが、こちらは聴いたものにとりつく音楽の話である。カノンといえば「カエルの歌」の輪唱が基本だ。単純なカノンは耳に残りやすい。一度脳内で再生されると止まらなくなる。

高度な作品では最初のメロディをリズムを2倍にして追いかけたり、譜面を上下逆さにしたメロディを使うなど、音楽の中に仕掛けがある。この作品では死者が演奏したバッハのフーガの技法「拡大・反行の2声カノン」の録音テープを逆回転させると不思議なことが起きる。ゴシックホラーならぬバロックホラーの傑作。

ときどき亡くなった歌手の話題として「○○さんの曲を逆に再生すると女の人の声が聞こえる」などという噂が広まったりするが、逆回転やスロー再生すると、そこにメッセージが込められていることがわかることは実際に、バッハがやっていたのだ。

早速、「拡大・反行の2声カノン」を購入して、逆再生してみようと思ったがやり方がわからないので検索してみると2ちゃんねるにこんなスレッドを発見した。

・逆向きに聴くビートルズ
http://bubble6.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1172971557/

ビートルズを逆向きに再生して感想を報告し合うスレッドが盛り上がっていた。ビートルズはテープの逆回転を効果として作品に取り入れていたため、意外な発見があるそうだ。
・Podcast編集に使えるフリーのオーディオエディタ・レコーダー Audacity
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003714.html

Audacityというフリーソフトウェアを使うと逆再生が可能らしい。このブログを書き終わったら試してみよう。なにか聞こえちゃったらどうしよう。

・弥勒
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005292.html

・ゴサインタン―神の座
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005260.html

・神鳥―イビス
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005177.html

五重塔

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・五重塔
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幸田露伴が明治20年代に書いた短編小説「五重塔」を読んだ。衝撃的だった。

これは日本語で書かれた文学の最高到達点のひとつではなかろうか、と思えるくらい。

「木理美しき槻胴、縁にはわざと赤樫を用ひたる岩畳作りの長火鉢に対ひて話し敵もなく唯一人、少しは淋しさうに坐り居る三十前後の女、男のやうに立派な眉を何日掃ひしか剃つたる痕の青と、見る眼も覚むべき雨後の山の色をとゞめて翠のひ一トしほ床しく、鼻筋つんと通り眼尻キリヽと上り、洗ひ髪をぐると酷く丸めて引裂紙をあしらひに一本簪でぐいと留めを刺した色気無の様はつくれど、憎いほど烏黒にて艶ある髪の毛の一ト綜二綜後れ乱れて、浅黒いながら渋気の抜けたる顔にかゝれる趣きは、年増嫌ひでも褒めずには置かれまじき風体、我がものならば着せてやりたい好みのあるにと好色漢が随分頼まれもせぬ詮議を蔭では為べきに、さりとは外見を捨てゝ堅義を自慢にした身の装り方、柄の選択こそ野暮ならね高が二子の綿入れに繻子襟かけたを着て何所に紅くさいところもなく、引つ掛けたねんねこばかりは往時何なりしやら疎い縞の糸織なれど、此とて幾度か水を潜つて来た奴なるべし。」(冒頭部分)

こうして引用してしまうとやっぱり読みにくそうだ。

旧仮名づかいで漢字や古語の率が高い上、句点が1ページに1,2回しか出てこないような長文の連続という難解な文体であるため、かなり読みにくそうというのが正直な第一印象だった。地の文章も会話文もごっちゃにされている。

ところが、ふりがなも振られた岩波文庫版を、心の中で声に出して読んでみると、案外にすらすらと頭に入ってくる。目ではなくて耳で聞く感じで読むと心地よい。リズムが絶妙なのだ。緩急、強弱をつける技が光る。日本語の響きの美しさ、音韻の妙をここまで自在に操ることができる作家の技量に感嘆する。

不器用な性格ゆえに「のっそり」とあだ名され風采の上がらぬ大工十兵衛が、恩のある親方に対抗して、五重塔建立プロジェクト受注に名乗りを上げる。下剋上にも見える恩知らずな行動は周囲に大きな波紋をひき起こすが、頑なな十兵衛はそれらを黙して乗り越え、ただひたすらに五重塔の建立に全人生をかける。文庫120ページと薄い本だが独特の文体を活かして、静かに情熱に燃える人間の、頑固な生きざまを描き切っている。

ブッダ 全12巻 漫画文庫

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・ブッダ全12巻漫画文庫
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(読んだのは昨年末でしたが。)

実に8年がかりで手塚のブッダを完読した。

個人的な話だが8年前に会社を作ったときに、オフィスで息抜き用にと思って全12巻を買った。ところが仕事が忙しくて2巻までしか読めずいたら、すぐオフィス引っ越しになり、ドタバタで本を紛失してしまったのである。だから、長いこと私の記憶の中では「ブッダ」はブッダがほとんど出てこない不思議な漫画であった。

と、書くと未読の人にはわけがわからないかもしれないが、このブッダの生涯を描いた漫画は主役が途中で何度も交代する。中盤以降はブッダが主人公として一応活躍するのだが、冒頭からしばらくは、やがてブッダの弟子(あるいは敵)となる人間の話だったりする。読者はそれぞれの人物の視点に一度は感情移入を経験させられるから、後半でいくつもの支流が合流する大河ドラマとしての厚みが生まれるのだ。

手塚治虫は「ブッダ」で本当に描きたかったことって何だっただろうか、読み終わってふと考えた。ブッダの教えを読者にわかりやすく伝えることが目的だったとは思えない。確かに仏教の教義を噛み砕いて説明する部分もあるのだが、実はあまりそういう部分は作者の力が入っていないように思える。悟りを開いた後のブッダの行動はきちんと描くと説教臭いからかもしれない。

むしろ「ブッダ」の面白さは、ブッダを取り巻くわき役たちの野心と冒険に満ちたドラマにあると感じる。これらのわき役たちは仏典に登場する人物もいるが、純粋に手塚の創作キャラもいる。それぞれが主役級の熱い生き方をしているのだが、山場を越えたところで、あっさり死んでしまったりする。そういう登場人物の活躍と死の連続の物語構造が、仏教の教えである諸行無常と重なっている。手塚はそれを意図して全体を設計したのではなかろうか。

「火の鳥」級に読み応えのある一大傑作である。各巻末に寄せられた大物ファンたちの解説も価値。

・シッダールタ
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005269.html

土間の四十八滝

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・土間の四十八滝
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昨年、こんな芸能ニュースがあった。

・布袋、町田康さん殴る
http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20070726-OHT1T00101.htm
「布袋と町田さんは旧知の仲で、布袋の曲の作詞を町田さんが手がけたり、布袋が昨年発売したコラボレーション・アルバムにも町田さんは参加している。趣味でともにバンド活動を行ったりもしているが、音楽活動を巡り双方の意見に食い違いが生まれ、トラブルとなったようだ。」

表現者としてエッジがたちまくる二人は実生活でもちゃんと殴り殴られるような仲なのだなあと感心した。作家として権威のある文学賞を総なめにしている町田康だが、その危険なパンクっぷりは本物なのだなと納得した。

これは第九回萩原朔太郎賞を受賞した詩集だ。中身はポエムというよりむき出しのソウル。それぞれ独白から個性的で強烈なドラマが立ち上がる。印象に強く残った作品の出だしを拾うとこんな感じ。

「あいつにかかったら自分なんかもう犬ですよ あれ買ってこいこれ持ってこいって追いまくられて で もう嫌んなって朝から仕事しないで魯迅ばっかり読んでたんですよ そしたら半田鏝で肉あっちこっち焼かれて折檻って感じで しかもあいつホモだったんですよ」(「俺も小僧」より)

「お車代二万円 これをしねしね遣えば、まあ、悪いけどはっきりいって二週間くらいわたくしは安泰 ところがそんなせこいことをわたくしはせぬ オッソブーコの材料代 それに二万円を全部一気に爽快に遣っちゃったい」(「オッソブーコのおハイソ女郎」より)

「経営会議で如何に叱責されようと俺は重役 常務取締役だ 兼、営業本部長だ へへんだ 羨ましいでしょ」(「その俺は重役」より)

体言止めとオノパトペを多用した独特のリズムの文体。声に出して読むことが前提とされているように感じた。あるいはラップミュージックの歌詞のようでもある。日本語の使い方にはこういうかたちもありえるのかという衝撃を受けた傑作詩集。

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