Books-Mediaの最近のブログ記事

・新聞消滅大国アメリカ
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アメリカの新聞の凋落ぶりは日本の比ではないということがよくわかる本だ。

NYタイムズは3年間で社員の3分の1をリストラ、サンフランシスコ・クロニクルも社員の半数を解雇、シカゴトリビューンは破産、ワシントン・ポストは全支局を閉鎖...。2009年だけでアメリカの日刊紙は50紙が廃刊してしまったそうだ。紙では採算があわないのでインターネット版での発行へ移行する新聞社が多いが、有料化はうまくいっておらず、従来の高コスト体質では新興ネットメディアにかなわない。未来は相当に厳しいようだ。

米国ではまず中小の地方紙が次々に廃刊に追い込まれている。地域の住民たちは地元の情報が入ってこなくなってしまったと嘆いている。新聞を補完するといわれるブログやツイッター、新興ニュースサイトでは注目が集まらない場所の情報は出てこなくなる。地方行政への影響も懸念されている。

米国の新聞業界事情、収益構造が異なる日本の新聞業界事情、そして米国とアメリカの新聞はどうなっていくのかを、ファクトとデータをもとに、NHK報道局勤務の著者が考察している。新聞の未来を考える最新の材料としておすすめ。

新聞にとっては暗い話題が多いのだが、あとがきに興味深い事実が出ていた。先進国では消滅していく紙の新聞だがブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカなどでは発行部数が増えているのだ。インド、中国では発行部数が1億部を超えている。人口が多い国での増加傾向を考えれば、実はグローバルではむしろ新聞発行って増えていくのではないか。アメリカや日本ではそろそろ終わりでも、世界規模では新聞がこれからのメディアなのかもしれない。

最近、私の家では紙の新聞を取り始めた。しかも朝日新聞と朝日小学生新聞の2紙。私は90年代から紙の新聞をとっていなかったが、それは皆が読んでいる情報に希少性がないと思っていたからだ。だが、皆が新聞を読まなくなっていくなら(若年層は数パーセントしか読んでいない)、むしろ新聞に書かれている情報は貴重である。1000万部のメディアとして残れなくても、私みたいなアマノジャク読者の市場は、少なくとも今の若年層読者より多いのではないだろうか。日本の新聞は結局100万部くらいのメディアに落ち着くんじゃないかなあ。

次に来るメディアは何か
http://www.ringolab.com/note/daiya/2010/05/post-1224.html

・版元ドットコム大全〈2010〉―出版社営業ノウハウと版元ドットコム活用術
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先日出版した「電子書籍と出版」でお世話になったのが、版元ドットコムの沢辺さんでした。出版社連合体としては第3番目の規模の勢力だそうです。

・版元ドットコム
http://www.hanmoto.com/

版元ドットコムは、163社の版元による、サイトでの本の販売、書誌情報提供や流通改善を追求する団体である。

中小の出版社の連合体が

(1)書誌情報を版元自身がつくって、読者に、出版業界に広く公開する
(2)書誌情報をできるだけ詳細なものにする
(3)出版事業にかんする情報の交換、ノウハウの共同した獲得

という目的を掲げて協力している。

この小冊子はその活動成果、ノウハウの紹介と入会案内である。基本的には一般読者ではなくて出版社向けの内容。

版元ドットコムのデータベースは、書誌の登録点数は33000点と多くはないが、内容はAmazonのデータよりも詳しい本もある。

たとえば先日共著者として出版した「電子書籍と出版 デジタル/ネットワーク化するメディア 」では、

・Amazon:電子書籍と出版 デジタル/ネットワーク化するメディア
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4780801494/daiya0b-22/

・版元ドットコム:電子書籍と出版 デジタル/ネットワーク化するメディア
http://www.hanmoto.com/bd/isbn978-4-7808-0149-1.html

版元ドットコムのほうがかなり詳細であることがわかる。

読み物として、出版業界の専門用語を、版元ドットコムの会員有志で解説した「出版業界辞典」が、業界人にとって大切なポイントをおさえて書かれており、前から知りたかったことがよくわかった。

出版社は国内に4000社くらいあるといわれるが、大半は中小零細規模である。大手出版社に対して、ネットで連合体を作って何ができるか、この団体の可能性に注目している。

・次に来るメディアは何か
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テレビ・新聞は消滅するのか?メディアはどう再編されるのか?アメリカの事例をみながら日本のメディア産業の将来を考察する。内容たっぷり。面白かった。

「ネット上で自分に関心のある情報ばかりを集めるデイリー・ミー(自分のための日刊新聞)現象は、社会の分極化を招き、民主主義を発展させていくうえで阻害要因になりうる」という意見が紹介されていた。検索もカスタマイズもリコメンドも、すべてデイリー・ミー強化につながる。次世代メディアの重要な要素だ。

しかし、デイリー・ミーで社会が分裂するとまではいかないのではないかとも思った。全員がデイリー・ミーしか読まないようになると、逆に広く全体を見渡すグローバル新聞を読んでいる人が大切になるだろうし、逆にデイリー・ミーにグローバルな意見を取り込んで読む人も増えるだろう。そもそも、いろいろな意見を持った人がいるということが、民主主義の前提だろう。

グローバルと日本のメディア再編の動きとしては、多分野に拡散して弊害が目立ち始めたメディア・コングロマリットから、メディア・コミュニケーション企業連合に絞り込んだ「メディアインテグレーター」へとシフトすると予想されている。そこでキーになるのが通信キャリアだと指摘されている。

「なぜ通信キャリアーがメディア再編成の核となるのだろうか?一見奇妙に感じられるかもしれないが、理由は簡単である。既存のテレビ局や新聞社に比べて圧倒的な資本調達力があり、技術開発力があり、何より近い将来、国民共通のコミュニケーション端末が次世代携帯電話、つまりスマートフォンになるとみられるからだ。」

私の場合、1日で一番長い時間接触しているメディアは、パソコンとスマートフォンだ。テレビでも新聞でも雑誌でもない。そして、スマートフォンの接触時間が確実に増えている。スマートフォンで知って、Webやテレビや雑誌を読むという行動も多い。

それからデジタルハリウッド教員としては、ここが気になったな。

「経産省が作った「コンテンツ産業の海外収支」という表を見ると、04年度輸出の稼ぎ頭はゲームの2327億円である。出版は176億円の輸出に対して475億円の輸入で、大幅な輸超となる。輸出部門は、漫画・アニメが中心だが、金額はまだ少ない。」

そう。ゲームにはもっと自信を持って力を入れるべきなのだ。ゲームをメディアにして日本の文化とコンテンツを輸出するということを本気で考えたらいいと思う。

で、そうしたデジタルコンテンツの学校デジタルハリウッドで次世代メディアセミナーを開催しますので、みなさん来てね。(すいません、最後、宣伝です)。

・次世代メディアセミナー The Future of Digital Contents 第二回 『雑誌メディアの近未来 デジタル化による変容と次世代ビジネス』
http://www.ovallink.jp/event/digital_publish2.html

・著作権の世紀―変わる「情報の独占制度」
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電子書籍ブームによって、またにわかに著作権ブームである。

この本は、まとまっていて、現状をアップデートしたいIT業界人にもおすすめ。

昔、仕事でテレビの番組情報をWeb上で扱う仕事をしていたとき、その業界のルールに戸惑った。テレビ番組表、番組内容、出演者情報、それに関するクチコミなどテレビ関係の情報というのは、Webで扱うに際して権利関係が明確でないものが結構あった。専門家に聞いても、あなた方がやりたいことは法的には大丈夫なはずだが現実ではケースバイケースだと言われた。つまり、法的権利というより業界の慣習や力関係で、情報をどう扱うべきか決まっているように感じた。

「著作権の適用範囲をめぐって、補償金や保護期間延長といった激論がつづく一方で、法律の外に疑似著作権と呼ぶべき情報の囲い込みが数多く生まれています。そのなかには、もっともな理由のあるものもありますが、いわば「言ったもの勝ち」「権利のようにふるまったもの勝ち」と呼べる例も少なくありません。」

というような意見がこの本にも書かれている。理論的には著作権ではないが、社会では事実上、著作権に近いような扱いを受けているものとしては、肖像権、パブリシティ権、報道の中での商標や芸能人の名前などが挙げられている。本当は権利がないのに疑似著作権として主張されている領域が、実際問題、結構あるわけだ。

日本版"フェアユース"でコンテンツがもっと自由に使えるようになるという話も多いが、著者は現実的に、

「もっとも、仮にフェアユース規定が導入されても、できるのはかなり限定された利用にとどまるでしょう。アメリカでも条件はそれなりに厳しく、1 非商業的・教育目的か、などの「利用目的」、2 「利用される作品の性質」、3 利用された部分の「質と量」といった条件に並んで、4 その利用がオリジナル作品に経済的損失を与えないか、が重視されます。フェアユース規定で何でも可能になるような論調を時折見かけますが、それは誤りです。」

と書いている。

グレー領域の明確化はされていくべきだが、現在の多次的創作の扱いのように、「微妙に関係者の価値観やビジネス上の事情が反映され、バランスがはかれれているケース」は、「やわらかい法律」としての運用を残すのもひとつのやり方だと著者は書いている。

結局、世の中全体の考え方が変わらないといけないのだと思う。著作権とは何かを、普通の人含めて社会全体でもっと理解する必要がある。著作権制度は既得権者の利益を守るよりも、将来の社会全体の利益を最大化に向かう方向で、変わっていくべきだと思う。具体的には独占的な構造を崩したり、創作の主な主体である個人の価値創造が、フィードバックを受けて加速するように、お金を巡らせるべきだ。

著作権ブームは議論のいい機会になる。


・REMIX ハイブリッド経済で栄える文化と商業のあり方
http://www.ringolab.com/note/daiya/2010/04/remix.html

・著作権とは何か―文化と創造のゆくえ
http://www.ringolab.com/note/daiya/2005/05/post-237.html

・ネットの炎上力
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・J-CASTニュース ビジネス&メディアウォッチ
http://www.j-cast.com/

J-CASTニュース創業社長の蜷川真夫氏が語るネットニュースの破壊力と新しいビジネスモデル。蜷川氏は元朝日新聞社会部記者でAERA編集長だった人物。マスメディアを常に意識しながら、確信犯的にお騒がせメディアをつくろうとしているようだ。

「火事には野次馬が群がる。その先頭で見て、後ろの野次馬に説明するのが記者だと教わった。見たことを分かりやすく伝えろ。ネットの炎上も似たところがあって、火事場を見つけると野次馬が寄ってくる。寄ってくるのが群れをなすので「ネットイナゴ」と呼んだりする。芸能人の記者会見も同じようで、群がる記者の先頭で、お馴染みのテレビリポーターが突っ込んでいる。後ろでメモしている記者たち。カメラを通して、視聴者がその光景を見ている。「炎上」はネット街ダネの典型例だった。」

実際にはJ-CASTニュースは単なる野次馬というより、ボヤ騒ぎの現場で火に油を注ぐような積極的役割を果たしているように思える。意図はどうあれ、メディアが事件の観察に止まらずに参与してしまうのがネットのニュースの宿命なのだろう。J-CASTはネット炎上の汚名も名誉も背負いながら、ページビューを増やしてきた。

J-CASTではどんな話題が人気だったか。創刊1年目のアクセスランキングが紹介されているが、上位3位は下記の通り。気にはなるけどどうでもいい話題のランキングとも言えそう...。

1位 リア・ディゾン「局部?写真」疑惑で大騒動 (1/2) : J-CASTニュース
http://www.j-cast.com/2007/07/10009188.html

2位 元「モー娘。」飯田のファン 「できちゃった婚」にショック画像 (1/2) : J-CASTニュース
http://www.j-cast.com/2007/07/09009133.html

3位 激論「太田総理」で騒動 民主議員が「お詫び」 (1/2) : J-CASTニュース
http://www.j-cast.com/2007/07/03008937.html

オーマイニュースをはじめとする市民記者型のニュースが次々に倒れていった一方で、J-CASTが伸びてきたのは、アテンション・エコノミーの中で注目を集めすいものを、社会性よりも優先して取り上げてきたから、なのだろう。

そうして集まった野次馬同士のコミュニケーションからも新たな次元の情報が生まれている。著者は読者のコメントに可能性を見ている。

「もし、収支の問題が解決したとして、ネットならではの独自性のあるコンテンツとはいかなるものか。そのヒントの一つが、読者コメントによる記事の補完だと思っている。これまで紹介した記事に対するコメントの広がりは大きく、取材して記事をかく限度を超えている。読者からのコメントに、お金をかけても得られないような情報が含まれていることが少なくない。」

同じ記事を読んだ他の読者の意見はニュースを理解する上で重要な情報だが、核家族化やメディアの個人化によって、ニュースに関する意見交換をするリアルな場が減っていることも、こうしたニーズと関係があるのかもしれない。たとえば昔は朝に新聞を読みながら家族にどう思うかを聞くことができた。今は新聞をとらず、会社や自宅のPCの前でひとりでニュースを読む人が多い。

ニュース炎上のお祭りに群がる人々が、すこし落ち着いた目で他のコメントを読み、ニュースを客観的に評価する。そうした新しい情報空間としてJ-CASTみたいなメディアが今、機能しているように思う。

日本のネット炎上のウォッチャーであり仕掛け人の話、事例もたっぷりあって、おもしろかった。

・新潮文庫20世紀の100冊
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"新潮文庫の100冊"というキャンペーンは文庫本マーケティング史上、もっとも成功した宣伝文句ではないだろうか。10冊でなく、1000冊でもなく、100冊というのがよかった。よりぬきの名著をお手軽に探すなら新潮文庫の100冊(毎年入れ替わるようだが)を当たればいいという感じがするし、全部読破に挑戦する気になる絶妙な数だから(何度か学生時代に挑戦して挫折した記憶が...)。

・新潮文庫の100冊サイト
http://100satsu.com/

この本はその新潮文庫の100冊で20世紀を振り返る。

1901年(明治34年)から2000年(平成12年)まで、新潮文庫になった本から毎年1冊ずつその年の代表作を選出し、あらすじと内容解説、世の中の動きデータを見開きにおさめた。100冊は編集部討議で選び、本書の著者が全部読み直して、内容解説を書いた。この解説文はもともとは「20世紀の100冊」特別カバーに印刷されたものだそうだ。

20世紀の名著選び。これに異論はいくらでもあるだろうが、新潮文庫化されたというフィルターがかかることで、それなりに納得感のある100冊になっている。やっぱり読んでおこうというのが、いくつか見つかったのが収穫。

あくまで100年間を21世紀現在から振り返る企画だ。歴史的な観点から価値の高い100冊とみていいだろう。仮に100年間、その年の1冊を選び続けたら100冊のラインナップはどんなだったのか気になる。

このブログで取り上げた本は2冊あった。朗読者はちょうど映画化されたところ。

・朗読者 ベルンハルト・シュリンク 2000年の1冊
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/08/post-818.html
かつて愛し合った男女が一度もことばを交わすことなくプラトニックな関係を何十年間も続ける。別の人生を歩んだ二人だが、そこには切ることの出来ない絆があった。その関係性は「恋愛」とか「友情」のような、わかりやすい既成の言葉に収まらないものだ。読者の年齢や経験によって多様な解釈が生まれそうだ。

・孔子 井上靖  1989年の1冊
http://www.ringolab.com/note/daiya/2004/11/post-168.html
主人公は孔子ではなく、架空の愛弟子。孔子没後数十年が経過して、孔子の研究会が盛んな時期に、師の教えを弟子が回想する独白形式で小説は進んでいきます。この研究会の成果がやがて「論語」として出版されることになるわけです。執筆時、井上靖は80歳。主人公の弟子が語る孔子観や、孔子の言葉の解釈は、著者自身の解釈でもあるのでしょう。


なお、この「新潮文庫20世紀の100冊」は新潮文庫ではなくてなぜか新潮新書である。

・デジタルコンテンツをめぐる現状報告―出版コンテンツ研究会報告2009
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出版コンテンツ研究会(座長:高野明彦 国立情報学研究所)がデジタルコンテンツの前線で人々はどう考えているのか?というテーマで、有識者5人にインタビューした。出版業界の状況を知る統計データも充実している。考える材料がいっぱいの本だ。5本のセミナーに参加したような読後感。

岩本 敏 小学館社長室顧問
佐々木 隆一 モバイルブック・ジェービー代表取締役会長
加茂 竜一 印刷会社勤務
境 真良 経済産業省情報経済課課長補佐
小林 弘人 インフォバーン代表取締役CEO

という顔ぶれ。

出版業界は、実は書籍の売り上げはそれほど減っていないが、新聞と雑誌がインターネットなどに食われて危機的な状況を迎えている。ニュースやひまつぶしのコンテンツならば、タダで手に入る状況にあって有料で情報を売る世界は厳しい。

無償コンテンツの時代は無償で書く人たちの時代でもある。インタビュー聞き手のポット出版 沢辺氏から、ブロガーなど「タダでも書く人たち」との連携が重要なのではないかという問題提起があり、小学館の岩本氏はそうした人たちを編集部が組織化してうまく活用できるようにすればいい、山登りの雑誌の編集などは昔からそうだと答えている。

この無償の書き手を、商業媒体が"組織化"して"活用する"という視点はまさに時代の方向性(メディアに読者ブロガーがぶら下がる)だと思うが、瀕死の雑誌 VS 勃興するブログメディアという力関係では、出版社を"活用する"のはおそらく無償の書き手の方だ。有志の無償投稿で成り立ってきた山登り雑誌と違うのは、書き手が半端な雑誌の読者数を超えるメディアを持ってしまったことだろう。主導権は書き手にある。発想は逆の方がうまくいくのではないかと思った。(無論、小学館ほどの大手で実力のある会社はまだまだ安泰なのだろうけれども。)

出版社には紙が大好きな人たちが入社するため、デジタルコンテンツへの展開力が弱いというイノベーションのジレンマみたいな話もあった。作り手のこだわりが変化を拒む。経産省の境氏は業界の体質を次のように指摘する。

「そもそもコンテンツ業界には一つおかしな特徴があって、出版から映像までどこまで行っても、みんな「ビジネスのやり方」について話すことをものすごくタブー視するんです。「いいモノを作れば売れる」という言い方で逃げてしまって、どうやってモノを作り、どうやって流通させればどうお金が回っていくか、お金にまつわる具体的な話は誰もしない。」

日本の製造業はかつて産業全体が上向きな時代には、モノづくりの職人気質が美徳とされた。職人の理想とするモノを作ることで会社が儲かった。職人はむしろ経営のことなんて考えない方がよかった。しかし、成長が減速する時代、消費が多様化した時代には、このやり方では機能しなくなった。同じことが出版業界にもいえるのだと思う。文化的な価値と経済的な価値の両立こそいいモノという発想転換。編集者にこそ起業家精神が必要になったのだと思う。

モバイルブック・ジェービー佐々木氏によると、日本の電子書籍市場で売れているのはアダルト系で7割だそうだ。まともなデジタルコンテンツ市場はまだ手つかずで、膨大な成長の余地を残している。本好きの起業家として、個人的にとても興味がある。最前線の人たちの言葉を読んで、いろいろとアイデアが湧いてきた。

・新世紀メディア論-新聞・雑誌が死ぬ前に
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/08/post-1055.html

・新世紀メディア論-新聞・雑誌が死ぬ前に
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「冒頭にも書きましたが、わたしは紙のメディアは銀塩のフィルムカメラに似ていると思います。書店は中古カメラ屋さんのようになるのかもしれません。最新の刊行物を並べる書店は量販店化していくでしょう。そして、フィルムカメラが廃れ、デジカメが全盛のいま、紙の本は中古カメラのように稀少品に近くなると思います。」

『WIRED』『サイゾー』とエッジの効いた雑誌の創刊者であり、インフォバーン社長として出版ビジネスの経営者でもある小林弘人氏による旧勢力にはちょっとばかり痛烈なメディアの未来論。

「これから、出版社などのメディア企業が抱える頭痛の種は、競合する相手が自分たちと似たような企業ではなく、1人か、もしくは数人くらいまでによってローコストで運営されるメディアとなることです。 高額の給与や家賃、諸経費という固定費縛りがある企業が、寝ずに頑張る個人と競り合うことは、大変なことです。」

そうだよなあと思う。

90年代中盤のインターネット草創期に、私はジャーナリストの神田さんと二人で何度かシリコンバレーのベンチャー企業を取材して回る旅に出た。安い旅費の貧乏旅行ながらも、フットワークの軽さで1日に何社もの有望企業の記事をネットにアップすることができた。帰国してから日本の出版社に原稿を売ろうとは思っていたが、日々ネットにアップするのは、フリーランスの宣伝行為でもあるが、実のところ、マインド的には無償の趣味みたいなものであった。

私たち二人はあるとき、日本の大手新聞社のシリコンバレー支局を訪ねた。向こうの駐在員も2名であった。彼らは「やがて神田さんとか橋本さんのようなフットワークが軽い人たちに大手新聞社はやられてしまうかもしれない」と言っていたのを思い出す。当時の私のように、"何で食っているのかわからないような人たち"が、メディア企業の脅威になるのだと思う。

新しいメディアのプロデュースにおける心構えとして小林氏は、次のように語っている。メディアだけでなくITビジネス全般にも通じそうな話でもある。

「新しいプラットフォームがつくるスフィア(生態圏)では、そこに棲む人たちの関心や行動パターンなどを、皮膚感覚で理解する必要があります。それが「その他大勢」よりも優位に立てる条件であり、ライティングや動画製作のプロであるか否かは二の次だとわたしは考えます。」

ユーザーオリエンテッドかテーマオリエンテッドで生き残れという指南もあった。古い業界体質に対しては辛口だが、出版業界に対する根底的な部分での愛を感じる、著者なりのツンデレなメッセージの本である。

新聞とか雑誌とかどうなっちゃうの?という人はまずこれを読むといい。

・テレビ進化論 映像ビジネス覇権のゆくえ
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経産省メディアコンテンツ課課長補佐出身で、早稲田大学准教授としてコンテンツ産業理論、情報経済論、産業政策論などを教える境真良氏の放送と通信の融合論。新書一冊で放送と通信の融合の現状が俯瞰できる良書。

メディア・コンテンツ産業が未来の日本の基幹産業だと言われる割に、旧態依然とした体制がなかなか変わらないのはなぜか。著者は元官僚としての正直な感想を吐露している。
「しかし、経験者の実感と言えば、最大の問題は、メディア・コンテンツ産業が本質的に娯楽産業だという点にあるのではないだろうか。メディア・コンテンツ産業は、国の興亡や国民の生死に直結しないし、伝統技術や舶来の芸術のような権威とも距離がある。だから、いくらGDPを増やすから、情報通信産業の発展に資するからといっても本気で取り組む気になれない。「娯楽の価値」を認められない官僚の心理傾向が、問題の奥底には潜んでいるようにも思える。」

新しい価値は中心ではなくて周縁から生まれる。サブカルチャーからカルチャーが育つ。むしろ中央の官僚が認められない価値だからこそ、これは本物なのかもしれないと思う。
この本にも紹介されているようにかつて映像の世界には実験市場があった。二本立て映画、ピンク映画、深夜番組という傍流とみられた市場から、後の名監督や名プロデューサーが生まれてきた。ゲームやアニメからヒットコンテンツが誕生してきたのも、新しい才能が生まれる実験的な市場だったからだろう。今ならニコニコ動画やYouTubeがそうした傍流の実験市場になるのだろう。

当面の課題はそれらをマネタイズする方法を考えることだが、情報の価値についてこんな記述があった。

「慶應大学の坪田知己は、情報そのものは無価値であり、情報はその情報を利用できる人間に出会ったときに初めて価値を生むと説明する。 これにしたがえば、情報のビジネスで最大の課題は、その情報を受け取って価値を見出す人間をいかに抽出するかということになる。だからこそ、ウェブ2.0系事業者はどん欲に消費者に関するあらゆる情報を集めようとする。」

つまり大勢を楽しませるコンテンツを作る時代から、それを面白がる人を大勢探す時代になるということかなあと考える。年頃の娘は箸が転がるのを見ても笑い転げるというが、転がる箸と年頃の娘をデータベース上で結婚させるのが、新しいコンテンツビジネスの可能性として考えられる(もちろんこれまで通り大勢を楽しませるものと並行して)。

グーグルや楽天などのプラットフォーム型ビジネスの特徴として「ずらし」の技法があると著者は指摘している。グーグルが広告で収益を上げながら無償でサービスを提供するような例のこと。

「つまり、直接収益のように単一の受益者に金銭対価を要求するのではなく、複数の受益者を想定し、ある受益者には無償で利益を与え、そこから、獲得した情報と引き換えに別の受益者から金銭を回収するというやり方であり、「情報の三角貿易」とでもいうべき技法だ。」

この本は、映像ビジネス世界で、テレビ業界、制作者・権利者、IT業界などのプレイヤーが新しい「情報の三角貿易」の組み合わせを模索している様子を、元官僚で研究者である著者が、一般人にも分かりやすいように平易に、でも斬り口は大胆に分析している。

・テレビだョ!全員集合―自作自演の1970年代
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「8時だヨ!全員集合」、「欽ちゃんのどこまでやるの!」、「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」「太陽にほえろ!」「熱中時代」「スター誕生」「夜のヒットスタジオ」。1970年生まれの私は、まさに70年代テレビを見ながら物ごころがついた。子供だったからテレビを批判的にみることはしなかった。家族と一緒に見るテレビ視聴は、ただただ楽しい体験だった。

まず面白さの原点をテレビに学んでいた気がする。そして画面に映る社会や未来はいずれ自分がその中に入って行く世界の予告編に思えた。今思えばテレビは子供の私に最大の影響を与えた学校だった。だから、70年代テレビを客観的に解体しようとするこの本は、自分の思考や感性を批判的に見直す機会にもなった。

「本書は、何よりもこの「情報」と「演出」の亀裂を埋めるようなテレビ的言説の構築を目指すものである。そのために本書では、「自作自演」を分析のキーワードとして捉えることにしたい。私たちがテレビを「面白い」と思うときには、そこに必ず「自作自演」性が存在するのではないか。」

ここでいう自作自演性には、いわゆる「やらせ」番組も含まれるが、本質的にはもっと宿命的で、メタレベルの自作自演性である。たとえば一般人や関係者にカメラを向けたとき、そこにありのままの自然はない。

「そのときテレビカメラはただ客観的に目の前の出来事を伝えるだけでなく、自分たちがいま取材していること自体から生じた現場の空気をも伝えていることになる。つまりテレビが自らつくり出した雰囲気を、他人事のように客観性を装って(=演じて)伝えているという意味で、そこには「自作自演」性が存在するのである。」

「テレビの外部」を透明に映していたそれまでのテレビが、この自作自演のうまみに気がつき変容していく。「誰かの意図や戦略には回収されない、不透明な出来事としての「自作自演」性が、70年代テレビにはあったのではないか」という問題設定のもと、7人のメディア研究者が、さまざまな切り口で70年代テレビを徹底分析する。バラエティ番組、歌謡番組、ドキュメンタリ番組、ドラマ番組、コマーシャル、テレビと大晦日、女子アナ、やらせ問題の8つの章から構成される。

「テレビと大晦日」の章は、大晦日のテレビ番組表の変遷を、新聞のラテ欄の複写を見ながら分析するもので、個人的にはたいへんおもしろかった。国民的王道となったレコ大→紅白ラインを打倒しようと、毎年あの手この手で大作戦を仕掛ける民放各社の戦略に時代性がはっきり表れている。私も毎年、どれを見ようかと迷ったが、結局レコ大→紅白だったのだ。

70年代とは、国民の半数が毎週決まった時間にテレビの前に座った最後の時代だった。それが自作自演だったにせよ、みんなが同じ文化を共有できた最後の時代だったともいえる。今の子供はチャンネル争いなどしていないだろう。ゲームもあるし、インターネットもあるし、携帯もある。テレビはもはや選択肢の一つだ。ロングテールなメディアに育った世代は何を共有していくのだろうか、とこの本を読み終わって考える。

不許可写真―毎日新聞秘蔵

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・不許可写真―毎日新聞秘蔵
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・不許可写真―毎日新聞秘蔵 (2)
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毎日新聞社が戦後まで保管していた第二次世界大戦中の報道「不許可写真」が2冊の本になったもの。軍部の検閲により写真には「検閲済」「不許可」などのハンコや赤ペンでの修正指示がびっしり書き込まれている。「検閲済」は新聞掲載がOKという意味で、不許可はダメということである。

実はこれらの不許可写真の多くは物凄い秘密が写っているわけではない。そこに写っているのは戦争の日常で、戦闘シーンだけでなく休息する兵士たちのようなのどかな写真も含まれる。

検閲には明文化された規則があって、全文が掲載されているが、要約すると

・飛行機や飛行機事故の写真
・旅団長(少将)以上の写真
・軍旗が写った写真
・多数の幕僚の集合写真
・司令部、本部名などの名称がわかる写真
・装甲車や戦車、艦船や戦闘機の写真
・輸送・移動の様子がわかってしまう写真
・捕虜や敵兵を逮捕尋問している写真
・死体の写真

などがダメだった。現場の検閲官の裁量で微妙な判定が行われるケースもある。

修正すれば可というのもある。たとえば山の稜線が写っている写真は場所の特定に結びつくのでそこを削るように指示される。肩章が映った兵士の写真は肩章部分を修正で消すように指示される。

何百枚もの写真と検閲理由の解説を見ていくと、読者の眼は当時の検閲官の眼になる。途中からは9割くらい、次の写真が許可なのか不許可なのか、修正を入れるとしたらどこに指示をするかが、わかるようになってしまう。

テリー伊藤が解説で面白いことを書いている。「不許可にした写真でも、軍はネガを没収しなかったというのは、多分、「お役所」なんですね。許可をしない、掲載しない、というお役所仕事だったから、ネガを没収するというのは別の「仕事」なんですよ。」。検閲するほうも、されるほうも、なんだかんだいって同じ民族だから信用していたのではないかという。

当時の新聞社は軍の検閲を受けて、この写真は不許可という指示を与えられていたが、この写真を使えとは言われていなかった。民間企業として残された新聞社は、軍の検閲と馴れ合いながらも、軟禁状態の言論機関として情報を発信していた。国家のプロパガンダ機関として徹底しなかったのが日本の情報統制の弱さだったという指摘があった。

なにか歴史をひっくり返すような中身があるわけではないのだが、戦時中の検閲そのものを体験できる貴重な写真集であると思う。

日本映画のヒット力

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・日本映画のヒット力
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日本映画が復活した。2006年に21年ぶりに邦画が洋画の興行収入シェアを上回り、2007年には興行収入10億円以上の作品が東方13本、松竹5本あって、それぞれ前年度を上回っている。ジブリのアニメ作品やテレビドラマとの連動作品などの大ヒットは往年の映画ブーム時の記録を次々に塗り替えている。この本は著名な映画ジャーナリストが、映画の内容には敢えて立ち入らず、興行成績でヒットをはかり、なぜ日本映画は近年、再び儲かるようになったのかを分析している。

テーマは、

・かつて日本映画がダメだった理由
・情報戦が日本映画を生き返らせた
・テレビ局は日本映画の救世主か
・東宝株式会社・映画調整部の力
・スター・プロダクションが映画ビジネスに参入・・・・

など。

映画の宣伝と言うとかつてはどれだけテレビスポットCMを打つかであったそうだが、現在はテレビスポットにたよる宣伝戦略が岐路に立たされているという指摘がある。テレビで広告しただけではだめで、人々が、多様な場面に多様なメディアを介して同時多発的に知るということが話題性につながるということなのである。クロスメディア戦略はボリュームで計ってはいけないということだろう。

「このように現代の情報戦とは、単純にその映画の情報の多さを競い合うのではない。情報は多岐にわたる。というより、情報はかなり捻じ曲がった流通の仕方をする。ここが非常に重要なのだ。」

後半で紹介された最近の映画の観客の動向調査も興味深かった。

1 映画は女性の方が好き。観客に10%多い。
2 単館系では20代、30代の若い人が多い
3 観客の過半数が会社員、次いで学生、主婦
4 テレビ、予告編、雑誌、ポスター、チラシ、新聞の順で認知する
5 ヘビー層は監督、主演者で選ぶ、ミドルライト層は話題性や他者の評価で選ぶ
6 複数で鑑賞が中心、ヘビー層ミドル層は異性中心
7 ヘビー層ほどシネコンを好む
8 6割以上が入場料低減を望む

などの結果がある。

日本映画というと年配者が中心、若物は洋画が中心という時代は終わっていて、本当に若い人たちの文化に定着しつつあるのだ。まさに復活という印象である。私はかなり映画を見る方だが、確かに日本映画率が増えている。

私の最近の邦画のおすすめはこれ。

・ゆれる
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久しぶりに故郷へ帰ったカメラマン(オダギリジョー)は、兄と一緒に幼ななじみの千恵子と峡谷へドライブする。兄と千恵子が二人で吊橋を渡ったときに千恵子が転落死してしまう。これは事故なのか殺人なのか?揺れる吊橋のようにゆれる関係者の心。手に汗握るサスペンスであり、心揺り動かされる人間ドラマ。西川美和監督のファンになった。

麗しき男性誌

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・麗しき男性誌
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斎藤美奈子が男性雑誌を斬る。かなり痛快。

取りあげられた雑誌は週刊ポスト、プレジデント、日経トレンディ、文芸春秋、週刊新潮、週刊東洋経済、ダカーポ、ナンバー、週刊ゴルフダイジェスト、サライ、日経おとなのOFF、ダンチュウ、ニュートン、メンズクラブ、エスクァイア、ブリオ、ナビ、ブルータス、レオン、ホットドッグプレス、東京ウォーカー、週刊プレイボーイ、週刊スパ、メンズノンノなど。さらに普通の男性雑誌に加えてヤンキー御用達の「ヤングオート」、ヘラ釣り専門の「月刊へら」、バス釣り雑誌の「バサー」、「山と渓谷」、軍事雑誌「丸」などの特殊な男性雑誌もレビューしているのが愉快。

論旨明快に男性雑誌のイタいところを突いてくる。当たり前といえば当たり前だが、男性雑誌というのは、その時代の男性の欲望やコンプレックスの反映なのだ。たとえば一件、対極にありそうなアエラとスパも、基本的にやってることは一緒だという指摘は鋭いとうなった。

「どちらも20代〜30代の「ちょっとハミ出たヤツ」に関心を持ち、その条件に合致する人を何人か取材し、あたかもそれが「日本の普遍的な大問題」であるかのうような分析を加える。関心領域といい切り口といい、この二誌は意外にも親戚同士だったのだ。ただし、両誌の間には決定的な差がある。自虐の「スパ」とは裏腹に、「アエラ」には上昇志向の強さがあることだ。この差は読者層の差を反映しているともいえる。「S」が偏差値低め、自虐度高しのサラリーマンを相手にしているとすれば、「A」が意識してるのは偏差値高め、プライドも高めのお姉さま方だ。」

この本の本文は2000年5月から2002年12月にアエラに連載された内容なので、変化の激しい雑誌の評論としては古くなった部分があるが(廃刊した雑誌も複数ある)、文庫版では2007年時点での追記があって、その間の誌面の変遷をフォローしてくれている。こうした雑誌の編集方針の比較や歴史については情報があまりないので、非常に参考になった。

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趣味は読書。

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・趣味は読書。
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本好きにはベストセラーを敢えて読まない人も多いと思う。

しかし、自称・他称の”本好き”は、人からベストセラーの感想を聞かれることが多いため、目を通しておかなきゃいけないかなと気になっている。だから、「わたしが代わりに読んであげました」というのがこの書評本である。

取り上げられているのは「声に出して読みたい日本語」「五体不満足」「買ってはいけない」「永遠の仔」「冷静と情熱の間」「ザ・ゴール」「iモード事件」「チーズはどこへ消えた」「ハリーポッター」「世界がもし100人の村だったら」「金持ち父さん、貧乏父さん」など40数冊。2003年の出版なので歴史的にもベストセラー評価確定の本ばかりである。

見事なのは、どの書評も面白いのだが一冊も読んでみる気にならないということ(笑)。
この本全体を通しての著者の批評姿勢として、ベストセラーには内容に厚みがある本が少ないという嘆きが感じられる。わかりやすいが薄っぺらなのだ。中学二年生にもわかりやすい内容の本が大人に受けている。単純なメッセージは単純な感想しか生まないのに、という著者の指摘は鋭いと思った。読むものを深く考えさせるものが売れないのである。

本の作り方と売り方にも問題はありそうだ。現在のベストセラーは作られていると思う。ある知人の編集者曰く「初版でちょっと売れたら、○○万部のベストセラーと次の刷からは帯に書くと凄く売れるんです。」。数万部を超える初速が出たら、それを宣伝文句にして数十万部ヒットへの加速ができるらしい。みんなが読んでいるものを読んでおきたいという読者の心理を刺激するマーケティング手法である。

この本で取り上げられるベストセラー本は、実際、初速でたくさん売れた本が多い。初速の背景には、著者の有名性やテーマの時事性、大手メディアのタイアップ企画などの要素があって、純粋に文章の力がきっかけで売れたのではない本が多いのである。そこには「読者」が育っていないからという事情もあるようだ。

統計データを多角的に見て、「日本の読書人口」を著者が計算した数字が面白い。日本でまともに本を読む人は1割強でマイナーな趣味なのであるという。さらに毎月一冊以上単行本を買い、日々書店に通い、新刊情報を気にする人など500万人か600万人くらいしかいないだろうと結論している。そして、他の趣味と同様に読書人口の大半は善良なビギナーであり、単純なベストセラーに、素直に感動、涙してしまう。

だが、ここ数年でブログに書評を書く人が増えて、本探しの状況は変わってきているかもしれない。かなりマイナーな本でもブログ検索に書名を入れると多面的な感想や書評エントリが複数出てくるようになった。知る人ぞ知る本を自力で探して、自分なりの評価を表明するということが誰にでもできるようになった。

仕掛けられたベストセラーをみんなが読むのではなくて、みんなが読んだ結果ベストセラーになるという本来の姿になると、こういうベストセラーの書評本も、読んでみたい本でいっぱいになるはずなのだが。

・【書籍になりました】 情報考学―WEB時代の羅針盤213冊(主婦と生活社、1600円)
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004789.html

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