Books-Mediaの最近のブログ記事

・のめりこませる技術 ─誰が物語を操るのか
61RjpnZfyUL._AA300_.jpg

大学生に短い映画を見せる印象的な実験の話から始まる。映画の内容は二つの三角形と一つの丸が平面上を移動するというものだった。静止した四角形も登場した。上映後に何を見たかの説明を求めると大学生たちのほぼ全員が、二つの三角形が喧嘩している男で、丸はそれから逃げようとする女であると答えた。ただの図形にも、人は意味や物語を見出してしま習性があるのだと学者は結論した。

物語るという行為がテクノロジーの変化に伴い変質していく。かつては活字の小説で語られていた物語が、映画になり、テレビの連続ドラマになり、ウェブ上のインタラクティブな物語に変化してきた。より連続的で参加型のストーリーに人々はのめり込むようになっている。いまや広告、ゲーム、ウェブ、テレビドラマ、映画、何を作るにせよ参加型でのめりこませる仕掛けが成功の鍵となる。

「ゲームと物語に共通しているのは、どちらも"人生の練習体験"だということだ。物語というものは「願望や恐怖を反映した物語という小宇宙、あるいは本物そっくりな現実を構築してその中にドップリ入り込む」ということだった。ここの部分は変わっていない。しかし"物を語りたい"という渇望はメディアの進歩とともに肥大し、同時に私たちが"注ぎ込む"ものも大きくなっていく。」

想像の小宇宙を提示したスターウォーズの映画の興行収入は「シスの復讐」一本で40億ドルだが、フィギュアやゲームなどの関連商品の売り上げは150億ドルもある。ストーリーにのめり込むファンたちのオタク消費がコンテンツビジネスの肝となっているのだ。

ダークナイト、アバター、ヘイロー、ロスト、ディズニー、グーグル、フィクションの、のめりこませる技術を最大に活かしたコンテンツやマーケティングの事例が米国中心に語られる。日本人はあまり知らないCMやドラマもあるが、これから日本でも起こりうる現象、仕掛けられるプロジェクトとしてみると興味深いものばかりだ。

「遊ぶために想像力は不可欠だ。物語についても同様だ。語り手だけではなく、聞き手にも想像力がなくては、物語は成立しない。消費者が広告主との共犯関係で広告を完成させる、というのも同様だ。テレビを漫然と眺めているかに見える視聴者も、実は受け身の存在ではない。"物語"の語り手は、登場人物を創作し話を紡ぐ。聞き手は隙間を埋めて話を完成させる。物語は語り手と聞き手がいて始めて完成するのだ。」

完全に閉じた世界観ではなく、読者の想像力と参加によって広がっていく物語の環境を用意しなければならないわけだ。本書が論じているのめりこませる技術は、現代においてヒットするコンテンツやマーケティングを考えるのに避けては通れないノウハウだと思う。

・「超小型」出版:シンプルなツールとシステムを電子出版に [Kindle版]
41g+RtJEaQL.jpg

オンライン出版の実践者が、電子書籍の雑誌のミニマルなモデルについてよい考察をしている。わずか45ページでこの書籍自体が自らの提唱する小型出版だ。

著者が考える超小型出版とは、

・小さな発行サイズ(3~7記事/号)
・小さなファイルサイズ
・電子書籍を意識した購読料
・流動的な発行スケジュール
・スクロール
・明快なナビゲーション
・HTML(系)ベース
・ウェブに開かれている

などの特徴を持つ。具体的にはAppleのニュースタンドへ配信するオンライン雑誌をイメージしている。それが備えるべき最低限のインタフェースや機能も明確に述べている。私は頭が整理されてよかった。

メールマガジンやブログ(個人の発信サイト)も黎明期にはさまざまな模索がなされたが、試行錯誤からミニマルなモデルというものができてきて今のかたちに落ち着いている。スマートフォン、タブレット時代の電子書籍、オンラインマガジンにも、そういうモデルができてきてよいころだ。

この本のAmazonへのレビューが興味深い。よい内容だという意見と、うすっぺらいとかメモ程度だというような意見が並んでいる。確かに分量的にも考察の深さ的にも、書籍というには物足りないが、ブログよりは濃い。まさにこのへんに著者が理想とする超小型出版のコンテンツの塩梅が示されているのではないかと思う。

・次世代コミュニケーションプランニング
51xaNM1JKhL._SL500_AA300_.jpg

博報堂、電通、グーグルでマーケティングを手掛けてきたコミュニケーションプランナーの高広伯彦氏が書き下ろした新しいマーケティング・プランニング思考法。5つの章からなる。社会学やメディア論など幅広い分野の研究成果も引用しながら、表層ではなく「本物の変化」に迫る。5本の濃い講演のような本。

広告業界で稀有な経歴を持つ高広氏はこれまでの広告と、これからの広告のあり方をどう考えているのか。そして近年のソーシャルやクチコミをどう見ているのか。すべて書かれている。

「現在「クチコミマーケティング」といわれて業界内で提供されているものの多くは「人を媒体枠として」売っているものである。 「ブロガーに書かせます」「Twitterユーザーにつぶやかせます」などなど......。」

広告枠、媒体枠として消費者のクチコミを買うようなプランナーは、従来のマス広告屋の悪弊が抜けていない。クチコミされるためにどういうシカケやシクミを企むか、が次世代プランナーの仕事なのだと高広氏は、昨今ありがちな安易なソーシャルメディアマーケティングを批判している。

「「コミュニケーションプランニング」とは、商品と消費者がいかに「コミュニケーションするか」を企てることだ。その手順はまず、商品・サービスがどういった「コンテクスト」に埋め込まれるのかを考えることから始まり、そして、さまざまな種類の「顧客接点」を駆使する。」

要するに広告人はもっと頭を使うべきだし愛を持つべきということを言いたいのだと受け取った。ネット環境では、グーグルの広告みたいに、数量的には自動で最適化された検索広告枠を市場で売り買いすることができる。業者に頼めばブロガー何百人に自社の提灯記事を書いてもらうことができる。だが、その先にいるのは人間だ。カネで丸ごと枠を買って出すだけのメッセージに愛はないのだから、炎上やトラブルが待ち受けている。

メッセージが生きるには「コンテクスト」を作り出さねばならない。クチコミが活性化するにはシカケやシクミが必要だ。どれも頭とハートをフル稼働させなきゃつくれないよと、熱く語るのがこの本のメッセージだと思う。

この言葉が印象的だった。

「広告は人々のアクティビティを後押しするもの」

これからの時代において、広告は企業が消費者にモノを買わせるとかブランドイメージつくるだけのものではないのだ。コンテクストプランナー、コミュニケーションプランナーというのはネットワークでつながった世界中の人たちに連鎖反応を引き起こす野望に満ちた仕事ということになる。次世代の広告業界を展望できた気がした。

デジタルコンテンツやマーケティングにかかわる人は必読。

・再起動せよと雑誌はいう
514l7lahbzL.jpg

『CITY ROAD』『WIRED日本版』『季刊・本とコンピュータ』の元編集者で、「本と出版の未来」を考えるウェブサイト『マガジン航』編集人の仲俣 暁生さんの本。POPEYE、ユリイカ、文芸春秋、東洋経済、NUMBER、OZマガジン、ぴあ、などさまざまなジャンルの30種類以上の雑誌をとりあげて批評する。

全記事が雑誌愛に満ちた批評で楽しい。今イケてる雑誌はどれか、ダメなのはどれか、意外な人気メディア、新しいビジネスモデルなど幅広い話題が盛り込まれている。1つのジャンルで必ず複数の雑誌をとりあげて、特徴比較をしている。歴史的に果たした役割も説明されている。通読すると雑誌メディアの全体を俯瞰する視点が得られる。

「いま思えば、かつての『POPEYE』は、現在のインターネットのような存在だった。書き手と読者の距離を近く感じさせるカジュアルな文体による短いコラムや、スナップ写真のようなグラフィックに添えられた短いキャプション。これはいまのブログとツイッターで行われているコミュニケーションの形態とよく似ている。」

雑誌が売れなくなったのはやはりネットのせいなのだろうと私も思う。雑誌は今でも月に5,6誌を買うが、ネット以前はもっと買って読んでいた。かつて雑誌に費やした時間やお金や好奇心を今はネットに注ぎ込んでいる。

iPadの登場で、寝転がりながら読めるメディアとしての雑誌という需要も、だいぶ電子化の浸食が進んだ。レイアウトやフォントの美しさ、プロの加工する写真やイラストという強みも、デジタルツールとソーシャルパワーで、デジタルメディアが急速に追いついてきている。

ただ本質は利便性や機能の優位というよりも、紙のメディアが時代の先端を共有する場ではなくなったというのが、最大の凋落の要因だろう。情報感度が高いキーマンたちが、読み手としても書き手としても、紙の雑誌の編集部界隈から、ネット界隈へと移民してしまった。彼らにとって紙は原稿料をもらえるからやる割り切った仕事に堕しつつある。あの雑誌に原稿を書きたい、登場したいと思われなくなった。

コンピュータ雑誌、音楽雑誌、ゲーム雑誌...。学生の頃むさぼるように読んだ雑誌の魅力とは、誌面の向こう側に私が知らない凄い世界が広がっているという感覚だった。編集者やライター達が編集後記に書くぼやきや裏話がまぶしかった。若い読者の私はそんなにふうにぼやいてみたかった。その感覚が今の紙の雑誌では薄れている。いまや「大変だ」なんてぼやきを見ると、本当に大変なんだなあ、と気の毒、可哀そうになってくる。先端をつくりだす余裕が感じられない。

サブカルとカルチャーの間をつなぐような紙の雑誌が読みたい。

「さきの「ブルータス30年目の真実!?」のなかで都築氏が、彼が在籍した時代には編集会議など一度もなかった、と話している。逆にいまの誌面から感じられるのは、編集会議やマーケティングのしすぎではないか、と思えるほどの「現実」に対する後追い感覚だ。文化を扱う特集も、かつてのような遊び心から生まれたものではなく、いかにも生真面目なお勉強路線、いいかえるなら実利志向が目につく。」

と仲俣さんが書いているが、雑誌はかつてのようにトレンドをつくりだす現実歪曲空間であってほしいと思う。出版不況で売れる雑誌をつくらねばならないという環境がそうしているのであろうが、それだけでは「再起動」は果たせないだろう。

この本からは、カメラ雑誌や山岳雑誌などオヤジ趣味の女子化、ローカル雑誌復活の可能性など、雑誌のトレンドがを10個くらい教えてもらった。知らない雑誌の発見もあった。雑誌連載がベースらしいので、ぜひ記事が貯まったら続編も出してほしい。

そういえば、欄外に多数詰め込まれた注釈記事が楽しかった。本文ではわざわざ書かなくてもいいようなことが書いてあったりするとニヤリとする。こういう遊び心と余裕が、雑誌の本来の魅力なのでもあったな、と。

・こうして世界は誤解する――ジャーナリズムの現場で私が考えたこと
41zQ1NmBkvL._SL500_AA300_.jpg

"最も影響力のある国際ジャーナリスト40人"に選ばれたこともある中東に強いフリージャーナリストが語る現代のジャーナリズムの問題点。ブログやツイッターの話ではなくて、国際ジャーナリズムの本質的議論がある。

中東特派員としてイラク戦争やさまざまな従軍取材を経験した著者は「もし欧米のマスメディアが戦争のあいだもきちんと仕事をしていたなら、テレビのまえに坐っていた視聴者は泣き叫び、反吐を吐いていたはずだ。」という。ニュースはまったく現地の実態を伝えることができていなかったのだと批判する。

たとえばイラク人が巨大なフセイン像を引き倒して歓喜の声をあげる印象的なシーンは世界中で放映されていてたが、現実は、アメリカ人将校が画策して200人くらいのイラク人が実行しただけのショーなのであった。危険だというテロリズムの現場に行ってみると案外に平和に人々が暮らしていたことなど、報道と違う事実を語る。

独裁国家では巧妙な情報操作が行われていて、欧米のジャーナリストも結果的に操られてしまっている。独裁国家に滞在中、監視されているのでメールを通信社へ出すことができなかった経験のある著者は、ジャーナリズムが存在しうる独裁国家はそもそも独裁国家ではないとも自嘲する。中東の現実をマスメディアが伝えることの困難が何重にもある。

そして放送局もまたPRコンサルタント会社やマーケティングの専門家が手助けをすることで、人々が見たがっているものを制作して放映している。視聴者のニーズが本質的なフィルターになってしまっている。たとえば視聴者はわかりやすい映像を好む。

だから情報としてのナレーションだけでは駄目で、現場のわかりやすい映像がなければ、テレビでは使うことができない。放送局は通信社から十分な情報は得ているのに、わざわざ危険な現地に特派員を飛ばして、原稿を読み上げさせる。映像と音声の二つの歯がかみ合わないとテレビでは流せない「ハサミの法則」があるからだ。

結局のところ現代のニュースは一種のショービジネスに過ぎないと嘆く。独裁者や権力者の情報操作や、カネになる映像ばかりが集められ流される構造ができあがってしまっているのだ。わかりやすいラベリングが過度の単純化やミスリードを招く。報道の最大の敵は検閲を行う権力ではなく、報道機関を存立させているはずの資本主義や市場経済にあるという根深い問題に突き当たる。

「情報の選択について市民が投票にも似た決定を下す際に、"何を聴く必要があるか"ではなく"何を聞きたいか"を基準にするなら、民主主義はどうやったら生き延びられる?。」

報道の可能性と不可能性の双方を自らの経験から訴える硬派のジャーナリズム論。

・日経ビジネス Associe (アソシエ) 2011年 10/4号
51iEhrBvGoL._SL500_AA300_.jpg

読書術の特集が気合が入っています。

冒頭の記事(東レ経営顧問 佐々木常夫氏)が「多読家に仕事のできる人は少ない」と言っており、私に喧嘩を売っているのか?と思いましたが、読む本を厳選せよというメッセージであるらしい。各界で活躍中のツワモノ読書家たちがつぎつぎに登場して、読書術を明かすという構成ですが、忙しくても効率よく情報を集めるビジネスマンのための読書ノウハウ集です。

「読書術5 書くために読み続ける 寝る前の30分で雑誌を"定点観測"」というページで、実は私も登場しています。雑誌の読み方と、本&雑誌の書評ブログを毎日休まず更新するコツを語ってみました。

6210198984_76449b6bc8.jpg

個人的に参考になった他の読書家の術としては、ゲーム作家・ライターの米光一成さんの「My年表を活用する」というワザ。本には年代の話がよくでてくるが、気になる年号をメモしていって、テーマ別の年表をつくってみようというもの。米光さんの場合は、ゲーム業界の年表をつくってプリントアウトして持ち歩いているそうだ。なにかの知識を披露する際に、それが起きた正確な年や順番がすらすらいえると信憑性も増すし、トリビア的な断片情報を時系列の物語として整理できるから自分自身の理解も深まる。これは早速やってみようと思った。

外資系コンサルティング会社のATカーニーでは、休日に読書家の社員3人が集まって12時間もさまざまなテーマについて討論している。読書家が議論できるのは理想的な環境だと思う。ちょっとうらやましい様子が紹介されていた。企業は、情報力を高めたいならば、社員に単純に読書を勧めるだけでなく、読書家同士の議論を勧めるべきだと思う。


特別付録に読書用「フィルムふせん」がついてきます。

・あなたがメディア! ソーシャル新時代の情報術
41U5iH-7MJL.jpg

『ブログ 世界を変える個人メディア』を書いた著名ジャーナリストのダン・ギルモアの最新刊。前著から6年、個人メディアが世界を変える動きは着実に進んでいる。原題は"Mediactive"。メディアとアクティブをつなげた"行動するメディア"という意味の造語。賢いメディアの消費者から、行動する利用者へ。メディア変革、次のステップの指南書だ。

信頼できる次世代のメディア空間をつくるためには、

・信頼できる情報源を見つける
・信頼できなくなった情報源を仕分ける
・会話に参加する

という個の資質が求められると著者はいう。メディアクティブ時代のリテラシーとしては、深読み能力だけでは不足だ。地域やネットの会話に加わって、知識を活かすことで、、自分が属するコミュニティをもっと豊かにしていく能力が求められている。

「スローニュース」という緩やかなニュース文化というコンセプトも

速報ニュースとツイッター、ブログの時代には、我先にと入手したばかりの情報に、反射的に物を言うコメントダービーになりがちだ。しばしばデマや不正確な情報に基づいて情報を発信してしまう。Wikipediaの編集のように、事実と推論をコミュニティの会話によって線引きして表示するような、ニュースの減速の方法論をダン・ギルモアは推奨している。

・コミュニティーに根ざした信頼のネットワークをつくり、評判を最も重要な要素として利用する
・アグリゲーション(集約)やキュレーション(編集)を通じて情報を発見し、文脈づくりをするためのツールを改善していく
報道はテーマ主導型に。"記事"のスタイルは、新しい情報を入手しだい、逐次取り込むというダイナミックなものにし、読者の理解を促進していく。

など未来への提言がいっぱいある。

コミュニティと会話がメディアの未来に深くかかわっている。メディアは読むものではなく参加するものになってきた。だからタイトルが「あなたがメディア!」なのだ。フリーのジャーナリストやブロガーにとっては明るい話題が多い。

基本的に、ソーシャル時代のビジョナリとしてダン・ギルモアはかなり楽観的なタイプだが、もちろん影の部分も少し紹介されている。たとえば、オバマ大統領の発言の引用はこれからの問題の先取りになっている。

「ここにいるみなさんは、フェイスブックへの書き込みには注意してください───なぜならユーチューブ時代には、みなさんのあらゆる行いが、その後の人生のどこかで再び取り上げられるかもしれないからです。そして若い時には、過ちを犯すし、愚かなこともしてしまう。そんな様子をフェイスブックに投稿し、いきなり就職活動を始め、そして誰かがネットを検索したら...。これがみなさんへの政治家としての実践的なアドバイスです。」 バラク・オバマ アメリカ合衆国大統領 ホワイトハウス講演録。

すべてが記録に残ってしまうデジタル時代。過去に対してある程度寛容に社会をつくらないと、こどもたちにソーシャルメディアへの早期の参加を薦められないということにもなる。ちょっとした"時効"ルール、"免罪符"みたいなものをつくる必要があったりして。

・マクルーハンの光景 メディア論がみえる [理想の教室]
41yRKa+jbSL._SL500_AA300_.jpg

マクルーハン生誕100周年だそうだ。ちょうどわかりやすい入門書がでていた。

3つの講義形式をとる。親切で落ちこぼれをつくらない授業だ。

マクルーハンの難解な『外心の呵責』の全文和訳を素で読んだあとに、著者による行レベルの丁寧な解説がつく第一講。専門家に横についてもらいながら、本物を体験できる感じで、安心して読める。

第2講ではマクルーハンの生涯と主な著作についての解説、そして「メディアはメッセージである」の解釈。第3講では「地球村」の概念の再検討と、その思想の芸術面への広がりについて語られる。

マクルーハンの思想の中心にあるのは「メディア=テクノロジー=人間の身体と精神の拡張」という考え方だ。その著作は、インターネットもケータイもなかった時代の執筆にも関わらず、現代に起きていることを予言していたかのようなことばで満ちている。

「文字文化以後の人間が利用する電子メディアは、世界を収縮させ、一個の部族すなわち村にする」「あらゆることは起こった瞬間にあらゆる人がそれを知り、それゆえにそこに参加する」。マクルーハンのいう地球村は、ツイッターであり、Facebookであり、「あらゆることは起こった瞬間にあらゆる人がそれを知り、それゆえに参加する」環境は現出している。」

マクルーハンの主張は、

(1)電子メディアの到来が「新しい環境」を生み出すこと。
(2)「新しい環境」の特徴とは「同時多発性」であること。

ということ。

マクルーハンの文章は文学的芸術的表現が多いので、著者によって骨子と、その核心に触れるさわりだけ抜き出して紹介してもらえるのがありがたい本だ。

個人的にはホットとクールについての正しい理解ができたのがよかった。

ホット・メディア:高精細度=低参加度(ラジオ・活字・写真・映画・講演)
クール・メディア:低精細度=高参加度(電話・話し言葉・漫画・テレビ・セミナー)

「メディアの伝える情報の密度が高いと、補完する必要がない。それを受け手の「参加度が低いと表現します(高精細度=低参加度)。これが「ホット・メディア」です。 逆にメディアの伝える情報の密度が低いと、受け手は、不足の情報を頭で考えて補完する必要がある。それを「参加度が高い」と表現します(低精細度=高参加度)。これが「クール・メディア」です。」

マクルーハンはアフォリズム(警句)は「不完全ゆえに奥深い参加を求める」クールメディアだと言ったそうだが、マクルーハンの著作自体が、豊饒な意味を内に秘めた究極のクールなメディアのように思える。

・メディアと日本人――変わりゆく日常
41w53qEk2WL._SL500_AA300_.jpg

テレビ、ラジオ、新聞、インターネット、書籍・雑誌、携帯電話。日本人のメディアへの関わり方がどう変化してきたか、ネット世代のメンタリティ変容、メディアの未来はどうなるか。日米のメディア研究の最新データを参照しながら、俯瞰的重層的にメディアと情報行動の激変を考察する。

テレビの力を象徴する紅白歌合戦の視聴率は、

1970年 77.0%
1980年 71.1%
1990年 51.5%
2000年 48.4%
2010年 41.7%

と過去40年間減少してきた。これに対してネットやケータイは急成長を遂げてきた。しかし、これは単純にネットやケータイがテレビを食ったわけではないと著者は複雑な現実を解説する。

テレビを長時間見る人とぜんぜん見ない人が分化してきていること、メディア行動が多様化していること、そして年齢層による情報行動の中身が大きく違うこと、さまざま調査データが引用されている。同一人物でも、在宅時間が長くて時間に余裕のある日はPCネットやテレビを長く利用し、そうでない日は利用しないというのは納得の発見である。

「年々、情報メディア環境は複雑さの程度を増していき、若年層ほど行動パターンが多彩である分、テレビに割く時間の比率が減少するのである。」というが、特に10代のデジタルネイティブと呼ばれる若者たちの情報行動パターンは特徴的だ。彼らのメディア接触におけるメンタリティを分析している。

ネットが与える心理的な影響は研究がだいぶ進んできているようだ。たとえばインターネット利用頻度が高いほど、外向的な人はより社会的参加が活発化し、内向的な人は孤独感が増して社会的参加が少なくなるという結果は面白い。若年層では自意識が高い人ほど利用時間が長いという。ネット利用のマタイ効果と呼ばれるが、メディアは人間の本質を増幅拡張するものなのだろう。

そして「インターネットには、家族や同世代の仲間の絆を強める働きがある半面、家族や世代内のつながりのなかに、モザイク化した多くの孤島をつくりだしてしまう危険性をはらむ。」と述べている。ネットの光と影がよくわかる研究解説書。

・電子本をバカにするなかれ 書物史の第三の革命
51bXFVPtMHL__SL500_AA300_.jpg

元『本とコンピュータ』総合編集長の津野 海太郎氏が語る出版の新時代論。

口承から書記への「第一の革命」、写本から印刷本への「第二の革命」、そして紙の本と電子の本が共存するというのが同氏のいう「第三の革命」である。電子出版革命論者のなかではかなり穏健な革命である。

「書物史上、というよりも人類史上はじめて、本が二つのかたち、二つのしくみ、二つの方向に分かれて、それぞれの道をたどりはじめる。その分岐点の光景を、いま私たちは目にしている。」

確かに著者が言うように、電子書籍が紙の印刷本をすぐに滅ぼすことは起きそうにないと感じる。電子本が一般化しても、紙の本の良さは残る。レコードがCDに、VHSがHDレコーダーになったように、旧メディアが新メディアを置き換えて殺してしまったメディアもあるが、本の場合は共存の余地は大きそうだ。

「ビジネスとしての出版は今後も二つのかたちで存続していくと思う。一つは旧来のものの縮小的延長として、もう一つは、無料情報の大海から直接にたちあげられるであろう新しい出版ビジネスとして。」

紙と印刷の本の世界が斜陽化しているが「産業としての出版のおとろえと電子化の進行のあいだに直接の因果関係はない」という分析も同感。その原因を「売れる本がいい本、売れない本はわるい本」という「市場がすべて」主義が出版を衰弱させたと論じている。ベストセラーのランキング上位に並ぶ本が、読書好きにとっては、つまらない本ばかりになってしまったなあと私も思っているので、多いに納得。

ボイジャーの萩野正昭氏と電子書籍の歴史(案外に長い)を振り返る記事も、今、改めて読むと、電子書籍にまつわる様々な議論が、いまに始まったわけじゃないのだということに気がつかされる。

電子書籍の革命前夜である今、見通しをえるのによい本。

・朝日新聞社 雑誌 Journalism 8号
11824.jpg

「特集は「記者会見をめぐる諸問題」。進む記者会見開放の動きと記者クラブ問題について検証する。長野県庁「脱・記者クラブ」の今、鈴木寛文科副大臣インタビュー「政府・民主党のメディア戦略」、江川紹子「検察オープン会見参加記」、津田大介「記者会見をツイッターでtsudaる」、外国人ジャーナリストから見た日本の記者会見など。」

朝日新聞の雑誌「Journalism」に寄稿しました。

私が寄稿した記事については下記URLで無料で公開されています。

・【ネット】ネットのクチコミ分析に見る 新しい報道の可能性
http://www.asahi.com/digital/mediareport/TKY201008060112.html
米ニールセンオンラインの昨年4月の調査によると、世界50カ国のネット利用者が最も信頼している情報源は「知人による推奨」と「ネット上の消費者の意見」であるという。前者は10人中9人、後者は10人中7人が信頼すると答えており、テレビ、新聞、雑誌などのマスメディアを上回った。同社はこの2~3年の利用者の発信情報が主流となる、いわゆるCGM革命により「消費者が、直接の知人やネット上の他人からのクチコミに頼る度合いが非常に強まった」と結論づけている。 ......


この月刊Journalismという雑誌は、寄稿がきっかけではじめて読んだのですが、電子メディアの未来を考える材料が満載で、マスコミ関係者でなくても、とても面白い内容でした。津田大介氏の「記者会見をツイッターでtsudaる」なんていう特集もあります。

冒頭の特集は「記者会見をめぐる諸問題」。左派とはいえ大新聞の代表格の朝日新聞ですから、マスコミ既得権として記者クラブ擁護論が多いのかと思っていましたが、記者クラブの開放論、無用論が大半で、ちょっと驚きました。じゃあ記者クラブって誰が必要としているのでしょうか。

・新聞消滅大国アメリカ
41cZX132SiL__SL500_AA300_.jpg

アメリカの新聞の凋落ぶりは日本の比ではないということがよくわかる本だ。

NYタイムズは3年間で社員の3分の1をリストラ、サンフランシスコ・クロニクルも社員の半数を解雇、シカゴトリビューンは破産、ワシントン・ポストは全支局を閉鎖...。2009年だけでアメリカの日刊紙は50紙が廃刊してしまったそうだ。紙では採算があわないのでインターネット版での発行へ移行する新聞社が多いが、有料化はうまくいっておらず、従来の高コスト体質では新興ネットメディアにかなわない。未来は相当に厳しいようだ。

米国ではまず中小の地方紙が次々に廃刊に追い込まれている。地域の住民たちは地元の情報が入ってこなくなってしまったと嘆いている。新聞を補完するといわれるブログやツイッター、新興ニュースサイトでは注目が集まらない場所の情報は出てこなくなる。地方行政への影響も懸念されている。

米国の新聞業界事情、収益構造が異なる日本の新聞業界事情、そして米国とアメリカの新聞はどうなっていくのかを、ファクトとデータをもとに、NHK報道局勤務の著者が考察している。新聞の未来を考える最新の材料としておすすめ。

新聞にとっては暗い話題が多いのだが、あとがきに興味深い事実が出ていた。先進国では消滅していく紙の新聞だがブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカなどでは発行部数が増えているのだ。インド、中国では発行部数が1億部を超えている。人口が多い国での増加傾向を考えれば、実はグローバルではむしろ新聞発行って増えていくのではないか。アメリカや日本ではそろそろ終わりでも、世界規模では新聞がこれからのメディアなのかもしれない。

最近、私の家では紙の新聞を取り始めた。しかも朝日新聞と朝日小学生新聞の2紙。私は90年代から紙の新聞をとっていなかったが、それは皆が読んでいる情報に希少性がないと思っていたからだ。だが、皆が新聞を読まなくなっていくなら(若年層は数パーセントしか読んでいない)、むしろ新聞に書かれている情報は貴重である。1000万部のメディアとして残れなくても、私みたいなアマノジャク読者の市場は、少なくとも今の若年層読者より多いのではないだろうか。日本の新聞は結局100万部くらいのメディアに落ち着くんじゃないかなあ。

次に来るメディアは何か
http://www.ringolab.com/note/daiya/2010/05/post-1224.html

・版元ドットコム大全〈2010〉―出版社営業ノウハウと版元ドットコム活用術
51b+Y4gNA9L__SL500_AA300_.jpg

先日出版した「電子書籍と出版」でお世話になったのが、版元ドットコムの沢辺さんでした。出版社連合体としては第3番目の規模の勢力だそうです。

・版元ドットコム
http://www.hanmoto.com/

版元ドットコムは、163社の版元による、サイトでの本の販売、書誌情報提供や流通改善を追求する団体である。

中小の出版社の連合体が

(1)書誌情報を版元自身がつくって、読者に、出版業界に広く公開する
(2)書誌情報をできるだけ詳細なものにする
(3)出版事業にかんする情報の交換、ノウハウの共同した獲得

という目的を掲げて協力している。

この小冊子はその活動成果、ノウハウの紹介と入会案内である。基本的には一般読者ではなくて出版社向けの内容。

版元ドットコムのデータベースは、書誌の登録点数は33000点と多くはないが、内容はAmazonのデータよりも詳しい本もある。

たとえば先日共著者として出版した「電子書籍と出版 デジタル/ネットワーク化するメディア 」では、

・Amazon:電子書籍と出版 デジタル/ネットワーク化するメディア
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4780801494/daiya0b-22/

・版元ドットコム:電子書籍と出版 デジタル/ネットワーク化するメディア
http://www.hanmoto.com/bd/isbn978-4-7808-0149-1.html

版元ドットコムのほうがかなり詳細であることがわかる。

読み物として、出版業界の専門用語を、版元ドットコムの会員有志で解説した「出版業界辞典」が、業界人にとって大切なポイントをおさえて書かれており、前から知りたかったことがよくわかった。

出版社は国内に4000社くらいあるといわれるが、大半は中小零細規模である。大手出版社に対して、ネットで連合体を作って何ができるか、この団体の可能性に注目している。

・次に来るメディアは何か
41hfLP2BbZjL__SL500_AA300_.jpg

テレビ・新聞は消滅するのか?メディアはどう再編されるのか?アメリカの事例をみながら日本のメディア産業の将来を考察する。内容たっぷり。面白かった。

「ネット上で自分に関心のある情報ばかりを集めるデイリー・ミー(自分のための日刊新聞)現象は、社会の分極化を招き、民主主義を発展させていくうえで阻害要因になりうる」という意見が紹介されていた。検索もカスタマイズもリコメンドも、すべてデイリー・ミー強化につながる。次世代メディアの重要な要素だ。

しかし、デイリー・ミーで社会が分裂するとまではいかないのではないかとも思った。全員がデイリー・ミーしか読まないようになると、逆に広く全体を見渡すグローバル新聞を読んでいる人が大切になるだろうし、逆にデイリー・ミーにグローバルな意見を取り込んで読む人も増えるだろう。そもそも、いろいろな意見を持った人がいるということが、民主主義の前提だろう。

グローバルと日本のメディア再編の動きとしては、多分野に拡散して弊害が目立ち始めたメディア・コングロマリットから、メディア・コミュニケーション企業連合に絞り込んだ「メディアインテグレーター」へとシフトすると予想されている。そこでキーになるのが通信キャリアだと指摘されている。

「なぜ通信キャリアーがメディア再編成の核となるのだろうか?一見奇妙に感じられるかもしれないが、理由は簡単である。既存のテレビ局や新聞社に比べて圧倒的な資本調達力があり、技術開発力があり、何より近い将来、国民共通のコミュニケーション端末が次世代携帯電話、つまりスマートフォンになるとみられるからだ。」

私の場合、1日で一番長い時間接触しているメディアは、パソコンとスマートフォンだ。テレビでも新聞でも雑誌でもない。そして、スマートフォンの接触時間が確実に増えている。スマートフォンで知って、Webやテレビや雑誌を読むという行動も多い。

それからデジタルハリウッド教員としては、ここが気になったな。

「経産省が作った「コンテンツ産業の海外収支」という表を見ると、04年度輸出の稼ぎ頭はゲームの2327億円である。出版は176億円の輸出に対して475億円の輸入で、大幅な輸超となる。輸出部門は、漫画・アニメが中心だが、金額はまだ少ない。」

そう。ゲームにはもっと自信を持って力を入れるべきなのだ。ゲームをメディアにして日本の文化とコンテンツを輸出するということを本気で考えたらいいと思う。

で、そうしたデジタルコンテンツの学校デジタルハリウッドで次世代メディアセミナーを開催しますので、みなさん来てね。(すいません、最後、宣伝です)。

・次世代メディアセミナー The Future of Digital Contents 第二回 『雑誌メディアの近未来 デジタル化による変容と次世代ビジネス』
http://www.ovallink.jp/event/digital_publish2.html

・著作権の世紀―変わる「情報の独占制度」
412uza7eWRL__SL500_AA300_.jpg

電子書籍ブームによって、またにわかに著作権ブームである。

この本は、まとまっていて、現状をアップデートしたいIT業界人にもおすすめ。

昔、仕事でテレビの番組情報をWeb上で扱う仕事をしていたとき、その業界のルールに戸惑った。テレビ番組表、番組内容、出演者情報、それに関するクチコミなどテレビ関係の情報というのは、Webで扱うに際して権利関係が明確でないものが結構あった。専門家に聞いても、あなた方がやりたいことは法的には大丈夫なはずだが現実ではケースバイケースだと言われた。つまり、法的権利というより業界の慣習や力関係で、情報をどう扱うべきか決まっているように感じた。

「著作権の適用範囲をめぐって、補償金や保護期間延長といった激論がつづく一方で、法律の外に疑似著作権と呼ぶべき情報の囲い込みが数多く生まれています。そのなかには、もっともな理由のあるものもありますが、いわば「言ったもの勝ち」「権利のようにふるまったもの勝ち」と呼べる例も少なくありません。」

というような意見がこの本にも書かれている。理論的には著作権ではないが、社会では事実上、著作権に近いような扱いを受けているものとしては、肖像権、パブリシティ権、報道の中での商標や芸能人の名前などが挙げられている。本当は権利がないのに疑似著作権として主張されている領域が、実際問題、結構あるわけだ。

日本版"フェアユース"でコンテンツがもっと自由に使えるようになるという話も多いが、著者は現実的に、

「もっとも、仮にフェアユース規定が導入されても、できるのはかなり限定された利用にとどまるでしょう。アメリカでも条件はそれなりに厳しく、1 非商業的・教育目的か、などの「利用目的」、2 「利用される作品の性質」、3 利用された部分の「質と量」といった条件に並んで、4 その利用がオリジナル作品に経済的損失を与えないか、が重視されます。フェアユース規定で何でも可能になるような論調を時折見かけますが、それは誤りです。」

と書いている。

グレー領域の明確化はされていくべきだが、現在の多次的創作の扱いのように、「微妙に関係者の価値観やビジネス上の事情が反映され、バランスがはかれれているケース」は、「やわらかい法律」としての運用を残すのもひとつのやり方だと著者は書いている。

結局、世の中全体の考え方が変わらないといけないのだと思う。著作権とは何かを、普通の人含めて社会全体でもっと理解する必要がある。著作権制度は既得権者の利益を守るよりも、将来の社会全体の利益を最大化に向かう方向で、変わっていくべきだと思う。具体的には独占的な構造を崩したり、創作の主な主体である個人の価値創造が、フィードバックを受けて加速するように、お金を巡らせるべきだ。

著作権ブームは議論のいい機会になる。


・REMIX ハイブリッド経済で栄える文化と商業のあり方
http://www.ringolab.com/note/daiya/2010/04/remix.html

・著作権とは何か―文化と創造のゆくえ
http://www.ringolab.com/note/daiya/2005/05/post-237.html

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれたブログ記事のうちBooks-Mediaカテゴリに属しているものが含まれています。

前のカテゴリはBooks-Managementです。

次のカテゴリはBooks-Miscです。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

Powered by Movable Type 4.1