Books-Mediaの最近のブログ記事

・日経ビジネス Associe (アソシエ) 2011年 10/4号
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読書術の特集が気合が入っています。

冒頭の記事(東レ経営顧問 佐々木常夫氏)が「多読家に仕事のできる人は少ない」と言っており、私に喧嘩を売っているのか?と思いましたが、読む本を厳選せよというメッセージであるらしい。各界で活躍中のツワモノ読書家たちがつぎつぎに登場して、読書術を明かすという構成ですが、忙しくても効率よく情報を集めるビジネスマンのための読書ノウハウ集です。

「読書術5 書くために読み続ける 寝る前の30分で雑誌を"定点観測"」というページで、実は私も登場しています。雑誌の読み方と、本&雑誌の書評ブログを毎日休まず更新するコツを語ってみました。

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個人的に参考になった他の読書家の術としては、ゲーム作家・ライターの米光一成さんの「My年表を活用する」というワザ。本には年代の話がよくでてくるが、気になる年号をメモしていって、テーマ別の年表をつくってみようというもの。米光さんの場合は、ゲーム業界の年表をつくってプリントアウトして持ち歩いているそうだ。なにかの知識を披露する際に、それが起きた正確な年や順番がすらすらいえると信憑性も増すし、トリビア的な断片情報を時系列の物語として整理できるから自分自身の理解も深まる。これは早速やってみようと思った。

外資系コンサルティング会社のATカーニーでは、休日に読書家の社員3人が集まって12時間もさまざまなテーマについて討論している。読書家が議論できるのは理想的な環境だと思う。ちょっとうらやましい様子が紹介されていた。企業は、情報力を高めたいならば、社員に単純に読書を勧めるだけでなく、読書家同士の議論を勧めるべきだと思う。


特別付録に読書用「フィルムふせん」がついてきます。

・あなたがメディア! ソーシャル新時代の情報術
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『ブログ 世界を変える個人メディア』を書いた著名ジャーナリストのダン・ギルモアの最新刊。前著から6年、個人メディアが世界を変える動きは着実に進んでいる。原題は"Mediactive"。メディアとアクティブをつなげた"行動するメディア"という意味の造語。賢いメディアの消費者から、行動する利用者へ。メディア変革、次のステップの指南書だ。

信頼できる次世代のメディア空間をつくるためには、

・信頼できる情報源を見つける
・信頼できなくなった情報源を仕分ける
・会話に参加する

という個の資質が求められると著者はいう。メディアクティブ時代のリテラシーとしては、深読み能力だけでは不足だ。地域やネットの会話に加わって、知識を活かすことで、、自分が属するコミュニティをもっと豊かにしていく能力が求められている。

「スローニュース」という緩やかなニュース文化というコンセプトも

速報ニュースとツイッター、ブログの時代には、我先にと入手したばかりの情報に、反射的に物を言うコメントダービーになりがちだ。しばしばデマや不正確な情報に基づいて情報を発信してしまう。Wikipediaの編集のように、事実と推論をコミュニティの会話によって線引きして表示するような、ニュースの減速の方法論をダン・ギルモアは推奨している。

・コミュニティーに根ざした信頼のネットワークをつくり、評判を最も重要な要素として利用する
・アグリゲーション(集約)やキュレーション(編集)を通じて情報を発見し、文脈づくりをするためのツールを改善していく
報道はテーマ主導型に。"記事"のスタイルは、新しい情報を入手しだい、逐次取り込むというダイナミックなものにし、読者の理解を促進していく。

など未来への提言がいっぱいある。

コミュニティと会話がメディアの未来に深くかかわっている。メディアは読むものではなく参加するものになってきた。だからタイトルが「あなたがメディア!」なのだ。フリーのジャーナリストやブロガーにとっては明るい話題が多い。

基本的に、ソーシャル時代のビジョナリとしてダン・ギルモアはかなり楽観的なタイプだが、もちろん影の部分も少し紹介されている。たとえば、オバマ大統領の発言の引用はこれからの問題の先取りになっている。

「ここにいるみなさんは、フェイスブックへの書き込みには注意してください───なぜならユーチューブ時代には、みなさんのあらゆる行いが、その後の人生のどこかで再び取り上げられるかもしれないからです。そして若い時には、過ちを犯すし、愚かなこともしてしまう。そんな様子をフェイスブックに投稿し、いきなり就職活動を始め、そして誰かがネットを検索したら...。これがみなさんへの政治家としての実践的なアドバイスです。」 バラク・オバマ アメリカ合衆国大統領 ホワイトハウス講演録。

すべてが記録に残ってしまうデジタル時代。過去に対してある程度寛容に社会をつくらないと、こどもたちにソーシャルメディアへの早期の参加を薦められないということにもなる。ちょっとした"時効"ルール、"免罪符"みたいなものをつくる必要があったりして。

・マクルーハンの光景 メディア論がみえる [理想の教室]
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マクルーハン生誕100周年だそうだ。ちょうどわかりやすい入門書がでていた。

3つの講義形式をとる。親切で落ちこぼれをつくらない授業だ。

マクルーハンの難解な『外心の呵責』の全文和訳を素で読んだあとに、著者による行レベルの丁寧な解説がつく第一講。専門家に横についてもらいながら、本物を体験できる感じで、安心して読める。

第2講ではマクルーハンの生涯と主な著作についての解説、そして「メディアはメッセージである」の解釈。第3講では「地球村」の概念の再検討と、その思想の芸術面への広がりについて語られる。

マクルーハンの思想の中心にあるのは「メディア=テクノロジー=人間の身体と精神の拡張」という考え方だ。その著作は、インターネットもケータイもなかった時代の執筆にも関わらず、現代に起きていることを予言していたかのようなことばで満ちている。

「文字文化以後の人間が利用する電子メディアは、世界を収縮させ、一個の部族すなわち村にする」「あらゆることは起こった瞬間にあらゆる人がそれを知り、それゆえにそこに参加する」。マクルーハンのいう地球村は、ツイッターであり、Facebookであり、「あらゆることは起こった瞬間にあらゆる人がそれを知り、それゆえに参加する」環境は現出している。」

マクルーハンの主張は、

(1)電子メディアの到来が「新しい環境」を生み出すこと。
(2)「新しい環境」の特徴とは「同時多発性」であること。

ということ。

マクルーハンの文章は文学的芸術的表現が多いので、著者によって骨子と、その核心に触れるさわりだけ抜き出して紹介してもらえるのがありがたい本だ。

個人的にはホットとクールについての正しい理解ができたのがよかった。

ホット・メディア:高精細度=低参加度(ラジオ・活字・写真・映画・講演)
クール・メディア:低精細度=高参加度(電話・話し言葉・漫画・テレビ・セミナー)

「メディアの伝える情報の密度が高いと、補完する必要がない。それを受け手の「参加度が低いと表現します(高精細度=低参加度)。これが「ホット・メディア」です。 逆にメディアの伝える情報の密度が低いと、受け手は、不足の情報を頭で考えて補完する必要がある。それを「参加度が高い」と表現します(低精細度=高参加度)。これが「クール・メディア」です。」

マクルーハンはアフォリズム(警句)は「不完全ゆえに奥深い参加を求める」クールメディアだと言ったそうだが、マクルーハンの著作自体が、豊饒な意味を内に秘めた究極のクールなメディアのように思える。

・メディアと日本人――変わりゆく日常
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テレビ、ラジオ、新聞、インターネット、書籍・雑誌、携帯電話。日本人のメディアへの関わり方がどう変化してきたか、ネット世代のメンタリティ変容、メディアの未来はどうなるか。日米のメディア研究の最新データを参照しながら、俯瞰的重層的にメディアと情報行動の激変を考察する。

テレビの力を象徴する紅白歌合戦の視聴率は、

1970年 77.0%
1980年 71.1%
1990年 51.5%
2000年 48.4%
2010年 41.7%

と過去40年間減少してきた。これに対してネットやケータイは急成長を遂げてきた。しかし、これは単純にネットやケータイがテレビを食ったわけではないと著者は複雑な現実を解説する。

テレビを長時間見る人とぜんぜん見ない人が分化してきていること、メディア行動が多様化していること、そして年齢層による情報行動の中身が大きく違うこと、さまざま調査データが引用されている。同一人物でも、在宅時間が長くて時間に余裕のある日はPCネットやテレビを長く利用し、そうでない日は利用しないというのは納得の発見である。

「年々、情報メディア環境は複雑さの程度を増していき、若年層ほど行動パターンが多彩である分、テレビに割く時間の比率が減少するのである。」というが、特に10代のデジタルネイティブと呼ばれる若者たちの情報行動パターンは特徴的だ。彼らのメディア接触におけるメンタリティを分析している。

ネットが与える心理的な影響は研究がだいぶ進んできているようだ。たとえばインターネット利用頻度が高いほど、外向的な人はより社会的参加が活発化し、内向的な人は孤独感が増して社会的参加が少なくなるという結果は面白い。若年層では自意識が高い人ほど利用時間が長いという。ネット利用のマタイ効果と呼ばれるが、メディアは人間の本質を増幅拡張するものなのだろう。

そして「インターネットには、家族や同世代の仲間の絆を強める働きがある半面、家族や世代内のつながりのなかに、モザイク化した多くの孤島をつくりだしてしまう危険性をはらむ。」と述べている。ネットの光と影がよくわかる研究解説書。

・電子本をバカにするなかれ 書物史の第三の革命
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元『本とコンピュータ』総合編集長の津野 海太郎氏が語る出版の新時代論。

口承から書記への「第一の革命」、写本から印刷本への「第二の革命」、そして紙の本と電子の本が共存するというのが同氏のいう「第三の革命」である。電子出版革命論者のなかではかなり穏健な革命である。

「書物史上、というよりも人類史上はじめて、本が二つのかたち、二つのしくみ、二つの方向に分かれて、それぞれの道をたどりはじめる。その分岐点の光景を、いま私たちは目にしている。」

確かに著者が言うように、電子書籍が紙の印刷本をすぐに滅ぼすことは起きそうにないと感じる。電子本が一般化しても、紙の本の良さは残る。レコードがCDに、VHSがHDレコーダーになったように、旧メディアが新メディアを置き換えて殺してしまったメディアもあるが、本の場合は共存の余地は大きそうだ。

「ビジネスとしての出版は今後も二つのかたちで存続していくと思う。一つは旧来のものの縮小的延長として、もう一つは、無料情報の大海から直接にたちあげられるであろう新しい出版ビジネスとして。」

紙と印刷の本の世界が斜陽化しているが「産業としての出版のおとろえと電子化の進行のあいだに直接の因果関係はない」という分析も同感。その原因を「売れる本がいい本、売れない本はわるい本」という「市場がすべて」主義が出版を衰弱させたと論じている。ベストセラーのランキング上位に並ぶ本が、読書好きにとっては、つまらない本ばかりになってしまったなあと私も思っているので、多いに納得。

ボイジャーの萩野正昭氏と電子書籍の歴史(案外に長い)を振り返る記事も、今、改めて読むと、電子書籍にまつわる様々な議論が、いまに始まったわけじゃないのだということに気がつかされる。

電子書籍の革命前夜である今、見通しをえるのによい本。

・朝日新聞社 雑誌 Journalism 8号
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「特集は「記者会見をめぐる諸問題」。進む記者会見開放の動きと記者クラブ問題について検証する。長野県庁「脱・記者クラブ」の今、鈴木寛文科副大臣インタビュー「政府・民主党のメディア戦略」、江川紹子「検察オープン会見参加記」、津田大介「記者会見をツイッターでtsudaる」、外国人ジャーナリストから見た日本の記者会見など。」

朝日新聞の雑誌「Journalism」に寄稿しました。

私が寄稿した記事については下記URLで無料で公開されています。

・【ネット】ネットのクチコミ分析に見る 新しい報道の可能性
http://www.asahi.com/digital/mediareport/TKY201008060112.html
米ニールセンオンラインの昨年4月の調査によると、世界50カ国のネット利用者が最も信頼している情報源は「知人による推奨」と「ネット上の消費者の意見」であるという。前者は10人中9人、後者は10人中7人が信頼すると答えており、テレビ、新聞、雑誌などのマスメディアを上回った。同社はこの2~3年の利用者の発信情報が主流となる、いわゆるCGM革命により「消費者が、直接の知人やネット上の他人からのクチコミに頼る度合いが非常に強まった」と結論づけている。 ......


この月刊Journalismという雑誌は、寄稿がきっかけではじめて読んだのですが、電子メディアの未来を考える材料が満載で、マスコミ関係者でなくても、とても面白い内容でした。津田大介氏の「記者会見をツイッターでtsudaる」なんていう特集もあります。

冒頭の特集は「記者会見をめぐる諸問題」。左派とはいえ大新聞の代表格の朝日新聞ですから、マスコミ既得権として記者クラブ擁護論が多いのかと思っていましたが、記者クラブの開放論、無用論が大半で、ちょっと驚きました。じゃあ記者クラブって誰が必要としているのでしょうか。

・新聞消滅大国アメリカ
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アメリカの新聞の凋落ぶりは日本の比ではないということがよくわかる本だ。

NYタイムズは3年間で社員の3分の1をリストラ、サンフランシスコ・クロニクルも社員の半数を解雇、シカゴトリビューンは破産、ワシントン・ポストは全支局を閉鎖...。2009年だけでアメリカの日刊紙は50紙が廃刊してしまったそうだ。紙では採算があわないのでインターネット版での発行へ移行する新聞社が多いが、有料化はうまくいっておらず、従来の高コスト体質では新興ネットメディアにかなわない。未来は相当に厳しいようだ。

米国ではまず中小の地方紙が次々に廃刊に追い込まれている。地域の住民たちは地元の情報が入ってこなくなってしまったと嘆いている。新聞を補完するといわれるブログやツイッター、新興ニュースサイトでは注目が集まらない場所の情報は出てこなくなる。地方行政への影響も懸念されている。

米国の新聞業界事情、収益構造が異なる日本の新聞業界事情、そして米国とアメリカの新聞はどうなっていくのかを、ファクトとデータをもとに、NHK報道局勤務の著者が考察している。新聞の未来を考える最新の材料としておすすめ。

新聞にとっては暗い話題が多いのだが、あとがきに興味深い事実が出ていた。先進国では消滅していく紙の新聞だがブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカなどでは発行部数が増えているのだ。インド、中国では発行部数が1億部を超えている。人口が多い国での増加傾向を考えれば、実はグローバルではむしろ新聞発行って増えていくのではないか。アメリカや日本ではそろそろ終わりでも、世界規模では新聞がこれからのメディアなのかもしれない。

最近、私の家では紙の新聞を取り始めた。しかも朝日新聞と朝日小学生新聞の2紙。私は90年代から紙の新聞をとっていなかったが、それは皆が読んでいる情報に希少性がないと思っていたからだ。だが、皆が新聞を読まなくなっていくなら(若年層は数パーセントしか読んでいない)、むしろ新聞に書かれている情報は貴重である。1000万部のメディアとして残れなくても、私みたいなアマノジャク読者の市場は、少なくとも今の若年層読者より多いのではないだろうか。日本の新聞は結局100万部くらいのメディアに落ち着くんじゃないかなあ。

次に来るメディアは何か
http://www.ringolab.com/note/daiya/2010/05/post-1224.html

・版元ドットコム大全〈2010〉―出版社営業ノウハウと版元ドットコム活用術
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先日出版した「電子書籍と出版」でお世話になったのが、版元ドットコムの沢辺さんでした。出版社連合体としては第3番目の規模の勢力だそうです。

・版元ドットコム
http://www.hanmoto.com/

版元ドットコムは、163社の版元による、サイトでの本の販売、書誌情報提供や流通改善を追求する団体である。

中小の出版社の連合体が

(1)書誌情報を版元自身がつくって、読者に、出版業界に広く公開する
(2)書誌情報をできるだけ詳細なものにする
(3)出版事業にかんする情報の交換、ノウハウの共同した獲得

という目的を掲げて協力している。

この小冊子はその活動成果、ノウハウの紹介と入会案内である。基本的には一般読者ではなくて出版社向けの内容。

版元ドットコムのデータベースは、書誌の登録点数は33000点と多くはないが、内容はAmazonのデータよりも詳しい本もある。

たとえば先日共著者として出版した「電子書籍と出版 デジタル/ネットワーク化するメディア 」では、

・Amazon:電子書籍と出版 デジタル/ネットワーク化するメディア
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4780801494/daiya0b-22/

・版元ドットコム:電子書籍と出版 デジタル/ネットワーク化するメディア
http://www.hanmoto.com/bd/isbn978-4-7808-0149-1.html

版元ドットコムのほうがかなり詳細であることがわかる。

読み物として、出版業界の専門用語を、版元ドットコムの会員有志で解説した「出版業界辞典」が、業界人にとって大切なポイントをおさえて書かれており、前から知りたかったことがよくわかった。

出版社は国内に4000社くらいあるといわれるが、大半は中小零細規模である。大手出版社に対して、ネットで連合体を作って何ができるか、この団体の可能性に注目している。

・次に来るメディアは何か
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テレビ・新聞は消滅するのか?メディアはどう再編されるのか?アメリカの事例をみながら日本のメディア産業の将来を考察する。内容たっぷり。面白かった。

「ネット上で自分に関心のある情報ばかりを集めるデイリー・ミー(自分のための日刊新聞)現象は、社会の分極化を招き、民主主義を発展させていくうえで阻害要因になりうる」という意見が紹介されていた。検索もカスタマイズもリコメンドも、すべてデイリー・ミー強化につながる。次世代メディアの重要な要素だ。

しかし、デイリー・ミーで社会が分裂するとまではいかないのではないかとも思った。全員がデイリー・ミーしか読まないようになると、逆に広く全体を見渡すグローバル新聞を読んでいる人が大切になるだろうし、逆にデイリー・ミーにグローバルな意見を取り込んで読む人も増えるだろう。そもそも、いろいろな意見を持った人がいるということが、民主主義の前提だろう。

グローバルと日本のメディア再編の動きとしては、多分野に拡散して弊害が目立ち始めたメディア・コングロマリットから、メディア・コミュニケーション企業連合に絞り込んだ「メディアインテグレーター」へとシフトすると予想されている。そこでキーになるのが通信キャリアだと指摘されている。

「なぜ通信キャリアーがメディア再編成の核となるのだろうか?一見奇妙に感じられるかもしれないが、理由は簡単である。既存のテレビ局や新聞社に比べて圧倒的な資本調達力があり、技術開発力があり、何より近い将来、国民共通のコミュニケーション端末が次世代携帯電話、つまりスマートフォンになるとみられるからだ。」

私の場合、1日で一番長い時間接触しているメディアは、パソコンとスマートフォンだ。テレビでも新聞でも雑誌でもない。そして、スマートフォンの接触時間が確実に増えている。スマートフォンで知って、Webやテレビや雑誌を読むという行動も多い。

それからデジタルハリウッド教員としては、ここが気になったな。

「経産省が作った「コンテンツ産業の海外収支」という表を見ると、04年度輸出の稼ぎ頭はゲームの2327億円である。出版は176億円の輸出に対して475億円の輸入で、大幅な輸超となる。輸出部門は、漫画・アニメが中心だが、金額はまだ少ない。」

そう。ゲームにはもっと自信を持って力を入れるべきなのだ。ゲームをメディアにして日本の文化とコンテンツを輸出するということを本気で考えたらいいと思う。

で、そうしたデジタルコンテンツの学校デジタルハリウッドで次世代メディアセミナーを開催しますので、みなさん来てね。(すいません、最後、宣伝です)。

・次世代メディアセミナー The Future of Digital Contents 第二回 『雑誌メディアの近未来 デジタル化による変容と次世代ビジネス』
http://www.ovallink.jp/event/digital_publish2.html

・著作権の世紀―変わる「情報の独占制度」
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電子書籍ブームによって、またにわかに著作権ブームである。

この本は、まとまっていて、現状をアップデートしたいIT業界人にもおすすめ。

昔、仕事でテレビの番組情報をWeb上で扱う仕事をしていたとき、その業界のルールに戸惑った。テレビ番組表、番組内容、出演者情報、それに関するクチコミなどテレビ関係の情報というのは、Webで扱うに際して権利関係が明確でないものが結構あった。専門家に聞いても、あなた方がやりたいことは法的には大丈夫なはずだが現実ではケースバイケースだと言われた。つまり、法的権利というより業界の慣習や力関係で、情報をどう扱うべきか決まっているように感じた。

「著作権の適用範囲をめぐって、補償金や保護期間延長といった激論がつづく一方で、法律の外に疑似著作権と呼ぶべき情報の囲い込みが数多く生まれています。そのなかには、もっともな理由のあるものもありますが、いわば「言ったもの勝ち」「権利のようにふるまったもの勝ち」と呼べる例も少なくありません。」

というような意見がこの本にも書かれている。理論的には著作権ではないが、社会では事実上、著作権に近いような扱いを受けているものとしては、肖像権、パブリシティ権、報道の中での商標や芸能人の名前などが挙げられている。本当は権利がないのに疑似著作権として主張されている領域が、実際問題、結構あるわけだ。

日本版"フェアユース"でコンテンツがもっと自由に使えるようになるという話も多いが、著者は現実的に、

「もっとも、仮にフェアユース規定が導入されても、できるのはかなり限定された利用にとどまるでしょう。アメリカでも条件はそれなりに厳しく、1 非商業的・教育目的か、などの「利用目的」、2 「利用される作品の性質」、3 利用された部分の「質と量」といった条件に並んで、4 その利用がオリジナル作品に経済的損失を与えないか、が重視されます。フェアユース規定で何でも可能になるような論調を時折見かけますが、それは誤りです。」

と書いている。

グレー領域の明確化はされていくべきだが、現在の多次的創作の扱いのように、「微妙に関係者の価値観やビジネス上の事情が反映され、バランスがはかれれているケース」は、「やわらかい法律」としての運用を残すのもひとつのやり方だと著者は書いている。

結局、世の中全体の考え方が変わらないといけないのだと思う。著作権とは何かを、普通の人含めて社会全体でもっと理解する必要がある。著作権制度は既得権者の利益を守るよりも、将来の社会全体の利益を最大化に向かう方向で、変わっていくべきだと思う。具体的には独占的な構造を崩したり、創作の主な主体である個人の価値創造が、フィードバックを受けて加速するように、お金を巡らせるべきだ。

著作権ブームは議論のいい機会になる。


・REMIX ハイブリッド経済で栄える文化と商業のあり方
http://www.ringolab.com/note/daiya/2010/04/remix.html

・著作権とは何か―文化と創造のゆくえ
http://www.ringolab.com/note/daiya/2005/05/post-237.html

・ネットの炎上力
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・J-CASTニュース ビジネス&メディアウォッチ
http://www.j-cast.com/

J-CASTニュース創業社長の蜷川真夫氏が語るネットニュースの破壊力と新しいビジネスモデル。蜷川氏は元朝日新聞社会部記者でAERA編集長だった人物。マスメディアを常に意識しながら、確信犯的にお騒がせメディアをつくろうとしているようだ。

「火事には野次馬が群がる。その先頭で見て、後ろの野次馬に説明するのが記者だと教わった。見たことを分かりやすく伝えろ。ネットの炎上も似たところがあって、火事場を見つけると野次馬が寄ってくる。寄ってくるのが群れをなすので「ネットイナゴ」と呼んだりする。芸能人の記者会見も同じようで、群がる記者の先頭で、お馴染みのテレビリポーターが突っ込んでいる。後ろでメモしている記者たち。カメラを通して、視聴者がその光景を見ている。「炎上」はネット街ダネの典型例だった。」

実際にはJ-CASTニュースは単なる野次馬というより、ボヤ騒ぎの現場で火に油を注ぐような積極的役割を果たしているように思える。意図はどうあれ、メディアが事件の観察に止まらずに参与してしまうのがネットのニュースの宿命なのだろう。J-CASTはネット炎上の汚名も名誉も背負いながら、ページビューを増やしてきた。

J-CASTではどんな話題が人気だったか。創刊1年目のアクセスランキングが紹介されているが、上位3位は下記の通り。気にはなるけどどうでもいい話題のランキングとも言えそう...。

1位 リア・ディゾン「局部?写真」疑惑で大騒動 (1/2) : J-CASTニュース
http://www.j-cast.com/2007/07/10009188.html

2位 元「モー娘。」飯田のファン 「できちゃった婚」にショック画像 (1/2) : J-CASTニュース
http://www.j-cast.com/2007/07/09009133.html

3位 激論「太田総理」で騒動 民主議員が「お詫び」 (1/2) : J-CASTニュース
http://www.j-cast.com/2007/07/03008937.html

オーマイニュースをはじめとする市民記者型のニュースが次々に倒れていった一方で、J-CASTが伸びてきたのは、アテンション・エコノミーの中で注目を集めすいものを、社会性よりも優先して取り上げてきたから、なのだろう。

そうして集まった野次馬同士のコミュニケーションからも新たな次元の情報が生まれている。著者は読者のコメントに可能性を見ている。

「もし、収支の問題が解決したとして、ネットならではの独自性のあるコンテンツとはいかなるものか。そのヒントの一つが、読者コメントによる記事の補完だと思っている。これまで紹介した記事に対するコメントの広がりは大きく、取材して記事をかく限度を超えている。読者からのコメントに、お金をかけても得られないような情報が含まれていることが少なくない。」

同じ記事を読んだ他の読者の意見はニュースを理解する上で重要な情報だが、核家族化やメディアの個人化によって、ニュースに関する意見交換をするリアルな場が減っていることも、こうしたニーズと関係があるのかもしれない。たとえば昔は朝に新聞を読みながら家族にどう思うかを聞くことができた。今は新聞をとらず、会社や自宅のPCの前でひとりでニュースを読む人が多い。

ニュース炎上のお祭りに群がる人々が、すこし落ち着いた目で他のコメントを読み、ニュースを客観的に評価する。そうした新しい情報空間としてJ-CASTみたいなメディアが今、機能しているように思う。

日本のネット炎上のウォッチャーであり仕掛け人の話、事例もたっぷりあって、おもしろかった。

・新潮文庫20世紀の100冊
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"新潮文庫の100冊"というキャンペーンは文庫本マーケティング史上、もっとも成功した宣伝文句ではないだろうか。10冊でなく、1000冊でもなく、100冊というのがよかった。よりぬきの名著をお手軽に探すなら新潮文庫の100冊(毎年入れ替わるようだが)を当たればいいという感じがするし、全部読破に挑戦する気になる絶妙な数だから(何度か学生時代に挑戦して挫折した記憶が...)。

・新潮文庫の100冊サイト
http://100satsu.com/

この本はその新潮文庫の100冊で20世紀を振り返る。

1901年(明治34年)から2000年(平成12年)まで、新潮文庫になった本から毎年1冊ずつその年の代表作を選出し、あらすじと内容解説、世の中の動きデータを見開きにおさめた。100冊は編集部討議で選び、本書の著者が全部読み直して、内容解説を書いた。この解説文はもともとは「20世紀の100冊」特別カバーに印刷されたものだそうだ。

20世紀の名著選び。これに異論はいくらでもあるだろうが、新潮文庫化されたというフィルターがかかることで、それなりに納得感のある100冊になっている。やっぱり読んでおこうというのが、いくつか見つかったのが収穫。

あくまで100年間を21世紀現在から振り返る企画だ。歴史的な観点から価値の高い100冊とみていいだろう。仮に100年間、その年の1冊を選び続けたら100冊のラインナップはどんなだったのか気になる。

このブログで取り上げた本は2冊あった。朗読者はちょうど映画化されたところ。

・朗読者 ベルンハルト・シュリンク 2000年の1冊
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/08/post-818.html
かつて愛し合った男女が一度もことばを交わすことなくプラトニックな関係を何十年間も続ける。別の人生を歩んだ二人だが、そこには切ることの出来ない絆があった。その関係性は「恋愛」とか「友情」のような、わかりやすい既成の言葉に収まらないものだ。読者の年齢や経験によって多様な解釈が生まれそうだ。

・孔子 井上靖  1989年の1冊
http://www.ringolab.com/note/daiya/2004/11/post-168.html
主人公は孔子ではなく、架空の愛弟子。孔子没後数十年が経過して、孔子の研究会が盛んな時期に、師の教えを弟子が回想する独白形式で小説は進んでいきます。この研究会の成果がやがて「論語」として出版されることになるわけです。執筆時、井上靖は80歳。主人公の弟子が語る孔子観や、孔子の言葉の解釈は、著者自身の解釈でもあるのでしょう。


なお、この「新潮文庫20世紀の100冊」は新潮文庫ではなくてなぜか新潮新書である。

・デジタルコンテンツをめぐる現状報告―出版コンテンツ研究会報告2009
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出版コンテンツ研究会(座長:高野明彦 国立情報学研究所)がデジタルコンテンツの前線で人々はどう考えているのか?というテーマで、有識者5人にインタビューした。出版業界の状況を知る統計データも充実している。考える材料がいっぱいの本だ。5本のセミナーに参加したような読後感。

岩本 敏 小学館社長室顧問
佐々木 隆一 モバイルブック・ジェービー代表取締役会長
加茂 竜一 印刷会社勤務
境 真良 経済産業省情報経済課課長補佐
小林 弘人 インフォバーン代表取締役CEO

という顔ぶれ。

出版業界は、実は書籍の売り上げはそれほど減っていないが、新聞と雑誌がインターネットなどに食われて危機的な状況を迎えている。ニュースやひまつぶしのコンテンツならば、タダで手に入る状況にあって有料で情報を売る世界は厳しい。

無償コンテンツの時代は無償で書く人たちの時代でもある。インタビュー聞き手のポット出版 沢辺氏から、ブロガーなど「タダでも書く人たち」との連携が重要なのではないかという問題提起があり、小学館の岩本氏はそうした人たちを編集部が組織化してうまく活用できるようにすればいい、山登りの雑誌の編集などは昔からそうだと答えている。

この無償の書き手を、商業媒体が"組織化"して"活用する"という視点はまさに時代の方向性(メディアに読者ブロガーがぶら下がる)だと思うが、瀕死の雑誌 VS 勃興するブログメディアという力関係では、出版社を"活用する"のはおそらく無償の書き手の方だ。有志の無償投稿で成り立ってきた山登り雑誌と違うのは、書き手が半端な雑誌の読者数を超えるメディアを持ってしまったことだろう。主導権は書き手にある。発想は逆の方がうまくいくのではないかと思った。(無論、小学館ほどの大手で実力のある会社はまだまだ安泰なのだろうけれども。)

出版社には紙が大好きな人たちが入社するため、デジタルコンテンツへの展開力が弱いというイノベーションのジレンマみたいな話もあった。作り手のこだわりが変化を拒む。経産省の境氏は業界の体質を次のように指摘する。

「そもそもコンテンツ業界には一つおかしな特徴があって、出版から映像までどこまで行っても、みんな「ビジネスのやり方」について話すことをものすごくタブー視するんです。「いいモノを作れば売れる」という言い方で逃げてしまって、どうやってモノを作り、どうやって流通させればどうお金が回っていくか、お金にまつわる具体的な話は誰もしない。」

日本の製造業はかつて産業全体が上向きな時代には、モノづくりの職人気質が美徳とされた。職人の理想とするモノを作ることで会社が儲かった。職人はむしろ経営のことなんて考えない方がよかった。しかし、成長が減速する時代、消費が多様化した時代には、このやり方では機能しなくなった。同じことが出版業界にもいえるのだと思う。文化的な価値と経済的な価値の両立こそいいモノという発想転換。編集者にこそ起業家精神が必要になったのだと思う。

モバイルブック・ジェービー佐々木氏によると、日本の電子書籍市場で売れているのはアダルト系で7割だそうだ。まともなデジタルコンテンツ市場はまだ手つかずで、膨大な成長の余地を残している。本好きの起業家として、個人的にとても興味がある。最前線の人たちの言葉を読んで、いろいろとアイデアが湧いてきた。

・新世紀メディア論-新聞・雑誌が死ぬ前に
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/08/post-1055.html

・新世紀メディア論-新聞・雑誌が死ぬ前に
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「冒頭にも書きましたが、わたしは紙のメディアは銀塩のフィルムカメラに似ていると思います。書店は中古カメラ屋さんのようになるのかもしれません。最新の刊行物を並べる書店は量販店化していくでしょう。そして、フィルムカメラが廃れ、デジカメが全盛のいま、紙の本は中古カメラのように稀少品に近くなると思います。」

『WIRED』『サイゾー』とエッジの効いた雑誌の創刊者であり、インフォバーン社長として出版ビジネスの経営者でもある小林弘人氏による旧勢力にはちょっとばかり痛烈なメディアの未来論。

「これから、出版社などのメディア企業が抱える頭痛の種は、競合する相手が自分たちと似たような企業ではなく、1人か、もしくは数人くらいまでによってローコストで運営されるメディアとなることです。 高額の給与や家賃、諸経費という固定費縛りがある企業が、寝ずに頑張る個人と競り合うことは、大変なことです。」

そうだよなあと思う。

90年代中盤のインターネット草創期に、私はジャーナリストの神田さんと二人で何度かシリコンバレーのベンチャー企業を取材して回る旅に出た。安い旅費の貧乏旅行ながらも、フットワークの軽さで1日に何社もの有望企業の記事をネットにアップすることができた。帰国してから日本の出版社に原稿を売ろうとは思っていたが、日々ネットにアップするのは、フリーランスの宣伝行為でもあるが、実のところ、マインド的には無償の趣味みたいなものであった。

私たち二人はあるとき、日本の大手新聞社のシリコンバレー支局を訪ねた。向こうの駐在員も2名であった。彼らは「やがて神田さんとか橋本さんのようなフットワークが軽い人たちに大手新聞社はやられてしまうかもしれない」と言っていたのを思い出す。当時の私のように、"何で食っているのかわからないような人たち"が、メディア企業の脅威になるのだと思う。

新しいメディアのプロデュースにおける心構えとして小林氏は、次のように語っている。メディアだけでなくITビジネス全般にも通じそうな話でもある。

「新しいプラットフォームがつくるスフィア(生態圏)では、そこに棲む人たちの関心や行動パターンなどを、皮膚感覚で理解する必要があります。それが「その他大勢」よりも優位に立てる条件であり、ライティングや動画製作のプロであるか否かは二の次だとわたしは考えます。」

ユーザーオリエンテッドかテーマオリエンテッドで生き残れという指南もあった。古い業界体質に対しては辛口だが、出版業界に対する根底的な部分での愛を感じる、著者なりのツンデレなメッセージの本である。

新聞とか雑誌とかどうなっちゃうの?という人はまずこれを読むといい。

・テレビ進化論 映像ビジネス覇権のゆくえ
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経産省メディアコンテンツ課課長補佐出身で、早稲田大学准教授としてコンテンツ産業理論、情報経済論、産業政策論などを教える境真良氏の放送と通信の融合論。新書一冊で放送と通信の融合の現状が俯瞰できる良書。

メディア・コンテンツ産業が未来の日本の基幹産業だと言われる割に、旧態依然とした体制がなかなか変わらないのはなぜか。著者は元官僚としての正直な感想を吐露している。
「しかし、経験者の実感と言えば、最大の問題は、メディア・コンテンツ産業が本質的に娯楽産業だという点にあるのではないだろうか。メディア・コンテンツ産業は、国の興亡や国民の生死に直結しないし、伝統技術や舶来の芸術のような権威とも距離がある。だから、いくらGDPを増やすから、情報通信産業の発展に資するからといっても本気で取り組む気になれない。「娯楽の価値」を認められない官僚の心理傾向が、問題の奥底には潜んでいるようにも思える。」

新しい価値は中心ではなくて周縁から生まれる。サブカルチャーからカルチャーが育つ。むしろ中央の官僚が認められない価値だからこそ、これは本物なのかもしれないと思う。
この本にも紹介されているようにかつて映像の世界には実験市場があった。二本立て映画、ピンク映画、深夜番組という傍流とみられた市場から、後の名監督や名プロデューサーが生まれてきた。ゲームやアニメからヒットコンテンツが誕生してきたのも、新しい才能が生まれる実験的な市場だったからだろう。今ならニコニコ動画やYouTubeがそうした傍流の実験市場になるのだろう。

当面の課題はそれらをマネタイズする方法を考えることだが、情報の価値についてこんな記述があった。

「慶應大学の坪田知己は、情報そのものは無価値であり、情報はその情報を利用できる人間に出会ったときに初めて価値を生むと説明する。 これにしたがえば、情報のビジネスで最大の課題は、その情報を受け取って価値を見出す人間をいかに抽出するかということになる。だからこそ、ウェブ2.0系事業者はどん欲に消費者に関するあらゆる情報を集めようとする。」

つまり大勢を楽しませるコンテンツを作る時代から、それを面白がる人を大勢探す時代になるということかなあと考える。年頃の娘は箸が転がるのを見ても笑い転げるというが、転がる箸と年頃の娘をデータベース上で結婚させるのが、新しいコンテンツビジネスの可能性として考えられる(もちろんこれまで通り大勢を楽しませるものと並行して)。

グーグルや楽天などのプラットフォーム型ビジネスの特徴として「ずらし」の技法があると著者は指摘している。グーグルが広告で収益を上げながら無償でサービスを提供するような例のこと。

「つまり、直接収益のように単一の受益者に金銭対価を要求するのではなく、複数の受益者を想定し、ある受益者には無償で利益を与え、そこから、獲得した情報と引き換えに別の受益者から金銭を回収するというやり方であり、「情報の三角貿易」とでもいうべき技法だ。」

この本は、映像ビジネス世界で、テレビ業界、制作者・権利者、IT業界などのプレイヤーが新しい「情報の三角貿易」の組み合わせを模索している様子を、元官僚で研究者である著者が、一般人にも分かりやすいように平易に、でも斬り口は大胆に分析している。

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