Books-Media: 2005年9月アーカイブ

・新聞がなくなる日
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毎日新聞社に30年いた元記者が書いた新聞の未来。

■紙 VS 電子情報 新聞を上回るインターネット

2004年の新聞協会の発表では、1世帯あたりの新聞の発行部数は1.06部。駅売り分を引いても0.98部でほぼ世帯数に等しい。この数字だけを見ていると、新聞はまだ安泰ではないかと思える。

だが、陰りが見える。

総務省の「情報流通センサス」が日本で流通する全情報を、デジタルとアナログで計量している。10年前は書籍や新聞のアナログ情報が多かったのに、平成15年度では、デジタル情報の30分の1しかない。紙のメディアは近年、圧倒的に流通の比率面では小さくなっている。

・情報流通センサス 平成15年度 報告書
http://www.johotsusintokei.soumu.go.jp/linkdata/ic_sensasu_h15.pdf

この本には、日本新聞協会の調査が引用されている。首都圏に住む18歳から35歳の男女に「自分に深く関わるメディア」を聞いたところ、1位 テレビ 87%、2位 インターネット 41%、3位 新聞 34%、4位 雑誌 21%、5位 ラジオ 10%、という結果が出た。若い世代のマインドシェアでは既にネットが新聞を上回ってしまっている。

接触時間でも、1日平均でテレビ188分、インターネット91分、新聞15分。回答者の7割が新聞を月極め購読しているが、朝刊を毎日読む人は37%と低率で、半数の人が新聞が自分に「影響を与えていない」と答えている。

まだまだ惰性で新聞を定期購読している人は多いのだが、既に新聞は真剣は読まれなくなっている。一般社会人の情報生活においてマストのメディアではなくなってきている様子がうかがえる。インターネットの無料新聞が主な原因である。ブログのような参加型ジャーナリズムも競合として現れた。

■発行部数低下により新聞の流通を支える宅配網が危うくなる

定期購読の率が高いのは、他の国にはない新聞の宅配システムがあるからである。新聞販売店は全国に2万1000店舗あり、これは交番・駐在所の数より多く(1万6000)、郵便局の数に相当するという。

新聞販売店の年間販売収入は約1兆7500億円もある。新聞社と販売店の取り分は9500億円対8000億円。新聞は売り上げの4割以上が販売店に回る販売経費という構成になっている。これに加えて販売店は1世帯当たり年間3000枚もの折込チラシを挿入するビジネスを行っている。この折込みチラシ広告のビジネス規模は雑誌よりも大きい。折込みチラシはテレビ、新聞に次ぐ第3位の広告媒体なのだ。この部分はほとんど販売店の丸儲けになるという。数十万人がこの仕事に従事している。

日本の紙の新聞が他国と比較して値段が高いのは、この巨大な全国宅配システムの維持コストのせいなのだった。著者はいくつかの係数で方程式をつくり、2012年の新聞の発行部数を予測してみせる。すると新聞メディアの崩壊とはいかなくても、この販売店網の維持が危うい水準にまで低下するだろうと予言する。


■紙、電子、電波のメディアミックス、放送+通信のコングロマリットの時代へ

電子新聞をやれば自社の紙の新聞が減るという共食いのジレンマ(カニバリ)が、今の日本の新聞社の課題である。米国では新聞のネット部門は単独で黒字化し、今後も拡大が見込まれている。ネット広告の市場規模が急成長しているからだ。

だが、ネット広告の成長だけでは日本の新聞産業を維持できない。日本の新聞の広告収入比率は36%に対して米国の新聞の平均85%。日本は販売が主で、米国は広告が主という違いがあるからだ。

伝統的に販売収益モデルで運営してきた新聞社の現場には、広告の客寄せとして新聞コンテンツを作ること、ジャーナリズムをやることに、違和感を持つ人も多いようだ。

著者は紙(新聞)、電子(ネット)、電波(テレビ)のメディアミックス、放送+通信のコングロマリットの時代がやってくると考えている。冒頭でアナログ情報の30倍にまでデジタル情報が増えているという数字があったが、メディアの複合化やグローバル化は確実に進んでいきそうだ。

これは新聞メディアにとって、機会でもあり、脅威でもある。IT業界では「コンテンツ不足」とよく言われる。新聞社のつくるニュースの需要自体は増大しているはずだ。草の根ブログだけでは代替できない情報を新聞社は生み出している。新聞やジャーナリズムのコンテンツの価値が疑われているのではないと私は思っている。

メディア複合化の組み合わせの中で、多様な収益源を作り出していくことが、企業としての新聞社に求められている気がする。日本の大きな新聞社は長い間、特殊な立場にあって、そうした当たり前の企業努力をしてこなかっただけのように思えるのだ。

産業としての新聞は、従来の特権的位置から徐々に後退するが、未来においてもプロのジャーナリズムは生き残る、というのが著者のビジョンのようである。

■関心事を拾い読みすること、全体を俯瞰すること、ネットリテラシー教育

先日、ある大きな新聞社の方々と新聞の未来をディスカッションする機会があった。自分なりのメディアの未来をお話した後の質疑で、「私はネットがあるから自宅で紙の新聞は読んでいません。それでも、社会人として必要な世の中の動きはわかっているつもりです」と生意気な意見を言ってみた。

するとベテランの記者の方からは当然、反論もあった。趣旨は、自分の関心のあるニュースを拾い読みするだけでは、世の中の大勢を把握することができないのではないか?という疑問であった。

「そういうあなたも、子供の頃は紙の新聞を読んで育ちませんでしたか?」と問われた。私は元新聞記者の息子なので平均以上に読んで育ったので答えは「はい」ということになる。「あなたはできるのかもしれないが、紙の新聞を読んで育つという経験がない世代に、ネット情報だけで世の中を俯瞰する能力が育つと思いますか?」という鋭い切込みにはうまく答えられなかった。次の世代のことは正直わからないからだ。

大新聞が描く世の中の見取り図がすべて正しいとは思わない。不偏不党の透明な報道という謳い文句が、実現できているとも思わない。「神の視点」など論理的にありえないと思うからだ。私が読みたいのは、どのような立場であれ、確固たる視点を持って書かれた文章だ。ネットワークを使って、複数の視点を比べて読むことで、自分なりの意見をつくるのがネットリテラシーなのだと考えている。

しかし、ベテラン記者氏から指摘されたように、ゼロから比較の土台を作れるかと言われると私の根拠が怪しい。毎日読んではいなくても、私も物事の判断基準に、大新聞的な見方を意識しているからだ。叩き台、基点となる枠組みとして、新聞の視点がなかった場合、次の世代はどうやって、自分の視点を築いていくのだろうか。

ここでBGM: The time they are a changing' (Bob Dylan)

・日本経済新聞は信用できるか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002805.html

・出版考、ふたつの知、情報の適者生存、金儲け
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001061.html

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