Books-Media: 2011年7月アーカイブ

・あなたがメディア! ソーシャル新時代の情報術
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『ブログ 世界を変える個人メディア』を書いた著名ジャーナリストのダン・ギルモアの最新刊。前著から6年、個人メディアが世界を変える動きは着実に進んでいる。原題は"Mediactive"。メディアとアクティブをつなげた"行動するメディア"という意味の造語。賢いメディアの消費者から、行動する利用者へ。メディア変革、次のステップの指南書だ。

信頼できる次世代のメディア空間をつくるためには、

・信頼できる情報源を見つける
・信頼できなくなった情報源を仕分ける
・会話に参加する

という個の資質が求められると著者はいう。メディアクティブ時代のリテラシーとしては、深読み能力だけでは不足だ。地域やネットの会話に加わって、知識を活かすことで、、自分が属するコミュニティをもっと豊かにしていく能力が求められている。

「スローニュース」という緩やかなニュース文化というコンセプトも

速報ニュースとツイッター、ブログの時代には、我先にと入手したばかりの情報に、反射的に物を言うコメントダービーになりがちだ。しばしばデマや不正確な情報に基づいて情報を発信してしまう。Wikipediaの編集のように、事実と推論をコミュニティの会話によって線引きして表示するような、ニュースの減速の方法論をダン・ギルモアは推奨している。

・コミュニティーに根ざした信頼のネットワークをつくり、評判を最も重要な要素として利用する
・アグリゲーション(集約)やキュレーション(編集)を通じて情報を発見し、文脈づくりをするためのツールを改善していく
報道はテーマ主導型に。"記事"のスタイルは、新しい情報を入手しだい、逐次取り込むというダイナミックなものにし、読者の理解を促進していく。

など未来への提言がいっぱいある。

コミュニティと会話がメディアの未来に深くかかわっている。メディアは読むものではなく参加するものになってきた。だからタイトルが「あなたがメディア!」なのだ。フリーのジャーナリストやブロガーにとっては明るい話題が多い。

基本的に、ソーシャル時代のビジョナリとしてダン・ギルモアはかなり楽観的なタイプだが、もちろん影の部分も少し紹介されている。たとえば、オバマ大統領の発言の引用はこれからの問題の先取りになっている。

「ここにいるみなさんは、フェイスブックへの書き込みには注意してください───なぜならユーチューブ時代には、みなさんのあらゆる行いが、その後の人生のどこかで再び取り上げられるかもしれないからです。そして若い時には、過ちを犯すし、愚かなこともしてしまう。そんな様子をフェイスブックに投稿し、いきなり就職活動を始め、そして誰かがネットを検索したら...。これがみなさんへの政治家としての実践的なアドバイスです。」 バラク・オバマ アメリカ合衆国大統領 ホワイトハウス講演録。

すべてが記録に残ってしまうデジタル時代。過去に対してある程度寛容に社会をつくらないと、こどもたちにソーシャルメディアへの早期の参加を薦められないということにもなる。ちょっとした"時効"ルール、"免罪符"みたいなものをつくる必要があったりして。

・マクルーハンの光景 メディア論がみえる [理想の教室]
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マクルーハン生誕100周年だそうだ。ちょうどわかりやすい入門書がでていた。

3つの講義形式をとる。親切で落ちこぼれをつくらない授業だ。

マクルーハンの難解な『外心の呵責』の全文和訳を素で読んだあとに、著者による行レベルの丁寧な解説がつく第一講。専門家に横についてもらいながら、本物を体験できる感じで、安心して読める。

第2講ではマクルーハンの生涯と主な著作についての解説、そして「メディアはメッセージである」の解釈。第3講では「地球村」の概念の再検討と、その思想の芸術面への広がりについて語られる。

マクルーハンの思想の中心にあるのは「メディア=テクノロジー=人間の身体と精神の拡張」という考え方だ。その著作は、インターネットもケータイもなかった時代の執筆にも関わらず、現代に起きていることを予言していたかのようなことばで満ちている。

「文字文化以後の人間が利用する電子メディアは、世界を収縮させ、一個の部族すなわち村にする」「あらゆることは起こった瞬間にあらゆる人がそれを知り、それゆえにそこに参加する」。マクルーハンのいう地球村は、ツイッターであり、Facebookであり、「あらゆることは起こった瞬間にあらゆる人がそれを知り、それゆえに参加する」環境は現出している。」

マクルーハンの主張は、

(1)電子メディアの到来が「新しい環境」を生み出すこと。
(2)「新しい環境」の特徴とは「同時多発性」であること。

ということ。

マクルーハンの文章は文学的芸術的表現が多いので、著者によって骨子と、その核心に触れるさわりだけ抜き出して紹介してもらえるのがありがたい本だ。

個人的にはホットとクールについての正しい理解ができたのがよかった。

ホット・メディア:高精細度=低参加度(ラジオ・活字・写真・映画・講演)
クール・メディア:低精細度=高参加度(電話・話し言葉・漫画・テレビ・セミナー)

「メディアの伝える情報の密度が高いと、補完する必要がない。それを受け手の「参加度が低いと表現します(高精細度=低参加度)。これが「ホット・メディア」です。 逆にメディアの伝える情報の密度が低いと、受け手は、不足の情報を頭で考えて補完する必要がある。それを「参加度が高い」と表現します(低精細度=高参加度)。これが「クール・メディア」です。」

マクルーハンはアフォリズム(警句)は「不完全ゆえに奥深い参加を求める」クールメディアだと言ったそうだが、マクルーハンの著作自体が、豊饒な意味を内に秘めた究極のクールなメディアのように思える。

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