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労働者の悲哀と呻き。まさにブルース。実体験ベースの劇画。
著者、渾身のデビュー作。
理系大卒で工事の現場監督に送り込まれた主人公(24歳)の悲惨な日常が描かれる。
慢性的な睡眠不足、失敗、職人の罵倒、暴力、土下座...。
精神的にも肉体的にもボロボロだが、ひとつの仕事を3年は続けないと転職が難しいと思って、主人公は耐え続ける。なんのために働いているのかわからないから、自分の不遇のなにもかもが、不合理と悪意にみえてくる。
作者の体験がもとになっているだけに、主人公の不安や怒りが生々しく伝わってくる。何度かある修羅場では、読みながら思わず拳を握りしめてしまったほど。主人公は安易な気持ちで就職活動をしていた自分をくやむ。
だが、この漫画は『蟹工船』のような資本家に対する抵抗のプロレタリアート文学ではない。自分が変われば、世界が変わるという自己改革思想の作品である。主人公は悪戦苦闘の末に、自分なりの働き方、生き方をみつける。後半の転職活動の展開は、ブラックな職場に入って出口が見えなくなっている人に希望を与えるものでもある。
ブルーカラーにせよホワイトカラーにせよ、内発的な動機で働かない限り、どんな仕事もブルースだ。逆にいえば、かなりの逆境でも人はそれを糧にして成長、成功できるということでもある。この著者が凄いのは、過酷な体験を、漫画作品に昇華して、人々に支持され、賞を取ったことだ。(第一回ネクストコミック大賞の期待賞を受賞)。
期待賞。まさに次回作に大変、期待してしまう。この著者ならば、まだ描くネタを使い果たしてはいないはずだと厚みを感じる。
「飲食店を取り上げるマスコミに、ジャーナリズム精神は皆無」
超辛口のグルメ業界批判本。メッタギリしていて著者が訴えられないか心配。
だが、グルメ記事の読み方がよくわかる。とても勉強になった。
・店主が毎朝ネタを仕入れに築地に行く鮨屋
・一人でも多くの人に自分の料理を、といって支店を出すオーナーシェフ
・ワインを出す鮨屋、・ビールを置かないフレンチやイタリアン
・丸ビルや六本木ヒルズやミッドタウン等再開発ビルの店
・大間の鮪を出すというそこらへんの店
にはろくな店がないぞという。なぜダメなのか、素人にはなかなかわからない業界事情の説明がある。「飲食店業界にはびこる悪しき慣習や癒着、そして偽りに対してメスを入れていく」激辛モード。
著者いわく、まっとうな評論は儲からない。ヨイショライターを徹底的に叩いている。
著者が特に許せないとするのが料理評論家やジャーナリストと名乗る人たちの店との癒着。「もっと許せないのは、自分が関与した店を自分が連載頁を持っている週刊誌や月刊誌で意識的に何回も取り上げて絶賛することです。これは一般読者への背信行為以外の何物でもありません。雑誌の原稿料や本の印税だけでは足りないと、金儲けのためにコンサルタント業やプロデュース業へ奔るようですが、それなら評論家やジャーナリストの看板を下ろしてからにしろと私は言いたい」と手厳しい。
有名評論家たちの「お食事会」「プロデュース」「特別待遇」といった慣れ合い慣行がいかに評価をねじまげているか暴露する。
そして、著者いわく、評論家だけでなく、まっとうな飲食店も大儲けできない。拡大志向やメディア志向の飲食店は劣化するのみとして徹底的にやり玉にあげている。出版業界や放送業界とのもたれ合いも糾弾する。
著者のストイックなまでの評論家としての誠実さ追求姿勢は素晴らしい。だが、ミシュランブームにせよ、B級グルメブームにせよ、一般人が外食に興味を持つきっかけは、プロデューサが飲食店と仕組んでつくりだすものが多い気もする。すべてを欺瞞だといって封じてしまうと、業界全体がシュリンクしてしまうのではなかろうか、とも思う。もちろん著者のように本物を厳然と判別する人は絶対必要であると思うが...。
放送作家や業界人が絶賛して集まるのは、ただ高級食材を濃い味付けで出すだけの店ばかり、というのは、私も行ってみてがっかりしたことが何度かあるので、納得だなあ。
・ラーメン屋の行列を横目にまぼろしの味を求めて歩く
http://www.ringolab.com/note/daiya/2010/05/post-1218.html
・世にも微妙なグルメの本
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/07/post-416.html
大ぐるめ―おとなの週末全力投球!悪魔のような激旨101店128品
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/05/101128.html
中世日本の村の掟の資料研究。
オキテって言葉は新鮮だ。ホンモノのオキテってどんなものだったのか好奇心がわく。
この本には資料に基づいて本物がいっぱい出てくるのだが、わかりやすくいうと、
おまえら村の掟で違反者を勝手に処刑しないように
根拠不十分で死罪にしちゃった場合は、子供に財産を継がせよ
村に旅人を泊めるのはご法度だが惣堂なら無許可でとまってよろしい
平常時の人身売買は重罪だ
でも飢饉のときだけは金持ちは貧乏人を助ける意味で奴隷にしていいよ
村人は軍役に対しては食料や補償を求めた
山を荒らすものがいたら鎌を没収すべし
百姓は年貢を払ってからならば逃げてもよろしい
などである。細部を見ると、中世の百姓民衆の権利関係や意識がみえてくる。
たとえば、ある地方で地頭が勝手に村を売ってしまい、別の領主がやってきたが、前の領主と村人が結んでいた約束事(祭りの際の村人を饗応すること)を、新領主に引き継いでいなかったため、もめ事になり売却自体が無効化されてしまった事件記録。地頭が村を売ることができたというのも驚きだが、約束が違うと訴え出て、その要求を通してしまえる村人との関係性も意外。
私はこの本を読むまで当時の民衆は「ミミヲソギ、ハナヲソギ」で領主に奴隷のようにこき使われて移動の自由もなくて、活かさず殺さずに置かれていたというイメージが強かった。だが、実際の中世の民衆は必ずしも支配者のいいなりではなくて、自治を守っていたようなのである。
村の力で処刑や追放を行うという厳しい側面もあったらしい。もめ事の解決には、残酷な鉄火起請でさばいたなんて話も出てきて、
・日本神判史 盟神深湯・湯起請・鉄火起請
http://www.ringolab.com/note/daiya/2010/07/post-1267.html
内容的にこの本とつながります。
岡本太郎のユニークな書道アート。約40点収録。
「そもそも字と絵の表現は一体のものだった。象形文字のいわれや変遷などをたどらなくとも、無心に楽しんで字を書いていると自然に絵になってしまう」。
今にも文字が動き出しそうだ。
文字であると同時に絵である。
燃え上がる炎のような「喜」
女が男を支える「男女」
小さな「む」が大きな「挑」にまさに挑みかかるような「挑む」
"書"とはいっても、岡本太郎の書は黒の墨一色ではない。太陽の塔みたいに、赤、青、黄色と原色の絵具も使って、字形も大胆に崩した文字である。書画というものとも違う。意味だけでなくて、生命が吹き込まれている象形文字のアート。
作品の多くには岡本太郎の詩のような解説がつけられている。これもいいのだが、読む前にまず書だけを自分なりにじっくりと味わってから、二週目で文章を読むというのがさらによい鑑賞方法だと思う。書のイメージ喚起力が凄いから、付加情報がなくても、それだけで自分なりの解釈を楽しめる。
時間を忘れて見入ってしまう作品集である。
・美の呪力
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/01/izo.html
・岡本太郎 神秘
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004986.html
・今日の芸術―時代を創造するものは誰か
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005051.html
・岡本太郎の遊ぶ心
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005077.html
・岡本太郎の東北
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005167.html
江戸文化の漫画家 杉浦日向子の作品。庶民風俗、町人文化をとりあげた作品が多い中で、これは異色のシリアス路線である。よみごたえがある。
最後の将軍 徳川慶喜の警護を目的として結成され、新政府軍と上野戦争を戦って壊滅した彰義隊。官軍とも賊軍ともつかない曖昧な存在。隊士たちは何のために命をかけて戦うのか。明確な大義をみつけられず迷いを抱えたまま、それぞれの思いを胸に決戦へと突入する。
彰義隊は自らの意思によるボランタリな組織だった。この漫画の3人の少年たちも、どう生きるか迷った末に、戦いに加わることを自ら選ぶ。その心理プロセスがとてもリアルである。杉浦日向子が得意とする江戸の平穏な日常描写があって、少年たちのおかれた鬱屈が伝わってくる。戦いという非日常にどうしてつながっていったのか、よくわかる気がする。
維新期の江戸の混沌と緊張のムードもうまく描写されている。市民革命と言うわけでもないから、戦うのは一部の志士たちのみである。多くの人には関係ないのである。市中では普通に日常生活が営まれている。決戦の日は、上野で飛び交う砲弾の音を、福沢諭吉が三田の慶応義塾で授業をしながら聞いていたという。
時代の流れについていけなかった旧勢力の残党の話といってしまえばそれまでだが、命を賭けた人たちにはそれぞれに熱いドラマがあった。新政府軍は上野戦争で勝利を収めた後、彰義隊の遺体の回収を禁じたらしい。この漫画は消えゆく江戸への著者のレクイエムであり、散って行った志士達を弔う合葬なのだ。
壮絶な漫画。。
食糧が底をついた村。もしも一人しか命を救えないとしたらおまえは誰を選ぶか?。長老が村の全員に尋ねて歩いた翌朝、誰にも必要とされなかった6人の森への追放が決まった。たったひとりの肉親の姉に、自分が選ばれなかったことに愕然としながら、主人公の少年 織春は死の森を彷徨う。
テレビ番組「サバイバー」のように、投票によって自分が追放者に選ばれるよりも、誰からも必要とされなかったから追放されるこの状況の方が辛いかもしれない。あからさまに追放されれば、憎しみを糧に生きていくこともできるが、これでは誰を恨んだらいいのかわからない。ただただ、さびしくて悲しいのである。
森の中で追放されたもの同士が出会う。心が荒んだ追放者たちはせっかく再会しても、助け合うことができない。織春は人間不信の絶望に陥りながら、厳冬で食糧のない森で、必死に生き延びていく。
人間は人の間と書くけれども、まさに人が人の間で生きる意味を真正面から問い直す劇画。作品は物語として完結しているが、連載が途中で打ち切りになったらしい。そのせいで後半の展開が少々かけ足気味なのが残念であるが、メッセージはちゃんと伝わってくる。読み応えあり。
映画化したら面白そうな佳作。
懐かしい。あぶさん。
「さようなら90番」引退試合の巻ということで久々に読んだ。
そもそも、あの『あぶさん』はまだ続いていたのか!と感慨に浸りながら表紙を開く。
設定にはかなり無理がある。この漫画の連載開始は1973年だが、劇中のあぶさんも1年に1歳ずつ年を取ってきた。だから連載37年=選手生活37年、62歳の現役プレイヤーとしてあいかわらずホークスで活躍している。あぶさんの絵は還暦を過ぎているとは思えない若々しさ。両親も健在でピンピンしており、息子の引退試合を見に来るが、この2人は今何歳なのか謎である。
他の脇役たちも少々絵が若すぎる。仕方がないのだろう。もしも全員を爺さん婆さんとして描いてしまったら成り立たない。野球漫画で登場人物をたびたび死なせるわけにもいかないのでみんな長生きせざるを得ない。長期連載で登場人物は増えるばかり。破綻が見えたからそろそろ引退っていうことなのではないかと思われる。
96巻目のストーリー。予定調和的な引退試合で意外性もなにもないのだが、長年のファンはこういう展開を期待していたのだろうから、これでいいのだ、たぶん。昔のあぶさんを思い出せば、読者は目頭が熱くなる。
私は店頭でみて最終巻かと思って手に取ったのだが、現在も連載中で、最新号では二軍助監督に就任しているようだ。あぶさんの活躍はまだまだ続くということでほっとしたが、この96巻では引退直後の、何もやることのない平和な日々が読める。
あぶさん。日本で最も長く連載が続いているスポーツ漫画となったそうだが、作者の水島新司は1939年生まれで今年71歳。長寿漫画家による長寿漫画としてまだ10年、20年、30年と続いていってほしいなあ。そうそう、ドカベン スーパースターズ編も。
二十年間無敗伝説を持つ雀鬼 桜井章一がツキの正体を語る。(得体の知れないところのある著者だが、怪しさも魅力だったりして、つい何冊も著作を読んでいる)。
ツキや運には3種類があるという。
天から授かる「天運」
場所につく「地運」
人が作りだす「人運」
天運は人間にはどうしようもない。地運はパワースポットに行けばよい。この本が教えているのは3つめの人運のつくりかただ。「考えすぎない」「気づいたら行動」「一つのことに集中しない」「見返りを求めない」「遊び心をもつ」「気分よく生きる」など、著者が勝負体験から学んできたことを説く。
野生のカン=直感を大切にしろ、どんなに経験を積んでも、知識と常識にとらわれないビギナーズラックの境地を目指せ、という極意は、考えても分からない、必死のかけひきや勝負事では、確かに真理な気がする。
「そもそも、ツキというものは、確率とか理屈を超えたところで起こっていること。それを理解するのは、理性ではなく感性の領域になります。頭ではなく、身体なのです。それだけに、言葉で説明することが難しいのは確かです。」
結局、ツキに意味を見出すかどうかは生き方の問題だと思う。
ツキに意味を見出す人は、サイコロで6の目が続けて2回でたら、今日はツイているから、次の目でも6が出せると考える。何回連続で6が出た後だろうと確率上は6分の1だ。そんなことは頭では分かっている。それでもツキに賭けて勝負する。それで勝てれば楽しさ倍増である。信じる人にとってツキには心理的エネルギーの源泉としてのロマンという意味と価値がある。
ツキを呼び込んだという思いは自信につながる。自分はツイてると思って幸せに生きるのは決して馬鹿で無知な生き方ではないよなあと思う。世界にツキの概念がない文化はないだろう。ツキは、きっとさらなる探究の価値がある。
・努力しない生き方
http://www.ringolab.com/note/daiya/2010/04/post-1195.html
クチコミ投稿数120万件以上、月間1200万人以上が利用する食べログが本になった。
全24ジャンル、350店舗をランキング形式で紹介している。
電子書籍時代に紙の本のよさをうまく出しているなあと感心した。食べログというサイトは検索サイトとしてはよくできているのだが、自分が調べているジャンルや地域のデータしか出てこないから、"出会い"が少ないのである。紙の本はぱらぱらめくっているうちに、美味しそうな写真が見つかって、ああ、こんな店もあるのか、という発見がある。
パソコンと食欲の関係というのも、あるかもしれない。私だけではないと思うが、パソコン画面よりも、紙の本でうまそうな写真をみたときの方が、シズル感が強く感じて食欲がわくのじゃないだろうか、一般的に。そこにも電子書籍にない紙の可能性があるのじゃないか。
紙の本では編集が丁寧に入っていて、読みやすくて役立つクチコミが厳選掲載されているのもこの本の魅力だ。人気レビューアーのとっておき、という投稿者の顔が見える特集もよかった。
読書感想文というものに興味があって研究として読んだ本。
2008年、2009年の蟹工船ブームに拍車をかけた一要素として小林多喜二の出身校である小樽商科大学と白樺文学館多喜二ライブラリー共催の「Up To 25『蟹工船』読書エッセーコンテスト」(2008年1月開催)があったようだ。
このイベントは「30分で読める・・・大学生のためのマンガ蟹工船』(東銀座出版社)と、その原作小説「蟹工船」が評論対象で、応募資格は25歳以下の青少年対象のUpTo25部門と制限がないネットカフェ部門の2つがあった。この本には選者(精神科医 香山リカ、島村輝女子美大教授、由里幸子朝日新聞前編集委員など)の講評と共に120編の応募作の中から選ばれた優秀作が収録されている。
他人の読書感想文というものをのぞいてみたくて手に取った。
予想通り「根本的に今までも何も変わっていないのではないか」「私の兄弟たちが、ここにいる」「現代の「浅川監督」とは一体誰か」というように、プロレタリアート文学に対するものとして「正しい」連帯的憤り系の反応は多い。
基本的には「他人に干渉しない、ひたすらに自己責任に縛られたまま出口のない孤独の日々をふわふわと泳いでいる。そうだ、私たちは、支配者に闘いを挑む怒りを剥奪されている!」という風に、現代社会をいかにして、もうひとつの蟹工船に見立てるかのコンテストなのでもあった。
しかし、一方で「このエッセーは私のようなものが書くより、貧しくて一生懸命バイトしながら奨学金を貰って大学行って勉強している人が、「みんなで世界を変えていこう」と呼びかけるようなものを期待していると私は書く前考えていた。私もウソをついて、そういうものを書こうと思ったが、できるだけ本当のことを書くことにした。」というような、淡々と状況を客観する文学部生もいた。
登場する労働者たちの性欲に着眼して評論した人、チャップリンの映画との共通点を挙げた人、仮想テレビ番組内の鼎談形式にした人。選ばれているだけあってみんな実にいろいろな文体芸風を編み出している。10代前半とは思えぬ深い内容を書いてくる早熟な少年もいる。
多くの応募者はマンガと小説の両方を読んでいるが、特にマンガ読書体験に直截的で強い印象を持った書いている人が目立つ。彼らは小説を後で読むことで一層の理解を深めている。こうした反応を見るとやはりマンガ版の存在が今回のブームの大きな原因だったと言えるのじゃないかと思った。
・蟹工船・党生活者
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/05/post-754.html
もう食べることができないまぼろしの味についてのエッセイ集。面白い。
昔はよかったとぼやく老人のつぶやきなんだけれど、名文がいっぱいだ。
「そもそもラーメンは、厳選された素材がどうのという料理ではない。どこかウソっぽいのに、しみじみと旨いというキラキラとした秘密を持っていた。その「悪」の魅力が、ラーメンの精神的スタンスだった。それがあってこそ社会の荒涼とした現実と自分との関係を噛みしめることができる、実存主義的食べ物であった。」
まず標題のラーメン論が深いのである。今のラーメンにはないラーメンの本質が語られている。3丁目の夕日の中のラーメン論というかなんというか。70年代、私の子供の頃のラーメンって確かにそうだったなと思い出す。
「キザな言い方をすれば、ラーメンには吹きだまりの詩情があった。悲しいのについつい口ずさんでいる街の歌がある。それがラーメンの味なのだ。あーあ。スープから東京の哀しさが匂った昔のラーメン。もうまぼろしになってしまったのだ。」
サントリー学芸賞の作家だけあって名文だ。1949年に新橋の美術商の長男として生まれて、銀座や東京の旨いものに親しみ、その後中国やパリで食べ歩きをした人なので、各国料理文化への造詣の深さ、舌の確かさは信頼できそうだ。しかし、この人の魅力は、そういうメインストリームの評論ではなくて、話が進むにつれて、だんだんジャンキーな味覚に偏っていくところにある。
鰻丼から鰻をよけて、焦げたにおいと脂が覆ったタレのかかったご飯だけ食べるのが好き。中華料理店でおみやげにやきそばを買ってきてアルミホイルに包んだまま冷蔵庫で24時間寝かし、ラードが白く固まっているがソバに味がしみ込んだ状態が好き。カツ丼も天丼も蓋をして熱いご飯で蒸されてシネッとしたのが好き。ああ、なんだかよくわかるんだけど偏った好みを熱弁する。
「染み込んだもの。それがまた染み込んだ先の味と混じり合って、またまた別のものに染み込んでいく。その染み込みは己の温度によってなされる。そのなんとも下世話な感じ。下品で慣れ慣れしい。しかし人を納得させる旨さ。いい湯加減の風呂にどっぷりつかった安心感。そんな下手な味に私は「下手味」と名をつけた。」
食通の下手味を紹介するというのが著者の真骨頂なのである。
で、そうした著者のお気に入りはしだいにまぼろし化している。現代のグルメブームには批判的な言及も多い。たとえば、ネットのクチコミについては次のような鋭い指摘がある。
「そのうち一大発見をした。驚くべきことにほとんどがランチへの評価だったのだ。つまり昼飯食べに会社の外に出た、もしくは主婦が食べ歩きをしたその体験記であり感想なのだが、それがグルメ評論家の記事のように、高所から料理の出来不出来がチェックされ採点されている。そうですか、世の中の飲食店はすべてランチだけで評価される時代になっていたのですか。」
そういえば食べログもそうだが、ランチの話ばっかりだ。夕食でちゃんといいものを食べたいとなると、信頼できる情報はまだネットには少ない。食べ歩くうちに舌が肥えてくると、世評の高さよりも自分なりの価値観の味を追求したくもなる。そういった大人のグルメ情報はネットのクチコミサイトにはまだ不足しているなあと思う。ひとつの評価軸で評価をしてくれる、こういうグルメ評論家はありがたい。ま、まぼろしの味ばかりで実際には食べられない話が多いんではあるけれど。
アッガイ操縦士の兄弟が、連邦軍の追撃を受けて撤退するジオン軍のしんがりを引き受ける。カリフォルニアベースを目指して水陸両用MSのはずのアッガイが徒歩で北米大陸を横断するロードムービー的な漫画。絵はシリアスだがネタはギャグというちぐはぐさがいい味を出している。
負け戦。
二機のアッガイの背中の悲哀がたまらない。
書店でこのマンガを見つけた時、やっぱりアッガイに特別な思い入れをもつ人って多いんだなとうれしくなった。私がガンプラを再開したときにまず選んだのがアッガイだった。登場回数は少ないし大した活躍もなかったが、哀愁漂う体育座りポーズで、記録より記憶に残る名機。
30周年記念でクリアパーツ付きのMGが発売になった。
パーカーもあって、自分がアッガイになることも。なりたいわけではないが。
・【機動戦士ガンダム】アッガイ パーカー サイズ:L / BROWN

アッガイいいなあ。
・愛蔵版 機動戦士ガンダム THE ORIGIN V シャア・セイラ編
http://www.ringolab.com/note/daiya/2010/01/-the-origin-v.html
・MG 1/100 ゴッグ MSM-03
http://www.ringolab.com/note/daiya/2010/01/mg-1100-msm03.html
・ラーメンズ・片桐仁のガンプラ戦士ジンダム
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/06/post-1007.html
・ザク大事典 All about ZAKU
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/03/-all-about-zaku.html
・MG 1/100 ズゴック MSM-07と愛蔵版 機動戦士ガンダム THE ORIGIN IV ジャブロー編
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/01/mg-1100-msm07-the-origin-iv.html
・HGUC 1/144 MSM-10 ゾックと機動戦士ガンダムTHE ORIGIN
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/02/hguc-1144-msm10-the-origin.html
・機動戦士ガンダム THE ORIGIN、MGアッガイ、ターゲット イン サイト
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/01/the-originmg.html
・ガンプラ・パッケージアートコレクション
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/08/post-820.html
・俺たちのガンダム・ビジネス
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/11/post-662.html
・ガンダム・モデル進化論
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003091.html
これは非常に面白い漫画だ。
表紙と題名からは想像もつかない内容。
テーマは「風呂」。
古代ローマ帝国華やかなりしころ、市民の憩いの場として人気の公衆浴場の底が、現代日本の銭湯や温泉、家庭の風呂桶の底と、時空を超えてつながってしまう。荒唐無稽な設定だが、「へうげもの」みたいな比較文化論の深み、おもしろさがある。
主人公のルシウスは公衆浴場を設計する技師で、なぜか風呂に入るたびに現代にワープしてしまう体質を持つ。日本の銭湯体験に感動して、ローマ風呂の壁にヴェスビオス火山を描いたり、風呂上がりのフルーツ牛乳をつくってみたりして、ローマの人々を喜ばせる
日本ではあたりまえの風呂周り、水周りの技術や文化が、古代ローマでは斬新なイノベーションになる。ルシウスの評判はやがてローマ皇帝ハドリアヌスの耳にまで届き、ルシウス技師の風呂設計は国の行く末を左右しかねない大仕事となっていく(かどうかは、1巻のみなのでよくわからないが...)。
毎話、ああ日本の風呂文化って本当に素晴らしいのだなと再認識させられる。著者はポルトガル在住の女性で画家、夫はイタリア人の歴史家だそうだ。こんなニッチなテーマで連作できる人は世界にこの人しかいないだろう。
「平たい顔族」日本人のお風呂文化礼賛の書である。英語に翻訳して海外で売ったら、どういう反応が返ってくるのだろうか、これ。マンガ大賞2010年度の大賞受賞作。
・マンガ大賞
http://www.mangataisho.com/
大人も子供も楽しめるアートな絵本。
アンデルセンの隠れた名作『火打ち箱』を絵本にした。絵本といっても本当は絵ではない。ペーパークラフトで物語を再現してデジカメで撮影した写真集である。紙にペン画を描いた後、切り抜いたり折ったりして一部を立体化する。
2次元と3次元の中間の不思議な次元感覚が、荒唐無稽なストーリーとあいまって、独特の世界観を醸し出している。「目玉が茶碗くらいある犬、水車くらいある犬、塔ぐらいある犬」なんて普通の表現では難しいはずだが、超次元的な表現技法によって、いかにもそれっぽくビジュアライズされている。
もともと原作がかなり変な話だ。家に帰る途中の兵隊が、魔法使いのおばあさんと出会って、願いがかなう魔法の火打石を手に入れ、無軌道にやりたい放題やって、当然まずくなるだろと思ったら、案外なんとかなってしまう、という話。
童話にもかかわらず「正直に生きなきゃね」とか「人には優しく」とか「命は大切に」とか教訓が存在しない。カオスでアナーキーな展開に子供は笑い、大人はちょっと呆然とする。有名な童話作家のアンデルセンって実はかなり曲者だったことに気づかされる。
強烈な印象を残す作品だ。一度読んだら忘れがたい一冊になるだろう。この半立体紙芝居は動く映像化されたら楽しいかも。
文学的で、静かに感動を呼ぶ、上質な漫画。よいです。
静かな日常の下に隠れた暗くて激しい底流というものがテーマ。
銭湯を経営する関口かなえは、何の兆しもなく失踪した夫のことを、できるだけ考えないようにしながら、日々の仕事に追われていた。人手不足の銭湯に組合の紹介でやってきた寡黙な男 掘さんが、店に住み込みで働き始める。おかげで一息つけるようになったかなえは、抑えていた自分の感情と正面から向き合うようになる。
なぜ夫は出て行ったのか?。他に好きな人がいたのか、何かやりたいことがあったのか、自分を嫌いになったのか、銭湯の仕事が嫌いだったのか。考えてもよくわからない。彼のことをまったくわかっていなかったのではないかと思うのがつらい。そんな葛藤のかなえのもとに探偵を使って調べてみないかという誘いがやってくる。そして失踪の真相が少しずつ明らかになっていくのだが。
淡々とした日常が物語の3分の2を占めるので、一話一話を取り上げると地味な印象を受けるが、通しで全部を読むとしっかりと残るものがあって、よくできた映画や小説のような厚みがある。個性的な脇役も活きている。コマ割は映画のようだ。これは映画化される、に一票。
















