Books-Presentation: 2004年9月アーカイブ

悪の対話術

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・悪の対話術
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■礼儀正しく生意気な人

第一印象を制する対話に必要なものの話がなるほどなあと思う。

「あなたがどれほどの存在であるか、ということは、多少とも頭を使うことを知っている人間であるならば、会った場所や機会などで大体解るのです。では何を云うべきなのか」

それはごく短く印象に残る「批判的な意見」であるとし、「礼儀正しい生意気さ」が大切だと説く。

「私が云う「生意気な人」というのは、組織の中、特に課とか班といった小規模の集団において、自分のおかれている境遇や評価に対する不満、反発を、自身の「分」を意識的にでも、無意識的にでもはずれることで、表明しようとする人たちです。」

もちろん批判の対象や表現をよく選び「トゲから伝わる敬意」が感じられると良いとし、
「大体、ある程度の地位なり力量を持った人間にとって、若い人に期待するものとは、生意気さだけなのです。」

これは分かる気がする。

ビジネスシーンである程度の役職にある人と話す際、そういった人たちは普段、賞賛の言葉と大人しい若手の部下に囲まれている。それに甘んじている人は、つきあうに値しないし、若者を引き上げてくれる力がないような気がする。だとすれば、生意気な一言の持つ違和感で「見所」をアピールする戦略が、その人物の真価を見抜く試金石としても機能して、一番効果的だということだろう。

■適度に緊張させる無口な人

「キャラ立ち」するのではなく、キャラに収まりがつかない緊張感、容易には安心できない雰囲気を漂わせる、ミスティフィカシオン(神秘化)の技術の話も面白い。そのひとつの手法に無口がある。

「例えば明治の元勲西郷隆盛は、きわめて無口なことで知られていました。きわめて少ししか言葉を口にせず、しかも語るとしても相撲や犬といったどうでもいいことしか語らない。政治向きの話はいっさいしないのです。けれども話さないからこそ、周囲の視線は西郷にずっと注がれている。西郷が何を考えているのか忖度し、片言隻句を聞き逃すまいと耳をすましているのです。ですから、一度言葉を発するとその影響力は絶大でした。西郷が進めと、一言発すれば、それで大山が動くように衆がみな従うのです。」

場に緊張感を持たせる人というのは、会議などでも重要な役割を担うと思う。ただし、効果的な無口は、作為的な無口の結果であると著者は言う。緊張によって場を生成していくことで、効果的な対話ができる。

■悪の対話術=意識的で作為的な対話=大人の優しさ?

この本のタイトル「悪の対話術」から、最初は「パワープレイ」のような小手先心理操作と交渉術がテーマかと思ったら、もっと深いレベルの本だった。自分のいいたいことを直球でさらけだすのではなく、相手の立場を理解した上で、作為的に対話をしかけましょうというのがこの本の趣旨。作為性がこの本のいう「悪」であるが、それこそが大人同士の対話の、誠意であり、思いやりなのだ。

ある程度の年齢になると天然の「いい人」は必ずしも善い人ではないなと私も最近、感じるようになった。思ったままを口にするのではなくて、どう状況を変えたいかを考えた上で、将棋の駒の次の一手を置く。そんな対話ができるのが優しい大人なのだなと思う。作為性を仕込んだ言葉は、中途半端ではだめだとも書かれている。中途半端な優しさはダメなのだ。愛にも通じるかもしれない(笑)。

この本には、一般にはネガティブなものとして考えられている悪口や噂、お世辞の、良い使い方なども書かれている。ノウハウ本ではないのだけれど、対話の場の構築術として参考になることが多かった。

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