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戦闘という極限状態における人間の心理と生理メカニズムを「戦争における「人殺し」の心理学」の著者で元米国陸軍士官学校教授のデーヴ・グロスマンが語る「戦士学」。前作に匹敵する中身の濃さとボリューム。
現実の戦闘はドラマのようにかっこよくはいかないものらしい。たとえば第二次世界大戦時の米兵の四分の一が尿失禁の経験があると認め、八分の一は大失禁したと認めている。激戦を経験した兵士の半分が尿を漏らし、四分の一が大便を漏らしたと認めている。9.11テロにおいても生存者の大半が大小失禁をしていた。
戦闘は人間の心身を追い詰める。兵士の心拍数が175回/分を超える「黒の状態」になると、肉体的精神的に緊急時の身体反応モードに移行する。身体が自動操縦モードになって反射的に撃ってしまうことがある。トンネル視野になって視野が狭くなり、選択的聴覚抑制が起きて銃はポンとしか言わなくなる。「当たったときは聞こえない」と古参兵の言葉が紹介されている。
「警察官の心拍数が145回/分を超えている場合はとくに危険だ。心拍数が増大すると左右相称運動が起きやすくなるため、容疑者のシャツを片手でいっぱいつかむと、銃を持った手もとっさに把握反応が起き、意図せずして発砲してしまうことになる。」と警察官でも似たような反応が起きるそうである。
極限化では血管でさえも通常と異なる状態になる。「銃撃のあとで、三人の警察官が互いに負傷がないか確認していた。するとそのうちのひとりが、自分の袖の上腕部分に小さな穴があいているのに気がついた。正面側と裏側にひとつずつあいている。「危ないところで当たらなかったんだな」と、彼は見るからにほっとした顔で言ったが、そう口にしたとたん、腕の傷口が開いてどっと血が噴き出してきたのである。ぶじだったと思って安心したせいで、血管収縮が終わって血管拡張が始まったわけだ。」
と、極限状態の戦士の心身が、いかに通常と異なるはたらきをするか、多くの事例で示される。こころのはたらきもまた異常である。たとえばパートナーが殺されたとき、多くの人の最初の反応は安堵である。
「突然の暴力的な死を前にすると、たいていの人はまずほっとする。自分が同じ目に遭わなかったので安堵するのである。たとえばパートナーや仲間が殺されたとしても、まずは「自分でなくてよかった」と思う。だから、あとになって自分の最初の反応を思い出すと罪悪感を覚える。罪の意識にさいなまれてしまう。なぜなら、それは正常な反応だと一度も教えられなかったからだ。」
こうした「黒の状態」の知識は裁判員に選ばれた人たちが知っておくべき知識のような気がした。戦闘や犯罪の極限状態では普段の人間性なんて出ないものなのだ。事件に巻き込まれたときのサバイバル知識としても役立ちそうだ。出番がないことを祈るノウハウばかりであるが。
・戦争における「人殺し」の心理学
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/03/post-365.html
・SAS特殊任務―対革命戦ウィング副指揮官の戦闘記録
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/05/sas.html
美しかったが性格異常の姉に苦しめられた女性科学者が、私怨をこめまくって書いた悪の遺伝子研究の本。「邪悪な」姉の写真も使いまくりながら、他者を陥れる異常性格が形成される理由を暴こうとする。
「一見して、邪悪としか思えない人物がなぜ存在し、政治や宗教、学問の場、一般の職場やふつうの家庭まで、さまざまな社会構造の中で、いかに「役割」を果たしうるのか、あるいはトップにまで昇りつめることすらありうるのか?」
ヒトラー、ムッソリーニ、ポル・ポト、チャウシェスク、サダムフセインには不気味なほどの対人スキルの高さと感情の乏しさという共通点があった。脳を調べていくと、正常な人と反社会的な人では、「血・下水・地獄・レイプ」などのキーワードを聴いたときの脳の反応の仕方が大きく異なっていた。道徳心は実体のある神経学的プロセスである可能性があるという。
古典的な優生学は非科学的であり社会的にも認められないものとして排除されたが、遺伝子の研究、脳科学は、人間の尊厳に関する新たな問題を提起しようとしている。この本が主張するように、邪悪な人間になる遺伝子があって、破滅的思考を生む脳内回路を作り出しているのだとすれば、遺伝病を防ぐのと同様に治療で消すべきなのか、心をいじるべきなのか、倫理的に難しい問題だ。
邪悪な人間がなぜ「偉大な指導者」にのぼりつめるのか。社会学的な考察もある。毛沢東の主治医は「毛沢東を知れば知るほど、彼を尊敬できなくなる。内輪のサークルを入れ替え、新たな崇拝者の一群を入れることで、こびへつらう人間を確保していたのだ。」と証言している。もともと利己的な遺伝子を持つ人間が、利己的であるが故に社会の階段を上がっていき、大きな権力を手にすることで、その異常さを加速させていく。これは結構普遍的な話だろうと思う。偉い人に性格異常者がいるのは世界共通の真理だろう。たくさんの歴史的英雄の邪悪な一面が挙げられている。
ただし、この本がユニークなのは、著者の邪悪な姉の思い出「姉はこうして狂っていった」で恨み辛みがビジュアル資料つきで繰り返し語られるところのほうである。著者の邪悪な遺伝子の解明に向けての内面的な駆動力となっていることをあからさまにしている。であるが故に、本書の議論の進め方は科学的アプローチからはかなり逸脱している。真面目なサイエンスを期待すると失望するだろう。一人の執念の研究者のゆがんだ半生記として読んだ方が楽しめる。
怒りを感じる → 怒りの内容を分析する → 怒りに対処する
どうも人は年をとると怒りっぽくなる。若いときと違うのは自分が怒っているとことを冷静に認識していることだ。心理カウンセラーが著したこの本では怒りの原因を不一致による違和感に求める。
怒りの理由への洞察。期待値と一致せず、裏切られたと感じたときに怒りを感じる。「~べき」「~しなければならない」「~すべきではない」「~してはいけない」という規範意識が根底にある人ほど怒ることが多くなるのが基本原理である、という。
怒りを掘り下げていくと、恐怖や不安、心配や寂しさ、恥や罪の意識などの裏感情が怒りを強化している。それらの負の感情を意識的に軽減する練習をしよう、というのが本書の趣旨。怒りの上手な表現方法(事実、裏感情、欲求と願望を整理する;怒りを表現する ほか)やイライラをワクワクに変える22の方法(違和感を大切にする;自分のココロの声を言葉にする)を解説していく。
「中と大の怒りは練習によってかなり減らすことができます。しかし、日々の小さな違和感は生きていくうえで、ある程度避けようがなく、また、この違和感は、実は日常生活を快適に送るためになくてはならない、ありがたい道しるべにもなるものです。なぜなら、小さな怒りは、日々発生するさまざまな問題を小さな芽のうちに教えてくれる予防のための貴重なサインだからです。」
魔法のように抑え込むことはできないが、怒りとつきあうためのヒントブックである。読んでも全然解消しないじゃないかと怒らないで欲しい。こうした本を読んで怒りについて意識的になること自体が、怒りの制御に現実的で効果があるような気がする。
・いやな気分の整理学―論理療法のすすめ
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/11/post-775.html
・自己評価の心理学―なぜあの人は自分に自信があるのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/09/post-827.html
・アタマにくる一言へのとっさの対応術
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/09/post-632.html
・死ぬまでに知っておきたい 人生の5つの秘密
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/12/-5.html
・ムーミン谷の名言集―パンケーキにすわりこんでもいいの?
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/10/post-475.html
・もうひとつの愛を哲学する―ステイタスの不安
http://www.ringolab.com/note/daiya/2005/12/post-331.html
・なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか 記憶と時間の心理学

なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか?。10歳の子供にとって1年間はこれまでの人生の10分の1だが、50歳の人間には50分の1に過ぎない。だから年をとるにつれて時間は短く感じるようになる。これはジャネの法則と言われる有名な説だが、主観的描写に過ぎず、説明ではない。
加速する時間については
1 望遠鏡効果
一般に人は過去の出来事に実際より最近の日付をつけることが実験でわかっている。
2 レミニセンス効果
年少の頃は「はじめて」で印象的な出来事が多く、利用できる時間標識が多いため想起する量も多く、結果として最近の事だと感じてしまう。
3 体内の生理時計のリズム
体内メトロノームが加齢にともない減速していく。
が本当の原因であると著者は心理実験データを根拠に解説している。記憶と想起にかかるバイアスの種類と原理がよくわかった。
ある実験では18歳以上のアメリカ人に「国家的に、あるいは国際的に重要な出来事」を挙げさせると、大恐慌や第二次世界大戦、ケネディ大統領暗殺、ベトナム戦争など幅広い答えが返ってきた。だが年齢別で分析すると各年齢層が20代の頃に起きた事柄を挙げていることが判明する。つまり「世界を揺るがす出来事は20歳のときに起きる」という見方ができる興味深い結果である。
青年期と成人初期はその後の人生に影響を与える重要な選択があると同時に、社会に出て「はじめてのこと」に満ちている。後から思い出すと人生のクライマックスになるわけである。10代後半から20代前半までがやはり青春なのだな。
ほかにこの本では、なぜ1歳までの記憶がないのか、既視感がおきるのはなぜか、臨死体験時の人生の走馬燈レビューが人類共通なのはなぜか、サヴァン症候群の驚異的記憶力の秘密、匂いと記憶の強い結びつきなど、記憶と心理に関する研究がバラエティ豊かに、一般向けにやさしく解説されている。
・大人の時間はなぜ短いのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/10/post-854.html
・「時間」を哲学する―過去はどこへ行ったのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/2004/07/post-110.html
・マインド・タイム 脳と意識の時間
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/01/post-689.html
高いワインほどおいしいと感じられてしまうハロー効果、占いがよく当たると思いこむバーナム効果、経験の強烈な部分と最後の部分が判断に影響を及ぼすピーク・エンドの法則など、私たちが陥りがちな認知バイアス=「脳の罠」とその回避法についてのエッセイ集。
各章のテーマを抜き出すと次のようにすごい数になる。それぞれについて、いかにもありがちなシーン説明から始まって、バイアスを生み出す脳科学や心理学的メカニズムの仮説とデータの裏づけが示される。
予言の自己成獣、ピーク・エンドの法則、コンコルドの誤謬、フレーミング効果、基準値の誤り、大数の法則、代表制のマジック、偶然に秩序をみる、原因と結果の相関関係、確実性効果、統計より感情、アンカリング効果、注意力の欠如、注意の焦点化効果、貴族のエラー、自己奉仕バイアス、集団の知恵、バーナム効果、フォールス・コンセンサス効果、群れ思考、集団思考、集団規範、他の集団への偏見、ハロー効果、自信過剰、願望的思考、後知恵、偽りの記憶、無意識のいたずら、順序効果、プランニングの誤り、欲深と尻すぼみ、明るい記憶、現状維持、先入観のトラップ、損失回避性、後悔の理論。
人間である以上は感情のバイアスは避けることができない。合理的な人とは、感情のない人ではなくて、感情のコントロールがうまくできる人であると著者は書いている。こうした効果や法則のことを、まずは知識として十分に知っていると強い武器になる。逆に、意図的に活用して、"だます"方に回ることだってできるだろう。
たとえば注意の焦点化について。
「アメリカのある男子学生たちに、次のような二つの質問をした。「毎日の暮らしのなかで、あなたはどれほど幸せですか?」と「先月は女の子と何回でかけましたか?」。質問がこの順序で示されたときには、二つの質問のあいだの相関関係はほとんどなかった。しかし女の子とのデートについて質問が先に示されたときには、相関関係が0.66にまで上昇した。」
アンケートの順序だけでも結果はある程度は操作できるのだ。私の経験でも、製品やイベントについてのアンケートの場合には、「どこがよかったですか?」の後に、全体評価を書いてもらうと、いい数字がでやすいという経験がある。ビジネスの都合上、クライアント報告向けに、アンケートで好評だったという結論がどうしても欲しい場合には、こういう質問順序をつくってしまうのが担当者の知恵といえるかもしれない。
ただの偶然に意味を見出そうとしてしまう脳のはたらきも要注意だ。
「私たちは周囲の出来事に、「秩序」や「規則」や「構造」などを見つけたがるが、そういったものはじつは、私たちの頭なかだけにあるものなのだ。 私たちが偶然とうまくつきあうのはたやすいことではない。単なる一致にすぎないことでも、冷静に受けとめることができないからだ。めったにないことが起こると、驚きのあまり、さまざまな解釈をするための論理も確率の法則も、忘れてしまうからである。」
これをうまく活用するのが現代のクロスメディアマーケティングといえるだろう。同時期に異なる媒体や経路で広告メッセージに接すると「これは今世の中で凄く流行っているのかな」とか「私が偶然に発見したのだ」なんて思い込みが形成される。
行動経済学の知識は消費者としては防衛手段であり、マーケティング担当者としては攻撃手段になる。どちらにせよ、読んでおくと為になる、かな。実に面白い読み物。
二人の学者が神話と昔話の分析によって日本人ならではの罪悪感について考察する。
著者は日本神話と昔話に特徴的な「見るなの禁止」とそれに伴う罪と恥の意識に注目した。
たとえば「鶴の恩返し」では女が鶴の姿になって機織りをしている姿を、見るなと言われていた男がのぞいてしまう。古事記では死んでしまった妻イザナミを迎えに夫のイザナキが根の国を訪れるが、のぞくなと言われていたのに妻の腐敗した醜悪な姿を見てしまう。男が見るなの禁止を破ると女をはずかしめ傷つけることになり女が去っていく。
「「愛しい」の語源は「痛しい」だと言うが、愛する者が、私たちのために死んだ、あるいは傷ついたとすれば、それはじつに痛いことである。私は、国々や神々を産んで死んだイザナミとは、男性的自我にそういう痛い罪意識をひきだす存在であり、人間のために殺されたキリストに匹敵するものだと思う。ゆえに、この罪は「原罪」と呼ぶに相応しいし、イザナキのみそぎはそれを取り消そうとしていることになる。」
豊かで美しい対象を求め侵入していく欲望が対象を傷つけ破壊してしまったことに対する罪悪感が日本人の原罪意識なのだという主張だ。対象喪失の悲劇と痛みを共有する課題として持つが、そうした感情をどう処理するかには文化的、宗教的な違いが大きく現れる。人間が罰せられるキリスト教の原罪パターンとは異なり、どの話でもタブーを破った側が罪に問われたり、罰せられることことはない構造になっている。
見るな、語るなで当面の秩序を維持していることへの後ろめたさ。
きれいごと、見て見ぬふり、臭い物に蓋、言わぬが花。見るなの禁止は深刻な問題を掘り下げず表面的な安定を継続する知恵であると同時に、差別感情の共謀にまでつながっていく。そうした状況では、見るなの禁を破ることは人間社会の秩序を守る方法として機能すると著者が指摘している。こうした構造で生み出される原罪意識を「心の台本」として持ち繰り返してきたのが日本人であるらしい。
原罪というのはキリスト教独特の考え方だと思っていたが、文化によって異なる原罪意識がありえるのかもしれないと納得させられた。
ライター 中村うさぎ(執筆時、47才)が風俗嬢として働いて考えたことを綴った赤裸々ルポタージュ。自身の"女としての価値"を確認したくなった彼女は、身も蓋もなく性的価値が数字で示される世界としての風俗を選んだ。源氏名 "叶恭子"を名乗り(案の定、本家に訴えられるのだが)、個室で欲情した男たちの相手をする。
「恭子が「カネを払ってでも自分を求めてくれる男」を求めて、己の性的価値の確認のために、ここに来たように、彼らもまた、「自分を全面的に受け容れてくれる女」を求め、己の男性的価値(性的にもジェンダー的にも)を確認したくて、ここに来る。それは「排泄」なのか。いや、違うだろ。それは「コミュニケーション」というものではないか。」
体当たり取材モノかと思いきや風俗嬢としての仕事は訳あって数日で終了する。だがわずかな期間でも強烈な体験は彼女に、男と女とは何か、性的な価値とは何か、自分とは何かを深く考えさせるきっかけとなった。
「今回のデリヘル嬢体験で、もっとも興味深かったのは、デリヘル嬢の仕事そのものではなく、デリヘル嬢をやった私に対する世間の反応であった。露骨に嫌悪を表明し、風俗嬢に対する差別意識を臆面もなく曝け出したのは、女たちではなく男たちだったのである。」
そもそもが女の価値確認という過剰な自意識に始まった彼女の風俗体験だったが、実際にやってみたことでその自意識の揺れはむしろ増大していく。愛されたい、見返してやりたい、主体性を持って生きたいと揺れる。その一方で「私という病」に振り回される自分の姿を冷静にみて、現代人が追い回されやすい強迫観念の正体を分析していく過程はじっくり読ませる内容だ。
著者が服を脱いだだけでは飽きたらず、心までスッポンポンになって「私」を世の中に晒している。エロを期待すると肩すかしを食うが、現代社会の病理を明らかにする体験ルポタージュとしてはかなり面白い。
・アイドルのウエストはなぜ58センチなのか―数のサブリミナル効果

著者の調べによるとアイドル103人のウエストサイズ(プロフィールとして公開されたもの)を集計すると、58センチが突出して多い。前後の57センチと59センチはとても少ない。明らかにサイズ申告時に操作が行われたわけだが、日本人は基本的に8に好印象を持つことと関係があるようだ。スーパーの食料品も198円だとか298円のように8で終わる価格ばかりだ。米国では9.99ドルのように9が多いのに。日本人にとっての8の良さ、それは何か?
こうした数のサブリミナル効果を徹底的に研究した数詞の認知心理学的文化論。数詞のマーケティングに踊らせられたくない人、逆に人々を踊らせたい人にも役立つ知識満載。
・欧米人が円周率を暗記する方法は?
・スポーツの表彰台はなぜ三位までなの?
・ヤマタノオロチの首は本当は何本?
・「四捨五入して40歳」がショックな理由は?
・4択問題で「正解」が多いのは何番なの?
・「千の風になって」が「万の風になって」だったらヒットした?
・いちばん記念日の多い日は何月何日?
・「虹の色が7色」って世界の常識じゃないの?
・大相撲の土俵が女人禁制になった「奇数」な理由って?
勉強になった。子供のころからの疑問が氷解した。
いち に さん し ご ろく しち はち きゅう じゅうという数詞。4は「し」とも「よん」ともいう。7は「なな」とも「しち」ともいえる。このふたつの数字だけ呼び名が2種類あって不便だと思っていた。それに1,2,3とカウントアップするときはどちらの呼び方でもありなのに、カウントダウンするときは必ずじゅう きゅう はち 「なな」 ろく ご 「よん」 さん に いち になる。なぜなのか、という不思議だ。
和語と漢語が混在していることに原因があるのだがさらに追究していくと、和語数詞の音韻体系に隠された巧妙な数学的からくりが幾つも存在している事実がわかってくる。日本語の奥深さにうならされた。詳しく知りたい人は本書を読んでください。
ところで、かなり数字の認知心理を網羅したように思える本書にもない観点を私としては、持ち込んでみると、こういうのもあるよね。
2の乗数に過剰に反応する人がいる。IT業界系の人たちだ(含む私)。われわれは原則的に物事をビット的に考えるせいか、2,4,8,16,32,64,128,256,512,1024が大好きだ。普通の人たちにとっては100番や1000番が"キリ番"なのだけれど、われわれは128番や1024番も吉している。この文化はコンピュータあるところ世界共通のはずなので、地域に限定された「末広がりの8」や「不吉な13」なんかより、よっぽどユニバーサルな文化なのではないだろうか。整理番号が偶然64だったらニヤッとしちゃう人が世界中に何億人もいるはずなのである。
THE SECRET LIVES OF NUMBERSというサイトがある。Webの検索エンジンで1から10万までを順番に検索して、検索結果数をグラフ化したものだ。人間があらゆるシーンで使う数字の統計である。
・THE SECRET LIVES OF NUMBERS
http://turbulence.org/Works/nums/

やはり1から10までの利用回数はダントツに多い。そして基本的には50、100、1000ようなキリのよい番号が高い山になっている。その間に12と24だとか、95、96、97、98、99まで(西暦の下二桁として利用か?)などの利用頻度の高い数字が散見される。2の乗数を確認してみると、全体の中で突出しているわけではないが、ほぼ確実に前後の数字よりも高くなっているのであった。

心理セラピー手法のひとつ「論理療法」の入門書。
私たちは日常、いやな気分を活性化するイベント(Activating Event) があって結果(Consequence)があると考えがちだ。たとえば、出来事A(失敗・陰口) → 結果C(落ち込み・腹立ち)ということがあると、落ち込みの原因は失敗や陰口のせいだと思いこむ。この思考では原因となる出来事を変えないと結果が変えられない。現実生活ではそれは難しいことが多いから悩むわけだ。
論理療法のABC理論では、この関係を見直す。AとCの間にB(Belief)を挟む。
出来事A → 考え・ビリーフB → 結果としての感情C
「よくない出来事と感情の間に、その出来事に対する受け止め方・考え方というものがあり、それが感情的な反応の違いを生み出している」というとらえ方に変える。だから、自分を落ち込みやすい困った性格から、強くて穏やかな性格に変えれば、いやな気分にはまらなくてすむと考える。
論理療法の創始者エリスは「ねばならない」「であるべきだ」「であってあならない」「はずがない」という非合理な思い込み(イラショナル・ビリーフ)が、不健康な否定的感情につながると指摘している。「絶対にうまくやらねばならない」、「私の人生は完璧であるべきだ」、「こんな不公平があってはならない」という思い込みが、いやな出来事Aをいやな気分に変換してしまうことが問題だとする。
そこで、論理的な対話型セラピーによって、イラショナル・ビリーフを解消していくのが、論理療法である。たとえば「私はまったく無力です」という人には「歩いてここまで来られたのですから、歩行能力があるんですよね?」に始まって、ご飯を食べたのだから咀嚼力も消化力もあるし、目が見えているから視力もあるじゃないですかという風に反論していく。
「人間の心はとてもおもしろいもので、「自分は無力だ」と考えると、無力感が襲ってきます。「微力だとしても、力はある」と考えると、少し力が涌いてきます。そしてよけいな「微」ということばは省略して、「私には力がある!」と言い聞かせると、ふしぎなことに元気が出てきます。」
論理療法には、フロイドやユングの心理学のような無意識・潜在意識の話が出てこない。思い込みの内容を意識して言葉として表出させて、論理的な説得を繰り返すことで、感情の自己コントロールが可能な性格に変えようとする。ポジティブ・シンキングに似ているが、こちらはすべての負の感情を除去しようとするものではない。
以下のような否定的な感情と健康的な感情のリストが掲載されていた。

このうち否定的な感情を取り除いた上で、ポジティブシンキングを取り入れる下地作りをするのがこの心理療法らしい。実際の対話例(ひとりでもできる)がいっぱい掲載されているが、どれも論理的な道筋をたどっていくと、ポジティブに考えることが自分にとって最善の道であるということが、ロジックとして明確になる。
本当にうつの人をこの療法で治せるかはわからないが、ちょっといやな気分になった自分を、どう自身で励ますべきか、わかりやすい考え方を教えてもらった気がする。
もうすぐ今年も11月だ。子供の頃はあんなに1年が長かったのに今はあっという間だ。
大人になると子供の頃に比べて時が経つのが早くなる。これは万国共通の実感のようだ。実験室でも検証されている。数十秒から数時間という経過時間を被験者に評価させると、加齢に従い短い時間を報告するという事実があるという。なぜ年を取ると時が経つのが速いのか、なぜ楽しい時間は退屈な時間よりも短く感じるのか。実験心理学を専門とする著者はこの時間の知覚の謎に迫った。
時間評価に影響を及ぼす主な要因としては次の4つが挙げられていた。
・身体の代謝
代謝が高まると時間をゆっくりに感じる。1日の内でも代謝の関係で午前がゆっくりで午後が速く感じられるものだそうだ。代謝は加齢に伴い低下する。年を取るほど時間経過を速く感じる一因。
・心的活性度
緊張や興奮によって時間経過は速く感じられる。実験ではクモ恐怖症の人をクモと一緒の空間に閉じこめると時間が長く感じられたそうだ(凄い実験だ)。
・時間経過への注意
時間を気にすると長く感じられる。時間経過への注意が時間を分節化してしまい、分節化された時間帯の数を多く感じることで、長いと感じるのではないかという仮説がある。
・他の知覚様相の状態
広い空間では時間はゆっくり。刺激が多い時間は速い。受け取る情報に脈絡やまとまりを感じていると速く感じる。
著者は視覚や聴覚の錯覚を研究している。この本にも興味深い事例が多数掲載されている。目や耳で感じる印象と物理的実在のずれは案外に大きいことがわかる。そして時間感覚のずれも錯覚の一種としてとらえようとしている。今後、研究が進んでいけば、錯視パターンのように、人間の時間経過を操作する技術が発見できるのかもしれない。
それからとても気になったのは人間には心地よいと思える「精神テンポ」が備わっているという話。個人差があって0.4秒から0.9秒の間にあり、歩くペースや会話の間合いなどと正の相関があるという。私は歩くのも話すのも速い方なのだが、やっぱり、せっかちということなんだろうか。
この本は読書時間が短く感じられた。つまり面白い本だった。
・5秒スタジアム
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/08/5-7.html
・マインド・タイム 脳と意識の時間
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005226.html
・「時間」を哲学する―過去はどこへ行ったのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/2004/07/post-110.html
自己評価について総合的、徹底的に理解することができる充実した内容。自己分析、恋愛、結婚、子育て、友人関係、仕事などに役立つ知識がたくさんみつかった。
自己評価とは、
・自分を愛する
・自分を肯定的に見る
・自信を持つ
の3つの要素の複合体であると著者は定義する。わかりやすく公式にすると
自己評価の栄養源=愛されているという気持ち+能力があるという気持ち
ということだ。そして自己評価は高い/低いという軸と、安定/不安定という軸をもつ。何がこの自己評価の状態に影響をもたらすのか、有名な自己評価についての理論が整理されている。
1 成功と願望の関係
成功に満足できるかどうかは望みの高さと関係がある。自己評価=成功/願望
2 投資理論
自己評価の高い人は積極的に行動して成功しますます自己評価を高める
3 鏡映的自己
他者が自分のことをどう思っているかを推測して自分のイメージをつくる
4 理想と現実の関係
自己評価は理想と現実の差がどのくらいあるかで決まる
自己評価は人間の行動に大きく影響する。人間関係をつくっていく過程では、自己評価は相互的な問題になる。特に恋愛は自己評価の相互的なせめぎあいのシーンである。多数の男女が参加するお見合いパーティで仮想の相手の判断を受ける実験の話が興味深い。
「相手の自分に対する評価を自分自身の評価に比べて<かなり高い><少し高い><同じくらい><少し低い><かなり低い>の五段階に分けた時、遊びの恋(この人とアヴァンチュールを楽しみたい)については<かなり高い>を選ぶ人が多かったものの、長続きさせたい関係(この人と真剣な交際がしたい)については<少し高い>を選ぶ人がいちばん多く<かなり高い>は<同じくらい>よりむしろ少なかったのである。」。
遊びの恋と長続きさせたい関係では男女の選択基準が違っている、ということだ。つかのまの関係では相手に自分に対する高い賞賛を求めるが、永続的関係では本当の姿の理解を求めるのである。つまり、二枚目で能力もある完璧な人は永続するパートナーとしては敬遠されることがあるということであり、三枚目にもチャンスがあるということになる。
自己評価は常に高ければ高い程よいわけではないと著者は結論している。自己評価の低い人のほうが、自己評価が高い人より親しみやすく他者と協調が成立しやすいという面もあるからだ。しかし、現代社会では一般に自己評価は高いことがよしとされている。
「社会にはそれぞれ<暗黙の理想>というものがある。物質文明を中心に据えた競争社会、すなわち私たちの社会では、その<理想>は政界や財界の指導者のイメージである。野心的で、一度目標を決めたらあくまでもそれに邁進する。成功のためならあえてリスクを冒し、他人に対する説得力にも富む。つまり自己評価の高い人のイメージだ。マスコミもそういった人物をもてはやす。要するに、私たちの社会ではたまたま自己評価が高いことが理想とされているだけなのである。したがって、<自己評価はどうしても高くなければならないのか?>と問われたら、その答えは否である。」
この本には、読者の現在の自己評価の高さ判定と、それを変化させるべきかどうかの判定ができる2つの質問リストがついている。(私は全般的に自己評価が高いが世間の目を気にしすぎる面がある、結論としては特に変化させる必要はないという結果になった。)。
変動する自己評価はサーモスタットのようなものだという。
「自己評価というものは自然のままに放っておくと、日常生活の小さな出来事によって多少の変動はあるものの、結局は最初のレベルにとどまる傾向にある。」
積極的に行動を起こして肯定的に結果を受け止めることで、自己評価の循環構造を高い方に変えることができる。しかしポジティブシンキングはいきすぎると破綻する。ほどほどの高さで安定させるのがうまく生きるこつのようである。
このほか、この本は内容が実に幅広い。自己評価の高い人は何かに成功した後に友達に連絡をとる、自己評価の低い人は失敗した後に連絡をとる。長子は保守的で次子以降の子は革新的な傾向がある、などトリビアも面白かった。
・ステータス症候群―社会格差という病
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/11/post-661.html
・自己コントロールの檻―感情マネジメント社会の現実
http://www.ringolab.com/note/daiya/2004/03/post-60.html
・もうひとつの愛を哲学する―ステイタスの不安
http://www.ringolab.com/note/daiya/2005/12/post-331.html
不妊治療を受けている女性を二つのグループに分け、一方のグループは他者からの祈りを受ける、他方は受けない。被験者及び現場の治療スタッフはこの実験が行われていることを知らない。二つのグループの妊娠率を計測した。すると「実験の結果は驚異的だった。祈りを受けた女性群の妊娠率は、受けなかった女性群の二倍に近かった。数値はそれぞれ50%と26%で、このようなことが起こる確率は0.0013未満。非常に意味のある統計差だ」。
こんな実験もあった。被験者を画面の前に座らせて好きなときにボタンを押させる。すると数秒後にランダムに「感情的を揺さぶる写真」か「静かな写真」が表示される。被験者は手に電極をつけて生体反応を計測される。「これまでの実験には131人の参加者がいましたが、それで判明したのは、感情的な写真を見る前は、静かな写真を見る前よりも、わずかに汗をかく量が増えることです」。こうした実験では、その予知のタイミングを調べると、コンピュータが乱数発生回路を使って、次に出す内容を決める前に、生体反応が検出されるという。
著名な心理学者が、祈りの効果、虫の知らせ、ジョー・マクモニーグルらの未来予知、行方不明者や遺失物を発見するダウジング、テレパシーなどの超常現象を徹底分析する。昔から科学者によってこうした実験が行われてきたが、多くの驚異的な結果報告は、非科学的であるとされて科学の表舞台に出る前に排斥されてきた事実を著者は事例を多数挙げて解説する。
心理学者が書いた本らしい興味深いロジックがあった。それはゲシュタルト認知のあり方を、科学と超心理学の関係になぞらえた次のような記述だ。(認知心理学の実験でよく使われる、見方によって複数の解釈ができる影絵が挿絵にある。)
「もう一つ、ゲシュタルト心理学者によって明らかになったことがある。それは見える絵......たとえば杯か横顔か......を切り替えるのは、慣れれば上手くできるようになっても、両方を同時に見ることはできない、ことだ。つまり、杯と横顔は同時に前景にはなり得ない。一つの見方で知ったこと、もう一つの見方で知ったことを統合できれば役立つことがわかっていても、同時に二つを見るように知覚を働かせることはできない。」
異なる宗教を持つ人の世界理解にも同じことが言えそうである。ある世界観を持つということは、別の世界観を見えなくしている。重要なのは二つの世界観が両立するメタ世界観を確立すること、二つの見方ができる眼を持つことだ。
超能力や超常現象の報告を詳細を調べもせずにすべてナンセンスだとして排斥してしまうのは、合理的、科学的な考え方とはいえないと思う。99%以上はナンセンスなのだろうけれども、科学の歴史は本流の科学者の考え方を異端とされていた研究がひっくり返す歴史でもあった。
あとがきで訳者がこう書いている。「ある面で、これに不思議はないかもしれない。なぜならテレパシーや予知、透視や念力などの体験は、人類に共通しており、古今東西、あらゆる文化圏において普遍的に報告されているからだ。」。
・幽霊を捕まえようとした科学者たち
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005228.html
社会的に中堅になるとペラペラ自己主張をしゃべることが必ずしもプラスに評価されなくなるものだ。実力も実績もあって当たり前。安定や落着きこそ求められる。この本は静かなカリスマが持つオーラ「サイレント・パワー」とは何か、どうしたらそれを身につけられるかを語る、スピリチュアル要素50%の指南書。
他人と違う雰囲気、自然に惹かれる魅力を持った人は何が違うのか。それはまず心の持ち方が違うのだ、寄りかからないことが大切なのだと著者は次のように最初のステップを教える。
1 自分のものでないものに寄りかかるのを止めること
2 未来に寄りかかって、いつも先のことばかり話すのをやめること
3 他人に何も要求しないですむような人生を設計しよう
そして寄りかからないためには、個人的なことはあまり詳しく人に話さないようにすること、心理的に相手の下に入るようにしてみることが重要なのだという。
「だから、人と張り合わないように、会話に気をつけることだ。誰かがフランス旅行に行った話をしてきたとしよう。もしあなたがフランスに二十年間も住んでいたことがあったとしても、そのことは口にしないことだ。ただ、相手の話を聞けばいい。そう心がけることで、あなたはだんだんと、人の下に入る会話スタイルを身につけることができるようになる。」
ただのしゃべらない人と、サイレントパワーのある人の違いは、内に秘めたエネルギー量の違いらしい。この本ではスピリチュアル用語の「エーテル」として説明されている。科学的にはともかく、自信があるかないかは、しゃべろうがしゃべるまいが自然に態度に現れてくるというのはわかる気がする。
「最大の防御は、他人に対する批判や判断をできるだけ控えることだ。恨みや、憎しみ、反感を持たないようにしよう。防御すべきものを持たないことこそ、最大の防御だ。」
隙をなくして、ゆったりと構えよ、そういう人にサイレントパワーは備わるということみたいだ。「カリスマ性」という言語化しにくいものを、感覚的にとらえることができる面白い本である。
交通事故はなぜ起きるのか、事故を起こしやすい人とはどんな人か。著者自身と世界の学者の近年の研究成果を多数引用しながら、交通心理学者として科学的に結論できることを書いている。
運転者には事故を繰り返す事故多発者というグループが存在するそうだ。
事故多発者には以下の特徴がある。
・安全への動機づけ(価値観)が低い
・注意がうまく機能しない
・隠れた刺激を見つけない(危険の予兆の発見ができない)
・自己認知が的確でない
・反応が突出する
こうした事故多発者は適性検査によってある程度事前に判別できるという話が興味深かった。適性検査は「なにを計測しているのかわからない」という批判がなされるにも関わらず、なにかを計測しており、判別結果に有意性が見いだせるというのだ。
「事故に好かれる状態は人生のある一定期間持続することがある。自己多発者は、車社会に参加する際の安全への動機づけが希薄な人である。自己を避けるためには危険をあらかじめ察知し、回避できなければならない。そうであらねばならないと思っても、なにしろ人間は言行不一致で、合理性は徹底しない。さまざまな危険に同時に遭遇したときに、注意の配分バランスが崩れたり、反応の一部が突出する。いつのまにか認知や反応に偏りが生じることがある。それを防ぐには、絶えず自己モニター機能を働かせ、自分の状態を監視する必要がある。そうでないと事故に好かれてしまう。」
事故に好かれる一定期間を経過すると、事故を起こさなくなったりするそうである。毎日長時間車に乗るタクシー運転手を調べたところ、少数特定の運転者に事故が集中していることがわかった。長期の調査を行ったところ、事故多発の傾向は、一生継続するわけではなく、数年間程度の持続した後に、事故を起こさなくなるものらしい。
そして、事故の当事者になりやすい(事故に好かれる)人は若者、女性、老人である。特に10代の事故が突出して多い。他の年齢層の倍以上である。
「年齢と性とで区切った免許人口のなかから、死亡事故の第一当事者となった人がどれだけでたかの発生率が死亡事故惹起率である。有責死亡事故率という呼び方もある。各カテゴリーの死亡事故の件数を免許保有者の人口で割って、免許保有者一万人当たりの死亡事故の発生件数としたのが図中の縦軸(死亡事故惹起率)である。たとえば十八〜十九歳の男性の免許保有者一万人のうち八人弱が死亡事故を起こしたということになる。」
若者の死亡事故惹起率は世界で共通して高く、その理由に俗説は多いが、科学的にはわかっていないと著者は正直に述べている。この本全体を通して、著者は統計や実験から、科学的に結論できることを慎重に選んで結論を述べているところが、良印象をもてた。事故の調査分析の手法を知る上でも参考になる点が多い本だ。
・超常現象をなぜ信じるのか―思い込みを生む「体験」のあやうさ

UFOや超能力を信じていなくても、占いやジンクスは信じている日本人が多い。テレビでは毎朝、星座占いが放送されているし、大安吉日には結婚式が多い。60年周期の丙午の年に生まれた女性は夫を食うと言われて出生数が減少する。前回の1966年の丙午は出生数が27%も減少したそうだ。その前の1906年(明治時代)には減少は12%だったそうだから、科学的教育が行き届いた現代の方が迷信を信じてしまったことになる、と著者は述べている。
テレパシーは存在するか、生まれ変わりはあるか、死者の霊は存在するか、という超常現象に関する調査を大学生向けに行うと多くの項目に肯定的な回答が集まった。文系よりも理系の方が超常現象を、科学的推論の帰結として肯定する学生が2割も多かったらしい。不思議現象を信じる心理は、無知や教育の欠如から生まれるとは限らないのである。
「不思議現象を実際に体験することこそが、確信とも言えるほど強力な信じ込みを生みだすことがある」と著者はその超常現象信仰の原因を指摘する。そして、視覚の錯誤、認知の錯誤、記憶の錯誤、推論の誤り、不思議を信じたがる心理など、人間が、何らかの体験から、超常現象を信じ込んでしまう理由を、わかりやすい例をたっぷりと挙げて説明してくれる。
認知バイアスの話が面白かった。
「私たちは、目立ったことが二つ続けて起こると、単にその二つのできごとが目立つという理由だけで、両者の間に関連性があると判断することがよくあるのです。」
「人やできごとなどを集合で考えたときに、多数の要素が備えている特徴に比べ、少数の要素に特有な特徴はより目立って認知されます。」
「治療した、治った、ゆえに治療に効果があった」というロジックで治療を評価することは「三た論法」と呼ばれて厳しく戒められています。」
つまり、私たちは普段は合理的に考えていても、日常体験の中で起こる珍しい出来事があると、起こりやすさの確率の見積もりに失敗しやすいということなのである。たとえば、ある人が夢の中に出てきて翌日にその人が死ぬということは、確率的には大都市では毎晩何件か発生する。たまたま自分がその体験者になると「夢のお告げ」だと信じやすい。夢は見たが何も起こらなかった大多数の事例は、注目されることがないので、なかったことになる。
「しかしもうおわかりのように、幸福グッズを買ったから幸せになれたと言いたいのなら、つまり両社に因果関係を主張するのなら成功した例をいくら並べてもあまり意味はないのです。正しく判断するために必要なのは、買ったけれども幸せにならなかった人、買わないけれども幸せになった人がどれくらいいるのかについての分割表です。残念ながら、こうした情報が掲載されることはまずありません。」
そういった知覚や認知、思考の錯誤は、ありがちなことをすばやく推測することで、日常生活をうまくやるために発達してきたものらしい。日常的な問題は「治療した、治った、ゆえに治療に効果があった」で思ったことが当たりなことが多いわけだ。
で、思うのだが、人間が感じる幸福感というのも、同じような錯誤の一種である可能性もあるのじゃないかと、ふと考えた。運命の人と出会って結ばれた人生、九死に一生を得た人生、稀に見る波瀾万丈の人生。人生のドラマを感じる心は、冷たい確率計算を超えたところにあるし、そう思うことが生きる知恵のような気もする。「ありがたい」ことをたくさん感じるために、こういった欠陥が人間にビルトインされているのかもしれない。
著者は必ずしも超常現象を否定しているわけではなく、「私は体験したのだから、不思議現象(霊でも超能力でも)はたしかに存在するのだ」と考えるとしたら、その考え方が誤りだと」いう。知覚や認知の錯誤、思考バイアスの事例が満載で、面白く読み進められる本である。
・フィールド 響き合う生命・意識・宇宙
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002668.html
・科学を捨て、神秘へと向かう理性
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・人類はなぜUFOと遭遇するのか
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・脳はいかにして“神”を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス
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・霊はあるか―科学の視点から
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・科学は臨死体験をどこまで説明できるか
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