Books-Psychology: 2004年9月アーカイブ

占いの力

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占いの力
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■疑われながらも受け入れられている占い

90年代後半、インターネットの占いコンテンツの供給で一儲けした人がいると聞く。バイオリズムや四柱推命の簡単なアルゴリズムを使って、運勢の浮き沈みの波にあうように、各タイプの365日分のテキストを作成し、それを○○占いのテーマに合わせて書き換える。これだけでも、コンテンツを探していたサービスプロバイダー企業にずいぶん売れた、らしい。占いは単独コンテンツとしても使えるし、各種サービスメニューの一つとしても、手ごろであることが、受けた理由のようだ。

朝のテレビ番組でも、ニュースや天気予報と並んで今日の運勢のコーナーが堂々と存在していたりする。公共電波を使って当たるも八卦、当たらぬも八卦の情報を流してよいのか?とは誰も問題にしない国である。だが、占い師を職業とするもの以外は、占いを科学とは言わない。外れても訴える人はまずいない。それが怪しげな知識だとは認識されていながら、同時に広く受け入れられている。占いを信じる層も幅広く、高名な経営者も占いを信じていたりする。井深大、本田宗一郎、松下幸之助らも占いやオカルトが嫌いではなかったという。

この本は、古今東西の占いに触れながら、現代における占いの流行の構造を探る。対象は血液型占いや性格診断や風水までも含む。かなりお気楽な文体で書かれており、冗長な部分もあるのだが、現代人の占い人気を考えるのに面白い記述がある。

■アブダクションと物語発生装置としての占い

この本によると、占いには大きく3タイプがあるそうだ。

命占 誕生の時を軸に運命を解明する、四柱推命、占星術など
相占 万物の形象に宿るメッセージを読み解く、手相、姓名判断など
卜占 道具を用いて天意を読み解く、易、タロット、トランプ占いなど

そして、どのタイプも、

天意→占い師→私

という流れでメッセージが伝わる。天意はそれ相応の専門家でなければ読み取ることができないのがポイントである。一般人は本を読んで占星術のホロスコープやタロットカードの組み合わせを作ることはできても、その図柄を解釈することができない。

そして、占い師→私においては、誰にでも当てはまる上に受け入れられやすい記述が渡される。「誰にでも楽しんでもらえる」を売りにした実在のサーカス団の名前を取って「バーナム」効果という心理用語があるそうだ。万人が受け入れてしまうメッセージのこと。人間は誰しも人と違う自分を認めてもらいたいと思っている。そうした心理を突いたメッセージで、これって私のことかもと思わせるのが占いの巧妙さであるとする。

面白かったのは占いはアブダクションだとする著者の考え。

演繹法では、

(ルール)赤いものを持っていると幸せになる
(実例)赤いものを身につけていた
(結果)幸せになった

の順序であるが、これでは説得力に欠ける。赤いものを持っても良いことがなければ、信用度が落ちる。

帰納法では、

(実例)赤いものを身につけていた
(結果)幸せになった
(ルール)赤いものを持っていると幸せになれる

となる。が、これでは、実例と結果の間の推論がどう考えても不自然に思われる。

だが、あらかじめルールを暗示しておいた場合、

アブダクションでは、

(ルール)赤いものを持っていると幸せになる
(結果)幸せになった
(実例)赤いものを身につけていた

という構造になる。たまたま、幸せになった人たちが、予め暗示されたルールを、因果関係として推論することで、納得してしまうという説。後だしジャンケンみたいなものだが、これが占いの本質であるとする。

今流行しているオカルトの多くは実は近代になって流行したものであると著者は言う。科学を強く意識すればするほど、それが扱えない事象が気になる。オカルトは荒唐無稽なようでいて、(しばしば飛躍した)論理で原因と結果の因果関係を物語る、物語発生装置なのだというのが著者の結論である。

インターネットサイトでも相変わらず占いや性格診断は人気が高い。ひとつには、コミュニティで転送して楽しめるのが原因であるようだ。この本のエッセンスから、転送されやすい、増殖されやすい占いを開発して一儲けたくらんでみようか。

嫉妬する人、される人
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日本社会では、一人の人間が権力や富、名声のすべてを手にすると、必ず周囲の嫉妬によって没落する。実権を握ったら表に出るな、どこか一つ欠けた部分を持て、お金を扱うと嫌われるぞ、などの処世術を教える本。

タテマエとして実力主義が根付いてきたとはいえ出る杭を打つ人が絶えない日本社会。出世、成功したければ、上役や権力者に睨まれないように、力のないうちは細心の注意を払いなさい。抜擢昇進や特別な便宜供与の話があっても、軽々と乗ったら、後が怖い。権力を手にしてからは欲張り過ぎないように気をつけなさい。すぐにライバルや民衆があなたを引きおろす。それは日本史を振り返ればすぐにわかるのだ、というのが、この本の趣旨。

昔の日本の政治は、天皇、摂関、執権、将軍と多重構造を形成していた。これも一人にすべてが集まることを妬み嫌う日本社会の性質の反映であり、天皇家がもし武装していたら、ここまで長く続かなかっただろうと著者は分析する。

源頼朝は権勢を誇っても当時「稲作奨励団」程度の肩書きであった征夷大将軍を名乗った。決して天皇に取って代わろうとはしなかった。家康の家来、本多正信は有能であったが故に、二万二千石の領地にとどめ、一切の加増を受けなかった。力を持って睨まれるのを避けることで、長く重職を続けることができた。

北条泰時は御成敗式目を発表するにあたって、過去の法律を改定しなかった。古い法を作った人たちの面子をつぶさないためである。実は日本は開闢以来、国法を改定したことがないそうだ。常に憲法に当たるものは、古いものを改定ではなく棚上げして作られるのだという。こうしてできた御成敗式目は、大日本帝国憲法発布までの600年間も有効なままだった。

こうした事例が近代までいくつも紹介される。

著者の少し保守的で伝統的態度を嫌う人も多そうだけれども、嫉妬心を持った上役の心は変えようがないわけだから、お互いが気持ちよく過ごすには、やっぱり、気をつけたほうがいいだろう。良き意図で大志をなしとげたい人に必要なプラグマティズムの一種でもあるような気がしている。

市場を動かす競争原理の大きな原動力も、経営者同士の嫉妬心が、実のところ、少なくないだろう。以前の起業会議でデジハリ社長の藤本氏が起業家へのアドバイスとして「成功した人の近くに行って、自慢話を聞いて影響を受ける(時に悔しがる)のもいい」という趣旨の発言をされていた。敢えて嫉妬しにいけ、闘志を燃やす精神も必要だということだろう。

ネガティブにとらえられがちな嫉妬心だが、実はそのドロドロが、ポジティブパワーの源泉ともなりうると、著者も肯定的にとらえてもいる。

嫉妬心の強い東洋世界、論語や仏教の教えには、規範に照らして誰かひとりが圧倒的に正しいことを認めない知恵があると評価される。釈迦の教えを伝承した弟子たちはそれぞれ異なる教えを広めたが、釈迦的には全て正しいと認めた。東洋の社会は、皆が正しい、あるいは、民衆の言うことが正しいとすることで皆が救われる、共存共栄の思想があるとも言える。

西洋のように、唯一神の言うことが正しいだとか、聖書に書いてないからダメ、審判の日に勝ち組、負け組みがはっきりします、とは言わない。その結果、権力や富の独占が避けられ、大規模な衝突が少なくてすむ。嫉妬心の強い国民文化も、少ないリソースを共有して、共存するには必要な原理であったのかもしれないと思った。

しかし、中途半端に西洋化、近代化された教育を受けてきた私たちは、出る杭が打たれること、年功序列の待ち行列に並ばされること、自分は正しいのにコドモだと言われることを不合理だと感じる。西洋と東洋の原理の裂け目に挟まれてしまった時代に、生きているのだなと思う。だから迷う。

ごく少数のエリートが権力と富と名声を独占支配することへのブレーキとして嫉妬心と足の引っ張り合いがあるのだとすれば、私たちは嫉妬心を再評価してもいいのかもしれない。

不均衡なパワーバランスで成り立つ国際社会においても、貧しい国が富める国に嫉妬している。日本の高度成長は欧米に遅れているという嫉妬心が牽引していた。逆に、今は嫉妬される位置にある。集まる嫉妬心をどう制御して、正の方向へ向かわせるかが、課題なのだとも言える。

後半では、現代の日本を生きるにあたって、どう心得るべきかの処世術のまとめ、日本社会への提言がまとめられている。

歴史上の武将や政治家、経営者の例が多数あり、歴史好き、歴史小説好きは特に楽しめる。

Passion For The Future: 「おしゃべりな人」が得をする おべっか・お世辞の人間学
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001413.html