Books-Psychology: 2005年5月アーカイブ

・ヒトはなぜペットを食べないか
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今日の日本では全世帯の36.7%で何らかのペットを飼っている。そのうちイヌは64%、ネコは27%。

■「食べてしまいたいほど可愛い」

前半のイヌを食べた人々、ネコを食べた人々の章では、古今東西の歴史を振り返り、多数の実例が紹介されている。日本でも中国でも西洋でもイヌはかなり食べられていた。ネコもイヌほどではないが料理されていたことがわかる。タヒチではイヌを女性が可愛がりながら母乳で育てるケースもあったが、これもやはり食べてしまう。母乳で育てたイヌは肉が柔らかくておいしいのだそうだ。

韓国でも犬料理は伝統らしいが、近年はオリンピックやワールドカップの度に、海外の野蛮だという批判を避けるため、期間中、大通りの店舗は営業自粛しているらしい。

犬料理情報ページもある。

・le gastronomique de chien 〜犬料理大全
http://kurumi.sakura.ne.jp/~yen-raku/chien/
「このWebは、食材としての犬の魅力を、余すところなく伝えるページです。」
「犬食体験談 犬を食べた方々からの投稿です。」

まだ結構食べられているわけだ。中国でも周恩来は大の犬食好きで田中角栄と犬料理三昧を楽しんだのだ、とか。

そして、続く第3章は「ペットを愛した人々」。これはペットを性的に愛してしまった人々の話ですなわち獣姦の歴史である。世界の神話の中で人間はしばしば動物と結婚している。日本でも私たちの先祖はヘビやワニと積極的に交合している。聖なる動物は神であり、神と結ばれることで、生命力を受け継いだり穢れを浄める意味があったと言われる。

ヒトと動物がシームレスにつながっている時代というのがあった。しかし、近代に入ってペットという概念が生まれて、人はイヌやネコを食べたり、動物と交わったりしなくなった。タブーになった。

■性と食のタブーは同じ、ペット食は近親相姦

では、このタブーの正体とは何なのか。著者はこんな表で説明している。

AAで非A非A
性文化エゴ近親他人
食文化ヒトペット野鳥獣


自己=人間に近く親しく類似していればいるほど、タブーが強くなるということは、つきつめて考えると、性の領域では自分自身だけを愛する<自愛>を禁止し、食の領域では自分自身を食べる<自食>を禁止していることになるだろう

食べてしまいたいほど可愛いと思う感情は、食と性の欲望が同じ源に発しているのだとする。そして、自分自身でも他人でもない境界線上にいるペットを食べてしまうのは近親相姦と同じという論理だ。

しかし、近親相姦の範囲が文化によって異なるように、タブーの範囲は文化によって異なる。普段はタブーであるが故に、逆に祝祭や儀式などハレの日だけは食べるという文化もある。

最近ではソフトウェアとして動くペットや、AIBOのようなロボットも登場している。インタラクションが巧妙で、機械とはいえ情が移り、動物のペット同様に感じる人もいるだろう。そうなると電子ペットもあっさりデスクトップのゴミ箱に入れたり、廃棄したりできなくなる。バーチャルワールドでも将来、タブーが発生する可能性はあるのではないか。電子ペットを捨てると電子動物愛護協会から非難されたり、隣人に白い目で見られたりするようになるかもしれない。

20年後くらいに、

「いやあ、昔は電子ペットなんて飽きたら捨ててましたよ」

などと言ったら、かつてペットを食べていた人と同じ扱いになるのかもしれない。その頃には「なぜ人は電子ペットを削除しないか」などというタイトルの研究本が出版されていたりして。