Books-Psychology: 2008年9月アーカイブ

・自己評価の心理学―なぜあの人は自分に自信があるのか
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自己評価について総合的、徹底的に理解することができる充実した内容。自己分析、恋愛、結婚、子育て、友人関係、仕事などに役立つ知識がたくさんみつかった。

自己評価とは、

・自分を愛する
・自分を肯定的に見る
・自信を持つ

の3つの要素の複合体であると著者は定義する。わかりやすく公式にすると

自己評価の栄養源=愛されているという気持ち+能力があるという気持ち

ということだ。そして自己評価は高い/低いという軸と、安定/不安定という軸をもつ。何がこの自己評価の状態に影響をもたらすのか、有名な自己評価についての理論が整理されている。

1 成功と願望の関係
 成功に満足できるかどうかは望みの高さと関係がある。自己評価=成功/願望

2 投資理論
 自己評価の高い人は積極的に行動して成功しますます自己評価を高める

3 鏡映的自己
 他者が自分のことをどう思っているかを推測して自分のイメージをつくる

4 理想と現実の関係
 自己評価は理想と現実の差がどのくらいあるかで決まる

自己評価は人間の行動に大きく影響する。人間関係をつくっていく過程では、自己評価は相互的な問題になる。特に恋愛は自己評価の相互的なせめぎあいのシーンである。多数の男女が参加するお見合いパーティで仮想の相手の判断を受ける実験の話が興味深い。

「相手の自分に対する評価を自分自身の評価に比べて<かなり高い><少し高い><同じくらい><少し低い><かなり低い>の五段階に分けた時、遊びの恋(この人とアヴァンチュールを楽しみたい)については<かなり高い>を選ぶ人が多かったものの、長続きさせたい関係(この人と真剣な交際がしたい)については<少し高い>を選ぶ人がいちばん多く<かなり高い>は<同じくらい>よりむしろ少なかったのである。」。

遊びの恋と長続きさせたい関係では男女の選択基準が違っている、ということだ。つかのまの関係では相手に自分に対する高い賞賛を求めるが、永続的関係では本当の姿の理解を求めるのである。つまり、二枚目で能力もある完璧な人は永続するパートナーとしては敬遠されることがあるということであり、三枚目にもチャンスがあるということになる。

自己評価は常に高ければ高い程よいわけではないと著者は結論している。自己評価の低い人のほうが、自己評価が高い人より親しみやすく他者と協調が成立しやすいという面もあるからだ。しかし、現代社会では一般に自己評価は高いことがよしとされている。

「社会にはそれぞれ<暗黙の理想>というものがある。物質文明を中心に据えた競争社会、すなわち私たちの社会では、その<理想>は政界や財界の指導者のイメージである。野心的で、一度目標を決めたらあくまでもそれに邁進する。成功のためならあえてリスクを冒し、他人に対する説得力にも富む。つまり自己評価の高い人のイメージだ。マスコミもそういった人物をもてはやす。要するに、私たちの社会ではたまたま自己評価が高いことが理想とされているだけなのである。したがって、<自己評価はどうしても高くなければならないのか?>と問われたら、その答えは否である。」

この本には、読者の現在の自己評価の高さ判定と、それを変化させるべきかどうかの判定ができる2つの質問リストがついている。(私は全般的に自己評価が高いが世間の目を気にしすぎる面がある、結論としては特に変化させる必要はないという結果になった。)。
変動する自己評価はサーモスタットのようなものだという。

「自己評価というものは自然のままに放っておくと、日常生活の小さな出来事によって多少の変動はあるものの、結局は最初のレベルにとどまる傾向にある。」

積極的に行動を起こして肯定的に結果を受け止めることで、自己評価の循環構造を高い方に変えることができる。しかしポジティブシンキングはいきすぎると破綻する。ほどほどの高さで安定させるのがうまく生きるこつのようである。


このほか、この本は内容が実に幅広い。自己評価の高い人は何かに成功した後に友達に連絡をとる、自己評価の低い人は失敗した後に連絡をとる。長子は保守的で次子以降の子は革新的な傾向がある、などトリビアも面白かった。

・ステータス症候群―社会格差という病
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/11/post-661.html

・自己コントロールの檻―感情マネジメント社会の現実
http://www.ringolab.com/note/daiya/2004/03/post-60.html

・もうひとつの愛を哲学する―ステイタスの不安
http://www.ringolab.com/note/daiya/2005/12/post-331.html