Books-Religion: 2004年5月アーカイブ

古代日本人・心の宇宙 NHKライブラリー (133)
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この本が面白いのは、私たち日本人ならば馴染み深い日常の言葉や生活習慣の奥に、隠れた古代人の心の宇宙を垣間見ることができるから、である。94年放送の人間大学「古代日本人の宇宙観」のテキストから構成。

なるほどと思うことが数多くある。

例えば、日本語の数詞で一、二、三、四はヒ、フ、ミ、ヨと数えるわけだが、この読み方の子音には不思議な関係があることを著者は指摘する。

1 2
ヒ フ
fi fu

3 6
ミ ム
mi mu

4 8
ヨ ヤ
yo ya

[1と2]、[3と6]、[4と8]でそれぞれ共通の子音で構成される3つのグループがある。古代日本人は、片手で指を立てながら1,2,3と数えるのではなく、左右の手の指を一本ずつ立てて数を数えていたからだという。この子音の関係は、その古い指の使い方に起因する。2の対がないのは、片手で4を表せるから。5の対がないのは、手を親指+4本の指と認識し、親指は数え指ではなく、立てた指を数える指という役割を与えられていたからではないかと著者の考えが述べられている。

万葉集では両手を「まて」、片手を「かたて」と読み、同時に数字の2,6,8を「マ」、1,3,4は「カタ」と読んだという。倍数で対を持つ「マ」はより完全な数字であるとし、古代人は高く評価した。だから「マコト」=「誠」は、本当の完全なる言葉であり、真実を意味し、尊い価値を持つ、ということになったらしい。

また、数の概念としては、古代人も極限数の概念を持ち、それを「きは」と呼んだ。いまわのきわ、きわどい、きわめる、という形で現代語にも名残があるが「きは」は終わりがない概念である。本当の終わりは「をふ」でこれがおわる、おえる、になる。古代人は精神の永遠を信じたので、期間のある学業を「終える」ことはあっても、無限の追究である道は「きわめる」という言い方を今でもするのはそういうこと。

などという話がひたすら続く。

今に残る言葉や習俗に、断片的に古代日本の名残を取り上げるだけならば、ただのトリビアになってしまうが、著者はこうした断片を再構成して、古代の世界観、宇宙観を再現しようとしている。古代史、考古学の予備知識があったほうが読みやすいが、テレビのテキストなので初学者も楽しめるように書かれている良書。

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