Books-Religion: 2007年10月アーカイブ

・神社若奥日記―鳥居をくぐれば別世界
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いきなり関西の神社に嫁いだ女性ライターのドタバタ体験記。

一般人にとって神社の舞台裏は謎である。全国に神社は8万社以上あり、神職として働く人は約2万人といわれるそうだが、どうやったら神職になれるのか。神主や巫女は祭事がない日は何をしているのか?どうやって神社は収入を得ているのか。神主というのは、やっぱり毎日清く正しく生活しているのか?結婚前は神社と寺のちがいさえ知らなかった著者なので、軽妙な文章の中で神社の基礎知識をわかりやすく教えてくれる。

神社の若奥様の1年間を日記のように綴ったドキュメンタリである。小さいけれど歴史のある、この神社は大阪の街中にある。御神輿はガレージに格納され、まつりの日には神楽殿にミラーボールが回り演歌歌手がショーをする。「えべっさん」に日には境内は近所のおじさんおばさんの酔っ払いでいっぱいになる、ような地元密着型である。

ある種の店を構えているわけであるから、神社の1年間は結構忙しいのであった。一に掃除、二に掃除で、神社を清潔に保たねばならない。関係者、協力者への気遣いのこまやかさも求められる。祭りのイベントの前後は大忙しで、大晦日から元旦は36時間不眠不休で働いている。そしてなにより大切なのは毎年同じことを繰り返すということだった。

「神社では、どんなに小さな行事でも、かならず心待ちにしている人がいるし、どんな小さな木を一本植えても、その生長を楽しみに見にきている人がいるのだという。だからおかあさんは、境内の植物の世話と掃き掃除を絶対にかかさないし、いちどやり始めた行事は、途中でやめたりしない。「今は人が来なくても、三十年やれば増えてくるやろ」「あと五十年もすれば立派な木になるやろ」などという、スパンの長い発言は、おかあさんだけでなく神社にたずさわる人たち全般の特徴である。」

軽妙に神社の裏話を書いているのだが、暴露的ではない。一般読者の神社への興味を深めてもらおう、好きになってもらおうという著者の意図が伝わってくるのが、読んでいて気持ちがよかった。現代の神社や神道の実態を楽しく知ることができる。

バチカン・エクソシスト

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・バチカン・エクソシスト
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バチカン公認のエクソシストの実態を、ロサンゼルスタイムスの女性記者が、エクソシスト本人や患者たちへの取材を通して明らかにしていく。

「そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」イエスが、「黙れ、この人から出て行け」とお叱りになると、汚れた霊はその人にけいれんを起させ、大声をあげて出て行った」マルコ伝 第一章二十三節〜二十六節

聖書にはイエスが人間に憑依した悪魔を追い出す場面が何度もでてくるので、カトリックでは悪魔祓いの儀式が公式に認められてきた。その儀式を執り行う聖職者はエクソシストと呼ばれる。前ローマ法王ヨハネ・パウロ二世も在任中に三度、エクソシストとして悪魔祓いを行ったという。エクソシストはバチカンが公認しているのである。司教のエクソシストもいる。

現代イタリアでは悪魔憑きに悩まされる人が増えていそうで、エクソシストの数は1986年には20人だったが、現在ではほぼ350人に増えた。バチカンはエクソシストの公開講座まで開いていて、その存在や活動は決して秘密というわけではない。しかし、バチカン首脳部は、悪魔祓いが扇情的にメディアで取り上げられることを嫌って、その宣伝活動を控えめに抑えている実情があった。

悪魔の憑依が増えているとはいっても、本物は珍しいそうだ。エクソシストたちが最初にすることは、偽者の憑依を見抜くことにある。毎日相談を受けるエクソシスト曰く、自分でも十数年で十人しか本物の憑依現象とは出会うことがなかったと述べている。大半の事例は、精神的な病やオカルト好きの妄想に過ぎない。

「本物の憑依に見られる4つの症状」というリストが紹介されている。

・人間の能力をはるかに超えた力を発揮する
・本人が持っている本来の声とはまったく違った声で話す。もしくは被術者が知るはずのない言語を話す
・遠い場所で起きていることや、被術者には知りえない事実を知っている
・聖なるシンボルに対して冒涜的な怒りや嫌悪を感じる。

著者が立ち会った悪魔祓いの記述はまるで映画「エクソシスト」のワンシーンのようである。エクソシストが聖水や聖書をふりかざして、獣のような声で叫ぶ患者と霊的に戦う。他のどんな手段でも直せなかった病が、悪魔祓いによって治ってしまうケースがある。

著者はジャーナリストの中立的立場から、悪魔の憑依現象が本物なのか偽者なのかを断定はしない。カトリック教会と悪魔祓いの歴史、本物のエクソシストと患者たちの実態の報告をした上で、後半では悪魔祓いは解離性障害の一種ではないかなど、科学的な見地からの批判的分析も紹介されている。

日本のイタコが思い浮かぶのだが、訳者解題で翻訳者が日本とキリスト教国の文化の違いを指摘していた。憑依現象において、キリスト教圏では神と悪魔の二項対立になるが、日本ではキツネ憑きのようにもっと混沌とした物が憑く。だから、悪魔祓いというのは日本の土壌にあわず、普及しなかったのではないかという。

キリスト教圏の文化の影の部分を垣間見ることができるドキュメンタリだ。

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