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・データ・サイエンティストに学ぶ「分析力」 ビッグデータからビジネス・チャンスをつかむ
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原題は"Sexy Little Numbers"。和訳ではリトルデータと訳されている。既に手元にある魅力的なデータという意味。企業が蓄積したさまざまなデータを分析することで、戦略意思決定に役立つという事例を、欧米の事例から読み解く。サイエンスよりもビジネス寄りの本だから、マーケティング部必読。

最近はビジネスシーンでビッグデータがバズワードになっているが、それで何をしたらいいのかはっきりしていない会社が多い。この本ではデータ分析においては「何が測定できるか」ではなく「何を測定すべきか」を考えることが重要、「データで何ができるか」という考え方より「データで何をすべきか」が大切だというポイントが強調されている。

収録事例の多くは、計測した定量的なデータを意味づけるために、正しい分析ロジックのフレームワークへ落とし込む手法を解説している。コンサルタントにはおなじみのビジネスロジックにまとめる例が多いが、数字を意味に紐づける部分というのはやはり職人芸になりやすいのだなと感じた。

著者は「言い換えれば、企業のなかでマーケターマインドとサイエンスの調和と融合が必須である。」「データとその解釈が揃うことで、初めて分析作業が楽しいものとなる。分析の半分は科学で、半分はアートで出来ているのだ。」と述べている。ビジネスの現場におけるデータサイエンティストは純粋にサイエンティストではありえない。ビジネス経験も豊富になければ、分析フレームワークの選択や読み取りができないからだ。大学院をでたばかりの統計の専門家だけでもだめなのだ。新しいタイプの人材が重要になる。

「それでは人間は、どのような役割を担うことになるのだろうか。おそらくたった2つの仕事だけが残されることになるだろう。ひとつは「技術者」、つまり自動化されたシステムがスムーズに機能することを守る仕事である。もうひとつが「魔法使い」だ。これは手元にあるツール類を最大限に活用して、売上や利益を劇的に改善するアイデアを創造し、実行に移すことのできる人々を指している。」

ウェブのデータ分析の分野では、ミートメトリクスというツールの利用例が面白かった。Webのユーザービリティ分析ソフトを使って、Webサイトのデザインをパーツに分ける。そしてパーツを4096通りの組み合わせで実際に表示させてユーザーの反応を記録した。A/Bテストの4096通り版である。そして最もお客が物を買ったり会員になったりするパターンを選び出す。最適化の成功例ではコンバージョン率が2ケタアップしたという。デザインとサイエンスが見事に一体化している。ネット上のビジネスにおいてはマーケティングの自動化はますます盛んになっている。

著者は消費者情報の価値とは、予測貢献度、鮮度、排他性にあると書いている。次の一手がでてくるデータ分析を考えるにあたって参考になる情報がいっぱい書いてあった。

・統計学が最強の学問である
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学生時代は当たり前に理解していても、営業、企画、経営、ーケティングみたいな文系社会人になってしばらくすると、理系の知識って忘れてしまうものだ。典型的なのが数字の読み方だと思う。ビッグデータやデータ分析が話題になる昨今、会議で、え、それ違いません?学校で習ったような、ということがよくある。この本でビジネスで使う統計について、ばっちり整理できる。おすすめ。

たとえばビッグデータは必要なのか、サンプリングで間に合うのではないかという疑問。。サンプルを1万増やしても、標準誤差は0.3%しか変わらないようなケースは多々ある。

「サンプル数が100名分しかなければその標準誤差は9.5%にもなり、得られた「顧客に占める女性の割合が70%」という結果が実際には女性の割合が51%~89%と考えてほぼ間違いない」という解釈になってしまう。しかし、1000名いれば標準誤差は3%となり「女性の割合が64%~76%と考えてほぼ間違いない」、8000名を超えて標準誤差が1%となると「女性の割合が68%~72%と考えてほぼ間違いない」ということになる。 そして逆に、このあたりから先は、「サンプル数を倍に増やしてもあまり誤差が小さくならない」ということになっている(なお、1万名分を使っても標準誤差は0.9%で、2万名分でも0.6%にしかならない)。」

データに対する投資を決めるに際してこういう数学は当然おさえておかなければならない。定量的な判断をするときには、適正なデータ規模が存在する。(逆に定性的な分析も含めてロングテールからユニークな事例を取り出したいときにはデータは多ければ多いほどよいかもしれない。)。

分析にあたってランダム化比較実験のような統計的アプローチを使うべきか、クラスタリングのようなデータマイニングのアプローチを使うべきか?も現場で迷うポイントだ。「予測それ自体がゴールなのであればデータマイニングは有効である。」「予測モデルから今後何をすべきかを議論したいのであれば、回帰モデルのほうが役に立つ」など、本書のガイドラインは指針になる。

データの信頼性から4階層に分かれるエビデンスとして、 メタアナリシス・系統的レビュー > ランダム化比較実験 > 疫学・観察研究 > 専門家の意見・基礎実験 
というヒエラルキーピラミッドの図が示されている。今は論文検索なども充実してきたから、最高位のメタアナリシス・系統的レビューはもっと重視されるべき方法論だろう。低線量の放射線内部被ばくは危険なのか?とか、専門家でも意見が分かれる複雑高度な事柄で、メタレベルの知をとることができる。

・一目惚れの科学
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恋愛の科学的研究で知られる早稲田の政治学の教授 森川友義氏の新書。

「恋愛感情とは、卵子と精子が理想的な形で出会うためにつくられた人間の情動である」というかなり進化生物学的な教授の恋愛観にもとづいて、視覚、嗅覚、聴覚、味覚、触覚の五感における異性の魅力とは何かを各分野の最新研究データをもとにとらえる。

「男性の場合は単純です。まず、性行為を行いたいという欲求がわいてくるほどに魅力的な女性、つまり、ふだん排泄用に使用されている性器が性行為を行うには十分な機能を果たすことができるようになるほど、興奮させてくれるような女性でなくてはならないということです。さもなければ繁殖行為ができません。」

男性にとっては厳しい自然環境に適応できるほど「健康」で「自分」の子どもをたくさん生んでくれる上手に子供を育ててくれるのが魅力的な女性であり、逆に女性の視点では、子どもや母体の庇護を十分にしてくれそうな男性が魅力的ということになる。

性淘汰で進化してきた他の動物と同様に異性の内面や能力を五感で直観的に見抜く能力を人類は発達させてきた。だから、どんな個体がモテるかはある程度科学的で解明できるはずということになる。面白いデータが満載。

顔が小さく目が大きく鼻が小さく口が大きくあごが狭くとがっている「女性らしい顔」(エストロゲンの特徴)は男性の目には0.15秒くらいで女性として「魅力的」というメッセージとして伝達される。(男性と違って女性は男性の顔に執着しないそうだが)。顔と身体において、健康の証であるシンメトリー指標が高いと、モテる、初体験が早い、性経験が豪富、体格がいい、精力的、競争心旺盛、といにおいを発する、声がよい、精子の質がよいという事実もある。身長が高い人ほど、1 健康であり、2 高い社会的地位についていて、3 収入も多く、4 より多くモテて、5 より多くの子どもをもうけているということもわかっている。もっと内面を大事にする社会に生きているはずだと思っていても、社会の統計を見てしまうと、まだまだ見た目が繁殖に関係があるのだ。

男性の異性を好きになれる許容度は女性に比べて大きくて10人に1人という実験データがあるそうで、視覚的な相思相愛の確率は0.1%。見かけがよくてデートしてみて本当に好きになる確率が10人に1人だとすると、0.01%の確率、つまり1万人と知り合って初めて相思相愛のカップルが生まれるというくらいの確立だから、出会いの数を多くしないといけないと若者にこの先生は呼びかけている。


・性欲の科学 なぜ男は「素人」に興奮し、女は「男同士」に萌えるのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/2012/02/post-1595.html

セックスメディア30年史欲望の革命児たち
http://www.ringolab.com/note/daiya/2011/06/30-3.html

脳科学は「愛と性の正体」をここまで解いた---人を愛するとき、脳内では何が起きているのか?
http://www.ringolab.com/note/daiya/2011/10/post-1532.html

こんなに違う!世界の性教育
http://www.ringolab.com/note/daiya/2011/06/post-1456.html

癒しとイヤラシ エロスの文化人類学
http://www.ringolab.com/note/daiya/2011/01/post-1366.html

・裸はいつから恥ずかしくなったか―日本人の羞恥心
http://www.ringolab.com/note/daiya/2010/08/post-1281.html

・裸体とはじらいの文化史―文明化の過程の神話
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/09/post-1064.html

・セクシィ・ギャルの大研究―女の読み方・読まれ方・読ませ方
http://www.ringolab.com/note/daiya/2010/02/post-1151.html

・セックスと科学のイケない関係
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/05/post-987.html

・性欲の文化史
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/07/post-1020.html

・日本の女が好きである。
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/06/post-1010.html

・ナンパを科学する ヒトのふたつの性戦略
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/04/post-972.html

・ウーマンウォッチング
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/03/post-958.html

・愛の空間
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/04/oso.html

・性の用語集
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004793.html

・みんな、気持ちよかった!―人類10万年のセックス史
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005182.html

・ヒトはなぜするのか WHY WE DO IT : Rethinking Sex and the Selfish Gene
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003360.html

・夜這いの民俗学・性愛編
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002358.html

・性と暴力のアメリカ―理念先行国家の矛盾と苦悶
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004747.html

・武士道とエロス
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004599.html

・男女交際進化論「情交」か「肉交」か
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004393.html

・2100年の科学ライフ
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未来予想というのは、基本はあまり当たらないものであって、当たるかかどうかより、今の自分にとって啓発的かどうかで、その価値が決まるといってもよいと思う。科学関係のテレビ番組でおなじみの物理学者ミチオ・カクが今日の科学技術の延長線上として、SF小説の如く具体的な記述で、リアリティを感じさせる2100年イメージを語っている。これはすごい。

まず「コンピュータの未来」「人工知能の未来」が大きなイノベーションをもたらす。

「2100年までにコンピュータの性能が急激に向上すると、われわれはかつて崇めていた神話の神々のような力を手に入れ、周囲の世界を純然たる思考だけでコントロールできるようになる。神話の神々が手を振ったり頷いたりするだけで、物を動かしたり生き物を作りかえたりできたように、われわれも思考の力で周囲の世界を制御できるようになるのだ。環境にちりばめられたチップといつでも心でコンタクトをとって、密かに命令を実行できるのである。」

超伝導やブレインインタフェースの応用で強力な磁場により物体を思考で動かすことができるようになる。まるで魔法の世界だ。未来の私たちはコンタクトレンズや眼鏡で、現実の世界に仮想イメージを重ねてみながら暮らす。身体能力をインプラントチップにより強化し、犬や猫にしか聞こえない音を聞けたり、紫外線、赤外線、エックス線を見ることができる。外国人との会話では語学力は問題ではない。コンタクトレンズには外国語の字幕が出る。そして首と顔の筋肉の動きをセンサーが拾って母国語を声に出さずもごもごいうだけで外国語が発声される。心を読み夢を録画できるコンピュータ。だがハードウェアと違いソフトウェアの進化は緩やかと予想されている。

医療の進化によって人間の死が不可避でなくなる。若さを取り戻す。本人が望む年齢で老化をとめることさえできるようになる。テクノロジーと人間の生き方の関係にも言及が多い。ナノテクノロジーにより原子レベルで操作してなんでもつくることができるレプリケーターができる。欲しいものは望みさえすればなんでも手に入るようになり、持つものと持たざる者の差がなくなる。資本主義が機能しなくなり、地位や政治権力もなくなるかもしれない、という。

社会や人間の仕事も変わる。ロボットにできないこと。高度なパターン認識と常識を持つこと。創造的な資質を持つ職業、芸術、演技、ジョーク、ソフトウェア開発、リーダーシップ、分析、科学などの職業は生き残るが、単純事務の下級公務員、銀行の窓口係、経理担当などは仕事がなくなる。

こうした未来の予想にはひとつの法則があると著者はみている。

「問題は、現代のテクノロジーと原始的な祖先の欲求との軋轢があるところでは必ず、原始の欲求が勝利を収めていることだ。それが「穴居人の原理」である。たとえば、穴居人はつねに「獲物の証拠」を要求した。逃がした大物を自慢してもだめなのだ。逃がした獲物の話をするより、獲ったばかりの動物を手にしているほうがいいに決まっている。今のわれわれも、資料というと必ず、プリントアウトしたコピーを欲しがる。人はコンピュータの画面に浮かぶ電子的な文字を本能的に疑ってしまうため、不必要な時でも電子メールやレポートを印刷する。だからおオフィスのペーパーレス化は完全に実現してはいないのだ。」

ハイテク(先進技術)とハイタッチ(人間同士の触れ合い)。人は両方を欲しがるが、選択を迫られたら、祖先の穴居人と同じようにハイタッチを選ぶという生物学的選好は、リスクマネジメントでもあったのだろう。一足飛びに目新しいものに飛びつく人間ばかりでは、全滅してしまうかもしれない。アーリーアダプターもいればレイトマジョリティもいるのは種として正しいパターンなのだと思う。

「現代社会の最も憂うべき一面は、社会が知恵を蓄積するよりも速く、科学が知識を蓄積していることだ」アイザック・アシモフの引用があったが、著者はかなり楽観的に未来をとらえて予想をしており、長い本だがとても楽しい読書体験である。変に問題意識と悲観のビジョンで書かれていたらうんざりしていただろう。テクノロジーがひらくことができる可能性を知りたければ必読書。

・世にも奇妙な人体実験の歴史
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「何世紀ものあいだ、薬の安全性の検証は事実上、一般大衆の体によっておこなわれていた。用量を超えて飲めばほとんどの薬が危険だが、安全な服用量は誰にも分からなかった。とりあえず飲んでみて、様子を見るしかなかった。患者は薬を飲み、医者は患者が死ぬかそれともよくなるかを見るのだった。」

古代から19世紀にいたるまで多くの人々が病気の原因は悪い血であると信じていたので、腕を切開して瀉血したり、ヒルに血液を吸わせたりして、だらだらと何リットルも患者から血を奪っていた。医学的には患者を弱らせるのみの行為だった。

本当に効く薬や治療法を見つけるには、誰かが最初に試してみなければならない。動物実験というのも現代では盛んだが、結局のところ、最後は人間が試さない限り、本当に効くのかどうかわかりはしない。

ここに書かれているのは医学の本当の歴史である。一部の勇気のある医者が自らの身体をモルモットにして人体実験を行う無謀な行為が進歩させてきたという歴史である。有名どころではキュリー夫人はノーベル賞を2回もらった代わりに大量に放射線被ばくをしている。最後はそれが原因で死亡している。

キュリー夫人は危険性を知らなかったわけだが、知っていても挑むラディカルな医者たちがたくさんいた。黄熱病患者の吐瀉物を自分に注射したり、コレラ菌の入った水を飲んだり、ニトログリセリンを飲んで昏倒したり、自分の心臓にカテーテルを刺したり、梅毒患者の膿を自分の性器に塗布してみたり、急激な加圧や減圧実験で鼓膜が破れたり失明しかかったり...。

やばい人体実験の数々こそ現代医学の礎になっているのだ。最初に勇気のある誰かが食べてみたからウニとか納豆とかあるわけだが、最初に体をはった誰かがいたから、病気の治療法や薬ができている。

・バースト! 人間行動を支配するパターン
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人間がメールを送受信する、ウェブにアクセスする、プリンターに何かを出力する頻度には共通パターンがある。図書館で本を借りるパターン、電話をかけるパターン、写真を撮るパターン、病院にいくパターンも同じだ。

「どういう種類の人間行動を調べてみても、つねにバーストのパターンがあらわれた。長い休止期間のあとに、短い集中的な活動期間が続く」

著者が発見したのは人間の行動がベキ法則にもとづくという事実と、人間が行動に重要度による優先順位をつけて生活しているという事実だ。このふたつのパターンを解析すると、従来は予測不可能と思われていた人間行動を、高精度で予測できる可能性がでてくるというのがこの本のテーマだ。

たとえば実験によれば、大抵の人間は、朝の居場所がわかっていれば午後の居場所を90%の精度で予測ができるという。普通の人間は同じパターンを繰り返しているからだ。実験では予測精度が80%を下回った人間はほとんどいなかったらしい。

逆にこのパターンから著しく逸脱した移動経路の人間は一般人ではなく、テロリストの可能性がある。FBIはそうした経路の逸脱パターンで犯罪者を発見して尋問しているそうだ。

人間の行動はランダムだから予想はできないと諦めていた分野でも、バーストのパターンを織り込んだ予測モデルをたてれば、人間の複雑な行動ももっと予測可能になる、そんな可能性を感じさせる内容。

『新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く』のアルバート=ラズロ・バラバシの最新刊。

・粘菌 その驚くべき知性
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粘菌を出口に餌を置いた迷路に閉じ込めると、最短距離に近いコースで出口にいたる。繰り返すと学習する。迷いもする。単純な細胞でしかない粘菌が「司令官はなし、各人自律的に動くのみ」という自律分散モデルによって知性を持っているかのようにふるまう。

たくさんある選択肢からどの選択をすべきか。組み合わせ数爆発を招く複雑な問題に対して、生物はすべての可能性を計算して比較するわけにはいかないから、大雑把ではあるがすばやく答えを導く「フィザルムソルバー」という解法モデルをとっていると著者は指摘する。

粘菌の周りに複数の餌場を置くと、粘菌は分裂しながら移動していき、ついには複数の餌場間をつないでしまう。この粘菌が餌探しをする移動経路の評価には3つの指標があり

1 もっとも短いルートを選ぶ最短性= コスト(経済性)
2 すべての2点間の平均距離 = 効率
3 一か所が分断されてもまだつながっている連結保障性 = 保険

であるが、このうち、1のコストと2の保険を同時に最適化かしようとする「多目的最適化」であることを研究者たちは発見している。JRの鉄道ネットワークも粘菌と同じ多目的最適化パターンだそうである。そして単純な粘菌細胞は細胞内の化学反応に内在する濃度の振動を化学的な振り子として使って同期しているという仮説で、粘菌の知性的な動きを説明する。

知性ってなんだろうなと考えさせられる。人類を圧倒的に上回る高次元の知性を持つ宇宙人が、地球を観察した場合、その表面で勢力を拡大している人類の動きも、粘菌みたいに見えるはずである。脳という器官や欲望という機構が発達していて、部分的には我々と似たところもあって下等生物なのにたいしたもんだ、なんて言われているかもしれない。

・暗号 情報セキュリティの技術と歴史
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暗号。ある文章を第三者に分からないように別の文字や数字に変換すること。本書では合言葉やパスワードはその定義に含めない。

著者は情報セキュリティ大学院大学の創設時の学長 辻井重男氏。現代情報社会の基盤となっている暗号技術の発展の歴史と、共通鍵暗号、公開鍵暗号、零知識対話証明などコアテクノロジーを解説する。暗号とその周辺についての教養を深めると同時に技術の本質をつかむことができる科学読み物。

紀元前のスキュタレー暗号、アルファベットをずらすだけのシーザー暗号からはじまって技法の高度化、複雑化が進み、ナチスドイツのエニグマ暗号あたりまでを、著者は古典・近代暗号の時代と呼ぶ。そして1970年代に生まれたDES制定と公開鍵暗号という画期的事件からをポストモダンの時代と定義する。

その暗号技術の革命の意味は、

「1 同一組織内に限定して秘密に使用されていた暗号が情報ネットワーク社会の信頼関係を築くための公開的共通基盤技術となった。

 2 秘匿を主な機能としていた暗号が、それと合わせて、人・モノや情報の真正性を保証し、情報に信用を付与して、情報流通を促進するための、認証機能、すなわち署名・改竄防止機能を持つこととなった。

 3 コンピュータにより暗号化(秘匿)、復号あるいは、署名、検証を高速に行うとともに、不正な解読や改竄に対しては、いかにコンピュータを駆使しても計算量が爆発するように暗号装置を設計するようになった。」

と総括されている。

これらの革新を可能にしたのが新しいアルゴリズムの発明であり、共通鍵、公開鍵、零知識対話証明といった代表的なポストモダン暗号の数理的な解説が後半のテーマとなっている。

暗号のしくみはややこしい。だからといってあまりに要約して比喩だけにすると、本質が伝わらないものだ。この本では基本的な数式と図表を使いながら、ある程度、理系の素養のある読者に向けて丁寧に説明がなされている。最後は「フェルマーの定理」や楕円曲線理論とつながるなど、科学系読み物の読者を飽きさせない要素も多く織り込まれているので、あきらめずに読みすすめやすい。

歴史的にみると日本では「人間の悪意に対抗するための工学的体系」=「鍵の文化」が根付くのが諸外国に比べて遅かったという文化人類学者の引用があるが、これは今も変わらないと思う。企業や政府の重大な不祥事があっても責任者の謝罪で終わってしまいがちで、問題が起きるアーキテクチャーの議論がなかなか進まない。セキュリティの技術で何ができるか、意思決定者が知らないからというのもひとつの原因だろう。

ポストモダンの暗号技術で人間社会の何が守れるのか、運用していくうえで何が危険性となるのか。より多くの人が、この本にでているような知識を、この本のレベルくらいで、常識としておさえておくことが重要だと思う。

・ざっくりわかる宇宙論
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前半はコペルニクス、ガリレオからアインシュタインまでの古典的宇宙論、後半は超ひも理論、ブレーン宇宙までの現代の宇宙論。数式はなしで、科学好きの一般読者のために書かれた入門書。

ビッグバンは宇宙のはじまりではなく、その前には量子宇宙があり、インフレーションが起きてビッグバンに至ったというのが定説になろうとしている。量子宇宙のはじまりにおいては時間が存在しないので、その「前」はない。こんな風に宇宙のはじまりを明解に説明してくれる。

著者は古典的宇宙論から現代の宇宙論への流れを「モノからコトへ」ととらえている。

「思想という側面から忘れてはならないのが、モノからコトへ、という大きな流れでしょう。コペルニクスの「天球」にあらわれているようなモノとしての時空は、まるで触って固さを確かめられそうな気がします。それに対して、光でさえ曲げてしまう、時空のゆがみというアインシュタインの発想は、完全にコト的だといえるでしょう。」

宇宙論は数学であると同時にほとんど哲学である。特に現代宇宙論はコトばかりで話が進んでいく。運がよけえれば何十年もしてからモノとして検証される。そしてコトの想像力の次元はどんどん高くなっていく。超ひもやブレーン(膜)理論は、その命名からして、ひもや膜というモノとしてとらえようという意図があるわけだが、その正体はメタファーではとらえきれない高次の概念である。だからこそ、本書みたいに、ざっくりわかる解説は大切だ。

「この宇宙にたくさんあるブラックホールが、じつは、すべて小さな宇宙の始まりではないか?」「ブラックホールを裏側から見ると、それはどんどん広がっていく宇宙なのではないか」という仮説が紹介されていた。実は超ひももブラックホールだという学者もいるらしい。私の子供時代にはなんでも飲み込んでしまう大穴として、閑話休題的に教えられた存在が、実は宇宙の本質かもしれないということになっている。20年とか30年で宇宙論は書き換えられていく。おもいのほか動きが速い。

・ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか
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NHKの同名の番組がとても素晴らしかった。全4回で人間が人間的である理由について探究するドキュメンタリ。考古学・人類学・動物学・脳科学・心理学などの最新成果を総合して、人間性や社会性の起源を明らかにしていく内容だった。近日DVDでも出るだろう。

・ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか
http://www.nhk.or.jp/special/onair/human.html

これはその書籍版。4部構成の番組の流れはほぼそのままに、研究の詳細、取材過程でのエピソードを加えて、文字で深く知ることができる内容になっている。

脳の進化が心の進化につながり、心の進化が社会の進化へと影響を及ぼしていく。キーワードは交換、飛び道具、農業、貨幣。どれも人間にしか見られない事象であり、複雑な心が発達していないと成立しないものであるということを、毎回、少し意外な展開を交えて明らかにしていくプロセスが面白い。

人間社会の複雑さは心の複雑さの反映なのだ。研究によるとチンパンジーにも喜怒哀楽があるが、うらむ、ねたむ、恥じる、ひがむ、のろうといった自他の差の認識に起因する感情はないのだそうだ。人間はやたらと自分と他者の違いに対し感受性が強い。良い面も悪い面も屈折する心から生じている。

ちょっと意外だったのが信頼に基づく協力の起源である。人類の狩猟採集時代は平等な社会であり、分かち合いが当然である時代が何万年もあったらしい。原始時代というと弱肉強食をイメージしてしまうが、逆であり、助け合わなければ非力な人間は生きていくことがままならなかったのだ。農業が発達し、富の畜性が始まり、貨幣制度ができたからこそ、利己的な人間が存在できるようになった。人間と言うのは本来的には人間的なのだ。進化することで非人間的になってしまったのだ。

衣食足りて礼を知るという言葉は疑ってみる必要がる言葉なのかもしれないなと、この番組を見ていて思った。

・魚は痛みを感じるか?
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魚は痛みを感じるか

世にも奇妙な、科学者による魚の福祉の本だ。

昔、活き造りを前にして、魚は痛みを感じないんだよ、と教えられた記憶がある。それ以来、単純に魚は痛みを感じないものと信じてきた。犬や猫、あるいは牛や豚が、目の前で切り刻まれて、痛くてのたうちまわっている様子をみたら耐えられない気持ちになるだろう。でも、魚の活き造りは少し気味が悪いし、後ろめたさも感じるが、哺乳類ほどではない。

生物学者の著者は研究資金を得て魚が痛みを感じるかというユニークな研究した。痛みを感じるという現象は複雑だ。まず魚の神経組織に損傷を検知する侵害受容体があるかを調べ、脳にその信号が伝達された結果、魚の行動が変わるかを実験で明らかにしていく。痛みに苦しむためには何らかの意識が必要だ。そして意識に似た現象が魚の脳に発生しているかを観察で見極める。出た答えは、おそらくYes、魚は痛みを感じるといってもいいという結論だった。さらに魚の意識は人間の赤ん坊並みである、とも言った。

この研究発表はメディアでセンセーショナルに取り上げられ、多方面に物議を醸した。最初の批判は、著者が虚偽によって釣り愛好家を迫害しているというものだったそうだ。魚に高度な意識があって痛みに苦しむのなのならば、捕獲や屠殺をするにあたり他の動物と同じレベルの配慮を行わなければならないことになる。

魚は針にせよ網にせよつりあげられるとき、水中で長時間、強度の苦痛を味わう。そして船にあげられ、のたうちまわり、空気中で窒息して死ぬ。深海の魚は膨張して内臓が口や肛門から飛び出し目は膨れあがる。もし彼らが意識を持ち、苦痛を感じているならば、こうした行為は倫理的に許されないというグループが魚類の取り扱いの規制法案を提出するかもしれない。実際、欧米ではクジラはそういう扱いになっているわけだから。

欧米でも日本でも、家畜の屠殺は動物が過度の苦痛を感じないように配慮されて行われる。多くの哺乳類や鳥類の虐待は違法行為になる。釣り針でひっかけて引きずり回すなんてもってのほかだ。著者が実験で使う研究用の魚も脊椎動物であるがゆえに、扱いにいくらかの規制はあるのだそうだ。そう考えると漁業や釣りの対象の魚の扱いは野放しにされていることになる。

著者は魚を福祉の対象に引き上げるべきかについては、科学者らしく中立の立場のようだが、検討に値するデータとして自身の研究を世に出したようだ。魚を食べる文化の日本ではこれがまともに生命倫理の問題に発展して行くことは考えにくいが、百年くらいしたら、キリスト教系の動物愛護精神が発達する国では、常識になってしまうのかもしれない?

哺乳類と魚類、そして他の動物とどこに倫理の線を引くべきなのかと著者は自問自答しているが、やはり、自分が食べる文化にいるかどうか、ではないか。刺身が切り刻まれた遺体と感じる人と、おいしい食材と感じる人が論理的に話し合っても、結論はでなさそうだ。クジラも魚も魅力的な食文化を広げておくことが、魚文化に生きる私たちの取るべき戦略ではないかな。

#注、もちろん魚の福祉は欧米でも一笑に付されるマイノリティであるはずです、現状は。

・明日をどこまで計算できるか?――「予測する科学」の歴史と可能性
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天候、医療、経済の3つの領域における科学的な予測の可能性を検証した読み応えのある本。複雑な事象に関する未来予測は、数学や確率の言葉という客観の仮面を被った主観的意見に過ぎないことを明らかにしてみせる。

明日が晴れか曇りかの簡単な天気予報はできても、次の大きな嵐がいつ来るかは予測ができない。次のインフルエンザの流行や株価の大暴落も同じだ。予測はモデルをベースにするが、科学者、専門家がつくったモデルに対する信頼性をもっと疑ってかかるべきだと著者はいう。

予測モデルは方程式の組をもとにしている

しかし、根本的なシステムを方程式に還元することはできない

こうしたシステムのモデルは、パラメーターの変化に敏感な傾向がある

モデルが精巧になればなるほどパラメーターの不確実性は増加していく。そして複雑な系は初期値の小さな違いに敏感だ。現実に取得できるパラメーターには種類も精度も限界がある。

そして著者が指摘するもうひとつの予測不可能の原因はシステム内の局所が相互に影響して、現象を創発している場合だ。雪や嵐、株価の急騰急落、パンデミックは、システムの創発特性とみなせるものであり、第一原理からの計算で導き出せないのだという。

主にそのふたつの原因により、科学者が方程式の組でつくる予測モデルは、過去の出来事に合わせることはできても、予測の精度が向上することがない。「私たちはどうやら、未来は過去に似るという思い込みの罠に陥っているようだ。」。

もちろん簡単な予測、だいたいの目安が有益に機能する分野もある。直近の天気予報はだいたい当たるし、メールのスパムフィルターも予測モデルだし、回転ずしで何を流すかだって予測モデルでうまくいっているらしい。どこまでが予測可能でどこからは予測が無効なのかの線引きが重要なのだ。

・Newton (ニュートン) 2011年 07月号
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科学雑誌NEWTONは地震と原発・放射線について、ここぞとばかりに有益な情報提供をしていて、素晴らしいです。NEWTONは昔は定期購読していたのですが、特集が竹内均前編集長の死去や特集のマンネリ気味で、ストップしていましたが、6月号と7月号は科学雑誌の真骨頂、実にいい出来です。

カラーで大判のビジュアル資料を使って、原子力発電のしくみ、放射能・放射線のはたらき、福島第一原子力発電所の状況、放射能のリスクが、徹底的にわかりやすく正確に説明されています。テレビでは科学的な詳細は省略されることが多いですが、この雑誌なら少し突っ込んだところまで教えてくれます。

ところで今回の原発事故により、原子力や放射線について、日本国民の知識が世界でトップレベルにまで引きあげられたことは間違いないでしょう。原子炉には圧力容器、格納容器、建屋があって、燃料棒とか制御棒がありますとか、ベクレル、シーベルトの意味や放射線から身を守る方法など、いまやみんな知っています。この原子力の知識レベルを、発電以外のポジティブな方面で使う方法をもっと考えたらよいのではないかと思いますが、なにかありえるでしょうか。

・ニュートン 超巨大地震
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NEWTONはiPhone/iPad向けの電子版もよくできています。こちらは3.11以前に発行されていた内容の改訂版ですが、超巨大地震と大津波が日本を襲った場合のシミュレーションです。

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今回は発生しなかったようですが、震災後に、火災旋風という恐ろしい竜巻が被災地を襲って大量の死者を出す可能性が論じられています。

ニュートン 超巨大地震 - Newton Press Inc.

・人は放射線になぜ弱いか 第3版
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初版は1998年。放射線医学の権威が書いた本。

敢えて増刷に際して「東日本大震災による原発事故にともなう放射線被ばくリスクに国内が大揺れしています。今回の被ばくは生命に危険を与えることは全くありません。本書はその科学的根本をしたためています。」という1ページを冒頭に配した。

本文では「チェルノブイリ事故後10年間の追跡調査の結果はつぎのことを証明した。原発事故の放射能を被ばくしても子どもの白血病の危険は心配無用!」と枠付きで記述している。安心したい人はこれを読むといい。

放射線の人体への影響を科学的に解説する本である。人体は放射線に弱くて強い(強い放射線には弱いが、微量には強い)とし、低線量被ばくの危険性については、まったく問題ないと断言する。

「低レベル被ばくのときは、他の発がん要因によるかく乱のため疫学的手法はあてにならないことが多い。」

「生涯被ばく値が35レムを超す心配のある高放射能汚染地区の住民は、きれいな地区へ疎開する基本方針を決めた。広範囲の汚染地区について、住民の健康状態を調べたところ、想像以上に多くの人が、いろんな異常反応を示した。異常症状のほとんどは、放射能恐怖による心理的ストレスの累積によると思われる。異常と被ばく量の相関はみつかっていない。」
(注:0.01シーベルト = 1レムだから35レムは350ミリシーベルトである)

「最近、心病む話を旧ソ連を訪問した医学者から聞いた。事故のあとの放射能の汚染除去のため、ソ連の軍隊から数十万人が被ばく量25ラドを限度にして、動員された。そして動員解除後、しばらくして病気になり、それを放射能のため不治の病になったと思いこんで、自殺した人が出たということである。 放射能恐怖症をおこさせたデマ情報のほうが、実際の死の灰よりも、比較にならないほど有害であることが実証された。」
(注:1ミリシーベルト=0.1ラドだから25ラドは250ミリシーベルトである)

チェルノブイリ事故だって住民の被害はほとんどなかったのだから、原発事故放射能程度では人体はびくともしない、と書いている。放射線によるがんや突然変異は自然におこっているものと同じであるから、0.01%の生命の危険率は、個人にとっては心配しなくてもよいが、1億人の集団では1万人の障害者を出すことを心配しなければならない程度だと結論している。

放射線リスクにしきい値がある科学的根拠として、

1 自然要因によるDNA損傷とその修復
2 放射能致死の主因"DNAに本鎖切断"は自然にも多発
3 胎内被ばくのしきい値はアポトーシスのおかげ
4 放射能の遺伝的影響は心配無用
5 放射線がんにはしきい線量率が存在する

を各項目でデータを使って詳説している。

広島の原爆でも被ばく者は、その後の健康を意識したせいか、実は一般の人よりも長生きした話とか、チェルノブイリの「汚染地に居残った元気な老人と疎開した人のおびえた顔」の話など、放射線はどんなに微量でも毒だ説を完全否定している。

先日このブログで、微量の放射線が人体に悪い影響を及ぼすという「怖い本」を紹介したところ、ネット反響が大きかった。一部にはネガティブな反響もあって農作物等の風評被害につながるから、こういう非科学な本を取り上げるなという主旨のものがあった。

・内部被曝の脅威
http://www.ringolab.com/note/daiya/2011/04/post-1431.html
これがその「怖い本」。

実は私のブログは、その1週間前に微量の放射線は心配無用であるという本も紹介している。

・本当は怖いだけじゃない放射線の話
http://www.ringolab.com/note/daiya/2011/04/post-1427.html

他にブログでは紹介していないが放射線関係の本を私は20冊以上読んだ。放射線医学の専門知識はないので、いくら読んでも、どの本が科学的に正しいのかは正確にはわからない。しかし、書籍の交通整理なら私は専門家である。

権威ある肩書きを持つ科学者は理論と実験結果から微量なら安全であるといい、ジャーナリストや臨床医はヒロシマやチェルノブイリ等の実例から、微量でも危険であるという主張をしていることが多い。

この本でも寺田寅彦の「ものを怖がらな過ぎたり、怖がり過ぎたりするのはやさしいが、正当に怖がることはなかなかむつかしい。」が引用されていたが、適度に怖がること、社会が緊張感を保つことが何より大切である。

今みたいに、マスコミや政府見解が安全だ、大丈夫だという中で、世の中に安全ムードが強くなってきた(と私は認識しているのですが)中では、何らかの根拠をベースに主張している反論本の存在も重要と考える。だから、安全だ本と危険だ本を50:50くらいの割合で紹介したいと思う。読者の皆さまは自分で読んで判断してください。

・自然エネルギーの可能性と限界 風力・太陽光発電の実力と現実解
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これからのエネルギー政策を考える上でまとまった論考で参考になった本。

次世代の自然エネルギーとしてイメージ先行の風力・太陽光よりも、日本の地理にあった水力・地熱発電が有望というオピニオン。現状では風力に太陽光やその他の再生可能エネルギーを足しても、国内エネルギー供給全体の0.2%に過ぎない。いくら推進政策をやったところで、風力も太陽光も大きな比重を占めるには至らないのではないかというデータがならぶ。

たとえば風力の発電施設の規模に対して、火力は2835倍、水力333倍、原子力2300倍もある。風力の平均設備利用率は20%程度に過ぎないし、大規模な風車の立地は限られてしまう。太陽電池は高コストの上に年間の日照時間が少ない日本は向いているとはいえないのだ。

一方で、山がちで雨や雪がたくさん降る日本は、水力発電には絶好の条件がそろっている。火山地帯であるから地熱発電も向いている。推進していくべきは推力と地熱の方ではないかと著者は他のエネルギーとの比較の上で結論する。

2009年の電力調査統計によると、

総出力:約2億3700万キロワット
火力 :約1億4300万キロワット
水力 :   4500万キロワット
原子力:   4900万キロワット

でそうだ。

再生可能エネルギーの活用、現在あるエネルギーシステムの改良(効率向上)、徹底した省エネ化というのも説得力がある。一定の出力を続ける原子力に、火力と水力が電力需要が少ない時間に運転調整を頻繁に行うことで需給バランスを整えている。火力の設備利用率は50%以下が多いそうだが、震災後は原子力発電分が減って火力の割合が高まるのは間違いなさそうだ。火力の発電効率を数パーセントでも高めるイノベーションは、影響が大きい。そのほか、補助金より炭素税・環境税によるエネルギー政策の転換をという意見もあった。

自然エネルギーの可能性はよくわかるが、現状1%に満たない自然エネルギーを10年や20年で、主力の代替にするのは現実的には難しいのではないか、とも思える。それより既存の発電効率の1%の改善に、数兆円を投じてみる方が賢いのではないだろうか。日本のエンジニアはドラスティックなイノベーションよりも、小さな改善が得意なような気もするし。

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