Books-Science: 2004年5月アーカイブ

「複雑系」とは何か
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複雑系の入門書。入門書としては解説が少ない気もするが、作者の見方が提示されているのがいいと思った。

複雑系のメタファーとしてよく使われるのが「パイこね変換」。この本でも複雑=Complicatedの語源が、「共に折りたたむ、コンプリカーシ」にあるという説明と共に登場する。

十分な粘性を持った小麦粉の層と、黒砂糖の層を重ねて、半分に、そのまた半分に、折りたたむ操作を繰り返す。一見、単純なこの操作の中で、黒砂糖の特定の一粒の移動を追跡すると、極めてランダムな動きをしていることが分かる。二つの層は引き伸ばされ、混ざり合って灰色の混合物になっていく。最初の数回の折りたたみが行われた時点での、粒の位置ならば、ある程度言い当てられるが、数百回、数千回となると、位置の計算が複雑になり、事実上、どこにあるのかを求められなくなる。近接した2点がこねるたびに指数関数的に離れていくためで、数学的にもその複雑性が証明されている。

単純なルールを適用した結果が、予想もつかない複雑なふるまいを見せる。そのふるまいは完全にランダムではなく、グラフにプロットすると、大きさを変えて同じ形が出現する、奇妙な入れ子構造を描くことがある。ストレンジアトラクターと呼ばれるこの収束ポイントに、複雑系の面白さが感じられる。風に揺られて落ちる葉の動き、地震の発生回数と規模、株価の変動パターンなど、自然現象や、世の中の動きに、まったく同じアトラクターが発見されるからだ。

だが、複雑系を即、実用的な予測に応用できないのは、その複雑さ故でもある。初期値が少しでも異なると結果が大きく変わってしまう。観察には誤差が伴う。何を観察するのかも恣意的になる。すべての粒子の位置とベクトルが把握できれば、任意の未来の系の状態を予測できると考えたラプラスの魔的考え方では、本当の予測ができないのだ。現状、天気予報は過去の統計をベースにしているに過ぎないし、地震の予知もはずれてばかりなのは、そのせいである。

この本で最も面白いのは、複雑系のメッカであるロスアラモス、サンタフェ研究所の創世記のドキュメンタリである。神童、天才と呼ばれて育った、数学に強い、生え抜きの研究者だけが主役ではないということ。いわゆる落ちこぼれで、アルバイト先にあったパソコンで遊んでいて人工生命の可能性を発見した人、コンピュータグラフィックで鳥の群れを描こうと実物を観察していたら、はまってしまった人、下宿先のおばちゃんから1000ドルを借りて買ったパソコンで発見してしまった人など、結構な数の異端児と、そのセレンディピティが、今日の複雑系研究の基礎を築いてきたのだ。とっかかりはいくつかの単純な法則を考えつくこと。なんだか、私にもできそうな気がしてきた(笑)。

複雑系はパソコンの普及と密接な関係があることが分かる。1980年代以前では、一部の数学者たちがぼんやりと考えていたに過ぎない複雑系の問題が、パソコンが普及したことで、研究者がシミュレーション問題を気軽に解くことが可能になった。利用料や利用申請が必要なスーパーコンピュータでは、思いつきを検証するには、荷が重すぎた。仕事場でなく、自宅にそうしたツールが入り込んだことが、複雑系の研究を大きく飛躍させている。

パソコンが複雑系を誕生させた。インターネット、ケータイやロボットが今ならば、それに当たるのかもしれない。こうしたパーソナルツールから、次はどんな研究が生まれてくるのか、考えてみるのも面白そうだ。

終盤の章は入門書としては、正直、難しいが本質に迫っている。複雑系の、科学史における革新性や、哲学的側面に焦点が当てられている。複雑系は、自然を単純化せず、複雑なまま観察する学問である。近代科学は、少数の公理から、定理や法則を導き出し、それですべての現象を、シンプルに説明しようとする「きっちり派」が主流。これに対して、量子論の世界など、確率論的に世界を理解しようとする「デタラメ派」が対抗している。だが、著者は両者を「同じ穴のムジナ」だと言う。どちらもミクロレベルの決定論的な振る舞いに立脚して、世界を見ているからだ。

複雑系は、きっちりでもデタラメでもない、無党派層の成果だと著者は言う。非線形力学から登場したカオス党と、非平衡系熱力学から現れた自己組織化党の、2大党派が現在の複雑系の潮流を作ってきたとする。この二つの党派の意見が微妙に異なるために、現在の複雑系の全体像が分かりにくいものになっているのだと結論している。

自然現象、社会現象のほとんどは、複雑系だ。対象領域は近代科学よりも広い。だが、一般には難しくて専門的な世界と思われている。問題は、私たちは言葉で物事を理解したがることにあるのではないか。3体問題に象徴されるように、現実は多数の要素が強いつながりを持っていて、一本筋の因果関係に還元することができないことが多い。だから、複雑系の説明は、常に「なんだか難しくてよく分からない」という印象をもたれてしまうのだという気がする。言語化を拒む特性がある気がする。左脳ではなく、右脳型の人間がリードしていく科学のようだ。

現実のあるがままを受け入れること。細部を大切にすること。それは原理主義的な宗教観を持つ、3大宗教の世界よりも、仏教的な考え方のように思う。この分野で、欧米では異端児とされる人たちが活躍し、日本人も結構、得意としていることと、関係がありそうだと思った。