Books-Science: 2005年1月アーカイブ

時間の分子生物学 時計と睡眠の遺伝子
4061496891.09.MZZZZZZZ.jpg

講談社出版文化賞科学出版賞 受賞作品。睡眠のメカニズムを遺伝子レベルに探る。

■10分を検出できる体内時計

時計がなくとも朝は目覚め、夜は眠くなる。

脳の視床下部にあるSCNという器官に、24時間周期の生物時計(いわゆる体内時計)があるという。SCNの神経細胞はガラス板の上で培養しても、24時間周期の電気活動リズムを維持して変化するそうで、機械の時計のように自律的な発振器の役割を果たしている。この生物時計は概ね正確に24時間周期で動いているが、狂うこともあり、その場合には朝に強い光を浴びたりすることで調整が可能になっている。

この時計は案外高い精度で働いている。たくさんの被験者に、指示した時間に起きてもらう依頼をした実験結果が紹介されていた。朝6時に起きろといわれた集団では6時に、8時と言われた集団でも8時に、だいたい多くの被験者は起きることができている。そしてこのとき被験者の身体では、起床1時間前からコルチゾールというホルモンの量が増加していた。これは起きる準備が1時間前から始まっていた事実を示す。正確な起床時間は生物時計が10分から15分程度の時間経過を、睡眠中も感じることができるという証明になる。目覚ましが鳴る直前に目が覚めるという人の場合には、分単位で時間を感じている可能性もあるそうだ。

■なぜ眠るのか、なぜ眠くなるのか

人はなぜ眠るのか?その理由はいまだ分かっていない。だが、生存に不可欠であるのは明らかで、医師である著者は不眠症の患者に「眠らなくても死にはしませんから」と慰めたりするそうだが、本当は寝ないと死ぬのだそうだ。動物を眠らせないでおく断眠実験を行うと1週間から数週間で、衰弱し多臓器不全で死んでしまうそうだ。免疫系を損傷するのが原因であるらしい。

では身体の疲労回復のために眠っているのかというと、そうでもないようだ。横になって眼を閉じただけの安静状態の方が、実際に睡眠に入るよりも、代謝率が低い。身体の休息という意味では睡眠より安静にしているほうが良い戦略かもしれないという。睡眠は身体ではなく脳の休息が本質的な目的なのだ。

なぜ夜になると眠くなるのか?も完全には解明されていない。最新の理論では脳に睡眠物質が増えるから眠くなるのではなく、生物時計が発信する覚醒信号が夜になると弱まるからなのではないかと著者は考えている。これは夜型体質の改造に役立つ知識だ。覚醒信号を制御する生物時計を朝型に調整するには、朝の強い光を浴びることがまず有効なので、夜型を朝方に直すには「早寝、早起き」ではなく、「早起き、早寝」が正解だという。いくら早く寝ても生物時計を調整することはできないからである。

オレキシンという脳内物質が覚醒効果の原因であることが近年発見されたらしい。オレキシンは食欲と睡眠に同時に影響する。これは生きるために食物を探せるように覚醒レベルを上げておく、ということと関係がある。夜中にお腹がすいて眠れないのも、食べ過ぎると眠くなるのもオレキシンが原因のようだ。

いくつか本に出てきた睡眠のついての知識を引用してみたが、睡眠は意外にも謎だらけのようである。私は子供の頃、眠る瞬間を意識でとらえたいと思って毎晩のように、眠気と戦ってみたことを覚えている。当たり前だがいつのまにか眠りに落ちてしまう。睡眠に入る境界はみつからなかった。なんてバカな実験をしてたのだろうと大人になってから思ったのだが、訓練次第では夢を覚醒しながら見る覚醒夢というのがあるそうだ。あのまま続けていたら夢を制御できるようになったのだろうか。惜しいことをした。

・ヒトはなぜ、夢を見るのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001062.html

・人はどうして疲れるのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000877.html

・朝10時までに仕事は片づける―モーニング・マネジメントのすすめ
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000651.html

・福祉工学の挑戦―身体機能を支援する科学とビジネス
4121017765.09.MZZZZZZZ.jpg

著者は福祉工学研究35年、現在、東京大学先端研の教授。

福祉工学とは、「失われたり衰えたりした感覚や手足、脳の機能を、機械で補助・代行する工学分野」で、近年、社会の高齢化によって、障害を持つ人たち以外にも、ニーズが広がることが予想されている。

英語ではAssistive Technology(支援工学)と呼ばれる。人間の改造を中心とする医療工学とは区別され、人間の非改造を基本として、人間の周辺を改造するという立場をとる。具体的には人工聴覚や人工視覚、看護の支援ロボットなどの開発が含まれる。著者の研究室にそうした技術の具体例が多数示されている。

・伊福部・井野研究室 ホームページ
http://www.human.rcast.u-tokyo.ac.jp/index.html
  ・触覚を利用した聴覚補助装置(タクタイルエイド,タクタイルボコーダ)
   http://www.human.rcast.u-tokyo.ac.jp/topics/01tactile.html
  ・人工喉頭
   http://www.human.rcast.u-tokyo.ac.jp/topics/02yourtone.html
  ・人工内耳
   http://www.human.rcast.u-tokyo.ac.jp/topics/04interear.html
  ・音声-字幕変換システム
   http://www.human.rcast.u-tokyo.ac.jp/topics/03onsei-jimaku.html

■福祉工学とビジネス 地域の特殊性、対象への愛着がカギ?

福祉工学とビジネスの関係もこの本のテーマのひとつとなっている。

身体の障害は人それぞれであるため、応用製品は多品種少量生産にならざるを得ない。だから、大企業よりベンチャー企業や町工場が得意とする分野であるかのように思える。しかし、実際にはベンチャーが製品化に成功してしばらくすると、大企業が参入してきて市場を独占してしまうことも多いらしい。著者の関係したコンピュータ操作支援ソフトでの苦い体験も綴られている。

この本で福祉工学のビジネス化についての目の覚めるような解決策というのが提示されるわけではないのだが、いくつか考えるヒントになる提言があった。

ひとつは地域性の特色を活かせということ。北海道大学に長く滞在していた経験からの言葉だが、北海道の場合「寒さ」「積雪」「広域性」の3つが地域の特色である。温度差による人体影響の研究や、積雪時にも使える車椅子、点字タイルの開発などは北海道でなければ長期間研究ができなかったはずだと言い、中央でないからこそ、生まれる研究成果を大切にせよとアドバイスしている。

もうひとつ面白かったのは日本のロボット工学がなぜ世界の先端を進めているのかの分析。日本人はロボットを鉄腕アトムのような人間の味方として愛着を持つ人が多く、それが研究が盛んな理由なのではないかとする考察。

・森山和道の「ヒトと機械の境界面」バックナンバー
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/backno/kyokai.htm
ロボットとヒトの関係について詳しいサイエンスライターの森山氏のサイト

■五感で感じ取れるようなものが発見につながる

地域の切実な需要だとか、愛着を持っている対象というのは、”本物”のニーズであり、競争力のある研究になる可能性が高いということかなと思った。このほか、五感を大切にするといいという指摘もあった。

著者の長い研究史を眺めると、意外なところに発見があるものだと感心する。九官鳥、インコ、コウモリ、腹話術の研究が、人工声帯の開発に役立ってしまったりする。きっかけは予算で九官鳥を消耗品として購入して研究室で飼う、コウモリを洞窟へ捕獲しに出掛ける、腹話術の大会で講演するなど、机上にとどまらない行動だった。見事に研究の突破口につながっていく。


手に取れるような等身大のもので、五感で感じ取れるようなものからの発想が意外と役立つ場合がある

というのは福祉工学に限らず研究の極意のように思えた。

■生体機能から生活機能の支援へ。移動、コミュニケーション、情報獲得

著者は、障害者支援を「特殊な境遇の人のための特殊な領域」と見るのではなく、高齢者・病人・幼児などの身体的弱者を支援する社会システムの一つとして考えようとする、世界保健機関(WHO)の提言を支持している。そして、生体機能の障害を補助するという観点から、活動や参加といった、生活機能の充足を実現するための技術開発という方向性が必要だと唱える。

著者の在籍する東大先端研では生活するうえで最も必要な支援技術として、

・移動
・コミュニケーション
・情報獲得

の3つを重点課題として設定しているという。行く、話す、知るということが、活動や参加の原点で、生活の質を引き上げる主要素だということだろう。

引き上げる、支援するだけでは終わらないかもしれないとも思った。障害者があるが故にその他の感覚が研ぎ澄まされて、いわゆる健常者にはない能力を得るケースもあるようだ。全盲の人の中にはモノの気配を感じ取って衝突を避ける能力がある人がいるらしい。この本で紹介された研究によると環境音の反射からモノの位置を割り出すことができるという。耳が聞こえない人の中には読話術といって口の動きから会話を推定する能力を持つ人もいる。マスクをしていても高確率で分かるとも言われる。

こうした技術を突き詰めていくと、まるで超能力のような、まったく新しい能力の開発やロボット開発にも福祉工学は寄与するかもしれないと感じた。

■Windowsのユーザ補助機能

福祉工学と言えるかどうかは知らないが、Windowsにもコントロールパネルを開くと「ユーザ補助」の機能設定パネルがある。ここには普段見慣れない設定が多数用意されている。

例えば視覚が不自由なユーザのために、画面コントラストを大きくする機能。このチェックボックスをオンにすると、

winsien02.JPG

このように、

winsien01.JPG

大きなフォントで白黒のユーザインタフェースに変化する。他にもマウスをテンキ操作できるようにしたり、サウンド再生時に画面を点滅させる機能などがある。場合によっては障害がないユーザでも使えそうな機能だなあと思った。

身体が不自由な人にも、そうでない人にも便利な支援アプリケーションは市場が大きそうだ。音声認識、画像認識、読み上げ、その他、チャンスはどこらへんにあるだろうか。

・ガリレオの指―現代科学を動かす10大理論
4152086122.09.MZZZZZZZ.jpg

素晴らしい!名作が多いピーター・アトキンスの著著の中でも代表作になるのではないか。年始に読んだ最初の一冊だが、いきなり今年ベスト1候補。書名から一般向けのやさしい科学書が連想されるが、決して入門にはとどまらない深い内容がある。

たまには科学知識の頭の整理をしておこうと思って、事典として買ったつもりが、意外にも伏線だらけのストーリーになっていて、引き込まれた。

■10大理論による壮大な科学パノラマ

古代から現代までサイエンスの世界に革新をもたらしてきた10の理論を、1章各30ページ程度で解説する。好きな章から読んでも良いと前書きにあるが、この本の妙を味わうには絶対に順番に読むべきだ。著者は綿密に10の理論を話す順序を設計しており、章を進めるごとに読者の視野が広がっていくように構成している。

1 進化 ─── 複雑さの出現
 進化は自然選択によって生じる

2 DNA ─── 生物学の合理化
 遺伝形質はDNAに暗号化されている

3 エネルギー ─── 収支勘定の通貨
 エネルギーは保存される

4 エントロピー ─── 変化の原動力
 いかなる変化も、エネルギーと物質が無秩序へと無目的に崩壊した結果である

5 原子 ─── 物質の還元
 物質は原子でできている

6 対称性 ─── 美の定量化
 対称性は条件を絞り込み、指針となり、力となる

7 量子 ─── 理解の単純化
 波は粒子のように振る舞い、粒子は波のように振る舞う

8 宇宙論 ─── 広がりゆく現実
 宇宙は膨張している

9 時空 ─── 活動の場
 時空は物質によって曲げられている

10 算術 ─── 理性の限界
 算術は、無矛盾ならば不完全である


各章はテーマが違うが、科学史の整理、基本事項の確認から始まって、パラダイムシフトを起こした中心理論の解説、その後発見された課題、最新の仮説、これからの展望と続く。科学者の興味深いエピソードも随所に織り込まれるが、理論の理解という本筋を邪魔しないように、慎重に配置される。

■下の次元から上の次元を想像する科学

この本で面白かったのは、時空の章ででてくる高次元の理解の仕方。

絵画の遠近法は3次元の世界を2次元に投影する。同じように4次元を理解するには、3次元に投影してから、さらに2次元の図として表現する方法があり、時空理解のツールとして説明されている。4次元の長年の研究者になると、ある程度直感的に高次元の形をイメージできるようになるらしい。パラダイム革新というのは、今いる次元より、高い次元を想像することから始まるのかもしれないと感じた。

理論は複雑とはいえ、科学で世界を理解できることの不思議さについて著者の述べた見解も興味深い。数学体系や物理法則は人間の脳が理解できる体系であるが故に、それを公理として記述した世界は理解できるのだという仮説。

理解可能なものだけを理解するのだとすれば、私たちは無数にある事象のうち、ほんの僅かな部分しか、意識していない可能性がある。それ以外(理解不能な事象)は存在に気づきさえしないのだ。

だから、パラダイムシフトを起こすには、公理系を組み替える必要がある。そうすることで、今は理解できないことを理解可能にすることが必要になる。それは高次元を低次元から想像するということに近いのではないか。

量子論、ナノ、バイオ、脳科学、複雑系、時空など、先端サイエンスの対象は、科学者でない一般人にとって、見えないどころか、想像さえ難しい領域へと突き進んでいる。こうした事象を説明するには、要約や比喩も万能ではなく限界がある。

私たちの一般的な学習は周知の公理の組み合わせでできる定理の数を増やすことでしかなかったように思える。だが、先端科学の応用技術が社会に多大な影響力を持つようになった今、一般読者の公理系のアップデートが必要とされているような気がする。この本はまさにそれを仕掛けている本だ。

■真のテーマは万物理論

この本の本当のテーマは万物理論である。

最終章では、数千年の科学知識を集大成した結果、今日の私たちは世界をどのように理解できるようになったか、が語られる。最新の万物理論に近づこうとしている。より広い意味での万物理論が完成したことは歴史上、何度かあったのではないかと考える。アリストテレスの哲学、ニュートン力学、アインシュタインの相対性理論といった大物理論の支配期間は、やがて人間はすべてを理解し、制御できると信じることもできた。例えば、粒子の位置と速度が分かればあらゆる未来を正確に予測できる、と勘違いした時代があった。

万物理論の完成はルネサンスであると同時に「科学の終焉」が近いことを意味するのだと思う。その後には技術の歴史しか展開することができなくなる。閉塞の中から、パラダイムシフトが生まれて、古い万物理論を根底から破壊してきた歴史が、この本の内容でもある。

逆に現代は万物理論がない時代だろう。以前と違うのはゲーデルの不完全性定理や、ハイゼンベルクの不確定性原理によって、算術や物理の不完全さが証明されてしまったことにあると思う。次の万物理論の構築は不可能か、可能だとしても相当とらえどころのないものになる可能性が高い。

最終章では未来の科学のパラダイムシフトを著者が予想する。10大理論の中で著者が最も大きな破壊力を持つとみなしているのは、やはり量子論であるようだ。量子論は確かに科学の考え方を変えたし、量子論の成果は経済の3割を既に占めているとされる(例えば半導体産業)、影響力の大きな理論である。「第一のパラダイム・シフトは重力理論と量子論の統一がもたらすだろう」とし第2のパラダイムシフトとして物理的実在の根源を説明する、究極理論が遂に登場するだろうと予言する。

科学の未解決な問題のうち最も重要なものとしては、宇宙の起源と人間の意識のふたつをあげている。このふたつは意外にリンクしているのではないか?と読み終わって考えた。人間中心主義宇宙論や、量子論における位置と運動量の不確定性などの考え方は、客観と主観の間に真理をみつけようとする方向のように思える。

究極の万物理論の最終回答は「ビッグバンは私の心の中で始まった」なんていうオチでもおかしくないような気がしてきた。SF小説の読みすぎだろうか。

しかし、まあ、よくこれだけ広い分野を一人で理解し、格調高く説明できるものだと驚く。著者は天才だ。

・昨年度マイベストSF 大作は「万物理論」、中短編は「あなたの人生の物語」
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002774.html