Books-Science: 2005年8月アーカイブ

・ジーニアス・ファクトリー ノーベル賞受賞者精子バンクの奇妙な物語
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不謹慎かもしれないが、これは面白い。

1980年、割れないメガネレンズで財を成した大富豪ロバート・グラハムがカリフォルニアに精子バンク「レポジトリー・フォー・ジャーミナル・チョイス」を創設した。これは普通の精子バンクではなかった。同社のカタログに掲載されているドナーは、ノーベル賞受賞者を含む天才たち。知能検査で高い成績の女性に天才男性の精子を受精させ、人類の遺伝子プールを改善するという、優生学的野望を掲げる組織だった。

精子バンクは実態があまり知られていないが、米国ではこれまでに約100万人のドナーベイビーが誕生しているらしい。だが、実在のノーベル賞受賞者が精子を提供したことを売り物にし、人類の改造を目指したのは、このバンクだけであった。

知名度は高かったが、経営や運用はずさんであったようで、経営者の死去により、同バンクは1999年に閉鎖された。それまでに生まれたスーパーベイビーの数は約200人。精子提供者の男性が誰なのかは、女性にも秘密の匿名原則。女性には提供者のプロフィールとコードネームだけが知らされていた。

オンラインマガジン「スレート」の人気ライターである著者は、この奇妙な精子バンクに偶然興味を持ち、サイトに記事を書いた。すると、当事者たちから情報が次々に寄せられた。成長したドナーベイビーの中には自分の本当の父親が誰なのかを知りたいと強く願う人たちもいた。バンクは閉鎖され記録が失われた現在、父と、母や子を仲介できるのは、もはや著者だけであった。こうして天才精子バンクの実態解明とドナー探しの旅が始まった。

天才の遺伝子を受け継いだこどもたちは、果たして天才になったのだろうか。驚異的な才能を発揮して社会のリーダーとして活躍しているのだろうか。バンクは追跡調査を行っていなかったので、それは長年の謎であった。

著者の粘り強い調査によって、次々に意外な事実が解明されていく。提供者たちはどのような人たちだったのか、実際に何人かとは会って話を聞いている。そして生まれたベイビーたちは今何をしているのかもわかってくる。ついにはそれをのぞむ親子を対面させていく。白日の下にさらされる苦い真実。小説以上に奇異な実話である。

ドキュメンタリには、匿名ドナーの本当の父親を探すこどもと、それを希望する父親の対面を支援するコミュニティがでてくる。実際にサイトを検索するとすぐ見つかった。登録者数2300人。メーリングリストのメッセージ数を見ると、活発に情報交換が行われていることが推測できる。

・Yahoo! Groups : DonorSiblingRegistry
http://health.groups.yahoo.com/group/DonorSiblingRegistry/
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天才は少なくとも一人は誕生していた。だが、必ずしも皆が優秀で天才というわけでもなかった。著者がコンタクトできたのはごく一部なので、統計的にバンクの人類改造の野望がどこまで果たされたかは不明である。ただ、この本を読んで確実に言えそうなのは、天才の遺伝子を受け継いでも、必ず天才になれるわけでも、幸福になれるわけでもないということ。

当事者たちが何を考え、天才精子バンクに関わったのか。その後、どう人生を生きてきたのか。数組の奇妙な親子たちへの取材は、ひとつひとつがドラマである。こどもたちには優越感もあれば寂しさもある。実は深い考えなどなくアルバイトとして精子提供を行っていたドナーもいた。プロフィールに嘘を書いた人物も告白を始めた。複雑な心理を抱えて、関係者は生きていた。

天才を人工的に作ることができるのか、この本に回答はない。ただ、実の子であろうとなかろうと、愛情豊かに育てられることが、人を幸せにする。その結果、才能も開花するし、社会的に高い地位につける。そういうことなのではないかと、この奇妙な実話を読んで考えてみた。

・天才はなぜ生まれるのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001320.html

・心はどのように遺伝するか―双生児が語る新しい遺伝観
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001049.html

・ヒトはなぜするのか WHY WE DO IT : Rethinking Sex and the Selfish Gene
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003360.html