Books-Science: 2006年8月アーカイブ

物理学の未来

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・物理学の未来
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ノーベル物理学賞受賞者ロバート・B・ラフリンが語る物理学の未来。

16章のエッセイを通じて、科学における還元主義の終焉と、創発主義の時代の到来を予言している。

「私は時代という考え方が好きではないが、しかし現在、科学が還元主義の時代から創発の時代へと変わりつつあり、物事の究極の原因探しが部分の振る舞いから集団的な振る舞いへと移行しつつあるという、好ましい状態になるかもしれないとは考えている。」

創発の代表例として物質の相転移が挙げられている。相転移がいつ起きるかを、その物質を構成する原子ひとつを見て、演繹的に言い当てることは不可能だ。相転移は集団的な現象であって、原子ひとつでは起きないからだ。多は異なり。たくさんの原子が集まって、何らかの条件で系が組織化されているとき、相転移は起きる。マクロなレベルでは条件は安定しているから、水が沸騰する条件は容易に言い当てあることができる。

「「ミクロな法則は真であり、おそらく相の原因となりうる。したがって、演繹的に証明はできないものの、ミクロな法則が相の原因であると確信できる」。この主張は信頼でき、私は正しいと考えているが、「原因」という言葉に普通とは違う意味をもたせるという、奇妙なニュアンスを帯びている」

伝統的な科学は物質の究極的な基本構成要素を探してきた。顕微鏡の精度があがるたびに、分子や原子、電子や陽子や中性子、クォーク、そして超ひもなどの、より小さな単位を発見した。しかし、量子レベルの振る舞いは、マクロのレベルとはまったく異なる法則に支配されていることも知った。

それでもなお多くの科学者は、法則をたくさん発見して束ねていけば、万物の振る舞いを説明することができると信じている。この決定論的還元主義に固執する態度に対して、著者は強烈に異を唱えている。

なぜそうなるのかを第一原理から演繹することができないのが、創発現象である。創発主義では、単純な存在が集まることで新たな自然法則を生み出していると考える。そこでは法則が組織化を作り出すのではなく、組織化が法則を作り出している。

著者はノーベル賞受賞者のパーティで「今でもアインシュタインは正しいのか」という質問に対してこう答えている。

「アインシュタインの考えは確かに正しく、その証拠は日々目にできるが、この質問が本当に意味しているのは、相対論が正しいかどうかというよりも、数々の基本的な事柄は重要なのかどうか、そしてそれらはまだ発見されていないのかどうか、ということだろう。」

そして、究極の微細な構造を操作するナノテクノロジーや、測定精度があがれば科学が終焉すると言う考え方に対して、徹底的に批判を浴びせている。そこを探せば無数の未知の現象やミクロの法則が見つかるだろうが、それらを再構成しても私たちが知りたい世界の説明は見つからないだろうと予言している。

この本は全編が皮肉とユーモアにあふれている。優秀な若者がシリコンバレーのベンチャーに身を投じることや、科学的な創造性を捨てて実利の技術や、政治的に注目されている課題に注力する若手を冷笑する。現代物理学の権威の大放言大会であるが、科学の未来への情熱がギンギンに感じられて、圧倒される。

・人類が知っていることすべての短い歴史
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面白い教科書がないと考えたベストセラー作家ビル・ブライソンは3年間をかけて、多数の科学者に取材し、世界の成り立ちすべてを、わかりやすく説明してみせた。677ページもあるので持ち歩いて電車で読むには重い。寝床で寝転がりながら、少しずつ、大切に読み進めた。読む価値のある科学史の名著。

ビッグバンによる宇宙の始まりから、地球が誕生し、生命が生まれ、進化し、人類が誕生するまでの百数十億年の歴史が30章で語られている。各章には最新の科学でわかっている事柄と、それを解明した科学者のドラマが詰まっている。

一般読者向けのわかりやすい要約が素晴らしい。たとえば、アインシュタインの特殊相対性理論の方程式 E=mc2についてはこんな風に説明している。


学校で習ったのを思い出す人もいるだろうが、方程式のEはエネルギー、mは質量、c2は光速度の二乗を表わす。ごく簡単に説明すれば、この方程式は、質量とエネルギーが同等であることを意味している。それらふたつは、異なる形態を取った同じものと言える。エネルギーは解放された物質で、物質は解放を待つエネルギーなのだ。C2は桁外れに大きな値だから、つまりこの方程式は、あらゆる物質に大量の───とてつもなく大量の───エネルギーが閉じ込められていることを示す。

どのくらい大量かの具体的な説明が続く。比喩でビジュアライズするのがうまい。

科学の授業らしく、本論を脱線して興味深い逸話をたくさんとりあげる。


今までに科学調査を目的に行われた現地調査のなかで、参加者同士が最も不仲だったものを選べといわれたら、1735年にフランス王立科学アカデミーが派遣したペルー調査隊を挙げておけば、まず間違いはない。水文学者のピエール・ブーゲと軍人で数学者のシャルル・マリー・ド・コンダミンに率いられてペルーに赴いた一隊だ。目的はアンデスを山越えしての三角測量。

地球の大きさを測るには、フランスで測っても同じなのに、そのほうが冒険的だからというだけの理由で、アンデスへ赴き、無為に10年を過ごした探検隊の話だった。科学者なのに合理的に振舞わない人たちのこうした悲喜劇は意外な発見につながったりもしていることを教えてくれる。

「知っていることすべて」を集めても、人類はまだ宇宙がどのようにして始まったのか、生命がどうして誕生したのかなどの大問題について、ほとんど答えることが出来ない。科学は最新の仮説を提供しているだけで、ある意味、神話と同じかもしれないと感じた。


事実、非常に基本的なレベルでさえ、わからないことがあまりにも多い。とりわけ不思議なのは、宇宙が何でできているのかという点だ。宇宙全体を維持するために必要な物質の量を科学者たちが計算すると、いつもはなはだしい不足が生じる。少なくとも宇宙の90パーセント、おそらく99パーセント近くが、フリッツ・ツヴィスキーの唱えた”暗黒物質”でできているらしい。

この本を読むと、最新の仮説集である近代科学の全体像が一望できる。分厚い本だが、科学の数百年分の要約であるから「短い」のだ。大変な満足感を味わえる一冊。おすすめ。

・ガリレオの指―現代科学を動かす10大理論
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002797.html

・ビッグバン宇宙論 (上)(下)
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004613.html

・はじめての“超ひも理論”―宇宙・力・時間の謎を解く
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004230.html

・ホーキング、宇宙のすべてを語る
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004047.html

・奇想、宇宙をゆく―最先端物理学12の物語
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003562.html

・科学者は妄想する
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003473.html

・プリンストン高等研究所物語
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003621.html