Books-Science: 2006年11月アーカイブ

渋滞学

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・渋滞学
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「自己駆動粒子」の研究。

自己駆動粒子とは、自分の意志を持って自発的に動く粒子のことで、道を歩く人間は典型例である。自己駆動粒子の動きは、ニュートン力学の3つの法則(慣性の法則、作用=反作用の法則、運動の法則)で動くニュートン粒子とは異なる。意識を持った人間は、近づいてくる他人をよけようとするし、前が空いていれば早足になる。水や空気の流れはニュートン粒子の流体力学で分析できるが、交通渋滞やインターネットの混雑の場合には、異なる分析アプローチが必要なのだ。

自己駆動粒子系の理論モデルとしてASEP(非対称単純排除過程、エイセップ)が近年注目されているという。ASEPとは、右か左か進む方向が決まっていて(非対称)、一人分の空間には一人の人しか入れない(排除)という、シンプルなルールでモデル化される過程である。ASEPのシミュレーションには、横に並べた箱の列に複数の玉を入れ、ルールに従って順次に動かしていくセルオートマトン法が適用できる。

最初に適当に箱の列に玉を入れておく。単位時間あたりに一回、すべての玉を動かすものとする。進行方向にある前の箱が空なら玉をひとつ動かす。前が埋まっていたら動かせないで一回休み。玉の数が増えるとお互いが邪魔で動けない玉の集団(クラスター)が発生する。これが大規模になると渋滞クラスターになる。遅れは後ろへ伝播する。箱の数に対して玉の数が半分を超えると、渋滞は発生するそうで、

「自由相から渋滞相への相転移の臨界密度は2分の1である」

というそうだ。つまり道の半分以上が埋まっていることが渋滞発生の条件といえる。この基本条件は、前が空なら2回に1回移動するというような移動確率を設定しても、2分の1という数字は不変だそうで、系の普遍的な性質であるらしい。

もちろん現実の交通渋滞にはその他の要素もたくさん影響している。運転手は考えながら車を走らせているので、車間距離を混雑状況に合わせて調整している。渋滞の直前には混んでいるけれども速く走ることができる「メタ安定状態」が見られる。渋滞回避への協調行動の成果である。しかし、その持続時間は通常は短いため、すぐに渋滞に陥る。メタ安定状態を長時間維持できる仕組みが発明されれば、素晴らしい渋滞ソリューションになりそうである。

追い越し車線がある場合には、混み始めると車線変更をする車が増えるが、追い越し車線のほうが遅いという逆転現象が起きる。だんだんと混んできた状況では走行車線を走る方がよいらしい。信号が青になって動き出す時間は1台あたり1.5秒で、前に10台いたら自分が動けるのは15秒後であるなどの実用的で面白い数字も明かされている。渋滞の大きな原因である「サグ部」の謎などは初めて知った。

人気店舗の待ち行列や、インターネットのパケット交換の渋滞など、車以外の渋滞の分析例も後半で多数扱われている。セルオートマトン法で分析する渋滞学はコンピュータ計算と相性がよいため、ITエンジニアが問題解決に貢献できそうな分野である。これからは、渋滞や長蛇の列に巻き込まれたら、この問題をじっくり考えてみよう、と思った。

・ビッグバンの父の真実
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キリスト教の司祭でビッグバンの父と呼ばれる物理学者のジョルジュ・ルメートルの伝記である。理論の核となるアイデアを提唱したにも関わらず、ビッグバン理論の歴史書におけるルメートルの扱いは不当に小さい。定常宇宙論の提唱者でビッグバンという名前をつけたフレッド・ホイルや、ルメートルの「原初的原始」という着想を発展させた破天荒な科学者ジョージ・ガモフの方が有名かもしれない。

ルメートルの仕事は近年の物理学、天文学の進展によって、画期的なものであったと再評価が進んでいる。サイモン・シンのビッグバン宇宙論でも肯定的な記述が多かった。ルメートルはアインシュタインと親交を結びよく議論した人物だ。

・ビッグバン宇宙論 (上)(下)
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004613.html

アインシュタインは相対性理論で宇宙の成り立ちを数学的に説明するときに、当初は宇宙定数Λ(ラムダ)を導入した。この定数を式に組み込まないと宇宙の構造が安定しないマジックナンバーであった。しかし、その値は当時は観測に基づくものではなく、式を成立させるための道具的で、恣意的な要素であったため、アインシュタインは後年、Λの導入は大きなミスであったと自説を否定した。

一方、ルメートルはアインシュタインが翻意したあとも、それは恣意的な要素ではなく、まだ観測されていないだけの本質的な要素であると考えて強く支持していた。近年、宇宙観測の技術が進歩し、宇宙背景放射が確認されるに至って、はじめてその考えの正しさが証明されつつある。

ルメートルの名前が科学史に埋もれがちな理由のひとつが、彼が科学者であると同時に宗教家であったからだといわれる。高エネルギーから宇宙が生まれたとするビッグバンは神の創造を連想させる。ルメートルの言うことは、非科学的なのではないかと疑われてしまうのだ。

しかし、ルメートル自身はそのキャリアの最初から、科学と宗教を厳密に切り分けてきた。宗教との関係についてこう発言している。


 聖書の執筆者は皆、人間の救済という問題について何らかの答えを得ていました。それがどの程度の水準だったかは人によって違ったでしょうが。それ以外の問題については、彼らの同時代人たちと同じ程度に賢明、あるいは無知だったのです。ですから、聖書のなかに、歴史的・科学的事実に関する誤りがあるとしても、それは何の意味もないものです。その誤りが、それについて書いた人が直接観察したのではない事柄についてのものである場合は、特にそうです。
 不死や救済の教義に関して彼らが正しいのだから、ほかのすべての事柄についても正しいに違いないと考えることは、聖書がいったいどうしてわたしたちに与えられたのかということを正しく理解していない人が陥る誤解です。

だから、時の教皇ピウス12世が、ローマ教皇庁科学アカデミー議長もつとめたルメートルらの発見は神の創造を科学的に証明したものだと発言した際には、頭を抱えてしまった。後に、それとこれとは関係ないのですと教皇に進言しさえもした。

・ジョルジュ・ルメートル - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB

そしてルメートルはコンピュータを使いこなす「ハッカー」の草分けであったとも言われる。晩年はビッグバン宇宙論の前線からは退いて、当時まだ珍しいコンピュータによる数値計算の分野で業績を上げた。謙虚な性格であったためか、コンピュータの歴史でもあまり登場しないのは残念だ。

この本では、ルメートルの視点から見た、もうひとつのビッグバン宇宙論の歴史が語られている。ビッグバン宇宙論とは科学の言葉で書かれた現代の神話であると思う。科学と宗教の中間にいながら、自己矛盾することなく、その神話の創造に参加した稀有なバランス感覚の天才だったようである。

・ガリレオの指―現代科学を動かす10大理論
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002797.html

・はじめての“超ひも理論”―宇宙・力・時間の謎を解く
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004230.html

・ホーキング、宇宙のすべてを語る
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004047.html

・奇想、宇宙をゆく―最先端物理学12の物語
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003562.html

・科学者は妄想する
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003473.html