Books-Sociology: 2009年8月アーカイブ

・アーキテクチャの生態系――情報環境はいかに設計されてきたか
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技術と社会が密接に連動するかたちで変容していくプロセスを「アーキテクチャ」を軸に展望した新人気鋭の社会学者 濱野氏の本。先端的な内容でありながら、キーワードと先行研究を紐づけて整理しており、中身が濃い。

かつて法学者ローレンス・レッシグは現代社会を規定しているのは「法律」「規範」「市場」と「アーキテクチャ」の4つだと言った。著者はこの「アーキテクチャ」を環境管理型権力としてとらえて、その特徴を、

1 任意の行為の可能性を「物理的」に封じてしまうため、ルールや価値観を被規制者の側に内面化させるプロセスを必要としない。

2 その規制(者)の存在を気づかせることなく、被規制者が「無意識」のうちに規制を働きかけることが可能。

と要約している。

とりわけ設計自由度が高いだけに、規制されている側が気がつかず、密かにコントロールされてしまうのが、情報システムのアーキテクチャの凄さであり怖さである。著者は、アーキテクチャの例として、ミクシィの足あとや携帯電話カメラのシャッター音を挙げている。足あとやシャッター音は、ユーザーの行動を無意識のうちに活性化させたり、抑制したりしながら、全体を設計者の求める方向へ収束させる。

日本のネットコミュニティが生み出した独特のアーキテクチャとして、ニコニコ動画のコミュニケーションが詳しく取り上げられている。それまでのリアルタイムコミュニケーションは、盛り上がりの後から来た参加者は楽しむことが出来なかった。ニコニコ動画では擬似的なリアルタイムを演出することで、祭りを持続させることができた。

「つまり「真性同期型アーキテクチャ」が<後の祭り>を不可避的に生み出してしまうシステムだとすれば「疑似同期型アーキテクチャ」は、いうなれば<いつでも祭り中>の状態を作り出すことで、「閑散化問題」を回避するシステムである、ということができるのです。」

コミュニティの内部では普遍的で客観的であるかのように成立している基準が、外側からは解読不可能であるという「限定客観性」の問題を取り上げている部分も興味深い。内輪の線引きのやり方にネットコミュニティの本質があると指摘する。

「情報社会とは、こうした「限定客観性」の有効範囲を、ほかならぬアーキテクチャ(情報環境)によって画定する社会のこと」

"声がどこまで聞こえるか"はシステムによって任意に距離に設定可能なのが情報システムなのである。もちろん、情報の使い手側もさまざまなツールや利用知識でそれらに抗うこともできるのだろうが、マジョリティはシステムの作り出す空間に慣れてしまう。経済もまたアーキテクチャに作られていく。

「もはやあらゆる作品やコンテンツは、書籍などの「コンテナー」にパッケージングされていた「内容」それ自体が消費されるというよりも、人々の「コミュニケーション」(繋がり)を効率的に喚起するかどうか、という点において消費されている」

アーキテクチャを通じた「繋がりの社会性」を、いま起きているネットコミュニティの動向をケースに、内外の社会科学者の仮説・理論とつなげながら読み解こうとする意欲的な内容で大変面白かった。