Books-Triviaの最近のブログ記事
世界的に見ても「ん」ではじまる言葉はほとんどない。「ん」はちょっと特別な音。
「日本語には上代、「ん(ン)という文字はなかった。上代の日本人も、現代の日本人と同じように考え事をしながら「んー」と唸っていたのかもしれないが、それを書くことはできなかった。書けないから、無理をしてでも書かなければならないときには「イ」とか「ニ」という現代のカナカナを記号として使っていた。でも「イ」を使うと「i」、「ニ」と書けば「ni」と発音することになってしまう。「i」や「ni」と間違って読まれないための記号は何かないか......という試行錯誤の結果、「ん(ン)」という文字が生まれてきた。」
古事記をはじめ上代の文書には「ん」と読む仮名が一度も出てこないものらしい。
ありなむ→ありなん
知りなむ→知んなむ
のように、口語として使われたのが最初であるそうだ。次第に大衆に普及して「ん」は平安時代に表記の必要性が感じられるようになり、音をあらわすための文字として成立した。清少納言は枕草子で「いでんずる」などという言葉づかいは汚い表現だと批判したそうだが、んは日本語のシステムのはみだし者として始まった。
「ん」と仏教の関係ははじめて知った。阿吽の呼吸という言葉があるが、真言宗は「阿」からはじまる「阿字観」という瞑想に始まり、「吽」で終わる「吽字観」という瞑想で終わる。これは宇宙の始まりの胎蔵界と宇宙の収縮の金剛界を意味していて、ひとつの宇宙観なのだ。日本語の五十音が「ア」に始まり「ン」で終わるのは、この仏教の宇宙観を反映しているという。「ん」が最後の文字であることにここまで深い意味があったのか。
「ん」には情緒が籠っている。そしてリズムを生みだす。著者は日本語の情緒とシステムをつなぐものだとして、その「ん」を讃える。「ん」への愛情と蘊蓄でいっぱいの一冊。
・怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001944.html
・犬は「びよ」と鳴いていた―日本語は擬音語・擬態語が面白い
http://www.ringolab.com//note/daiya/archives/000935.html
・日本語の源流を求めて
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/11/post-660.html
・日本語に探る古代信仰―フェティシズムから神道まで
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/03/post-959.html
いま焼きそばが流行っている、らしい、ほんとか、どこで?。
でも、こんなムックが出るくらいだからブームなのだ。
正統派の焼きそばの名店や、おいしい焼きそばの作り方、カップ焼きそばカタログなど、焼きそばに関連する最新情報が網羅的に掲載されている。一冊丸ごとソース焼きそば、気合いの入った企画本である。
岸朝子氏が「私の場合、焼きそばと聞いて真っ先に思い浮かべるのがソース焼きそばなんですね。若い時に縁日で食べた味が、いまも記憶に残っているからではないでしょうか。」と言ってそれが食べられる店 浪花家総本店(東京・麻布十番)を紹介している。この店は会社の近くにあるので食べたことがあるが、有名なタイ焼き屋さんでもある。まさに昔の縁日風の懐かしさ。
それに対して「焼きそばに王道なし」や「ニッポン縦断「焼きそば」の旅」特集では、変わり種の名物焼きそばが次々に紹介されている。「印度カレー食堂」(福島)のカツカレー焼きそば、青森県のつゆ焼きそば、日本そばをすき焼きのだしで焼く「トシヤ」(神戸)のそば焼、トマトソースをかける新潟のイタリアン焼きそば。聞いたこともないような斬新なバリエーションに驚かされるが、写真を見るとどれもこれもおいしそう。
そして、やはり一番力派が言っているのが正統派ソース焼きそば専門店の情報である。そんな専門店が存在していることが初耳だったが、先日、大門で発見したので食べてみた。
大阪弁ハンドブック。先日の大阪行きの新幹線で読んだ。
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何だ、それは → なんやそれ?
例:何だ、それは? へんな髪型ですね
なんやそれ? かわった髪型やなあ
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のように標準ごとの対応と用例が示される。
あれほど言ったのに → せんどゆうたのに
触ってはいけません → いらいな
うまいこと騙された → いかれこれですわ
わるふざけしないで → てんごせんといて
など、雰囲気では理解できても、実はよくわかっていない項目もちらほらとあって、関西人を妻(と親戚)に持つ私としては勉強になるのであった。しかし、妻や親せきとの会話ではまず登場しない語彙というのもあるのだ。
まったくよくわからなかったのが、
ラブラブ、熱々 → ちんちんかもかも
例:あの二人ラブラブですね
あの二人ちんちんかもかもや
である。まだまだ知らない領域が広がっているようだ。
今回の大阪の妻の実家への里帰り旅行では、いかにも大阪っぽいところへ行ってみようということになり、
裸の少年のラーメン紹介コーナーの書籍化。佐野実が厳選した「今食べるべき」ラーメン店を解説する。"佐野JAPAN"座談会と、"ラーメンの神"山岸一雄氏(大勝軒会長)との対談も収録。この番組が発掘した店も多いらしい。
佐野実というのは、私の地元藤沢に最初の店を開いた人ということで、昔から注目しているのだが、正統派のあっさりしょう油ラーメンをつくらせると感動的にうまい。目新しいだけの新具材だとか、こってり系の味噌でごまかすなんてことを絶対にしない人である。この本でもやはりクラシックなこだわりのラーメン店を紹介していく。
中華そば屋伊藤(王子)
六厘舎(大崎)
麺処くるり(市ヶ谷)
きら星(武蔵境)
町田汁場 しおらーめん 進化(町田)
などなど。首都圏中心の30店舗。一般的な百科事典的ガイドブックと違って、ひとつの視点と価値基準で店を厳選しているから、行ってみたい店ばかり見つかった。
収録されている対談ではちゃぶ屋(この店も相当うまい)の森住康二が経営者としての感慨を率直に述べているところが印象的だった。新世代の売れっ子なのに厳しい認識。
「森住
経営者と職人の違いって、身を削れるかどうかですね。経営者って、やっぱり身を削るんです。社員に給料を払うために自分はとれない時が必ずあるし、個人保証とか、重いものを背負っていかなきゃいけない。身を削るというのは経験しないとわからない。今月の支払いがたりなくても顔に出さない。その積み重ねでね、現場に立つ人間とは違う所で交感神経を使うようになる。命がけですから、ホント。しかも自分の命だけじゃないから。リスクは大きいですよ。博打とか、そんな生やさしいものじゃない。」
これに対して巨匠 大勝軒山岸氏は、修行期間に対して柔軟な考え方をみせていて、意外である。勘のよい人をいかに見つけて育てるか、ということらしい。
「佐野
昔は10年だったけど、今は1年で店ができますね。
山岸
私は3ヶ月でものになる人はなると思っている。軽々しく出展させるなと文句を言われたこともあるけどね。3年、5年とやらせなきゃ本当はだめなんだけど、本人が一番燃えているときに「来い、教えてやるぞ」と言ってすぐ来させる。その短期間でぱぱっと教えて、「人生の試練に打ち勝て」と書いた色紙を持たせて送り出しちゃうわけ。」
佐野実の支那そばや本店は戸塚にあるそうで、この連休にでも食べに行く予定。この本は予習なのでした。
初めて読んだが予想外に内容が面白くて飛ばさず読破。野球観戦が一層楽しくなった。
1.01
野球は、囲いのある競技場で、監督が指揮する9人のプレーヤーから成る二つのチームの間で、一人ないし数人の審判員の権限のもとに、本規則に従って行なわれる競技である。
1.02
各チームは、相手チームより多くの得点を記録して、勝つことを目的とする。
1.03
正式試合が終わったとき、本規則によって記録した得点の多い方が、その試合の勝者となる。
<中略>
1.10 バット
(a) バットはなめらかな棒であり、太さはその最も太い部分の直径が二インチ四分の三(七・〇センチ)以下、長さ四二インチ(一〇六・七センチ以下)であることが必要である。バットは一本の木材で作られるべきである。
1.11
(e)ユニフォームには、野球ボールをかたどったり、連想させるような模様をつけてはならない。
規則を知らなければ"正式試合"を開始することさえできない。野球で試合を開始するにはまず何をすべきか知っているだろうか。答えは、
「まず、ホームチームの監督が、球審に二通の打順表を手渡す。」
である。へええ。次にビジティングチームの監督が同様に球審に渡し、球審は同一を確認した後、両チームに手渡すのである。
「5.03 まず投手は打者に投球する。その投球を打つか打たないかは打者が選択する。」なんていう、あったりまえじゃねえかという項目もある。規則だから全部書いてあるのだ。
野球規則のなかで特に思想が感じられるのが「6.07 打撃表に誤りがあった場合」の「ただし」以降である。
「打順表に記載されている打者が、その番のときに打たないで、番でない打者(不正位打者)が打撃を完了した(走者となるか、アウトとなった)後、相手方がこの誤りを発見してアピールすれば、正位打者はアウトを宣告される。 ただし、不正位打者の打撃完了前ならば、正位打者は不正位打者の得たストライクおよびボールのカウントを受け継いで、これに代わって打撃につくことはさしつかえない。」
つまり攻撃側が打順を間違えても、守備側が相手の誤りを球審に指摘せず、次の打者の「投手の投球」が行われてしまうと、不正位打者は正位打者と認定されるものなのだ。そして審判は誤りに気づいても指摘してはいけない。プレイヤーの不断の注意とアピールが野球精神の原則となっているのだ。
競技場や用具の細則、用語の定義など細部も面白い。ボークの規定、準備投球の制限、監督が投手のもとへ行く制限、審判員の報告義務、など、あまり考えてみなかったところも細かく決まっているのである。
「"ネット語"とはインターネットで生まれた言葉のこと。ネット社会の現代において、このネット語を理解できなければ、コミュニケーションはもはや不可能ともいえる。本書はそんなネット語のなかでも頻出の約350語を解説する。 」
2ちゃんねるやオタクのコミュニティに出入りすることの多い一般人向けのネット語解説書。350語あるが、全部知らなくても、全部知っていてもやばい。漏れ、スルー、妊娠(任天堂信者)、ゆとり、儲(信者)、情弱、カオス、orz、餅つけ、ピザ、ごくり、黒歴史、スイーツ(笑)、映画化決定、痛車、炎上、虹、乙、w、炊く、粘着、チラ裏、厨房、などなど。
各語に解説、用例、類義語、関連語などが載っていて親切。
だいたいこういう言葉は生半可な理解で使うと恥ずかしいエピソードが発生する。以下、実話ベース...。
エピソード1 リア充
先日、物知りな同僚が『リア充』という言葉を知らなかったので、私はここぞとばかりに「え、リア充も知らないの?リア充っていうのはさあ」と、とくとくと意味を教えてやったのだが、彼はモテ系であるが故に「リア充」を知らないのは当然なわけで、負けたのは私か?。
エピソード2 空気嫁
『空気嫁』。この言葉をチャット上で最初に見たとき、私は「長年連れ添って空気のように感じられる嫁さんみたい」の意として誤解し、「その彼女って空気嫁みたいな感じ?」なんて誤用をしたのですが、それなりに話が通じてしまい、後で意味を知って独り笑いました。
エピソード3 小一時間問い詰めたい
先日、会議で話題になった若者のミスについて私は「本当のところオマエどうなっているんだとその学生を小一時間問い詰めたい」と笑いながら言ったところ、同席者から「1時間も問い詰めるとパワハラになりますよ」と諭された。いやマジに受け取られても困るのですが。
【今使うとかなり痛い!】ビジネス・IT用語
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20090721-00000001-spa-ent
・まだある。大百科 お菓子編―今でも買える昭和のロングセラー図鑑

「橋本さんってお菓子、好きですよね」と同僚にまた言われた。
そう、私は仕事をしながら、ボリボリお菓子を食べている派である。職場だけでなく、自宅のブログ用机の上もお菓子だらけ。糖分を補給し、顎を動かすと、脳が活発に動くからである。
これは「今でも買える昭和のロングセラー」を写真とエッセイで紹介する人気のシリーズのお菓子編の集大成である。お菓子なけに、懐カシい、なんちゃって。お菓子のデータをよく調べた上で子供時代の思い出と絡めて書かれた長文エッセイが素晴らしい。子供時代の風景が蘇ってきて、実にいい感じの本なのだ。著者は1967年生まれなので、30代から40代くらいに響く内容。
発売年代によって1940年代、1950年代、1960年代前半、1960年代後半、1970年代前半、1976年以降という区切りで、数百のお菓子が紹介されている。三ツ矢サイダー、名菓ひよ子、ボンタンアメ、ゴーフル、中村屋の月餅、ミルキー、バヤリース、フエガム フエラムネ、モロッコフルーツ ヨーグル、フィンガーチョコレート、チェリオ、ジューC、ありあけのハーバー、キャラメルコーンなど定番商品から、駄菓子屋のニッチまでかなり網羅的に取り上げられている。
私が読んだ後で妻にも読ませた。面白かったのは、関東出身の私と関西出身の妻では一部に話が通じないお菓子があることである。ナボナ(関東)、ありあけのハーバー(関東)は妻は知らないといい、バナナカステラ(関西)を私は知らなかった。
ほぼ同じ菓子なのに東西で名称を変えているものもあった。とポテコ(少し太い)なげわ(少し細い)はどちらも東ハトの商品だが、流通量は東のポテコ、西のなげわだったそうだ。私は確かにポテコの記憶がある。
・ポテコ、なげわ
http://tohato.jp/products/potenage/
メーカーは今は両者をあわせてポテなげとして広告している、のだなあ。こういうお菓子に関するトリビアが満載の本で読み応えがある。ボリボリ。
・世界中のお菓子あります
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/06/post-408.html
世界史好きに超おすすめの本です。
「宋代以後、科挙は三段階をとり、まず地方で郷試(解試)を行ってその合格者を中央におくり、中央政府で会試(貢挙)を行い、続けて天子みずから行う殿試で最終的に決定するのがたてまえである。しかし後世になると、だんだんこの三段階の本試験に附属する小試験が追加され、清代になると非常に複雑なものになってきた。」
人類史上最難関の官吏任用試験である中国の科挙。第一回の587年から最後の1904年までの1300年間、その第一関門ともいえる郷試は3年に1度のペースで挙行された。試験場の南京の貢院には2万人もの受験者が押し寄せて、幾晩も独房に閉じこもって、世紀の難試験に必死の思いで取り組んだ。最盛期の科挙で最終合格者の進士になれるのは約3000人に1人。合格者は中央政府の高級官僚となり、権勢も財産も手に入れることができ、一族の繁栄が約束された。
四書五経ほか古典43万字の丸暗記と、詩作の技能などを試される。試験官にアピールすすためには、解答内容が完璧なだけではなくて、印刷したかのような明瞭な文字で答案を記述することも求められた。答案用紙を汚せば失格。雨漏りをする部屋で、受験者は夜通し必死で答案用紙を守ったという。すべての試験を通じて、天子と現王朝の祖先の名前のついた文字を絶対に答案に書き込んではならない(替え字が用意されている)という、落とし穴にも気をつけなければならなかった。
科挙は中国の政治体制を築く礎となった。これだけ広大な領土の国家を皇帝が長期間、独裁統治することができたのは、地方の貴族勢力を廃して、天子が任命した優秀な官僚を派遣することができたからである。また家柄も血筋も問わず万人に出世の門戸を開放したことで、人民に希望を与え、厳しい競争を勝ち抜く有能な人間を登用することができた。
科挙は究極の試験制度でもある。不正防止のための仕組みが何重にも織り込まれている。答案審査は姓名を隠し、座席番号だけを見て行われるし、審査員は答案そのものに手を触れず、写しをみるのみである。筆跡で受験者が特定されるのを避けるために数万枚の答案をすべて厳密な管理の下で職員に筆写させていたのである。試験官達は試験期間は、外部との連絡を禁じられて、試験場に数週間も缶詰状態であった。
しかし、非人間的なほど過酷な試験制度は、受験者の心や社会に歪みを生んだ。一握りの超エリートを選抜する一方で、数十年間の浪人生活の果てに絶望する大量の敗残者を生み出した。度重なる試験の失敗に嫌気がさして、民衆の反乱のリーダーになった者もいた。いくら対策が厳しくても、裏口入学や試験管買収などの不正が後を絶たなかった。過酷な試験場で幽霊や祟りを体験する話も多く伝わっている。
人類史上最難関の試験実施の実態と、関係者の悲喜こもごものエピソードが満載で、大変読み応えのある濃い内容であった。これを読んでしまうと、日本でいくら大学受験が加熱したところで、たいしたことなかったんだなあと思える。試験制度が極限まで行った姿が科挙なのである。
2000年前の沈没船から見つかった金属の歯車を持つ構造は、古代ギリシアで作られた世界最古のコンピュータだった。引き上げから100年以上を経て"アンティキテラの機械"の謎が解明されるまでの研究者達の苦闘を描いたドキュメンタリ。アンティキテラは時計の発明より1400年も早い。たったひとつの例外が数学の定理を書き換えるように、古代にあるはずのない構造の発見が科学の歴史を塗り替えた。発見された断片から失われた全体構造を想像し、使われた素材や表面に書いてある文字から、謎の物体の正体を推測していく。
『ムー』愛読者の私としては、アンティキテラの機械は"Oパーツ"の一つとして昔から知っていた。だが、科学者が最近になって本物の古代コンピュータだと認定していたことには驚いた。アンティキテラの存在は、人間の知識の進歩が必ずしも直線的に進んできたわけではないかもしれない可能性を示している。
2000年より長期のスパンでは文明の後戻りや袋小路が結構あったのかもしれない。そもそも進歩というのは後世から見たときに、あれは進歩だったと確定するものである。もし遠い未来に人類が『新世界より』のように科学技術を捨て、超能力を発展させていったとしたら、ここ数世紀の科学文明の進歩などたいした意味を持たないだろう。
古代人にとってもアンティキテラは未来的な最先端のテクノロジーだったのだろうが、その未来の延長線上に現代の技術文明があるわけではないようでもある。
「アンティキテラの機械がなぜ、誰によって作られたかを解明することは、古代のテクノロジーが「原始的」で、現代のテクノロジーは「先進的」という概念を、覆すことでもあった。考えてみれば、現代人が正確に時間を刻む実用的な機械を求めていた同じところで、ギリシア人は知識を獲得し、天界の美を表現し、神々に近づく方法を追究していたのだ。」
こういう"忘れられた科学技術"をもっと探してみたら面白そうだ。実現されなかった未来ベクトルに新たな意味が見いだせるかも知れないから。
科学者達が解読の名誉を求めて繰り広げる熾烈な競争が熱い。
・解読! アルキメデス写本 羊皮紙から甦った天才数学者
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/07/post-806.html
・ユダの福音書を追え
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/06/post-405.html
・ヴォイニッチ写本の謎
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/01/fhfcfjfbfzea.html
骨格をめぐる美術解剖学入門。遺骨から生前の顔を復元する復顔技術があるように、外観の美しさというのは皮一枚の問題ではなく、皮膚の下にこそ隠されている。
巻頭カラーで紹介されているのだが、日本の中世の肖像画や江戸時代の浮世絵など日本美術史における人物の絵画には陰影がなく立体感に乏しい絵がほとんどだ。それに比べて西洋画は骨格的特徴が強調され立体的な表現が多い。そもそも西洋での人体解剖は医師ではなく、自身の作品に構造を反映させようとした芸術家によって始められたそうだ。
人間の顔の見方には「光と影の中に骨格を意識し、立体として顔を捉える見方」と「顔の表面にある諸器官(目、鼻、口、耳)と、眉などのかたちや色、配置を捉える見方」の二つがあると著者は説明する。日本人は主に後者で人の顔を見てきたから、陰影を描いてこなかったのだとする。
なぜそういう見方が定着したかといえば、日本人が平板な顔だからである。舞妓や歌舞伎役者では、まず顔を白く塗ることで平らなキャンバスをつくり骨格の欠点を隠す。その上に化粧で自由に美しい顔を描く。欧米人の彫りの深い顔には向かない芸当である。
欧米人の顔と日本人の顔を白黒のポートレート写真で見ると両者の魅力の違いがはっきりする。彫りが深い欧米人の顔は陰影が濃くなって圧倒的に面白くなる。
・BW Side Light Portrait on Flickr
http://www.flickr.com/groups/bwsidelitportrait/pool/
日本人にも大きくわけて縄文顔と弥生顔の2種類の骨格がある。著者曰く
縄文顔の美女の典型 宮崎あおい
弥生顔の美女の典型 藤原紀香
であるそうだ。こう教えてもらえると典型がイメージしやすくなった。
そして現代の小顔美人の秘密は顎であるという話が興味深い。咀嚼回数が減ると顎が萎縮する。頭骨全体が顎の骨と噛み合うようにできているせいで、顎が小さくなると顔全体が小さくなるというのだ。
現代人の小顔は柔らかいものばかりを食べて顎が脆弱化した成果なのである。遺伝もあるわけだし健康との兼ね合いもあるが、小顔美人を育てるには柔らかいものを食べさせた方が良いということになりそうである。
ちょっと笑えたのが、鼻は始終つまんでいれば本当に高くなるという話。骨格も細胞でできているから新陳代謝による変化の余地があるのだそうで。
美人と骨格。視点がユニークな新書。
人気ブログ「俺と100冊の成功本」の聖幸さんから年末に頂いた本。
(なぜ私にくれるのですか?)
両手の人差し指でバッテンをつくって「おあいそ」
人差し指を立て顔の前で振りながら「違うんです」
忍者の術を繰り出す真似をしながら「ドロンします」
など、オヤジたちが使うジェスチャーを50パターンもイラストと使用例つきで解説する。
小指を立てながら女性社員に「○○ちゃん、最近コレとうまくいってる?」なんて聞くだとか、飲み会に誘われて断る際に、頭の上に鬼の角のように指を立て「ヨメがおかんむりでさ」と言う例など、オヤジ特有のジェスチャーというのは、オヤジっぽいシーンと密接につながっているのだなと気がつかされる。
「その話は横においといて~」は私もたまにやるのでアイタタタと思ったり。まあいいじゃないかそれくらい。
ここに紹介された50のジェスチャーと付録のオヤジ語辞書を活用すると、誰でもおもいっきりオヤジ臭くなることができる。
で、誰が何のために買うことを想定しているのかさっぱり分からない本なのだが、なにげに非常に丁寧に企画、編集されており好感度が高い。無意味に人に勧めたくなる本である。あ、だから聖幸さんは私にくれたのか?)。
・オヤジ★ジェスチャー
http://blog.zikokeihatu.com/archives/001433.html
聖幸さんのレビュー
鉄道写真を撮ろうと思ったことはないのだが、旅先で電車を見ると反射的に写真を撮ってしまう。当然、何のノウハウもないからうまく撮るのは難しい。新幹線や特急ホームで車両を何も考えずに撮影するだけではありきたりの写真になりがちである。
まず鉄道写真には次の4つのジャンルがあることを知った。
「形式写真」 停止している列車の特徴を記録する
「編成写真」 走行している列車を撮影する
「鉄道風景写真」 風景写真と編成写真の融合
「イメージ写真」 流し撮り、夜間撮影、車窓風景、シルエット撮影など
形式写真では側面:正面が7:3になるのが基本的な構図。
鉄道写真の世界は広く奥深い。写り込む架線の処理なんてこれまで考えたこともなかったが、考えてみると難しい問題だ。
「複線・電化区間での構図の決め方で一番問題になるのが架線柱をどのように処理するかである。焦点距離の短いレンズでは、左右いずれかの架線柱や信号設備が入り込んだりすることもあるが、135mm-200mmクラスの望遠レンズであれば、画面ないから架線柱などを上手く逃して、理想的な構図を得ることができるだろう。」
そして、カーブを曲がる列車は編成写真の肝である。インカーブ/アウトカーブ、ローアングル/ハイアングルの組み合わせと、それぞれのパターンに最適な構図の作り方、レンズの選び方、シャッターや露出設定など、カーブの撮影は最も詳しくマニアックにコツを教えている。
本格的な編成写真は、あらかじめ撮影地を決めて三脚を立て、やってくる列車を待つのが基本撮影スタイル。前の列車で練習できるとはいえ、ピントはあらかじめ設定しておく「置きピン」が基本。
「線路にピントを合わせる際の注意点は、2本のレールのうち、手前ではなく奥のレールにピントを合わせるということだ。手前のレールやバラストにピントを合わせてしまうと、右から4分の1の位置でも実際にピントが合っている位置は、かなり手前の方(前ピン)になってしまうのだ。」
人物ポートレイト写真も奥の瞳にピントを合わせよという教則を読んだことがあるが、レールも奥にピントなのだな。さらに車両全体を画面におさめる(切れるのは失格)ためには、距離感をつかむ必要があるが、「日本の線路は1本25メートルが基本案ので、ロングレールでなければ線路のジョイントの数と列車編成の長さから、画面の右端の位置を決めるのがコツだ。」という指導がある。
鉄道マニアでなくても、きれいに鉄道を撮影する秘訣を知ることができたのはちょっと嬉しい。勉強になる本だった。
・1日1鉄
http://railman.cocolog-nifty.com/blog/
著者の写真ブログ。
味覚は視覚や嗅覚と並ぶ人間の感覚のことで、嗜好は過去の食体験に基づいて決まる好悪判断のこと。本書は食体験にかかわる、このふたつの要素を科学的に解明する。
味覚には原味と呼ばれる基本要素としての味が5種類ある(甘味、塩味、うま味、苦味、酸味)。この組み合わせで味ができる。味覚は生存の上で重要な感覚のように思えるが、意外なことにそれぞれの味覚には受容体がひとつずつしか発見されていない。
これに対してにおいの受容体は388種類もあるという。実はにおいこそおいしさの決め手だったのである。口から鼻に抜けるにおいを風味と呼ぶ。鼻をつまんで風味を感じられないようにすると、何を食べているのわからなくなる。(試しにウナギでやってみたら全然おいしくなかった。)そして味わいの記憶もまた大半が風味の記憶で占められているそうだ。
おいしさには次の4種類があると分類されている。
1 生理的な欲求が満たされるおいしさ
2 食文化に合致したおいしさ
3 情報がリードするおいしさ
4 やみつきになる特定の食材が脳の報酬系を刺激する
疲れたときに甘いモノがうまいのが1で、日本人は味噌汁を飲むと落ち着くのが2、松茸やらフグがうまいというのは3である。4はかっぱえびせん(嘘)。一口においしいといってもいろいろあるのだ。
多くの種類の味わいが複合して単独の味が識別できなくなった状態をコクと呼ぶ。これには同心円状に囲むイメージで3種類があるという。真ん中の原型は直接的だが、外周には舌ではなくて脳が味わう仮想的なコクがある。
1 報酬の快感を引き出す原型のコク
2 原型を想起させる学習のコク(第2層)
3 抽象化された比喩のコク(最外層)
たとえば3にあたる懐石料理の吸い物の薄いコクには、ネズミは反応しないそうだ。上品なコクは、味わう側にそれを感じる素養が必要なのだ。
「「上品なコク」とは、そこにはガツンとくるような強烈なコクの直接の要因がほとんどなく、その面影だけが存在する風味といえるでしょう。味わうものに実体の肉付けを求める味と表現することも可能です。このコクを存分に味わうためには修練が必要であり、この厳しさが品位なのだと思います。」
つまり学習によって、おいしさは拡張されるということのようだが、逆もありそうだ。たとえば学生時代に最高においしいと思っていた食堂があった。社会人になって多少は舌が肥えてから久しぶりに訪れてみると、それほどのものではなかったと失望したことがある。まずさの拡張やおいしさの不感症という現象もあるのではないか。
ま、思い切り、お腹が空いていれば何でもおいしいものではあるが。
しみじみ味って深いんだな~と味わい深い本である。
科学者が真面目に取り組んでいる変な研究の事例紹介54本。
・ハトによるモネとピカソの絵画の識別実験
・黒猫がそばを通るとコイン投げの運が悪くなるか
・南極上空を通過する飛行機を見上げて本当にペンギンはひっくり返るのか
・ある人物の失業期間はこの人物が交際した失業者の数が多いほど長くなる
・左利きの人は右利きの人よりも寿命が短いのはなぜか
・人間に体毛がないのはセックスの際に毛ジラミが移るのを異性がいやがったから?
何の役に立つのか、なぜそんな研究を始めてしまったのか謎の、イグノーベル賞系の研究が多いが、中には意外な重大事実の発見もある。たとえば左利きの人は右利きの人より寿命が9年も短いというのは、真剣に原因を解明していく必要がある内容ではないか。
人類にはあくびがよく伝染する人々と、まったく伝染しない人々の、二つのグループに分類できるという。そうだよね。大勢参加のつまんない説明会などで、退屈しのぎに聴衆を観察していると、あくびの伝染って確かに起きているなあと、私は前から思っていたのだ。(私があくびの起点になって責任を感じるということでもあるんだけど)。
「この分類を行ったのは、フィラデルフィアのドレクセル大学の心理学者スティーブン・プレイテックが指導する研究グループで、それによると、社交的な人々には他人のあくびが伝染しやすいが、社交的でない人々には伝染しにくいという。つきあいが良くて、他人の立場や気持ちがよく理解できる人は感受性が高いので、他人のあくびを見ると反射的に自分もあくびをしてしまうというのだ。つまり、感情移入の能力によって。あくびに対する行動の違いが観察できるのである。この研究報告は≪認知脳研究≫(十七巻、二二三ー二七頁)に掲載された。」
あくびが、良い友人や結婚相手を選ぶのに使えるのではないか、と書かれている。お見合いであくびをするのはまずそうに思うが...。互いにあくびが伝染したのを見て自然と笑いが起きるようなグループは、一緒に何かするのに楽しそうである。コミュニケーションが大切なビジネスチームの能力判定にあくびが使えちゃうかもしれない。なんでも調べてみるものである。
合併後の地名の決まり方が面白かった。
全国に○○橋という地名が多いのは、合併の影響であるケースが多いらしい。どちらかの名前にすると角が立つから、「該当する市町に他の市町が吸収されるイメージを避けるための方便」を考えたり、「みんなが足並みを揃えて新しい自治体名に」したりするのだが、橋があるとその名前が採用されやすい。橋はその構造上「両岸の仲を取り持つ性格」になるのだ。
「整理すると、まず橋があり、電停名に採用されて周辺の通称地名的役割を担っていた。その後は震災後の町名地番整理(昭和初期)で統合新町名としてこれらの橋の名が採用され、その後は住居表示で町域が拡大されるか、あるいは別の町名に呑み込まれて消滅する、という過程をたどった。」
合併後の名前を決める過程では、下・影・沼・北はマイナスのイメージがあるとされて消滅する傾向があるという。3つ以上の市町村が合併するときには大胆な新自治体が合成される。数百の事例が紹介されているが、発想がぶっとんだものも多い。
谷津、久々田、鷺沼から一文字ずつとって「津田沼」はまだわかるが、鳥羽、吉野、新田、成相の合併で頭文字ト・ヨ・シ・ナをとって「豊科町」は大胆だ。十一村合併で十一を縦に書くと土になるから「土村」はちょっとあきれる。本当にそんなのでよいのか。
日本一長い地名「愛知県海部郡飛島村大字飛島新田字竹之郷ヨタレ南ノ割 」とか、学芸大がない学芸大駅、都立大がない都立大学駅の話とか、地名の雑学がたくさん紹介されている。トリビアの事例をたくさん読んでいくうちに、多様な力のせめぎあいの中で地名が決まっていくパターンがみえてくる。
















