Books-Trivia: 2009年7月アーカイブ

・頻出 ネット語手帳
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「"ネット語"とはインターネットで生まれた言葉のこと。ネット社会の現代において、このネット語を理解できなければ、コミュニケーションはもはや不可能ともいえる。本書はそんなネット語のなかでも頻出の約350語を解説する。 」

2ちゃんねるやオタクのコミュニティに出入りすることの多い一般人向けのネット語解説書。350語あるが、全部知らなくても、全部知っていてもやばい。漏れ、スルー、妊娠(任天堂信者)、ゆとり、儲(信者)、情弱、カオス、orz、餅つけ、ピザ、ごくり、黒歴史、スイーツ(笑)、映画化決定、痛車、炎上、虹、乙、w、炊く、粘着、チラ裏、厨房、などなど。

各語に解説、用例、類義語、関連語などが載っていて親切。

だいたいこういう言葉は生半可な理解で使うと恥ずかしいエピソードが発生する。以下、実話ベース...。

エピソード1 リア充

先日、物知りな同僚が『リア充』という言葉を知らなかったので、私はここぞとばかりに「え、リア充も知らないの?リア充っていうのはさあ」と、とくとくと意味を教えてやったのだが、彼はモテ系であるが故に「リア充」を知らないのは当然なわけで、負けたのは私か?。

エピソード2 空気嫁

『空気嫁』。この言葉をチャット上で最初に見たとき、私は「長年連れ添って空気のように感じられる嫁さんみたい」の意として誤解し、「その彼女って空気嫁みたいな感じ?」なんて誤用をしたのですが、それなりに話が通じてしまい、後で意味を知って独り笑いました。

エピソード3 小一時間問い詰めたい

先日、会議で話題になった若者のミスについて私は「本当のところオマエどうなっているんだとその学生を小一時間問い詰めたい」と笑いながら言ったところ、同席者から「1時間も問い詰めるとパワハラになりますよ」と諭された。いやマジに受け取られても困るのですが。

【今使うとかなり痛い!】ビジネス・IT用語
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20090721-00000001-spa-ent

・まだある。大百科 お菓子編―今でも買える昭和のロングセラー図鑑
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「橋本さんってお菓子、好きですよね」と同僚にまた言われた。

そう、私は仕事をしながら、ボリボリお菓子を食べている派である。職場だけでなく、自宅のブログ用机の上もお菓子だらけ。糖分を補給し、顎を動かすと、脳が活発に動くからである。

これは「今でも買える昭和のロングセラー」を写真とエッセイで紹介する人気のシリーズのお菓子編の集大成である。お菓子なけに、懐カシい、なんちゃって。お菓子のデータをよく調べた上で子供時代の思い出と絡めて書かれた長文エッセイが素晴らしい。子供時代の風景が蘇ってきて、実にいい感じの本なのだ。著者は1967年生まれなので、30代から40代くらいに響く内容。

発売年代によって1940年代、1950年代、1960年代前半、1960年代後半、1970年代前半、1976年以降という区切りで、数百のお菓子が紹介されている。三ツ矢サイダー、名菓ひよ子、ボンタンアメ、ゴーフル、中村屋の月餅、ミルキー、バヤリース、フエガム フエラムネ、モロッコフルーツ ヨーグル、フィンガーチョコレート、チェリオ、ジューC、ありあけのハーバー、キャラメルコーンなど定番商品から、駄菓子屋のニッチまでかなり網羅的に取り上げられている。

私が読んだ後で妻にも読ませた。面白かったのは、関東出身の私と関西出身の妻では一部に話が通じないお菓子があることである。ナボナ(関東)、ありあけのハーバー(関東)は妻は知らないといい、バナナカステラ(関西)を私は知らなかった。

ほぼ同じ菓子なのに東西で名称を変えているものもあった。とポテコ(少し太い)なげわ(少し細い)はどちらも東ハトの商品だが、流通量は東のポテコ、西のなげわだったそうだ。私は確かにポテコの記憶がある。

・ポテコ、なげわ
http://tohato.jp/products/potenage/

メーカーは今は両者をあわせてポテなげとして広告している、のだなあ。こういうお菓子に関するトリビアが満載の本で読み応えがある。ボリボリ。

・世界中のお菓子あります
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/06/post-408.html

・科挙―中国の試験地獄
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世界史好きに超おすすめの本です。

「宋代以後、科挙は三段階をとり、まず地方で郷試(解試)を行ってその合格者を中央におくり、中央政府で会試(貢挙)を行い、続けて天子みずから行う殿試で最終的に決定するのがたてまえである。しかし後世になると、だんだんこの三段階の本試験に附属する小試験が追加され、清代になると非常に複雑なものになってきた。」

人類史上最難関の官吏任用試験である中国の科挙。第一回の587年から最後の1904年までの1300年間、その第一関門ともいえる郷試は3年に1度のペースで挙行された。試験場の南京の貢院には2万人もの受験者が押し寄せて、幾晩も独房に閉じこもって、世紀の難試験に必死の思いで取り組んだ。最盛期の科挙で最終合格者の進士になれるのは約3000人に1人。合格者は中央政府の高級官僚となり、権勢も財産も手に入れることができ、一族の繁栄が約束された。

四書五経ほか古典43万字の丸暗記と、詩作の技能などを試される。試験官にアピールすすためには、解答内容が完璧なだけではなくて、印刷したかのような明瞭な文字で答案を記述することも求められた。答案用紙を汚せば失格。雨漏りをする部屋で、受験者は夜通し必死で答案用紙を守ったという。すべての試験を通じて、天子と現王朝の祖先の名前のついた文字を絶対に答案に書き込んではならない(替え字が用意されている)という、落とし穴にも気をつけなければならなかった。

科挙は中国の政治体制を築く礎となった。これだけ広大な領土の国家を皇帝が長期間、独裁統治することができたのは、地方の貴族勢力を廃して、天子が任命した優秀な官僚を派遣することができたからである。また家柄も血筋も問わず万人に出世の門戸を開放したことで、人民に希望を与え、厳しい競争を勝ち抜く有能な人間を登用することができた。

科挙は究極の試験制度でもある。不正防止のための仕組みが何重にも織り込まれている。答案審査は姓名を隠し、座席番号だけを見て行われるし、審査員は答案そのものに手を触れず、写しをみるのみである。筆跡で受験者が特定されるのを避けるために数万枚の答案をすべて厳密な管理の下で職員に筆写させていたのである。試験官達は試験期間は、外部との連絡を禁じられて、試験場に数週間も缶詰状態であった。

しかし、非人間的なほど過酷な試験制度は、受験者の心や社会に歪みを生んだ。一握りの超エリートを選抜する一方で、数十年間の浪人生活の果てに絶望する大量の敗残者を生み出した。度重なる試験の失敗に嫌気がさして、民衆の反乱のリーダーになった者もいた。いくら対策が厳しくても、裏口入学や試験管買収などの不正が後を絶たなかった。過酷な試験場で幽霊や祟りを体験する話も多く伝わっている。

人類史上最難関の試験実施の実態と、関係者の悲喜こもごものエピソードが満載で、大変読み応えのある濃い内容であった。これを読んでしまうと、日本でいくら大学受験が加熱したところで、たいしたことなかったんだなあと思える。試験制度が極限まで行った姿が科挙なのである。