日本奥地紀行

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・日本奥地紀行
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こんなに面白い紀行記があったのかと発見に喜んだ一冊。

今から128年前。明治11年6月から9月の3ヶ月間東京から北海道までを、一人の英国人女性がお供の”伊藤”を連れて旅をした記録である。著者が妹に送った44通の手紙をもとにして書かれている。世界中を旅行し紀行本を何冊も著した彼女は、人類学者のように細やかで冷静な観察眼と小説家並みの文章能力を持っている。この本は、当時の日本の貴重なスナップショットになっている。

イザベラ・バードは船上から見えた富士山の美しさを絶賛しながら横浜港に到着し、東京でしばらく奥地旅行の準備をすすめた。何人も面接を行った上で、狡猾そうだが、機転が利きそうで英語のできる少年”伊藤”を旅のお供に選ぶ。そして陸路で北上し、各地で寄宿しながら、目的地の北海道を目指す。美しい自然や、素朴な農村の人々とのふれあいを綴っている。北海道に入ってからは念願のアイヌ人との共同生活体験も実現させる。途中には何度か危険な難所越えもあり、冒険譚としても読みどころ満載である。

著者の日本の印象をまとめてみると、

・外国の女性が旅行しても安全な国
・こどもをやたらと可愛がる国
・農村の生活は貧しいが自由な国
・悪臭、蚤や蚊に悩まされる国
・プライバシーがない国

ということを、繰り返し強調している。

プライバシーがない国というのは、住居の様式の問題もあるのだが、著者が当時は珍しい外国人だったことにも起因している。東北の村は滅多にない欧米人の訪問に大騒ぎである。

「二千人をくだらぬ人々が集まっていた。私が馬に乗り鞍の横にかけてある箱から望遠鏡を取り出そうとしたときであった。群集の大逃走が始まって、老人も若者も命がけで走り出し、子どもたちは慌てて逃げる大人たちに押し倒された。伊藤が言うには、私がピストルを取り出して彼らをびっくりさせようとしたと考えたからだという。」

人間が好きで、日本人の生活に深く入り込もうとする著者なので、人とのふれあいエピソードには事欠かない。人々の礼儀正しさや、自然の美しさには何度も感嘆する。日本は大好きであったようだ。


米沢平野は、南に繁栄する米沢の町があり、北には湯治客の多い温泉場の赤湯があり、まったくエデンの園である。「鋤で耕したというより鉛筆で描いたように」美しい。<中略>自力で栄えるこの肥沃な大地は、すべて、それを耕作している人々の所有するところのものである。彼らは葡萄、いちじく、ざくろの木の下に住み、圧迫のない自由な暮らしをしている。これは圧政に苦しむアジアでは珍しい現象である。

通過地点の村や町の記述は、いまそこに住んでいる人にとって、昔を知る興味深さがある。私の場合は、横浜や東京の当時の街の記述が勉強になった。紀行のクライマックスで記述量の多い東北や北海道の人ならなおさらだろう。もちろん、外国人旅行者の視点からの誤解もあるが、それは巻末の解説などで正されている。彼女自身の素描イラストが多数あるのも魅力である。

もうひとつの日本を、日本人が体験できる名著。

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このページは、daiyaが2006年1月15日 23:59に書いたブログ記事です。

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