「ソーシャルラーニング」入門 ソーシャルメディアがもたらす人と組織の知識革命

複数の人間が一緒に学ぶことをソーシャルラーニングと呼ぶが、この本はソーシャルメディアを活用した「新しいソーシャルラーニング」を定義、提案する本である。CIA、インテル、IBM、デロイト、シェブロンなど海外の大企業、大組織の事例が多数ある。
「専門家が1回限りのセミナーを行ったり、1日まるごとの研修を行ったりする古典的な企業研修のモデルは、近代化されようとしている。他者との対話から、あるいは業務の中で学びを得るには偶発的なチャンスを最大限に生かすような仕組みが必要である。」
私は企業研修の企画を仕事のひとつにしているが、よく提案するのがワークショップだ。社会人は皆なにかしらのプロだから、インタラクションによって、持っている経験知を引き出しあうことが、一番効果的な実践的学びになると考えている。ワークショップ未経験の企業では、従来の講義形式と違って「上司から遊んでいるようにみられてしまうのでは?」と担当者が懸念する場合がある。しかしそこで意思決定者たちを集めて一度体験してもらうと皆納得する。遊びに熱中するように学ぶのが一番効果的だとわかるからだ。ワークショップではひとりも居眠りをする者がいない。
「学習に関する研究レポートで明らかにされているように、学習者は深く関与すればするほど、学びが効果的になる。言い方を変えれば、学習者が質問をすればするほど、学習が強化されることになる。ソーシャルラーニングは、人々にとって(自分の)質問と、(自分の)答えの両方を容易に見つけることのできる手段であると言える」
いまならばITを活用することでソーシャルラーニングの効果は倍増させることができる。その具体例やキーワードが本書にはたくさん取り上げられている。たとえば社内でネットを活用している企業だったら「メディアシェアリング」や「マイクロシェアリング」の効果は体験しているのではないだろうか。Web上の記事をネタに、ネット上で情報交換をすることだ。
「バックチャネル」という言葉をこの本ではじめて知った。「ライブ・イベントなどの場において聴衆がツイッターやチャットを使って行うリアルタイムのテキストコミュニケーション」を指す。セミナーを聴いている聴衆が、ツイッター上でリアルタイムに議論をするあれである。
「多くの発表者は自分の話を聞かないで他のことをしている聴衆を見ると、発表者を無視しているのだと思うかもしれない。しかし、これは必ずしも実証されていない。多くの人は副次的なことをすることで主目的に集中するものである。"Applied Cognitive Psycology"の調査では、「ながら族」はそうでない人たちに比べて29%多く電話の会話を思い出すことができると報告している。」
教える方と学ぶ方をわけずに、皆でインタラクションして学ぶというスタイルがソーシャルラーニングである。バックチャネルにこそ本質があるような教育もでてくるかもしれない。講師は場のデザインとファシリテーション能力が求められるようになっていくのだろう。
そしてとても響いたのは「学ぶとは、自分のネットワークの質を最適化することである」という一文。ソーシャルメディアによって、より一層、知は人と人の間で創造されるものになっていくのだなあと予感させる内容。
この本の出版記念イベントやります。
「ソーシャルラーニング入門」出版記念「ソーシャルラーニング元年!学びで加速するソーシャル世界」セミナー開催
http://www.ringolab.com/note/daiya/2012/01/post-1569.html
テレビとネットの近未来カンファレンス 第16回
2012年大予測
全録 vs iTV:リビングルームの勝者は誰か?
この冬のHDレコーダーは「全チャンネル録画」がトレンドになりました。そしてテレビとソーシャルメディアの"ながら視聴"がすっかり当たり前になりました。そしてアップルが次世代型テレビ"iTV"をリリースすると噂されています。2012年はテレビとネットの関係の大変化と、大きなメディアのイノベーションが起きそうです。
そこで久々にテレビとネットの近未来カンファレンスを開催することになりました。
テレビとネットの広告ビジネスの双方に通じた数少ないコンサルタントのスケダチ高広氏。いま盛り上がっているテレビ番組がわかるTuneTVを運営するジェネシックスの富田取締役。スマホ視聴+検索+ソーシャルが特徴のワンセグ全録機「ガラポンTV」が話題のガラポン保田氏ら、業界のオピニオンリーダーたちが集まって2012年のテレビとネットの展開を議論します。
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●参考記事:
"全録"時代到来で見えてくる新しいテレビの遊び方、使い方【前編】
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20111111/1038611/?P=5
TV録画の考え方が変わる「全録」型レコーダー
http://www.asahi.com/digital/digitre/TKY201111240091.html
話題のガラポンTV、使ってみました【小菅祥之】
http://techwave.jp/archives/51695407.html
※当日は講演とパネルディスカッションを行います。
●出演者:
スケダチ 高広伯彦氏
http://mediologic.com/weblog/
株式会社ジェネシックス tuneTV 冨田 憲氏
http://genesix.co.jp/
ガラポン株式会社 保田歩氏
http://garapon.tv/
(※他に当日発表の特別ゲストを調整中です!)
●司会:
データセクション 橋本大也氏
http://www.datasection.co.jp/
株式会社メタキャスト 井上大輔氏
http://metacast.co.jp/
参加お申込みはこちら 無料です。
http://kokucheese.com/event/index/25703/
「限界集落」とは65歳以上の高齢者が人口の半数を超え、独居老人世帯が増加し、社会的共同生活が困難な集落を指す。限界を超えると人口、戸数がゼロになり「消滅集落」となる。過疎化現象の末路として80年代に問題提起され、その後2007年の参議院選挙で地域間格差の問題に絡んで再びクローズアップされた。そして国は過去7年間で191の集落が消えたと発表した。
高齢化→集落の限界→消滅。遂に過疎化も行きつくところまでいったかと、私もそう受け止めていた。ところが地域社会学者の著者は「消滅しそうな集落など、いったいどこにあるのか?」と意外な問題提起をしている。
著者は長い間常識ととらえられてきた「限界集落」というモデル自体に疑問を呈する。そして自らフィールド調査を行って、高齢化で共同生活に支障をきたして消滅に至った集落は実際には1件もないという調査結果を発表する。確かに1960~70年代には急激な人口減少と挙家離村により集落の消滅があったが、その後はダム建設とか廃鉱による廃村はあっても、自然消滅というケースは一件もみつからない。国の発表の191の村が消滅したという数字は、中身をよく調べるべきだったのだ。
生きた集落というのはしぶといらしい。高齢化が進んで戸数が減った集落でも、案外に老人たちは元気にやっている。子供世代も盆暮れ正月には帰ってくる。近くの街に住んでいる息子らが農業を手伝うためちょくちょく帰ってくる家もある。アンケートでは将来的には田舎に戻りたいという声も多いという。だから現実には、今住んでいるおじいちゃん、おばあちゃんが亡くなったからといって、ムラが消えるということにはならないのだ。
農地や山林などの家産、そして親の扶養責任、郷土意識などの責務や価値が、いったんは出て行った人々をムラにつなぎとめているという。だから少なくとも過去20年では限界集落という問題はなかったと著者は結論している。高齢化よりも、少子化によって次の世代が生まれなくなるこれからの方が危険なのだ。
限界集落の誤解はメディアのせいでもあると著者は指摘している。「限界集落はもう駄目だ」と言うイメージであおると地域もネガティブに考え始めてしまう。「かわいそうな」集落と、下りてくる国の救済的な過疎対策という図式がつくられていく。本当は、過疎地の集落の内側だけでなく、親子孫の3世代の生き方、都会と田舎の人口の還流といった全体でみなければ、本当の問題がみえてこない。
「過疎地の現場では、取材に来た記者に「大変でしょう?」と聞かれて、ついうっかり「ええ、大変です」と答えてしまっていることが多いようだ。それどころか、「問題はないか?」としつこく問う記者に、根負けしている様子さえうかがえる。場合によっては、遠いところまで来て気の毒だと、現場の方であわせてあげていることもありそうだ。実際、それに似たようなことを筆者は何度も目撃してきた。そんな取材でつくり上げられていく限界集落のイメージが、あたかも現実であるかのように一人歩きしていることに、多くの人々が困惑しているのが実情なのである。」
周辺から中心はよく見えているが、中心から周辺を見るのはきわめて難しいということが、本書の問題意識の根幹にある。
・週刊ファミ通2012年1月12日号増刊 ファミ通Mobage Vol.3

私はかなりゲーマーだが、自分の業界的に詳しくなければならないはずのケータイのソーシャルゲームにまったくはまれないできた。だが、ここまでビジネス的にも大きな存在になってくると、やはり一度は本気でソーシャルゲームにはまらないとイカンだろうと思って買ってきたのがモバゲー宣伝雑誌のこれ。
48本のモバゲーのゲームについてカラーで紹介している。ファミ通が制作しているとはいっても、スポンサーつきであるから、サービスカタログと提灯記事ばかりであるが、最大の売りは袋とじのアイテム企画。32本分のゲーム用の特別なアイテムがもらえるシリアルナンバーが付録になっている。モバゲーで複数のゲームをやっている人にはお得な企画。なお、1ゲームあたり数ページの簡単な紹介であり、詳細な攻略情報はまったくないので注意。
で、今回、めでたく私は無事数本のゲームにハマることができて、ソーシャルゲームの魅力と問題点をはっきり理解できた気がした。かつて試した怪盗ロワイヤルはなじめなかったが、ファイナルファンタジーやガンダムという親しみのあるコンテンツで興味を持つことができて、ロワイヤル系も牧場系もカードバトル系もマスターできた。ああ、よかったよかった、のか?(笑)。
中毒性をもたせて、アイテム課金へ誘導する仕組みがそこかしこに盛り込まれていて、ビジネスマンとしても大変勉強になる世界だ。キャラクターや世界観を取り換えることで、同じゲームシステムでバリエーションをつくっていて経済的。技術的にも分散でスケールさせれば数百万人のユーザーでも対応できるような仕組みでできている。
122ページに『ソーシャルゲームユーザー白書』の抜粋データが紹介されているが、ユーザーは男性は30~40代、女性は20~30代がボリュームゾーン、全体で最も多い職業が専業主婦となっている。1日の平均利用時間は30分。会社員の男性と主婦の女性がひまつぶしに1日に何度もアクセスしている。
ひまつぶしでストレスを発散しているわけだから、それはそれでよいわけだが、この1日30分の反復ってなにか学習に使えないかなと思った。最近、ポケモンと信長の野望が合体したゲームが電撃発表された。戦国武将がポケモントレーナーになるという内容だが、こどもたちはポケモンで遊びながら武将の名前を覚えるだろう。同じように、大人たちがはまっているソーシャルゲームで学びがあったらよいのにと思うのだ。反復の頻度と中毒性が学習に最適な気がするから。ソーシャルゲーム大学でMBAとかできないものだろうか。
とても面白い。色街の風俗文化を探ったノンフィクション。
遊郭の名残をとどめる大阪の色街飛田。今でも半ば公然と売春が行われているこの場所を女性フリーライターが、10年かけて地道に取材を重ねた。原則取材拒否の街だから真正面からは入れない。最初は飛田をお客として利用した男性に話を聴いて回る。飛田の飲み屋の常連になり内部に人脈をつくる努力もする。もちろん「店」にも潜入し女の子の話も聞く。
「ほら、こうやって二重三重にライティングしているの。肉屋が赤身の牛肉をきれいに見せるのと同じ。」・・・表を向いて座っている女の子が、私のほうを振り返って、にこっと笑って会釈してくれた。」
現場取材は苦難の連続だ。「さわらんといて」「そっとしておいてほしいんや」「うるさいんじゃ」と追い返されることもよくある。それでも食い下がったり、コネをつくったりで、関係者の重たい口を開いていく。色街は闇の利権と既得権の塊でもあるのだ。
「それを書いたら、おたくはいくら儲かるの?」「おたくが、飛田を本当のところはどう思ってはるのか分からへんけど、昔はともかく、今は私らはイカンことしてるんやから、書かれては困るんや」とはじめて取材にいった飛田料理組合で幹部たちににらまれる。
だが、著者の調査によってしだいに資料や証言が集まって飛田の歴史が明らかになる。明治45年に難波新地乙部が火災で焼失して移転先として飛田が選ばれたのがはじまり。当初より政治家たちが暗躍して汚職にまみれていた場所だった。戦後の赤線廃止では、経営者たちは法の抜け道を探して業態転換し、したたかに営業を続けていく。
西成警察署へ「売春が行われていることが明らかな飛田をなぜ取り締まらないのか」と質問をしたり、関与を疑った"組"の事務所にインタビューを試みたりする。もちろん途中で何度も"怖い人"と接近遭遇している。その甲斐あって飛田の現在の風俗ビジネスの実態も明らかになっていく。
取材対象と同じくらいこの書き手が興味深い。飛田や売春に関係する者たちへの距離のとり方や評価が微妙なのだ。情報提供者との人間関係を育みつつも、つかず離れずというか、常に一定の距離を保っている。色街への批判的な記述も結構多いのだが、興味本位での探究部分も多いし、そこが本書の面白さにもなっている。
「売買春の是非を問いたいわけではなかったが、そのことについては、書き終わった今も私に解答はない。それよりも、今思うのは、飛田とその周辺に巣食う、貧困の連鎖であり、自己防衛のための差別がまかり通っていることである。」
と、あとがきに書いているが、著者の複雑な葛藤がしばしば現れる。それが結果として書き手への人間的興味を喚起させて、本書の面白みを増している。取材対象も取材した人もどちらも魅力的なコンテンツなのだ。
そういえばこの手のノンフィクションと言えばこれも面白かった。
・間道―見世物とテキヤの領域
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/08/post-1046.html
テキヤ稼業(的屋、香具師ともいう)のドキュメンタリ。
結局、平清盛って何をした人なのか、ということを、マンガでわかりやすく理解することができる。漫画の読みやすさを損ねないレベルで、歴史の解説情報をいれている。またエピソードや台詞の細かな部分に、平家物語などのネタを織り込んでいて、ある程度知識がある人も楽しめる良書。
これはもうすぐドラマでも出てくるはずの、忠盛殿上闇討のシーン。
漫画の目次は
第一章 貴族と武士 ・・・・・・5
第二章 保元・平治の乱 ・・・・・・24
第三章 平家の栄華 ・・・・・・52
第四章 青天の霹靂 ・・・・・・66
第五章 栄枯盛衰 ・・・・・・86
となっているが、清盛の表舞台での活躍が始まるのは第二章の保元の乱で39歳のとき。時代背景や家柄もあるが、比較的遅咲きの人物なのだ。NHKドラマも後半に大きなエピソードが集中しそう。
東京都江戸東京博物館で2月5日まで開催中のNHK大河ドラマ50年 特別展「平清盛」をみてきた。展示は5つの章で構成されているが、厳島神社をイメージして設営された「第3章 平氏の守り神―厳島神社」コーナーでの豪華絢爛な平家納経の展示が見ごたえがあった。清盛自筆もある。筆跡を見るとその人物の実在を深く実感できるのは日本人的な感性だろうか。
NHK大河ドラマ50年 特別展「平清盛」
http://www.nhk-p.co.jp/tenran/20111020_162656.html

・清盛
http://www.ringolab.com/note/daiya/2011/12/post-1567.html
・平清盛 -栄華と退廃の平安を往く-
http://www.ringolab.com/note/daiya/2011/12/post-1565.html
・平家の群像 物語から史実へ
http://www.ringolab.com/note/daiya/2011/10/post-1533.html
・「平家物語 あらすじで楽しむ源平の戦い」と「繪本 平家物語」
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/09/post-823.html
・安徳天皇漂海記
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/09/post-445.html
平家物語のバリエーション。
・琵琶法師―"異界"を語る人びと
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/07/post-1034.html
電通ギャルラボの現代ギャルトレンドの研究レポート。アンケートによると、7割の女子が「ギャルマインド」を隠し持っている。特に、見た目はギャルではないのにギャルマインドを持つ女子を「パギャル(半端なギャル)」と名づけて注目して、そのライフスタイルや消費行動についてのディスカッション。
電通の「ギャル」の定義は「いつの時代にもいるパワフルでファッショントレンドのど真ん中にいる女の子たち」。人間に限らず生殖適齢期の異性は、進化のカギなわけだから、ギャルが人間社会において強い影響力を持つことは確かだろう。
ギャルマインドは心(ラブ)、技(デコ)、体(ガッツ)からなるという。共感性が高く、キラキラ・デコデコ・モコモコが大好きで、飲み会、カラオケ、祭りが大好き。都心より地元、安くてかわいいものが好き、一人牛丼OK、泣ける歌が好き、温かい家庭に憧れる、「ポップティーン」「JELLY」のようなギャル雑誌をよく読むというような、指向と行動パターンがあるらしい。
西野カナ、加藤ミリヤ、JUJUが歌う泣き歌(ギャル演歌)のテーマは「報われない恋」や「待つ女」だ。最新トレンドであるはずのパギャルだが、よくみていくとどことなく昭和の香りもする。内面的にはヤンキー文化論の層が近いのではないかとも思った。
新しい消費動向を読み解くインタビューが面白かった。たとえばパギャルで人気のプリクラの話題。彼女たちは撮影後に「ブログがあるから、データがあればいい」といって、データだけ携帯で受信して、肝心のシールは放置する。そしてその写真を公開するブログには友達オンリーのカギがかかっているが、理由は「ブログにパスワードをかけるのは「隠しているつもりはなく、登録者を増やしたいから」。パギャルたちは独自のソーシャルネットワークのレイヤーをつくっているのだ。
厳密な統計データにもとづく研究というよりは、電通社内でのディスカッションをのぞき見るような軽めの内容だが、オジサンたちが「今日盛れてるね。アゲぽよ~」なギャルを知るための、よいきっかけになりそうな内容。
年末年始にどっぷりはまってエピソード5まで進んだが、その後なかなか時間が取れなくて、いつエンディングにいけるのか、先が見えない段階でレビュー。
感想を良い点と悪い点で3つずつ。
■良い点
1 13の続きが楽しめる
続編なので当たり前であるが、要するに続きがやりたかった人向けなのだ。前作ではクリスタル化していて活躍がなかったセラが主役。バトルシステムもほぼ引き継いでいる。前作ではまれた人は今作もはまれる。
2 モンスターを仲間にできる
ボス以外のほぼすべてのモンスターを仲間にすることができる。基本パーティーはセラ、ノエル、そしてモンスターの3者で構成する。
3 ストーリー展開や、キャラの成長の自由度を高めた
従来の「一本道である」という批判に対して、ストーリー分岐要素の追加、キャラ成長限界の撤廃、仲間モンスター化によってこたえた。これによりプレイヤーによって、かなり異なる遊び方ができるようになっている。と、同時に難解さにつながってしまうのだが...。
■悪い点
1 ストーリーがあまりに難解
開発者たちは本当にこの超難解なストーリーを理解できているのだろうか?と疑問に思う。FFは難解さが売り物ではあるが、今回は前作の巻き戻しが必要なうえに、タイムトラベルと並行世界の分岐という要素が加わって、もはや常人では何がなんだかわからない複雑怪奇な物語になっている。クリアした人のうち何パーセントがこういう話でしたと説明できるだろうか。
2 召喚獣がいない
FFといえばど派手な召喚獣が印象的だが、本作ではほとんどの敵モンスターを捕まえて味方にできるという設定のため、特別な召喚獣というものがいない。敵を味方にできるという
3 登場人物が少ない
プレイヤーとしてはセラとノエルの二人しか選べない上に、全体的に登場人物が少ない。新たなキャラクターはほとんどいない。これはモンスターでも同じで、前作の使いまわしが多い。短期間での続編企画ということや、前作との整合性と言うことで、新要素を入れにくかったのか。
ということで良い点も悪い点もあるが、ファミ通レビューでいればプラチナ作品であるという評価は間違いない高レベル作品。
そしてこれは最初に出た攻略本。
・FINAL FANTASY 13-2 PS3/Xbox360両対応版 ファーストマスターガイド スクウェア・エニックス完全監修 (V‐JUMP BOOKS) [単行本(ソフトカバー)]

エピソード4までのストーリー進行が掲載されている。ストーリーの複雑さを反映して、攻略本もどこを読んだら今必要な情報があるかがわかりにくい構成になってしまっている。1月末にバトル編、シナリオ編の2冊組で出版されるアルティマニアに期待である。
・小説 ファイナルファンタジーXIII-2 Fragments Before
http://www.ringolab.com/note/daiya/2011/12/-xiii2-fragments-before.html
・小説 ファイナルファンタジーXIII エピソード0 -約束-
http://www.ringolab.com/note/daiya/2010/01/-xiii-0.html
・ファイナルファンタジーXIII-2 ワールドプレビュー
http://www.ringolab.com/note/daiya/2011/12/iii2.html
・ファイナルファンタジーXIII オリジナル・サウンドトラック(初回生産限定盤) [Limited Edition]
http://www.ringolab.com/note/daiya/2010/05/xiii-limited-edition.html
・ファイナルファンタジーXIII
http://www.ringolab.com/note/daiya/2010/01/2010xiii.html
マッカーサー賞受賞の鬼才ジョージ・ソーンダーズによる大人の寓話。テーマは国家の独裁と虐殺と重たいのだけれど、設定がおそろしくシュールで、ユーモラスな語り口で進むので、読みやすい。
こんな風に物語は始まる。
「国が小さい、というのはよくある話だが、<内ホーナー国>の小ささときたら、国民が一度に一人しか入れなくて、残りの六人は<内ホーナー国>を取り囲んでいる<外ホーナー国>の領土内に小さくなって立ち、自分の国に住む順番を待っていなければならないほどだった。 外ホーナー人たちは、<一時滞在ゾーン>にこそこそ身を寄せあって立っている内ホーナー人たちを見るたびに何となく胸糞がわるくなったが、同時に、ああ外ホーナー人でよかったとしみじみ幸せをかみしめた。見ろよ、内ホーナー人の卑屈でみじめったらしくて厚かましことといったら。」
国土がものすごく小さくて、痩せてひ弱な国民が、数学の証明問題を解いている内ホーナー国。それを取り囲む大国外ホーナー国の国民たちは、大きく太っていて色つやがよく、カフェで高級なコーヒーを飲むのが楽しみ。
あるとき、外ホーナー国で革命が起きて、新しい大統領に就任したフィルは、弱小の内ホーナー国を軽蔑しており、国民がうちの領地へはみだしたと言いがかりをつけて弾圧を始める。常に外ホーナー国に言い分はあるが、強者が弱者を力で従わせる構図に正義はない。
後半で第3の国を登場させることで、2つの国の関係を相対化してみせるのも鮮やか。世界認識や価値観がまったく異なる同士では、コミュニケーションがかみあわず、相互理解は極めて難しい。現実の国際関係というのも結局はこどもの社会のいじめみたいなものかもなあと思えてくる。
内政干渉、侵略、虐殺、マスメディアの腐敗、宗教問題...。さまざまなテーマが含まれているが、それらすべてを寓話化して、相対化して、笑い飛ばしていく。真の多様性の時代に必要なのは、こういう軽やかなメタ視点なのかもしれない。
作家 高橋源一郎と翻訳者 柴田元幸の対談。小説を書く、訳すプロであると同時に、確固とした文学論をもった二人なので、雑談が深い。二人で海外の小説60冊+αと日本の小説60冊+αのリストをつくって、それについてしゃべりまくる第3章、第4章の「小説の読み方」はブックガイドとしてもすばらしく充実している。
高橋源一郎は近代文学は何か大きな敵と戦うことがテーマだったという認識で、現代文学の現状を語る。
「大文字のテーマというものは何でも「これに対して抵抗するぞ」というふうに否定形で語られるテーマなんです。で、それがなくなってきた時作家の側は、結局個別に対処するしかなくなったんだと思います。それまでは戦闘が集団戦だったんですね。だから○○派だとか○○軍団みたいになっていたけど、いまやもう全部ゲリラですよね。だから、文章・才覚でそれぞれの場所で好きなように戦いなさいって(笑)。とすると武器は文章しかない。」
ちなみにこれは『リトルピープルの時代』より前に出た本だ。これに対して翻訳者の観点から柴田元幸は、こんなふうに返す。
「柴田 中原昌也は実際の翻訳をみて、意外に訳せるなと思いましたね。やっぱり紋切り型っていうのはどこににでもあるから、その面白さを伝えればいい。でも、町田康、古川日出男、ああいう日本語はどうしたら訳せるんだろうと思います。そういうことを考えると、小説よいうものはそもそも思想で読ませるのではなくて文章で読ませるものなんだと実感します。学校教育では「この小説は何を言わんとしてるか」とやっているけれども。」
何を語るかよりどう語るか、文体が改めて焦点になってきたということだろうか。近年の文学賞をみていても、新しい文体が売りの若手が目立つ。
「書き方」編では、高橋源一郎は純粋に自分の詩を書くことが本当にできないという告白が興味深い。創作をするには、作品の種類によって異なるモード、ノリが必要であるという意味のようだが、小説家の頭の中をのぞけた気がした。
「高橋 詩だと意識し出した途端、想像力がまったく働かなくなるんです。でも、小説の中に登場する詩だってことにすると書けるんですね。ある詩人の生涯を書けって言われて、彼が書いた詩であれば平気で書ける。自分でも謎なんですよ。」
で、人間の脳にコピーガードみたいなものがかかっていて、本人の意思ではなくて、ふっと解けることがあれば、誰でも小説や詩を書けるようになるという話。ちなみに、たくさんの小説を翻訳している柴田氏も小説は書けないそうだ。
文章はいっぱい書くのに、小説を書けない私としては、具体的なコピーガードのはずし方を知りたいところだが、ヒントをもらった気がする本だった。
IT中毒に陥った組織に、ITを断つ時間を強制的に設けて、良質なアナログ時間を取り戻す「IT断食」を推奨する本。「ノーPCデー」「ノー電子メールデー」を実施して、ITとアナログの最適なバランスを見出そうという話。
情報の肥大化と行動の弱体化。メールするより電話や対面で話す方がよいのではないかと疑ってみた方がいい。ウェブで延々と検索するより、専門家に話を聞いたり、専門書を一冊じっくり読んだ方がよい結果になることは多い。
なかでも会議の日程調整にメールは向かないという指摘は、本当にその通りだ。メールで複数の候補予定をやりとりしていると、調整が完了するまで、その時間帯がロックされてしまう。そしていつ調整が完了するかも読めない。それで著者は対面や電話でアポをとりなさいとアドバイスしている。現状ではそれが確かにベストなのだが....
スケジュール調整。確かにメールは向かないのだが、本来はITが活躍してしかるべき用途であると思う。スケジュール調整ツールというのはいくつもある。カレンダーを見ながら参加者が空いている時間を登録して探す。飲み会などの予定調整で私はしばしば使っている。
・調整さん
http://chouseisan.com/schedule
・伝助
http://www.densuke.biz/
・調整くん
http://www.hotpepper.jp/doc/chousei/
こういうツールは便利だなあ、みんなが仕事使えばいいのにと思うのだが、一向にそうはならない。多くの企業で社内のスケジュールはデジタルで共有されているのに、企業間ではなかなか難しいことになっている。日本の場合、大企業が率先して使えば広まっていくのではないかと思うのだが、なかなか始まらない。IT経営の研究者が、メールによるスケジュール調整を専用ツールで行った場合の損得計算を数字で弾いてくれるといいのではないかと思うのだが。
見て見ぬふりが破滅を引き起こす。エンロンの経営破綻、イラクのアブグレイブ刑務所の捕虜虐待、スペースシャトルチャレンジャーの打ち上げ失敗、BP社の製油所爆発事故など、大事故、大事件の関係者は危険を知っていたが、みな見て見ぬふりをしているうちに破綻に至っている。こうしたことは最近の日本にも多い。福島原発の危険性も、オリンパスや大王製紙の不正も、当事者は見て見ぬふりをしていた。この本は、大企業の役員会や、専門家の頭脳集団が、なぜそんな状態に陥ってしまうのかの研究だ。
世界で起きた大事故、大事件の背景に見て見ぬふりがあり、その原因として権威への服従、周囲への同化、傍観者効果、遠い距離、分業、極度の疲労、頑固な信念、倫理観の崩壊などがあるとし、それぞれ典型ケースを使って説明されている。組織文化や個の資質もあるが、私たちの脳にもひとつの原因があるらしい。
脳には愛によって活性化する領域があると同時に愛によって活性が止まる領域があることがfMRIの検査でわかっているそうだ。たとえば子供や配偶者のことを考えている間は、脳の否定的な感情や社会的判断を司る領域が不活性になる。そして我々はしばしば知ることができて、知るべきである情報があるのに、知らずにいる方が心地いいから知ろうとしない。認知不協和。こうした現象の中には神経科学で検証されているものもある。
権威への服従も見て見ぬふりの大きな原因だ。ヒエラルキーと服従は自らの生命の危険が及ぶような場面でさえ見て見ぬふりを引き起こす。飛行機の墜落事故のうちの4分の1がコックピット内の「破滅的な服従」で引き起こされている。商業路線の機長があまりに高い権威を持っているために、副操縦士や乗務員が機長の判断に異を唱えることができなかったことが事故につながっていたのだ。
悪いのは裸の王様のトップだけでもない。大きな組織の中では誤りを発見しても、構成員はトラブルメーカーだと思われたくない、どうせ何を言っても変わらないと思って黙ってしまう。傍観者だらけの組織がトップの暴走を許し、そして組織の各所が互いの欠点や悪い所を同化させていく。
「人は同じような考えの者同士で固まっていたいという本能があるせいで、違う種類の人々や価値観や経験に触れることが少なくなる。ゆっくりと、しかし確実に、自分の知っていることだけに集中し、他のすべてが見えなくなっていく。現代は以前より選択肢自体は増えたのに、狭い好みを守るようになった。」
多様性、透明性のインターネット空間だって同じだ。結局のところ人間の習性で情報交換のコミュニティには似た者同士が集まる。異なる価値観で異議を唱えるのは勇気がいるし、下手をすると排斥されてしまう。検索で異論を発見できる、容易にエビデンスをリンクで示せる、というところは希望かもしれないが。
見て見ぬふりを生みだす私たち自身の脳や集団の持つ性質を深く理解することが、見て見ぬふりを防ぐのに大切なのだと本書は教えている。
・明日をどこまで計算できるか?――「予測する科学」の歴史と可能性

天候、医療、経済の3つの領域における科学的な予測の可能性を検証した読み応えのある本。複雑な事象に関する未来予測は、数学や確率の言葉という客観の仮面を被った主観的意見に過ぎないことを明らかにしてみせる。
明日が晴れか曇りかの簡単な天気予報はできても、次の大きな嵐がいつ来るかは予測ができない。次のインフルエンザの流行や株価の大暴落も同じだ。予測はモデルをベースにするが、科学者、専門家がつくったモデルに対する信頼性をもっと疑ってかかるべきだと著者はいう。
予測モデルは方程式の組をもとにしている
↓
しかし、根本的なシステムを方程式に還元することはできない
↓
こうしたシステムのモデルは、パラメーターの変化に敏感な傾向がある
モデルが精巧になればなるほどパラメーターの不確実性は増加していく。そして複雑な系は初期値の小さな違いに敏感だ。現実に取得できるパラメーターには種類も精度も限界がある。
そして著者が指摘するもうひとつの予測不可能の原因はシステム内の局所が相互に影響して、現象を創発している場合だ。雪や嵐、株価の急騰急落、パンデミックは、システムの創発特性とみなせるものであり、第一原理からの計算で導き出せないのだという。
主にそのふたつの原因により、科学者が方程式の組でつくる予測モデルは、過去の出来事に合わせることはできても、予測の精度が向上することがない。「私たちはどうやら、未来は過去に似るという思い込みの罠に陥っているようだ。」。
もちろん簡単な予測、だいたいの目安が有益に機能する分野もある。直近の天気予報はだいたい当たるし、メールのスパムフィルターも予測モデルだし、回転ずしで何を流すかだって予測モデルでうまくいっているらしい。どこまでが予測可能でどこからは予測が無効なのかの線引きが重要なのだ。
ジャズ・ピアニストのキース・ジャレットには伝説的な名盤「ザ・ケルン・コンサート」がある。1975年、ドイツのオペラ劇場で行われたライブで、66分にも及ぶ演奏は驚異の完全即興。即興でありながらも抒情的でメロディアス。途中、キースの唸り声や足踏みも入ってテンションがあがっていく様子もわかって楽しい。学生時代によく聴いたアルバムだった。
で、このケルンをエドゥアルド・イサークがアコースティック・ギターでコピーしたアルバムがあると聴いて入手したのが、これ。パートごとに7つにわかれており、オリジナルの完コピというわけではないが、ケルンの雰囲気を巧みにギター版で再現している。(ヴォーカルとパーカッションを控えめに使う部分もある。)
なお、収録は以下の4曲。ビル・エヴァンスや参るすのあの曲も入っている。
1. ケルン・コンサートより(キース・ジャレット)
2. ワルツ・フォー・デビー(ビル・エヴァンス)
3. ワン・フォー・ヘレン(ビル・エヴァンス)
4. ブルー・イン・グリーン(マイルス・デイヴィス)
BGMとして使ってジャズ好きの人の反応を待つのもよさそう。
韓国発で世界で3400万人以上が使っているカカオトーク。Naverがリリースした同様のアプリのLINEも開始6カ月で1000万ダウンロードを超えた。スマホユーザー層が一般に広がることによって、カジュアルにチャットするニーズが激増しているということだろうか。早速使ってみた。iPhone、Andoroid、Blackberryに対応するアプリがある。
一見、ケータイSMS風のふつうのチャットだが、キャリアを超えてグループで使えるのが魅力。「写真」「動画」「ボイスメッセージ」「連絡先」を送信可能。グループトークは「100人でも1000人でも可能」だそうで、大規模なオンラインイベントもできる。カカオトークは「Plusカカとも」で芸能人がプロモーションに使うこともあるようだ。
ポストツイッターなのかもしれない。顔文字やマルチメディアが使えて、よりリアルタイム性が高く(メッセージの短さやサーバレスポンス)、そしてクローズドなグループ指向。仲間内のカジュアルなおしゃべりに特化している。現在ユーザーの8割は韓国だそうだが、欧米のオープン指向のツイッターに対して、アジア的なチャットのインフラになりうるかも?。
「トーク内容をメールで送信」という機能があるので実は仕事の打ち合わせにも使えそう。
こういうサービスはまわりのみんなが使っていると便利になる。最初は話し相手をみつけるのが難しいのだが、スマホの「連絡先からの友だち自動登録」が可能なため、スマートフォンの連絡先を充実させている人は、最初からたくさんの友人と会話ができる。
















