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・文章をダメにする三つの条件
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文章術の類書は多いが、こうすると文章がダメになるという作文の「べからず」という視点で書かれているのが本書の特徴だ。著者は元読売新聞社のデスクで、大学や文化センターで作文を教えるベテラン。豊富な授業経験から学生たちが陥りがちな悪い傾向を3つみつけたという。

1 文章の意図がつかめない事実や印象の羅列
2 読み手が退屈する理屈攻め
3 読み手の興味をひかない一般論

私も学生時代は作文はあまり得意ではなかった。今思えば、授業という文脈では、書く動機が弱すぎるのだ。提出した作文にはそもそも書く意図などなかった。だから、原稿用紙を埋めるために理屈と一般論を展開していた。

こうした傾向を避けるためのコツとして、書くポイントをひとつに絞ること、書き手の特異な個人的体験に逃げ込むこと、細部の観察にこだわること、など多くのポイントが、学生の作文例を肴にして明解に語られている。

著者の特異体験である新聞記者時代の経験談がやはり光っている。

「記者時代に先輩からこういわれたことがある。「取材が完全にできたときは、できるだけ易しく書け、どこか腑に落ちない取材のまま書かなければいけないときは、理屈っぽく難しく書いておけ」と。理屈は不完全な取材をごま化す一つの手法であり、逃げの一手でもあるのだ。」

材料が十分でなくても書かなければいけないという事態は、新聞記者でも学生でも一緒といえる。そんなときは高度な名文のコツよりも、まずはダメにしないコツの方が、多くの作文シーンで役立つものであると思う。

特異な体験をベースにせよという指摘はやっかいであるが肝である。

「よく"お役所仕事"という言葉が悪いイメージで使われる。これは"前例がないのでできません""人が一般的にやらないことなので、できません"といった消極的な態度を指していうのだが、作文では"前例のないこと""一般的でないこと"を掘り下げて書いてこそ、読むに耐えるものとなるのだ。」

著者の生徒には、自身の堕胎体験を綴った人がいたということだが、人生経験の棚卸しと同時に、内面をさらけだす勇気やノリが大切ということだろう。だからよく書かれた文章には自然と人柄がにじみ出てしまうのだ。

後半で、著者は、自分にはできないがと前置きした後、実は主語が明確に出ていない文章こそ、日本語の非論理性を自然に表した文章であると述べている。ただしそれは文章の巧みな人にのみ許される高度な技である、とも。

私もこのブログで、なるべく文頭が「私」にならないように書こうと日々気をつけていたりするのだが、かなり難しい。主語を隠すと文章の骨格がぐずぐずに崩れてしまうのだ。こればかりは天賦の才能か、相当の練習努力が必要なのだろうな。このブログは1900日を超えたがまだまだ私の文章修行は続く。

・文章は接続詞で決まる
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「「てか」を好んで使う人は、すぐに新しい話題に移りたがる飽きっぽい人かもしれませんし、「ようするに」が口癖の人は、結論を急ぎたがるせっかちな人なのかもしれません。「でも」をよく使う人は、他人の言うことを素直に受けいれるのが苦手な頑固な人である可能性があります。「だから」を使いたがる人は、自分の主張を人に押しつけたがる押しの強い人かもしれませんし、「だって」を好む人は、言い訳が癖になっている、自己防衛本能が強い人かもしれません。」

接続詞の使い方を見ると隠れた性格がわかるという話。特に講義のような独話では接続詞は書き言葉の2,3倍も多く使われるそうだ。シーン別によく使われる接続詞ベスト5の比較が面白かった。文章のらしさは接続詞が決めている部分も多そうだ。

新聞:しかし、また、だが、一方、さらに
小説:しかし、そして、それで、だが、でも
講義:で、それから、そして、つまり、だから

著者は、対話では接続詞の多用はリスクが高いと注意する。相手の発話権を奪う、言い方を訂正して気分を逆なでする、逆接の使用で無用な対立を生む、自己正当化を目立たせる、という危険性に気をつけて使うべきだと説いている。(私は気をつけていないと「要するに」「つまり」「絶対に」を多用してしまう癖があるなあと自覚した。この注意は耳が痛い)。

普段は意識することがなかった文章や会話の中の接続詞について、深く考える機会を与えてくれる良書である。そもそも接続詞って何?から、「しかし」「だから」「たとえば」「あるいは」「ところが」「さらに」「また」「まず」「したがって」など多数の接続詞のひとつひとつを用例から説明する。「しかし」や「だから」の説明なんて初めて読んだが新鮮である。

接続詞の一般的な定義は「接続詞とは、文頭にあって、直前の文と、接続詞を含む文を論理的につなぐ表現である」というほどのものだが、本書では「接続詞とは、独立した先行文脈の内容を受けなおし、後続文脈の展開の方向性を示す表現である」と再定義している。接続詞は必ずしも論理的ではないということでもある。

接続詞の読み手のための機能として次の6つを挙げる。

・連接関係を表示する機能
・文脈のつながりをなめらかにする機能
・重要な情報に焦点を絞る機能
・読み手に含意を読みとらせる機能
・接続の範囲を指定する機能
・文章の構造を整理する機能

そして接続詞を論理の接続詞、整理の接続詞、理解の接続詞、展開の接続詞、の4種をさらに10類にグループ化して、それぞれに豊富な用例と効能書きが続く。こんなにあるのかというのが素直な感想。著者曰くこれだけ接続詞だけを語った本は類例がないそうだ。接続詞のすべてがここにあるといってもよいかもしれない。というわけで、つまり、だから、それで、とりあえず、まずは........これだけ読んでおけば、もう一生接続詞で困ることはない、でしょうね。

・表現力のレッスン
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演出家 鴻上尚史が早稲田大学などで教えてきた表現力向上のレッスンを書籍化したもの。20のワークショップを紙上で体験できる。舞台出身らしく声と身体を使った表現力に徹底的にこだわる。

レッスンでは身体接触がやたらと多い。後ろのパートナーの支えを信じて倒れ込む「信頼のエチュード」に始まって、パートナーを彫刻に見立てポーズを作る、とか、目隠ししたままパートナーの姿勢を手で触って真似する、など、自分や他人の身体で遊ぶレッスンが基本である。こうした日常にない身体体験を通して、隠れていた自分の身体の表現力や感情を発見するのがねらい。

これを男女混ざった大学の授業でやっていると学生達はさぞドキドキ・ワクワクだろうなと、想像してしまった。実際、授業では過剰に意識する男女がいるので、鴻上が「異性を触りながら飢えてるぜ光線を出さないように気をつけましょう」などと注意している様子が可笑しい。

日本人の身体接触下手について鴻上は「中学生のフォークダンスの無残さ」をひきあいにこう言う。「日本人は、セックスを前提としない男女は皮膚接触しない」という文化を持ちながら、無条件にフォークダンスを輸入してしまったのです。驚愕の自殺行為です(笑)。体育の時間や運動会の時のフォークダンスが、どうしてあんなに恥ずかしく、居心地が悪かったのか、今なら分かります。」

でも、このちょっとドキドキの高揚感や楽しさがあるから効果がありそうなのである。ここに紹介されているレッスンのほとんどは真面目な顔で一生懸命やるよりも、楽しみながら生き生きとした表情で遊ぶ方が効果がありそうなのだ。生き生きとした表情や感情を見つけることが趣旨なのだから。

教育関係者から「楽しいだけでいいんですか?」と質問されて鴻上は少しムッとしたという。

「ムッとしたのは、「楽しければいいのか、教育目標はないのか?」という考え方が、日本人をどんどん表現下手にしたからです。<中略>表現とは、まず、本人が楽しむことが大前提です。楽しければ、放っておいても、本人はそのことを続けるのです。音楽が楽しければ、作文を書くのが楽しければ、放っておいても、音楽や作文を続けるのです。続けることで、どんどんと表現は上達するのです。」

鴻上のまとめたレッスンはどれも実際に試してみたくなる。ムチャクチャ語で意思疎通をはかるとかその横で勝手に通訳をするとか、ひと言も話さず目だけ手だけ足だけ胸だけで会話するとか、遊んでいるうちに表現法が自然に開発されていきそうだ。この授業を受けたかったなあ。

・真実の言葉はいつも短い
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/07/post-787.html

双生児

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・双生児
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複雑、緻密な構成にうならされること間違いなしの大傑作。私などは読み終わって1時間くらい紙に物語の構造を図式化しながら考え込んでしまった。それがまた最高に楽しい時間だった。英国SF協会賞とアーサー・C・クラーク賞を受賞。

1999年、英国のノンフィクション作家スチュアート・グラットンは、第二次世界大戦中の記録に登場する空軍大尉J・L・ソウヤーなる人物のことが気になっていた。チャーチル首相の回顧録にその名前はあった。ソウヤーは良心的兵役拒否者であると同時に空軍爆撃機操縦士でもあったという。そんな矛盾したことはあり得ないはずである。ソウヤーの娘と名乗る女性があらわれグラットンに父の書いた古い原稿を託していく。

タイトルから推測できるように、案の定、ソウヤーの正体はジャックとジョーという双生児であった。この二人の人生が複数の記録や証言によって少しずつ明らかになるのだが、そのプロセスは一筋縄ではいかない。伏線の縄が十本、百本ある感じでそれらが錯綜している。メビウスの輪のように不思議な結び目が幾つもあらわれる。

この作品は物語りというより物騙りである。読者は少しずつずれた同時期の物語を何度も聞かされる。矛盾する語り。それは記録が虚実入り乱れているからなのか、平行世界が幾つも存在しているからなのか。根本的な疑問を抱えたまま現在と過去を何度も往復するうちに、緻密に設計された物語の重層的な迷宮構造が少しずつ姿を現していく。

とてつもないものを読まされたというのが素直な感想。

この読書体験はアゴタ・クリストフの「悪童日記」三部作に似ている気がした。このシリーズの騙り感覚が好きな人に特におすすめである。

・「悪童日記」「ふたりの証拠」「第三の嘘」
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/02/post-529.html

・文章読本
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三島由紀夫の文章読本。そもそも最初に「文章読本」を書いたのは谷崎潤一郎だった。川端康成や三島など多くの文豪たちが追随して同名の著作をそれぞれ書き下ろしている。読み比べると面白い。文章の書き方、読み方を教える内容という点では共通しているが、作家によって実用的な文章指導であったり、高尚な芸術論であったり、個人的な感慨エッセイ集だったりする。

三島由紀夫の文章読本は、書き手の実用性という面ではほぼゼロだ。一部に技巧論はあるのだけれど、読者が到底真似の出来ないようなことを書いている。たとえば会話文をどう書くべきかについては、米国の作家の意見を引用する形で、

「小説の会話というものは、大きな波が崩れるときに白いしぶきが泡立つ、そのしぶきのようなものでなければならない。地の文はつまり波であって、沖からゆるやかにうねってきて、その波が岸で崩れるときに、もうもちこたえられなくなるまで高くもち上げられ、それからさっと崩れるときのように会話が入れられるべきだ。」

などと感動的なほど抽象論を述べているし、方言の書き方という点では、

「谷崎氏は『卍』を書くに当たっては、大阪生れの助手を使ったと言われますが、私の如きなまけ者は、『潮騒』という小説を書くときは、いったん全部標準語で会話を書き、それをモデルの島出身の人に、全部なおしてもらったのであります。」

これもエピソードとして面白いが、普通の読者にとっては実用性はほとんどない気がする。この文章読本は実用書というよりも、三島のオレサマ独断文学評論である。日本の文学とは、西洋の文学とはこういうものだ、とずばり豪快に言い切る。面白い。

「日本文学の特質は一言を持ってこれを覆えば、女性的文学と言ってよいかもしれません。」「(日本文学は)抽象概念の欠如からはじまった」「日本語の特質はものごとを指し示すよりも、ものごとを漂わす情緒や、事物のまわりに漂う雰囲気を取り出して見せるのに秀でています。」「西洋的な意味でのロマーンはまだまだ日本にはあらわれていない」
女々しい日本文学という批判的総括は、ロマンチストであると同時に行動派の三島らしい見方だなと思う。そしてアポロン的文章のお手本として鴎外、ディオニソス的文章のお手本として泉鏡花を挙げている。論理的でありながらも、日本的情緒の伝統を踏襲した文章を理想としているようだ。他にも自然描写、心理描写、人物描写、会話など各論で古今東西の小説から文章を長めに引用してお手本とする。どの項目も厳選されていて説得力がある。

何カ所か辛辣な批評もある。これなんかはかなり笑えた。何か気に入らないことがあったのだろうか。

「われわれはよく一流の外国文学者の如何にも嫌みな文学青年くさい翻訳文にお目にかかります。彼等は学者としては一流であるかもしれませんが、若い時代に小説家や詩人になろうとして、才能がなかったためにそれが果たされなかった夢を、自分の翻訳の仕事のなかにもちこんで、外国の秀れた作家たちを自分の不思議な文学癖というよりも、青くさい文学癖、同人雑誌流の嫌みな文学趣味やキザな言葉遣いなどでゆがめて汚してしまうのであります。」

付録の「質疑応答」は豪華なおまけだ。「人を陶酔させる文章とはどんなものか」「エロティシズムの描写はどこまで許されるか」「小説第一の美人は誰ですか」「いい比喩とはどういうものでしょうか」など仮想の質問に答える形で、明確な答えが書かれている。

・自家製 文章読本
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/07/post-797.html

・文章のみがき方 - 情報考学 Passion For The Future
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/04/post-737.html

・自己プレゼンの文章術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004915.html

・日本語の作文技術 - 情報考学 Passion For The Future
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/10/post-641.html

・魂の文章術―書くことから始めよう - 情報考学 Passion For The Future
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/05/post-564.html

・「バカ売れ」キャッチコピーが面白いほど書ける本
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004702.html

・「書ける人」になるブログ文章教室
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004805.html

・スラスラ書ける!ビジネス文書
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004499.html

・全米NO.1のセールス・ライターが教える 10倍売る人の文章術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004488.html

・相手に伝わる日本語を書く技術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003818.html

・大人のための文章教室
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002489.html

・40字要約で仕事はどんどんうまくいく―1日15分で身につく習慣術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002286.html

・分かりやすい文章の技術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001598.html

・人の心を動かす文章術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001400.html

・人生の物語を書きたいあなたへ ?回想記・エッセイのための創作教室
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001383.html

・書きあぐねている人のための小説入門
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001082.html

・大人のための文章法
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000957.html

・伝わる・揺さぶる!文章を書く
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002952.html

・頭の良くなる「短い、短い」文章術―あなたの文章が「劇的に」変わる!
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003740.html

・自家製 文章読本
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井上ひさしがこの本に書いたのは小手先の文章術でもなく精神論でもない。いったい文章とは何か、書き手は何をすべきなのか、そして言語の目的とは何なのか、という本質的な問題に対する答えを求めた。

三島由紀夫、川端康成、谷崎潤一郎、丸谷才一らの文章読本がしばしば批判的に引用される。そこに書かれた

・話すように書くのがよい
・透明な文章が理想とする考え方
・接続語で流れるような文章を書くとよい
・オノマトペは使うべきではない
・文末をバリエーション豊かにせよ

などという旧世代の文章読本が良しとした文章術に対し反論を加える。事例と根拠を明快に示して斬っていくのが心地よい。

井上ひさしは比喩を殊更に重視している。文の中で比喩が出ると読者の脳は一瞬ぎょっとする。謎が解けると快く感じる。文章が意識され味わいがでる瞬間だ。それこそ表現のための文章づくりに一番重要なことだというのである。

「とりわけ大事なことは、受け手は瞬時でも立ち止まるたびに言葉や文章を実感するということで、文章とは第一に言語の特別な使用である以上、これは当然すぎるほど当然だろう。「餅のような肌」ではだれも立ち止まらない。使い古された紋切り型だから透明すぎてだれひとり意にもとめないのである。だが「白い陶器に薄紅を刷いたような」(『雪国』)となると話は逆になる。これは新しくて、よい比喩だ。」

ビジネス文書や広告のような伝達のための文章は、簡潔にして透明なものが好まれる。高度な比喩は少なく接続語でスムーズへ前へ流す機能優先の文体だ。しかし、小説や戯曲のような表現の文章の名文は、ただ伝達するのではなく、読者の共感や想像力を強烈に喚起させるものでなくてはならない。読者の長期記憶を揺さぶるために比喩は強い武器になる。

「すなわち小説は「読者」という名の「同時代に生きる仲間達に向かって書かれるべきものである。<中略>つまり仲間達=読者たちは、内部にある名付けられない言葉、形をなしていない半物語をかかえて暮らしているのだが、そのもやもやに名を与え、その半物語に形を与えるのが作家の仕事である。当然作家の使用する言葉も読者たちの言葉でなければならないが、これらの仕事に成功した作家は自然に「時代様式まで高められた文体」(=共同体の実感)を持つ。」

算数の問題文、回覧板や法律文、商業文、記事や社説、随筆、小説や戯曲、そして詩。世の中には多種多様な文があるが、およそ、その順序で書くのが難しくなるという。

「使われる比喩の量と文章を書くことのむずかしさとが正比例するからである。つまりその文章が世の中の中心から外れれば外れるほど、個体的、個人的なものになればなるほど、比喩の量が増えて行き、その分だけ文章を書くことが骨になるのである。これまでにも何回となく触れたことだけれど、個人的な文章の主務は、それぞれの心の生活のなかにある「なんだかぼんやりしたもの」、そして「ぼんやりしてはいるが自分にとってのっぴきならないほど重大なこと」に形を与えるというところにある。その内的経験は個人的なものであるだけに世の中の中心からは遙かに遠い。その距離を瞬時のうちに埋めるのが比喩である。」

比喩に関する考察の部分のみ抜粋してみたが、これだけでも井上ひさしの文章論の総合性と厚みが明らかではないだろうか。文章論を超えて文化論というレベルに達している。古今東西の名文が実に的確に引用されていて、著者の背景の読書量と知識量を思うと圧倒される。

「生命おどって書いたものにのみ、文体がある。」、「鍛えあげられた短文、文章の中心思想こそ、文章の燃料にほかならない」、「文章を綴ることで、わたしたちは歴史に参加するのである」。この文章読本は、こうした極意に至るまでの説明のプロセス自体がが読み物としても完成度が高いから、なおさら説得力が増す。

伝達の実用文章術ではなく、表現の芸術としての文章術を知りたい人向けの名著。

・文章のみがき方 - 情報考学 Passion For The Future
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/04/post-737.html

・自己プレゼンの文章術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004915.html

・日本語の作文技術 - 情報考学 Passion For The Future
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/10/post-641.html

・魂の文章術―書くことから始めよう - 情報考学 Passion For The Future
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/05/post-564.html

・「バカ売れ」キャッチコピーが面白いほど書ける本
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004702.html

・「書ける人」になるブログ文章教室
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004805.html

・スラスラ書ける!ビジネス文書
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004499.html

・全米NO.1のセールス・ライターが教える 10倍売る人の文章術
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・相手に伝わる日本語を書く技術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003818.html

・大人のための文章教室
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・40字要約で仕事はどんどんうまくいく―1日15分で身につく習慣術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002286.html

・分かりやすい文章の技術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001598.html

・人の心を動かす文章術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001400.html

・人生の物語を書きたいあなたへ ?回想記・エッセイのための創作教室
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001383.html

・書きあぐねている人のための小説入門
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001082.html

・大人のための文章法
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000957.html

・伝わる・揺さぶる!文章を書く
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002952.html

・頭の良くなる「短い、短い」文章術―あなたの文章が「劇的に」変わる!
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003740.html

・真実の言葉はいつも短い
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劇作家、演出家の鴻上尚史が20代~30代半ばに本に書いた文章を、自選で編んだ傑作エッセイ集。若い世代に読ませるためにまとめたようだ。テーマは主に表現論、演劇論、恋愛論、人生論。

最初になぜ鴻上は演劇を志したのか、どうやって劇作家や演出家になったのか、そのとき何を考えていたか、が赤裸々に語られる。

「トレーナーのエリの部分を頭の上まで引っ張り上げて、『ジャミラ!』と言い切った新人には、柿のタネが飛びました。よせばいいのに、そいつは、そのまま、『スピードスケート選手!とだめ押ししました。『ほっかほっか亭』の唐揚げが飛びました。唐揚げは、当たると痛いのです。 つまりは、表現するとは傷つくことで、下手でもとにかく、傷つかないと始まらなくて、それを、無傷なまますごそうとする人間たちには、地獄の観客達は容赦なかったのです。」

第1章「演劇なんぞというものを」、若き鴻上が入部した早稲田大学演劇研究会での、青春の一コマ。打ち上げ飲み会では前にステージが作られて全員が個人芸を強制される。つまらない芸には無視や冷たい仕打ちが待っていて、覚悟がない新人は泣いて部を去っていく。本当にうまいものには熱烈な拍手と喝采が起きる。

「そういうメンバーとつきあうことは、道楽を追求するひとつの近道なのです。もちろん、そういうメンバーと出会うのは、簡単ではありません。ですが、志さえ高く持っていれば、そしてちゃんと傷ついていれば、必ず出会うのです。」

いかにもワセダ的メンバーにもまれながら鴻上は授業をさぼって演劇にはまる。一部員から仲間を集めての劇団の設立、劇団仲間の死、それを乗り越えて夢に向かう覚悟。ユーモア感覚たっぷりの軽妙なエッセイだが背後にきちんと後進へのメッセージが込められている。

「舞台とは、大海原を何ヶ月も漂流しながら、仲間の人肉を食らうことで生き延びられた最後の一人が、緑の大陸の渚にうちあげられた時、気を失いながらもしがみついていたイカダのことである。その材木でできた四角い平面こそ、私の求める舞台そのものなのだ。」(「ジョジョ・マッコイ」、謎の演劇者の言葉を借りて)

特にこれにしびれた。その舞台はすべての表現者にとっての舞台なんだと思う。

いい戯曲を書くには?テーマがみつからない?

「あなたが、「ま、いいか」とか「しょーがないの」とか「これが人生っていうやつよ」とかの言葉を使わない限り、テーマは山ほどあります。」

演劇に限らずこれから表現者を志す人におすすめ。それからワセダ的な場所で留年や休学を繰り返しちゃっているような停滞中の大学生に特におすすめ。鴻上の言葉にブレイクスルーがみつかるかもしれないと思う。

・人生を決めた15分 創造の1/10000
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「カーデザイン業界で、世界中でたった1人、僕だけが達成したことがある。それは世界の3大スポーツカーと言われるコルベット、ポルシェ、フェラーリのすべてをデザインしたことだ。これは前例がなく、以降も例はない。」という世界レベルのプロフェッショナル奥山清行氏の仕事術。全ページカラーで見開きに奥山氏が仕事で描きためたスケッチが半分、本文が半分という構成。

世界の厳しい競争を勝ち抜いてきた著者は、日本の優等生や組織人に終始疑問を投げかける。たとえば日本のチームリーダーは「人を管理する」のが仕事だと間違えていると指摘がある。本来は自己管理が原則だからリーダーは人を管理する必要はなく「仕事を管理する」ものだという意見。競争が激しく転職が頻繁な世界では、管理されるような人は淘汰されて存在できない。自己主張と自己プロデュースも競争では必要だ。「自分の特徴をアピールしなければ、お客さんの期待は生まれない」。

出る杭になることを恐れるな、迷ったらやれ、好きなら極めろと、著者が言っていることは、成功したクリエイターとしては比較的オーソドックスな方向性のアドバイスだ。だが、本文と一緒に提示される、著者が何十年も描き続けてきたスケッチからは、まさに好きで極めた仕事というオーラがひしひしと伝わってくるのだ。ふたつを併せて奥山清行の生き様になることで、この本は大きな説得力を持っている。

「意見を言ってくる人は、みな「より良くしたい」と思っている。だが、100人の意見を全部取り入れてしまえば、ものすごくつまらないものか、化け物みたいなものしかできない。」。強引に進める自分の仕事の方向性が正しいかどうか、迷ったときに思い出したい言葉だ。

「時代がMBAをもてはやすようになれば、人を見る目のない管理職とのたまう輩は、面接しても紙に書かれた資格だけをもとに相手を評価する。そして実際は本人がやったかどうかもわからない業績を基に、高い給料で役に立たない資格保持者を雇う。」。なんて痛快な発言だろうか。

タイトルの「人生を決めた15分」はなんとフェラーリ会長の前で新車をたった15分でデザインした著者の武勇伝だ。しかし、物理的時間ではたった15分であっても、そこには著者の経験と情熱のすべてが濃縮されていた。

「僕らの商売には「ハレとケ」ではないが、2つのモードがある。1つめは「溜め」で、自分の中で材料を溜め込み、熟成し、並べ替える作業をしている。これは外から見ても知ることのできない部分で、一見何もしていないかのようだ。もう1つは「発散」で、一気阿成」にアウトプットするモードだ。絵を描き、シナリオを形にし、成果物として世に問う。人はこの部分だけを見て、仕事をしていると思うものだ。」

誰の力でもなく自分のブランドで戦ってきた人だからだろう、この人の自慢話はどれも清々しい。いつか自分もこんな仕事をしてみたいと情熱の火を焚きつけられる。クリエイティブの世界で一流の仕事をしたいすべての人たちにおすすめ。

・日本文化の模倣と創造―オリジナリティとは何か
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コンテンツビジネスに関わるすべての人が一読の価値ありの名著。

日本と世界の文化史における模倣と創造の関係を多面的に検証し、ものまねではないオリジナリティの追究という幻想を打ち壊す。歴史を振り返ってみれば、ものまねこそクリエイティティの源泉だったのである。

冒頭で紹介されている、類似したものを選ばせる認知実験の結果が興味深い。異なる観点で似ているものを指摘させた場合、西洋人は形状的な特徴の類似を重視する人が多いのに対して、日本人は色彩・素材・質感・肌ざわりなど非形状的な特徴に着目する人が多いという結果が出ている。

「この傾向は、一見似ても似つかないもののあいだに類似点を発見する能力、すなわち「見立て」につながる。日本で「見立て」の文化が華開いたのは、案外、日本語が持つ文法構造のせいなのかもしれない。」

こうした類似性の認知能力をベースにした模倣によって、日本や世界の文化は発達してきた。特に日本の伝統文化には芸道の「守・破・離」や家元制度などは、先人の技芸の模倣から発展していく「再創」の文化であった。浮世絵の特徴を数量化した研究では、それぞれが独創的に思える絵画も、作風や流派によって客観的な類似点があることが判明する。ものまねが美を生み出してきたのだ。

そして大量複製技術の登場によって、模倣は一層重要なキーワードとなる。

たとえばモナリザはなぜ有名なのかといえば、写真などのコピー技術の普及で広くその複製が目にされたからだと著者はいう。オリジナルのモナリザを肉眼で見たことのある人はそれほど多くはない。モナリザが価値あるオリジナルであるのは、大量のコピーのおかげなのだ。

これは合法・違法のコピーが氾濫するインターネット時代において大変に興味深い理論だ。「コピーされた図像が普及すれば、オリジナルの価値はたかまる。皮肉なことに、絵画のオリジナル性は、コピーの広がりの程度によって規定される。オリジナルであることは、コピーであることの裏返しだとするならば、オリジナルはそのコピーとの関係的な価値に過ぎず、オリジナルに何か実体的な価値を想定すること自体が誤りだということになる。」

著作権はかたちを変えていかねばならない。それには文化を保護するための著作権という考え方を改めないといけないようだ。そもそも日本に「コピライト」を輸入したのは福沢諭吉であった。この本はその経緯をよく調べている。福沢自身が出版ビジネスによって財をなした人でもあった。日本における著作権の起源がこう結論されている。

「諭吉は、「著者の知的な創造に対する権利」という今日的な意味での権利の保護を主張したのではない。諭吉は、「コピライト」をあくまでも経済の原理として考えていた。諭吉をもって日本の著作権とするならば、著作権は最初から文化の問題ではなく、経済の定則として主張されてきたことを、われわれは再認識する必要がある。」

後半はテクノロジーの世界のオープンソース文化について言及している。リチャード・ストールマンをはじめ、オープンソース運動の担い手たちは、禅や日本的思想に通じている人が多い。いうまでもなく、オープンソースは典型的な再創のコミュニティである。元IBMで情報学が専門の著者は、日本の連歌の手法になぞらえて次のように語る。

「オープンソース開発に優秀なプログラマを終結させるには、連歌の「発句」にあたるプロトタイプ、あるいは開発の目標が魅力的であることが大事である。魅力ある「発句」でなければ、よき会衆を得ることは困難である。」

そう、このよき発句あるところに人が集まりCGM(ConsumerGeneratedMedia)の華が咲くのだ。2ちゃんねる、ニコニコ動画、ブログ、SNSなどインターネットの創造性の大半は、よき発句から生まれたもの、だろう。

良い発句とは、連歌書の古典「筑波問答」によれば次のように規定されていた。「先づ、発句のよきと申すは、深き心のこもり、詞やさしく、気高く新しく、当座の儀にかなひたるを、上品とは申すなり」。何世紀も前に再創の本質がここまで看破されていたとは驚きだった。この文言を会社の壁に貼ってやろうかと思った。

このように著者の着眼点が鋭く、論証に説得力がある。最初から最後まで50枚近い付箋を貼って熟読し、最後にこんな結びがあった。まさにそうした新しい時代の模索を始めるための教科書として読むべきだと思う。

「デジタルコピーの力によって、情報の排他的な所有という近代のパラダイムは終焉を迎えるだろう。わたしたちがいまするべきことは、デジタルのコピー力を人類の文化的な豊かさにつなげるための方法を模索することではないだろうか」

・日本という方法―おもかげ・うつろいの文化
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/01/post-508.html

・模倣される日本―映画、アニメから料理、ファッションまで
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003155.html

・ドラマで泣いて、人生充実するのか、おまえ。
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著者の橘川さんとはかれこれ5年以上お会いしていないのだが、私にとっては恩人の一人である(と勝手に思っている)。橘川さんは1996年、まだ私が学生をしている時代に「デジタルメディア研究所(略称デメ研)」を設立され、大手メーカーのマーケティングプロジェクトなどをプロデュースされていた。その一環の座談会に私は何度か呼んでいただいたのだった。

ほんのお小遣い稼ぎのつもりで参加したのだが、それはちょっとした感動だった。まずフリーランスでありながら大企業のマーケティングに対して強い影響力を持つ、そのカリスマぶりにしびれた。

そのころから私は雇われない生き方に憧れていた。フリーランスやベンチャーという生き方候補のモデルケースとして橘川さんが強く印象に残った。実は「ロッキングオン」という伝説的な雑誌の共同創業者であったり、パソコン通信の時代からデジタルメディアのマーケティングの専門家として有名な方であったということなどは、はずいぶん後になって人から聞いて知ったことだった。当時は、ただただ、目の前の颯爽とした橘川さんがかっこいいオヤジだなあと思ったのだった。

それで「橘川さんという面白いオヤジと出会ったよ」と知人らに話したところ、「実は私は(僕も)デメ研の秘密研究員なんだよね」という人が複数出てきて、その証のロゴマークのシールを見せびらかされたりした。よし、私もいつかはデメ研の秘密研究員に任命されるほどの人間になってみせようぞと、密かに思っていたのであった、あれから10年。

この本はその橘川幸夫語録である。本を手にしたとき、いくら橘川先生とは言え「存命中に本人が自分語録を出すってどうなの?」と正直思ったが、開いてみると教条的厭らしさはまったくないっていうか、もろにロックでパンクである。不良である。ぶんなぐられた気がする。

私が気に入った名言ベスト4を紹介する。

「あなたがどんな人間かは、あなたがどんな音楽を聴いていて、どんな服装をしているかでわかる。でも、そんなわかられ方って屈辱だろ?」

「思想というのは自分の中を鋭く突きぬけていくものと、自分の中をさわやかに吹き抜けていくものがある。人もまた。」

「友だちの友だちは、赤の他人に決まってる。1対1の関係をなめないように。」

「誰にも言えないことがあるとしたら それはむしろあなたの宝物として扱え」

「負けたフリして諦めない。逃げたフリして攻めあげる。」

「言葉は社会遺伝子である。個人が見たこと聞いたことを、言葉という遺伝子にして次の時代に手渡すのだ。」という使命感で書かれたそうだ。とりあえず私は受け取りましたよ。


・文章のみがき方
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朝日新聞で「天声人語」を13年間担当した元論説委員が書いた文章の上達法。50人以上の有名作家の文章論を引用して、著者が解説をつけていく構成なので幅広い考え方に触れることができる。

「私にはどういう文章を書けばいいかという規格品のイメージがありませんので、これはうまい文章だと思うものをノートに書き抜く。小さいときからつくってきたそういうノートが百冊以上になると思います。」(鶴見俊輔)

「旅行に行って10日くらい書かないことはありますけど、そうすると10日分へたになったなと思います。ピアノと一緒なんでしょうね。書くというベーシックな練習は毎日しないといけません」(よしもとばなな)

「何度も何度もテキストを読むこと。細部まで暗記するくらいに読み込むこと。もうひとつはそのテキストを好きになろうと精いっぱい努力すること(つまり冷笑的にならないように努めること。)最後に本を読みながら頭に浮かんだ疑問点をどんなに些細なこと、つまらないことでもいいから(むしろ些細なこと、つまらないことの方が望ましい)、こまめにリストアップしていくこと」(村上春樹)

大作家たちの多くが毎日書くこと、気がついたことをマメに記録しておくことが上達の秘訣だと言っている。日常の情景描写や心の揺れ動きを書こうとするときに「些細なこと、つまらないこと」が記述に厚みやリアリティを与えるものだが、そういうことって書こうと思ったときにはすぐに出てこないものである。こまめにリストアップという村上春樹の戦術は、プロの文章を見ていて本当に納得である。

同時に武装するばかりが文章術ではないようだ。

芥川龍之介が書いた熱烈なラブレターが紹介されている。読んでいるこちらが気恥ずかしくなるくらい、あからさまに愛を語っている。文章の体裁を取り繕うなんて姿勢はまったくない。文豪が油断している文章だが、どれだけ相手に熱を上げていたかがよくわかる臨場感を感じた(これは名文の例として取り上げられたのではないのだが)。

「気のきいた文章を書くてっとり早い秘訣は『自分がピエロになる。自分の欠点を情け容赦なく書く』である。逆に読み手の強い反感を買うのは『自分の欠点を書いたようでいて、実は自慢話になっている』である」(姫野カオルコ)

本当の自分をさらけ出すことができる人というのは数少ない。ついつい書いているうちに取り繕ってしまう。日々文章を綴るというのは、慣れによってそのガードを少しずつ下げていく練習であるのかもしれない。肩の力が抜けた文章を書きたいものだ。

・一億三千万人のための小説教室
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私は小説を書くのが子供の頃からの夢である。でもまだひとつも書いていない。いいガイド本はないものかとずっと探しているわけだが...。

高橋源一郎が書くのだから並みの内容ではあるまいと予想して読んだが冒頭から「実際、わたしの知っている限り、「小説教室」や「小説の書き方」を読んで小説家になった人はひとりもいません。」と読者を突き放す。

「真実というものは、知ってみると、たいていガッカリします。身も蓋もない、という感じだからです。この「小説家」の代わりに、「音楽家」や「数学家」や「建築家」ということばを入れてみてください。みんなあてはまっちゃう。ほんとに、真実って味気ない。」

とはいいつつも、もちろん高橋源一郎なりのアドバイスがある。「つかまえる」「口まねする」という二つの方法が小説家になる近道だと教えている。

つかまえるというのは、生きていればいろいろなボールが飛んでくる、ボールの中にはきっと小説も含まれているのでつかまえなさい、という意味。古今東西の名作の一節を引用して、ほら今何か飛んできたでしょ?あなたわかった?という風なケーススタディが続く。

「ふつう、人は、なにかを考えて、それから、おもむろに、その考えたなにかをことばで表現する、と思われています。しかし、それは、まったくの誤りではないでしょうか。ほとんどの「小説教室」で、まちがったことを教えるようになったのは、そのせいではないか、とわたしは思ったのです。まず、口まねがあるのです。」

好きな小説家の文体を真似してみなさい。そうすればそれを書いた人の感覚で世界を見る練習をしていれば、自分のオリジナルの視線と融合して、やがて自分自身の小説も書けるようになるよ、と高橋源一郎は言う。キャラクターが自然に動き出すという状態に近いのだろうか。

「小説家は、小説の書き方を、ひとりで見つけるしかない」。小説家志望の孤独な挑戦を、もしかすると近道になるかもしれないヒントを提示することで勇気づけてくれる本である。

・物語の作り方―ガルシア=マルケスのシナリオ教室
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005281.html

・2週間で小説を書く!
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004901.html

・人生の物語を書きたいあなたへ −回想記・エッセイのための創作教室
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001383.html

・小説の読み書き
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004878.html

・書きあぐねている人のための小説入門
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001082.html

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日本語の作文技術

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・日本語の作文技術
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1982年初版、文章術の古典的名著。ジャーナリスト 本多勝一氏が「読む側にとってわかりやすい文章を書くこと」を目的とした作文技術を披露している。言語学的に正しい文法を講釈するのではなく、現場のノウハウを徹底的に理論化している。

特に「修飾の順序」と「句読点のうちかた」は、文章を書く人すべてが一度は読んでおくとよさそうな内容である。こうするとわかりやすくなるという説得力のある推敲例を多数示した上で、原理原則を抽出していく。

「修飾の順序」

1 節を先に、句を後に
2 長い修飾語ほど先に、短いほどあとに
3 大状況・重要内容ほど先に
4 親和度(なじみ)の強弱による配置転換

「句読点のうちかた」

第一原則 長い修飾語が二つ以上あるとき、その境界にテンをうつ
第二原則 原則的語順が逆順の場合にテンをうつ
#この他に筆者の考えをテンにたくす場合として、思想の最小単位を示す自由なテンがある

文章を書いていて迷った時、これらのルールを知っていれば、救われる黄金則だと思う。
前半で実践的な文法論が語られた後に、後半では表現論や日本語論が熱く展開されている。避けるべき表現法として「紋切型」、「繰り返し」、「自分が笑ってはいけない」、「体言止めの下品さ」、「ルポタージュの過去形」、「サボリ敬語」を挙げている。個性がなくて、手抜きの文章は美しくないということだと思う。日本語はこうあるべきという著者の思想が感じられる。

特に共感したのが、読者の感情を動かしたいならば、文章が感情的になってはいけないというアドバイスである。漫才師と同じで、笑わせるものは笑わないのが鉄則なのだ。「読者を怒らせたいとき、泣かせたいとき、感動させたいときも「笑い」と同様である。筆者自身のペンが怒ってはならず、泣いてはならず、感動してはならない。」。

笑わせてやろう、泣かせてやろうと思って文章を書くとき、人は作為の文章を書いてしまいがちである。その作為性が、無粋であったり、下品であったり、くどい印象などを読み手に与えてしまう。逆説的であるが、そうした作為を排して、自然に流れる文章を書けるようになるための技術や修行法を、この本は教えている。

現代語訳 風姿花伝

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・「現代語訳 風姿花伝」
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すべてのクリエイターにオススメしたいのが「現代語訳 風姿花伝」(PHPエディターズ・グループ)である。風姿花伝はご存知のように、600年前に能を極めた世阿弥が書いた芸能指南の書。明治になるまで一子相伝で伝えられてきた。この書の中でも最も秘匿性が高い「口伝」で語られた「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」というフレーズは有名である。この現代語訳は古い言葉で書かれたその奥義が、誰にでもわかる言葉に翻訳されている

世阿弥によると花とは、面白くて珍しいもののことである。見るものの心を動かさなければ花ではない。そして、どんなに洗練された表現でも、ありふれたものは花ではない。だから、表現者はたくさんの持ちネタを修得し、場の雰囲気に合わせて、最適なものを繰り出せるようになりなさい。それが花のある芸人ですと伝えている。

私流に超訳してしまうと、こんなことも言っている。

・開演は会場が静まるのを待ってから始めなさい。
・昼の公演では穏やかな出し物から少しずつ盛り上げていきなさい
・夜の公演ではいきなりテンションを高く始めなさい
・練習中の芸は地方巡業で磨き、ここぞという東京ドーム公演で完成形を見せなさい
・若い芸人は若さゆえの輝きを持つが、それは一瞬のことなので根気よく精進しなさい
・35歳で世の中に認められないなら一流は諦めたほうがいいかもしれない

まだまだあるが、ずいぶん実践的で、芸能全般に応用できそうなノウハウである。幽玄、去来花、物真似という言葉もこの本から出たもの。長く秘密になっていたものが、こうして読みやすい形で読める現代は幸せだ。

さて、なぜ花は秘すべきなのだろうか。なぜ風姿花伝は一般の目から500年以上も隠されてきたのだろうか。答えが最終章に書いてある。

風姿花伝の極意は、「珍しいものが花だと思って演じていることを周囲に悟られるな」ということだったからなのである。珍しいものが見られると期待する観客の前では、何を出してもびっくりさせることが難しい。つまりネタバレ厳禁ということなのだ。

Web2.0、オープンソース、集合知の時代になってあらゆる知識が万人に共有されている。消費者にとっては便利で快適な時代だが、作り手にとっては「秘すれば花なり」が難しくなってきたともいえる。

世阿弥は芸能は人々を面白がらせ幸せにするものだと語っている。その価値を守るためにクリエイターは、これからも舞台裏は隠すべきなのかもしれない。しかし、隠すものは、隠していることを悟られてはいけない。見るものに不便や無粋を感じさせることなく、舞台裏を秘するは花なり。それがインターネット時代のクリエイティブの目指す理想なのではないかなと考えた。