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この本の定義によれば「隠語とは、社会集団が集団内部の秘密を保持するなどの目的で使用する、その集団の内部だけにしか通じない言葉である。」。マタギやサンカの民俗研究から、隠語の成り立ち、使用実態、そして、そこに込められた被差別者の心意をあきらかにしていく。隠れキリシタンや警察など、隠さねばならない事情があるところに隠語の文化は発達する。
著者は隠語には
1 所属集団の秘密を保持する機能
2 所属集団の仲間意識連帯意識を強化する機能
3 所属する集団と他の集団とを区別する機能
4 他の集団に対して所属集団を誇示する機能
の4つの機能があると総括している。
権力や公安から隠すとは限らない。マタギの場合には山の神様に隠すために隠語を使うそうである。そういえばネットにも隠語はある。たとえば危ないクスリの取引を掲示板を介して行う場合に、検索にひっかからないように隠語を使う。「鮫島事件」「みかか」とかわかる人だけで楽しもうという隠語もある。すぐにWikipediaに定義が書かれてリンクされてしまうわけだが、ネットでも隠語は日々作られている。
で、面白かったのは、隠語のつくりかた。パターンがあるのだ。
音節省略型 忍び→ノビ 商売→バイ 下足→ゲソ
語音転換型 警察→さつけい 酒一杯→バイイチ 鞄→バンカ
語音付加型 たけ(下駄の隠語)→オタケ
その他には、事物形態類似型、事物形態に因る型、事物色彩に因る型、事物色彩に因る型、事物音響に因る型、事物連想に因る型、文字の構造に因る型、雑型と、10の定型に分類する説が紹介されている。これだけあれば隠語ジェネレーターのプログラムがつくれそうだ。
著者は隠語のルーツを、中世の非人社会にあると考えて、興味深い自説を展開している。犯罪者とそれを取り締まる側が同じ隠語を使っていることに注目して歴史をさかのぼっていく。隠語の闇は深い。
とても面白い。色街の風俗文化を探ったノンフィクション。
遊郭の名残をとどめる大阪の色街飛田。今でも半ば公然と売春が行われているこの場所を女性フリーライターが、10年かけて地道に取材を重ねた。原則取材拒否の街だから真正面からは入れない。最初は飛田をお客として利用した男性に話を聴いて回る。飛田の飲み屋の常連になり内部に人脈をつくる努力もする。もちろん「店」にも潜入し女の子の話も聞く。
「ほら、こうやって二重三重にライティングしているの。肉屋が赤身の牛肉をきれいに見せるのと同じ。」・・・表を向いて座っている女の子が、私のほうを振り返って、にこっと笑って会釈してくれた。」
現場取材は苦難の連続だ。「さわらんといて」「そっとしておいてほしいんや」「うるさいんじゃ」と追い返されることもよくある。それでも食い下がったり、コネをつくったりで、関係者の重たい口を開いていく。色街は闇の利権と既得権の塊でもあるのだ。
「それを書いたら、おたくはいくら儲かるの?」「おたくが、飛田を本当のところはどう思ってはるのか分からへんけど、昔はともかく、今は私らはイカンことしてるんやから、書かれては困るんや」とはじめて取材にいった飛田料理組合で幹部たちににらまれる。
だが、著者の調査によってしだいに資料や証言が集まって飛田の歴史が明らかになる。明治45年に難波新地乙部が火災で焼失して移転先として飛田が選ばれたのがはじまり。当初より政治家たちが暗躍して汚職にまみれていた場所だった。戦後の赤線廃止では、経営者たちは法の抜け道を探して業態転換し、したたかに営業を続けていく。
西成警察署へ「売春が行われていることが明らかな飛田をなぜ取り締まらないのか」と質問をしたり、関与を疑った"組"の事務所にインタビューを試みたりする。もちろん途中で何度も"怖い人"と接近遭遇している。その甲斐あって飛田の現在の風俗ビジネスの実態も明らかになっていく。
取材対象と同じくらいこの書き手が興味深い。飛田や売春に関係する者たちへの距離のとり方や評価が微妙なのだ。情報提供者との人間関係を育みつつも、つかず離れずというか、常に一定の距離を保っている。色街への批判的な記述も結構多いのだが、興味本位での探究部分も多いし、そこが本書の面白さにもなっている。
「売買春の是非を問いたいわけではなかったが、そのことについては、書き終わった今も私に解答はない。それよりも、今思うのは、飛田とその周辺に巣食う、貧困の連鎖であり、自己防衛のための差別がまかり通っていることである。」
と、あとがきに書いているが、著者の複雑な葛藤がしばしば現れる。それが結果として書き手への人間的興味を喚起させて、本書の面白みを増している。取材対象も取材した人もどちらも魅力的なコンテンツなのだ。
そういえばこの手のノンフィクションと言えばこれも面白かった。
・間道―見世物とテキヤの領域
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/08/post-1046.html
テキヤ稼業(的屋、香具師ともいう)のドキュメンタリ。
結局、平清盛って何をした人なのか、ということを、マンガでわかりやすく理解することができる。漫画の読みやすさを損ねないレベルで、歴史の解説情報をいれている。またエピソードや台詞の細かな部分に、平家物語などのネタを織り込んでいて、ある程度知識がある人も楽しめる良書。
これはもうすぐドラマでも出てくるはずの、忠盛殿上闇討のシーン。
漫画の目次は
第一章 貴族と武士 ・・・・・・5
第二章 保元・平治の乱 ・・・・・・24
第三章 平家の栄華 ・・・・・・52
第四章 青天の霹靂 ・・・・・・66
第五章 栄枯盛衰 ・・・・・・86
となっているが、清盛の表舞台での活躍が始まるのは第二章の保元の乱で39歳のとき。時代背景や家柄もあるが、比較的遅咲きの人物なのだ。NHKドラマも後半に大きなエピソードが集中しそう。
東京都江戸東京博物館で2月5日まで開催中のNHK大河ドラマ50年 特別展「平清盛」をみてきた。展示は5つの章で構成されているが、厳島神社をイメージして設営された「第3章 平氏の守り神―厳島神社」コーナーでの豪華絢爛な平家納経の展示が見ごたえがあった。清盛自筆もある。筆跡を見るとその人物の実在を深く実感できるのは日本人的な感性だろうか。
NHK大河ドラマ50年 特別展「平清盛」
http://www.nhk-p.co.jp/tenran/20111020_162656.html

・清盛
http://www.ringolab.com/note/daiya/2011/12/post-1567.html
・平清盛 -栄華と退廃の平安を往く-
http://www.ringolab.com/note/daiya/2011/12/post-1565.html
・平家の群像 物語から史実へ
http://www.ringolab.com/note/daiya/2011/10/post-1533.html
・「平家物語 あらすじで楽しむ源平の戦い」と「繪本 平家物語」
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/09/post-823.html
・安徳天皇漂海記
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/09/post-445.html
平家物語のバリエーション。
・琵琶法師―"異界"を語る人びと
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/07/post-1034.html
2012年のNHK大河ドラマ『平清盛』の予習。といってもドラマの情報はあまりなくて、歴史上の人物としての平清盛についてまとめたビジュアルムック。
源平合戦はまず名前をおぼえるのが大変。平家方の「盛」がつく名前の人物を挙げると清盛、家盛、経盛、教盛、頼盛、重盛、基盛、宗盛、知盛、光盛、維盛、資盛、有盛、師盛といっぱいいて、主要な登場人物として登場してくる。この本にあるような系図は必須である。
それから平家の時代を開いた保元の乱と平治の乱、そして源氏争乱の幕開けとなる宇治合戦から勝負が決した壇の浦まで主な合戦の解説がある。天皇と上皇、源氏と平氏の誰がどちらの勢力についたのかが説明されている。権謀術数の時代なので、とにかく人間関係が複雑に錯綜している。
厳島神社、六波羅蜜寺、祇園、八坂神社、東大寺、興福寺、清水寺、平等院などゆかりの地の歴史と今も紹介されている。今回は関西を中心に広がりを持ったエリアが舞台となりそう。
紅白戦のルーツは源平合戦にあったとか、平安貴族の1日の過ごし方とか、蘊蓄記事もある。どのページにもグラフィックが満載で、ドラマや小説を読み解く予備知識を楽しく学べる。
・平家の群像 物語から史実へ
http://www.ringolab.com/note/daiya/2011/10/post-1533.html
・「平家物語 あらすじで楽しむ源平の戦い」と「繪本 平家物語」
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/09/post-823.html
・安徳天皇漂海記
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/09/post-445.html
平家物語のバリエーション。
・琵琶法師―"異界"を語る人びと
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/07/post-1034.html
クリスマスプレゼントを渡す日ですね。
「贈与の最盛期」である15世紀後半の日本の贈与儀礼を研究することで、日本独特の贈与文化が浮かび上がってくる。お中元のやりとりが若者層で低調になっても、まだまだ日本人は贈答好きだ。結婚祝い、香典、出産祝い、入学祝い、年賀状...。バレンタインデーができたら、返礼のホワイトデーもすぐに定着した。日本の民法はいかなる理由があっても贈与の撤回を認めていない。贈与の保護が厚いのはなぜか?。起源は中世にあった。
世界の歴史をみると贈与は「神にたいする贈与」から始まる。それが国家や領主に対する税に転化していく。キリスト教と密接に結びついていた中世ヨーロッパの贈与と異なり、日本では比較的早い段階で贈与が宗教と切り離され、より世俗的な用途が主体のかたちに変容していった。
贈与は、贈与者と受贈者の二者だけで完結するものではなく両者の関係を律する外部の別の支配者があったと著者は指摘する。それは神とは限らない。広義の「法」であり「先例」がそれに変わった。
中世武家社会で贈答は経済的な側面がつよく、見返りを期待する功利的な贈答儀礼の性格が強くなった。賄賂ではなく前例によって受ける当然の報酬「役得」という言葉もこの時代にうまれた。中世の人々は損得勘定に敏感でつり合いが取れる「相当」であることを強く求めた。対称的返済、同類交換の原理は、現金の贈与にまで発展する。現代でもそれは結婚祝いや香典のような形で続いているが、現金が平気で贈答されることは日本の贈与の特殊性であるそうだ。
現金の贈与もまた中世がはじまりだ。さまざまな贈与の形態が解説されている。たとえばこの時代には「折紙」が発明された。贈与をする側はまず金額を記した「折紙」を先方に贈り、現金は後から届けることができた。この「後から」の時期は記録によると1年以上後であることもある。だから贈与者は手元に現金がなくともとりあえず贈与ができる。そして大抵の場合、それは賄賂であったから、相手が期待にこたえてくれるかを現金を渡す前に確認ができ、贈り損もなくなるというわけだ。後年、この折紙は債権として流通することもあったという。現代では祝儀や香典に金額を書いた紙を使うのが名残のようだ。
『贈与論』のマルセル・モースやモーリス・ゴドリエは、贈与には4つの義務があると定義した。
1 贈り物を与える義務(提供の義務)
2 それを受ける義務(受容の義務)
3 お返しの義務(返礼の義務)
4 神々や神々を代表する人間へ贈与する義務(神に対する贈与の義務)
世界にはこれらの組み合わせの強弱からさまざまな贈与慣行や儀礼が生まれてきたが、とりわけ中世の日本では功利的で商取引のような贈与慣行が発達してきたことがわかる。東南アジアの人類学で取り上げられるポトラッチ(競争的贈与)のようなエキゾチックな贈与儀礼ではなく、キリスト教圏の神への贈与でもなく、現代の私たちの文化と地続きの、贈与文化が中世にあった。贈与には国民性がでるものということがよくわかる本であった。
「戦後の日本の社会の変化を捉えるに、ラーメンほどふさわしい材料はない。ラーメンの変化は時代の変化に沿ったものである。本書が試みようとしているのは、そんなラーメンの変遷を追って見た日本の現代史の記録である。」
都市下層民の夜食だった「支邦そば」がわずか100年で日本の「国民食」となるまでの歴史が語られている。戦後のアメリカの小麦輸出戦略があり、安藤百福(日清食品創業者)のパン食文化への抵抗としてのチキンラーメンの発明と大量生産があり、田中角栄の国土開発と「ご当地ラーメン」による地域振興があり。昭和の時代、インスタント、カップラーメンも含めて「ラーメン」という呼称が確立されてマスメディアにものり、当時大量発生した独身の都市生活者を中心に、受験生や機動隊員など幅広い世代に親しまれるようになった。
この本はラーメン現代史を総括するだけではないのが面白い。
ラーメン文化は幾度ものブームによって発展してきたが、著者は80年代以降のラーメン博物館、「TVチャンピオン」、「ガチンコ!ラーメン道」あたりが捏造したラーメン列島神話に異議を唱える。
ご当地ラーメンは地域の個性や特性を反映したものではなく、全国均質のファストフードの流れから出てきた食べ物だという事実。「作務衣」を着るラーメン屋の主人のスタイルは、「日本の伝統」「伝統工芸の職人の出で立ち」を再現しようとして、まったく正統性のない捏造された伝統である、とか。最近の店に目立つ、相田みつお的前向きメッセージを店内に飾る宗教色や、「麺屋武蔵」以降の国粋主義的傾向も指摘されている。
「1990年代末以降、日本のラーメンは、かつてラーメンが持っていた中国的な意匠をはぎ取って、「日本の伝統」らしきフェイクで塗り替えていった。」。伝統の捏造のリアリティショーが現代ラーメンカルチャーの本質にあるという指摘が鋭い。私は常々、ラーメン屋の"ノリ"がよくわからないと思っていたが、すっきり整理された。
ほかにも北海道の札幌ラーメンと九州の博多ラーメンは、中国の北方料理と南方料理が別ルートで伝わったものではないかという仮説。ラーメン二郎におけるコミュニケーション消費論などラーメンを愛好家の興味をひくテーマがいっぱい。
平家の歴史を、清盛に焦点をあてるのではなく、清盛の孫の維盛と清盛五男の重衡を中心に平家一門の群像劇として語る研究書。日本中世史が専門で平家について研究書をたくさん書いている神戸大名誉教授の本。賢人重盛、暗愚な宗盛、運命の語り部知盛といった構成に脚色された平家物語のイメージをくつがえす。
まず清盛についても大胆な仮説ではじめる。軍事力が背景にあったとはいえ、閉鎖的な貴族社会の中で、清盛の位階の躍進がなぜ可能であったのか。
「清盛の母は白河法皇身辺の女性で、法皇の子を身ごもったまま忠盛に下賜されたらしい。その子が清盛で、つまり彼は法皇の落胤と目されるのである。」
清盛の家格を超えた異常な出世のスピードの背景には、天皇家との血のつながりがあったはずだという。平安末期における位階表(正一位、従一位、正二位、従二位...)の解説と現実の運用状況などの説明もある。本来はこの家格ではここまでが上限というリミットがあったのに、それを超えたのはなぜかの推理。
そして清盛自らは福原(神戸)に身を置き、朝廷と絶妙の距離感を保ちながらも、平家一門を有力ポストに配置して、巧妙な天下支配を実現した絶頂期の平家の主要人物たちの役割。清盛死後の敗走と敗北に至るまでの歴史。平家物語のバイアスをとりのぞいた形で、史実を明らかにしようとする。
「頼朝の幕府の画期性を信じて疑わない人びとは、平家のそれとの多くの共通性を見落としていると思う。頼朝の歴史的評価は、幕府を創設したことにあるのではなく、平家の創りだしたひな型を踏襲し、その手法をより厳格、より本格的に追求した点にもとめられるべきである。」
著者は日本中世史における平家の役割を非常に高く評価している。
・「平家物語 あらすじで楽しむ源平の戦い」と「繪本 平家物語」
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/09/post-823.html
・安徳天皇漂海記
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/09/post-445.html
平家物語のバリエーション。
・琵琶法師―"異界"を語る人びと
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/07/post-1034.html
世代論のネタとして秀逸。
アニメオタクではなくて経営戦略コンサルタントが書いた本なので、深いサブカルチャー論は期待してはいけないのだが、40代中心でタテ社会的「ガンダム世代」と20代中心のヨコ社会的『ONE PIECE』世代の対立という、大きな見立ては、かなりの説得力を感じた。
「『機動戦士ガンダム』に影響を受けた世代は、組織は理不尽なものと理解しつつも、そこに所属することをよしとしている。一方で、『ONE PIECE』世代に影響を受けた若い世代は、組織への所属よりも仲間への所属をよしとしている。」
「若者は、彼ら自身が第一の軸と考える「仲間」をとても大切にしていて、コミュニケーションも濃密に取る傾向がある。その一方で、第二の軸である「勤めている会社」などに対しての所属感はそれほど強くはない。さらに大きな「日本社会」という軸に対しては、所属という感覚はとても希薄になる。」
ガンダム世代の私はワンピース世代が気になる。著者によると、ワンピース世代は、身内に対するコミュニケーション能力が非常に長けている。出世よりもお金よりも「自由」を愛する。完全な自由を得ることが成功である。自分の意見を持つ前に、意見をネットで検索する世代だ、など、そうかもなあという見立ての話が続く。
もちろん世代全部が同じ属性のわけはないし、いつの世でも普遍の若者の属性、オジサンオバサンの属性があるはずだとは思う。しかし、ガンダムとワンピースという世代に圧倒的な人気を誇った漫画に、各世代の生き方のイメージを読みとるアプローチは、わかりやすいし共有しやすい。社会学的にデータをもとに世代を論じることも有益だが、わかりやすい見立てこそ、実践の場で使う知としては重要だと思う。今後、社会学者たちが、ワンピース世代、ガンダム世代を検証したらさらに面白いテーマになるだろうなあと思う。
ゲームの「進化の系統樹」がよく整理されている。
たとえば最初に紹介されているのは、
ポン → ブレイクアウト → インベーダー → ギャラクシアン → ギャラガ
という進化系。単純なテニスゲームのポンにブロック要素を加えるとブレイクアウトになり、ブロックが動くインベーダーに進化して、さらに自由度の高い動きをするギャラクシアンができて、合体などの要素が加わるとギャラガになる。
ほかにも
ヘッドオン → 平安京エイリアン → パックマン
ドンキーコング → マリオブラザーズ → スマブラ
ウルティマ、ウィザードリィ → ドラクエ
ドルアーガの塔 → ハイドライド → ゼルダの伝説
プリンセスメーカー → 同級生 → ときメモ → ラブプラス
などなど、主に画面の見立てを軸にして系統を有名なゲームを挙げながら説明していく。80年代から代表的なゲームを遊んできたという人ならば、頭の整理ができて気持ちがよい体験が味わえる。
果たしてこのやり方で、数千、数万もあるゲームのすべてをわかりやすく進化の系統樹で説明できるのかどうかわからないが、この取り組みはビデオゲームの考古学で有効な分類法だと思う。今後の著者の集大成に期待したい。
ゲームの進化の歴史には開発上のドラマやハプニングもあったことが紹介されている。制約を魅力に変えたインベーダーの開発エピソードなんて特に面白い。インベーダーでは敵を倒すほど、動きが速くなってエキサイティングになるわけだが、あれは実は制約由来だった。現代の富豪的プログラミングの状況では生まれなかったかもしれない演出だったわけである。
「スタート直後にインベーダー軍団が一匹も欠けていない状態では、描きこむドットの数が多い分だけシステムの負担も大きく、動作も重い。が、インベーダーが倒されて数が減ると、処理能力にも余裕が生じて、移動スピードや攻撃も速くなる。ハードの弱点となるはずの特性が、逆に展開にスリリングな緩急を与えたのである。」
当時はユーザーも、画面上に巨大なボスキャラクターがうごめいたり、複数の敵キャラが高速に同時に動き回るのをみると、素直に感動したものだ。ゼビウスで描きこまれた地面がスクロールするのを唖然としながら見ていた人も多かった。ゲームってどんどん進化しているなあと言う感覚が日常的にあった。あの80年代の日々がゲーム進化のカンブリア爆発だとすると、高機能・高精細のゲーム環境になれてしまっている現代は進化が停滞している気がするなあ。
著者が体験した危ない海外旅行体験のカラー漫画が16本。おもしろかった。
「アメリカでは、1日に3回銃で撃たれそうになった日がありました。
ドイツでは、ゲイのオヤジに襲われました。
メキシコでは、子どもたちに身ぐるみ剥がされそうになりました。
タイでは、ガス事故に巻き込まれて死ぬかと思いました。
スイスでは、レマン湖のほとりで心霊体験をしました。」
グローバル化の時代、多様性が大事とか異文化理解が大切とかいうが、異文化コミュニケーションとは、本質的に危険で不快な経験の集合であるという事実を再認識させられる漫画である。
この著者の話にヤバイ体験が多いのは、自ら危険地帯を好んで怪しい場所へ突入していくからでもある。タイで現地の怪しいタトゥーショップで刺青を入れたり、ワニのプールに手を突っ込んでみたり、オランダではチンピラに襲われる前に自ら手を出して大騒ぎになったり、かなり自業自得でヤバイ体験を発生させている。そして持ち前の語学力と武道(空手有段者)で修羅場を乗り越えるのがパターン。
自分ではもはやできない怪しい海外旅行を紙上で体験できるのが楽しかった。
この著者は体験ベースで原作を書いたのと同時に、自分で絵まで描いているようだ、才能だなあ。
第6回 コミック新人賞受賞 海東鷹也さんインタビュー
http://www.artbox-int.co.jp/competition/kekka/kaitoutakaya.html
超かんたん英語塾 ブラック・モンキー
プロの英語講師によるお気楽まんが英文法ブログ
http://ameblo.jp/bla-mon446/
著者のブログ。漫画の作風がわかる。
演歌はいつから「日本の心」なのか?
昭和を歌う演歌は不思議である。登場人物の多くが、下積み中の流しの歌手であったり、不幸な身の上のホステスだったり、不倫で心中しようとしている女だったり、一般大衆というにはプロフィールが偏っている。その人生は経済成長の時代背景に反して「暗く、貧しく、じめじめして、寒々しく、みじめ」なイメージに満ちている。
著者はまず「日本の心」としての演歌は60年代にはじまり70年代に完成した比較的新しい文化なのだということを明らかにする。明治・大正には社会批判を歌う演歌の伝統があったが、昭和の演歌とは別物であり、それは昭和40年代のレコード業界の再編と専属歌手制度と密接な関係があったそうだ。流し、ドサ回り、長い下積みといった要素は歌手のおかれた背景に由来する。
「推測するに、設立当初のクラウンレコードは経営難であり、派手な広告も打てず、レコードを立て続けに発売することもできなかったため、結果として地道な実演や各地の盛り場の「流し」との連携を通じて一曲を長く売らざるをえなかったのではないでしょうか。それがいつの間にか「演歌の世界の常道」として定着してゆき、今日まで繰り返される苦行のような商店街のレコード店や有線放送局でのキャンペーンといった各種の「言葉」が、業界の「伝統」や「しきたり」としての意味を負わされるようになってゆくのです。」
そして著者は、明るく豊かになった人々が、近代化や経済成長から取り残され疎外されたアウトロー的人物像に対して、ある種のやましさと憧憬を持ちながら称揚したのが「日本の心」としての演歌であると結論している。
「「演歌」ないし「艶歌」が「日本的」なものとして真正性を付与されるにあたっては、股旅やくざと遊女、その現代版としてのチンピラとホステス、そうした人々の空間である「盛り場」といった、「健全なお茶の間」の公序良俗の空間から危険視されるアウトローと悪所にこそ「真の」民衆性が存するのだという発想があった、ということです。」
時代遅れになってしまった人たちを歌っているわけだから、演歌は最新の楽曲でも常に古臭いものなのだ。下層・アウトサイダーの逸脱がメディアを通して、民衆的・大衆的な「国民文化」として定着していく事例は他国の音楽文化にもある普遍的な現象として位置づける。アメリカのルーツミュージックしかり、ブラジルのサンバしかり、アルゼンチンのタンゴしかり。
逆に、エリートやお金持ちを歌う国民文化というのは、大衆社会の力学的にありえないのであろう。流行歌というものが、個の才能(歌手や作詞家、作曲家)によるものであると同時に、同時代の社会学的な構造に規定されて、生まれてくるものだということを明らかにした本でたいへん面白い。研究的にも相当価値のある内容だと思う。
これは傑作。
アマゾン奥地で暮らすヤノマミ族と150日間におよぶ同居生活をしたジャーナリストの体験ルポ。
ヤノマミとは人間という意味。彼らは1万年間独自の文化と風習を守って生きてきた。現代人から鉄器を入手したのは最近のことだから、ずっと石器時代に近い狩猟採集中心の暮らしを続けてきた。現在彼らの森は先住民保護区に指定されており、文明との接触が稀になっている。ほとんど世界最後の「未開」の部族だ。
著者が訪れたヤマノミ族は、シャボノと呼ばれる直径60メートルの巨大なドーナツ状の家に167人が集団生活を営む。中央の空洞の広場は共有スペース。屋根がある円周部分で生活をする。家族ごとの囲炉裏とハンモックはあるが間仕切りがない。彼らは食べる時も眠るときもそして性行為をするときも丸見えになる。
仲介者を通して取材の了解を得ていたにも関わらず、取材班が歓迎されたのは最初の1週間のみ。「あいつらはいつまでいるんだ?」と訝しがられ、貴重な食糧をわけてもらうこともなくなった。そして取材班は幻覚剤を服用した半狂乱のシャーマンに凄まれる。
「聞いているか! 聞こえているのか! 私の声が聞こえているのか!
お前らは敵か? 災いを持つ者なのか? 敵でないなら味方か? 味方なら何かいい報せを持ってきたのか? 本当は何なのだ! 味方か? 敵か? <ナプ>なら殺すべきなのか? この<ナプ>をどうするか?」
<ナプ>とはヤマノミ以外の人間、あるいは人間以下の者を指す最大限の蔑称。シャーマンの怒りは村人の集団ヒステリーを誘発する。質問への答え方によっては命を奪われておかしくない。よくあるテレビ番組のやらせ取材とは緊張感が違う場面が続く。
日本や欧米のモラル、価値観が通用しない。フリーセックスくらいは当たり前で、生死という根源的な部分でも私たちの道徳観が通用しない。たとえば取材班は生まれたばかりの赤ん坊を母親がためらいもなく絞殺する場面にたちあう。生まれた直後の赤ん坊はまだ人間ではなく精霊なので、母親が生かすか死なすかを決めることができる。そのときの経済状態などを考えて、殺して白蟻の餌にすることも日常の一部なのだ。
著者は150日間の共同生活を通して価値観の圧倒的な相対化に衝撃を受ける。これは貴重な体験だと思う。多様性(Diversity)の時代というが、物理空間的にも情報空間的にも人種が混ざってきた現在、白人と黒人、欧米人とアジア人の混在程度ではありふれている。真の多様性を求めようとするならば、これくらい根本的に異なる人たちを呼んでこないと、イノベーションの刺激にならないような気がする。
究極のエキゾチズムを味わえるノンフィクション作品だ。映画になっているのでDVDをこれから鑑賞してみる。
第42回大宅賞、第10回早稲田大学ジャーナリズム大賞受賞。
電話風俗(Q2、テレクラ)、出会い系サイト、エロ雑誌、アダルト動画、大人のオモチャ、性風俗...。欲望のメディアは新たな規制や技術が登場するたび、大きく形を変えながら発展してきた。この本は過去30年間でインターネットとケータイがセックスメディアをどのように変えていったかを、メディアの作り手へのインタビューも交えて、総合的に振り返る。
セックスメディアをオカズ系、出会い系、性サービス系の3つに分類し、それぞれの市場の発展具合を検証していく。各分野の仕掛け人的な人たち、たとえばTENGA、ラブドールのオリエント工業、芳賀書店、DMM、動画ファイルナビゲーターなどの経営者や担当者へのインタビューがあって、生の声があるのも面白い。
エロを大きく変えてしまうのが、規制と技術だ。
規制がメディアを変えるわかりやすい例が、この本で紹介されている、コンビニで売っているエロ雑誌の表紙の変化だ。
「2005年11月から東京都では青少年健全育成条例の改正により、二か所のテープ止めが義務化され、立ち読みができなくなった。このため表紙で内容をわからせなければならないと、コンビニ売りエロ雑誌は必然的に内容を全て表記するようなゴチャゴチャしたデザインへと変わっていった。」
私の思春期のエロ本と言うのは表紙が文字でゴチャゴチャということはなかった。作り手たちはこうした制約の中で、青少年を魅了するコンテンツ、売れるコンテンツをつくりだそうと創意工夫を展開する。品質を真面目に考える経営者もいる。だからこそ脈々とアダルトコンテンツ産業というのは、したたかに続いてきたのだろう。
風俗サービスへのナビゲーションの変化の話もあった。
「スポーツ新聞、アダルト雑誌、ピンクチラシ=電話ボックスといった広告から、ウェブと案内所を用いた広告へ。「ポン引き」や「案内所のお兄さん」に「社長、今日はどんな子を?」と尋ねられていた風景から、勧誘が禁止になり(といいつつも、2011年現在でも多くの場所で見受けられるが)、風俗へのアクセス方法も「探索から検索へ」とその姿を変えた。そのため「店舗での写真見せ」から「ネットでの写真見せ」へ変化し、掲示板などで口コミ情報が共有される「ネットを前提とした風俗」へと変わっていった。」
「探索から検索へ」というのはWebのキーワードでもあるが、一般のネット広告産業がたどった道のりと一緒で、アダルトの広告も投資対効果や説明責任やらが重要になっていくのかもしれない。この本では触れられていなかったが、アダルトの広告の状況も知りたいなあ、と思った。
私は昔から思うのだが、こういうセックスメディアというのは、もっと一般人がふつうに楽しめるものであっていいと思う。裏社会の、うしろめたい、日陰の存在にしているよりも、もっと明るくおおっぴらに性を語れる世の中にしてしまった方が健全だと思う。この本に紹介される「欲望の革命児たち」のなかには、TENGAみたいな日陰のアダルトグッズのメジャー化を指向する人などもいて、おもしろい動きだなと思った。
・ブスがなくなる日

面白かった。美容ジャーナリストによる男女の見た目格差研究。ブスと美人の定義の歴史、それぞれの時代の両者の生き方など興味深い論点が満載。井上章一の『美人論』が好きな人は、現代版としてこの本をおすすめ。
著者いわくメイクの進化や安カワ服のおかげで街からブスが消えたという。"規格外れ"の顔を、美しいとされる理想顔に近づけるのが庶民でも簡単になったからだそうだ。空気を読む人が増えたのと連動して、自身の容貌に気を使う人が増えてきたというのもあるかもしれないと思う。
明治初期の日本人の顔は「貴族階級は細長く、庶民は丸ないし四角い」だったと当時の外国人の記述がある。日本の原住民としての丸顔の縄文人と、細長の渡来弥生人。しだいに前者が後者を支配するようになって「色白で鼻筋が通っていて、細面」が美人の基本形となった。今もその影響は続いている。
「弥生時代の埴輪顔、平安時代の引目鉤鼻、江戸後期のうりざね顔、明治時代の大きな目、そして戦後の立体的な顔と、美人は有史以来ずっと支配者の顔でした。「強いものが美しい」。美醜の価値観の仕組みって、実はとてもシンプルです。」
江戸時代までは美人であっても下層階級の女は正妻になれなかったが、明治時代には美貌で玉の輿に乗って上流階級へ上っていけるようになったという。民主的になると同時に、美を巡る女性の競争もし烈になる。美容の市場はここで誕生したわけだ。
戦争に負けてアメリカ人女性が一時期理想の顔になったが、高度経済成長で日本人は自信を取り戻し、日本人女性の特徴をとらえた美人像がふたたび生まれた、それがかわいいアイドル顔だと著者は説明する。
「アジア人は、体格が小さく頬が丸く声が高いといった、子どもに似た特徴、生物学でいうところのネオテニー(幼形成熟)という特徴を持っており、大人っぽい白人とは根本的に違うのです。このネオテニーを誇張したのがアイドルで、日本特有の"カワイイ文化"を体現したのが彼女たちだったのです。」
弥生時代から現代の可愛いにいたる美人史はなかなか説得力がある。
現代日本には「美しい」と「可愛い」のふたつのベクトルがあるなあと思う。海外で高く評価されるのが美しい系美人で、国内で評価されるのは可愛い系美人。アジアっぽいエキゾチックな顔というのも国内ではあまり評価されないが、海外ドラマのアジア系の女優には多く登場する。美人、ブスは相対的なものに過ぎないから異文化に行くと評価が異なる。
国際化の時代「○○国へ行けば美人」ということがわかる顔写真分析アプリとかあったら、本当に世界からブスはなくなるかもしれないな。
「文学賞メッタ斬り」で有名な書評王 豊崎由美氏の書評論。面白かった。
本についてコメントする立場の人、必読。「トヨザキ流書評の書き方」も付箋の使い方まで書いてあって実践的。
豊崎氏は「粗筋+評価」だけの書評をプロの芸がない「ガター&スタンプ」として批判してきた。書評界ではそれなりに影響力を持つ意見だったが(私も自戒にしてきた)、ここにきて心境の変化があったようで、方針転換を宣言する。
「つまり極端な話、粗筋と引用だけで成立していて、自分の読解をまったく書かない原稿があったとしても、その内容と方法と文章が見事でありさえすれば立派な書評だと今のわたしは考えているのです。」
そして新ルール。
1 自分の知識や頭の良さをひけらかすために、対象書籍を利用するような「オレ様」書評は品性下劣
2 贈与としての書評は読者の信頼を失うので自殺行為
3 書評は読者に向かって書かれなければならない
(2は作家や出版社とのつきあいで書く内輪褒め、提灯書評のこと。)
具体的には、私が共感したところを3つ、引用+コメントさせていただくと、
・ネタバレはやめろ論
「作者が読者のために仕掛けたストーリー上の驚きを、読者の注意を喚起するような書き方ならいざしらず、"オレはこの仕掛けに気づいたぜ"と手柄を誇示するがごとく明かすのはよくない。書評においては、読者から本を読む愉しみをほんのわずかでも奪うことがあってはならない」
小説の書評はネタバレを起こさずに注意を喚起することが本当に難しい。仕掛けが巧妙な本ほど、一番面白くて、要点である事柄を書けないのだ。私もよく迷う。「見事なドンデン返し」「巧妙な伏線」「大団円」と書いたら、読者の驚きを奪うことになりかねない。しかし何も書かなければ本を手に取らせることができない。書評とは必然的にトレードオフの宿命を持つ。書くことで奪うものより与えられるものが多い書き方を考えるのが書評家の仕事なのだなと再認識。
・知識ひけらかしをやめろ論
「わたしは自分で書評を書く時、それが牽強付会になっていないかどうか、なるたけ第三者の目となってチェックするようにしています。「いろんな本を読んでいるんだぞ」自慢のように読めないかどうかもチェックしています。援用は諸刃の剣です。やりかたによっては書評の対象となっている作品をより面白そうに見せもしますが、ただのオレオレ自慢に堕してしまったり、ひどい時は期せずして対象作品を貶めることにもなりかねないのです。」
これは新聞書評でさえ陥っている問題。自己顕示欲が弱いライターというのはいないわけで、ひけらかしのいやらしさもまた宿命である。ま、しかし、俺様文体が持ち味の人(豊崎氏とか...)、博覧強記が売りの人(松岡正剛氏とか...)はそれはそれでよいのではないかと思ったりもする。それこそ「その内容と方法と文章が見事でありさえすれば立派な書評」ってことではないだろうか。
・本の背景を書け
「つまり、プロの書評には「背景」があるということです。本を読むたびに蓄積してきた知識や語彙や物語のパターン認識、個々の本が持っているさまざまな要素を他の本の要素と関連づけ、いわば本の星座のようなものを作り上げる力、それがあるかないかが、書評と感想文の差を決定づける。」
書評がなかったら一生読まなかったであろう本を、読者の手に取らせて読ませることが、書評家のワザだと私は思っているのだが、そのための方法論として、背景の上にその本の意味と価値を浮かび上がらせることがあると思っている。読者が知らない分野の本を、書評家が「すごい本」と褒めて手に取らせるとがっかりさせてしまうことがあるが、ちゃんと背景情報を与えてから手に取らせれば、本の価値を理解してもらえることが多い。適切な背景提示は重要、だから書評家にとって多読は前提になると思う。
このほかアマゾンの悪意あるレビューをめぐる考察、新聞書評の採点、『1Q84』書評読み比べ、日本と海外の書評の違い、メディア史研究者 大沢聡氏との書評問題の対談など、内容はもりだくさん。
怖いものなしのメッタ斬り書評家も実は日々悩みながら書いているのだなあ、ナイーブに苦悩する姿自体がネタになっているのもプロだなあ、書評ブログに対してはちょっと厳しめのコメント(返り血を浴びる覚悟はあるか)は自分に言われている気もするなあと、啓発されるところいっぱいのお得な新書だった。
・勝てる読書 (14歳の世渡り術)
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/04/-14-1.html
・正直書評。 - 情報考学 Passion For The Future
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/11/post-872.html















