Books-Cultureの最近のブログ記事

・誕生!中国文明―伝説から歴史へ
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週末に東京国立博物館で開催中(~9月5日まで、その後、九州、奈良へ)の誕生!中国文明 特別展へ出かけてきました。とてもよかったです。ちょっとピンポイントですが、諸星大二郎の中国古代史系漫画が好きな人は絶対に観に行くべきでしょう。金縷玉衣や神獣など作品に登場するあれらが間近で見られます。

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展示には王朝の誕生、技の誕生、美の誕生という3つのテーマが設定されています。私は音声ガイドを借りました。20の展示についての解説を聞けるものですが、"親子セット"の子供用は別収録のやさしい内容になっています。一緒に行った小学1年生の息子も、その音声ガイドに沿って、ゆっくり鑑賞してくれたのが助かりました。

神権政治の商王朝時代の骨占いにつかった卜骨。「鼎の軽重を問う」の鼎。爵位の由来の爵。知識としては知っているけれども、実物はこれか、と思う展示が多くありました。私のお気に入りベスト3は、迫力系の金縷玉衣(夜動きそう)、七層楼閣(重力に逆らった建築)、九鼎(周王以外は9つつくってはいけないはずの土器)。

この本は代表的な展示物を解説しています。新石器→夏→商(殷)→西周→春秋戦国→秦→漢→三国→南北朝→隋→唐→五代十国→北宋という流れの中で、各展示物が時代区分のどこに位置しているのかが明確になります。


・誕生!中国文明 特別展
誕生!中国文明展

・古代中国の虚像と実像
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/12/post-1131.html

・裸はいつから恥ずかしくなったか―日本人の羞恥心
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ペリーの日本遠征に随行した画家の「下田の公衆浴場」という絵には、全裸の男女が秘所を隠すこともなく混浴の浴場でくつろぐ様子が描かれている。若年や中年の男女が多いが、誰も互いの裸体に欲情していないし、恥ずかしさも感じていないことがみてとれる。この絵を見たアメリカ人は日本人を「淫猥な人たちだ」といい、フランス人は「日本人に羞恥心はない」といい、オランダ人は「男女の性別を気にしていない」といって驚き、そして軽蔑した。

150年前の日本では「男女が無分別に入り乱れて、互いの裸体を気にしないでいる」のは普通だったのだ。江戸時代の日本人にとって、裸体は顔の延長のようなものであり、現代人の我々がスッピンの顔を見られても恥ずかしくないように、裸を見られても平気だった。

江戸時代の日本人がいかに裸に対しておおらかだったか、具体的な記録から明らかにされる。若い娘が道端で裸で行水をしているのを見て度肝を抜かれた外国人の日記や、坂本竜馬が妻(お龍)と男の友人の3人で京都の混浴浴場へ出かけた記録など、現代人の感覚とはかなり異なる意識が常識だったことがよくわかる。

ところが開国によって西洋文明の視線にさらされたとき、明治政府はこの風習を西洋に劣るものとして改めなければならないと考えて「裸体禁止令」を法律で定めた。また登場したばかりの写真技術が裸体を日常品の裸から、鑑賞の対象物としての「ハダカ」へ移行させた。

「明治政府によって強制的に隠された裸体こそが「見るなの座敷」であった。そしてこれが正しいとすると、神話や昔話が説くように、隠された裸体は覗きたくなり、やがて約束は破られる───。明治から現代に至る日本人の裸体は、まさに神話や昔話と同じストーリーをたどることになる。」

隠されれば見たくなる。そしてハダカは性と結びつき欲望の対象へと変化した。見られる方も、隠すことが常識になった途端、人前にさらすのが恥ずかしくなる。それまでのオープンさの反動のように、明治の日本政府は裸体に対して敏感になり、禁止や検閲を厳しくする。人々の意識は大きく変容し、明治も26年にもなると画家 黒田清輝が女性の水浴びを描いた「朝妝」が風紀を乱すものとして物議をかもした。政府ではなくメディアと世論が裸体画に異を唱えていたのだ。

性が再び解放された現代でもアダルトビデオでは秘所をモザイクで隠している。そもそもハダカが商品になること自体が、この明治政府の西洋化政策の影響の延長にあるといえるだろう。私たちは、異性のハダカに欲情してしまうことを、自然の摂理だと思いがちだが、実はこの日本においては、つい150年前まではそうではなかったという意外な事実がわかる啓発的な本だ。ハダカヘの欲情は文化発祥なのだ。

子供への性教育でもこれを教えたらいいのではないだろうか。

・裸体とはじらいの文化史―文明化の過程の神話
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/09/post-1064.html

・セクシィ・ギャルの大研究―女の読み方・読まれ方・読ませ方
http://www.ringolab.com/note/daiya/2010/02/post-1151.html

・セックスと科学のイケない関係
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/05/post-987.html

・性欲の文化史
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/07/post-1020.html

・日本の女が好きである。
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/06/post-1010.html

・ナンパを科学する ヒトのふたつの性戦略
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/04/post-972.html

・ウーマンウォッチング
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/03/post-958.html

・愛の空間
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/04/oso.html

・性の用語集
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004793.html

・みんな、気持ちよかった!―人類10万年のセックス史
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005182.html

・ヒトはなぜするのか WHY WE DO IT : Rethinking Sex and the Selfish Gene
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003360.html

・夜這いの民俗学・性愛編
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002358.html

・性と暴力のアメリカ―理念先行国家の矛盾と苦悶
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004747.html

・武士道とエロス
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004599.html

・男女交際進化論「情交」か「肉交」か
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004393.html

・サラリーマン漫画の戦後史
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『課長島耕作』『サラリーマン金太郎』『釣りバカ日誌』『かりあげクン』『宮本から君へ』『ボーイズ・オン・ザ・ラン』『働きマン』『ぼく、オタリーマン。』『特命係長只野仁』......。時代を写す鏡としてのサラリーマン漫画の変遷が作品の絵も交えて丁寧に語られている。漫画好きが頭の中の知識を整理し文化史に昇華できる本だ。

著者はサラリーマン漫画史における最も重要な作品として『課長島耕作』(弘兼憲史)シリーズが挙げられている。バブルとその崩壊の時代を人気を保ったまま、部長、取締役、専務、そして社長へと出世してきた。

課長島耕作の成立について、1950年代から60年代に人気作家だった源氏鶏太のサラリーマン小説に源流があると著者は指摘する。高度経済成長の日本。終身雇用、年功序列の安定した組織の中で、人柄のよい主人公が、悪徳社員と敵対して、いろいろあるが人柄力で乗り切って、最後は勝利するという勧善懲悪的な物語。その「源氏の血」を受け継いだのが島耕作だったのだという。

そしてクールにサラリーマン生活を謳歌する島耕作に対して、熱く感情的に生きる『宮本から君へ』や『サラリーマン金太郎』など従来の安定したサラリーマンの枠組みに縛られない作品が登場する。バブルの崩壊と不況の長期化、働き方の多様化で、時代の最大公約数としてのサラリーマンという前提が崩れてしまうと、『働きマン』『ぼく、オタリーマン。』のような多様な生き方を肯定する作品も広がっていく。時代の流れに位置付けて見せられると、サラリーマン漫画は、まさに日本の時代の鏡になっていることが実感できる。

正社員比率が下がり続け、その正社員でさえ長期展望が見えなくなっている今、サラリーマン漫画は、これまでのように幅広い層の共感を集めることが難しくなってしまっているようだ。紅白歌合戦の視聴率と典型的サラリーマンの率って同じような下降線をたどってきたのかもしれない。かといって、フリーや起業がボリュームゾーンになるとも思えない。サラリーマン漫画も当面はバリエーション豊かに混迷の時代に突入するのだろうか。読者としてはいろいろな路線が読めて面白いのだけれど...。

・ジェネレーションブラザーズ
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ちょっとブラックだけどネタとして楽しめる漫画だった。デフォルメされた世代論がとてもわかりやすい。

バブル長男(バブル期1986年~1993年卒業組)
 世界中のブランド品が似合うのはこの私!

氷河期次男(就職氷河期1994年~2004年卒業組)
 ニートだけどな、俺には自慢の嫁がいる(二次元に)!

ゆとり三男(大量採用期2006年~卒業組)
 いうこときくから 逆らわないから 内定ちょうだーい!

ニッポンの縮図としての3兄弟の悪戦苦闘の日々を描く。リーマンショック・派遣切り・草食肉食論争など彼らの世代の受け止め方の違いがネタである。パロディ漫画だが、この20年で日本が失ってきたものが世代別でわかる内容。

書籍化特設サイト
http://off.hornet08.net/tokusetu/index.html

最近、献本でいただいたこの本も似たような世代論だった。

・バブルさん 30代を悩ます迷惑上司の生態と対処法
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「20~30代のビジネスマンをいま悩ませているのが、40代前半の世代「バブルさん」だ。バブル時代のおいしいところを味わってきた彼らの、軽さ、薄さ、いい加減さは驚異的!はったりだけは超一流、会社の祭りに異常にはしゃぐ、カラオケがムダにうまい...。実際に被害を受けた若手社員が明かすエピソードをもとに、バブルさんの生態を解説。目の上のタンコブ、バブルさんの対処法も教えます! 」

バブルさん=バブル景気の1986~91年に、大学生もしくは、入社3年目までの時期を過ごした人。私もぎりぎりひっかかってしまう歳なのですが(笑)、どこまでも他人事として、あーいるよなーこういう人、と共感して読みました。


どちらの本も、自分以外の世代への妬みや見下しの感情があります。時代の流れが早くて世代間で価値観を共有できないのが現代の日本である、と。だからこうやって漫画や世代論のネタとして笑い飛ばすことで、世代間で互いがどういうイメージを持っているかを共有して、相互理解につながる、なんてことはあるかもしれないですね。

・ブックビジネス2.0 - ウェブ時代の新しい本の生態系
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先日の「電子書籍と出版」に続いて、もう一冊この本を共著で書きました。

私が書いた「印税90%が可能なエコシステムを」は昨年のイベント第1回ARGフォーラム 「この先にある本のかたち-我々が描く本の未来のビジョンとスキーム」で考えたことを、まとめて書きました。

出版ビジネス再編の議論のきっかけになればと思っています。

どうかよろしくお願いします。

内容:

iPadやKindleだけが「本の未来」ではない。
この先にある「本」のかたちをめぐる、俊英たちからの提案集。

【CONTENTS】
はじめに 仲俣暁生

電子書籍で著者と出版社の関係はどう変わるか
津田大介 / ジャーナリスト インターネットユーザー協会代表理事

印税90%が可能なエコシステムを
橋本大也/ 起業家 データセクション取締役会長

未来の図書館のためのグランドデザイン
岡本真/ アカデミック・リソース・ガイド代表取締役

ディジタル時代の本・読者・図書館
長尾真/ 国立国会図書館長

多様化するコンテンツと著作権・ライセンス
野口祐子/ 弁護士 NPO法人クリエイティブ・コモンズ・ジャパン常務理事

ウィキペディアから「出版」を考える
渡辺智暁/ 国際大学GLOCOM主任研究員

「コンテンツ2.0」時代の政策と制度設計
金正勲/ 慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科准教授

ブックビジネス2.0 ? ウェブ時代の新しい本の生態系 特設サイト
http://bkb20.com/

ハッシュタグ #bkb20 のまとめ
http://togetter.com/li/34498

・パリ、娼婦の館
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19世紀のパリに栄えた娼婦の館の研究書。フランスの小説に登場する記述や、20世紀初頭にパリを訪れた日本人の証言、写真資料から、当時「メゾン・クローズ」と呼ばれた娼家の実態を調べている。ひたすら妖しく淫靡な世界が再現される。

娼婦たちはなぜ身を売るようになったのか。日常生活はどのようなものだったのか。女将や女衒はそもそも何者か。娼家の経営の実態。風俗情報の流通。管理売春の制度。高級店と格安店のちがい。衛生管理の状況。100年前のパリの娼家のあらゆる側面が語られている。

「衣食足りて変態を知る」であり、高級店ほどマニアックなサービスを提供していた。超高級店はSM、イメクラ、○マルフェチと、なんでもありのバリエーション。具体的な内容の説明が凄い。たとえばニワトリの羽だらけになって女の子たちに追い回されるプレイなんていうニッチな要望にもこたえていたという。

「高級なメゾン・クローズに通ってくる金満家の客の中には、直接の接触を好まず、ひたすら「見る快楽」のみを追求したがる客、いわゆる「覗き魔(ヴォワユール)も少なくなかった。こうした覗き魔のために、店ではいろいろと工夫を凝らしたアトラクションを用意していたが、その中で最も一般的だったのは、ストリップの原初的形態である活人画(タブロー・ヴィネヴァン)だった。 すなわち、何人かの娼婦が全裸ないしは半裸で絵画の中のオダリスクを演じるのだが、客がまるで絵画を至近距離から眺めるように、目を近づけて(あるいはムシ眼鏡を使って)この活人画を「鑑賞」するところに面白さがある。」

こうした密室でのサービス内容の記述から、19世紀パリの夜の文化の爛熟ぶりが伝わってくる。ヨーロッパ的な官能の原風景がここにある気がする。奇書の類といっていいけれども、フランス古典文学を読むときの参考にもなる本だ。

・神様 OH MY GOD!―小林伸一郎写真集
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日本の地域に棲むロードサイドの神様たちを写した写真集。大型本。

あなたがもし雑誌「ワンダーJAPAN」の愛読者だったり、都築響一「ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行」にひかれるという人だったら、まさにそういう嗜好で大当たりの作品集なので、迷わず買うべきだ。

ユニークな神様ばかり。

土着土俗の信仰っていうのはまず表のメディアにのらない。地方の富豪が人知れず建立したマイナー巨大仏や、立派な男根や女陰の形をしたご神体、極私的な信仰によって異様にカスタマイズされたブッダやイエス様の像など、想像力のバリエーションが爆発している。

私の地元の江の島にいる裸弁財天とか龍神、大船の観音様も、こうした方向でなかなかインパクトがあると思うのだが、この写真集に登場する土着系の神々はさらにぶっ飛ばして、周囲に独特の亜空間をつくりだしている。すばらしい。実際に観に行きたい。

見た感じ廃墟チックでさびれてしまっている神様もあるが、ピカピカに磨かれている神様もあって、こういうマイナーに思われる神様を、信じて救われている人が、日本にはいっぱい?いるんだなあと、なんだか感動する。日本は神の国と言うのは本当なのだ。

・晴れた日は巨大仏を見に
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/05/post-748.html

・「世間遺産放浪記」「奇想遺産―世界のふしぎ建築物語」
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/10/post-643.html

・和聖地巡礼 ~秘宝館の胎内~
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/06/post-768.html

・ネオ・デジタルネイティブの誕生―日本独自の進化を遂げるネット世代
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国内大規模定量調査によって、若年層の情報摂取行動を調べたという、日本版デジタルネイティブ研究報告。日本のデジタルネイティブを3つの世代に区分している。76世代、86世代、そして96世代=ネオ・デジタルネイティブだ。各世代のわかりやすい対比が面白い。たとえば、

76世代:PCで書く、ケータイで読む
86世代:ケータイで書く、PCで読む

という違いがあるそうだ。全般的に上の世代がパソコンでやっていることを下の世代はケータイでやっている傾向がある。もっともこれは、パソコンの所有率とも関係があるのかもしれないが。

情報行動だけでなく、コミュニケーションのスタイルも異なっている。

「まず76世代は、「他人にあまり影響されずに自分らしい生き方をすることがカッコいい」「世の中が言うことよりも自分の情報のほうが正しい」「社会がなんと言おうと自分だけの価値観が大切」といった考えを持つ傾向があります。一言でいえば「自分流」となります。 一方、86世代は、「自分だけの考え、信念を貫き通すのはカッコ悪い」「一人で生きているわけではないので我を通すのはおかしい」「社会があるからこそ自分も生きていける」「周りの人ともっと絡もうよ」といった感じで、"社会との調和""他人との調和"を重んじます。「自分流」と対照的な「調和型」です。」

86世代からは我を通す生き方をしなくなったという。そういえば、70年代には強かったツッパリ不良文化みたいなものも目立たなくなった気がする。そして76世代はネットで「世界とつながる」のに対して86世代は「身近とつながる」。クローズドで心地よい人間関係をつくることに魅力を感じているようだ。

若い世代ほど一般的信頼性が高くなっているという調査結果が出ていた。つまり赤の他人を最初から信頼しやすいということだが、ネット上の顔の見えないコミュニケーションにおいて、この性格は重要なのだろう。同世代に自分勝手に我を通す人が少なくなったという話とも関係が深そうだ。

電通総研と東大の先生による共著。日本のデジタルネイティブの独自の進化がよくわかる。76世代と86世代の話が多くて、タイトルにあるネオ・デジタルネイティブ(96世代)の実態はまだデータが少ないのだが、何かが変わろうとしているという予兆を知ることができる。

・モードとエロスと資本
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モードやファッションの激変を通して現代社会の消費行動を読み解く。

まずオトコとオンナの欲望の消費スタイルが大きく変わったのだという。

「資本主義と手を携えていたモードは20世紀までは恋愛の物語をエネルギーとしてそのサイクルを回転させていたが、資本主義の行きすぎに伴って、「面倒くさい」性愛を代行するビジネスが出現し、服を売るための過大な恋愛幻想が逆に本物の恋愛を遠ざけていき、結果、モードから恋愛の要素が薄まっていった。」

私が大学生の頃、トレンド雑誌には、クリスマスはドレスアップして、高級レストランで食事して、高級ホテルに宿泊なんて、大学生らしからぬ恋愛幻想がバブル経済によって、広められていたが、不況や男の草食化によって恋愛とモードの蜜月関係が崩れた。

「エロスが抜け落ちた、あるいは薄まったモードは、「倫理的」になる一方、恋愛や性愛の要素をあまり伴わない。女性主体の「カワイイ」と「エロい」という二極世界とも手を携えていく。どちらの世界も、女性がモードの力によって現実を超えていくために、マニアックに追求されるが、求道的にその道を極めれば極めるほど、エロスは遠ざかっていくというスパイラルを生んでいる。」

そしてラグジュアリーブランドの指向性も変わった。20世紀の有閑階級は富の誇示をすべく消費活動を行ったが、21世紀には消費の動機は富の誇示から良心の誇示へ、環境への配慮、社会貢献といった「深み」を持つブランドが支持されるようになったと説明している。その一方で不況経済下で、ユニクロ、ギャップ、H&Mのような激安ファスト・ファッションが流行する。ブランドは大きな転換点を迎えている。

恋愛と切り離されたファッションはこれからどこへ向かうのか。ファッションと男女の恋愛と資本主義の変遷を分析した興味深い内容。

・日本文化論のインチキ
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『菊と刀』『甘えの構造』『中空構造日本の深層』『陰翳礼讃』『タテ社会の人間関係ー単一社会の理論』『共同幻想論』『空気の研究』などなど、名著、ベストセラーとされる日本文化論、日本人論の100冊以上をメッタギリにする痛烈な日本文化論・論。私も日本文化論は好きで、このブログでも多く取り上げてきたが、そのほとんどが槍玉に挙げられている。

なにがイケナイのか?。これは日本独自のものだというもののほとんどが外国にもある、そもそも文化の本質などという"ないもの探し"をするのがおかしい、という論旨で、多くの日本文化論をインチキと認定していく。

「要するに、西洋の歴史から何か普通名詞、つまりカテゴリーを作り上げ、それに日本の歴史を当てはめようとするのが間違いなのだ、と普通には考えられるが、実際はそうではなくて、歴史に法則性や、何か深い原因のようなものを探ろうとする行為自体に、非科学的なものが潜んでいるのである。」

高名な学者が専門とは別に日本文化論をやるケースも多いから、そもそも社会科学の理論としてはいい加減なものが多いのは事実だろう。安易な比較文化論にも警鐘を鳴らす。

「比較文化論というもののもう一つの落とし穴は、日本人が、西洋を一枚岩的にとらえがちなところにある。少しでも西洋文化をまともに勉強した人なら、西洋も国によってだいぶ文化が異なり、国同士であれこれと比較をして、他国をバカにしたりしていることを知っているはずだ。」

著者の言いたいことはよくわかるが、私はこれまで日本文化論を社会科学として読んだことがなかった。文化論と言うのは、血液型性格診断と似ているのじゃないかと思う。A型は几帳面で、と言われると、多くの読者がそうかもと思う。だから売れる。そして科学的根拠はなくとも、みんながそう思うと、そう行動するようになるという面がきっとあるだろう。

だから、日本人は勤勉で礼儀正しい民族で、日本語は曖昧で非論理的な言語で、日本の天皇制は海外に類例のないユニークなものだという日本文化論が人気が出れば、実際に人々はそう自己評価し、そうなるように行動するだろう。文化論は分析でなくオピニオンであり、その提唱者は研究者ではなくて、オピニオンリーダーそのものなのだと私は考える。であるから、インチキもトンデモもなくて、成功した文化論と失敗した文化論があるだけだと思う。

私はこの本は、科学的体裁を整えて信憑性を高める戦略に出たが失敗した(実際にはよく売れたから成功したという見方もできると思うのだが)文化論の指摘のように思えた。学術的価値の確認の仕方が参考になる。

日本文化論が好きな人はぜひ読むといいと思う。文化論について客観的、多面的な見方を与えてくれる。そして何より著者の歯に衣着せぬ現代思想家、評論家への攻撃が痛快である。

・直筆原稿版 オーパ!
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すべて直筆原稿で再現された開高健の傑作「オーパ!」である。

自筆原稿265枚を原稿用紙のまま(70%)縮小。

電子書籍時代に"紙の価値"で真っ向勝負している。

内容はアマゾンで釣り三昧に耽る旅行記。

私も釣りが好きだったので子供の頃に夢中で読んだ本だが、改めて作家の肉筆で読む体験は、本当に楽しかった。

3000円の価値、大いにあり。

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開高健の文字は達筆とは程遠い癖のある文字だが、読みやすい字だ。最初の10ページくらいは原稿用紙に書かれた肉筆を読むということ自体に目が慣れていないため、ちょっと戸惑った。だが慣れてしまえば活字と同じくらいの速度で読める。

そして活字で読むときよりも"行間"に込められた思いが強く伝わってくる。作家の話を直接聞いている気がするのだ。

文字には作家の息遣いがある。丁寧に書かれたところ、雑な字で手早く書かれたところがある。書き直しの跡があって、推敲前の文章が取り消し線の向こうに見え隠れする。削るときはばっさり数行を消している。文章の効果を高めるために余計を削る意図がわかって文章の勉強にもなる。

私はほぼすべての著作を読んだファンだが、この一冊を読んだことで開高健という作家について3割増しで、どういう人だったかわかった気がする。自筆原稿そのまま本はそれくらいリアリティを伝えてくれる古くて新しいメディアだと発見した。

人間の建設

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・人間の建設
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小林秀雄と日本数学史上最大の数学者といわれる岡潔の対談集。

薄い本だが内容はものすごく濃い。

対話から、どれだけ深くを読み取れるか、読者の力が試される高度に知的な雑談。

最初にあいさつの意味もあるのだろうが、岡は小林の批評文に対して、詩人の作品のようだとこんなふうに褒めている。

「岡 勘というから、どうでもよいと思うのです。勘は知力ですからね。それが働かないと、一切がはじまらぬ。それを表現なさるために苦労されるのでしょう。勘でさぐりあてたものを主観のなかで書いていくうちに、内容が流れる。それだけが文章であるはずなんです。」

名文の本質をさらっとこの数学者は言い当てている気がする。さらに理系数学者らしからぬ発言を連発して、小林の文系の領域の知との化学反応を仕掛けていく。

「岡 数学の体系に矛盾がないというためには、まず知的に矛盾がないということを証明し、しかしそれだけでは足りない、銘々の数学者がみなその結果に満足できるという感情的な同意を表示しなければ、数学だとはいえないということがわかったのです。じっさい考えてみれば、矛盾がないというのは感情の満足ですね。」

勘と感情、人間の知力の最も本質的な部分がこれなのだという話に強く共感。

終始、岡の方が変化球を投げることで議論をリードしているようだが、小林の安定した受け止めもあって、学問、芸術、酒、数学、文学、哲学と主題はめまぐるしく変化するが、緊張感を失わない知のキャッチボールが続く。

俳句について。

「小林 実物を知っていて読んだということでおもしろいのが俳句だね。そうすると、芭蕉という人を、もしも知っていたら、どんなにおもしろいかと思うのだ。あの弟子たちはさぞよくわかったでしょうな。いまは芭蕉の俳句だけ残っているので、これが名句だとかなんだとかみんな言っていますがね。しかし名句というものは、そこのところに芭蕉に附き合った人だけにわかっている何か微妙なものがあるのじゃないかと私は思うのです。」
小林の批評に対する考え方がここに見えてくる。

わかりやすく、わかった部分を取り出して紹介してみたが、実は読んでいて、含意がありそうだが、自分の教養不足で汲みとれていなさそうな発言がたくさんあった。一回読んだだけでは2人の会話の中の意味をまだ3分の1くらいしか読み取れていないような気がする。10年したら、もういちどじっくり読み返してみたい本だ。

・日本人だけが知らない 日本人のうわさ 笑える・あきれる・腹がたつ
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世界を取材するライター石井光太氏が集めた日本にまるわるうわさ話とその背景を解説する軽い読み物。海外の人たちの偏見や誤解がいっぱい。笑えるものも多いが、棘があって痛いものも多い。

たとえば、日本人は入国手続きの書類の「SEX」の欄に数字を書くがそれは週に何回の意味だ、なんていう話し。英語ができない日本人への皮肉のニュアンスも込められて、外国では実際に広まっているそうだ。

日本の地下鉄は痴漢だらけだが、中国人や韓国人女性がひとりで乗るときは、バッグに国旗をつけると、痴漢にあわない、なぜなら日本人男性は外国人には痴漢をしないからだ、などという日本留学時の注意があって、実際、そうした自衛手段を取る女性も存在するようだ。

「日本企業は中国でつくった一番いい製品を欧米に輸出する。二番目にいい製品を日本へ逆輸入する。そして最悪の品を中国本土で売る」なんていう日本企業の悪評が中国で流れている。もちろん背景には反日感情がある。こうした噂は普段は笑い話でも、いったん何かの事件が起きると、日本製品の不買運動や現地日本人への暴力にまで発展することもある。

そして、やはり濃いのは「日本女性のアソコは...」式の日本人のセックスにまつわる噂だ。匍匐前進している女性をつかまえて性行為に及ぶ風俗店があるとか、日本人男性は淡白だとか、女性は凄いとか、である。性にまつわる噂は、流すのが愉快だし、真実を知ることが難しいから、デフォルメされて流布していく。

著者は日本人男性は性欲が弱いという噂に対して、世界のセックス回数ランキングを調べて、本当にそうなのか検証する。各国の初体験の年齢、避妊具の使用率、女性バストの大きさ、自殺率や方法、肥満の度合い、薄毛率など、普段目にしない数字がたくさん紹介されているのが面白かった。

「噂というのは、人々が抱く無知や不安や恐怖のバロメーターだと言えます。大勢の人の胸の中に共通した感情があればあるほど、その噂は広範囲に広がっていくのです。逆に言えば、噂がどれだけ広く語られたかということが、人がどれだけ共通する感情を抱いているかということを示しているのでしょう。」

偏見は知っておくべきだ。それが解けない誤解であっても。

・絶対貧困 世界最貧民の目線
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/07/post-1037.html

・物乞う仏陀
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/02/post-935.html

・教養としての官能小説案内
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まず著者紹介に目がとまった。

「1933年東京都に生まれる。40年以上にわたり、年間300編の官能小説を読みこなし、新聞、雑誌などに紹介しているこの分野の第一人者。」

この人、40年間×300編で累計12000編以上の官能小説を読み続けてきたのか。それだけで十分に、ちょっとお話を聞いてみたくなる数字だ。

「人間の性欲は、それほど動物的にはできていない。「女性器に男性器を挿入した」という文章を読んでも、現代人はもはや刺激を受けないのだ。官能小説家たちは、われわれの贅沢で多様な欲望に応えるため、ストーリー設定や主要キャラクターの造形、あるいは性交・性器病者の技法、さらにはタイトル付けなど、あらゆる側面でその表現を深化させてきた。」

美少女、人妻、女教師、くノ一、尼層、少年もの、性豪もの、凌辱系や癒し系など多種多様なジャンルにおける文学史を、年代順で代表的な作家の作品を部分的に引用しながら、解説する。

20世紀半ばの日本では「チャタレイ夫人の恋人」が猥褻だとして摘発されていた。文字でも猥褻な作品は警察に挙げられてしまう時代が長く続いた。実はこの制約が暗喩やオノマトペの多用といった表現法の多様化、豊饒化へとつながったという。"欲棒"とか"淫裂"のような直接的表現や「悦楽の源泉」「赤いルビー玉」のような文学的な表現など、性器や性行為をズバリ書けなかったが故に表現の幅が広がったのだ。

「官能小説の分野では、若手といっても、ごく少数の例外を除いては、一般の小説の新人のように若年齢ということはない。それだけ官能を書くには特別の筆力を培う修練が必要だからともいえる。」

実は官能小説っていうのは大変に高度な専門技術を必要とするものなのかもしれない。男や女をその気にさせる文章というのは、習う学校がないし教科書もない。原稿料が安い業界のため、多作でないと専業作家としては生きていけないそうである。性への飽くなき追究のバイタリティも求められる。並の作家では続かない。

40年読み続けた著者によると官能小説は同時代の男女関係を色濃く映すものだという。女性の社会進出が進んだ頃は、官能小説の中の女も自立して強くなったが、反動として女性征服ものも盛んになった。草食系男子が増えた現代では、男性の攻撃性が薄れて全体にソフト化が進んでいるそうである。

官能小説って市場としてはどのくらいのものなのだろうか。電子書籍市場で伸びそうではあるが、電子メディア、インタラクティブメディアならではの官能表現も現れるかもしれない。ゲーム「ラブプラス」の女の子をいじるインタフェースなどは、そのさきがけかもしれない。軽く注目分野である。

・紙の本が亡びるとき?
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書籍の未来と文学の未来に関する論考集。

「紙の書籍が遠くない未来、これまで果たしてきた役割を終える」という前提で、出版業界と文学界に不可避に生じる変化を予測する。タイトルから期待するデジタル化のインパクトについての考察は全体の3分の1くらい。文学のおかれた環境と変化についてが3分の2を占める。

著者は書籍という媒体の特性を3つ挙げる。

1 文字情報の容器としての側面
2 主体が文字情報と接触するインターフェイスとしての側面
3 消費社会における商品としての側面

電子化による変化はすべてに大きな影響を与える。

「電子化されたデータの最大の強みは、それが、物理的・空間的な質量を有しないことである。かつて立会場で目視で取引されていた為替や株式の市場が、電子化されることでいっきに流動性を増したように、情報から質量を奪い去ることは、その効率性を飛躍的に高める。」

著者は1人が1000人の読者から1年に3000円を払ってもらえば12万人の作家を支えられるというモデルを提示している。個人ブログやメールマガジンのマネタイズ成功例(それで独立した、など)も増えているので、私も注目しているパターンだが、この計算年間に1人300万円に過ぎない。主旨は賛同だが、もうちょっと夢のある数字の方がいいんじゃないかという気もした。

文学というカタチは、電子化されることによって、読書スタイルの変化をもたらすだろう。検索とクリックが可能な電子テキストでは、これまでのように長い本をリニアに延々と読まなくなるかもしれない。

大江健三郎は「インターネットで本を読むといっても、それは本を解体することですね。一冊の本をバラバラにしていくだけ。しかしそれで終わるんだったら、人類は進化を続けなかったということです」と文学の新しい様式に懐疑的に語ったそうだが、ハイパーテキストやインタラクティブコンテンツを前提としたアートが大江健三郎的な旧態文学とせめぎあい、長い時間をかけて主流を乗っ取るということなのではないかなあと思う。

この本は、現代文学の文学部的な問題を語った章も多いので、「出版の未来」のみの本ではない。紙の小説が亡びるとき、の方が内容に近い。

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