私は河原乞食・考

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・私は河原乞食・考 (岩波現代文庫)
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俳優の故小沢昭一氏による名著。初版は1969年。大阪の現役ストリッパーや香具師やホモセクシュアルたちにインタビューをして、日本の大衆芸能の本質に迫っていく。小沢氏は学者ではないから、インタビュー対象に対して、同じ目線で、気安く話を引き出せるから面白い話がいっぱい発掘できた。

「日本の芸能史のなかで、性と芸能は不可分であった。原始芸能と性信仰の切り離し得ないことは、少し民俗芸能や祭りに関心をもてばすぐに認められるところだ。」という信念があるので、第一章は「はだかの周辺」から始まる。トクダシ、外人ヌード、残酷見世物小屋の当事者たちから、それがどんな生業なのか興味深い話を聞き出している。

第二章は、愛嬌芸術と呼ばれる香具師の口上の採録が素晴らしい。文字起こしされた口上は文字を目で追うだけでも引き込まれる、目が離せなくなる。舌先三寸のタンカで客寄せをすることが彼らの稼ぎを左右する。人を引き付ける、あの手この手が仕込まれており、これ自体が洗練された芸である。

著者は日本の芸能を高尚な伝統芸能として持ち上げたりはしない。むしろ、河原乞食というタイトルのように、芸能は相当に素性の怪しいものだと論じている。

「日本の芸能史は、賤民の芸能史である。 この日本に現在ある諸芸能---能、歌舞伎、文楽から、漫才、浪花節、曲芸にいたるまで、それらをすべて海だし、磨きあげて来たのは、貴族でも武士でも、学者、文化人のたぐいでもなく、つねに日本の体制から外にはじ出されていた、賤民といわれるような人々の力であった。江戸時代、士農工商の階級は、幕府支配体制がつくり出したものだそうだが、芸能者はその士農工商の下であり、かわらもの、とさげずまれて、あるときは一匹二匹とかんじょうされたりもした。」

そして「芸能界と暴力団のクロイ関係」といわれるものも、実は根が深くて、昨日今日の関係ではない。」として、反権力志向で、社会病理と隣接した存在として芸能を位置づけていく。40年前の本なので、すでにこの本自体が史料的価値を帯びているわけだが、現代にも感じる芸能の危うさ、怪しさの正体、起源を理解するのによい本だ。

・間道―見世物とテキヤの領域
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/08/post-1046.html
テキヤ稼業(的屋、香具師ともいう)のドキュメンタリ。

・さいごの色街 飛田
http://www.ringolab.com/note/daiya/2012/01/post-1579.html

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このページは、daiyaが2013年2月12日 23:59に書いたブログ記事です。

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