2007年5月アーカイブ

・独学でよかった―読書と私の人生
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映画評論を中心に文筆活動で数々の受賞歴を持ち、日本映画学校校長の佐藤忠男氏の自伝。著者は、工業高校定時制卒で、少年飛行兵、国鉄職員、電話機の修理工事人などの職を経ながら、独学で映画評論家としての道を切り拓いた。自信に満ちていながら、優しさもそなえる、風格のある独白がとても魅力的。いい先生だなと思う。

評論家になりたかった著者は働きながら文章を書き雑誌への投稿を続けた。アマチュア工員が書く映画評論という物珍しさもあってプロ編集者たちの目に留まるが、会社を辞めてプロになりますと言ったら、「アマチュアだったから面白かったのに」なんて言われる。それでもめげずに猛烈な読書をして知識を蓄え、自分流のテーマと作風を洗練させ、独立独歩で世界にその力を認めさせる。

アマチュア、フリーの著者に対して、冷たいプロの世界にそのときそのときで言い返したいことがいっぱいあったようだが、自分が尊敬するプロへの敬意は忘れなかった。「読書は好きな本を読むのが基本だが、少し背伸びして、自分が尊敬したいと思う人にあやかるようにすると着実に視野が開ける。」。関心の幅、知識の深さをそうやって広げることで、ユニークな切り口の映画評論スタイルを確立していった。

「人々の知識がそれぞれの職業の専門分化に応じてその専門のごく狭い範囲に閉ざされる傾向がある今日、たとえ浅く薄くでも、それほど広い範囲の知識を求めつづけなければならない立場というのは有難いものだと言うべきではないだろうか。あらゆる部門に深い知識を持つそれぞれの専門家がいるとしても、それらの全体を大雑把に見渡せる広い知識を持つ者も社会には必要なのではないか。そんな立場をあまり意味のない雑学として卑下しないで、そこに積極的な意味を見出して行っていいのではないか。そう思ったのである。」

著者は興味の幅を、レスペクトの感情を軸にどんどん広げていった。オープンマインドな独学だから、内にこもって自滅しなかったのだと思う。他人が見ない分野に積極的に関心を持って追究する。広範な知識の網を張って、独自の視点をいつでも繰り出せるようにする。それが著者の独学人生の戦略だったようだ。

これは自伝であると同時に書評エッセイ集にもなっていて、影響を受けた本を多数紹介している。本の内容に絡めながら、豊富な知識のつながりを使って、自論の展開へと自然に導くのがうまい。

「面白い本とは面白い考えを引き出す本」という本の選び方に独学の秘訣を感じた。面白い考えが連鎖して、面白さが加速していくことで、やがて異彩を放つ。それが独学の醍醐味なのだと思う。

著者は独学の危険性を十分に認識しており、大学教育や専門家の世界を決して否定しない。むしろ使えるならば有効に活用したらいいとアドバイスしている。あらゆる機会を利用して、自分流で一流になれということだ。

巻末に付録の「独学派にすすめる99冊」がついている。古典を中心に幅広い分野の名著のリストがあげられている。何冊か書店に注文した。

誤解された仏教

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・誤解された仏教
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本来の仏教は霊魂の存在をはっきり否定している。

「肉体はなくなっても、霊魂は残る。祭りを怠ると、その先祖が祟る。ーーーーーーーなどというのは、まったく仏教とは何の関わりもない話である。事実、長いあいだインドの仏教では、死者儀礼とは何の関わりももたなかった。」

「死者の祟りなどというのは、原始民族の宗教(?)心理である。わけても、日本人は死者の怨霊を恐怖した民族である。そうした鎮魂(御霊鎮め)には神主さんより坊さんの法力のほうが秀れている、ということで仏教が取り入れられた。これを「御霊信仰」という。」

霊魂がないのだから祟るわけがない。あの世もない。本来の仏教では死んだら終りなのである。生まれ変わりということもない。そもそも輪廻というのは解脱すべきものであって、転生は永劫の生き死にを繰り返す苦しいイメージなのだ。

これは仏教=無神論・無霊魂論」の主張を軸に、仏教学者の著者が「正しい仏教」を説く本である。

私たち日本人は誤解された仏教をなんとなく信じている。人間は死んだら霊になってあの世ので暮らし、ときには輪廻転生で新しく生まれ変わったりもする、というのが平均的日本人の死後の世界のイメージではないだろうか。それが全部嘘だというと落ち着かない感じがする。

遠くインドからの伝播の過程で土着の思想と習合して、日本の仏教は本来の姿から大きく形を変えて大衆に普及した。その過程を著者は丁寧にひも解いて、誤解を解こうと試みる。輪廻のとらえ方、仏教と「梵我一如」的ヒンドゥイズムの峻別、念仏の方便と真実、日本的霊性と大乗教の提唱など、かなり仏教の専門的研究の記述が多いが、私たちが持っている通俗的な仏教感を根底から覆す内容である。

仏教は無神論であり哲学のひとつであり、他宗教との対話を通して世界的な思想となりえるという壮大なコンセプトを著者はこの本で語っている。

・格差が遺伝する! ~子どもの下流化を防ぐには~
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子どもの成績のよしあしは何によって決まるのか?。小学校2〜6年の子どもを持つ母親1443人を対象にしたアンケート結果で、成績の良い子どもの家庭には、次のような条件がそろっていたそうである。

・父親の所得が高い
・母親の結婚前の所得が高い
・父親、母親、祖父の学歴が高い
・母親が料理をするのが好きである
・父親が土日休みである

つまり、高所得高学歴で余裕のある家には、生活の質の高さがあり、それが意欲の高さにつながり、成績の高さにつながる。成績が良い子の家の父母は、てきぱきと仕事をしたり、将来設計をきちんと考える、前向きの傾向があるそうだ。

子ども自身の性格面でも、

・成績のよい子の方が明るく、がんばりやで、スポーツ好き
・成績の悪い子は消極的で、だらしなく、友だちが少ない

という特徴があるという結果になっている。同時に、性格が明るいから成績が良いのではなくて、成績が良いから明るい性格になるという、因果関係も取りあげられている。そうして身につけた社会的に好ましい性格は、子ども自身の将来の成功につながりやすいだろう。

このアンケート調査は、この本ではその全貌が示されていないので、どこまで正しいものなのか分からない部分もあるのだが、質問項目や結果分析が週刊誌の見出し風でわかりやすい。格差間の大きな差異、おおまかな特徴はとらえているようだ。

その他にもこんなデータも明かされる。

・成績「上」の子どもがいる家庭の15%が日本経済新聞を購読している
・成績の良い子の母親は昼寝より読書が習慣の「がんばる派」
・英語への取り組みは成績とはあまり関係ない
・下流的な若者ほど白いご飯を食べている人が少ない(母親が料理好き)
・成績「上」の子どもの母親に「プレジデント・ファミリー」読者が多い

そして母親を、のび太ママ、スネ夫ママ、ジャイアン母ちゃん、しずかちゃんママに4分類する。「しっかりした性格で成績もよい」しずかちゃんママの子どもが成績が最も良いという。各母親の行動パターンが解説されている。

「下流社会」という流行言葉をつくった著者の新作。この本の読者層(子どもの親)にとって、気になる見出しが満載である。「下流」が話題になっても社会闘争のようにならないのは、その主な関心層が、中流以上に属していると感じている層なのではあるまいか。
日本の格差は世界の格差と比較したら小さい。高級車が走る道端で生き倒れの死体が転がっているような格差ではない。その流動性が低くなってきたのが日本の未来に影を落としているという点が問題なのだと思う。

この調査は初期条件(親の年収や学歴や行動パターン)による格差の固定を裏付ける趣旨だったが、逆に、初期条件が悪かったのに、格差を乗り越えたグループを調べてみたらどうだろうか。将来への希望とビジョンが見えてくる気がする。

ところで調査結果の中に「成績の良い子は勉強時間が長い」「成績の悪い子は勉強時間が短い」というデータがあった。いろいろな因果関係が分析されていて、この項目はあっさりとしか扱われなかったが、結局、本質は、勉強する時間の量なのではないのかなあと個人的には思った。

・「感じがいい」と言われる人の話し方
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「若いカップルがデートしたとします。食事に行った先で、

・「僕は中華がいいや」と言って、先に店に行ってしまう男性
・「君は何が食べたい」と、まず女性の意向を尋ねる男性
・「僕は中華がいいけど、君は?」と自分の意見を言って相手の意向も尋ねる男性

さてあなたが女性なら、どの男性が好みでしょうか?」

アンケートを取ると、一番人気は3番目、次が1番目、最も不人気なのが2番だそうである。相手に配慮しながら、引っ張って行ってくれる人が人気があるということだ。

これは私もはじめて女性とつきあった頃に考えた問題だったなあと思いだした。当時は相手を気遣うサービス精神の2番がよいのだと勘違いしていた。実際には女性が食べ物によほどこだわっているのでもない限り、意思決定のリスクを相手に押し付けてしまっていて不親切なのである。

著者は「これからは、「頭がいい人」よりも、「感じがいい人」のほうが重宝される時代なのです。」として、ビジネスや生活シーンで感じよくなるための秘訣を語っている。主に話し方を教えているが「プロっぽい話し方は嫌われる」から気をつけましょうと言っている。

「郵政を民営化したいと思っています」が、「必ず民営化します」となるのが雄弁術です。しかし、「感じがいい人」と思わせたいのなら、あくまで意見は意見として正しく伝えるべきです。そのほうが「誠実」なのです。そして誠実というのが、感じがいい人には欠かせない条件です。」

雄弁術に長けてあまりにテキパキと話す人、話に論理的でスキがない人というのは、好感度という点では必ずしも高得点ではないということである。

やめるべき口癖リストが参考になった。たとえば「ていうか」。「「最近、田中さん頑張ってるよね」「ていうか、努力してますよね」」みたいなのは不快だという指摘。親密さを演出するつもりで「ていうか」を私もつかってしまうことがあるのだが、人にやられると楽しくなかったりする。「ていうか」はやめよう。

「感じのいい人」の極意として「まずはあなた自身が「感じのいい人になろう」とする前に、相手、周囲の人に対してあなたが先に「この人、感じがいいな」と思うことです。」と結論されている。感じのよさとは、他人のいいところに感心する能力のことなのかもしれないと思った。

ハーフサイズカメラ遊楽

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・ハーフサイズカメラ遊楽
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ハーフカメラとは、80年代に流行したカメラの種類名だ。通常の35mmフィルムの1コマを横に分割して規定枚数の2倍を撮影可能にするのが特徴である。36枚撮りフィルムで72枚も撮れてしまうからフィルム代を節約できる。経済的ということで一時は大人気であったらしい。代表機種にオリンパス・ペン、キヤノン・デミ、リコー・オートハーフなどがある。

この本にはハーフカメラの魅力が、カタログ的な機種紹介と実写例多数、思い入れたっぷりのコラムで語られている。ハーフのファンにはたまらない保存版的内容。ハーフカメラでありながら一眼レフの、オリンパス・ペンFなんていう変わり種もある。交換レンズも数十本あって、ハーフ黄金期の憧れであったらしい。中古市場で今も2万円以上する。

10年以上前に新品市場からは姿を消したハーフカメラだが、21世紀に入ってからのToyカメラブームで、中古市場で人気が復活している。私もそのブームで知った。

先日、オークションでコンパクトフィルムカメラ6台セットというのを落札した。その中にオリンパス・ペンEE3がまぎれていた。ジャンクらしいのだが、この本を読んで、早速、フィルムを入れて試写してみた。36枚撮りで72枚撮れるので、なかなかフィルムが終わらない。バチバチ撮る。

・オリンパスペンEE3
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残念ながらこの個体はレンズにカビがあるため、全体が白っぽく写ってしまう。

・写真1 神社

だが、物は考えようで、「これはソフトフォーカス・フィルター付きなのだ」と前向きに考え、こんな風に撮ってみた。


写真2 光の道

幻想的になった。結構よいかも。

EE3は数十年前に絶滅したセレン式露出計を搭載している。暗い場所ではシャッター半押しで露出を測る。暗すぎるとファインダーに「赤ベロ」が降りて、シャッターが切れない。

写真3 光の木

この写真は日没で何度も赤ベロがでてなかなか切れないギリギリ露出の一枚だった。被写体の明るいところを探して、粘る赤ベロと格闘するのが、実は楽しかったりする。ハーフは遊びのカメラなのだからそれでいいのじゃないか。

この機種は絞り優先のマニュアル撮影も可能である。この場合は赤ベロ警報は出ないから、シャッターを強制的に切れるが、露出は自己責任になる。敢えて暗い写真を作りたい時には使える。

こんな風に。

・写真4 暗い渋谷の川


ハーフカメラはフィルムを横に分割するから、縦に長い2コマができる。普通に構えて撮影すると縦位置基本になる。逆に縦に構えて撮ると普通のカメラのように横位置になる。縦位置は作為性がでるから、写真に面白さがでやすい気がする。それが人気の秘密だったのかもしれないと一本取りきって思った。

・写真5 雨の日

お、雨の日だとカビによるソフトフォーカスがばれない。

コダック ウルトラマックス ISO400

日曜日のお気楽カメラとしてハーフカメラはおすすめ。次はキヤノン・デミがほしい。

・宇宙のランデヴー2(上)(下)
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宇宙のランデヴー 続編
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004864.html

「西暦2130年、忽然と太陽系に現われた謎の飛行物体―ラーマと名づけられたこの物体は巨大な宇宙船と判明した。内部への侵入に成功した調査隊の必死の努力にもかかわらず、この異星人の構築物は人類の理解をはるかに超え、多くの謎を残したまま太陽系を去っていった。それから70年後、第2のラーマが太陽系に姿を現わしたが…名作『宇宙のランデヴー』で解明されぬまま残された謎に人類が再び挑む、ファン待望の続篇。」

アーサー・C・クラークが傑作「宇宙のランデヴー」を1973年に書いてから16年後の1989年に出版された、まさかの続編。しかも当時既にSFの権威であったクラークが、NASAジェット推進研究所主任研究員のジェントリー・リーとの共著として書いた。物語の舞台は前作から70年後、再び別のラーマが地球に接近する。今度は十分に準備を重ねた調査チームが組織され、2つめのラーマの謎に迫っていく。

ラーマを主役にして人間ドラマの要素が薄かった前作に対して、この続編では探査メンバー間の葛藤が物語の核となっている。映画を意識していたのだろうか、登場人物の性格や関係がわかりやすいのだが、深みがない。そのため、この続編の批評家たちの評価は決して高くないのだが、前作のラーマの世界観にヤられてしまった人は読まざるを得ないのである。

進化レベルがまったく異なる知的生命体が接触した場合、高次の存在は下位の存在をどうとらえるだろうか。もしかすると、人間がアリの巣をみかけても話しかけたりはしないように、高次な知的生命体も人類に敢えてコンタクトしたりはしないかもしれない。前作では人類の接触に反応せずに悠々と太陽系を通過していったラーマだったが、2回目の接触では何が起きるか、が読者の最大の関心であろう。その基本部分では満足できた。宇宙のランデヴー3も読もうと思った。

共著者ジェントリー・リーには22世紀までの未来を予想したこんな著作もある。

・22世紀から回顧する21世紀全史
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000419.html

・宇宙のランデヴー
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004864.html

写真の歴史

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・写真の歴史
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写真の黎明期を解説する教科書。

「1839年1月7日、フランスの著名な天文学者であり物理学者でもある下院議員のフランソワ・アラゴは、パリの科学アカデミーで、ダゲレオタイプと呼ばれる写真術に関する講演を行った。ルイ・ダゲールによって発明されたダゲレオタイプは、16世紀以来画家たちが写生にもちいてきたカメラ・オブスキュラという装置を使った写真術だったが、それまでのように装置がうつしだした像を手で描くのではなく、画像を化学的に記録することができる、まったく新しい方法だったのである。」

「記憶を持った鏡」ダゲレオタイプの技術公開があった1839年が「写真誕生の年」と言われる。当時のカメラは露出時間が短くて10分、長いと2時間以上かかったそうで、被写体は動かないものに限られた。それが1841年には現像促進剤の開発により、いっきに10秒程度まで短縮される。ポートレートが撮影できるようになった。

長時間露出がマストの時期の人物写真はポーズが妙である。眼をつぶっていたり、手を上着の中に入れていたり、顔がこわばっていたりする(後頭部に固定棒があった)。これは長時間動いてはいけないために、編み出された撮影姿勢だったのだ。

ダゲレオタイプは一回の撮影で一枚の画像しか得ることができなかったが、1840年にはイギリスのタルボットがカロタイプという、何枚も画像を焼き増しできる写真術を発明した。

・タルボットのカロタイプ Wikipediaより引用(Public Domain)
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タルボットは「だれもが印刷屋や出版社になれる」と利点を説明したらしい。この言葉は、まるでインターネットやブログのことを言っているみたいである。

大量複製できるようになって世界中の人が写真に注目した。一方で写真を快く思わなかったのが絵画を描く芸術家たちであった。景色がそのまま写しとれる写真の登場に、彼らは職を失うことを恐れたようだ。当時の芸術家たちの往復書簡が巻末に多数引用されていて、時代の空気が読める。こんなものは芸術ではないと斬る人多数。

だが、既に写真は芸術的であったことが、この本の掲載写真でよくわかる。キャメロンの神秘的な肖像写真(この本の表紙)や、レイランダーの絵画風写真などは、今見てもうっとりする。1850年代のル・グレイの「海景」はこの本で見て感動した。空と海を異なる露出時間で撮影したネガを組み合わせて作ったものらしい。当時の最先端の画像処理である。

・MOMAのサイトで「海景」
http://www.moma.org/collection/browse_results.php?criteria=O%3ADE%3AI%3A4&page_number=5&template_id=1&sort_order=1


1860年代になると新聞や雑誌にも写真がよく使われるようになり、カメラも一般人のものになった。1870年にはアメリカのイーストマン・コダックが、アマチュアでも使いやすい乾版フィルムを発明し、大衆化が進む。こうして写真の黎明期が終わりを告げる。本書はそこで終わる。ざっと写真誕生から30年間の歴史が、この本では丁寧に語られている。

・すぐわかる作家別写真の見かた
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004934.html

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・デジタル・ワークスタイル―小さなことから革命を起こす仕事術
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ブログブームの仕掛け人の一人、FPNの徳力基彦さんが書いたデジタル時代の仕事術。

「作業時間を半減させるためのルール」がどれもうなずける内容。新しい仕事ツールと発想の切り替えを積極的に導入して、生産性を高めるライフハックのすすめでもある。忙しい中で、ひとり涼しい顔をして、仕事をするためのノウハウがわかりやすい本だ。

1 小さな改善で将来の時間を生み出す
 「改善はできるだけ早くとりかかったほうが効果は大きい」。ライフハックの工夫は多くが数パーセントの生産性の違いを生み出すものだ。この係数は時間に対してかかっている。早く導入すればするほど、大きな結果がでてくる。

2 1×100と、100×1は同じではない
 「類似の作業はまとめて処理した方が得だ」という。これは私も同感で以前、この書評の中で書いた「「拡散系の思考と収束系の思考を交互に繰り返すと効率が悪い」という考え方と似ている。

・続「超」整理法・時間編―タイム・マネジメントの新技法
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003325.html

3 ツールで時間が節約できているかを考える
 「ツールに使われていては意味がない」。事例として「メールを定期的にチェックして新着があったらデスクトップに知らせるソフト」で5分おきに仕事を中断させられる本末転倒の例があった。ツールに踊らされては意味がない。

マウスの移動、作業別所要時間、ネットワーク使用量と時間帯などを計測するツールを使って、自分の仕事を客観的に分析してみるのがよさそうだ。この本では「受信したメールよりも、送信したメールの方が後で役に立つ場合が多い」など鋭い指摘もある。改善ポイントをみつけるためのツールとしてこのブログで取り上げたソフトとしては以下のようなものがある。

・マウスの走行距離で旅行気分
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002184.html

・「作業時間計測ツール」でコストを意識する
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002581.html

・PCのネットワーク利用量を監視、記録するNetMeter
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003030.html

自分のデスクトップ作業の分析について数年前に、あるサイトに以下の文を寄稿していた。原稿を発掘したので再掲してみる。


■580メートル 私の1日のマウス移動距離の平均

私は最近、デスクトップの作業を分析する面白いツールを見つけました。modometerは海外のフリーウェアです。デスクトップに常駐して、アプリケーション別にユーザのマウス、キーボード操作を記録しています。デスクトップの万歩計みたいなものです。

・modometer
http://www.modometer.com/

このソフトで記録を開始してから約50日が経過しました。この期間の走行距離は29000メートル。1日のマウス平均移動距離は、580メートルでした。ずいぶん動かしているんですね。

ログに記録されるのは、マウスの移動距離や左右クリック数、ダブルクリック数、スクロール距離、キーボードの打鍵数などです。これらの項目をリストとしてHTMLやExcelの表に出力できます。私は2週間ほど、このツールで自分の作業ログを記録してみました。使用アプリケーションの上位10位のリストは以下の通りです。

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http://web.archive.org/web/20041209064341/www.adnec.com/blog/archives/hashimoto/MouseOdo.html
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こうして眺めてみると、一番使っているのは、ネット調査の仕事がメインの私の場合にはWebブラウザーです。次にファイル操作やメールの読み書きに手間をかけているようです。メッセンジャーのチャットや文書作成系が続きます。

何に手間がかかっているかを知れば、それらのシーンを改善すれば、少なくともデスクトップでの作業は負荷が軽減されます。私の場合にはWebブラウザー支援ツールや、メール作成支援ツールを投入すればよいということになります。

実際、ユーザビリティ研究の世界では、計量化アプローチというのがあります。大手のソフトウェアメーカーの開発部門では、マウスの移動距離やクリック数を厳密に計測して、、何が操作コストとして高いかを判断して、高速化しているのです。modometerを使えばそんなプロの調査も簡単にできてしまいますね。

私の場合には、ブラウザー支援ソフトなどを使ってインターネット系アプリケーションの操作を効率化するのが一番効果がありそうです。皆さんも自分のデスクトップで試して、処理の改善を分析してみては?。

日本語は天才である

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・日本語は天才である
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天才翻訳者、柳瀬尚紀が書いた日本語の蘊蓄本。

柳瀬尚紀といえば難解さで知られる世界文学ジェイムス・ジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」「ユリシーズ」や、知的構築の極みダグラス・ホフスタッターの「ゲーデル・エッシャー・バッハ」、幻想文学の古典ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」、映画になったロアルド・ダール 『チョコレート工場の秘密』 など、歴史的名作に名訳をつけてきた。

学生時代にフィネガンズ・ウェイクを柳瀬の翻訳で読んだ。この作品はジョイスが作った人工言語で書かれている上に、文体が章ごとにめまぐるしく変わる。アナグラムや回文などの言葉遊びが何万も続く。辞書を使って単語を置き換えても意味は通らない文ばかりだ。そもそも英語としても意味が確定できない。普通に考えれば訳出は不可能な作品だが、柳瀬は創造性を発揮して、原作の面白さを活かす形で日本語に翻訳した。異言語の「言葉の綾」を、日本語の綾に取り換えて見せた、何万回も。唖然とした。

この偉業を完遂した背景には、圧倒的な日本語の語彙とことばへのこだわりがあるのだろうなと感じていた。この本には柳瀬尚紀の日本語への異常な執着ぶりが最初から最後まで語られている。言葉の由来を説くだけではない。同音異義語を何十も挙げたり、七は本来シチであってナナじゃないのだぞと何十ページも説明したり、長大なアナグラムをいくつも評論した上でハイレベルな自作まで示したり、敬語ならぬ「罵倒語」について延々と説を述べたりしている。

そして、日本語の変幻自在の自由度、漢字や外来語を飲み込む包容度を絶賛して、日本語は天才であるという。確かに日本語の強さを納得させられるのだが、それ以上に柳瀬尚紀の天才ぶり(奇才ぶり)が明らかになる。

どうやるとこういう日本語の天才になれるのだろうか。こういう一節があった。

「背伸びしているふうに、と言いましたけれど、そもそも本は背伸びして読むものではないでしょうか。もちろん、本を読むとき、人はうつむく。そっくり返っては読めない。しかしうつむいて読みながら、気持は背伸びする。精神は上へ向く。それが本を読むということだと思います。使う言葉も背伸びしたものになる。一段上の言葉を使うようになる。そうして言葉が成長するわけです。」

本で読んだちょっと難しい言葉を、日常生活や作文で使ってみる背伸びが、日本語能力を成長させる。そういった意味では、メールより手紙の方が日本語能力は高まるのだろうな。かつては年長者の日本語を若者が真似をしたが、最近は逆でいけませんと嘆いているのもそうだよなあと思う。いいお手本がなくなったのが現代社会の日本語なのだろう。

絵文字でごてごて(しかも字が動いたりする)携帯メールや、文末にw (笑)(藁)がついたような2ちゃんねる文体が、インターネットやメールでは流行している。きしょいとかきもいとかの最近現れたばかりの若者言葉や、ら抜き表現などを、年長者が若者に迎合するように使ってしまっている。言語の伝統保守とその破壊がバランスをとるべきなのに、最近は破壊の力がアンバランスに強烈な気がする。語彙は増えているが、きれいな日本語、美しい日本語が増えていないように感じる。

柳瀬尚紀というのは、日本語を愛し伝統を守りながら、同時に破壊解体して、自身の創造行為(翻訳)をする前衛的日本語使いである。機械には絶対に無理な翻訳をして、芸術のレベルにまで高めてみせた人でもある。そういう凄い使い手が、今の日本語を主観的に、そして客観的に、どう見ているのか、がわかって勉強になった。いい日本語を使うにも、守・破・離が重要なのだな。

岡本太郎 神秘

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・岡本太郎 神秘
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これは大傑作だ。沖縄・久高島の秘祭イザイホーを写した表紙にひきつけられ、本屋でちらっと数ページ見て、これは凄いと感心し、即購入を決めた。写真集として5つ星をつけたい。

・日本人の魂の原郷 沖縄久高島
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003941.html
久高島については以前書きました。

「芸術は爆発だ」の岡本太郎と、「婆バクハツ」の写真家 内藤正敏の爆発系の二人のコラボレーション写真集。岡本太郎が遺した2万枚の写真ネガを内藤が現像して、岡本の文をキャプションとして配置した。

60年代に岡本は民俗学に強い関心を持ち、数年間の間、東北、関西、沖縄で撮影を重ねていたらしい。プロの写真家ではないからこそ、意図的演出ではなく偶有性の奇跡がしばしば顕れる。自らシャーマンとなることで神秘の写真を撮ることができた。

岡本太郎の養女 敏子の序文はこうある。

「神秘を感得する能力は現代人からはほとんど失われてしまった。だが稀に、そういう原始の資質を鋭く、なまなましく持っている異常な人がいる。岡本太郎はそういう人だった。フランスで育ち、教育を受けているし、本来極めて論理的な頭脳を持っている。合理的な人なのだが、感応すべき場や、ものに出会うと、ぴりぴりとし共振してしまうらしい。人に言っても解らないから、ふだんは黙って、底に秘めている。だが、あるとき、突如彼はシャーマンになる。直接、彼方の世界、神秘と交流する。」

岡本太郎の見つけた神秘の正体は民俗であった。貧しくぎりぎりの生活だが、本物の暮らしをする人々の原初的なパワーだった。ここに写された人々は現代文明から取り残された場所で、必死で一杯であるが故に、常に霊的力の源と隣合わせなのである。女、こども、水と火、生と死、性と聖、浄と不浄、リアルとバーチャルの際を、岡本のカメラはキワどくフィルムに写し撮る。情念のレンズが非生命の人形にさえも魂を写した。

「人間の純粋な生き方というものがどんなに神秘であるか」

「この運命に対して、下積みになりながら日本の土とともに働くもののエネルギーは、黙々と、執拗に、民族のいのちのアカシを守り続けてきた。形式ではなく、その無意識の抵抗に、私は日本文化の可能性を掴みたい。」

「芸術は芸術からは生まれない。非芸術からこそ生まれるのだ」

この写真集を見れば、岡本太郎の視覚芸術での圧倒的な表現力の根源が、神秘の感得能力にあったことは疑いようがないと思える。生の民俗こそバクハツの起爆剤なのだ。そこには生きる力のすべてがある。

内藤の白黒ネガの現像技術も芸術だ。白黒ネガの創造性は多くは現像の技法によって生み出される。機械的な現像処理ではこの傑作はなかったはずだ。露出の制御が絶妙である。昼夜がわからない暗く焼いた画像は被写体の時間を止める。粒子が粗く、ブレを効果的に見せる作風は、写真家 森山大道の作風に似ているが、神秘性の視覚化という点ではこちらが何枚も上にあるように感じる。

二人で一つの偉大な芸術を生むことに成功した、世界でも珍しい奇跡の写真集である。130ページの神秘。

日本神話のなりたち

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・日本神話のなりたち
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構造主義的アプローチで日本神話群を分析する研究書。日本神話はそれぞれ縄文、弥生、古墳時代に流入したとみられる3層にわけられるという。

第一層はオホゲツヒメ、ウケモチ、ワクムスヒなどが主人公として語られる食物の起源を語る神話だ。殺された神の遺体から穀物などが豊穣に生まれてくるようになったという内容で、ハイヌウェレ型神話と呼ばれる。インドネシア、メラネシア、南北アメリカにかけて近似した神話が分布する。

第二層は水田耕作に伴う神話群で、イザナギ・イザナミ、ヲロチ退治、海幸山幸の神話などが含まれる。イザナギ、イザナミは兄妹が結婚して国産みをする。最初の子は海に流してしまう。木のまわりをまわって結婚の誓いを立てるなど細部まで似た神話が、中国にもあるそうだ。

第三層はイザナギの黄泉の国訪問やオホクニヌシの成長物語などだが、ギリシア神話との類似性が顕著なものがいくつもある。朝鮮半島を通って、西の文化の流れをくむスキタイ神話(ヘロドトスが後世に伝えた)経由でもたらされた影響らしい。

世界に類似した神話が存在するのは、インド・ヨーロッパ語族の移動の歴史と関係が深いらしい。著者はこの語族の神話を研究した著名な学者デュメジルの、三機能体系という理論を日本神話の起源に適用して説明する。

三機能とは

第一機能 宗教
第二機能 戦闘
第三機能 食糧生産

の3つである。

「他所ですでにくり返して詳論してきたように、日本神話は明らかに、アマテラスとスサノヲとオホクニヌシを三大主神格とし、これら三神のあいだに三つ巴とも言える葛藤を軸にして、主な部分が組み立てられている。そしてその中のアマテラスが祭政の第一機能を、スサノヲが暴力と武力の第二機能を、オホクニヌシが豊穣、愛欲、医療などの第三機能をそれぞれ明らかに代表することによって、神話の全体が、フランスの比較神話学者デュメジルのインド・ヨーロッパ語族の神話に共通するものであったことが明らかにされている、「三機能体系」にまさに則って構成されている。」

日本神話で最も奇妙に感じる「国譲り」を著者はこの三機能体系で説明がつくと述べている。国作りをしたオオオクニヌシ一派が、後から降臨した天皇家の祖先に支配権を譲り渡す話である。

「つまり、この神話には、第一機能と第二機能をそれぞれ担当する祭司と戦士が、神聖な王家とともに支配層を構成して、国土に土着して生産のための労働に従事するはずの庶民たちの第三機能を統監するという、デュメジルの言う三区分イデオロギーに特徴的な理念が、きわめてはっきり表明されていると思われるのだ。」

三機能を統合することにより、支配者層が安定した権力基盤を獲得するというパターンは、若干の変化はあるものの、スキタイ、高句麗にも同様の構造がある。さらに遠くギリシア世界との類似性もあるという指摘が「ロムルス・ヘラクレス・インドラとヤマトタケル」という章で語られている。

神話素のような物語の構成要素のDNA解析を試みる手法で、複雑な日本神話のなりたちが、世界の神話に対置され、きれいに整理されていく面白い一冊。

日本古代文学入門
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004835.html

・ユングでわかる日本神話
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004178.html

・日本の聖地―日本宗教とは何か
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004661.html

・劇画古事記-神々の物語
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004800.html

・日本人の神
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003868.html

・日本人はなぜ無宗教なのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001937.html

・「精霊の王」、「古事記の原風景」
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000981.html

・古代日本人・心の宇宙
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001432.html

・日本人の禁忌―忌み言葉、鬼門、縁起かつぎ…人は何を恐れたのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000809.html

・神道の逆襲
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003844.html

・古事記講義
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003755.html

・日本の古代語を探る―詩学への道
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003206.html

・AuctionListReader Yahoo!
http://pcbase.web.infoseek.co.jp/auctionlistreader/index.htm
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よく中古カメラをオークションで探す。Yahoo!オークションは、出品数が多いので、欲しいものを検索して探すのが大変だ。Webでは1ページの商品表示数が少なかったり、ソートする項目が限られていたりで不満があった。AuctionListReader Yahoo!は、ヤフオクを便利にするフリーソフト。

カテゴリを選んで、キーワードを指定すると、マッチする商品のすべての情報をリストとして取得する。リストがローカルにあるのでソート表示が速い。価格を範囲で指定することもできる。「本日終了で1万円以下のモノ」などを簡単に見つけ出せる。内蔵ブラウザで商品ページを確認できる。リストはCSVへエクスポートできるので、エクセルなどの別アプリで検討することも可能。

このソフトウェアで気になる商品を発見して、ヤフオクのウォッチリストに登録するととても効率が良い。ヤフオクチェックに手放せなくなった。

特徴:
約42,000件のカテゴリが収録されています。
取得リストのスライドショーができます。
リストの右クリックメニューからウォッチリスト一括登録
キーワードによる検索が行えます。
検索を行ったキーワードが履歴として保存されます。
クリックするだけで取得したリストの並べ替えができます。
リストをダブルクリックすると該当ページが開きます。
リストの右クリックメニューから画像が表示できます。
リストの保存、読み込み(リストの保存により、オークション終了後の該当ページの閲覧が可能となります)
リストの特定項目の削除ができます。
リストの右クリックメニューから更新ができます。

・MultiMeter
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WindowsVistaノートPCを買い替えてから4か月。このマシンはCore2Duoという最新のCPUを搭載している。Duoというからには二つのCPUが使われているはずなのだが、普段はそれをあまり意識することがなかった。

Vistaの標準のデスクトップガジェットにCPUメーターというのがある。CPU使用率とメモリ使用率をスピードメーターで表示するものだが、これでは二つのCPUの平均利用率しかわからない。

・Vista標準のCPUメーターガジェット
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MultiMeterはDualCoreのCPUに対応したリソースメーターである。二つのCPUとメモリの使用量を棒グラフでリアルタイムに表示する。動画再生などを行うと、二つのCPUが同時に忙しく働くことを確認できる。

これを使ったからと言って、PCが速くなるということもないのだけれど、DualCPUマシンを使っているのだなあとしみじみわかって気持ち良かったりする。

デスクトップに常時表示されるガジェットは、他に以下の二つを追加している。

・Polaroid
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任意の画像をポラロイド写真風に表示する。自由な角度に回転させることができるのでデスクトップのアクセントになる。

・Caliculator
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電卓機能を常時表示できる。ちょっとした計算が億劫にならずにできる。


ところでOS標準のはずなのに、Windows Vistaのガジェットはまだ数が少ない。こんな本を買ってきて、現在、なにかひとつ作ってみたいと思っている。

・Windows Vistaガジェットプログラミング
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・心の操縦術 真実のリーダーとマインドオペレーション
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この人はどこまで本気なのだろう?と眼が離せない脳機能学者 苫米地英人氏の近刊。幅広い分野で活躍する同氏はカルト宗教信者のマインドコントロールを解除する方法の研究でも知られる。

「他人を動かす方法は、基本的に人参ぶらさげ式でしかありません。人参をぶらさげる高さは、相手の視点の高さに合わせます。視点の低い人には低い位置で、高い人には高い位置でぶらさげるのです。」

「しかも、相手が意識している空間ではなく、無意識の空間にぶらさげることが重要です。相手に気がつかれたら「何かやってるなぁ」と思われてしまいます。」

「ですから、意識の空間での論理的判断をされることを防ぎます。防いだ上で、人参をぶらさげるのです。相手に気づかれてはいけないのです。相手の意識している空間は、意識されているがゆえに操作できません。無意識の空間だからこそ操作できるのです。」

ということでゲシュタルト操作が人を動かすには有効であると論じる。

ゲシュタルトとは部分の総和として全体を理解するのではなく、全体と部分の双方向的関係を認知する脳のはたらきのこと。こういうと難しくなるが、日常、私たちの心に浮かぶ多くの事柄は、100%要素に還元できないイメージなのであって、脳の情報空間はゲシュタルトの操作系なのだである。

「例えば、数学者と多次元空間や虚数空間の話していると、「このあたりが......」などと言いながら、空中の何かを触るような仕草をします。けれども、多次元空間や虚数空間を、この世界で触れるわけがないのです。あくまで抽象的なものです。ところがそれができる、ということは、情報空間を、臨場感をもって体感している、ということです。」

こういう抽象的感覚はわかる気がする。たとえば、私は、日常で物事がうまくいっているときは瑞々しく濡れている感覚がある。逆に万事うまくいかないときはかさかさになっている感じがある。かさかさのときに、心に響く言葉と出会うと、瑞々しさを取り戻せる。何がかさかさなのか?と言われても説明できないのだが、私にとっては極めて臨場感のあるイメージだ。高次の情報空間のゲシュタルトの問題なのだろう。

そうしたゲシュタルト操作の基本として、

「相手を自分の臨場感の世界に引きずりこむためには、その人の臨場感に対して記述をすればいいのです。言葉を使わないやり方もありますが、言葉を使うと簡単です。相手の体の状態に対する記述をするのです。」

と著者は教えている。

たとえば何気なく座っているときに「イスの感触を感じていますね」と言われると、人はそれを意識するが、椅子に座っている自分の意識は、そのとき作られたものである。「この本」と言われてその本を見ると、それは相手が記述した世界の本を見てしまう。こうして、相手のリアリティ(R)を記述によって揺らいだリアリティ(R´)に置き換えて、R´を操作する方法論の概要を紹介している。

認知心理学、脳科学、情報科学、組織論、宗教、洗脳術など著者の得意分野が、リーダーのためのマインドコントロール術に体系化されている。著者の断定口調には反発を感じる部分もあるのだが、読み進めるうちに、次第にそうかなあと思ってきたりする。まずい。操作されているかも。

宇宙のランデヴー

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・宇宙のランデヴー
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この作品の発表は1973年で、私が和訳を文庫で読んだのはもう20年前になる。当時は読み終わったあとしばらく絶句してしまうような衝撃的な体験だったことを覚えている。そしてこの本がきっかけでSF小説を読むようになった。私にとって特別な本である

この正月にはじめて読み返してみた。20年はこどもが生まれて成人する時間だから、結末を含めて物語の筋は忘れていた。だから、今回もまた感動してしまった。次は60歳になったら読み返そうと思う。

2130年、太陽系に直径40キロの円筒状の人工物が接近する。近くを航行する軍の宇宙船にその正体を調べる指令がくだされる。この人工物体は宇宙を100万年間もの長旅をした末に、太陽系を通過するのである。古代の神の名をとってそれはラーマと名づけられた。ラーマから人類には何のメッセージも送られてはこない。

ノートン中佐ら探査メンバーはラーマにドッキングして、未知の内部空間へと侵入していく。ラーマの軌道が太陽系を離脱するまでに残された時間はわずかである。ラーマとはいったい何なのか?、知的生命との遭遇はあるのか?、ラーマの太陽系接近の目的は?。ラーマが次々に見せる驚異は隊員たちの理解を遥かに超えて謎は一層深まっていく。

映画の原作「2001年宇宙の旅」が特に有名なアーサー・C・クラークだが、私はこの作品が一番好きだ。最高傑作だと思う。人間ドラマが描けていないという批判もあるようだが、ラーマを主役に宇宙の神秘が見事に描かれている。この作品では人間は物語の道具に過ぎないのだと思う。それでいいのだ。

「これは何なのだ」「いったいどうなってしまうんだ?」という読み手の好奇心をクラークは、ラーマの神秘を少しずつ開示することによって刺激し続ける。センス・オブ・ワンダー全開の物語。

人類が月面着陸を果たしたのは1969年である。1973年の段階で宇宙に対してここまでの想像力を発揮していた著者の頭脳も驚異である。ヒューゴー賞/ネビュラ賞ほか多数を受賞した古典。80年代になってから続編(2,3,4)も発表されている。今年の正月に再読の勢いで4まで2700ページ超を全部読んだので、近日、続編も書評をアップしたい。

The Arthur c. Clarke Foundation
http://www.clarkefoundation.org/

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http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004925.html

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http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004906.html

僕の叔父さん 網野善彦

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・僕の叔父さん 網野善彦
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学者一族に生まれた中沢新一は、偉大な歴史学者の網野善彦の甥にあたる。幼少のころから仲が良かった中沢は、網野の死に際して追悼の記念にこの回想記を書いた。中沢の名文により、二人の背景がよく見える本だ。どちらかのファンなら必読である(私は中沢新一のファン)。

それにしても恐ろしくインテリな家系である。おじちゃんと甥っ子、お父さんと子供の会話の内容が、そのまま歴史学であり民俗学であり宗教学なのだ。冗談ではなくて、本当に学会みたいな家族である。

たとえば「私は高校生になった頃、英語に訳された「我国体の生物学的基礎」を読んでいて、奇妙なことに気がついた」と中沢の思い出が語られている。高校生がそんな本を読んで、英訳のニュアンスの違いを発見して、叔父にそれを指摘するのだが、活動家の父親も加わって天皇制と国体の議論へ展開して、ひとしきり盛り上がる。

そして

「このときの網野さんと父の会話は、私には忘れる事ができないものとなった。網野さんは日本の歴史の中に、自然と直接的にわたり合いながら活動する、野生あふれる非農業的な精神の存在を掘りあてようとしていたのである。そして、天皇はそうした人々を、神と人をつなぐ宗教的な回路を通じて支配していた。その人々の世界は農業的日本よりも、もっと深い人類的な地層にまでつながっており、しかもその人々の世界の中から日本型の資本主義もユニークな技術も生まれ出てきた。その世界のもつ潜在力の前では、農本主義も保守主義もほとんど無力であろう。どこかへひきかえすことなどは、不可能なのである。
私は自分がどんな場所に足をすえて、ものごとを考え抜いていかなければならないかを、その夏の夜に知った。私は網野さんの思考にうながされながら、「コミュニストの子供」らしく、思考はつねに前方に向かって楽天的に開かれていなければならないことを、悟ったのであった。」

と感慨を書いている。高校生が悟っている。

何十年間に渡る中沢と網野のやりとりは、後年の二人の学者としての仕事の内容に大きな影響を与えていることがよくわかる。「「トランセンデンタル」に憑かれた人々と形容しているが、人間の心の中の、超越的で先験的な領域の存在への情熱が、彼らの家系には共有されていた。集合することで一層その志向は強まっていったらしい。中沢新一の独特の神秘性の源は、こういう血縁の背景にあったのか、と納得した。

・アースダイバー
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003694.html

・対称性人類学 カイエ・ソバージュ<5>
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001148.html

・神の発明 カイエ・ソバージュ〈4〉
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000314.html

・「精霊の王」
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000981.html

読書という体験

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・読書という体験
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岩波文庫80周年である。

学者、作家、ジャーナリスト、俳優など各界で活躍する34人の本好きが、それぞれにとっての読書の意味をエッセイとして寄せた。内容はさまざまで、座右の書を紹介する人もいれば、長く生き残る本とは何かを考察した人もいる。岩波文庫の歴史を博覧強記に語る人もいるし、実は若いころはあまり本を読んでなかったと告白する人もいる。

有名な書評家の斉藤美奈子氏はこんなことを言っている。

「よく雑誌の読書特集なんかで「あなたの人生を変えた一冊の本は?」と問われることがある。これは気がきいているようで、じつはマヌケな質問なのだ。だから私はそんなとき「本じゃ人生変わりません」と答える。これは本当。第一に「人生を変える」のはやっぱり生身の体験で、本はしょせん本なのだ。第二に、仮に「人生を変えた本」があったとしても、それがたった一冊のはずがない。ていうか一冊じゃ困るわけ。たった一冊の本に人生を左右されるようでは、危なっかしすぎる。」

まさにおっしゃるとおりで一冊で変わるわけもない。複数の本が人生を変えるはずだし、読む順番だってかなり影響するはずだ。必ずしもその分野で一番良い本と最初に出会えるとは限らないから、名著が人生を変えるとも限らないだろう。どんな本でもきっかけにはなりえる。

ところで私は昨年、書評の本を書いた。本好きの中でも、本とのかかわりにおいて、かなり珍しい体験をした部類に入ると思う。それで自分にとって人生を変えた一冊を敢えて挙げるとしたら何かなと考えてみた。

・モモ―時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語
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小学生の時に読んだこの本は、明らかに本好きになるきっかけになっている。先日、取りよせてあるので、これから読みなおそうと思っている。近日このブログに書く予定。

それから、妙に共感してしまったのが、多和田葉子氏の「予感の香り」

「ページをめくると、本によって違う香りがたちのぼる。出版社によって、というよりおそらくは使っている紙と糊によって、本の香りは違うのだろう。それは食べ物の香りでもない。むしろ埃を被ったもの、泥のまみれたもの、すえたもの、忘れられたもの、禁じられたものなどの香りである。」

本を開いた時に、周りに誰もいないと、綴じ部に鼻をあてて、匂いをかぎたくなる人って、私だけじゃなかったわけだ。経験を積むと読まなくても、この匂いでだいたい、どのレベルの本かはわかってしまう、というのは冗談だが、情報の匂いをかぐ気持はすごくよくわかる。出版不況を打開する奇策として、名著らしい匂いのする本なんて、どうだろうか。結構、本好きには評判になるかもしれない。

そういえば、岩波文庫というと私の子供のころは、薄い半透明のパラフィン紙が表紙に被せられていたのを思い出す。夏などは汗でパラフィン紙が指にまとわりついてきて、何度も直しているうちにぐしゃぐしゃにしてしまい、諦めてはがしていた。どうやって読むのが「正式」の方法なのか、気になって仕方がなかった。大学にでもいけばわかるだろうと思ったが、行ってもその件は分からずじまい。パラフィン紙の表紙も廃止されてしまった。

愛書家の34本のエッセイを読んで本好きと情報好きは違うなと思った。本好きはそこに書かれている内容だけでなく、本を読むという体験にこだわっている。情報を得るだけが本ではないのだ。寄稿者たちは、本というメディアを、その物理的制約も含めて、人生の一部として愛している。

ぐしゃぐしゃのパラフィン紙、私も結構好きだった。

トイカメラ使い方レシピ

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・トイカメラ使い方レシピ
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Holga
Lomo LC-A
Smena 8M
Polaroid
Babylon
くま35
Frogeye
Oktomat
Fisheye

これらはすべて、おもちゃみたいなカメラの名前である。この本ですべて作例とともに紹介されている。私もすでに何台か持っているのだが、どれもデジカメや高級カメラにはない味のある写真が撮れるので楽しい。ちゃんと撮ろうと思っても、安いレンズと部品なので、ピンボケや露出不適正になってしまう。でも、それが味なのである。

トイカメラを始めるにあたって、この本は最高のマニュアルである。フィルムの選び方、装填方法、現像所への出し方、機種別の撮影のコツなどもれなく書いてあって、カタログ 兼 説明書 兼 撮影ガイドといった感じで、トータルにトイカメラ入門の面倒を見てくれる。

で、最近、プラモデルカメラを試してみた。

・プラモデルカメラ
http://www.superheadz.com/plamo/index.html
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これはプラモデルのカメラである。ドライバー付属、接着剤不要だから、思い立ったら組み立てられる。所要時間は説明書では30分程度となっているが小さな部品も多くて、結構複雑なので1時間くらいである。おもちゃであるが、もちろん、ちゃんと撮影が可能。

これを一台組み上げると、カメラの仕組みがよくわかる。これはシャッター、レンズ、ファインダー、フィルム室の連動具合が、作ってみて本当にわかった気がした。一個1500円のキットなので、改造のベースとしてもおもしろそうである。レンズを変えるとか、自作フィルターを被せるとか。

早速、撮影。

28mmの広角レンズは気軽なスナップに使いやすい画角だ。プラスチック製レンズだが写りは意外にシャープで周辺光量の低下も目立たない。フレアがでやすいので逆光に注意。普通に撮影すると、全体的に白っぽい。順光で色の濃いものに向いているようだ。


ISO 100のフィルムによる作例。


・4月、晴れ時々曇り、午後3時、雨上がり。新宿都庁。

・4月、曇天、尾根緑道さくらまつり(町田市)、午後4時。

・頭がいい人が儲からない理由
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サムシンググッド、アドビスシテムズ、ウェブマネー、ソフトウィング、アルファシステムなど、多数のIT企業を創業した業界の風雲児 坂本圭一氏が語る経営哲学。表題を見た時は、コンサルタントが書くありがちなノウハウ本かなと想像していたのだが、まったく違った。序盤は成功の理論をノウハウ風に教えているのだが、章が進むにすれ著者の情熱ボルテージがあがっていき、結局、異常なほどの執念深さと圧倒的な行動力こそ成功の秘訣だ、おまえなんでやらないんだと、アジっている。その語りの迫力に飲まれる。

確かにそうなのだろう。会社を上場させたり、億万長者になった経営者たちを私も身近に何人も見てきたが、あっさりした人なんて一人もいなかった。みな執念深さでは共通していた。なんでもその場で決めようとするせっかちな性格で、課題を次の会議に持ち越すことは決して考えない人たちだった。

著者の批判する「頭のいい人」は、理屈ばかりで行動しなかったり、うまくいった戦術の延長線上に戦略があると考えたり、普遍的な成功の秘訣を探しまわっている。だが、多数のプレイヤーがあの手この手を使って戦うベンチャー市場では、環境変化が激しいから、頭で勉強して身につけた知識が役立つどころか、敗因になってしまうことがあるという風なことを著者は語っている。

「歩が成ってと金になったといっても、しょせん将棋盤の上で威力が増しただけ。盤の外に出れば、まったく違う環境が待っているのである。」

「目の前の百の在庫をさばくというのは戦術のレベルである。だが、いくらその手の目先の戦術を重ねていったところで、三年後にシェア一位を確保するというゴールをクリアするための戦略になりはしない。その時、その時に全力疾走することが、つねに最善の方法論であるはずがないし、そもそも戦略というのはそうやって、演繹的にできあがるものではないのである。」

新しい市場では日々ゲームのルールが変わっているのだから、過去の経験にこだわらず、臨機応変ができる経営者が会社を大きくする。成功の真の秘訣は理屈じゃないんだ、というのが著者の理屈である。だから起業のために学校に行こうという人は起業家に向かないと言い切る。

著者は若い頃、事業に失敗し、大きな借金を背負うが、単身ちり紙交換でトラックを走らせ成功し、短期間で返済して復活した。その時、著者がどういう思いで、どう行動したのか、創意工夫ののエピソードが強烈に印象に残った。肝なのでここには内容を書かないが、発想と行動力で駆け抜ける著者の生き方の原点なのだろう。魅了された。

「ワタシ起業しようかどうか迷ってるんですけど、やったほうがいいと思いますか?」という状況の人はこの本を読んで、諦めたらいいと思う。逆に全力疾走中の人は燃料補給本にいいと思う。理屈を超えた部分が多いが、とてもとてもエキサイティングな本だ。

すばらしい新世界

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・すばらしい新世界
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「人工授精やフリーセックスによる家庭の否定、条件反射的教育で管理される階級社会---かくてバラ色の陶酔に包まれ、とどまるところを知らぬ機械文明の発達が行きついた”すばらしい新世界”!人間が自らの尊厳を見失うその恐るべき逆ユートピアの姿を、諧謔と皮肉の文体でリアルに描いた文明論的SF小説」

オルダス・ハックスリーによる1932年発表の作品だが、その機械文明風刺の矛先は、科学が進んだ21世紀において一層、、鋭く時代に突き刺さっているように思える。作品中の”すばらしい”新世界では、人々は人工孵化で生まれて、与えられた階級の役割を果たすように条件付けされる。心が生まれながらに統制されているから、住人達は現在に不満も疑いも持つことがない。

「万人は万人のもの」という思想が徹底され、特定のだれかを愛することは恥ずかしいこと、結婚して子供を産むなんて野蛮なことと皆が信じている。社会構造の全般的理解は必要悪で最低限にとどめておくべきという倫理感が浸透しているから、階級間の闘争もなく、社会は安定している。たまに嫌なことがあったら薬物を使って即座に解消することが推奨される。こうして人々は完璧に設計された社会の一部になりきることで、幸福な人生を生きている。

新世界に紛れ込んでしまった「野蛮で未開の」男がトリックスターとして騒動を巻き起こし、この「逆ユートピア」の愚かさ、滑稽さが描き出されていく。しかし、新世界は、実は私たちの作っている現実世界の逆像なのであり、その笑いは読者の信じている価値観や道徳の基盤をも相対化していく。

この作品冒頭にこんな一文が掲げられている。

「ユートピアはかつて人が思ったよりもはるかに実現可能であるように思われる。そしてわれわれは、全く別な意味でわれわれを不安にさせる一つの問題の前に実際に立っている。「ユートピアの窮極的な実現をいかにして避くべきか」......ユートピアは実現可能である。生活はユートピアに向かって進んでいる。そしておそらく、知識人や教養ある階級がユートピアを避け、より完全ではないがより自由な、非ユートピア的社会へ還るためのさまざまの手段を夢想する、そういう新しい世紀が始るであろう。 ニコラ・ベルジャアエフ」


「より完全ではないがより自由な」。いい考え方ですね。

・組織を強くする技術の伝え方
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2007年問題と呼ばれる団塊世代の大量退職が始まっている。日本企業の屋台骨を作った世代が会社を去ると同時に、蓄積された技術も失われていく。「失敗学」「創造学」で有名な著者は、技術を「知識やシステムを使い、他人と関係しながら全体をつくり上げていくやり方」と定義し、その伝達方法についての成功例や失敗例、ノウハウを語る。

「伝える側が最も力を注ぐべきことは、伝える側の立場で考えた「伝える方法」を充実させることではありません。本当に大切なのは、伝えられる相手の側の立場で考えた「伝わる状態」をいかにつくるかなのです。」

これは年配者から技術や人生論を伝えられる側として、ときどき私も感じることがある。大先輩の言うことが、わかるときと全然わからないときがあるのだ。後輩の私のことを考えて「極意」をいきなり伝授されても、ちんぷんかんぷんになる。極意とは、要点のイメージであり純粋エッセンスである。限りなく貴重な情報だが、全体像を把握していない私はその意味が理解できない。野球の長嶋監督から、「バッティングの基本はピューと来たらパーンだ」なんて風に、教わるイメージだ。

「ビュー」「バーン」って何ですか?と聞いて答えをもらってもまだわからない。そうした教えは、自分で何年間も散々の苦労をしてみて、ある日突然わかったりする。でも、大先輩はとっくに現場を去っていて、お礼の言いようもないものだ。そういうチグハグなドラマが、仕事や学問の現場で日々起きているような気がする。

著者は技術を伝えるポイントとして次の5つを挙げている。

1 まず体験させろ
2 はじめに全体を見せろ
3 やらせたことの結果を必ず確認しろ
4 一度に全部を伝える必要はない
5 個はそれぞれ違うことを認めろ

そして伝える相手に「自分が人に伝えるときのことを意識させる」のがいいと言う。伝えた相手が講師になって別のだれかに教える機会を与えると、定着がよいらしい。本気の受け入れ態勢をどう作らせるか、なのである。社外のセミナーに無料参加させる代わりに、会社に戻ったら講師として社内でそれを教える制度などを推奨している。

貴重なプロの技術にマニュアルで伝えられる内容は多くはない。重要な部分は、ベテランの暗黙知であり、境地であり、勘なのだと感じる。それを移転するには、組織内に世代間の濃い関係がないと無理だろう。師弟関係のようなものを、組織内でいかにつくるかが大切なのだなとヒントをもらった。

・畑村式「わかる」技術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003968.html

・決定学の法則
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001676.html

・創造学のすすめ
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000846.html

・わかったつもり 読解力がつかない本当の原因
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003801.html

・「わかる」とはどういうことか―認識の脳科学
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000973.html

・「分かりやすい文章」の技術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001598.html

・「分かりやすい表現」の技術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000451.html

本日のNHK番組「クローズアップ現代」で私とブログを取り上げていただきました。

現在、アクセスが急増中で、初めてこのブログをご覧になる方が多いのではないかと思います。改めてサイトのご案内です。

このブログは書評、ソフトウェア評、イベント情報などを中心に、2003年9月から毎日更新しています。番組では書評の部分をクローズアップしていただきましたが、書評の一覧とカテゴリは以下の通りです。

・ブログの過去記事タイトルの一覧
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives.html

・書評のカテゴリ(冊数)

書評:脳・こころ書評:企画・発想書評:文化・文明書評:経済・経営書評:子供・教育書評:小説・戯曲書評:ネット活用書評:仕事・管理書評:メディア論書評:その他書評:思想・哲学書評:文章・表現書評:認知・心理書評:神話・宗教書評:科学・技術書評:社会・世間書評:教養・雑学

約800冊ありますが、年末年始にその年の”ベスト本”をリストアップしています。

2006年度 年間オススメ書籍ランキング ノンフィクション部門
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004879.html

2006年度 年間オススメ書籍ランキング フィクション編
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004849.html

2005年度 書籍売り上げランキング ベスト20

2005年度 年間オススメ書籍ランキング ベスト20冊

2004年度 ”書評力”ベスト10   アクセス数、クリック数、販売数、売り上げで総合分析

2004年度 年間オススメ書籍ベスト20 この本が良かった。

また先日、ブログ書評から216冊を選んで一般書籍として出版いたしました。

・情報考学 Web時代の羅針盤
・情報考学―WEB時代の羅針盤213冊
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なお、番組をご覧になってのご意見、ご感想などをいただけるようでしたら、

datasection@gmail.com

までお気軽にお寄せください。すべてのメールに返信できるか自信がなくて恐縮ですが、サイト運営の励みになります。よろしくお願いいたします。


橋本大也 1970年生まれ

データセクション株式会社 代表取締役
株式会社ネットエイジグループ チーフエバンジェリスト
株式会社早稲田情報技術研究所 取締役
株式会社メタキャスト
株式会社日本技芸取締役
NPO法人 オーバルリンクIO 理事
デジタルハリウッド大学 助教授

・未来を変える80人 僕らが出会った社会起業家
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「自覚と決意をもった人々が集まれば、どんな小さなグループでも世界を変えられる。それを疑ってはならない。それだけは絶対に信じなくてはならない。」マーガレット・ミード。

この本の著者である若い二人は、2003年6月、440日間に渡る世界旅行に出発した。「自覚と決意を持った」を訪ねるために。そして、彼らは113人の社会起業家と対面し、そこから選り抜き80人のプロフィール紹介とインタビューを書籍にまとめた。

バングラデシュ人の経済学者ムハマド・ユヌスは貧者のための銀行、グラミン銀行を設立した。「多くの場合、貧困の原因は、個人の問題や、怠慢、能力不足ではなく、わずかな元手すら手にできない状況にある」というのがユヌスの経済学者としての持論である。グラミン銀行は、貧困にあえぐ人たちに低利で小額の融資を行い、自主性に任せた返済の約束をしてもらう。担保も保証も取ることがなかった。返済が滞っても取り立てはしない。
彼の銀行は、そんな性善説の仕組みがうまく機能するはずがないという金融界の常識を覆した。貧者を救う助け合いという趣旨を深く理解した借り手たちは、融資をもとに生活を立て直し、責任を持って期限内に返済をした。返済率は一般行を上回り、銀行として大きな利益さえ出してしまった。ユヌスは1千2百万人の生活を救うと同時に、4万6千600の支店を持つ一大勢力に成長させた。ユヌスはこうした成功を背景に、次は安価な携帯電話と自家発電システムを貧困層に提供しようとしている。

フランス人のトリスタン・ルコントはフェアトレードのリーダーだ。不利な立場の小規模なコーヒー生産者たちと契約して、コーヒーを販売した。国連の規定する取引条件を守り、従業員の教育、住居、医療のための費用を上乗せした「正当な価格」で同社のアルタエコ・コーヒーは販売される。製品ラベルには「ようこそ、消費が行動につながる時代へ」と書かれている。

良き意図を持つアルタエコの仕組みは、クチコミが機能するので、巨額の広告費が不要であった。意外にも最終価格は、競合製品と比較しても高くならなかった。何より同社のコーヒーは質が高かった。製品として魅力的であった。ルコントは「幸せな生産者が美味しい食材をつくる」と確信している。

生産性を維持しつつ、環境にやさしい農法を広める合鴨農法、地球にやさしいハイブリッド車両、企業の社会性を指標に投資する社会責任投資ファンド、自然にかえるプラスチック素材の開発など、80人の社会起業家たちは社会性と市場性を同時に満たすビジネスを創造し、人々を幸福にしながら、大きな利益を出している。

今まで、社会起業家は特殊な事例というイメージがあったが、読み進めるうち、これが企業のあるべき姿なんじゃないか、と思える話がいっぱいあった。需要と供給のメカニズムを最適化する利益追求のみの企業よりも、そこで働く従業員や経済基盤としての社会の未来のことまで考えた持続可能な企業が、最終的に勝つのは、当たり前なのでもある。

インターネットによって社会や経済の仕組みは一層透明になってきている。製品も会社も市場のグローバル化によって選択肢は増える。消費者や従業員に選ばれるサービスをつくるものが勝つという新ルールでの、最先端の勝ち組みがこの80人なのだろうなと思った。

日本人も何人か取りあげられている。

・魂の文章術―書くことから始めよう
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全米ベストセラーの文章術。

第一の思考のエネルギーにまず共感した。

「第一の思考には途方もないエネルギーがある。第一の思考は、心が何かに接してパッとひらめくときに現れるものだ。しかし、たいてい内なる検閲官がそれを押しつぶしてしまい、私たちは第二、第三の思考の領域、思考についての思考の領域で生きている。最初の新鮮なひらめきからは二倍も三倍も遠ざかったところで生きているのだ。たとえば、「私は喉からヒナギクを切り取った」という文句がとつぜん心に浮かんできたとしよう。すると、1+1=2の論理や、礼儀正しさ、恐れ、粗野なものに対する当惑などを仕込まれた私の第二の思考はこう言う。「ばかばかしい。自殺しているみたいじゃない。喉をかき切るところなんて人にみせちゃいけない。どうかしたんじゃないかと人に思われるわ」。こうして検閲官の手に思考を委ねてしまうと、こんどはこんなふうに書くことになるだろう。「喉がすこし痛んだので、私は何も言わなかった」。正確、そして退屈だ。」

ブログでも原稿でも、最初に「とにかくこれは書いておきたい」というフレーズが思い浮かんだら、最後まで書き上げられることが多い。そういったフレーズが思い浮かんだら、いつでもメモしておいて、いざ書くときにはまずそのフレーズを書いてみる。すると、スラスラ筆が進む。どう書くかよりも、書くことがあるか、がいい文章の決め手だと思う。
題材リストの作り方、題材の膨らませ方、一人でもできる文章修業の方法、スランプ脱出法、物書きの心得など、良いライターになるためのノウハウが数十本のエッセイにまとめられている。

「書くことはとても孤独な作業でもある。誰が私の文章を読んでくれるだろう?誰が関心を持ってくれるだろう?ある生徒がこんな質問をした。「先生は自分のために書くんですか?それとも読者のためにですか?」、ものを書くときには、話さずにはいられないという欲求を人と分かち合うようにしてほしい。孤独の深みから手を延ばし、他の人たちに向かって自分を表現するのだ。」」

ブログ時代のライターはこの孤独感は希薄かもしれない。毎日書いているブログには、ほぼ間違いなく、友人知人含めて、いくらかの読者はいるだろう。手元に置いてあるだけの原稿と違って、まったく読んでもらえないということはない。逆に言うと、孤独感が欠如して緊張感を失ってしまうのがブログなのかもしれないと思う。

自分のブログ文章を振り返ってみるに、イイコトを思いついたのだけれど、話す人が周りにいない深夜に、言いたいことを一気に書き上げることができた日のブログは、読者の評価も高い気がする。孤独は、魂の入った文章の原動力ということ、かな。

・自己プレゼンの文章術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004915.html

・「バカ売れ」キャッチコピーが面白いほど書ける本
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004702.html

・「書ける人」になるブログ文章教室
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004805.html

・スラスラ書ける!ビジネス文書
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004499.html

・全米NO.1のセールス・ライターが教える 10倍売る人の文章術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004488.html

・相手に伝わる日本語を書く技術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003818.html

・大人のための文章教室
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002489.html

・40字要約で仕事はどんどんうまくいく―1日15分で身につく習慣術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002286.html

・分かりやすい文章の技術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001598.html

・人の心を動かす文章術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001400.html

・人生の物語を書きたいあなたへ −回想記・エッセイのための創作教室
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001383.html

・書きあぐねている人のための小説入門
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001082.html

・大人のための文章法
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000957.html

・伝わる・揺さぶる!文章を書く
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002952.html

・頭の良くなる「短い、短い」文章術―あなたの文章が「劇的に」変わる!
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003740.html

創刊以来、連載を担当している隔月刊誌「Web担当者現場のノウハウ」の「橋本大也の“帰ってきた”アクセス向上委員会」のバックナンバーがWebでも公開されることになりました。

・Web担当者現場のノウハウ vol.5―ホームページとマーケティングをWeb2.0でつなぐ
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「【内容】
SEOの入口説明します!
特集は「SEOについて最低限知っておくべきコト 07年版」。サイトを作る時点で検索エンジンの最適化を計画に含めるのは、今や当然。でも最低限しなければいけないことや、正しいやり方は何なのか、はっきりわからないのも事実。今号では、自分でやるSEOの基本から依頼する業者の選び方まで、SEOの入口から基礎を幅広く説明します。

・[特集]SEOについて最低限知っておくべきコト 07年版

・[インタビュー]注目企業のネットビジネス戦略<オーバーチュア>

・1000万円のサイト構築を50万円でする方法

・Webワーカー向け便利サービス[特別版]Google Webmaster Central

・ライバル企業に差を付けるネットビジネス必携プロダクト
<ケータイ対応CMS>

・価格別 CMS製品導入プラン

など」

最新号はSEO特集です。

・Web担当者Forum
http://web-tan.forum.impressrd.jp/

私の連載バックナンバー

・橋本大也の“帰ってきた”アクセス向上委員会 #001 〜Web 2.0
http://web-tan.forum.impressrd.jp/e/2007/04/10/1046
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・橋本大也の“帰ってきた”アクセス向上委員会 #002 〜サイトの信頼性を高めるには?http://web-tan.forum.impressrd.jp/e/2007/04/24/1047

・Hidemarnet Explorer
http://hide.maruo.co.jp/software/hmnetexdoc.html
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原稿書きもプログラミング、プレゼン文書や長文メールの作成まで、文字を打つあらゆる場面で、テキストエディタの秀丸を愛用している。Hidemarnet Explorerは秀丸でサーバ上のテキストファイルを閲覧、書き換えできるようにするアドオンである。

FTPサーバを設定すると、そのサーバ内の文書を秀丸が直接開いて編集することができ
保存すると自動的にファイル転送が行われて、サーバ上の文書を書き換えることができる。ちょっとWebを修正するのに重宝する。

テキストブラウザー機能もある。URLを入力すると、そのページがテキストで表示される。リンクをクリックすれば移動することもできる。Web上の記事を編集して使いたいときに、このWeb連動機能は使えそうだ。

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先日、写真や映像関連の業界イベントPIE2007を見ていたら、白黒印刷専門の用紙「月光」を発売するピクトリコのブースは異彩を放っていた。実際にプリンタで出力された白黒写真が展示されているのだが、手に取ってみると明らかに普通のプリンタ印刷と違う。なめらかな階調の再現に驚いた。

・月光
http://www3.pictorico.co.jp/gekko/soft.html
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その会社が写真を白黒化する専用ソフトを無償配布しているので使ってみた。元画像を指定すると瞬時に白黒化された画像が隣に表示される。白黒、セピア、ブルーブラックの3種類が選べて、濃さや色合いは細かいマニュアル指定も可能である。Photoshopなどのレタッチソフトを立ち上げるよりも遙かに簡単だし、仕上がりも奇麗だ。

手持ちの写真でいろいろ試してみたところ、

・誰もいない駅のホーム
・光が側面から当たって影がある顔

は、白黒変換すると雰囲気が出やすい素材だと知った。元の画像に不要な色モノが写りこんでいても白黒化すれば消える。時間が止まった静かなイメージになる。ソーシャルネットワークやブログのプロフィールに白黒を使えば、ちょっと目立ちそうだ。

仕事の文書でも、画像がカラーではうるさいからモノクロ化したいことがある。あるいはモノクロプリンターしか使えないことがある。キレイに印刷するには画像自体をモノクロ化してからのほうが仕上がりが美しい。

・仕事は演出力 あなたの「魅力」を引き出す38のヒント
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米国で30年暮らした映画プロデューサーが、ハリウッドの成功者たちから学んだ仕事術、処世術を語る本。個人の能力と同じくらい人間関係が重要な映画製作の業界で、有名な監督や俳優が、なぜその地位を築けたのか、わかりやすく教えてくれる。

「ハリウッドで成功している人には共通点がある。それは一言でいうと、自分を魅せる方法、つまり自分の「演出の仕方」を知っているということだ。ハリウッドスターというと、わがままで気難しくて、人の言うことをなかなかきかないというイメージがあるかもしれない。そしてこの業界を裏で取り仕切っている大物たちは、非常にドライで左脳的な発想をする人と思うかもしれない。しかし実際にはそうではない。というより、むしろ逆だ。」

ハリウッドの成功の秘訣は、なんと意外にも「気配り」なのである。

著者が交流したハリウッドのスターたちの、細やかな気配りエピソードが次々に披露される。多くの大物スターやプロデューサーが実際に会ってみると、自分の話をあまりしないで、相手の話を聞く、話を引き出すことに長けている、そうだ。

「会話に参加しているという充実感こそが人を動かす原動力になる。」「私の空間にはあなたしか存在しない」というメッセージは、相手を勇気づけ、感動させる。これこそが「気配り」なのだ。

ここでは、思いやり、気配りは成功の階段を昇るために必要な資質だと分析されている。自分のために人を動かすためには、好意を持ってもらい、やる気になってもらわなければならないからだ。

「素晴らしい さすが君だと こき使い」という川柳がある。これこそ、人間を「その気」にさせる極めつけではないだろうか。「こき使い」という言葉には語弊があるものの、「素晴らしいねえ」といわれてうれしくない人はいない。誰もが自分の仕事や努力を認めてほしいと願っているわけで、褒められるだけでその人のやる気が倍増するのなら、これほど簡単なパワーアップ方法はない。」

自分勝手なスターは長くは生き残れないらしい。

他人から魅力を引き出せる人は、「自分以外の人も、自分と同じ思いを抱いて生きている」という気持ちが原動力になっている。自分だけが「成功物語」や「悲劇の物語」の主人公だと思い込み、自分が舞台に上がって喝采を浴びることだけを考えているうちは、周囲の人から魅力を引き出すことなどできない。」

「野望のためなら何でもするという「クリエーティブ・コンプロマイズ」、つまり「独創性のある妥協」ができる人というのが真の野心家だと思う。」」

これは一言で言うなら「プラグマティックな思いやり」の本である。成功・出世したいなら、自分勝手はやめて思いやりと気配りの能力を持ちなさいと説いている。米国生活30年の日本人らしく和魂洋才風な発想の処世術であった。とても面白くて参考になった。

図説 金枝篇

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・図説 金枝篇
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少し値が張る本だが、長大な民族学の古典「金枝篇」を見事に要約し、原典にはなかった写真やイラストで本文の理解を深める工夫が素晴らしい。装丁もよく、本として完成度が極めて高い内容。フレーザーを読むならこれがおすすめ。


ローマの近くにネミという村があった。その村には、古代ローマの時代より、森と動物の女神、豊穣の神ディアナと、ディアナの夫ウィルビウスを祭った神殿があった。この神殿では、男は誰でもその祭司になり、「森の王」の称号を得られるというしきたりがあった。ただし、祭司になるには、男はまず神殿の森の聖なる樹から1本の枝 -「金枝」-を手折り、それで時の祭司を殺さなければならなかった。こうしてこの神殿の祭司職が継承されてきたのである。祭司になるのに、なぜ時の祭司を殺さなければならないのか? なぜまず聖なる樹の枝を手折らなければならないのか?この二つの質問にたいする答えを求めるのが本書『金枝篇』の目的である。

呪術には、「似たものは似たものを生み出す、結果はその原因に似る」という類似の法則と、「かつて互いに接触していたものは、その後、物理的な接触がなくなっても距離をおきながらひきつづき互いに作用しあう」という感染の法則の二つの原理がある。類似の法則からは類感呪術が、感染の法則からは感染呪術が発生する。

類感呪術とはたとえば敵に似せた像を傷つけることで、その敵本人を呪い殺すような術である。感染呪術とは相手の身に着けていたものや髪などを使って本人に影響を与えようとする術のことである。

冒頭に引用したネミの祭司殺しや金枝とはいったいなんなのか。世界中の神話を比較分析することで、共通項をみつけ、荒唐無稽に思える神話に隠された人類にとって普遍的な意味を見出そうとする。

フレーザーは世界中の民族の呪術やまじないの膨大な数の事例を収集した。フィールドワーカーではなく書斎にいながら文献で情報を集めるタイプであったそうだ。フレーザーの仕事は”未開人”を見下しているような態度の記述もあったり、根拠のないデータが混ざっていたりして、後世の評価は肯定的なものばかりではないようだが、出版当時、大きな話題になり、民族学の基礎を築いたのがフレーザーであり、金枝篇であったことは間違いない。


結局のところ、科学という総合概念、つまり、ふつうの言葉でいえば、自然の法則だが、それは、人間のものの考え方が生み出したくるくる変わる幻影を説明するためにひねり出された仮説にすぎないことを忘れてはならない。われわれはその幻影を世界とか宇宙といった大仰な呼び方で権威づけているだけなのだ。とどのつまり、呪術も宗教も科学も人間のものの考え方がつくり出した理論にほかならないのである。科学が呪術や宗教に取って代わったように、科学もまた、いつの日か、もっと完璧な仮説によって取って代わられるかもしれない。

もはや古典だが、いま改めて読んでも面白い一冊である。

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