2008年02月29日

+6℃ 地球温暖化最悪のシナリオ

・+6℃ 地球温暖化最悪のシナリオ
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+1℃ 2100年には地上の水の3分の1が失われる。
+2℃ グリーンランドが融けだし、ロンドンの中心部が水に浸かる。
+3℃ 北極の氷は80%失われ、ニューヨークは浸水し、オランダは島に。
+4℃ 永久凍土の融解により二酸化炭素5000億トンが大気中に排出。
+5℃ メキシコが砂漠化。深海のメタンガスが大気中に放出。

第1章が「1℃上昇」、第2章が「2℃上昇」というように各章がそれぞれの温度上昇時の変化を語っている。平均気温がたった1度上がっただけで、新たな由々しき事態が発生する。

「世界の平均気温が5℃上昇すると、まったく別の惑星が登場することになる。われわれが知っている地球とは似ても似つかぬ星だ。氷床は両極から完全に姿を消し、熱帯雨林は焼失。海面が上昇して沿岸の都市をのみ込み、内陸部まで海水が押し寄せる。人類は旱魃と洪水のために、縮小していく居住可能な地域へ集まる。内陸部の気温は今よりも10℃以上も高くなる。」

そして+6℃ではさらに大きな変化が起きる。地球はかつての白亜紀にも同様の急激な気温上昇を経験している。そのとき、海は無酸素になって生物は激減する。海底からメタンガスが空に向かって噴き上がり大爆発を起こす。人類を含む地球の生態系は壊滅するというのが、科学的な予想であるらしい。

気温上昇は現在よりも2℃を超えると不可逆的な変化とになってしまい修復不能になる。それよりも前に温暖化現象を止めないと人類に明るい未来はないのだ。困ったことに明日二酸化炭素の排出をゼロにしても、これまでの排出の効果で1度上昇までは避けられないらしい。つまり、残る猶予はあと1℃であり既に瀬戸際なのである。

政治経済的にはともかく技術的には豊かな国での二酸化炭素排出量の90%削減は不可能ではないそうである。その上で排出権の国際取引市場を設立し、豊かな国が貧しい国の排出量を買い取ることに合意することが極めて重要な温暖化回避策であると著者は述べている。

昨年、シリコンバレーに出かけたら、最近のベンチャーキャピタルはITではなくてクリーンテクノロジー分野のベンチャーに注目していると聞いた。ベンチャー投資による技術革新に期待したいところである(本書は夢のような技術の出現に期待してはいけないという論調だが...)。排出権取引市場に加えて投資家の市場も使って、市場が引き起こした問題を市場で解決するというのは賢いと思うのだが。

・成長の限界 人類の選択
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003701.html

・地球のなおし方
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003752.html

・世界の終焉へのいくつものシナリオ
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004729.html

・文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004210.html

・文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004218.html

・感染症は世界史を動かす
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004403.html

・インフルエンザ危機(クライシス)
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004247.html

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2008年01月21日

量子暗号 絶対に盗聴されない暗号をつくる

・量子暗号 絶対に盗聴されない暗号をつくる
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これまでに使われている暗号技術は、どんなに高度なものであっても、原理的には第三者が解読することができる暗号である。現在、インターネットなどでも使われている暗号技術は、非常に高度なものであるとはいえ、コンピュータを使って天文学的な時間の計算ができるなら、いつか解読できる。人間にとって意味のある時間で解読できないから、安心というだけである。

量子暗号は原理的に解読や盗聴することができない暗号である。電子や光子のような超微細な粒子のレベルでは、なにか観測するということは、対象に対して光子などをぶつけることである。必然的に観測するということは対象の状態に影響を与えてしまうことになる。この不確定性原理を通信に応用するのが量子暗号である。

「量子の状態にある信号は、測定すると必ず痕跡が残る。それを利用して盗聴があったかどうかを検知し、安全に暗号の鍵を配布できていることを確認する。これを繰り返し実行すれば、いくらでも鍵を安全に配布することができる。そうすれば絶対安全であることが唯一証明されているバーナム暗号を実現できる。」

究極の暗号である量子暗号だが安定した通信の実用化には技術上の壁があって時間がかかっている、と聞いていた。この本は今日の段階で量子暗号の実用化の取り組みがどこまで実を結んだか、普及にはどんな問題があるかを詳細に紹介している。

量子暗号とは何かについて、最初に比喩を使ったおおまかな説明があって、その後詳細な解説がある。それにつづいて究極の暗号にかかわった科学者たちの業績ドキュメンタリが読み応えがある。ひとくちに量子暗号といっても細かな仕組みにはいくつかの種類があること、量子コンピュータが普及した場合に量子暗号はどう進化していくか、など量子暗号について過去現在未来を総括する。

ひとつの技術の最前線を知ることができてワクワクした本だ。

・暗号解読―ロゼッタストーンから量子暗号まで
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004028.html

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2007年12月27日

眠れない一族―食人の痕跡と殺人タンパクの謎

・眠れない一族―食人の痕跡と殺人タンパクの謎
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なんじゃこりゃ、おもしろすぎる。年末になってこんな傑作と出会うとは!ノンフィクションだがミステリー小説のような趣もある第一級の医療ドキュメンタリ。

イタリアの高貴な一族が18世紀から現在まで原因不明の奇病に悩まされていた。50歳を過ぎたくらいになると、一族の中の何人かが異常な発汗と瞳孔縮小という症状を発症し、重度の不眠症になって死んでしまうのだ。遺伝性がある病気だったが、医師たちは長い間、ウィルスや遺伝子などの原因を特定することができなかった。

実はこの致死性の不眠症の正体は、ウィルスでも遺伝子でもなく、自己増殖する悪性のタンパク質が正体であった。ある形状を持ったタンパク質は”鋳型”を使って自己を複製して増えていき、やがて宿主の脳細胞を侵食して殺してしまう。殺人タンパク質の発見は「遺伝子が生物の形質を決定する」「生物だけが感染を引き起こす」という生物学の根本を揺るがす大発見であった。

そして、この一族の病は、18世紀に流行した羊の病気「スクレイピー」、20世紀前半に発見されたクロイツフェルト・ヤコブ病、20世紀後半にパプアニューギニアで発見された「クールー」、そして1980年代英国に始まり現代も続くプリオン病(狂牛病)と同じタンパク質の異常が原因であることが判明する。

ノーベル賞受賞の研究者たちの努力によって、プリオン病の発生の経緯が次第に解明されていく本書のスリリングな部分はつい最近の話である。プリオン病の原因は牛の飼料の原料であった「肉骨粉」を食べたこと、つまり牛の共食いが原因であった。パプアニューギニアの一部族にみられた「クールー」病は数十年前の人肉食が原因であった。「まるで生物のように増殖して感染を引き起こす非生物の分子」=殺人タンパク質は、煮たり焼いたりしても容易には壊れず、感染性を維持する。肉食が媒介した可能性が高いのである。

牛肉食が原因のプリオン病(狂牛病)は世界的な大騒動になったが、実は患者数は極めて少ない珍しい病気である。遺伝的に感染しやすい人とそうでない人がいるのだ。そうでない人が多数を占めるから広がらない。本書ではその原因は原始人類が八十万年前に行った人肉食にあったのではないかという仮説が提示される。

プリオン病(狂牛病)といっても吉野家で牛丼が食べられなくなった事件を連想するくらいで普通の日本人にはあまりピンとこないものだろう。だが、この本を読むとプリオン病の潜在的な恐ろしさを科学的に理解できる。現在のところ有効な治療法はない。患者が少数なので特効薬をつくる製薬会社もない。致死性の殺人タンパク質がさらに突然の進化を遂げて感染力を拡大した場合、人類壊滅の脅威にもなりうるのではないかと想像すると、産地がどこであれTボーンステーキは当面やめておこうと思った。

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2007年11月28日

多世界宇宙の探検 ほかの宇宙を探し求めて

・多世界宇宙の探検 ほかの宇宙を探し求めて
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「無からの宇宙創生」理論、「永久インフレーション」モデルの提唱者である物理学者アレックス・ビレンケンが書いた現代宇宙論。一般向けの本だが、ビッグバン、インフレーション理論、超ひも理論、人間原理、宇宙定数、暗黒物質など基礎的な事項は予備知識として知っていて、知識のアップデートを望む読者に特におすすめ。

「インフレーション理論では、内部的な視点から見ると島宇宙は無限に大きいので、それぞれの島宇宙はO領域を無限にたくさん含んでいます。また量子力学により、どんなO領域もそこで展開されるはずだという結論が避けようもなく出てきます。量子力学によれば、保存則によって厳密に禁止されないものはすべて、ゼロでない確率で起こります。そしてゼロでない確率を持っている歴史はすべて、無限個のO領域の中で起こるーあるいはもうすでに起こっているーのです。」(O領域は800億光年の巨大な球状の空間)

この多世界モデルは、条件分岐で世界が増殖していく平行世界モデルとは異なる。多世界モデルでは、あらゆる可能な世界が同じ大宇宙に実在している。観測可能なO領域としての世界同士が、あまりに遠いので互いにアクセスができないだけである。

まったく同じやほとんど同じ世界が二つあることもありえる。故に「永久インフレーションから導かれる世界観では、地球と私たちの文明は決して唯一無二のものではありません。そうではなく、無数の同一の文明が宇宙の無限の広がりの中に散在しているのです。人類の宇宙的な重要性といったものが微塵も認められなくなり、私たち人間の世界の中心からの退場は完了しました。」と、著者はなんだか嬉しそうに唯一性という価値を否定している。

つまり、人間はひとりではないどころか、あなたもひとりじゃないのである。

宇宙の観測データによる仮説の裏づけや量子力学寄りの新理論の登場によって、この10年という短い期間でも、宇宙論の論点や結論は変化していることがわかる。神話が宇宙を定義していた時代は何百年や何千年も不変だった宇宙論が、いまは世代ごとに科学の最前線としてコロコロと変わっているのだ。宇宙論は科学であると同時には哲学でもある。人間とは何なのか、私は誰なのかという存在論に、科学が常に揺さぶりをかけている時代だといえる。

そして宇宙論は科学であり、哲学であると同時に、フィクションの面白さがあるとこの本を読んで改めて思った。科学者たちは、それぞれが妄想したフィクションのリアリティを競い合っているようにも見える。宇宙論では最初は突飛で荒唐無稽と思われたアイデアが、古い仮説を覆してきた。

人間はまだ宇宙のほんの一部しか観測することができないので、宇宙論の仮説を検証し理論化するに当たっては、ローカルな宇宙で得られるデータから統計的に推論していくしかない。宇宙論には観測にもとづいた数値を代入する26もの定数があるため、純粋な理論からの演繹モデルはつくることができない。科学者たちが議論して、ローカル情報とすりあわせ、最もありがちな宇宙の姿として妥当ということに落ち着いた暫定モデルを更新していく。

理論的な矛盾がなく、いくら権威付けが行われても、今後の観測で、宇宙の果てにガムテープで補強の跡が見つかりましたなんてことにでもなれば、すべてのモデルは総崩れになる。ガムテープはないだろうが、ブラックホールやら暗黒物質など、ありそうにないものが実際に発見されてきた。この本のいう多世界モデルの、隣の世界がみつかっちゃいました、なんてこともあるかもしれない。

・ビッグバンの父の真実
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004784.html

・ガリレオの指―現代科学を動かす10大理論
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002797.html

・はじめての“超ひも理論”―宇宙・力・時間の謎を解く
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004230.html

・ホーキング、宇宙のすべてを語る
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004047.html

・奇想、宇宙をゆく―最先端物理学12の物語
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003562.html

・科学者は妄想する
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003473.html

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2007年08月16日

闘う物理学者 天才たちの華麗なる喧嘩

・闘う物理学者 天才たちの華麗なる喧嘩
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歴史上の偉大な物理学者をめぐるで喧嘩や論争に焦点を当てて、現代物理学の歴史の一面を面白く、わかりやすく描いた一般向けの科学読み物。取りあげられたのは以下の大物物理学者(ではないのもあるが...)。

・ファインマン VS ゲルマン
・ガリレオ VS ローマ法王
・アインシュタイン VS ボーア
・ノーベル賞 VS フランクリンメダル
・ボーム VS アメリカ「帝国」
・ランダウ VS スターリン
・マリー・キュリー VS 差別
・湯川秀樹 VS 朝永振一郎
・ホーキング VS ペンローズ

意外な事実の紹介で読者に関心を持たせていく。

たとえば350年にわたったガリレオとバチカンの戦いの章はあれ?と思った。史料をちゃんと調べるとガリレオは、そういったと言われる有名なセリフ「それでも地球は周っている」などとは言っていないそうなのである。

「ガリレオ裁判は、通常流布されているような「科学と宗教の争い」という次元の話ではなく、老練な政治家(ローマ法王)が自分の保身のために親友であったガリレオを生贄にしたという次元の話なのである。意外と単純な話だったのである。だから本当は、後世に語り継がれるほどの大事件ではないのだ。」

ガリレオは法王とツーカーだったらしく、現実は内輪揉めに近い状況だったという。科学のために戦った孤高のガリレオのイメージが崩されて、政争に敗れたエリート科学者という実態が明かされている。

こうした天才たちの現実の姿を伝えるエピソードを紹介しながら、天動説と地動説、相対性理論と量子論、実在論と実証論など、当時彼らが対立した論点を、わかりやすく解説してくれる。どれも上質なエッセイで科学への興味をかきたててくれる良書だと思う。

それにしても天才科学者たちには極端でこどもっぽい振る舞いが目立つ。天才であるが故に、横暴も奇行も仕方がないとして許されたということなのだろう。また、こどもの純粋さ、飽くなき好奇心、無謀な行動力などがあったからこそ、天才だったのだろうなあとも思える。

周囲が「天才だからしょうがない」と大目に見ること=本人の能力といえるのかもしれない。だとしたら、奇行の量で科学者たちの行動を測れば、次の大天才を発見できるのかもしれないと思ったりした。

・タイムマシン開発競争に挑んだ物理学者たち
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005061.html

・ビッグバンの父の真実
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004784.html

・ガリレオの指―現代科学を動かす10大理論
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002797.html

・はじめての“超ひも理論”―宇宙・力・時間の謎を解く
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004230.html

・ホーキング、宇宙のすべてを語る
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004047.html

・奇想、宇宙をゆく―最先端物理学12の物語
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003562.html

・科学者は妄想する
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003473.html

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2007年08月02日

タイムマシン開発競争に挑んだ物理学者たち

・タイムマシン開発競争に挑んだ物理学者たち
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タイムマシン開発に取り組んだ科学者たちの歴史を時系列でまとめた読み物。主な登場人物はニコラ・テスラ、アインシュタイン、エディントン、ホーキング、キップ・ソーン、リチャード・ゴットなど。

理論的にタイムマシンが実現可能かどうかは現代の物理学者の間でも意見が分かれている。これまでに考案されたタイムマシンの原理の多くは、とてつもなく大きなエネルギーを使って時空をねじまげることである。ブラックホールやワームホールのような天体を利用するアイデアがいくつも考えられてきた。あるいは光より速い粒子”タキオン”を発見して利用するという考え方もある。

もうタイムマシンは完成しているという話もでてくる。

・ローマ教皇庁が一流科学者の手を借りて過去をのぞくカメラクロノバイザーを完成させていた
・ニコラ・テスラはタイムトラベルを体験していた
・ロシアの科学者が開発した最新タイムマシン装置でネズミを数秒だけ未来へ送ることに成功した

などという怪しいエピソードが実態とともに紹介されている。

現実に実現可能性が高そうなのは、原子以下のレベルでのタイムトラベルである。たとえば量子テレポーテーションは、情報を時間経過なしに別の場所へ送信する技術であるが、もしその情報を元に物質を再構成できるなら、時空を超えて移動したことになる。ごく微小な物質レベルでは、タイムマシン、タイムトラベルが今世紀中に証明されるかもしれない。

タイムマシンという夢の乗り物を作る科学者たち。そのの試行錯誤を通して、先端の難解な研究をやさしくひもといてくれるおもしろい科学読み物。

・タイムマシン
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004825.html

・タイムマシンをつくろう!
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003584.html

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2007年07月03日

生物と無生物のあいだ

・生物と無生物のあいだ
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生命とは何か?

人は生物と無生物を簡単に見分けられるが、何が生命なのかと定義を問われると、明確には答えることが難しい。この世紀の難問に対して、分子生物学者の著者は、生命とは「動的な平衡状態」であり、「かたちの相補性」を原動力にするものだ、と明解で美しい答えを出す。

「肉体というものについて、私たちは自らの感覚として、外界と隔てられた個物としての実体があるように感じている。しかし、分子のレベルではその実感はまったく担保されていない。私たち生命体は、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかない。しかも、それは高速で入れ替わっている。この流れ自体が「生きている」ということであり、常に分子を外部から与えないと、出ていく分子との収支が合わなくなる。」
人間の細胞を構成する分子や原子は、年中、総入れ替えが行われている。1週間経つと分子レベルではそっくり別人だといわれる。しかし、原子レベルで入れ替わっても、個は同一の個のままである。生命は「現に存在する秩序がその秩序自身を維持していく能力と秩序ある現象を新たに生み出す能力を持っている」という特徴があるという。

そして、その平衡状態を維持する仕組みとして分子レベルの相補性があると説明している。相補性とは、パズルのピースが偶然その形であったとしても、結果的に隣り合うピースの形を規定してしまう、という関係性を指す。

「生命とは動的平衡にある流れである。生命を構成するタンパク質は作られる際から壊される。それは生命がその秩序を維持するための唯一の方法であった。しかし、なぜ生命は絶え間なく壊され続けながらも、もとの平衡を維持することができるのだろうか。その答えはタンパク質のかたちが体現している相補性にある。生命は、その内部に張り巡らされたかたちの相補性によって支えられており、その相補性によって、絶え間のない流れの中で、動的な平衡状態を保ちえているのである。」

動的平衡状態の具体例や、その発見に至るまでのエピソードたっぷりの生物学の歴史が、抜群に面白い読み物である。読ませ方がうまい。たとえば冒頭、お札にまでなった野口英世は、米国ではまったく評価されていないって知ってますか?という話題で始まる。野口英世の間違った研究アプローチが紹介され、それに対して隠れたヒーローが同時期にいたのですよ、という話が次の章で続く。気になる話題が連鎖していくので飽きることがない。

総論レベルで明快でわかりやすく、各論レベルで面白いエピソード満載の、科学読み物として名著だと思う。

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2007年02月06日

人類進化の700万年―書き換えられる「ヒトの起源」

・人類進化の700万年―書き換えられる「ヒトの起源」
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著者は人類700万年を1年のカレンダーにたとえている。二足歩行する猿人の誕生が1月1日とすると、脳の大型化と石器の使用が始まる原人が8月下旬に誕生する。複雑な知性や言語を持つ現生人類が現れるのは12月21日である。これは人類全体の歴史の3%を占めるに過ぎない。

その長い歴史の前半は大雑把にしかわかっていないので様々な仮説がある。二足歩行の起源については、「森林を追い出された類人猿が広大な草原で立ち上がったとき、二本足で歩く人類が誕生した」という説明や、アフリカ大地溝帯の活動でアフリカ東部が乾燥し森が減少し人類は樹上の生活をやめて大地に降りたという「イーストサイド・ストーリー」などがよく知られている。しかし、最近の研究ではどちらも疑いが持たれている説なのだそうだ。

なぜ人類だけが二足歩行を始めたのか。なぜアジアではなくアフリカの人類にだけ二足歩行が始まったのか。多くの仮説が完璧にはこれらの疑問に答えきれない。二足歩行するには、前段階として、それがしやすい骨格が必要である。しかし、二足歩行するために骨格が変化するはずはないので、偶然と必然が重なり合ったというのが真相だと著者は考えている。

「人類への進化は「前適応した祖先が折良く環境変化にでくわした」という偶然の巡り合わせの結果なのだろう。そのときに、直立歩行を促す遺伝子の変異が起きるという偶然も重なったのだろうか」

食糧を両手で運びやすかったからとする食糧供給説、エネルギー効率が良かったからとするエネルギー効率説、日射病回避説、威嚇、視野拡大説、海辺で有利だったからとするアクア説など、二足歩行をめぐる仮説は多数あるが決め手には欠けている。科学記者である著者はそれらを偏り無く紹介している。

証拠が少ない化石と年代測定のアプローチと比べると近年の遺伝子から見た最新の研究は面白い。人類進化はゆっくり進むように思われるが、世界の民族の遺伝子の分布を調べると1000年前頃に特定の遺伝子がアジアの人類の8%に急速に拡大していることがわかった。この遺伝子が有利な適応に働いたという形跡はなかった。ある研究者たちはこの時期にモンゴル帝国が領土を拡大し、土着民族の虐殺と支配者との結婚を繰り返したことに原因があるのではないかと結論した。チンギスハーン仮説というそうだ。一人の英雄の行動が何千年、何万年の人類進化を左右してしまう可能性がでてきた。

この本はジャーナリストが人類学の最新事情を一般人向けにわかりやすくレビューしてくれる。学校の教科書で習ったことがその後だいぶ書き換えられていることがわかる。人類史のアップデートにいい本だ

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2007年01月09日

図説 50年後の日本―たとえば「空中を飛ぶクルマ」が実現!

・図説 50年後の日本―たとえば「空中を飛ぶクルマ」が実現!
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東京大学と野村證券の共同研究として、50年後の未来について考える「未来プロデュースプロジェクト」の研究成果。15人の東京大学の各分野の研究者が、産業・生活・世界の3つのグループで討論した結果をわかりやすくまとめたもの。現在の科学技術の延長ではなく、ブレークスルーが起きることを前提として自由発想で未来を描いている。未来の予想の内容をあいまいにぼかさず、「2055年には「エアーカー」という今までの自動車とは異なる新しい車が生まれ、街中を走りまわります」みたいに言い切る潔さがかっこいい本。科学的根拠だけでなく、こんな形のものがあったらいい、社会にとってこういったものを築きあげる必要がある、という視点が予測の基本姿勢にある。

私が気になって付箋を挟んだ項目をリスト化してみた。

・地震の揺れを吸収する「考える土」
・服を入れるとクリーニングするタンス
・東京ー大阪間を30分でむすぶ超電導磁気式リニアモーターカー
・自家製ゴミ発電
・今日の体調に最適化する家庭用サプリメント製造機
・自分にぴったりのテーラーメイド美容液
・量子コンピュータ
・軌道エレベータで宇宙へ

科学技術の未来といえば宇宙開発が私は最初にイメージするのだけれど、地上3万6千キロの軌道までのエレベータをつくり6時間をかけて宇宙へ移動する軌道エレベータが構想されている。NASA出身の研究者達が設立したLiftport Groupでは一般投資家から投資を集めて、ちょっと気の長いカウントダウンまで始めている。

・Liftport Group Home
http://www.liftport.com/
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軌道エレベータのロードマップ

・LiftPort Group、さらなる宇宙エレベーターの開発テストに成功 (MYCOMジャーナル)
http://journal.mycom.co.jp/news/2006/02/22/364.html

コンピュータの進化では量子コンピュータ、ナノサイズの3次元トランジスタなどが実現されるという。バイオ分野では、イノベーションが人間の生命や健康に大きな変化をもたらす。

仕事柄、普段、パソコンの中でどんな新しいことができるか仮想技術ばかりを考えているのだが、この本に取り上げられた多くは現実世界を大きく変える技術が多い。発想を広げるデータブックとしてとても参考になった。

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2007年01月08日

情報時代の見えないヒーロー[ノーバート・ウィーナー伝]

・情報時代の見えないヒーロー[ノーバート・ウィーナー伝]
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「サイバースペース」「サイバー社会」「サイボーグ」の語源であるサイバネティックスの創始者ノーバート・ウィーナーのよみごたえのある伝記。知能早熟に生まれ14歳でハーバード大学に入学した天才少年は、MITの教授になり、情報理論の大家となる。だが、若い頃から奇行が目立ち孤立しがちであった。それに加えて戦争に研究成果が利用されることに強く反対し政治的な発言を繰り返したため政府の危険人物リストに載っていた時期もあった。後年は高名だが孤独であった。革命的な業績を残したにも関わらず、正当な評価を受けていない「見えない」ヒーローの一人である。

ウィーナーは10歳の頃に「無知の理論」という哲学論文を書いている。人間の知識は相対的で、すべて近似にのみ基づいているもので、不完全であるという内容だった。この相対主義的な考え方は、後年のウィーナーの研究にも影を落としているなと思った。サイバネティックスの中心的な概念である、負のフィードバックによる制御モデルも、系が不完全であるということが重要な前提となっている。ウィーナーは生まれ変わりを信じていたそうだが、これも循環因果論的な考え方を突き詰めるとそういう人生観になるのだろう。信念の人であった。

情報論の基礎を築いた論文としては、ウィーナーの弟子のシャノンの通信理論が有名である。シャノンは通信チャンネルを流れるビットの量が情報量だと定義したが、もともとシャノンはウィーナーの情報論にかなり影響されていたらしい。ウィーナーはシャノンより大きなビジョンを持っていたと認めている。

「シャノンは自分の研究に制限をかけて、理論の自分が進めた部分を、ある特定の純然たる技術的なところに限ったことを、あらためて認めた。ウィーナーによるサイバネティックスの使命と展望の特徴となる、大きな哲学的希求と、社会的関連ぬきの部分だった。「理論はビットをこちらからあちらへ移すことだけに関係する」とシャノンは繰り返した。「それが理論のコミュニケーションの部分で、通信工学者がしようとしていたことだ。意味を付与する対象となる情報はその次で、それは一歩先のことで、それは技術者の関心の対象ではない。そういう話は面白いんだけどね。」」

そのまさに面白い部分がいまWeb2.0の世界では注目されているのだと思う。

「ウィーナーの見方では、情報は、意味があろうとなかろうと、伝えるべきビットの列、つまり信号の連なりにとどまるものではなく、系における組織化の程度の尺度だった。」
ネットという系でもデータ量の増大によってエントロピーは増大している。その一方でタグや関連リンクの付与、ブックマーク数のランキングなど、人間がデータに意味を与えて組織化していく動きがある。データに間違いがあれば訂正や批判や無関心によって、修正が行われている。こうしたWeb2.0的コミュニティのあり方は、サイバネティックスの発想にとても近いものではないかと思う。

ウィーナーはサイバネティックス理論において、アナログで連続的な相互作用に注目していた。目的論を指向した時期もあった。これはデジタルの離散的で相互作用中心の情報論に対して、いま一度、古くて新しい革新をもたらすのではないか、と私は考える。Web時代の再評価として時機をとらえた和訳の出版に拍手。

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2006年11月12日

渋滞学

・渋滞学
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「自己駆動粒子」の研究。

自己駆動粒子とは、自分の意志を持って自発的に動く粒子のことで、道を歩く人間は典型例である。自己駆動粒子の動きは、ニュートン力学の3つの法則(慣性の法則、作用=反作用の法則、運動の法則)で動くニュートン粒子とは異なる。意識を持った人間は、近づいてくる他人をよけようとするし、前が空いていれば早足になる。水や空気の流れはニュートン粒子の流体力学で分析できるが、交通渋滞やインターネットの混雑の場合には、異なる分析アプローチが必要なのだ。

自己駆動粒子系の理論モデルとしてASEP(非対称単純排除過程、エイセップ)が近年注目されているという。ASEPとは、右か左か進む方向が決まっていて(非対称)、一人分の空間には一人の人しか入れない(排除)という、シンプルなルールでモデル化される過程である。ASEPのシミュレーションには、横に並べた箱の列に複数の玉を入れ、ルールに従って順次に動かしていくセルオートマトン法が適用できる。

最初に適当に箱の列に玉を入れておく。単位時間あたりに一回、すべての玉を動かすものとする。進行方向にある前の箱が空なら玉をひとつ動かす。前が埋まっていたら動かせないで一回休み。玉の数が増えるとお互いが邪魔で動けない玉の集団(クラスター)が発生する。これが大規模になると渋滞クラスターになる。遅れは後ろへ伝播する。箱の数に対して玉の数が半分を超えると、渋滞は発生するそうで、

「自由相から渋滞相への相転移の臨界密度は2分の1である」

というそうだ。つまり道の半分以上が埋まっていることが渋滞発生の条件といえる。この基本条件は、前が空なら2回に1回移動するというような移動確率を設定しても、2分の1という数字は不変だそうで、系の普遍的な性質であるらしい。

もちろん現実の交通渋滞にはその他の要素もたくさん影響している。運転手は考えながら車を走らせているので、車間距離を混雑状況に合わせて調整している。渋滞の直前には混んでいるけれども速く走ることができる「メタ安定状態」が見られる。渋滞回避への協調行動の成果である。しかし、その持続時間は通常は短いため、すぐに渋滞に陥る。メタ安定状態を長時間維持できる仕組みが発明されれば、素晴らしい渋滞ソリューションになりそうである。

追い越し車線がある場合には、混み始めると車線変更をする車が増えるが、追い越し車線のほうが遅いという逆転現象が起きる。だんだんと混んできた状況では走行車線を走る方がよいらしい。信号が青になって動き出す時間は1台あたり1.5秒で、前に10台いたら自分が動けるのは15秒後であるなどの実用的で面白い数字も明かされている。渋滞の大きな原因である「サグ部」の謎などは初めて知った。

人気店舗の待ち行列や、インターネットのパケット交換の渋滞など、車以外の渋滞の分析例も後半で多数扱われている。セルオートマトン法で分析する渋滞学はコンピュータ計算と相性がよいため、ITエンジニアが問題解決に貢献できそうな分野である。これからは、渋滞や長蛇の列に巻き込まれたら、この問題をじっくり考えてみよう、と思った。

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2006年11月06日

ビッグバンの父の真実

・ビッグバンの父の真実
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キリスト教の司祭でビッグバンの父と呼ばれる物理学者のジョルジュ・ルメートルの伝記である。理論の核となるアイデアを提唱したにも関わらず、ビッグバン理論の歴史書におけるルメートルの扱いは不当に小さい。定常宇宙論の提唱者でビッグバンという名前をつけたフレッド・ホイルや、ルメートルの「原初的原始」という着想を発展させた破天荒な科学者ジョージ・ガモフの方が有名かもしれない。

ルメートルの仕事は近年の物理学、天文学の進展によって、画期的なものであったと再評価が進んでいる。サイモン・シンのビッグバン宇宙論でも肯定的な記述が多かった。ルメートルはアインシュタインと親交を結びよく議論した人物だ。

・ビッグバン宇宙論 (上)(下)
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004613.html

アインシュタインは相対性理論で宇宙の成り立ちを数学的に説明するときに、当初は宇宙定数Λ(ラムダ)を導入した。この定数を式に組み込まないと宇宙の構造が安定しないマジックナンバーであった。しかし、その値は当時は観測に基づくものではなく、式を成立させるための道具的で、恣意的な要素であったため、アインシュタインは後年、Λの導入は大きなミスであったと自説を否定した。

一方、ルメートルはアインシュタインが翻意したあとも、それは恣意的な要素ではなく、まだ観測されていないだけの本質的な要素であると考えて強く支持していた。近年、宇宙観測の技術が進歩し、宇宙背景放射が確認されるに至って、はじめてその考えの正しさが証明されつつある。

ルメートルの名前が科学史に埋もれがちな理由のひとつが、彼が科学者であると同時に宗教家であったからだといわれる。高エネルギーから宇宙が生まれたとするビッグバンは神の創造を連想させる。ルメートルの言うことは、非科学的なのではないかと疑われてしまうのだ。

しかし、ルメートル自身はそのキャリアの最初から、科学と宗教を厳密に切り分けてきた。宗教との関係についてこう発言している。


 聖書の執筆者は皆、人間の救済という問題について何らかの答えを得ていました。それがどの程度の水準だったかは人によって違ったでしょうが。それ以外の問題については、彼らの同時代人たちと同じ程度に賢明、あるいは無知だったのです。ですから、聖書のなかに、歴史的・科学的事実に関する誤りがあるとしても、それは何の意味もないものです。その誤りが、それについて書いた人が直接観察したのではない事柄についてのものである場合は、特にそうです。
 不死や救済の教義に関して彼らが正しいのだから、ほかのすべての事柄についても正しいに違いないと考えることは、聖書がいったいどうしてわたしたちに与えられたのかということを正しく理解していない人が陥る誤解です。

だから、時の教皇ピウス12世が、ローマ教皇庁科学アカデミー議長もつとめたルメートルらの発見は神の創造を科学的に証明したものだと発言した際には、頭を抱えてしまった。後に、それとこれとは関係ないのですと教皇に進言しさえもした。

・ジョルジュ・ルメートル - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB

そしてルメートルはコンピュータを使いこなす「ハッカー」の草分けであったとも言われる。晩年はビッグバン宇宙論の前線からは退いて、当時まだ珍しいコンピュータによる数値計算の分野で業績を上げた。謙虚な性格であったためか、コンピュータの歴史でもあまり登場しないのは残念だ。

この本では、ルメートルの視点から見た、もうひとつのビッグバン宇宙論の歴史が語られている。ビッグバン宇宙論とは科学の言葉で書かれた現代の神話であると思う。科学と宗教の中間にいながら、自己矛盾することなく、その神話の創造に参加した稀有なバランス感覚の天才だったようである。

・ガリレオの指―現代科学を動かす10大理論
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002797.html

・はじめての“超ひも理論”―宇宙・力・時間の謎を解く
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004230.html

・ホーキング、宇宙のすべてを語る
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004047.html

・奇想、宇宙をゆく―最先端物理学12の物語
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003562.html

・科学者は妄想する
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003473.html

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2006年10月25日

人間はどこまで耐えられるのか

・人間はどこまで耐えられるのか
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人間はどのくらい高く登れるのか、深く潜れるのか、速く走れるのか、どのくらいの暑さ、寒さに耐えられるのか、宇宙では生きていけるのか。オックスフォード大学の生理学部教授が書いた、生命の極限状況を見極める研究レポート。

冒険者やアスリートの挑戦、遭難者の体験、科学者の人体実験から集めた極限の数字が紹介される。

暑さ 50度
寒さ マイナス数十度、風速による
高さ 8000メートル(偶然にも最高峰と同じレベル)

くらいが普通の限界だそうだが、それを超えて生き延びる人たちのサバイバルのノウハウは、いざというときのために覚えおくと良さそうである。一般的な限界と超人的な肉体の持ち主の限界はかなり違うのだということもわかる。

どのくらい速く走れるか、では、陸上競技の選手の例が分析される。

オリンピックを見ていて思うのは記録はどこまで更新されるのかという素朴な疑問。毎年のように何らかの競技の世界新が更新されているが、無限に更新されるわけもないはずだ。Wikipediaには、この100年の100メートル走の記録の推移がグラフ化されている。100年で1秒も速くなっているが、更新間隔は狭まって頭打ちになっていくようにも見える。
・World record progression 100 metres men - Wikipedia, the free encyclopedia
http://en.wikipedia.org/wiki/World_Record_progression_100_m_men
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「World record progression for the men's 100 m」

誰でも練習で運動能力は向上するが能力の限界は遺伝子によって決まっているらしい。遺伝子を改造すると8秒台ランナーも出てくるのかもしれない。

どれくらい深く潜れるのかの章を読んでいて、映画「ザ・ダイバー」を思い出した。ロバート・デニーロも出演する感動の人間ドラマ。主人公は20世紀前半の米国海軍の潜水士。黒人として初めてダイバーの資格を得ようと努力する。当時、潜水は極めて危険な職業であった。

・ザ・ダイバー〈特別編〉
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水圧や酸素不足との戦いはこの本でも解説されている。水圧調整が効かない昔の潜水服では「最悪の場合、空気を送り込むホースと潜水服のあいだにある逆流防止のバルブが水圧で壊れ、「ダイバーの血液と肉がホースをつたって吸い上げられ、潜水服には骨の一部と肉の破片しか残らない」」。

この他、著者は、宇宙探査における人間の生理や、無酸素、強酸性に生きる生命の研究など、人間と生き物の可能性を徹底的に分析している。

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2006年09月12日

世界でもっとも美しい10の科学実験

・世界でもっとも美しい10の科学実験
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科学史において重要な役割を担った実験のうち、「美しさ」を基準に10個を取り上げて解説する。

・エラトステネスの地球の外周の長さを求める実験
・ガリレオがピサの斜塔で落下の法則を確認した実験
・ガリレオが慣性の法則を確認した実験
・ニュートンがプリズムで確認した光の分散の実験
・キャヴェンディッシュの万有引力定数を求める実験
・ヤングの光の干渉に関する実験
・フーコーの振り子による地球自転を確認する実験
・ミリカンが電気素量を求めた油滴実験
・ラザフォードが原子核を発見したα線の散乱実験
・ファインマンの量子力学に関する2重スリットの思考実験。

著者は雑誌「フィジックス・ワールド」で読者に、一番美しいと思う実験を挙げてくれるように頼んだ。300以上の実験が読者から推薦され、その中でも最も数が多かった10件が上のリストである。

著者は美しい実験が持つ要素を次のように定義した。

・深いこと
 結果が基本的であること
・効率的であること
 各部が経済的に組み合わされていること
・決定的であること
 結果として生じるのは実験にではなく、世界や理論へ、の疑いであること


美しい実験は、自然について深い事柄を明らかにし、しかも世界に関するわれわれの知識を塗り替えるようなかたちでそれを成し遂げる。

19世紀の物理学者マイケル・ファラデーはロウソクは美しいと言った。


ファラデーにとってロウソクが美しいのは、その機能がいくつもの普遍法則の上に、エレガントかつ効率的に成り立っているからだった。炎の熱はロウを溶かすが、その一方で上昇気流を生み出し、縁のほうのロウを冷ます。その結果として、融けたロウを溜めておくカップ状のものができる。そのカップの中で、ロウの表面は水平に保たれる。なぜなら、そこには「地球をひとまとまりにしているのと同じ重力」が働いているからだ。融けたロウは毛管現象によって、芯の根元のところにあるカップから上部の炎のところまで引き上げられる。一方、炎の熱のためにロウの中で化学反応が起こり、炎が燃え続ける。ロウソクの美しさは、ロウソクが依って立つ科学法則の入り組んだ働きと、法則同士を結び合わせる効率の高さにこそある、とファラデーは言うのである。

影の長さを測る、重いものと軽いものを同時に落として同時に落ちることを確認する、長いロープの先に錘をつけて垂らす。そんな簡単な実験をするだけで、地球の大きさや、物体の運動法則、地球の自転といった根源的なことがわかってしまう。

数式の美しさはよく言われることだが、一方、失敗や誤差も生じる実験は、美しくないものとされてきたと思う。著者はこうした風潮に対して、優れた実験は本当は美しいのだと、歴史上の傑作を例示して、説明して見せた。

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2006年09月11日

世界の終焉へのいくつものシナリオ

・世界の終焉へのいくつものシナリオ
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核戦争、巨大隕石の衝突、インフルエンザ・パンデミック、気候の大変動、環境破壊、ナノテクノロジーの暴走など世界の終焉を科学する本。

「地球最後の日」を29通りのシナリオで描いている。

それぞれのシナリオで、
・いったい何が起きるか?
・それは過去に発生したことがあるか?
・それは現実に起こりうるか?
を分析する。

そして、発生する可能性、起きた場合のダメージ、危険度を10段階で評価している。29のシナリオは、科学技術の叛乱、戦火の火種、生態系の断末魔、気候の大変動、不測の天変地異の5つの章に分類されている。

この本の「世界の終焉」とは現代文明や、人類という種が回復不能なダメージを受けて、滅亡してしまう全滅状態を指す。新型インフルエンザの大流行や核戦争が起きる可能性はそれなりに高いし、数千万人や数億人の犠牲が発生するかもしれないのだが、全滅とまではいかないようだ。

これに対して、小惑星の衝突や、粒子加速器の実験の暴走によるブラックホールの生成などは全滅の可能性が高いが、発生する確率が極めて低い。また起きてしまった場合の対策手段もほとんどないに等しい。あまり心配しても意味がなさそうである。

世界の終焉シナリオには、自然が引き起こすものと、人間が引き起こすものがあるが、前者で危険性が高いのは「超火山の爆発」であった。地球の歴史上、最後の超火山の噴火は7万3500年前に起きており、3000〜6000立方キロメートルの噴出物が大気圏に吹き上げられ、太陽光の99%を6年間に渡って遮断した。この時期の人類はほとんどが死亡して、わずか数千人が生き延びることができたらしい。有名な場所としては、米国イエローストーン国立公園の火山が超火山にあたり、65万年周期で爆発している。そしてちょうど我々の生きている時代が前回から数えて65万年後にあたるという。

人為的な終焉として危険性が高いのは、環境汚染と生態系の破壊による、いくつかのシナリオである。実際、人類の歴史上、多数の文明がこうした原因で滅亡してきた。「大量消費と資本主義的な生活様式」が地球規模の持続可能性を破壊する最大の脅威であり、それに対しては、できることがあるはずだと著者は結論している。

世界の終わりを現実的に、科学的に考えるユニークな内容。

・文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004210.html

・文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004218.html

・感染症は世界史を動かす
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004403.html

・インフルエンザ危機(クライシス)
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004247.html

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2006年08月24日

物理学の未来

・物理学の未来
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ノーベル物理学賞受賞者ロバート・B・ラフリンが語る物理学の未来。

16章のエッセイを通じて、科学における還元主義の終焉と、創発主義の時代の到来を予言している。

「私は時代という考え方が好きではないが、しかし現在、科学が還元主義の時代から創発の時代へと変わりつつあり、物事の究極の原因探しが部分の振る舞いから集団的な振る舞いへと移行しつつあるという、好ましい状態になるかもしれないとは考えている。」

創発の代表例として物質の相転移が挙げられている。相転移がいつ起きるかを、その物質を構成する原子ひとつを見て、演繹的に言い当てることは不可能だ。相転移は集団的な現象であって、原子ひとつでは起きないからだ。多は異なり。たくさんの原子が集まって、何らかの条件で系が組織化されているとき、相転移は起きる。マクロなレベルでは条件は安定しているから、水が沸騰する条件は容易に言い当てあることができる。

「「ミクロな法則は真であり、おそらく相の原因となりうる。したがって、演繹的に証明はできないものの、ミクロな法則が相の原因であると確信できる」。この主張は信頼でき、私は正しいと考えているが、「原因」という言葉に普通とは違う意味をもたせるという、奇妙なニュアンスを帯びている」

伝統的な科学は物質の究極的な基本構成要素を探してきた。顕微鏡の精度があがるたびに、分子や原子、電子や陽子や中性子、クォーク、そして超ひもなどの、より小さな単位を発見した。しかし、量子レベルの振る舞いは、マクロのレベルとはまったく異なる法則に支配されていることも知った。

それでもなお多くの科学者は、法則をたくさん発見して束ねていけば、万物の振る舞いを説明することができると信じている。この決定論的還元主義に固執する態度に対して、著者は強烈に異を唱えている。

なぜそうなるのかを第一原理から演繹することができないのが、創発現象である。創発主義では、単純な存在が集まることで新たな自然法則を生み出していると考える。そこでは法則が組織化を作り出すのではなく、組織化が法則を作り出している。

著者はノーベル賞受賞者のパーティで「今でもアインシュタインは正しいのか」という質問に対してこう答えている。

「アインシュタインの考えは確かに正しく、その証拠は日々目にできるが、この質問が本当に意味しているのは、相対論が正しいかどうかというよりも、数々の基本的な事柄は重要なのかどうか、そしてそれらはまだ発見されていないのかどうか、ということだろう。」

そして、究極の微細な構造を操作するナノテクノロジーや、測定精度があがれば科学が終焉すると言う考え方に対して、徹底的に批判を浴びせている。そこを探せば無数の未知の現象やミクロの法則が見つかるだろうが、それらを再構成しても私たちが知りたい世界の説明は見つからないだろうと予言している。

この本は全編が皮肉とユーモアにあふれている。優秀な若者がシリコンバレーのベンチャーに身を投じることや、科学的な創造性を捨てて実利の技術や、政治的に注目されている課題に注力する若手を冷笑する。現代物理学の権威の大放言大会であるが、科学の未来への情熱がギンギンに感じられて、圧倒される。

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2006年08月22日

人類が知っていることすべての短い歴史

・人類が知っていることすべての短い歴史
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面白い教科書がないと考えたベストセラー作家ビル・ブライソンは3年間をかけて、多数の科学者に取材し、世界の成り立ちすべてを、わかりやすく説明してみせた。677ページもあるので持ち歩いて電車で読むには重い。寝床で寝転がりながら、少しずつ、大切に読み進めた。読む価値のある科学史の名著。

ビッグバンによる宇宙の始まりから、地球が誕生し、生命が生まれ、進化し、人類が誕生するまでの百数十億年の歴史が30章で語られている。各章には最新の科学でわかっている事柄と、それを解明した科学者のドラマが詰まっている。

一般読者向けのわかりやすい要約が素晴らしい。たとえば、アインシュタインの特殊相対性理論の方程式 E=mc2についてはこんな風に説明している。


学校で習ったのを思い出す人もいるだろうが、方程式のEはエネルギー、mは質量、c2は光速度の二乗を表わす。ごく簡単に説明すれば、この方程式は、質量とエネルギーが同等であることを意味している。それらふたつは、異なる形態を取った同じものと言える。エネルギーは解放された物質で、物質は解放を待つエネルギーなのだ。C2は桁外れに大きな値だから、つまりこの方程式は、あらゆる物質に大量の───とてつもなく大量の───エネルギーが閉じ込められていることを示す。

どのくらい大量かの具体的な説明が続く。比喩でビジュアライズするのがうまい。

科学の授業らしく、本論を脱線して興味深い逸話をたくさんとりあげる。


今までに科学調査を目的に行われた現地調査のなかで、参加者同士が最も不仲だったものを選べといわれたら、1735年にフランス王立科学アカデミーが派遣したペルー調査隊を挙げておけば、まず間違いはない。水文学者のピエール・ブーゲと軍人で数学者のシャルル・マリー・ド・コンダミンに率いられてペルーに赴いた一隊だ。目的はアンデスを山越えしての三角測量。

地球の大きさを測るには、フランスで測っても同じなのに、そのほうが冒険的だからというだけの理由で、アンデスへ赴き、無為に10年を過ごした探検隊の話だった。科学者なのに合理的に振舞わない人たちのこうした悲喜劇は意外な発見につながったりもしていることを教えてくれる。

「知っていることすべて」を集めても、人類はまだ宇宙がどのようにして始まったのか、生命がどうして誕生したのかなどの大問題について、ほとんど答えることが出来ない。科学は最新の仮説を提供しているだけで、ある意味、神話と同じかもしれないと感じた。


事実、非常に基本的なレベルでさえ、わからないことがあまりにも多い。とりわけ不思議なのは、宇宙が何でできているのかという点だ。宇宙全体を維持するために必要な物質の量を科学者たちが計算すると、いつもはなはだしい不足が生じる。少なくとも宇宙の90パーセント、おそらく99パーセント近くが、フリッツ・ツヴィスキーの唱えた”暗黒物質”でできているらしい。

この本を読むと、最新の仮説集である近代科学の全体像が一望できる。分厚い本だが、科学の数百年分の要約であるから「短い」のだ。大変な満足感を味わえる一冊。おすすめ。

・ガリレオの指―現代科学を動かす10大理論
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002797.html

・ビッグバン宇宙論 (上)(下)
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004613.html

・はじめての“超ひも理論”―宇宙・力・時間の謎を解く
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004230.html

・ホーキング、宇宙のすべてを語る
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004047.html

・奇想、宇宙をゆく―最先端物理学12の物語
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003562.html

・科学者は妄想する
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003473.html

・プリンストン高等研究所物語
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003621.html

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2006年07月24日

生命 最初の30億年―地球に刻まれた進化の足跡

・生命 最初の30億年―地球に刻まれた進化の足跡
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5億年前のカンブリア紀の進化の大爆発以後を取り上げた生命史の本は数多いが、この本は生命発生からカンブリア紀までの30億年間を取り上げている。哺乳類も恐竜もまだ誕生していない。酸素も十分にない古代の地球の海で、生命が初めて発生した瞬間を追うのが前半の主なテーマ。

著者は古生物学の大物。数十億年前の地層に、微生物の痕跡を見つけては研究している。
無生物から生物がいかに生まれたか。つまり、自然界のエネルギーで単純な分子が結合を繰り返し、複雑な化合物をつくり、ついには自己複製が可能になるシステムを生み出すにはどのような条件が必要であったか、を著者は岩石を顕微鏡で観察することで探るのである。


ここでわれわれは物理的なプロセスで形成できるほど単純でありながら、命ある細胞への進化の土台となる程度には複雑な分子群について考える必要がある。そのような分子には、みずからを複製でき、またいずれは複製の効率を上げる触媒化合物の合成を命じられるだけの情報や構造が備わっていただろう。さらにこの分子は、成長に必要な分子を周囲の環境から取り込むのではなくみずから合成し、化学エネルギーや太陽エネルギーを細胞の活動の燃料にくべ、生命誕生の物理的なプロセスから脱却して進化をたどれるようにした。」

著者はDNAとたんぱく質の間で情報を仲介するRNAが重要な役割を果たした分子なのではないかと考えている。RNAは、現在はDNAの情報転写のメッセンジャーとして脇役的に理解されているが、単体でも情報を蓄え、自己複製することがわかっている。RNAが生命起源なのだとすれば、それを生み出した原始地球の環境はどのようなものであったのか。最新の地質学の知識を使って、生命誕生の瞬間(といっても数百万年、数千万年の期間らしい)が描かれる。

過去の地球に大規模な氷河期と大量絶滅があったとする「スノーボールアース」説や、隕石や火星探査による生命起源の宇宙由来説など、最新の仮説も検討される。最初の30億年は最近の5億年よりも謎に満ちている。無生物から生物が生まれるという過程を科学者の言葉で説明する良書。

・眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004466.html

・へんないきもの
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002635.html

・生物多様性という名の革命
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004501.html

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2006年07月13日

数学と論理をめぐる不思議な冒険

・数学と論理をめぐる不思議な冒険
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論理、無限、確率という数学的思考をめぐるエッセイ集。語られる内容は硬いが、各章が著者の体験の回想だったり、歴史上の数学者の物語風になっていたりと、読み物として読みやすくする工夫がされている。

第一部では「論理的に証明されて正しいことがわかる」という数学の常識について検討している。論理的に証明することと、正しいとわかることは別物である。論理的な証明がなくても正しいと感じることはできる。逆に、想像しがたくても論理的にはありえる体系をつくることができる。では論理的に納得する、正しいと信じるとはどういうことか、をテーマに著者の体験談や古今の哲学者、数学者の思考が、物語的に次々に語られる。ある論理体系は、別の論理体系より、より正しいというのではなくて、世界を理解するために、より便利だから選択されているという考え方もできる。

こんな風に数学についての概念を、ときに哲学的に著者は考察を重ねていく。ユークリッドからゲーデルまで、古今東西の天才数学者や科学者たちの物語もたっぷり織り込まれている。

個人的には医師アンドルー・ワイルの「四つ葉のクローバー探しの名人女性」の話が面白いと思った。アンドルー自身は四つ葉のクローバーをいくら探しても見つけられない。だがこの女性は常に見つける。「この人はクローバーがあるところには、必ず四つ葉のがあってそれが見つかるのを待っていると信じている。見つかるのには、そのことが鍵だということを悟った。そう信じると見つかる可能性が出てくる。そう信じていなければ可能性はない。」。

証明が真かどうかを証明する前から、それが真だと信じていることが、証明を成功させる可能性につながっている。疑うことが大切というだけではなくて、むしろ信じるということが科学者の創造性の源にある。

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2006年07月05日

ビッグバン宇宙論 (上)(下)

・ビッグバン宇宙論 (上)
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・ビッグバン宇宙論 (下)
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世界最高のサイエンスライター、サイモン・シンの邦訳最新刊。

・フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004192.html

・暗号解読―ロゼッタストーンから量子暗号まで
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004028.html

上記2冊に次ぐ3冊目である。訳者も同じ青木 薫。前2作はウルトラ級の傑作であり、科学の本なのに目頭が熱くなる体験をした。知識と感動の科学本を生み出すコンビであるから、期待は高まる。予約して発売日に入手した。

世界の神話や聖書の宇宙創造物語から始まって、天動説と地動説、コペルニクスとガリレオ、ニュートンとアインシュタイン、ビッグバン宇宙と静的な宇宙、ビッグバン宇宙と定常宇宙など、ビッグバン宇宙論が科学の世界で確立されるまでの長い歴史を丁寧に追っていく。人間ドラマと学説のわかりやすいサマリーがあるので、難解なテーマも易しく読める。

ビッグバンをめぐる最大の議論は、

「宇宙は過去のある時点で創造されたのか、それとも、永遠の過去から存在していたのか?」

ということであった。始まりがあったということを証明するためには20世紀をまるごと必要とした。宇宙の始まりを証明するという途方もない仕事が、いかにして為されたかを知るためには、アインシュタインの相対性理論その他の理解が必要になる。上巻は20世紀の物理学を振り返り、ビッグバン大論争の理解の準備にあてられている。

この本が扱うのはCMB背景放射の発見(1960年代)と、放射の微小なゆらぎの発見(1992)によって、ビッグバン・モデルが大枠として正しいと確定されるところで終わっている。それ以降の最新理論は出てこない。また科学史や宇宙論が好きな人にとっては、既知の事柄が多いため、フェルマーや暗号のときのようなドキドキは少ない。

あとがきでも訳者が、この本を評して、「エース投手」による「直球ど真ん中」で「王道」の切り口の本と書いている。難解な事柄が絶妙に要約され、わかりやすく頭に入ってきて整理される感覚は相変わらず。宇宙論の入門として傑作であると思う。

・ガリレオの指―現代科学を動かす10大理論
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002797.html

・はじめての“超ひも理論”―宇宙・力・時間の謎を解く
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004230.html

・ホーキング、宇宙のすべてを語る
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004047.html

・奇想、宇宙をゆく―最先端物理学12の物語
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003562.html

・科学者は妄想する
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003473.html

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2006年06月07日

科学者という仕事―独創性はどのように生まれるか

・科学者という仕事―独創性はどのように生まれるか
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授業では、本論よりも、余談として語られる偉人のエピソードの方が、強く印象に残ることがある。この本は各章が、偉大な科学者の名言と逸話で始められている。アインシュタイン、ニュートン、チョムスキー、朝永振一郎、寺田寅彦、ラモン・イ・ハカール、ダーウィン、キュリー夫人。

この本は、科学とは何か、研究とは何か、そして科学者とはどのような仕事か、を第一線の研究者である著者が、研究者を志す人たちに向けて講義する内容。科学者としての創造性に焦点があてられている。

研究発表の心構えについて触れた章が、個人的に参考になった。

ビジネスセミナーや授業で何かを話すとき、何を話すかは大抵、あらかじめ決まっている。問題はどう話すかなのだけれど、前提として、どこから話すか、の問題があるよな、と思っていた。あまりに基礎的なレベルから話すと、専門家の聴衆は退屈だろうし、逆に専門外の聴衆はついていけなくなってしまう。話すものはどのような態度でのぞめばいいのか。

この本では発表のコツとして、1に正しく、2に分かりやすく、3に他人本位で話せ、とある。3つ目に関連して、M・デルブリュックによる良い研究発表の条件が紹介されていた。

1 聴衆は完全に無知であると思え
2 聴衆は高度な知性をもつと考えよ

そして、その改良版の「堀田の教え」も大切という。

1 聴衆は完全に無知であると思え
2 聴衆の知性は千差万別であると思え
3 聴衆がおのおの自身より一段上のレベルまで理解できるようにせよ

3について解説を引用。


よく考えてみると、聴衆の中に知性の低い人がいるかもしれないなどと心配する前に、話をする自分より賢く知性の高い人がいることが予想されるのである。その人も講演に触発されて、話をする人よりもさらに高いレベルに達するようにすべきなのである。それでこそ話をする意味があるのである。あとでその人からのフィードバックを受けることによって講演をした自分も新しい理解に到達できれば、真のコミュニケーションが成立したことになるのである。

基本からわかりやすくは当然として、自分よりも上の人にも、新しい発想の材料を提供できるようにせよ、とのこと。なるほどねと深く納得。


ところで研究者向けの”人生ゲーム”を人工知能学会が開発したそうだ。ゲームをしながら研究者の人生をシミュレーションできる。資金やポストの獲得競争のような要素があるらしい。今度、誰かとやってみよう。

・News | 国立情報学研究所
http://www.nii.ac.jp/news_jp/2006/04/it_1.shtml
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「IT研究者のためのゲーム型キャリアデザイン学習教材の紹介」報道発表・プレスリリース資料

・Happy Academic Life 2006ゲーム大会
http://academiclife.jp/

私たち6人は研究者のキャリアを体験できる,Happy Academic Life 2006というボードゲーム型の教材を約一年間にわたる週末集会の場において開発しました.

研究者がアカデミックな世界で生き抜くには,その世界に応じたキャリアデザイン能力が必要です.私たちは,若手研究者がそういった能力を学ぶことを支援するために,(社)人工知能学会の20周年記念事業「AI若手研究者のためのキャリアデザイン能力育成事業:幸福な研究人生に至る道」において,この教材を企画・制作しました.

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2006年05月17日

生物多様性という名の革命

・生物多様性という名の革命
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生物多様性(biodiversity)という概念についての研究。

生物多様性ということばには、科学的価値、政治的価値、社会的価値、精神的価値、美的価値など、あらゆる意味が内包されている。科学者は生命多様性の中に無限の潜在価値を見出している。環境運動家はこのことばを使って絶滅危惧種を守れといきまく。経済におけるエコロジー運動のお題目としても使われる。科学のことばであるにも関わらず、生物多様性ということばの裏側には、特定のベクトルを持った規範の観念や価値観が感じられる。

生物多様性ということばの指す意味は曖昧である。23人の著名生物学者へのインタビュー内容がこの本には抜粋収録されているが、多くの学者が生物多様性と自然ということばの違いを説明できなかった。自然はわかちがたく結びつき、相互作用しているので、ある種が他の種よりも重要だという判断はできない。パンダやトラも重要だが、そこらへんにいる名も知れぬ昆虫や、ありふれた小動物も、生態系に固有の役割を果たしている。

政治的に取り決められた絶滅危惧種リストの内容は恣意的なもので、人間が親近感を持ちやすい動物が選ばれやすい。本来は絶滅に瀕していようが繁殖していようが、生態系において固有の価値を持つという点ではすべての種が同列にある。よって、生物多様性が大切ならば、あらゆる自然を救わなければならないということにもなる。

全体論的な価値のある生態系に優先順位をつけることはできない。だから「生物学的な多様性の維持とは、”あらゆることの維持”の別の言い方と考えられる」という定義も引用されている。生物多様性は、強すぎるドグマの側面を持つ。

著者が本書で試みたのは、絶対視されがちな生物多様性の概念を、徹底的に相対化することであった。多数の有名生物学者にインタビューを行い、価値中立であるはずのこの概念が、いかに非科学的な価値観に装飾されてしまっているかを暴き出す。人間は生来的に自然や生命を好むバイオフィリアという習性も一因とされている。

確かに生物多様性の重要性はあらゆる文脈で肯定されている。極めてポリティカリーコレクトな概念である。「持続可能な発展」と同じように、これはキャッチフレーズでもあるのだ。だから科学者が使うには危険なことばであると警告している。同時にこれほどまでに多様な観点から、価値が認められる概念は少ない。たんなるキャッチフレーズではなく、生物多様性は私たちにとって本質的に重要なものなのだということを著者は同時に伝えたいようだ。

ところで現代社会では生物ということばをとっぱらって、多様性ということばだけでも社会的に肯定される価値を持っている。たとえば「多様な意見」があることはいいことだとされる。外資系の会社では男女比や人種比をDiversityといい、多様であることが制度的に求められる。おそらく封建主義的、全体主義的な時代には多様な状態はここまで無前提に肯定されなかったのではないか。近代の生物多様性という科学的概念の発見が、現在の社会的な多様性のドグマを生み出した一因になっている気がした。

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2006年05月01日

眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く

・眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く
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生物進化史上、5億4300万年前のカンブリア紀は一大イベントであった。それまではゆっくりと進化していた生物が、この時期に、爆発的に多様になった。カンブリア紀の大進化と呼ばれる大きな謎に対して、「眼の誕生」がその原因であったという仮説が展開されている。

生物進化において、嗅覚・味覚、聴覚、触覚など他の感覚器官は直線的に緩やかに進化してきた。これに対して視覚はカンブリアの大爆発で一気の進化を遂げているという事実がある。

眼の誕生と爆発的進化の関係を、メディアの進化にたとえて説明している。


日々の政治ニュースは、テレビ、ラジオ、新聞から受け取れる。これら三つの異なる形式のニュース制作者は、仕事の処理方法がまるで異なる。歴史的に見ると、まず最初に新聞が登場した。新聞記者がニュースになりそうな現場をまわり、取材したことを紙に印刷して家庭に送り届けた。電報や電話が導入されたことで、新聞記者の仕事は楽になった。というより、新技術の出現によって仕事に若干の変更が生じた。環境の変化に呼応して新聞記者が「進化」したともいえる。

ラジオの登場によって記者のノウハウはさらに変化し...

<中略>

そこに重要な変化が訪れた。テレビの発明である。

視覚の誕生により、捕食者の活動が活発になった。最初の眼は三葉虫に備わったとされる。新聞とラジオだけだった情報戦にテレビがいきなり加わったのである。視覚による探索を行う捕食者は圧倒的に強かった。それを逃れるために被捕食者も視覚や形態、体色などを生き残りのために急速に進化させていった。

やがて、異性をひきつけるためにも視覚は利用された。性淘汰の圧力としても視覚は重要な役割を果たしはじめる。光がすべてにスイッチを入れたのである。

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先日、小田原城の公園で撮影した、羽を広げたクジャクの写真。実物を間近でみると迫力がある。視覚の役割の大きさがよくわかる。この本のカラーページには、古代の生物の体色を復元した挿絵が多数ある。虹色に輝く不思議な生物たちの姿に驚かされる。

カンブリア紀に「光スイッチ」が入った理由としては、太陽の活動の活発化と大気成分の変化などが挙げられている。地球が明るくなったのだ。この時期に、惑星レベルのゆるやかな変化が、大気中の化学成分の変化などの臨界点を超える出来事を引き起こしたらしい。環境における光量が増え、より複雑な眼を持つ生物が発達したと著者は説明している。

カンブリア紀の大爆発の原因を、地球環境の変化ではなく、眼の誕生という生物側の事情に求めて、説得力ある仮説を展開している。進化論を考える上でとても面白い一冊。

・へんないきもの
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002635.html

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2006年03月30日

知識と推論

・知識と推論
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知識情報処理、人工知能研究の素晴らしい入門書。

この本の扱う「知識」とは「人によって認識され、明示的に記述された判断の体系」のこと。人によって確認された「事実」、日常的に使う「ルール」、「法則」、「常識」、「ノウハウ」、「辞書」などをさしている。そして「推論」とは「既存の知識を組み合わせて新しい知識を作ること」と定義される。

こうした知識には次の5種類のカテゴリがある。

1 宣言的知識と手続的知識

2 理論的知識と経験的知識

3 浅い知識と深い知識

4 ドメインの知識とタスクの知識

5 オブジェクト知識とメタ知識

一方、推論には3つのカテゴリがある。

1 演繹と帰納と発想推論

2 完全な知識に基づく推論と不完全な知識に基づく推論

3 オブジェクトレベルの推論とメタレベルの推論

こうした定義で、知識を扱う推論システムを構築するために、必要な概念や操作の仕組みが総合的に解説されている。薄い本だが無駄がない。”考えるコンピュータ”をどう作るか、基本知識が集約されている。知識表現、論理式による情報処理、代表的な人工知能のモデル、状態空間による問題解決法など、目次は以下の通り。

第1章 はじめに
第2章 問題の表現と探索
第3章 論理による推論
第4章 基本的な知識表現と推論
第5章 ルールを導く推論
第6章 仮説に関する推論
第7章 あいまいな知識に基づく推論
第8章 類推と事例ベース推論
第9章 時間に関する推論
第10章 法律における推論

知識表現やオントロジーについては、言語やフレームワークの紹介が少しあるが、実装レベルの話はあまりない。説明のほとんどは論理式で記述される。飽くまで実装の前に、基本をおさえるための良書。知識、推論だけに特化している貴重な本である。

Web2.0の次に、Web3.0があるとすれば、それは情報のレイヤーのひとつ上、知識のレイヤーを扱うものであると思う。メタデータが情報に意味を与え、Webサービスがサーバ間での情報の統合や変換を実現する。その後には「考えるコンピュータネットワーク」の時代、知識情報処理の時代が到来すると思っている。

Google、Yahooを超えるものを作るヒントがこの本に隠されているような気がした。

・メタデータ技術とセマンティックウェブ
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004304.html

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2006年03月22日

量子が変える情報の宇宙

・量子が変える情報の宇宙
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大変面白かった。

原題は

Information The New Language of Science

科学の新しい言語 情報とは何か?

古典理論から最新の量子力学まで情報論の歴史と最前線が語られる。

■物質世界と情報

「ブラックホール」の名付け親である偉大な理論物理学者、ジョン・アーチボルト・ウィーラーは、科学の根源的な疑問「ビッグクエスチョン」を5つ設定した。

・いかにして存在したか
・なぜ量子か
・参加型の宇宙か
・何が意味を与えたか
・ITはBITからなるか(ITはInfoTechではなくて”それ”、実在の意)

中でも最後のクエスチョンは「真のビッグクエスチョン」とされ、ウィーラーはその意味を「”IT”すなわち物質世界は、その全体あるいは一部分が、”BIT”、すなわち情報から作られている」と語っている。

20世紀までの物理学では長い間、物質の最小構成単位やエネルギーとは何かが主な問題であった。物質の正体を暴くべく、分子や原子、電子といった極小の構成単位が次々に発見されていった。その正体はエネルギーとして記述された。アインシュタインの方程式 E=MC^2も、Eはエネルギーである。物質の皮をどこまで剥いていっても、古典力学系では構成単位に「情報」は見当たらなかった。

ところが量子力学の登場により、ミクロの世界の振る舞いは情報論的に記述しないと理解できないことが共通認識となった。量子レベルの存在は、確率論的に振舞う。たとえば原子の核の周りを回る電子の位置は、確率的にしか特定できない。観測技術の問題ではなく、それは本質的に確率的な存在であるからである。こうして量子力学という場で、確率という情報(BIT)が、実在(IT)とはじめて接点を持ったのである。

■情報とは何か、定量化をめぐる議論

では、情報とは何か。

情報の定義として古典的なものに、シャノンが通信理論の中で定義した情報量の概念が挙げられる。通信経路を流れるビットの量が情報量であるとする定義である。この定義に従えば、短い文章より長い文章の方が情報量がある。テキストより映像の方が情報量があることになる。シャノンの情報量は通信経路上のビットを数えるため「ビットの数え上げ」とも呼ばれる。

このやり方では、情報の質が測れない。たとえば株式取引をする人間においては、次に確実に高くなる株式の銘柄コード4文字がわかれば、それ以外の情報はいっぱいあっても無駄である。通信経路を流れるビット量では測れない情報の質が問題になる。

シャノンの情報量に代わる新しい情報の定義として、ベイズ確率、信憑性、論理深度、<外>情報など多数の情報量が提案された。イアン・コーリはシャノンの論文「通信の数学理論」に対抗して「情報の数学理論」という論文を発表し、シャノンの方法論は情報定量化の無数の手法の中の一つに過ぎないこと、そしてあらゆる情報定量化の方法が従うべき基本原理を提唱した。

・コーリの情報逓減の法則
「情報を直接送受信するケースと比べた場合、中継者、すなわち二番目の通信経路は、情報をそのままの量で送り届けるか、あるいは情報量を減らしてしまう(逓減)かのどちらかである」

というもので、中継経路は情報を増やさないというものであった。中継経路でノイズが加わり、正確に伝達できなくなる、伝言ゲームと似ている。何らかの解釈や価値判断をする中継者がいた場合には、一見、情報量が増えたかのように思えるが、その種の情報は、受けての予備知識、主観に依存する情報であって、計量の対象としないのである。

こうした情報の定義、定量化の議論の歴史の解説がこの本の最も面白いメインパートとなっている。「量子が変える情報の宇宙」という邦題の通り、量子力学の成果が情報論の世界に大きな影響を与えている。長く君臨した情報の最小単位ビットさえも新たな概念に置き換えられるかもしれないのだ。

■電子ビットから量子ビット(キュビット)へ

ザイリンガーによる量子力学の基本原理 第1法則

「1つの基本系は1ビットの情報を伝える」

世界に関して受け渡しできる情報の最小量は1ビットである。私たちは1ビットに満たない情報を想像することはできない。だから私たちが理解可能な最も単純な物理的存在(基本系)は1ビットで記述できる、という論理にこの原理は基づいている。

この原理はウィーラーのビッグクエスチョンのひとつ「なぜ量子か」に次のような答えを与える。「我々は、世界が本当はどのように構成しているのかを知らないし、それを問うべきでもないが、世界に関する知識が情報であることは知っている。そして、情報が本来ビットへと量子化されているがために、世界もまた量子化されているように見えるのである」。

そして第2法則

一部の測定結果はランダムになる

量子レベルの振る舞いは確率的であり、量子世界特有の「絡み合い」も生じている。観測結果がランダムとなりことがあるし、ある系の状態を観測した途端、絡み合った別の、離れた系の状態が確定されるという不思議な現象が起きてしまう。

ビットの取りうる値は「0または1」「真または偽」「イエスまたはノー」というORのどちらかであった。量子レベルでは系が観測され状態が確定されるまでは「0でかつ1」「真でかつ偽」「イエスでかつノー」という重ね合わせ状態を取る。こうしたANDの値を表わすために量子ビット(キュビット)という概念が提唱されている。

後半では量子コンピュータの最新事情(2002年にXY=15を3*5と分解できるようになった程度)と可能性が語られる。まだ実用化までは20年以上かかりそうに思えたが、科学の進歩は予想以上に速いことがある。電子ビットが量子ビットで置き換えられる日は結構近いのかもしれない。

量子力学は正確さと明快さの相補性の理論だと言う冗談があるが、量子世界の振る舞いはマクロ世界とあまりに違うので、感覚的にとらえにくい。量子コンピュータの普及する頃には、私たちはキュビットという概念を直感的に受け入れられるようになっているのだろうか。

・ユーザーイリュージョン―意識という幻想
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001933.html

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2006年03月21日

はじめての“超ひも理論”―宇宙・力・時間の謎を解く

・はじめての“超ひも理論”―宇宙・力・時間の謎を解く
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高名な物理学の権威が書いた超ひも理論の入門書。

超ひも理論とは「ものの最小にして究極の構成単位はひも状の物質である」と考える最先端の物理理論。この超ひもは、かつては最小単位とされた原子やクォークよりも小さく、それ以上は何者にも分割できない最小の物質であるとされる。

超ひもには両端の開いた、うなぎのような形のひもと、閉じた輪ゴムのような形のひもの2種類があって、どちらも常に振動して動いており、静止することはない。これがクォークやレプトンという粒子の正体である。この超ひもにエネルギーを与えると振動モードが変化する。この振動の違いにより超ひもは異なる粒子のように見えるように振舞う。

超ひもは10次元に存在する。10次元のうち6次元は極小の大きさに”折りたたまれ”て、4次元が残る。この4次元こそ、3次元+時間の私たちの宇宙である。超ひもの大きさは、1メートルの1兆分の1の1兆分の1の10億分の1という気の遠くなる小ささである。超ひものある極小世界では、私たちの住む世界の物理法則は成立しない。時間の概念も異なり、虚数の時間があったりもする。

超ひもの研究は宇宙の成り立ちの根源についての研究である。この理論が完成すれば、世界を構成する4つの力(電磁力、重力、強い力、弱い力)の関係を統一的に説明する万物理論となる。宇宙のはじまり(ビッグバン)や終わり(ビッグクランチ)について明らかにする物理学の最終理論といえる。

著者はさらに巻末で最新の新サイクリック宇宙仮説を展開する。この仮説によると、宇宙は過去に約50回ほどビッグバンとビッグクランチを繰り返し、いま私たちがいる宇宙は50回目の宇宙だという理論である。現在の宇宙観測の成果によると、宇宙がビッグバンではじまり、現在に至るまでに発生するはずのエントロピー量をはるかに上回る量のエントロピーがあることがわかっている。もし過去にビッグバンとビッグクランチが30〜50回程度繰り返されたのであれば、そのたびに大量のエントロピーが蓄積されるので、つじつまが合うということらしい。

この仮説が本当であれば、私たちは50回目の宇宙に生きているのである。

以上、ざっと私の理解を要約してみた。

超ひも理論は、万物の根源は何か、という哲学的な問いに真正面から科学が答える究極の理論であり、魅力的だ。ぜひとも理解したいと思うが、数学や物理の知識が相当量必要なので、その詳細まで理解できる人は僅かだろう。一般向けの本だが難易度は高めで、概略説明はともかくとして数式部分は1割もわからなかった。しかし、究極の理論がどのようなイメージのもので、どれくらい複雑で、いまどのくらい究明されているのか、はわかった気がして楽しめた。サイエンスライターが一般向けに要約しているのではなくて、科学者ができるだけかみくだいて直接書いていますという雰囲気がいい。


・万物理論
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002774.html

・ホーキング、宇宙のすべてを語る
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004047.html

・奇想、宇宙をゆく―最先端物理学12の物語
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003562.html

・科学者は妄想する
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003473.html

・ガリレオの指―現代科学を動かす10大理論
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002797.html

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2006年03月09日

ハイゼンベルクの顕微鏡 不確定性原理は超えられるか

・ハイゼンベルクの顕微鏡 不確定性原理は超えられるか
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物体を観察するには光や放射線を対象にあてて反射させたり透過させる必要がある。このとき、電子のような量子レベルのミクロ世界では、光の粒子がぶつかる作用で観測対象が動いてしまう。何かをぶつけることが観察なのだから、ぶつける前の観測対象の電子の位置と運動量を正確に知ることはできないことになる。これがよく知られるハイゼンベルクの不確定性原理の基本「量子力学的な物体の位置と速度を同時に知ることはできない」である。

不確定性原理にはもうひとつの説明がある。そのような観察行為による反作用がなくとも、量子レベルの観測対象の位置と運動量は本質的にゆらいでおり、その値を誤差なく知ることが原理的に不可能である、というもの。量子の世界でなくても、私たちは√2のような長さは、どんな精密な物差しでも、正確に測ることはできない。くわえて量子レベルでは粒子は確率論的に存在する。連続するなめらかな線を描いて移動していない。次の瞬間の粒子の位置は確率的にしか知ることができないのである。

量子力学は、その原理を前提として発展し、科学技術を発達させてきた。古典力学系におけるニュートンの万有引力やアインシュタインの相対性理論に匹敵する原理であった。だが、その基盤を日本人の研究者、小澤正直東北大学教授が今、疑っている。ハイゼンベルクは上の二つの説明を、同じものの異なる側面であるかのようにひとつの式で証明しているが、もし二つが違うことを言っているのだとしたら、どうか。ハイゼンベルクの大前提が壊れるかわりに、新しい「小澤の不等式」に拡張され、量子力学は新しい時代へ進む可能性がある。

これは20世紀の量子力学の歴史の要約と、その歴史に新たな1ページを加えるかもしれない「小澤の不等式」の学説を紹介する一般向けの本である。不確定性原理は量子力学だけでなく、20世紀の思想・哲学にも大きな影響を与えてきた。人間の知性と自然科学の限界を表わす象徴的な存在でもあった。もしその根本原理が塗り替えられることがあるならば、影響は科学だけにとどまらないかもしれない。そんな根源的な仮説を日本人が打ち出して注目されているとは知らなかった。

後半で解説される小澤の不等式の詳細を理解することは数学の素養がないと難しい。私は、そこに登場する数式レベルでは半分も理解できていない気がする。だが、概略レベルではなにが違うのか、直観できたと思う。小澤の理論は、ハイゼンベルクが使った「観測行為」や「正確さ(誤差)」ということの意味を精緻化し、再定義しているようだ。その結果、ハイゼンベルクの不等式は不完全であり、もっと複雑な式でなければ、量子の振る舞いを説明できないはずだと結論する。そして出てきたのが小澤の不等が式である。

本書の前半は、ハイゼンベルク、アインシュタイン、ボーア、シュレディンガーなど20世紀の量子力学の発展に貢献した知の巨人たちの論争の物語がゆっくり語られている。もしこの仮説が将来認められれば日本人がこの偉大な量子力学史に名前を残すことになる。先取りして読んでおけるの魅力の一冊。

・プリンストン高等研究所物語
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003621.html

・奇想、宇宙をゆく―最先端物理学12の物語
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003562.html

・ガリレオの指―現代科学を動かす10大理論
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002797.html

・量子コンピュータとは何か
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002710.html

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2006年02月26日

イヴの七人の娘たち

・イヴの七人の娘たち
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今日の60億人の全人類には、たった一人の”母”がいるという。

母系でのみ受け継がれるミトコンドリアDNAを解読すると、15万年前にアフリカの地で生まれたたった一人の女性「ミトコンドリア・イヴ」が人類共通の祖先であるという有名な学説である。生殖のたびにDNAは複製される。ミトコンドリアDNAの突然変異の確率は安定しているので、現在の子孫のDNAと比較すれば、おおよその生存年代を測定できる。世界中の現代の人類のDNAを集めて分布を調べることで、その骨を残した人間がどこに住んでいた人間なのかも判明する。

現代ヨーロッパの6億5千万人のDNAを解析すると、4万5千年前から1万年前の異なる時代、異なる地域に生まれた7人の女性の誰かにつながることが分かっている。この本は、その7人のミトコンドリア・イヴの娘たちの世代の物語である。

最初のイヴの娘はギリシアで生まれたアースラ。アースラの一族は全ヨーロッパへ広がり、ネアンデルタール人を絶滅に追い込んだ。第2の娘アースラは2万5千年前にマンモスと生きた。第3の娘のヘレナは2万年前の最終氷河期に地中海沿岸で暮らした。科学的データに基づいて、7人の娘たちの人生がフィクションとして語られる。

イヴの娘たちはおそらくそれぞれの社会で特別な存在ではなかった。ふつうの女性としてふつうに生きた可能性が高いらしい。もちろん自分から始まる家系が、後世の人類の大部分を生み出す重要な位置にいることなど知る由もなかった。

イヴの娘たちは遺伝学上、何が特別なのか。それは彼女らのミトコンドリアDNAが広く現代の人類に共有されていることである。イヴの娘たちの世代には他にも女性はいっぱいいた。その人たちも子供を産んでいただろう。しかし、何万年もの間に人類が複雑に交雑する中で、少数のイヴの娘たちのDNAが勢力を広げていった結果、今の人類のDNAから辿れる家系は彼女らだけのものになってしまったということだ。

日本人、アメリカ人、フランス人などというが、DNAの観点では分類の意味がない。純粋な民族という概念はナンセンスだ。全員が完璧な混血である。それにも関わらず世界で33、ヨーロッパで7の少数の母系のDNAが、いまの私たちの中にも生き残っているのだ。それは、母系の文字通り、へその緒でつながり、抱きしめ、乳を与えた女性たちの愛で結ばれた大きな家系である。もっともっとたどれば一人のグレートマザー「ミトコンドリア・イヴ」がいる。

イブの娘らに共通する点が2つ。1つめは娘を産んだこと。ミトコンドリアDNAは女系にのみ引き継がれるからだ。そして、2つめは、二人の娘を産んでいること。これは少しわかりにくいのだが、母系のみのDNA系図を描いてみれば分かる。今生きる女性は無数にいる。だが母親、祖母、曾祖母と系を上へたどればたどるほど、枝の数は少なくなり、やがて、たった二つの枝が一つになる世代があるはずだ。そこにイヴたちはいる。

この本は研究が成功するまでの経緯と、時代考証、科学考証のもと想像力を発揮して書かれたイヴの娘たちの7編の物語からなる。私たちは何者か?という普遍的な疑問に、ひとつの答えを提供してくれる興味深い研究である。

オックスフォード大学の人類遺伝学教授の著者ブライアン・サイクスは、化石化した古い人骨からDNAを抽出することに成功した同分野の第一人者。同教授は自分の祖先がどのイヴなのかを調べる研究ビジネスを運営している。

・OXFORD ANCESTORS : Explore your genetic roots - DNA sequencing, Professor Sykes, Adam's Curse, Family Tree Searches, Your Ancestry DNA analysis, tracing ancestors
http://www.oxfordancestors.com/

日本人向け解説もある。95%の日本人には9人の”母”がいるそうだ。

・Sony Magazines -- OFFICIAL WEB SITE --
http://www.sonymagazines.jp/mmt/200111080700.html
あなたのDNAも調査してもらえます!

日本人の95%は、9人のDNAの母から生まれています。
あなたは誰の子どもなのか?
→【DNA母系図】


---ミトコンドリアDNAを調べて、あなたもDNAの母を知ることが可能です(有料)。ご希望の方は、「オックスフォード・アンセスター」(http://www.oxfordancestors.com/)へ直接、お申し込みください。日本語書類の添付された「調査キット」が届きますので、指示に従って提出してください。


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2006年02月19日

黄金比はすべてを美しくするか?―最も謎めいた「比率」をめぐる数学物語

・黄金比はすべてを美しくするか?―最も謎めいた「比率」をめぐる数学物語
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黄金比を作図してみた。線分A点とB点の間にC点がある。AC間は322ピクセル、CB間は200ピクセルで、CB:ACがほぼ1:1.61803398...の黄金比率で分割されている。ユークリッドはこの分割に外中比という名前を与えた。

「線分全体と長い切片との比が長い切片と短い切片との比になる場合、線分は外中比に切り分けられたという。」

つまり、上の図のACとCBの長さの比が、ABとACの長さの比に等しい場合を外中比と呼ぶ。そして外中比こそ黄金比のことである。厳密には1:1.61803398...で一方の数字は小数点以下無限に続く無理数となる。数学では、この数はφ(ファイ)とも呼ばれる。

黄金比を好むデザイナーがいる。たとえばWebページの本文部の領域の横幅:メニュー部の横幅に、黄金比を用いてデザインを行う。すると、不思議とちょうどいい感じがするというわけだ。古今東西の有名画家も名画を描く際に黄金比を画面構成に適用していたと教えている先生もいる。人間の美的センスに訴えかける神秘的なはたらきがこの比にあるというのだ。

古代エジプトのピラミッドや、古代ギリシアのパルテノン神殿にも黄金比が隠れていると言う説がある。バッハやモーツアルトの音楽の小節や音符の分布にも黄金比があるという人もいる。また、人間がつくるものだけではなく、オウムガイの殻の巻き具合やひまわりのタネの配列、銀河の渦巻きといった自然の造形に黄金比を発見したものもいる。ついには株価の変動具合の中にも黄金比が見つかると言う経済学者も現れる。

本当に黄金比はすべてを美しくするのだろうか?。黄金比は宇宙を作り出す際に、神の設計図に使われた神秘の比率なのだろうか?。本書は過去のさまざまな黄金比をめぐる研究を徹底検証する。

結論としては美の秘密が黄金比にあるというのは俗説に過ぎず、ほとんどの名画や音楽の作者は黄金比を使ってはいなかった。多くのケースで研究者が、作品の中にある無数の線分から恣意的に(あるいは無意識のうちに)黄金比らしいものを発明してしまう結果、黄金比=美の基本と言う誤った結論に至っていたことがわかる。

黄金比を信奉するデザイナーには残念なことに、人間が無意識のうちに黄金比を美しいだとか心地いいと思う事実はないようだ。複数の多様な長方形群からタテヨコが黄金比の長方形を被験者が好んだなどという、一部の心理学実験があるが、著者はそういった実験の内実を調べて、その結論は疑わしいと否定している。


さまざまな美術作品や楽曲や詩のなかに(本物や偽者の)黄金比を見つけ出そうとするのは、結局、理想の美の規範が存在し、それは実際の作品によって説明できるという思いこみがあるからだ。

一方で自然の造形に無数の黄金比φが現れるのは事実である。φはフィボナッチ数列と深い関係にある。フィボナッチ数列とは、整数を前の数の和に足したときにできる数列のこと。1+0は1、1+1は2、2+1は3、3+2は5、5+3は8...。

フィボナッチ数列は、

1,1,2,3,5,8,13,21,34,55,89,144,377,610.987...

と無限に続く。

このうち隣接する二つの数字の比を計算すると、4番目の3と3番目の2では1.5だが、6番目の8と5番目の5では1.6になり、987と610のあたりでは、1.618033となる。数が大きくなればなるほど黄金比φに近づいていく性質を持つ。だからフィボナッチ数列は黄金比の数論的表現であり、ほぼ同じものなのだ。

フィボナッチ数列にある種の自己相似性があることは直感的にもよくわかる。そして、自己相似性が自然界を広く支配する法であることは周知のとおりである。この本にもたくさんの自然界におけるφが紹介される。植物の葉の生え方や貝の渦巻きパターンといった生物のかたち、銀河の渦巻き、ハヤブサが獲物に接近する際の螺旋軌道など数え上げるときりがないほど普遍的にφがある。

そして驚くべきは、株価の変動や無作為に選び出した数字の表(何かの統計年鑑でもいいし、企業の会計表でもいい)の中にも普遍的にφが現れる。森羅万象をφという数学原理で理解することが可能になる。なぜそうなるのかは今も謎のままだが、この謎について著者は問題を一般化し、深い哲学的な考察を加える。

なぜ数学はこの宇宙をここまで見事に説明するのか?

歴史的にはおおきく二つの考え方がある。

1 数学は人間の思考と関係なく客観的実在として存在し人間はそれを発見するから

2 数学は人間の発明品で、観測と合うものが自然選択によって残ったから

そして最後に、対立するふたつの考え方を結びつけて、一次元高いレベルで数学と世界の関係を説明している部分は本書の最大の読みどころ。

著者は本書で国際ピタゴラス賞とペアノ賞を受賞している。

・フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004192.html

・暗号解読―ロゼッタストーンから量子暗号まで
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004028.html

・ヴォイニッチ写本の謎
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004123.html

・四色問題
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004223.html

・黄金比を使ったデザインを探す

楽天で探す
楽天市場

・黄金比を計測し、黄金比を作るための特殊文房具 黄金比デバイダー
http://www.wada-denki.co.jp/bunguho/ctlg0760.html
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2006年02月06日

魂の重さの量り方

・魂の重さの量り方
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20世紀初頭、米国の医師マクデゥーガルは、危篤状態の患者を精密な秤の上に乗せ、死の瞬間の体重の変化を計測した。その瞬間、秤の目盛りはわずかに動き、30グラムだけ軽くなった。「私は重さを量る機械で魂の実体を発見したのでしょうか?私はそうだと思います」と彼は書いている。

この突拍子もない見解は当時も支持されなかったし、現代科学では魂の実体という概念自体が否定されている。この本には、歴史上で「魂の重さを量る」ような同時代的に非常識な理論を提唱し、その後、その正しさや誤りが証明された科学の先駆者たちの物語が7編収録されている。まさにThink Differentな人たちの歴史である。

・重い物体と軽い物体の落下速度は同じだと指摘したガリレオ・ガリレイ
・ニュートンの粒子説に対して光の波動説を唱えたトマス・ヤング
・避雷針の頭は尖ったほうが効果が高いと主張したベンジャミン・フランクリン
・錬金術を批判しながら隠れて研究していた化学者ロバート・ボイル
・電気流体、動物電気説を唱えたルイジ・ガルヴァーニ
・生命体は独特な生命力を持つと考えた生気論者ハンス・ドリーシュ

正しかったにせよ、間違っていたにせよ、科学的に謎を解明しようとした努力は、科学の発展に貢献した。間違っていたにも関わらず、長い間、科学として生き残っていた理論も多いことが興味深い。

いつの時代の科学的な真理も、錬金術や生気論のように、その時点でほんとうだと信じられていることに過ぎないことがよくわかる。今でも根本的にわからないことがある。たとえば「魂の重さ」の重さの正体とは何なのか。重さは質量が重力に引き寄せられることである。では質量とは何か。最新の科学ではヒッグスボソンと呼ばれる粒子が他の粒子をひきつけるときに発生する力ではないかと考えられている。しかし、ヒッグスボソンを単独で探し出す試みはまだ成功していない。

著者はこう述べている。


科学理論は決してほんとうに真であると証明されることはない。その理論がどれだけ多くの検証をくぐりぬけてきたか。どれほど困難なテストをパスしてきたかによって、信頼度が大きくなったり、小さくなったりするだけだ。

科学は信仰の一種だということ、しかし、科学的方法論は科学的真理にちかづく唯一の方法であること、が、非常識で素晴らしい科学者たちの歴史から読み取れる。

・奇想、宇宙をゆく―最先端物理学12の物語
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003562.html

・科学者は妄想する
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003473.html

・ガリレオの指―現代科学を動かす10大理論
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002797.html

・トンデモ科学の見破りかた −もしかしたら本当かもしれない9つの奇説
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001621.html

・科学を捨て、神秘へと向かう理性
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002634.html

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2006年02月02日

四色問題

・四色問題
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四色問題

「四色あれば、どんな地図でも隣り合う国々が違う色になるように、塗り分けられることができるのか。」

証明がなくても経験的に、どんな地図でも四色で塗り分けられることはわかっていた。しかし、いざ証明しようとすると、「どんな地図でも」が問題になる。地図のパターンは無限に見えるからだ。証明に至るには150年の歳月がかかった。膨大な計算が必要であり、現代のコンピュータの力を借りる必要があった。

最終証明は100ページの概要と100ページの詳説、700ページの予備的成果、印刷すると高さ1.2メートルに及ぶ1万点の図。その計算をするためのコンピュータの稼働時間は1000時間に及んだ。

四色問題を解くには、塗り分けに五色以上を必要とする地図を仮定し(ないのだが)、そこに描かれている国の数が最も小さいケース=最小反例が存在できないことを証明しなければならない。

この本の本論を読む前に、30分ほどペンと紙を持って考えてみるとよい。私もものすごく考えてみた。まず国の数が4以下では当然四色で塗り分けられるから、国の数は5以上が問題になる。国同士が隣接する方法に有限のパターンがあるはずと直観する。しかし、国の数が増えると、考えられる隣接の組み合わせ量が爆発して直観では、すべて塗りわけられると言い切れなくなっていく。

中心になる国を考え、周囲を異なる二色の国の鎖でつないでいくと、その内部は少なくとも塗りわけられると考えていいのではないか、と思いつく。この本にも鎖のアイデアが実際にでてたので、いい思いつきだったのだと嬉しくなった。国の数は無限に増やせる以上、対象を単純化しなければ、この問題は解けそうにないと思ったところで自力検証はギブアップ。

150年間の数学者たちの試行錯誤が語られている。無限と戦うにはまず単純化である。図形としての要素は、国の数、境界線の数、交点というパラメータに還元できることが示される。実は簡単な図形操作で判明するのだが、四色塗りわけを証明するには、すべての交点で3つの国と交わる地図(三枝地図)だけを考えればよいことが最初にわかる。幾何学の公式が使える問題になってきた。

読み進めていくと、以下のような概念が証明に密接に関わっていることを知る。

・可約配置
 「最小反例には含まれないような国々の配置。これを除いた残りの地図が四色で塗り分けられるなら、必要に応じて塗り直しをすることで、四色の塗わけを地図全体に拡張できる部分。」

・不可避集合
 「その中の少なくとも一つがすべての地図に現れるような配置の集合。」

・放電法
 「ある配置の集合が不可避集合であることを証明する方法。k本の辺を持つ国に6-kの「電荷」を割り当て、総電荷が変わらないように地図中で電荷を移動させる。」


無数にありえる地図のつながり具合を、四色問題の証明に必要な要素だけに単純化し、複雑な国や境界線の隣接方法を抽象化し、塗りわけの可否を検証するための数学的道具を用意したわけだ。異なるように見えても、数学的操作で、実質的に同じ構造の地図であることがわかれば可能性の数が減る。それでも、最小反例の候補群は複雑なものばかり数千件もあるのだが、これらをコンピュータを使って検証にかけた。四色で塗り分けられないものがないことがわかった。QED。

フェルマーの最終定理とはちがって、とてもエレガントとは言いがたい証明方法である。この証明はコンピュータの手を借りなければ証明することができなかった。数名の審査員が一応、機械計算にミスがなかったか、出力をチェックしたようだが、誰か人間が頭で検算できたわけでもない。150年間をかけた四色問題の証明は、数学界にそれまでになかった問題を提起する結果になってしまった。

人間が全部考えることができなくても証明したことになるのか?。

この手の数学問題が好きな人にはおすすめの本である。なぜか訳者はクオリア論で有名な脳科学者で哲学者の茂木健一郎氏。

・フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004192.html

・暗号解読―ロゼッタストーンから量子暗号まで
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004028.html

・ヴォイニッチ写本の謎
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004123.html

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2006年01月22日

フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで

・フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで
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クライマックスではこみあげてくるものがあって目頭が熱くなった。知的好奇心を満足させる科学読み物でありながら、心をゆさぶる感動のドラマとして成立している。アマゾンの50以上の読者レビューのほとんどが最高点5つ星をつけての絶賛となっている。私は6つ星をあげたいくらいだ。

この本を読むのに数学の知識は要らない。楕円方程式、モジュラー形式、谷山=志村予想、コリヴァギン=フラッハ法、ガロアの群論、岩澤理論。サイモン・シンは極めて難解な解法を、人間ドラマの物語の中で順序だてて、やさしい概略として示してくれる。定理の最終証明は数学の専門用語と先端理論を使った100ページに及ぶ論文だそうだ。

この本には論文の最初の1ページの写しが掲載されるのみである。徹底的に簡単化されている。だが、十分に読者はその解法の概略を理解できるようになっている。著者の並外れた文章力と、構成力にも感動する。

フェルマーの最終定理とは、17世紀にフェルマーが残した難問である。フェルマーはノートに自分は答えを知っていると思わせぶりな書き込みまでつけていた。歴史上、数多くの数学者が全力でこの問題に挑んだ。だが、誰でも理解可能な問題でありながら、350年の間、誰もそれを解くことができなかった。学会においても解けないものだと思われていたが、1995年、現代の数学者ワイルズが8年の歳月をかけて研究し、ついに完全証明を達成した。

フェルマーの定理は、


3以上の自然数nに対して

Xn + Yn = Zn


を満たすような自然数、X、Y、Zはない

というもの。

この式はn=2ならば、ピュタゴラスの定理である。

ピュタゴラスの定理は「直角三角形において、斜辺の二乗は他の二辺の二乗の和に等しい」という義務教育で習うおなじみのものだ。もちろん解がある(たとえば3,4,5)
。解があることは簡単に証明が可能だ(本の巻末に証明法がある)。

しかし、n=2を三乗(n=3)に変えると解はみつからなくなる。実は解がないのだ。この証明はn=2のときほどやさしくはないが、すぐに研究者によって証明された。そしてn=4のときも、n=5のときも、解がないことが証明されていく。フェルマーの定理を解くということは、nを無限に増やしていっても、解がないことを証明することだ。

そんな証明の話のどこが面白いんだと思われる人が多いだろう。私も読む前にそう思ったが、約400ページのこの本には純粋数学の面白さが詰まっていた。生まれ変われるなら、一度は数学者になってみたいとさえ思った。だから、この本がきっかけで未来の数学者を志す、何百人、何千人の若者がいたに違いない。

・暗号解読―ロゼッタストーンから量子暗号まで
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004028.html

・ヴォイニッチ写本の謎
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2005年12月08日

ホーキング、宇宙のすべてを語る

・ホーキング、宇宙のすべてを語る
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「ホーキング、宇宙を語る―ビッグバンからブラックホールまで」の続編。

最初に古代から近代までの宇宙観の変遷が説明される。世界は亀の上にのっかっているという伝説や、地球を中心に天空が回転しているとした天動説など、科学者が各時代の考え方をいかに乗り越えて、現在に続く宇宙モデルを作り上げてきたかの歴史。ホーキングの語り口は平易で、わかりやすい。

そして、最新のモデルの理解に必要になる一般相対性理論と量子論について、比喩をたくさん用いた解説がある。どちらか一方では宇宙のモデルを完全に記述できない。


私たちの最も大きな望みは、宇宙の最初から最後までの完全な理解を得ることです。この望みは、量子論と一般相対性理論という、一方だけでは世界を記述するには不完全である二つの理論を、一つの量子重力論に統一することで可能になるでしょう。この理論では、時間の始まりを含む宇宙のどの時刻でも、特異点なしで一般的な科学の法則が成立するのです。

超ひも理論、pブレーン理論、超重力理論など最新の理論も紹介される。科学者が目指しているのは、万物の4つの根源的な力(重力、電磁力、強い力、弱い力)を、一つの統一理論で説明すること。つまりは万物理論のこと。

ホーキングの万物理論についての予想が興味深い。


研究者はこの根元的理論を探し求めましたが、今までのところまったく成功していません。ゲーデルが示したように、算術を一つの公理系だけで定式化することができないのと同じく、根元的理論も一つに定式化することはできないという可能性があります。その代わり、それは地図のようなものかもしれません。

それは人間の知識の深まりと共に漸進的に精度を高めていくような理論なのではないかと言う予想に対しては、


(前略)より高いエネルギーを研究対象にするようになると、だんだんと精度が高くなる理論の連続には、何らかの限界があるべきだと考えられます。こう考えると、宇宙には何らかの究極の理論があるはずです。

と反論している。


宇宙の初期状態と数学的無矛盾性の要件を研究していけば、私たちがまだ生きているうちに完全な統一理論が得られるチャンスは十分にあるように思われます。

万物理論の解明に、この車椅子の大天才、まだまだやる気まんまんなのである。

文中によく「神」という記述がでてくるのが印象的であった。ホーキングは明らかにすべてに超越的な神の存在を、肯定しているようだ。科学の最先端の象徴の人物が直接、一般読者に語りかけるこの本、とても楽しめた。また次が出てほしい。


・奇想、宇宙をゆく―最先端物理学12の物語
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003562.html

・広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由―フェルミのパラドックス
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003540.html

・科学者は妄想する
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003473.html

・人類はなぜUFOと遭遇するのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002440.html

・宇宙人としての生き方―アストロバイオロジーへの招待
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001273.html

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2005年12月01日

暗号解読―ロゼッタストーンから量子暗号まで

・暗号解読―ロゼッタストーンから量子暗号まで
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凄い本だ。感動した。今年も年末年始に書評した本の中から、本年度ベスト本を選ぶ予定だが、これはベスト3に入りそうだ。

二人の尊敬する友人ABが絶賛していたので、暗号技術に興味があるわけではなかったが、読むことにした。ところが興味のないテーマなのに、冒頭からいきなり強くひきつけられた。暗号学の歴史は各時代の最高の知性たちの頭脳戦の歴史であった。その成果が世界の歴史を大きく左右してきたことがわかる。

この数千年間の暗号学の歴史が、アルゴリズムの変遷や、歴史上果たしてきた大きな役割、作成と解読に関わった天才たちの逸話とともに、年代を追って語られる。暗号学という難解なテーマにもかかわらず、やさしい記述を積み上げて高度な暗号技術を要約しており、極めてわかりやすい。


暗号学はきわめて異色の科学である。プロの科学者の大半は、誰よりも先に仕事を発表しようとする。なぜなら彼らの仕事は、広められてはじめて真価を発揮するからである。それに対して暗号の研究は、情報が漏れる可能性を最小限にとどめてこそ、最大限にその価値を発揮する。そのためプロの暗号研究者は、仕事の成果が外部に漏れないように秘密を守り、閉ざされた世界の中で仕事をしつつ、仕事の質を高めるための交流を行うことになる。暗号に関する秘密を公開することが許されるのは、秘密にしてもこれ以上利益はないことが明らかになった後、ただ歴史的正確さを期すためでしかないのである。

ここでいうプロの暗号解読者の多くは、国家機密の壁の向こうにある、政府機関に所属し、生涯その仕事内容を外部に話さない誓約をして、仕事をしてきた。大学や企業の研究者が、学会で華々しく発表した暗号技術と同じものを、その何年も前に発明していた政府系研究者もいる。30年以上経過してやっと自分の仕事の一部を話すことが許された。

特に暗号学が重要となる戦時下では、暗号が解けても公に発表することはできない。暗号を解けることが敵国に知られると、暗号の形式を変更されてしまうからだ。第二次世界大戦中に、英国政府の暗号解読チームは、ドイツのエニグマ暗号を解読することに成功していたが、その事実は戦後もしばらく隠されていた。解ける暗号を敵が使い続けてくれるのが都合がいいからだ。

だから、暗号学の天才たちは、どんな偉業を達成しても、名前が知られて、広く賞賛されることはない。自分の成し遂げた仕事が、どう役立ったかさえ、知らされなかった研究者も多い。この本は丹念にその歴史の闇から、天才たちの偉業を浮かび上がらせ、列聖していく。

暗号学の歴史は、暗号の発明と解読のイタチゴッコであった。古来、解読者の方が、作成者よりも強い立場にあった。解読不能といわれる暗号が登場しても、そのうち天才が現れて解読に成功してきた。しかし、コンピュータの登場以降、立場が逆転しつつあるようだ。インターネットでもよく使われるRSA暗号鍵の、十分に強度の高いバージョンは、コンピュータを何万年も稼動させないと破ることができないと言われる。この本の最後に登場する量子暗号は、歴史上初めて、破ることが原理的に不可能な技術に進化した。量子暗号を破るには、物理学そのものを根底から壊さねばならないことになる。

まだ量子暗号の実用化には壁がある。その原理を実現する技術が完成していないため、短い距離でしか暗号のやりとりができないでいる。量子暗号の長距離での利用が可能になる近未来に、暗号の進化は止まると著者は予言している。

そういえば、最近、実家で私が小学生のときに描いた水彩画が見つかった。名前の下に、子供の私は鉛筆で、

26 12 35 20 16" 2 36

とサインしていたのをみつけて、笑ってしまった。子供の頃の私は暗号にちょっとは興味があったらしい。これはこの本でも最初に紹介される換字式アルゴリズムそのものだった。これでは簡単に見破れてしまうが、いくつかの改良をすることで、数百年間も中世の国家の保安を守ってきた暗号技術になることが示されている。

科学の読み物として一級品。

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2005年09月14日

ゲーム理論を読みとく

・ゲーム理論を読みとく
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ゲーム理論の批判。


私はこの本で、人間の行動や社会制度を解明する道具としてみると、ゲーム理論は核心部分に重大な問題を抱えており、社会現象の分析や政策への性急な応用は重大な失敗を招く危険性があることを説明したいと思う。ゲーム理論は、人間と社会にとって不可欠なもの、決して無視できないものを切り捨てることによって成立する理論なのだ。

その無視できない不可欠なものとは、まず、ことば、暴力、遊びであるという。戦略的行為とは違って、それ自体で意味を持つような種類の行為である。もうひとつは、私たちの行為の絡み合いの中で発生する予期せざる結果である。相互行為の全体が個々の構成員の行為の総和以上になるとき、そのパワーは個には還元できない「あいだ」の力である。こうした予期せぬ出来事の影響はゲーム理論の対象外であると著者は指摘する。

人が会話や遊びに夢中になっているとき、ことばも遊びも道具的、戦略的な意味を持っていないことが多い。目的と手段の枠組みに収まりきらない行為は、ゲーム理論では通常は計算外である。暴力や戦争は戦略的にも使われるが、それ自体にわれを忘れてしまうこともある。

ゲーム理論が前提するプレイヤーは「計算する独房の理性」だ。人間は戦略的思考で損得計算を行うコンピュータと同類とみなされる。モデル化に際して捨てるものが多すぎて、現実の実践的な知恵として、ゲーム理論は役不足であるというのが、この著者の意見である。

この他、気になった論点としてはルールの不変性や、知識、非言語

・ルールを変えるプレイヤー

一定のルールのもとで問題が生じた場合に、当事者のなかからルール変更の動きが出てくるのは、ほとんど普遍的な現象であろう。したがって、深刻な問題が生じたときに、ルールを含む初期条件をそのままにして、ゲームが続行される可能性は少ないはずだ。ルールもゲームの進行とともに変化するのである。

・共通の知識のパラドクス

戦略的ベストレスポンスから生まれるナッシュ均衡は共通の知識を必要とするが、共通の知識は無限回の確認作業を伴うので実際には不可能である

・狂人理論


つまり、狂人相手では合理的戦略も立てようがないから、交渉では不利になるというわけだ。逆に見れば、交渉を有利にするためには狂人を装えばよいことになる

などの多数の論点がある。

つまり、私はこう解釈した。

二人の男が花札で賭けをしているとAがBに大敗しそうになったので、Aはいきなり、ちゃぶ台をひっくり返してしまう。怒って錯乱したBがAに殴りかかるが、殴られたAは妙な嗜好に目覚めてしまい、Bもまたそれが快感だったりして、二人は仲むつまじく暮らしましたとさ。

そういう展開をゲーム理論は、初期設定(AとBの保有金額や花札のルール)からでは、予想できないということだろう。ゲームは花札だったはずなのに、いつのまにか違うゲームになったのだから。

この本は後半では特に、歴史上の国家戦略の判断(キューバ危機、冷戦構造など)や、経営意思決定(シリコンバレー産業における遊び心の重要性は面白かった)におけるゲーム理論の適用を批判する各論が続く。論点がかなりゲーム理論と離れてしまった章も多いが、読み物として楽しめる個別の章とみなすと勉強になる。

理論と現実はかなり遠い。ゲーム理論を万能視して、人間の行動を予想したり政策立案することの危うさに警鐘を鳴らす一冊だった。

・ゲーム理論トレーニング
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000620.html

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2005年08月11日

ジーニアス・ファクトリー ノーベル賞受賞者精子バンクの奇妙な物語

・ジーニアス・ファクトリー ノーベル賞受賞者精子バンクの奇妙な物語
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不謹慎かもしれないが、これは面白い。

1980年、割れないメガネレンズで財を成した大富豪ロバート・グラハムがカリフォルニアに精子バンク「レポジトリー・フォー・ジャーミナル・チョイス」を創設した。これは普通の精子バンクではなかった。同社のカタログに掲載されているドナーは、ノーベル賞受賞者を含む天才たち。知能検査で高い成績の女性に天才男性の精子を受精させ、人類の遺伝子プールを改善するという、優生学的野望を掲げる組織だった。

精子バンクは実態があまり知られていないが、米国ではこれまでに約100万人のドナーベイビーが誕生しているらしい。だが、実在のノーベル賞受賞者が精子を提供したことを売り物にし、人類の改造を目指したのは、このバンクだけであった。

知名度は高かったが、経営や運用はずさんであったようで、経営者の死去により、同バンクは1999年に閉鎖された。それまでに生まれたスーパーベイビーの数は約200人。精子提供者の男性が誰なのかは、女性にも秘密の匿名原則。女性には提供者のプロフィールとコードネームだけが知らされていた。

オンラインマガジン「スレート」の人気ライターである著者は、この奇妙な精子バンクに偶然興味を持ち、サイトに記事を書いた。すると、当事者たちから情報が次々に寄せられた。成長したドナーベイビーの中には自分の本当の父親が誰なのかを知りたいと強く願う人たちもいた。バンクは閉鎖され記録が失われた現在、父と、母や子を仲介できるのは、もはや著者だけであった。こうして天才精子バンクの実態解明とドナー探しの旅が始まった。

天才の遺伝子を受け継いだこどもたちは、果たして天才になったのだろうか。驚異的な才能を発揮して社会のリーダーとして活躍しているのだろうか。バンクは追跡調査を行っていなかったので、それは長年の謎であった。

著者の粘り強い調査によって、次々に意外な事実が解明されていく。提供者たちはどのような人たちだったのか、実際に何人かとは会って話を聞いている。そして生まれたベイビーたちは今何をしているのかもわかってくる。ついにはそれをのぞむ親子を対面させていく。白日の下にさらされる苦い真実。小説以上に奇異な実話である。

ドキュメンタリには、匿名ドナーの本当の父親を探すこどもと、それを希望する父親の対面を支援するコミュニティがでてくる。実際にサイトを検索するとすぐ見つかった。登録者数2300人。メーリングリストのメッセージ数を見ると、活発に情報交換が行われていることが推測できる。

・Yahoo! Groups : DonorSiblingRegistry
http://health.groups.yahoo.com/group/DonorSiblingRegistry/
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天才は少なくとも一人は誕生していた。だが、必ずしも皆が優秀で天才というわけでもなかった。著者がコンタクトできたのはごく一部なので、統計的にバンクの人類改造の野望がどこまで果たされたかは不明である。ただ、この本を読んで確実に言えそうなのは、天才の遺伝子を受け継いでも、必ず天才になれるわけでも、幸福になれるわけでもないということ。

当事者たちが何を考え、天才精子バンクに関わったのか。その後、どう人生を生きてきたのか。数組の奇妙な親子たちへの取材は、ひとつひとつがドラマである。こどもたちには優越感もあれば寂しさもある。実は深い考えなどなくアルバイトとして精子提供を行っていたドナーもいた。プロフィールに嘘を書いた人物も告白を始めた。複雑な心理を抱えて、関係者は生きていた。

天才を人工的に作ることができるのか、この本に回答はない。ただ、実の子であろうとなかろうと、愛情豊かに育てられることが、人を幸せにする。その結果、才能も開花するし、社会的に高い地位につける。そういうことなのではないかと、この奇妙な実話を読んで考えてみた。

・天才はなぜ生まれるのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001320.html

・心はどのように遺伝するか―双生児が語る新しい遺伝観
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001049.html

・ヒトはなぜするのか WHY WE DO IT : Rethinking Sex and the Selfish Gene
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003360.html

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2005年07月11日

タイムマシンをつくろう!

・タイムマシンをつくろう!
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タイムマシンの作り方を物理学者が本気で考えた本。

時間旅行が可能であることは疑いないらしい。1971年に精密な原子時計を飛行機に乗せて世界を一周させ、地上に置いた同一の時計と進み具合を比べる実験が行われた。飛行機に乗せた原子時計は明らかに進み方が遅く、地上の時計と比べて59ナノ秒だけ遅れていた。
毎秒30万キロメートルの光速で移動する宇宙船に乗っていると人は年をとらないと空想小説で書かれているが、この現実の原子時計の遅れは、それよりはかなり遅い飛行機の速さによる小さなタイムワープの結果である。

59ナノ秒は理論値通りであったそうだ。光速の半分で時間は13%遅くなり、光速の99%で7倍も遅くなる。もちろん、現在は人間を光速に近づける技術はないし、できたとしても人が生きていることができない。

そこで、この本では、光速移動を使うのではなく、時空を捻じ曲げるワームホールを利用する案を提案する。

この本のタイムマシンの作り方は以下の通り。

1 10兆度の超高温状態をつくる
2 超高温の塊を圧縮、さらに過熱すると小さなワームホールができる
3 できた微小ワームホールを拡大する
4 ワームホールの出口と入り口の間に時間差をつくる

映画のようにタイムマシンという機械装置を作るわけではなく、ブラックホールを操作してふたつの時間とつながった奇妙な時空を作るわけだ。現在の科学技術ではまったく不可能だが、理論上は不可能ではないことを証明して見せようとするのがこの本の面白さ。

ただし、このタイムマシンではマシンが製造された時間より前に飛ぶことができない弱点はあるのだが...。

ワームホールは映画コンタクトに登場する。

・コンタクト 特別編
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この映画もよかった。

最終章ではタイムトラベルのパラドクスに関する考察がある。

たとえば、過去にさかのぼって親を殺した場合はどうなるのか?という有名なパラドクス。これはそもそも親がこどもを産む前に死んでいれば、タイムトラベラーが存在できないので、殺すこともできない。ナンセンスな問題だとあっさり片付けられている。

何より不可解なのは情報の起源をめぐるものだと著者は面白い問題提起をする。ある教授が2005年にタイムマシンを作り、2010年に行って、未来の学会論文雑誌の中で優れた数学の定理をメモして、2005年に戻ったとする。そして2005年に優秀な学生にそのメモを渡して、論文雑誌に発表させたとする。すると、その定理はどこから現れたことになるのか?という問題である。誰も発明していない定理が存在してしまう不思議。

無論、こうしたパラドクスは宇宙の存在自体を危うくする可能性がある。科学者によっては宇宙はこうしたパラドクスが起きないように、あの手この手で障害を作り出すものだと定義していたりする。

結局、行きたい時間を設定してレバーをえいっと引くとびゅーんと飛んでいけるH.G.ウェルズのようなタイムマシンの話ではなかった。この旧式のアイデアは実際に作ると、地球は宇宙を刻々と移動しているわけで、飛んだ先が真空の宇宙空間だったという罠があると欠陥が指摘もされていた。

・タイムマシン 特別版
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「H.G.ウェルズの小説を映画化。運命を変えるヒントを求め、80万年後の未来へと旅立った若き天才科学者の壮大な冒険を描いた、SF・アドベンチャー・ムービー。出演は「メメント」のガイ・ピアーズ、「ダイハード3」のジェレミー・アイアンズほか。 」

80万年後はちょっと寂しい未来だった(感想)


タイムとラベルの研究とは純粋な思考実験として物理の理論を洗練させることに意義があるという。そして同時に思考実験はいつか実際に検証できるときがくる。科学の進歩に必要な遊びなのだと結論されている。

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2005年07月03日

奇想、宇宙をゆく―最先端物理学12の物語

・奇想、宇宙をゆく―最先端物理学12の物語
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私が高校生くらいの頃に思いついた奇想がひとつある。世の中に「因果関係」なんてひとつも存在しないのではないかというアイデア。

たとえば、

事象A コップを落とす
事象B コップが割れる

という二つの事象が連続して起きると、事象Aが原因で事象Bが結果の因果関係だといわれる。でも、コップを落としても割れないことがある。たまたま事象Aが起きた後に、Bが起きる確率が異常に高い相関関係を、因果関係と呼んでいるだけなのではないか?と思ったのだ。

コップの場合は割れない確率は結構高いだろう。だが、確率が1%なのか0が小数点以下何億も続くくらいの稀の確率なのかは私が言いたいことと関係がない。ただそれが確率の問題、ただの相関係数の問題だと考えられるのではないかということであり、まず間違いなくA→Bになる厳密な科学実験の内容でも同じことだ。

つまり、時間に対して連続して起きるすべての事象群は、偶然にバラバラに発生していて、そこには原因も結果もなく、作用も反作用もない。たまたま私たちは、A→B→C→D...という流れで分岐する可能性の世界のひとつを経験しているだけなのではないか、と考えてみたわけだ。

過去が現在に、現在が未来に影響を与えることがない世界。今考えるとこどもっぽいアナーキーな発想遊びに過ぎなかったのだけれど、確率をベースとする量子論ではそれほど奇想ともいえないことを知った。

そして、この本には無数のもっと強力な奇想が紹介されている。私の奇想などこの中では凡庸だ。

たとえば、過去が現在に影響を与えているだけでなく、同時に未来が現在に影響を与えているというマーク・ハッドリーの奇想がある。このアイデアによれば、過去と未来をつなぐロープが存在していて、両端がロープの中間に影響を与えて、なわとびのように、波を作り出す。

過去から情報が届くだけでなく、未来からも情報が届く。素粒子のレベルでいまだ解明できていない振る舞いを彼はこの理論で説明しようとし、「粒子はただ、出来事の知らせが届く前に、反応しているに過ぎないのである」とする。

また、私のアイデアのような”多世界モデル”では、無限の可能性の分岐した世界が存在してしまう。私たちが住む世界は膨大な数のそうではなかった世界を前提としている。宇宙がビッグバンで開闢し、地球ができて、生命が生まれ、進化し、人類が誕生する確率はほとんどありえないくらい小さい確率になる。何らかの調整が働いてきたのではないか、という奇想が生まれる。


一つは、宇宙が至高の存在である神の手で人類のためだけに生み出されたという解釈である。そしてもう一つは、宇宙が現在見られるような姿になっているのは、もしそうでなければ、そもそも人類など存在しているはずもなく、そんな事実が問題になることもなかったというものだ。

もしかすると、知的生命は進化を続けると宇宙自体を作り出すことができるようになり、我々の宇宙は造られたものの一つなのではないかという奇想もある。

さらに地球外生命体の作り出したものは、既に宇宙にあふれているが、人類の知識が圧倒的に不足していて、それと認識できないだけではないかとする人もいる。現在のシリコンチップを何千年分風化させ、19世紀の科学者に分析させたら、人工物と思わずに、シリコンという元素と金のような重金属を含むものと思ってしまうかもしれない。100年間で科学がこれだけ進んでいるのだから、何百万年も進化した知的生命体の創造物は、どのようなものであるかもわからないはずだという。地球や人類が作られたものであってもおかしくはないわけだ。

なお、現在の学会の主流派の説は、宇宙は実は10次元で、私たちには4次元分(X,Y,Z軸+時間)が見えている。見えない6次元分は極小の空間に折りたたまれているというもの。一般人にとっては、十分、主流派の考え方も奇想であると思った。

・広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由―フェルミのパラドックス
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003540.html

・科学者は妄想する
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003473.html

・ガリレオの指―現代科学を動かす10大理論
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002797.html

・フィールド 響き合う生命・意識・宇宙
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002668.html

・私・今・そして神―開闢の哲学
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002660.html

・トンデモ科学の見破りかた −もしかしたら本当かもしれない9つの奇説
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001621.html

・物理学と神
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001503.html

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2005年06月28日

広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由―フェルミのパラドックス

・広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由―フェルミのパラドックス
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知的好奇心をかきたてられて大変面白い一冊。

「みんなどこにいる?」と科学者フェルミはつぶやいた。

宇宙には無数の星が存在しているのだから、地球外文明(ETC)との遭遇がもっとあってもよさそうにも関わらず、私たちはまだ隣人の存在を一度も見つけることができていない。これがフェルミのパラドクスで、数々の科学者がこの難問に挑んできた。

発達した通信能力をもった地球外文明は銀河系にいくつあるか、を表すドレイクの公式は、このフェルミのパラドクスを解く鍵となると考えられている。

N=R×fp×ne×fl×fi×fc×L
N    発達した通信能力をもった地球外文明は銀河系にいくつあるか
R    銀河系で1年に星が生まれる確率
fp 惑星を持つ恒星の割合
ne 惑星を持つ恒星のうち生命を維持できる環境を持つ惑星の数
fl 生命が維持できる惑星のうち、実際に生命が育つ割合
fi その惑星のうち生命が知的能力を発達させる割合
fc そのうち恒星間通信ができる文化が発達する割合
L    そのような文化が通信を行う期間の長さ

私もこの本を読む前にひとつ自分なりの答えを作っていた。それはこういうもの。

人類のような高度な通信技術を発達させた文明が生まれる確率はとても低い上に、その存続は宇宙の時間では一瞬に等しい。だから、稀に高度な文明が出現しても、二つ以上の文明が近接した時間と領域で通信を交し合うことは極めて珍しい。だから、まだ人類は隣人を見つけることができていない。(だが、運がよければ私たちの時代に見つかるだろう。)

さて50の理由を読んでみると、この仮説もまんざら的外れではなかったようだが、考えたこともなかった理由が3分の1くらい含まれていて、科学者たちの発想の豊かさに驚かされた。

この本では著者が選び抜いた50の理由が以下の3つのパターンに分類されている。

1 実は来ている
2 存在するがまだ連絡がない
3 存在しない

1の実は来ているでは、私たち自身がETC由来の生物だという仮説から始まって、地球はETCの動物園で観察者たちは見つからないように隠れている動物園仮説のような奇抜なアイデアもある。天空はETCによって作られたプラネタリウムなのだという似た案もある。

2の存在するがまだ連絡がないは数が多い。星の距離があまりに遠いこと、こちらに到達するまで時間がたっていない、信号は送られているが聴き方がわからない、向こうは別の数学を持っているなど。面白いところでは、ETCの多くが宇宙など興味がなく、自らが構築した仮想世界にハマっている(ネットを泳ぎ回っている)説や、皆殺しエイリアン集団に察知されるのを恐れて臆病になり通信をしていない仮説など。

3の存在しないは、そもそも人間がいるから観察できる宇宙が存在できるとする人間原理説から始まって、われわれが生命一番乗り説、生命の誕生は極めて珍しい、人間並みの知能はめったにない説、技術の進歩は必然ではない説などがある。

多くの説は、ドレイクの公式の各変数の大きさについて語っている。変数は科学的に検証すればするほど、見積もりよりも小さいことがわかっていく。地球ができて生命が生まれ、知的生命として発達し、現在の文明があること自体が極めて稀な偶然の連続の産物であり、このような状況が近隣で発生することは難しそうなことが分かっていく。

そして、この本の真骨頂は50番目の理由として著者の結論「宇宙にはわれわれしかいない」を書いたこと。著者は50の理由のうち、支持できる仮説をいくつか取り上げて、その掛け算で、ドレイクの公式を解こうとした。すると、各パラメータの数字はあまりに小さくて、答えは1。つまり、われわれしか存在し得ないという合理的な結論にたどりつく。

エイリアンはいる(いた、あるいはこれから生まれる)が、結局、私たちは会うことができない。その通信を受け取ることも永遠にない、という寂しい結論である。だが、Xファイルファンの私にもまだ希望はありそうである。

この本で面白かったのは何度も出てくる「フェルミ推定」の方法論。未知の数字のおおよその大きさを求める工夫。「シカゴにはピアノ調律師は何人いるか?」だとか、「世界中の海岸にある砂浜の砂粒はいくつくらいか」、「カラスは止まらないでどのくらい飛べるか」などの質問に対して、おおざっぱな桁レベルの答えをどうやって見積もるかのノウハウである。

宇宙についてはほとんどのことが未知なので、いかに科学的に出された数字といえど、各変数の大きさはフェルミ推定式な概算見積りでしかない。そのレベルでの概算でも、「われわれしかいない」という答えが出たというのは説得力がある。

だが、この答えを否定するのは難しいようで簡単だ。ETCの電波が今日や明日、特定されてしまえば、破られる。「宝くじに当たる確率は、当たるか、当たらないかの2分の1だ」と言った友人がいたが、この問題についてはそういう答えもありだろう。

本当は事実を合衆国政府が隠蔽しているだけなのだけれども。

The Truth Is Out There.

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2005年06月02日

科学者は妄想する

・科学者は妄想する
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日本テレビの番組「特命リサーチ200X」の元スタッフで科学ライターである著者が、自分のメールマガジンで発表したネタを中心に書籍化。科学の世界の真面目な珍説、奇説ガイド。

・奇天烈科学top
http://homepage3.nifty.com/kite-tonde/
この本の元ネタとなったメールマガジン。

読みやすくて面白い。

地球温暖化を回避するために地球の位置をずらそうと考えている科学者がいる。心霊体験の本質を実験で解明し、お化けがでまくる幽霊屋敷を人工的につくろうとしている英国の博士がいる。人間がことばを話そうとする直前に出る電気信号を使ってテレパシーを実現する装置を開発したNASAの研究者がいる。脳のある部分を刺激すると幽体離脱体験が生じることを発見したスイスの神経学者がいる。地球の深層には大量のガスがあって石油の原料となっているので石油は今後も枯渇しないと考える高名な天文学者がいる。

そんな正当科学でもトンデモ科学でもない微妙なライン上にいる研究者ばかりをとりあげている。超常現象に関係する研究も多いが、オカルトではなく、その不思議の裏側には科学的原因があるという仮説を立てて、再現しようとしているものが取り上げられるので、しらけずに読み進められる。

たとえば側頭葉てんかんの患者には神を観る、天の声を聞く体験をする人が多いことから、側頭葉に宗教的法悦や神を感じる「ゴッドスポット」が隠れているのではないかという仮説。磁気を側頭葉に当てる人体実験を行い、神を感じることに成功しているらしい。危ない実験なのでその後の再現がなかなかできないそうだが、本当であれば、神さまを必要なときに呼び出すゴッドマシーンがいつか登場するかもしれないという話。つまり神様までつくりだそうとしているマッドサイエンティスト。

人類や世界のあり方そのものを根底から変えてしまうような可能性のある研究が多数ある。学会では異端視されているものが多そうだけれど、将来、正当な科学の世界で本当でしたと発表されるものも2,3ありそうな気がした。

Truth is out there.

・トンデモ科学の見破りかた −もしかしたら本当かもしれない9つの奇説
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001621.html

・フィールド 響き合う生命・意識・宇宙
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002668.html

・科学を捨て、神秘へと向かう理性
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002634.html

・人類はなぜUFOと遭遇するのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002440.html

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2005年05月26日

考える脳 考えるコンピューター

・考える脳 考えるコンピューター
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著者のジェフホーキンスは、パームコンピューティング社とハンドスプリング社の創業者で現在はパームワン社のCTOのジェフ・ホーキンス。PalmとTreoの産みの親。シリコンバレーで最も成功した起業家の一人。2002年に脳と記憶について研究するレッドウッド神経科学研究所を設立し、脳の仕組みの解明に取り組んでいる。

脳の仕組みを解明する研究と、人間の知能と同等の人工知能を実現する研究。この二つは長く研究されているが、成果は出ていない。原因は脳とコンピュータの動作原理を同じものと考えるアプローチにあるのではないかと著者は問題提起する。

コンピュータと比べると脳の内部の情報伝達速度は500万倍も遅い。コンピュータチップなら1秒間に10億回の計算が行えるが、脳のニューロンのパルス出力では1秒間に200回程度。だが、圧倒的に処理ステップ数が少ないはずの脳の方が、高度な情報処理を瞬時に行うことができている。

だから二つは原理が違うはずだという。コンピュータの演算速度がいかに向上しても脳と同じ芸当はこれからもできないだろうと予測する。従来の人工知能は大きなトップダウン式の階層ピラミッドや、ニューラルネットのコネクショニズムのようなフラットなネットワーク構造から知能が生まれると想定している。しかし、こうした系の馬力を高めても、なかなか人間の知能同等のものは生まれてこなかった。

これに対して、記憶を使って未来を予測することが知能の本質であるというのが著者の持論である。脳のはたらきでは、大脳新皮質が大きな役割を果たすと仮定し、そこに各階層が入出力をフィードバックする階層構造があるというのが基本的アイデアである。

新皮質は、感覚や思考の入力パターンに対して

・パターンのシーケンスを記憶する
・パターンを自己連想的に呼び戻す
・パターンを普遍の表現で記憶する
・パターンを階層的に記憶する

という機能があるのではないか、とする。

つまり、パターンを特徴的なまとまりで記憶し、その記憶をつなげて普遍的な表現を構成したり、階層化したりしながら、物事を考えるということだ。ユニークなのはこのパターン処理のシーケンスの各階層が過去の記憶から、未来を予測しながら、動いているという洞察である。


予測と行動が緊密に連携し、パターンが新皮質の階層を上下する。奇妙に聞こえるかもしれないが、自分自身の行動が関与するとき、予測は感覚に先だつだけでなく、感覚そのものを決定する。つまり、シーケンスのつぎのパターンに移ろうと考えることで、つぎに経験するべき感覚が予測される。そして、この予測が展開されてつくられる運動の命令は、もとの予測を満たすための行動にほかならない。考えること、予測すること、行動することは、すべて同じシーケンスを展開したものの一部として、新皮質の階層をくだっていく。

これは直感のことを言っているようだ。直感は膨大なすべての可能性の高速な論理演算の結果ではなくて、過去の記憶から少ないステップで連想した未来の予測なのだといいたいらしい。同時にその予測が理解の本質であり、行動を決定するものなのだ。

情報がなくてもテキトーにうまくやる、だとか、常識的に振舞う、だとか、雑談をするというのは、人間には簡単にできて、コンピュータにできないことである。そうした知能を実現しているのが予測であるのかもしれない。コンピュータは処理過程で予測などはしない。ただすべての可能性の計算をして答えを出しているだけだ。計算処理の各ステップ自体が予測を含むものなのであれば、テキトーがなぜ適当に働くのか、分かる気がする。

著者は有名だが、本来はソフトウェアの設計者であって脳の研究が本流ではないはず。だから、この本に書かれている新皮質の解明理論がどの程度正しいのかは私には判断できなかったが、人間の知能のはたらきについて深い洞察にあふれている。また知的に振舞うソフトウェアをどう作るかについても、著者の長年の経験から導かれる知見がいっぱいである。

まったく新しい知能ロボットやソフトウェアを考えてみたい人におすすめ。

・アンドロイドの脳 人工知能ロボット"ルーシー"を誕生させるまでの簡単な20のトラップ
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003043.html

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2005年04月13日

セレンディピティ・マシン 未知なる世界、発見への航海

・セレンディピティ・マシン 未知なる世界、発見への航海
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こんな計算表が序盤で紹介されていた。

10人のグループ 11.6%
20人のグループ 40.6%
30人のグループ 69.7%
40人のグループ 88.2%
50人のグループ 96.5%
60人のグループ 99.2%

これはなんだかわかるだろうか。

「グループに同じ誕生日のペアが含まれる確率」だ。もちろん、私とあなたが同じ誕生日である確率は365/1である。とても小さい確率だ。だが、グループ内の不特定の誰かと誰かが同じ誕生日の確率ならば、上記のような計算になるそうだ。つまり中学や高校の1クラス規模なら「運命の出会い」の二人は存在しない方が珍しいのである。

これは多くの人が最初に直感した数字よりも、かなり高い値だと感じるだろう。そして、これはこの本のメインテーマである、意味のある偶然=セレンディピティは結構高い確率で起きることの説明である。

情報のデジタル化、ネットワークの拡大、エージェントソフトウェアの活躍、インターネットコミュニケーションの活性化、バーチャルリアリティの実用化、データマイニングなど、情報テクノロジーの成果は、本来は出会わなかった情報や人の組み合わせ数を爆発させる。

「生命とはある種の計算である」ともいう。遺伝子の複製、脳の情報処理、宇宙の惑星の動き、動植物の振る舞いなど、自然界のプロセスにも多くのルールがあり、生物も環境も機械の一種とみなす人もいる。こうした自然のプロセスを計算とみなすのが「ナチュラル・コンピューテーション」という考え方。これに従えば自然のプロセスもまた、天文学的な組み合わせの計算を何十億年も続けているシステムだといえる。ここにもセレンディピティはたくさん発生する。

膨大な数の組み合わせを試すことで、たまに有意なものが生まれてくる。この本はそうした現象を縦軸に、最新の情報科学や先端技術を総括していく。コンピュータやネットワークコミュニケーションは膨大な数の出会いを発生させる。この無数の出会いの中からセレンディピティをどう取り出すか、が重要なのだよと複雑系研究で知られる著者デビッドグリーン教授は言いたいようだ。


では、私たちはミスター・ミコーバーよろしく「偶然」を待ち続けていればいいのだろうか。もちろんそうではない。実は、セレンディピティ・マシンーーーコンピュータとコミュニケーションーーーを活用することによって「必然」にすることができるのである。

と結論している。

コンピュータとネットワークで集めた情報をマイニングしチャンスを見つけろ、というのが答えになっている。偶然の幸運を待つのではなくて、必然の幸運をつかみにいけということだ。

なるほどなあと思った。


が、私が思うにもうひとつ、セレンディピティへのアプローチってあるなと感じている。それは当たり前のことも幸運だと思う「ツイてる!」技術のことだ。毎日がセレンディピティな人になることだ。ポジティブシンキングはセレンディピティを倍増する。

そして、「ツイてる!」といえば「俺と100冊の成功本」以外で何があるだろうか。

一昨日の書評が妙にアクセス数が多いと思ったら、俺と100冊さんが

・[俺100]:書評かくあるべし
http://blog.zikokeihatu.com/archives/000635.html

ここで前代未聞のスケールでホメ殺しにしてくれていたのである。

なんだか分からないが、これこそセレンディピティだ。最高だ。

この文章を読んでいるあなた。

それって私がお礼に俺100リンクを張りたいんでしょ、この本と関係ないでしょ、なんて思ってはいけない。ネガティブシンキングをしている暇があるなら、リンクをクリックしてセレンディピティの世界へ飛び込んでいくべきだ。脅威のツイてる!ワールドが待っている。

たぶん。

あ、いや、たぶんとかいっちゃいかん。絶対。

セレンディピティ強化のため最後にもう一度リンク。

・俺と100冊の成功本
http://blog.zikokeihatu.com/

関連:

・偶然からモノを見つけだす能力―「セレンディピティ」の活かし方
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001168.html

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2005年04月10日

SYNC なぜ自然はシンクロしたがるのか

・SYNC
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ダンカン・ワッツと共に「スモールワールド」理論を提唱したことでも知られる、コーネル大学応用数学科教授ストロガッツ・スティーヴンの最新邦訳。テーマは世界に普遍的に生じる同期現象。

何万匹の群れが同期しながら発光するホタルや、クルマの交通渋滞、人間の睡眠周期など生き物の世界だけでなく、粒子の世界のレーザー光線や超伝導の仕組みも同期現象が背景にある。

この本は世界に普遍的に存在している多様な同期現象を取り上げ、その共通メカニズムを科学的に解明する。飽くまで一般向けの本なので数式を使わずに、比喩を使って、モデルを説明する名作。

■ヒトの同期現象:拍手が同期する理由

人間の拍手の同期についての考察はとても興味深い。大きな会場で、自然発生的に、満場の拍手が行われた場合、最初はバラバラな拍手が一瞬リズミカルに同期してまたバラバラに戻ることが多い。東欧の研究チームがオペラや劇場公演の拍手を録音して解析した結果、拍手が同期している間はそのテンポがバラバラなときよりも、遅くなっていることが分かった。

生まれつき拍手のテンポが速い人や遅い人がいる。彼らはつまり、バラバラな周波数を持つ振動子の集合である。集団全体の周波数分布が広過ぎると拍手はバラバラだが、狭まると同期が起きやすくなる。息の合った拍手がベストと考える振動子たちは、周波数がかなり近い隣人には、テンポを歩み寄る習性があるからだ。ランダムが同期に至る瞬間は物理学における相転移現象とみなせる。

一人ひとりは心を持ち、大きな拍手こそ、演者に感動を伝えるものとも感じている。そこで拍手全体の音量と同期の心理的トレードオフが起きているのではないかと著者は考えている。このふたつは同時には得られない宿命がある。

バラバラで騒々しい拍手とリズミカルに同期する拍手の持続時間を比べると、同期する時間は半分以下である。よって拍手全体の同期時間の音量の総和は、バラバラな拍手の音量の総和を大きく下回ることになる。そして、同期している間、今の音量では十分ではないと判断してより速く、大きく拍手をする振動子が現れる。すると周波数帯が広がって、同期と非同期の間の相転移ラインを再び下回る結果、全体の同期は崩れてしまう。

最初にこうしたシンクロ現象を指摘したのはノーバート・ウィーナーの「周波数の引き込み現象」理論で、多様な周波数を持つ振動子が正規分布する系では、平均ピークの前後で互いの周波数が引き合って、特定の二つの帯域にピークが発生するとした。つまり、人間社会や自然界では、自然に同期が起きるという理論だ。ウィーナーは現実のデータによる裏づけには失敗したものの、同期現象解明に道を開いた。

これを受けてアート・ウィンフリーが影響関数と感度という要素を提起し、理論を洗練させた。集団の均質性を少しずつ高めていくと、ある閾値を超えた瞬間に、系はコヒーレント(足並みが揃う)に振舞うように変貌する。同期とはランダムから万物が創造される非線形力学であることが解明されていく。

その後、これを厳密に非線形の数学モデルとして証明して見せたのが、この本の訳者の蔵本由紀であり、多様な現実世界の理論として説明したのがストロガッツである。同期現象をめぐる世界の最先端のタッグでこの本は作られている。

■ソーシャルネットワークを動的にとらえるシンクと流行モデルの研究

インターネットでは、ソーシャルネットワークサービスが話題になっている。SNSは人のつながり方(著者の研究であるスモールワールド)を可視化する。それだけでも便利ではあったが、リンク具合を静的に眺めているだけだともいえる。それに対して、つながりの上で起きていることを動的にとらえるのが、同期の研究なのだろう。

私たちはひとりひとりが、多様な話題に特定の周波数を持つ振動子なのかもしれない。ある人はある話題には高い周波数を持つが別の話題には低い周波数を持つというように。こうした系に集団の多くの構成員が似たような反応周波数を持つ話題が発生すると、流行が発生する。

流行の基本モデルとしてグラノヴェッターの有名な流行学モデルが紹介されている。この単純な仮定では、集団Aでは、100人の構成員がそれぞれ0から99までの閾値を持っている。例えばこの閾値は過激度で、閾値0の人間が行動を起こす(例えば窓ガラスを割る)のを見ると、閾値1の人間は反応して行動を起こす。それを見た閾値2の人間も行動を起こす。そして、3、4,5,6...と言う風にドミノ倒しが発生し、集団は暴徒と化す。

だが、もし閾値1の人間が二人いて、閾値2の人間がいない集団Bの場合、閾値1が行動を起こしても、連鎖は生じない。全員の閾値が2を上回っているからだ。面白いのは、ふたつの集団AとBは、ほとんど周波数分布に違いがないということである。たった一人の構成員が、全体を暴徒化させるか否かの違いになっている。集団心理の予測の難しさはこれが原因である可能性もある。

このグラノヴェッターモデルを拡張したのが、ダンカン=ワッツモデルで、各構成員の閾値はそれに先立って行動を起こすに違いない隣接ノードの割合と定義する。自分の隣人たちが高い割合で行動したのを見ると自分も行動する。その結果、さらにその隣人にも影響を与えるという系である。一直線のドミノ倒しではない現実に近いモデルだ。さらに実際の人間関係と同様に、大胆な性格の人や、知り合いの多い人が、全体にランダムに分布していると前提する。

ダンカン=ワッツモデルのコンピュータシミュレーションを行うと、ふたつの有名な相転移現象「ティッピング・ポイント」が見出される。リンクの密度が一定以上の集団では、流行は小さなきっかけから急速に大規模に広まり、そしてパタっと突然終わる瞬間がある。さらに分析すると「脆いクラスタ」と呼ばれる小集団が見つかる。この小集団はマーケティングの世界で「初期採用者(アーリーアダプター)」と呼ばれる人たちで新しいものを積極的に取り入れる影響力のある層のこと。全体の比率として脆いクラスタの占める割合は小さくても、彼らの行動が全体に及ぼす影響力は巨大で、流行の鍵を握る存在となっている。

この本を読んで思ったのは、マーケティングの世界では「ティッピングポイント」や「アーリーアダプター」という概念が、本来の科学を離れて濫用されてしまっているということ。本来、それらを見つけるには、全体の周波数分布やリンク密度、話題の周波数について、厳密な計算が毎回必要なはずなのだ。新しいもの好きな人たちに情報を流せば大流行が起きるという単純なノウハウに還元するには無理があるように思った。

カオスや複雑系と同じ非線形力学は、世界を支配する法則として線形力学よりも普遍的なものであることが分かっている。だが、私たちはそれを直感的には理解するのが困難だ。だから、どうしてもマーケティングの世界のように、過度に単純化したり、ユングの「シンクロニシティ」のようにオカルト化してしまう傾向があるように感じる。それでは肝心の部分が抜け落ちてしまう。ストロガッツのように、どこまでが科学かを一般向けに説明する科学者は、同期というテーマで社会を正しく同期させる上で貴重な振動子だと思った。

こうしたテーマに興味のある人は必読。

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2005年03月24日

消滅する言語―人類の知的遺産をいかに守るか

・消滅する言語―人類の知的遺産をいかに守るか
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■消滅する言語

地球上から2週間に1つのペースで言語が消滅している。

世界には著者の調査では6000±1000の言語があるが、実際の話者の数を見ると、非常に限られた言語の話者が世界全人口60億人のかなりの割合を占めている。上位8つの言語(標準中国語、スペイン語、英語、ベンガル語、ヒンディー語、ポルトガル語、ロシア語、日本語)だけで24億人。上位20位まで広げると32億人で世界人口の半数を越える。さらにすすめると4%の言語が全人口の96%によって話されているという。

6000±1000の言語のうち、4分の1は話者1000人未満であり、半数は1万人以下の少数の話者しか持たない。消滅しようとしているのはこうした小さな言語のことだ。危機的な状況に陥っているのは6000の言語。つまり、数的には90%の言語が、話者が減少傾向が続いていたり、まさに絶滅しようとしている。

まず危機言語の問題を聞いて思うのは、深刻さがよくわからないということ。言語の消滅がどのような不利益や危険をもたらすのかがはっきりしない。

歴史や民族文化の多様性が失われてしまうという生態学的多様性の危機という学者の見解は一応、理解できる。しかし、消滅しようとしている言語の多くに、大抵の人間は一生に一度も触れることがない。1000人、1万人の小さな共同体の文化に具体的にどんな素晴らしい知的資産が含まれているのか知らないものだから、多様性論は極めて抽象的で、説得力の弱い意見に思えてしまう。遺伝子資源のように、それを使った特効薬のような成果が作れますという効用が見えないのが厳しい。

そこで著者は、たとえば、二十世紀最後に戦争が起きた地域、ベトナム、カンボジア、ルワンダ、ブルンジは、単一言語の地域であるという事実を指摘する。統一言語は相互理解だけでなく、衝突も加速させる面があるようだ。言語障壁があるおかげで、言語圏ごとに多数の経済が成立したり、多数の文化的英雄が活躍しえたりすることも、多様性の利益だという。

ただ、それでもなお、環境問題の如く言語消滅を人類にとって解決が急務の課題という共通了解をつくるには、まだ論拠が足りていない気はする。消滅言語の具体を私たちは知らないからだろう。

■言語の多様性を具体的に

言語の多様性を紹介する事例調査はとても興味深い。

英語では、Youは単数のあなたであると同時に複数のあなた方の意味を持つ。日本語の場合、あなたは単数を表す。ところが英語から派生したパプアニューギニアのトク・ピシン語では、

mitupela 私たち二人(あなたを含まない)
mitripela 私たち三人(あなたを含まない)
yumitripela 私たち三人(あなたを含む)
yutupela あなたたち二人
emtripela 彼ら三人
yumifoapela 私たち四人

という人称があるそうだ。数人単位のグループのコミュニケーションが生きていくのに重要な文化がうみだしたバリエーションなのだろう。

明証性と呼ばれる言語概念を含む言語があるという話も面白い。英語では「本が床に落ちた」というセンテンスは、自分で見たのか、誰かにその状況を聞いたのか、判断できない。明証性のある言語では、それを文法的に区別する。

オーストラリアのンギヤンバー語では、5つの明証性規則が分化していてとても複雑になる。(1)私が見た、(2)聞いたけれどみていない、(3)その証拠を見たがそれ自体は見ていない、(4)誰かに聞いた、(5)そう考えるのが合理的だ、の5つがあるそうで、観点をはっきりしないと文を作れないという。これは科学の議論に向いていそうな言語だが政治やビジネス営業では使いにくそうだ。

消滅寸前の言語には、きっと、こうした認知構造の違いにもとづくメジャー言語にはない視野が隠れている。昨日の日本の古代語の本のあったように言語に豊かな民族の歴史が刻み込まれてもいる。この著者がいうように、消滅言語の記録を積極的に残す施策は、有益だろうと思う。問題はそれ以上の”介入”は必要なのかということだ。

■何をすべきか、何ができるか

ITの普及と国際コミュニケーションの活発化は、言語の消滅を加速させていることは間違いないだろう。二言語を使うようにすることは、消滅の歯止めになると書かれているが、実際にはメジャー言語圏では、日本人のように日本語と英語の組み合わせがバイリンガルの大半だ。少数言語話者はメジャー言語を学習することで、言語経済学的に、メジャー言語に染まってしまうことの方が多いだろう。

山岳民族や騎馬民族など固有の地域の自然、風土と密接な関係がある共同体の言語も、生活の近代化によって、言語背景の特徴を失っていく。現代は急速に世界が狭くなり、異なる文化がかつてなかったほど接触する時代だ。多数の言語が混在するバベルの塔が、いままさに崩れようとしている。それが良いことなのか、悪いことなのか、誰の倫理基準で決めたら良いのだろうか。

著者はかつてのキリスト教布教の伝道師のように、言語の強者=英語圏(著者は英語学の大家)の善意の人間として、”予防言語学”を広めようとしているようにも見える。積極的に介入し、失われた言語を人為的に復活させることを理想としている。だが、成功例として挙げられている少数言語の復活事例(ヘブライ語など)が、どの程度の意義を持つのかはっきりしない。記録を残すこと以上の、消滅言語を救うアファーマティブ・アクションが本当に必要なのか、よくわからない。そもそも大量消滅を止めることはもう不可能だ。

ベンチャー企業の設立件数/倒産件数の比率と同じように、倒産件数が増えても、設立件数が上回っていれば良いという考え方もある。言語が生まれるスピードについてはまだよくわかっていないらしい。どこまでが方言で、どこまでが独立した言語なのか、判断が難しいからだ。政治的抑圧で消されようとしている言語はともかく、自然消滅する言語については、レッセフェールで自然に任せて、むしろ、新しい言語の誕生を加速させるような施策を進めてみるというのは奇策だろうか。

・コミュニケーション拡張装置としての機械翻訳
http://hotwired.goo.ne.jp/bitliteracy/guest/990817/
99年に書いた記事。ちょっと古いが今回のテーマに深く関連する。

・危機言語のホームページ
http://www.tooyoo.l.u-tokyo.ac.jp/ichel/ichel-j.html

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2005年03月23日

日本の古代語を探る―詩学への道

・日本の古代語を探る―詩学への道
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古典学者による古代語についての11のエッセイ。


夏は夜。月のころはさらなり。闇もなほ、ほたるのおほく飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。
」 枕草子

書き写していて、まさに名文だと思った。こうはなかなか書けない。リズムや情感が抜群だ。やはり、最後の「をかし」が効いている。

「をかし」は、現代の「おかしい」に変化して、InterestingやFunnyやSomething Wrongの意味でも使われるようになった。そもそもの語源が古事記にも使われる「をこ」であり愚かしく滑稽な様子を意味する言葉であったらしい。それが変化して趣があるという意味を持つようになった。歴史的経緯が、現在の「おかしい」の多義性につながっているようだ。

この枕草子の「をかし」については「物の形状・色彩・光線・音・香り・肌触りなど、感覚的な美を表し、または主知的な目で自然や人生を見る場合の平安朝的美の体系を示す」というある研究者の定義が紹介されている。

同時に、著者は、当時は「主知的な目で自然や人生を見」たり「感覚的な美」を見出すような美の体系など存在していなかったはずだとこの定義の矛盾も指摘する。自然を対象として客観視する感性はもっと後世になってからのことだから。ことばをそれが使われる歴史的文脈と切り離して考えてはいけないとして厳しく細にわたる考証が論じられる。古代の歴史、文化、生活についての著者の博学が、古代語の説明を通して、語られる。

古典学者でもない現代人が古代語を探る意味というのは、この本の副題にあるとおり、詩学への道ということなのだろうと思う。古代の文学の詩性を味わうだけでなく、日常、日本語を使う際の味や品にも、言葉の使い手の、重層的な知識というのは密接に関わっているだろう。

取り上げられる古代語は他にも、

木、毛
東西南北

キトラ
シコ
タビ
シト・バリ
豊葦原水穂国

などがある。

特に最終章の「豊葦原水穂国」(日本の美称)の解説は力が入っている。この呼び方には、未開の自然である葦と、人の手の栽培であり文化と秩序である稲が一緒に出てくる。著者はこの言葉が作られた背景、すなわち、征服される土着の民族や新しい農業技術を持って入ってきた新しい支配者層、権力の集中と律令国家の成立、記紀神話との関係を説明し、この国の王制の開始を神話的に告げる語なのだと結論する。


たった一語というかもしれぬ。しかし一粒の砂に宇宙が宿るように、たったの一語でも、ある時代の生態が、したたかに宿ることだってありえるだろう。少なくともこの語には、初期のヤマト王権が水田農業をいかに受け入れ、活かし、いかに展開しようとしたかというその政治的・文化的な次元や道程が、深く刻み込まれているはずである。そしてそれこそが、この語のになう記号論的な意味ないしは価値だと私は考える。

単なることばのトリビア本ではない。

・古代日本人・心の宇宙
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001432.html

・タブーの漢字学
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002684.html

・日本人の禁忌―忌み言葉、鬼門、縁起かつぎ…人は何を恐れたのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000809.html

・日本語は年速一キロで動く
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002025.html

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2005年01月19日

時間の分子生物学 時計と睡眠の遺伝子

時間の分子生物学 時計と睡眠の遺伝子
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講談社出版文化賞科学出版賞 受賞作品。睡眠のメカニズムを遺伝子レベルに探る。

■10分を検出できる体内時計

時計がなくとも朝は目覚め、夜は眠くなる。

脳の視床下部にあるSCNという器官に、24時間周期の生物時計(いわゆる体内時計)があるという。SCNの神経細胞はガラス板の上で培養しても、24時間周期の電気活動リズムを維持して変化するそうで、機械の時計のように自律的な発振器の役割を果たしている。この生物時計は概ね正確に24時間周期で動いているが、狂うこともあり、その場合には朝に強い光を浴びたりすることで調整が可能になっている。

この時計は案外高い精度で働いている。たくさんの被験者に、指示した時間に起きてもらう依頼をした実験結果が紹介されていた。朝6時に起きろといわれた集団では6時に、8時と言われた集団でも8時に、だいたい多くの被験者は起きることができている。そしてこのとき被験者の身体では、起床1時間前からコルチゾールというホルモンの量が増加していた。これは起きる準備が1時間前から始まっていた事実を示す。正確な起床時間は生物時計が10分から15分程度の時間経過を、睡眠中も感じることができるという証明になる。目覚ましが鳴る直前に目が覚めるという人の場合には、分単位で時間を感じている可能性もあるそうだ。

■なぜ眠るのか、なぜ眠くなるのか

人はなぜ眠るのか?その理由はいまだ分かっていない。だが、生存に不可欠であるのは明らかで、医師である著者は不眠症の患者に「眠らなくても死にはしませんから」と慰めたりするそうだが、本当は寝ないと死ぬのだそうだ。動物を眠らせないでおく断眠実験を行うと1週間から数週間で、衰弱し多臓器不全で死んでしまうそうだ。免疫系を損傷するのが原因であるらしい。

では身体の疲労回復のために眠っているのかというと、そうでもないようだ。横になって眼を閉じただけの安静状態の方が、実際に睡眠に入るよりも、代謝率が低い。身体の休息という意味では睡眠より安静にしているほうが良い戦略かもしれないという。睡眠は身体ではなく脳の休息が本質的な目的なのだ。

なぜ夜になると眠くなるのか?も完全には解明されていない。最新の理論では脳に睡眠物質が増えるから眠くなるのではなく、生物時計が発信する覚醒信号が夜になると弱まるからなのではないかと著者は考えている。これは夜型体質の改造に役立つ知識だ。覚醒信号を制御する生物時計を朝型に調整するには、朝の強い光を浴びることがまず有効なので、夜型を朝方に直すには「早寝、早起き」ではなく、「早起き、早寝」が正解だという。いくら早く寝ても生物時計を調整することはできないからである。

オレキシンという脳内物質が覚醒効果の原因であることが近年発見されたらしい。オレキシンは食欲と睡眠に同時に影響する。これは生きるために食物を探せるように覚醒レベルを上げておく、ということと関係がある。夜中にお腹がすいて眠れないのも、食べ過ぎると眠くなるのもオレキシンが原因のようだ。

いくつか本に出てきた睡眠のついての知識を引用してみたが、睡眠は意外にも謎だらけのようである。私は子供の頃、眠る瞬間を意識でとらえたいと思って毎晩のように、眠気と戦ってみたことを覚えている。当たり前だがいつのまにか眠りに落ちてしまう。睡眠に入る境界はみつからなかった。なんてバカな実験をしてたのだろうと大人になってから思ったのだが、訓練次第では夢を覚醒しながら見る覚醒夢というのがあるそうだ。あのまま続けていたら夢を制御できるようになったのだろうか。惜しいことをした。

・ヒトはなぜ、夢を見るのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001062.html

・人はどうして疲れるのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000877.html

・朝10時までに仕事は片づける―モーニング・マネジメントのすすめ
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000651.html

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2005年01月13日

福祉工学の挑戦―身体機能を支援する科学とビジネス

・福祉工学の挑戦―身体機能を支援する科学とビジネス
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著者は福祉工学研究35年、現在、東京大学先端研の教授。

福祉工学とは、「失われたり衰えたりした感覚や手足、脳の機能を、機械で補助・代行する工学分野」で、近年、社会の高齢化によって、障害を持つ人たち以外にも、ニーズが広がることが予想されている。

英語ではAssistive Technology(支援工学)と呼ばれる。人間の改造を中心とする医療工学とは区別され、人間の非改造を基本として、人間の周辺を改造するという立場をとる。具体的には人工聴覚や人工視覚、看護の支援ロボットなどの開発が含まれる。著者の研究室にそうした技術の具体例が多数示されている。

・伊福部・井野研究室 ホームページ
http://www.human.rcast.u-tokyo.ac.jp/index.html
  ・触覚を利用した聴覚補助装置(タクタイルエイド,タクタイルボコーダ)
   http://www.human.rcast.u-tokyo.ac.jp/topics/01tactile.html
  ・人工喉頭
   http://www.human.rcast.u-tokyo.ac.jp/topics/02yourtone.html
  ・人工内耳
   http://www.human.rcast.u-tokyo.ac.jp/topics/04interear.html
  ・音声-字幕変換システム
   http://www.human.rcast.u-tokyo.ac.jp/topics/03onsei-jimaku.html

■福祉工学とビジネス 地域の特殊性、対象への愛着がカギ?

福祉工学とビジネスの関係もこの本のテーマのひとつとなっている。

身体の障害は人それぞれであるため、応用製品は多品種少量生産にならざるを得ない。だから、大企業よりベンチャー企業や町工場が得意とする分野であるかのように思える。しかし、実際にはベンチャーが製品化に成功してしばらくすると、大企業が参入してきて市場を独占してしまうことも多いらしい。著者の関係したコンピュータ操作支援ソフトでの苦い体験も綴られている。

この本で福祉工学のビジネス化についての目の覚めるような解決策というのが提示されるわけではないのだが、いくつか考えるヒントになる提言があった。

ひとつは地域性の特色を活かせということ。北海道大学に長く滞在していた経験からの言葉だが、北海道の場合「寒さ」「積雪」「広域性」の3つが地域の特色である。温度差による人体影響の研究や、積雪時にも使える車椅子、点字タイルの開発などは北海道でなければ長期間研究ができなかったはずだと言い、中央でないからこそ、生まれる研究成果を大切にせよとアドバイスしている。

もうひとつ面白かったのは日本のロボット工学がなぜ世界の先端を進めているのかの分析。日本人はロボットを鉄腕アトムのような人間の味方として愛着を持つ人が多く、それが研究が盛んな理由なのではないかとする考察。

・森山和道の「ヒトと機械の境界面」バックナンバー
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/backno/kyokai.htm
ロボットとヒトの関係について詳しいサイエンスライターの森山氏のサイト

■五感で感じ取れるようなものが発見につながる

地域の切実な需要だとか、愛着を持っている対象というのは、”本物”のニーズであり、競争力のある研究になる可能性が高いということかなと思った。このほか、五感を大切にするといいという指摘もあった。

著者の長い研究史を眺めると、意外なところに発見があるものだと感心する。九官鳥、インコ、コウモリ、腹話術の研究が、人工声帯の開発に役立ってしまったりする。きっかけは予算で九官鳥を消耗品として購入して研究室で飼う、コウモリを洞窟へ捕獲しに出掛ける、腹話術の大会で講演するなど、机上にとどまらない行動だった。見事に研究の突破口につながっていく。


手に取れるような等身大のもので、五感で感じ取れるようなものからの発想が意外と役立つ場合がある

というのは福祉工学に限らず研究の極意のように思えた。

■生体機能から生活機能の支援へ。移動、コミュニケーション、情報獲得

著者は、障害者支援を「特殊な境遇の人のための特殊な領域」と見るのではなく、高齢者・病人・幼児などの身体的弱者を支援する社会システムの一つとして考えようとする、世界保健機関(WHO)の提言を支持している。そして、生体機能の障害を補助するという観点から、活動や参加といった、生活機能の充足を実現するための技術開発という方向性が必要だと唱える。

著者の在籍する東大先端研では生活するうえで最も必要な支援技術として、

・移動
・コミュニケーション
・情報獲得

の3つを重点課題として設定しているという。行く、話す、知るということが、活動や参加の原点で、生活の質を引き上げる主要素だということだろう。

引き上げる、支援するだけでは終わらないかもしれないとも思った。障害者があるが故にその他の感覚が研ぎ澄まされて、いわゆる健常者にはない能力を得るケースもあるようだ。全盲の人の中にはモノの気配を感じ取って衝突を避ける能力がある人がいるらしい。この本で紹介された研究によると環境音の反射からモノの位置を割り出すことができるという。耳が聞こえない人の中には読話術といって口の動きから会話を推定する能力を持つ人もいる。マスクをしていても高確率で分かるとも言われる。

こうした技術を突き詰めていくと、まるで超能力のような、まったく新しい能力の開発やロボット開発にも福祉工学は寄与するかもしれないと感じた。

■Windowsのユーザ補助機能

福祉工学と言えるかどうかは知らないが、Windowsにもコントロールパネルを開くと「ユーザ補助」の機能設定パネルがある。ここには普段見慣れない設定が多数用意されている。

例えば視覚が不自由なユーザのために、画面コントラストを大きくする機能。このチェックボックスをオンにすると、

winsien02.JPG

このように、

winsien01.JPG

大きなフォントで白黒のユーザインタフェースに変化する。他にもマウスをテンキ操作できるようにしたり、サウンド再生時に画面を点滅させる機能などがある。場合によっては障害がないユーザでも使えそうな機能だなあと思った。

身体が不自由な人にも、そうでない人にも便利な支援アプリケーションは市場が大きそうだ。音声認識、画像認識、読み上げ、その他、チャンスはどこらへんにあるだろうか。

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2005年01月06日

ガリレオの指―現代科学を動かす10大理論

・ガリレオの指―現代科学を動かす10大理論
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素晴らしい!名作が多いピーター・アトキンスの著著の中でも代表作になるのではないか。年始に読んだ最初の一冊だが、いきなり今年ベスト1候補。書名から一般向けのやさしい科学書が連想されるが、決して入門にはとどまらない深い内容がある。

たまには科学知識の頭の整理をしておこうと思って、事典として買ったつもりが、意外にも伏線だらけのストーリーになっていて、引き込まれた。

■10大理論による壮大な科学パノラマ

古代から現代までサイエンスの世界に革新をもたらしてきた10の理論を、1章各30ページ程度で解説する。好きな章から読んでも良いと前書きにあるが、この本の妙を味わうには絶対に順番に読むべきだ。著者は綿密に10の理論を話す順序を設計しており、章を進めるごとに読者の視野が広がっていくように構成している。

1 進化 ─── 複雑さの出現
 進化は自然選択によって生じる

2 DNA ─── 生物学の合理化
 遺伝形質はDNAに暗号化されている

3 エネルギー ─── 収支勘定の通貨
 エネルギーは保存される

4 エントロピー ─── 変化の原動力
 いかなる変化も、エネルギーと物質が無秩序へと無目的に崩壊した結果である

5 原子 ─── 物質の還元
 物質は原子でできている

6 対称性 ─── 美の定量化
 対称性は条件を絞り込み、指針となり、力となる

7 量子 ─── 理解の単純化
 波は粒子のように振る舞い、粒子は波のように振る舞う

8 宇宙論 ─── 広がりゆく現実
 宇宙は膨張している

9 時空 ─── 活動の場
 時空は物質によって曲げられている

10 算術 ─── 理性の限界
 算術は、無矛盾ならば不完全である


各章はテーマが違うが、科学史の整理、基本事項の確認から始まって、パラダイムシフトを起こした中心理論の解説、その後発見された課題、最新の仮説、これからの展望と続く。科学者の興味深いエピソードも随所に織り込まれるが、理論の理解という本筋を邪魔しないように、慎重に配置される。

■下の次元から上の次元を想像する科学

この本で面白かったのは、時空の章ででてくる高次元の理解の仕方。

絵画の遠近法は3次元の世界を2次元に投影する。同じように4次元を理解するには、3次元に投影してから、さらに2次元の図として表現する方法があり、時空理解のツールとして説明されている。4次元の長年の研究者になると、ある程度直感的に高次元の形をイメージできるようになるらしい。パラダイム革新というのは、今いる次元より、高い次元を想像することから始まるのかもしれないと感じた。

理論は複雑とはいえ、科学で世界を理解できることの不思議さについて著者の述べた見解も興味深い。数学体系や物理法則は人間の脳が理解できる体系であるが故に、それを公理として記述した世界は理解できるのだという仮説。

理解可能なものだけを理解するのだとすれば、私たちは無数にある事象のうち、ほんの僅かな部分しか、意識していない可能性がある。それ以外(理解不能な事象)は存在に気づきさえしないのだ。

だから、パラダイムシフトを起こすには、公理系を組み替える必要がある。そうすることで、今は理解できないことを理解可能にすることが必要になる。それは高次元を低次元から想像するということに近いのではないか。

量子論、ナノ、バイオ、脳科学、複雑系、時空など、先端サイエンスの対象は、科学者でない一般人にとって、見えないどころか、想像さえ難しい領域へと突き進んでいる。こうした事象を説明するには、要約や比喩も万能ではなく限界がある。

私たちの一般的な学習は周知の公理の組み合わせでできる定理の数を増やすことでしかなかったように思える。だが、先端科学の応用技術が社会に多大な影響力を持つようになった今、一般読者の公理系のアップデートが必要とされているような気がする。この本はまさにそれを仕掛けている本だ。

■真のテーマは万物理論

この本の本当のテーマは万物理論である。

最終章では、数千年の科学知識を集大成した結果、今日の私たちは世界をどのように理解できるようになったか、が語られる。最新の万物理論に近づこうとしている。より広い意味での万物理論が完成したことは歴史上、何度かあったのではないかと考える。アリストテレスの哲学、ニュートン力学、アインシュタインの相対性理論といった大物理論の支配期間は、やがて人間はすべてを理解し、制御できると信じることもできた。例えば、粒子の位置と速度が分かればあらゆる未来を正確に予測できる、と勘違いした時代があった。

万物理論の完成はルネサンスであると同時に「科学の終焉」が近いことを意味するのだと思う。その後には技術の歴史しか展開することができなくなる。閉塞の中から、パラダイムシフトが生まれて、古い万物理論を根底から破壊してきた歴史が、この本の内容でもある。

逆に現代は万物理論がない時代だろう。以前と違うのはゲーデルの不完全性定理や、ハイゼンベルクの不確定性原理によって、算術や物理の不完全さが証明されてしまったことにあると思う。次の万物理論の構築は不可能か、可能だとしても相当とらえどころのないものになる可能性が高い。

最終章では未来の科学のパラダイムシフトを著者が予想する。10大理論の中で著者が最も大きな破壊力を持つとみなしているのは、やはり量子論であるようだ。量子論は確かに科学の考え方を変えたし、量子論の成果は経済の3割を既に占めているとされる(例えば半導体産業)、影響力の大きな理論である。「第一のパラダイム・シフトは重力理論と量子論の統一がもたらすだろう」とし第2のパラダイムシフトとして物理的実在の根源を説明する、究極理論が遂に登場するだろうと予言する。

科学の未解決な問題のうち最も重要なものとしては、宇宙の起源と人間の意識のふたつをあげている。このふたつは意外にリンクしているのではないか?と読み終わって考えた。人間中心主義宇宙論や、量子論における位置と運動量の不確定性などの考え方は、客観と主観の間に真理をみつけようとする方向のように思える。

究極の万物理論の最終回答は「ビッグバンは私の心の中で始まった」なんていうオチでもおかしくないような気がしてきた。SF小説の読みすぎだろうか。

しかし、まあ、よくこれだけ広い分野を一人で理解し、格調高く説明できるものだと驚く。著者は天才だ。

・昨年度マイベストSF 大作は「万物理論」、中短編は「あなたの人生の物語」
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002774.html

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2004年12月19日

量子コンピュータとは何か

・量子コンピュータとは何か
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量子コンピュータという言葉は一般的に「次世代超高速コンピュータ」という意味で、ブラックボックスとして使われている。この本は一般読者向けに量子コンピュータとは何か?、動作の仕組みや既存技術との違い、今後の展望を教えてくれる本。

この本を読んで、私はどの程度、量子コンピュータを説明できるようになっただろうか。
まずちょっと説明してみる。

■私の説明:量子コンピュータとは

数学には、天才数学者がどんなに頑張っても、実際に計算して見ないと原理的に解くことができない問題が多数存在する。中学で習う因数分解もそのタイプの問題のひとつで、数百万桁のような大きな数字の因数分解は、現在のコンピュータでは何億年もかかってしまう。半導体業界の神話であるムーアの法則が今後も維持できて、毎年CPUの性能が倍になるとしても、私たちが見通せる近未来で、せいぜい数千年に短縮できましたというレベルで終わってしまう。

これは現代のコンピュータが計算を直列の回路で順番に解いているからだ。1秒間に何億回もの計算ができるといっても、私たちの日常的時間の中では計算量に限界がある。量子コンピュータの世界では、原子を使って計算を解くための超並列回路を一度確立してしまえば、一回動作させるだけで計算が完了する。回路を構成するスイッチの仕組みが違うからである。

現代のコンピュータはオンとオフのスイッチの集まりだ。電気が流れているかどうかでオンなら1、オフなら0という状態を表現する。量子コンピュータは原子レベルでスイッチを作る。原子は時計回りか、反時計回りで自転しているので、回る方向で1と0を表現できる。最近のナノ技術では、原子に高周波の電磁波をぶつけると回転方向を変更できる。これで極小のスイッチとして使えるようになった。

だが、原子レベルの超ミクロの世界では、私たちが目にする日常のマクロ世界とは異なる物理法則が働いている。普通のスイッチであれば状態は0か1しかない。だが、原子レベルでは粒子は0であると同時に1の状態であることができる。決定論的に0か1ではなく、確率論的に状態が決まる。限りなく小さな粒子レベルで働く量子力学の世界では、φ(ファイ)と呼ばれる”重ね合わせ”状態が起きるからだ。

重ね合わせの状態は単純なスイッチよりも表現できる情報量が多い。同時に複数の状態を表現できるからだ。粒子同士は絡み合っていて、ひとつが反転すると他の粒子も状態が変化する。こうした構造を使うことで、一度の計算で並列的に多数の粒子を動かし、高速計算を可能にする。

■量子コンピューティングの現在と未来

いつ量子コンピュータは私たちが使えるようになるのか?。まだ当面は使えそうにない。原子を10個程度組み合わせて単純な計算を実行させる段階までは成功しているが、これも実験室内での特殊な環境下での話。小さな原子の構造を安定させるのが難しい。今のパソコンのように一般利用が始まるのは、数十年後というのが妥当な未来予測になりそうだ。
一向にモノはできてこない一方で、理論は先行している。仮にそのようなコンピュータが製造できたら、どのようなことが実現できるか、が分かってきている。計算量の限界で不可能とされている問題、例えば大きな素数の発見や因数分解、将棋やチェスのような複雑なゲームの予測が、短時間で可能になる。計算してみたことがなかったから、分からなかった未知の基本法則の発見につながり、科学が飛躍的に進歩する可能性もある。

量子コンピュータの理論研究の先端では哲学的問題とも対決することになる。たった1000個の原子を組み合わせて表現できる数は10の301乗。この数は0が何百も続くのだが、宇宙の素粒子の数より大きい。すると、この計算はいったいどこで行われていることになるのか?という問題だ。そして、それを解釈するとはどういうことなのか。

SFのように、計算は平行宇宙で同時に行われている、とする「多世界解釈」を唱える学者もいる。脳の情報処理事態が量子コンピュータなのではないかとする学者もいる。この著者も「もしかすると宇宙自体が量子コンピュータなのかもしれない」と述べている。

■技術の説明の技術

著者はサイエンスライターで、複雑で難しく感じられる事柄を、簡単な部品とその組み合わせに還元することで理解可能にすることに情熱を燃やしている。分かりやすい比喩を用いて一般読者が理解可能な内容にかみくだこうとしている。その試みは7割くらい成功しているように思えた。少なくとも私は上記の説明を書き起こせる程度には分かった気がした。でも、やはり難しい。

数々の難しいものの説明に挑戦してきた著者であるが、量子力学の世界は根本に一般世界にはない法則がはたらいている。一般の世界に対応する適切な比喩をみつけることが難しい。そもそも複雑を単純に還元することができない部分があるようだ。特に難しいのは重ね合わせ状態φの概念で、このような状態は日常世界には存在しない。私たちは公理の組み合わせで定理を理解することには慣れているが、いきなり公理が増えましたと言われると理解が格段に難しくなる気がする。

特に量子論と複雑系は最近、読者ニーズが高まっているが、書き手にとって、理解と説明には困難が伴う。うまい比喩をおもいついたと思っても、それを応用しようとした段階で、比喩の対応関係が破綻してしまうことが多い。無理に進めれば読者をミスリードしてしまう。

専門の学者は何年、何十年の研究生活の中で直感的に理解しているのだろう。学会の権威だからといって一般向けの良書を書くことができるわけではないようだ。知っていることと説明できることは違う。科学離れを防ぐためにも、技術の説明の技術が要請されているような気がした。

この本は量子論そのものについては説明が不十分だが、量子コンピューティングについてはうまく書いていると感じた。既に量子力学の概念を把握している人に強くおすすめ。

【レポート】量子コンピュータとは(1) - 暗号を短時間で破る超高速性能の秘密 (MYCOM PC WEB)
http://pcweb.mycom.co.jp/news/2003/01/01/05.html

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2004年12月13日

ものが壊れるわけ 壊れ方から世界をとらえる

・ものが壊れるわけ 壊れ方から世界をとらえる
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著者は壊れるということを専門に研究してきたコロラド鉱山大学教授。

■いつとなぜの違い


いつとなぜとの混同はよくある誤解だ。人が理解しているのは、実はものがいつ壊れるかである。他の現象もすべてそうであるように、破壊も二つの部分、原因と結果から成る。いつの問題は原因を左右することにあり、なぜの方は結果を左右する。

コップを落とせば割れるのは、いつの問題で、床にカーペットを敷くことで壊れる原因をなくすことができる。コップが陶器でできていたから割れたというのが、なぜの問題で、ブリキのカップを使うことで結果を変えることができる。

破壊実験によって物質の強度を計測することで、ものがいつ壊れるかは分かっている。問題はなぜ壊れるのかということ。ものが壊れる本当の原因というのは、意外にも最近、著者らの研究で判明してきたことであるらしい。

材料は私は素人なので。この本の専門的な解説を理解できたかどうか怪しいが、つまり、ものが壊れるということは、それを構成する原子と原子が分断されてしまうということだ。原子と原子は化学的に結合している。結合には電子が接着剤のような役割を果たしている。その強さは界面における電子の密集度(電荷密度)で決まると考えられていた。しかし、著者は密度だけでなく構造の違いが、壊れやすさに影響しているのではないかと考えた。電荷密度が同じでも異なる強度を持つ素材がみつかるからだ。

そして、最新のコンピュータを使った量子計算で、電荷密度には構造があること、その構造が破壊特性の違いとなって現れることを明らかにした。なぜ壊れるか、どうしたら壊れなくなるかの根本原因が解明されたことになる。

■タイタニック号沈没とチャレンジャー爆発事故の違い

タイタニックの沈没事件について著者は原材料と構造に問題があったと考えている。タイタニック号に使われた鋼鉄を作ったスコットランドの炉は、硫黄や燐の不純物を除去する反応が行われていなかった。これらの不純物は金属を脆くする。さらに鋼鉄は温度が高いと柔軟になり、低いと脆くなる性質がある。その特性が劇的に変化するのがタイタニックの鋼鉄の場合、摂氏20度近辺だったのだという。沈没当日の海水はマイナス2度であったため、氷山との衝突で船体は脆く破られてしまった。タイタニック沈没の原因は本来は原材料と設計に大きな問題があったことであるそうだ。

しかし、実際の事故後の追及では、破壊は避けられなかったものと前提されてしまった。そして、船長の判断ミスや救命ボートの搭載数の少なさが多数の死者の原因として批判された。

それから70年後、スペースシャトル、チャレンジャー号が打ち上げ直後に爆発した。原因はブースターの継ぎ目を保護する部品が、気温の低さで脆くなっていたことだった。根本原因はタイタニックと似ていたが、今度は素材の強度が調査委員会では問題にされ、責任追及が行われた。

70年の科学の進歩によって「将来同様の状況にならないようにせよ」から「何が故障したかを特定して、それを修理せよ」へと対応が変化したのだ。ものが壊れるのは仕方がないというのではなく、壊れないようなものを作るべきだとする要請が強まった。

先日、訪問した中国で聞いた話では、あちらでは中国製の車の欠陥はよくある話で、死亡事故など当たり前におきているそうだ。三菱自動車の欠陥程度ではリコールなど起きないらしい。中国はまだ70年前の状況にあるのかもしれない。

著者の研究は基礎科学で、その成果が応用され、壊れない新素材が作られるには、もう少し時間を必要とするという。ものが壊れなくなったとき、たとえば今から更に70年後、私たちは大事故の際には次に何を問題にするようになるのだろうか。

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2004年12月07日

へんないきもの

・へんないきもの
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ベストセラー。これは生物マニアなだけでなく発想のトレーニング本、もしくは癒し系としても使える本。単純におもしろい。

実在するへんな生き物を見開きで、左に解説、右にイラストで解説していく本。自然の造形とは思えない奇怪な深海魚や、自然淘汰で本当に生まれたとは信じがたい機械のような機能を持った生物のオンパレード。

150度の高熱にも絶対零度にも耐えられ、乾燥や真空状態や6000気圧という極限化でも生き延びることができるなど無駄に生命力の強いクマムシ。不治の皮膚病に罹った皮膚を執刀、瀉血、治療する3チームが分担して、80%の確率で治療してしまうドクターフィッシュの群れ。鉄の鎧で武装する貝。水底の砂にU字型のトンネルを掘り、トンネルの管と一体化してしまう内臓だけのような形状のツバサゴカイ。精巧な工芸品のような籠を作り、その中にエビのツガイ(幼少時に籠に入るため一生出られない)を住まわすカイロウドウケツ。テレビ番組「どうぶつ不思議発見」の不思議のいいところだけ20年分抽出しましたとでもいわんかのような、不思議いきものの充実度。

どうしてこんなに変なのか?お前ら何なんだと、いきものにツッコミを入れる形式の、た笑いのつぼをついた斜めからの解説文も最後まで読者を飽きさせない。リアルに描きこまれたイラストをぼうっと眺めていると、世界にはへんな生き物がへんな生き方でのんびり、もしくは激しく生きているんだなあと、へんな癒されかたをする。これは基本は、癒し本なのだと思う。

こうしたへんな生き物はここ数年のトレンドトピックのようだ。古くは「ワンダフルライフ」がある。現在の進化とは断絶した何億年前の奇妙な化石生物たちの研究本。5つ目の生物なんてのがこの地球にいた。

・ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語
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昨年あたりからブレイクしているのが人類絶滅後の生物進化を科学的にシミュレーションして未来の野生生物の生態を想像し、コンピュータグラフィックスで再現した「フューチャー・イズ・ワイルド」「アフターマン」。

・フューチャー・イズ・ワイルド
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・アフターマン 人類滅亡後の地球を支配する動物世界
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実在しない空想生物の研究書を真面目に書いた「鼻行類」「平行植物」。このふたつは何の根拠もないはずなのだが、「へんないきもの」を読むと、これくらいいてもおかしくないかもと思えてくる。現実は小説より奇なりである。

・鼻行類―新しく発見された哺乳類の構造と生活
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平行植物
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2004年11月30日

感性の起源―ヒトはなぜ苦いものが好きになったか

・感性の起源―ヒトはなぜ苦いものが好きになったか
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■物理感性と化学感性

世界初の味覚センサー開発に成功した科学者の本。

まず感性には大きくふたつあると著者は分類した。

感性、感覚というとまず思い浮かべる視覚や聴覚は、光やサイズ、音の大きさなど物理的な数値で計測することができる「物理感性」であるとする。一方、嗅覚や味覚は化学物質に反応する「化学感性」であるとする。言葉で表現しやすい物理感性の研究が進んでいるが、本来、生物にとって、より古い起源を持つのは化学感性のほうだという。

感性に関わる遺伝子の数と全遺伝子に対する比率は、この本によると、

嗅覚   1000個 3%
味覚   30個 0.1%未満
視覚   4個〜10数個 0.01-0.04%
聴覚   50-100個 0.14%〜0.29%
触覚   20-40個 0.06%〜0.1%

となり、嗅覚に関する遺伝子が桁外れに多い。これは嗅覚が、大脳が発達する以前から存在していた古い感性であるからであり、数千種類の匂いのもととなる化学物質のレセプターを発達させた。匂いは種類が多いのだ。

だから、私たちの言葉では、特定の匂いを表すには「リンゴのにおい」「マツタケのにおい」のような個別的な言い方をする。これではリンゴやマツタケを知らない人にうまく伝わらないが、抽象化、一般化することが難しい。「20センチ四方の青い箱」「小さな丸いボール」のように表現できない。

バクテリアなどの単細胞生物にも感性があるという。バクテリアは苦い物質から逃げ、甘い物質に近寄っていく。苦い物質は一般に毒だからであり、甘い物質は糖分などの取り込み可能なエネルギー源だからである。無論、単細胞生物には感覚器官や脳はない。これを実現しているのは、細胞の自己組織化のはたらきそのものである。著者は、こうした単細胞生物の化学物質への反応を、ヒトの感性の原初形態だと推測している。匂いと味は原初的なのだ。

逆に、物理感性は外部からの入力を、大脳が情報処理できるようになってから発達した新しい感性で、遺伝子レベルでは関与が比較的少ない。レセプターの数が少ないので入力情報は少量だが、その代わり大脳がそれを高度に処理する。受け取った情報から「連想」することで多彩な反応が可能になる。ヒトの場合には紙などの外部記憶装置にも感性情報を記録することで、高度な文化、文明を形作ることができた。

■牛乳+麦茶+砂糖=コーヒー牛乳?プリンに醤油でウニ?

この本では古い起源を持つ化学感性がメインテーマである。後半では嗅覚と味覚の研究が紹介される。

牛乳のおいしさを調査した実験結果は面白い。何種類もの牛乳を飲み比べてもらい質問を行うと、甘いだとかコクがあるなどの純粋な味ではなく、新鮮度が高いと感じる牛乳をおいしいと答える被験者が多かったという。人間の体は、牛乳については、新鮮=安全さを求めているのだ。

味覚についてはバーチャルな味覚を作り出せるという研究も面白い。たとえば「牛乳+
麦茶+砂糖」はコーヒー牛乳そっくりの味になるそうだ。プリンに醤油をかけるとウニの味になるそうだ。実際、味覚センサーで化学的に計測すると、かなり近いグラフが描かれる。

化学物質は数十万種類あるものの、それを受け取るレセプターが感じる味覚の基本要素は塩味、苦味、甘味、酸味など数種類であって、異なる化学物質が、他と類似した味覚パターンを描くことがあるのだという。だから、意外な取り合わせで似たようなバーチャル味を作り出すことができる。味覚センサーを使うと、味覚の楽譜「食譜」を記録することができるので、将来的には、コンピュータネットワークを通じて味を伝送し、リモートで再現する「味ラジオ」も可能になるかもしれないという。

これに対して、嗅覚のバーチャル化は、いくつか既に製品が市場に出ているようだが、実際には難しいのだという。嗅覚には味覚の甘味、苦味のような基本要素がないため、その組み合わせで何かの匂いを再現することができないのだという。4つの化学物質でリンゴの匂いは作れても、その組み合わせで他の匂いを組み立てることができないのだそうだ。匂いは個別性が高く、基本要素が数千種類あるということでもあるのだろう。

■区別できない味、異性を惹きつける匂い

味と匂いについて興味深い知識が満載の本である。

米のうまさを調査した結果、米のおいしさは食感や見た目など味以外の要素が強く影響している。味は3割くらいしかおいしさと関係がない。水道水のうまさとは結局のところ、臭いがしないことなのだという。「昆布(グルタミン酸ナトリウム)とかつおぶし(イノシン酸ナトリウム)の味を区別することができますか?」の答えは化学センサー的にはNOであるという。これは異なる化学物質が同じ味を表現しているからである。味を区別できるという食通たちは、純粋に味でこれらを区別しているわけではなく、香りや食感などの体験全体で区別していることになる。

匂いの好き嫌い(嗜好性)は後天的なものであるという話もあった。赤ちゃんはバラの香りの部屋、スカトール(糞便の臭い)のする部屋、どちらでも楽しく遊べるそうだ。だが、9歳〜12歳くらいで、後天的にスカトールは汚物で遠ざけるべき臭いだと学習してから、避けるようになるらしい。ハエは逆にスカトールを好んで集まる。

匂いは男女関係にもやはり影響しているという。女性は自分の父親に似た匂いのする遺伝子を持つ男性を好むそうである。マウスのオスは血縁関係にないメスの匂いを好むが、姪やおばのマウスの匂いも好むそうだ。遠すぎず、近すぎない関係の異性が好きなのだ。こうした研究を突き詰めると、科学的に媚薬の開発が可能になるかもしれない。

ところで私の場合、幼稚園や小学校低学年の頃の記憶を強く想起すると当時の匂いを感じることがある。これって他の人にもあるのかなあと気になっているのだが、脳が感覚をよみがえらせてしまうのだろう。感覚→想起という普通の流れだけでなく、想起→感覚という逆流ルートも研究してみたら面白そうだ。どこから科学的にとっかかるかが難しそうだけれど。

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2004年11月07日

空間情報科学の挑戦

空間情報科学の挑戦
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インターネットで便利な検索のひとつが経路検索。例えば乗換案内ではA駅からB駅まで、どのような交通機関を乗り継いでいけば最短でたどりつけるかが分かる。MapFan.netなら地図上に通過する道を表示させることができる。

・インターネット地図ソフト「MapFan.net」のご案内
http://www.mapfan.net/welcome/mfw/index3.html

こうした空間情報システムのアルゴリズムとはどんなものだろうか。

この本は代表的な空間情報検索の問題、

・最短経路問題
・制約条件付経路問題
・巡回セールスマン問題
・施設最適配置問題

などを取り上げ、その計算手法を分かりやすく説明する小冊子。

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例えばこんな絵があるとして、円の中に●がいくつあるか。人間なら瞬時に3つと答えられるけれど、コンピュータが計算で求めるとなると、テクニックが必要になってくる。まずは円の内側にあるのか、外側にあるのかをどう判断する必要があるし、点を認識する必要もある。どう空間全体をデジタル情報に置き換えるかもやり方は複数ある。

また、3つ以上の点(ノード)を線(アーク)で結び、AからBへの経路が複数できた場合、どれが最短かを求めるのは、少しややこしい問題になってくる。ノードとアークの数が数千や数万もできてしまうと幾何級数的に計算量が増大し、現状のコンピュータ処理能力では事実上困難なケースもあると言われる。さらに特定のノードを、特定の順番で回りたいなどの制約条件がついた場合、さらに解決はかなり難しくなる。

技術的な面白さだけでなく、社会問題を解く鍵としても使えることが示される。施設の最適配置問題の例では、住居、保育園、会社の分布を分析する。住民は朝、住居を出て保育園にこどもを預けて会社へ行き、帰りに子供を迎えに行って帰宅する経路をたどっている。現状では、時間制限を考えると10%程度の住人しか保育園を利用することができないのだが、保育時間を前後に少しだけ延長するだけで大半の住民が利用できるようになったり、次に保育園を設置するならばどこにすべきかが計算で求められる。

この本の全体の感想は、空間で考えるというのはコンピュータにとっては難しいことなのだなということ。地図を見て「こことここはつながっている」ということは人間ならば直感的につかめても、コンピュータは同じことをするのに膨大な量の計算を必要とする。

この本にはなかったが「いかなる地図も、隣接する領域が異なる色になるように塗るには4色あれば十分だ」を証明する四色定理の証明は、コンピュータを使って、印刷すると数千枚の数式として解が出てくると聞いたことがある。いまだ人の手で証明することができないそうだ。

関連情報:
Passion For The Future: 私的距離検索実験Geogeo
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000412.html

四色定理 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E8%89%B2%E5%95%8F%E9%A1%8C

・楽らくスケジューラー
http://www.odakyu-group.co.jp/rakuraku/
箱根と江ノ島、鎌倉に対応。「行きたい場所やお店を選ぶだけで、出発地から目的地まで各スポットに必要な時間を自動計算。最も効率よくまわれるコース&スケジュールをアッという間に作成します。」

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2004年10月31日

魔球をつくる―究極の変化球を求めて

魔球をつくる―究極の変化球を求めて
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昔から不思議でしょうがなかった疑問に答えが見つかった。野球のカーブは本当に曲がるのか?ボールが浮き上がるホップはありえるのか?ということ。物理法則を考えれば物体は直線でしか飛んでいかないし、放物線を描いて落ちるしかありえないはずである。

この疑問は19世紀に初めてカーブを投げる投手が登場して以来、一部の科学者が取り組んできたマイナーな難問であったようだ。曲がることはありえないとされていた時代もあったらしい。しかし、その後の研究でただひとつだけ、ボールの軌道に左右する力があることが分かっている。それがこの本のメインテーマのマグナス力の効果である。

結論としてはカーブは本当に曲がっている。曲がる原因は予想通りボールの縫い目である。回転がかかることで縫い目部分の空気摩擦が左右へ曲げる横力や、上へ向かう揚力を生み出して少しだけボールの進路が曲がるのだ。この力をマグナス効果というらしい。だが、上方へ向かう揚力が重力を上回ることはありえないので、決してボールが浮き上がることはないという。どんなボールも放物線を描いて落ちていることに変わりはない。

Webでも同じ事を書いているページが見つかった。

・三回表:沢村栄治を科学する
http://shin1917.hp.infoseek.co.jp/kagaku3o.htm

面白い事実はフォークボールは変化球ではないということ。フォークは放物線で落ちている。実は直球こそ変化球だそうだ。直球はボールにバックスピンをかけることで自然な放物線に少しだけ上向きに逆らいながら緩やかに落ちる玉である。重力の影響のままに落ちるのがフォークなのだ。

そしてバッターの目の前で上へ上がるホップは、本当は上へは浮き上がっていない。バッターが直球だと思っていたとき、期待したほど落ちなかった場合に、心理的にボールが上へ上がったと感じるだけのようだ。

物理学的には球の投げ方は3種類しかないことなど物理的観点から、ピッチングが科学されている。科学的にありえる魔球「ジャイロボール」も提案される。それにしても、驚いたのはボールがなぜ曲がるのかは、近年まで科学的に解明されていなかったということだ。著者は理研で野球のボールの精密な3次元モデルとスーパーコンピュータを使って、ボールの動きをシミュレーションする研究に取り組み、ボールの軌道を証明して見せた。

最終章では、漫画に出てくるような消える魔球やバットをよける魔球はありえるかなど、一般読者の興味をひく話題にも取り組んでいる。そんなことは誰かが調べているはずだと思っていたが、まったくそうではなかった。ボールの科学はまだまだ奥が深そうだということが分かった。

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2004年10月14日

人脈作りの科学―「人と人との関係」に隠された力を探る

人脈作りの科学―「人と人との関係」に隠された力を探る
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■ソーシャルネットワーキングの科学

ネットワーク分析の専門家が書いた一般人向けの人脈論。いろいろな学者の面白い理論を総花的に紹介してくれる。章ごとに原則がまとめられ全部で40の人脈ネットワークのルールが列挙される。40原則の一貫性は疑問も残るが、研究の面白い部分だけを抽出したソーシャルネットワーク入門として気軽に楽しめる本。

組織には4つの資本があるそうだ。経済的資本(資金)、人的資本(人材)、文化資本(風土)、社会的資本(人間関係)であり、人脈は4番目に属する。

マーク・グラノヴェッターが提唱する「弱い紐帯の力」理論が面白い。私たちは普段から高頻度で接し信頼しあう強い関係を結ぶことが、人脈力だと思いがちだが、現実の人間関係において、社会資本を生み出しているのは、社外や遠方で時々会うような人たちとの弱い関係の方なのだとした理論。

こうした弱い紐帯は強い紐帯よりも数は多いが維持が困難で、現実の人脈を分析すると1年で9割が消失してしまうそうだ。だが、この弱い社外人脈は情報収集機能を発揮する要になっている。社内の親しい人たちと話しても、新しいアイデアはでないが、異業種の人と話すとひらめきが生じたりする。この本では、くもの巣にたとえられていたが、密で小さなくもの巣よりも、疎で大きな巣の方が、幅広く情報を取り込みやすいのだ。

■広く浅いつきあいができる人が成功する

米国大手情報機器メーカー管理職の人間関係調査で、

「パーソナルネットワークに遠方の人を数多く含んでいる管理職は昇進が早い」

という分析結果もあるそうだ。広く浅いつきあいができる人が企業組織では勝ち組になるということか。

ただ知り合いを増やせばよいわけではない。量より質であり、質とは構造同値の低い関係のことだと、著者は結論している。構造同値が低いとは、他人と重複することがないユニークな人間関係のこと。社内の皆が知っている社外の偉い人を知っていても価値は小さいということ。皆が知らない人と私だけがつながっている関係(ブリッジ)を持つことが、二つの組織を結びつける仲介力につながる。仲介力の高い人=人脈の中心なのである。

しかし、ブリッジには多大な負荷がかかる。複数の異なる価値観や規範を受容する度量や、消えやすい弱い紐帯を維持するコストを負担しなければならないからだ。それができる少数の人脈構築の達人たちは故にさらに人をひきつける。

多くの研究が支持しているのは人脈はスケールフリーネットワークであるということ。少数の強力なハブと、ほどほどの人脈を持つ大多数のノードから構成される。人脈は意図的に微調整しないと成長しないと書かれている。仕事はできるのに不遇な人というのは、この調整ができていない人ということだろう。持てるものは富み、持たざるものはさらに貧しくなる。人脈は、富の集中原理と何か関係があるのかもしれない。

■見えざる大学

この本で最も興味深かった概念は「見えざる大学」。この本の説明を引用すると、


見えざる大学とは、個別の大学や研究所などの制度的な組織に限定されることなく、空間的には拡散しながらも高い生産性をあげ続け、最先端の研究を担うことにより、優れた研究者として、ここの学問分野において認知される人々の集団を指す。

という集団である。専門領域外の人間からは誰がその集団に属するのかは見えないため、見えざる大学と呼ばれている。そして、この集団こそ影響力ネットワークの中心であり、業界内の評価や人事に強い影響力を持っている。

著者は、日本の人工知能学会の共著関係、共同研究質所属関係、共同プロジェクト関係を分析する。ちょうどGoogleのPageRankと同じ手法で人脈価値を数値化し、見えざる大学の構成員の実名を挙げてみせる。

ちょっと驚いた。私に優しくしてくださる先生の名前が総合力でトップの一人に挙がっている。1ベンチャー企業の部外者をプロジェクトに巻き込んでくださる先生は、私だけでなく、非常に幅広い人間関係を構築維持できる人脈の達人だったことが改めて理解できた。

見えざる大学は学会だけでなく、企業やコミュニティにも存在していそうである。今後研究が進めば、見えざる大学に属する1万人くらいが世界を動かしていることが分かったりするのかもしれない。

■ネットワーク分析の限界と可能性

ネットワーク分析は人間関係のいくつかの要素に着眼して、シンプルな関係モデルを抽出する。そこに限界も感じる。例えば学会の人間関係ならば、出身大学、年齢、性別、社交性、趣味、居住地域、インターネット利用度なども、人脈構築に恐らくは無視できない影響を与えているはずだ。経済と違って人間関係は微妙なもの。共著などの公的な記録だけを探っても、生の人間関係の綾をとらえることは難しいのではないか、とも思う。

また、ほとんどの研究者は静的な人間関係マップを分析しているが、知り合う順番であるとか、好き嫌いだとか、一連の駆け引きなど、動的な要素も考えに入れる必要がありそうだ。

生きている人間は様々な人脈構築術を使う。例えば、この本で紹介されているエピソード。作家、池波正太郎は奥さんと母親を仲良くさせるために、二人を叱り飛ばして、共通の敵になることで円満な嫁姑関係を維持していたそうだ。人脈の達人たちはこうしたヒューリスティック(手練手管)を使いこなしている。AさんとBさんの間に引かれる一本の線がどう引かれたか、現場を調べるミクロの視点も必要だろう。

人脈の科学はまだ未踏の領域が多いようだが、インターネットや携帯が人間関係を今まさに変えつつあるのは確かだろう。GreeやMixiなどのソーシャルネットワーキングサービスは、動的なネットワーク分析の研究材料として可能性を秘めていると思う。


#14日は誕生日でした。GreeとMixi、メールとMSNで合計40人以上の方からお祝いメッセージを頂き感動しました。みなさん、本当にありがとうございました。人脈大切にしていきたいと思います。

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2004年10月07日

内臓が生みだす心

内臓が生みだす心
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これは衝撃の一冊。人工臓器の開発で世界的に有名な医者の本。

著者は人間の心は脳の働きだという常識を覆す学説を提唱している口腔科医。心は脳ではなく腸とそこから分化した心臓や生殖器官や顔にあるというのだ。心肺同時移植を受けた患者がドナーの性格と入れ替わってしまった事例。ウズラの脳を持つヒヨコを誕生させた実験ではニワトリの鳴き方をする鳥に成長したという事例などが紹介される。つまり2種を合成したキメラを作ると、大脳より内臓を持った方が主たる性格を演じる。

大脳が心のすべてを生み出しているのではなく、かなり大きな部分を内臓器官が生み出しているのではないかというのが、この説の概要である。歴史上の長い間、ゲーテをはじめ識者の考えでは、心は心臓にあり、精神が脳にあるとするのが一般的であったらしい。これが現代になってすべてが脳の働きということになってしまった。だが、依然として心については内臓が生み出す部分が大きく、むしろ脳は副次的な機能を果たすに過ぎないというのである。


「一寸の虫にも五分の魂」ということわざがあります。高等生物のはじまりは、まず腸が発生し、それから徐々に複雑な体制が出来てきます。どうやら心や魂は腸を持った動物に宿るようです。脊椎動物の進化を解明すれば、心や魂や霊や精神の発生学も明らかとなるかもしれないと見当がつきます。

著者は高等な生命は腸なしには生きられないという事実を指摘する。高等生物は口と腸と肛門を結ぶ一本の管が基本形であり、この管が外部から栄養を取り入れて、細胞の再生産をするのが生物の生きる目的である。この一本の管を生かすためにその他の複雑な器官が発達してきたのであれば、一番最後に登場した大脳というのは、生物の器官としては副次的存在だということになる。

心肺同時移植を受けた患者がドナーの心と入れ替わってしまった事例については正直疑問が残る。引用される患者の手記を読むと、知らされていなかったドナーの名前まで把握していたことなどが書かれている。内臓を移植すれば体質、気質を提供者から引き継ぐことならありえる話だと医学素人でも納得する。だが、記憶まで受け継ぐのは解せない。トンデモ本か?と一瞬疑ったのだが、著者としてはこれを一般人にも分かりやすい一事例として取り上げたに過ぎなかったようだ。本論は別にある。

私たちの脳には、何らかの行動を意識する0.5秒前に、予兆となる準備電位が現れているという話が以前書評した本にあった。顕在意識に潜む潜在意識の影響は、他の認知心理学の実験でも証明されている。私たちの心は、目覚めた意識の下にあるものに依存しているのだ。著者が主張している内臓脳はそれに当たるのかもしれない。

例えば生物の生きる原動力である食欲、性欲は内臓なしには存在しない。感覚器官の入力を全面遮断してしまうと大脳は暴走してしまう。心は大脳単独では生み出しえないことになる。これは大脳一辺倒の現在の脳科学では心や意識を解明できないという行き詰まりを指摘する学説でもある。

確かに私たちの顕在意識は身体、特に内臓の調子に影響を受けていることは間違いない。心理学でも気質は体質に依存している部分が大きいとされている。高度な思考については大脳によるものであっても、その奥にある情動、あるいは無意識は内臓が駆動している可能性は十分ありそうだ。

著者の言い分にはちょっと飛躍しすぎではと感じる部分もある。心と精神の境界が若干あやふやにも感じた。だが、口腔科医という医学の支流に思える分野から、心の発生を生物進化論の定説を覆す大胆な理論として想像したのは偉大な人だと思った。この本は面白い。

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2004年08月22日

科学の最前線で研究者は何を見ているのか

科学の最前線で研究者は何を見ているのか
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日経サイエンス2002年11月号から2004年4月号まで18回にわたって連載された対談「時空の旅」をまとめたもの。著者は、薬学博士で「パラサイト・イブ(第2回ホラー小説大賞)」、「BRAIN VALLEY(第19回日本SF大賞)」を書いた小説家の瀬名秀明氏。

情報科学、人類と歴史、時間と空間、バイオとナノなどの研究領域の最先端科学者へのインタビュー。著者はインタビュアーである割には、自分の考えを積極的に述べていて、それが相手からうまく話を引き出した回もある。ひとつひとつの対談は短いので、読みやすい。

■若年層の科学離れ

ところで、若者の科学離れが進んでいると言われている。

文部科学省の「我が国の科学雑誌に関する調査」によると、日本で唯一正確な部数がわかるのは、科学雑誌は「Scientific American」の日本語版である「日経サイエンス」だが、これも部数は伸び悩んでいると言う。

・調査資料 - 97 - 我が国の科学雑誌に関する調査
http://www.nistep.go.jp/achiev/ftx/jpn/mat097j/mat097j.html
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「日経サイエンス」は、1973 年の調査開始以来、1981 年の科学雑誌創刊ラッシュまでは順調に発行部数を伸ばした。しかし、新雑誌創刊を受けて、1982 年には前年比 5.4% 減、1983 年は 13.0% 減、1984 年は 7.0% 減と大幅に発行部数が減少し、1987 年、1988 年と発行部数を伸ばしたものの、その後また減少傾向をたどり、2001 年時点ではおよそ 25,000 部程度で、公査を開始した 1973 年当時と同水準となっている。

では、2004年4月に竹内均編集長が亡くなった「Newton」の方はどうかというと、公称部数では。


「Newton」の公称発行部数は、「雑誌新聞総かたろぐ」では 1987 年版まで 40 万部、1997 年まで 41 万部、1998 年版以降 31 万部とされている

であるとのこと。


学雑誌の発行部数は減っているが、科学雑誌の読者として期待される自然科学系の研究者及び学生の数については大幅に増加している。具体的な数字でみると、2001 年の自然科学系研究者数は 63.1 万人で科学雑誌創刊ブーム前年の 1980 年の自然科学系研究者数は 30.3 万人 35、2001 年の自然科学系(理学、工学、農学、医・保健系)の学部学生数は 77.2 万人、1980 年は 56.4 万人、2001 年の同大学院修士・博士課程の学生数は 13.2 万人、1980 年は 3.5 万人 36 である(表 11)。この 20 年間に自然科学系研究者数、自然科学系学生数でそれぞれ 30 万人以上増加している。自然科学系研究者数、自然科学系学生数が増加しているにもかかわらず、科学雑誌は売れない状況が続いている。

この文部科学省の調査では、科学雑誌の読者の高齢化が進んでいることも報告されている。これに対して米国は「日本同様、米国でも過去に科学雑誌ブームがあり、現在はピークから後退したといわれるが、人口あたりの科学雑誌の発行部数が日本の 10 倍以上であることがわかった。」であるという。

■先端科学者たちの東洋的世界観と物語性

18本のインタビューに面白く感じたのは、東洋的な世界観を自覚している研究者が多いこと。そして、先端領域では物語性がイノベーションを生む上で大切だと考えている人がいること。

・公立はこだて未来大学学長 中島秀之氏 工学で探る知能とは何か

自然科学は明らかに系を外から眺める。観測者ができるだけ系に影響を与えないように実験する。それに対して、知能は自分が考えているわけですから、中からしか見ていない。それを外から見ているかのように研究するのはどうも変だ。中から見ているということをもっと真正面からとらえた方が面白いんじゃないか。そういう意味で、知能を計算機で作るという完全自立知能はあきらめたんです。

要するに完全なものを作りたいというのは、自然科学的な方法論です。我々人間と切り離したってちゃんと機能するものを発明したいのです。反対に我々と切り離すんじゃなくて、自分が常にインタラクトしていないといけないようなシステム。例えば人工知能(AI)のプログラムの制作者自身がプログラムのループに入る。そして、プログラムを変更しながらその振る舞いを見て、また変えていく。そんな方法論に変わってきたんです。

複雑系の関係する科学の研究者には特にこうした考えが共有されてきているようだ。日本人が心の根底に持つ、東洋的世界観がイノベーションにつながる。ただ、こうした東洋的世界観は、論理的記述が難しいもので、直感的に分かる物語性をもって語れるかどうかが鍵なのではないか。

物語性について語る研究者も多くいた。

・国際日本文化研究センター教授 安田嬉憲氏 環境がつくった文明と科学


日本で理科離れが起きたのは、理念がないからではなく物語をなくしたからだと思っています。大学の先生が自然科学の学生の卒業論文を採点したり、学会で誰かの発表をするとき、「君のは物語だ!」と言うのは「君の論文や発表は最低だ」と言うのと同じ意味ですよ。私も学会発表ではよく言われました。

物語性が創造性を発揮するはずなのに、今までの学会では物語性は評価されなかったという話。だが、先端領域では、研究室の実験で事前に証明できないことは増えている。近年重要視されている「日常の科学」は特にそうだ。

ナノテク(マイクロ流体デバイス)の研究者はこんな発言をしている。

・大阪府立大学大学院工学系研究科教授 関実氏 机の上で実現する化学プラント」

いい例がSF映画「スター・ウォーズ エピソード1」の中にあります。ある男が将来人類を救うことになる主人公を探し出す場面です。少年が人類を救うジェダイの騎士になれるかどうかっは血液中のミディ・クロリアン値でわかります。騎士の体にはもともと別の生命であったミディ・クロリアンが共生しており、それがフォースと呼ばれる力を決めるからです。

これに対してミトコンドリアの研究もしていた瀬名氏は、ミトコンドリアがまさに他の生命由来のものだということを指摘する。生命の中に別の生命がいるという、最初は突飛な物語がミトコンドリアの解明に役立った例になる。

ノーベル賞級の科学者はよく研究が他の科学者との雑談から始まった例などをセレンディピティ(偶発的創造性)と呼んで振り返ったりするが、雑談の基本は物語性であると思う。東洋的世界観を持つ日本人の、内側から湧き出てくる、面白くてリアリティのある仮説が、将来の科学技術の革新につながりそうな気がしてくる。

「ムー」と「Newton」の間に入るような雑誌が必要なのではないだろうかと思った。

・【裳華房】自然科学系の雑誌一覧(最新号の特集等タイトルとリンク)
http://www.shokabo.co.jp/magazine/


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2004年06月23日

偉大な、アマチュア科学者たち

偉大な、アマチュア科学者たち
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「科学の世界では、教育機関できちんとその専門分野を修めていなければ、それだけでアマチュアだとみなされる。大学の学位、それも一般的には博士号を持っていないと、権威ある科学者たちはアマチュアとしてしかみない」

そのような逆境の中で、専門の教育を受けず、学位も持たず、ひたすらに自分のテーマを追い続け、成功した人たちの物語。偉大なアマチュア科学者として取り上げられているのは以下の10人。

第1章 グレゴール・ヨハン・メンデル―遺伝学の父
第2章 デイビッド・H.レビー―彗星ハンター
第3章 ヘンリエッタ・スワン・リービット―セファイド変光星の“解読”者
第4章 ジョゼフ・プリーストリ―酸素の発見者
第5章 マイケル・ファラデー―電磁法則の生みの親
第6章 グロート・リーバー―電波天文学の父
第7章 アーサー・C.クラーク―通信衛星の発案者
第8章 トーマス・ジェファーソン―近代考古学の先駆者
第9章 スーザン・ヘンドリクソン―恐竜ハンター
第10章 フェリックス・デレル―バクテリオファージの発見者

アマチュアの強みは、キャリアパスに縛られない自由な発想ができることにあると、この本では結論されている。あとがきにはこの本は「すべてのベンチャー企業家やフリーターの元気の素、組織に甘えるサラリーマンには警告の書になるだろう」とある。確かに、何の専門家でもない自分にも、チャンスがあると分かって大変、勇気づけられた。

専門の科学者の世界にしても、近年は「学際」性というのが重要になってきていると思う。インターネットの研究なら、情報学、認知心理学、社会学、経済学、統計学、数学など異なる領域の知識が必要とされることが多い。すべてにおいて専門家であることは難しいから、ひとつの分野で学位を持っていても、もう片足を、アマチュア領域に置かざるを得ないものだと思う。専門の細分化により、領域の組み合わせは幾何級数的に増えるから、完全なプロがいない領域がたくさん生まれる。

アマチュア科学者のこれからの戦略として面白いのは、この無数の「学際」の部分なのではないだろうか。この本に登場するアマチュア科学者たちの多くは「○○学の祖」などと後に呼ばれる存在になるわけだけれども、つまりは学と学の間に新たな領域を作ってしまった人たちである。一番乗りは自動的にプロに昇格することがある。

最近、読んだ本にこんな本がある。自然科学ではないが、アマとプロの問題では共通していると考えるので紹介。

民俗学の熱き日々―柳田国男とその後継者たち
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柳田国男といえば民俗学の祖と言われる。それまでの文化人類学とも神話研究とも異なる独特の世界を作り上げた。で、この本を読むと柳田は、全国のアマチュア郷土史家から、伝承や民話を吸い上げて、自分の業績にしたと批判する向きもあるようだ。だが、政治学科出身で、農政系の官僚だった柳田自身が、この分野では本来アマチュアだったはずである。ひとつ違ったのはどうすればそれが科学や学問と呼ばれるか、方法論を知っていたことにあるような気がする。

プロの存在意義について、「偉大な、アマチュア科学者たち」に、


プロの学歴や組織の権威は、本来、「とんでもない失敗」をしでかす危険を減らし、自分と世間に対して仕事の質を保証するために存在する

という記述がある。プロの科学者は、先人の取り組みについて熟知しているし、厳密な実験や検証の方法も分かっている。それ故、馬鹿げた取り組みによる、とんでもない失敗に時間を浪費することが少ない。だが、馬鹿げたことの奥にとても小さな確率で大発見があるようだ。経済でいえば、ニッチを狙ったベンチャー企業みたいなものと言える。

ベンチャーを支援する仕組みは最近、充実してきた。だが、アマチュア科学者を支援する仕組みって少ないなと思う。産学連携、産官学連携などという言葉があるが、そのどれでもないアマチュアの「ア」を付け足して、学ア連携とかどうだろうか。情報科学のように、実験に設備投資の要らない分野では、特に有効そうに思う。日々、趣味の研究に取り組む人たちに、研究の仕方、リソースの所在、論文の書き方、適宜のアドバイスなど、プロのアプローチの方法を教えてくれる場があったら、面白いだろうなあと思う。

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2004年05月27日

「複雑系」とは何か

「複雑系」とは何か
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複雑系の入門書。入門書としては解説が少ない気もするが、作者の見方が提示されているのがいいと思った。

複雑系のメタファーとしてよく使われるのが「パイこね変換」。この本でも複雑=Complicatedの語源が、「共に折りたたむ、コンプリカーシ」にあるという説明と共に登場する。

十分な粘性を持った小麦粉の層と、黒砂糖の層を重ねて、半分に、そのまた半分に、折りたたむ操作を繰り返す。一見、単純なこの操作の中で、黒砂糖の特定の一粒の移動を追跡すると、極めてランダムな動きをしていることが分かる。二つの層は引き伸ばされ、混ざり合って灰色の混合物になっていく。最初の数回の折りたたみが行われた時点での、粒の位置ならば、ある程度言い当てられるが、数百回、数千回となると、位置の計算が複雑になり、事実上、どこにあるのかを求められなくなる。近接した2点がこねるたびに指数関数的に離れていくためで、数学的にもその複雑性が証明されている。

単純なルールを適用した結果が、予想もつかない複雑なふるまいを見せる。そのふるまいは完全にランダムではなく、グラフにプロットすると、大きさを変えて同じ形が出現する、奇妙な入れ子構造を描くことがある。ストレンジアトラクターと呼ばれるこの収束ポイントに、複雑系の面白さが感じられる。風に揺られて落ちる葉の動き、地震の発生回数と規模、株価の変動パターンなど、自然現象や、世の中の動きに、まったく同じアトラクターが発見されるからだ。

だが、複雑系を即、実用的な予測に応用できないのは、その複雑さ故でもある。初期値が少しでも異なると結果が大きく変わってしまう。観察には誤差が伴う。何を観察するのかも恣意的になる。すべての粒子の位置とベクトルが把握できれば、任意の未来の系の状態を予測できると考えたラプラスの魔的考え方では、本当の予測ができないのだ。現状、天気予報は過去の統計をベースにしているに過ぎないし、地震の予知もはずれてばかりなのは、そのせいである。

この本で最も面白いのは、複雑系のメッカであるロスアラモス、サンタフェ研究所の創世記のドキュメンタリである。神童、天才と呼ばれて育った、数学に強い、生え抜きの研究者だけが主役ではないということ。いわゆる落ちこぼれで、アルバイト先にあったパソコンで遊んでいて人工生命の可能性を発見した人、コンピュータグラフィックで鳥の群れを描こうと実物を観察していたら、はまってしまった人、下宿先のおばちゃんから1000ドルを借りて買ったパソコンで発見してしまった人など、結構な数の異端児と、そのセレンディピティが、今日の複雑系研究の基礎を築いてきたのだ。とっかかりはいくつかの単純な法則を考えつくこと。なんだか、私にもできそうな気がしてきた(笑)。

複雑系はパソコンの普及と密接な関係があることが分かる。1980年代以前では、一部の数学者たちがぼんやりと考えていたに過ぎない複雑系の問題が、パソコンが普及したことで、研究者がシミュレーション問題を気軽に解くことが可能になった。利用料や利用申請が必要なスーパーコンピュータでは、思いつきを検証するには、荷が重すぎた。仕事場でなく、自宅にそうしたツールが入り込んだことが、複雑系の研究を大きく飛躍させている。

パソコンが複雑系を誕生させた。インターネット、ケータイやロボットが今ならば、それに当たるのかもしれない。こうしたパーソナルツールから、次はどんな研究が生まれてくるのか、考えてみるのも面白そうだ。

終盤の章は入門書としては、正直、難しいが本質に迫っている。複雑系の、科学史における革新性や、哲学的側面に焦点が当てられている。複雑系は、自然を単純化せず、複雑なまま観察する学問である。近代科学は、少数の公理から、定理や法則を導き出し、それですべての現象を、シンプルに説明しようとする「きっちり派」が主流。これに対して、量子論の世界など、確率論的に世界を理解しようとする「デタラメ派」が対抗している。だが、著者は両者を「同じ穴のムジナ」だと言う。どちらもミクロレベルの決定論的な振る舞いに立脚して、世界を見ているからだ。

複雑系は、きっちりでもデタラメでもない、無党派層の成果だと著者は言う。非線形力学から登場したカオス党と、非平衡系熱力学から現れた自己組織化党の、2大党派が現在の複雑系の潮流を作ってきたとする。この二つの党派の意見が微妙に異なるために、現在の複雑系の全体像が分かりにくいものになっているのだと結論している。

自然現象、社会現象のほとんどは、複雑系だ。対象領域は近代科学よりも広い。だが、一般には難しくて専門的な世界と思われている。問題は、私たちは言葉で物事を理解したがることにあるのではないか。3体問題に象徴されるように、現実は多数の要素が強いつながりを持っていて、一本筋の因果関係に還元することができないことが多い。だから、複雑系の説明は、常に「なんだか難しくてよく分からない」という印象をもたれてしまうのだという気がする。言語化を拒む特性がある気がする。左脳ではなく、右脳型の人間がリードしていく科学のようだ。

現実のあるがままを受け入れること。細部を大切にすること。それは原理主義的な宗教観を持つ、3大宗教の世界よりも、仏教的な考え方のように思う。この分野で、欧米では異端児とされる人たちが活躍し、日本人も結構、得意としていることと、関係がありそうだと思った。

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2004年04月08日

確率的発想法~数学を日常に活かす

確率的発想法~数学を日常に活かす
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■ベイズ推定

最近、ベイズ理論がインターネット技術でクローズアップされている。

・グーグル、インテル、MSが注目するベイズ理論
http://japan.cnet.com/special/story/0,2000050158,20052855,00.htm

18世紀にトーマスベイズが発案した統計理論。この本の前半で大きく取り上げられていた。

サイコロを振って1がでる確率は6分の1。2回目も連続して1がでる確率は36分の1で、3回連続は216分の1である。実際に何度か振ってみると、その確率と違ったりする。だが、100回や1000回繰り返せば、正確にその数字に近づいていく(大数の法則)。であるから、100回も繰り返せば、次に1がでる確率はかなり正確に予想できるようになる。

では、無差別に選んだ大量のホームページを連続して見て回る時、次のページが面白いページである確率はいくらだろうか?。

この確率を計算するのがベイズ推定である。

ベイズ推定では次に開くページが面白い確率、あるいは面白くない確率を、最初にエイヤっと適当に決めてしまう。例えば2分の1で面白いページが見られるとしたら、初期値=先入観を0.5として与える。そして、実際にホームページを1ページ見て確認する。面白かったならば、その次のページも面白いとする先入観が強くなり、そうでなければ低くなる。これを繰り返すことで、0.5が上下し、ホームページの面白い確率が次第に、正確に予想できるようになる。

私たちは、サイコロの構造について知識があり、1が出る確率は6分の1だと事前に知っている。もし、知らなくてもサイコロを振るのは簡単だから実際に100回も1000回も振ってみれば6分の1だと分かる。

だが、結婚相手の幸福な選択だとか、儲かる株式投資だとか、企業の重要な戦略意思決定は、事前に構造を知らないし、100回も1000回もやってみるわけにはいかない。結婚ともなれば、一般的な統計の値がどうであれ、自分の一回限りの人生である。自分の少ない経験からであっても、自身の気持ちで決めたい。そういうときに、主観的な確率を求める計算方法として、ベイズ推定は実用性がある。

ベイズについての詳しい解説をしているサイトがある。

・入門者向け解説 - ベイジアンってどういう考え方なんだろう
http://hawaii.aist-nara.ac.jp/~shige-o/cgi-bin/wiki/wiki.cgi?%c6%fe%cc%e7%bc%d4%b8%fe%a4%b1%b2%f2%c0%e2

テクノロジーの世界では、スパムフィルタリングや情報の分類サービスに応用されている。メールに含まれる単語のパターンから、スパムらしさを計算する。実際に分類しながら、学習によって、フィルタリングの精度が向上していく。

・POPFILE
http://popfile.sourceforge.net/manual/jp/manual.html
スパムメールをベイズ推定で発見するソフトウェア。

・コメントを用いた書籍の分類
http://www.tokuyama.ac.jp/IE/Pages/sotu2003/paper/fujitomi.pdf
ベイズを使って書籍を分類する

・コメントを用いた映画の分類
http://www.r.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/~nakagawa/academic-res/abebe0207.pdf
映画を分類する

・The International Society for Bayesian Analysis
http://www.bayesian.org/国際ベイズ推定協会

■人間的な確率論

この本は、経済学者が書いた確率論の本であるが、著者はもともと企業人であり、消費者や経営者の人間心理と関わる確率論を重視している。

例えば、普通のサラリーマンならば、次の二つの選択肢のうち、

A 五分五分の確率で100万円かゼロ万円の給与がもらえる会社
B 固定で40万円の給与がもらえる会社

Bを選ぶ、という。数学上は期待値50万円のAの方が得であるにも関わらず、安定した生活という、外部の要素を求めているからだと分析している。

あるいは、ひとつボールを取り出して色を当てる賞金ゲームにおいて、

C 赤と黒のボールが50:50で100個入っている箱
D 赤と黒の比率はわからないがとにかく100個入っている箱

のふたつでは、多くの人がCを選ぶという。本当はどちらを選んでも戦略に優劣がないにも関わらず。何かが起きる確率と起きない確率を足しても100%にならないような計算を、人間のこころは行っている。そんな具体例を多数引き合いに出して、数学モデルとこころのモデルの違いを、丁寧に説明している。(エルスドールのパラドクス)

こうした不条理な考え方もする人間の織り成す社会や経済を、どう確率論でモデル化していくか、がテーマである。

この本は、確率のトリビア本のような宣伝文句が書かれていたが、まったくそうではない本だった。もっと志が高い。後半では、確率というキーワードを使って、正義や社会的平等、理想的な経済や政治という大きな問題にまで言及し、政策の矛盾や統計経済学者から見た、あるべき姿までを提案する。

数学については文系でも理解できる範囲に抑えられていて、確率論の本にしては読みやすい。統計理論を俯瞰する入門書としておすすめ。

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2004年01月05日

歴史の方程式―科学は大事件を予知できるか

非常に勉強になりました。

・歴史の方程式―科学は大事件を予知できるか
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評価:★★★★☆

■大事件の発生は一つの方程式で説明できる

「戦争や革命など歴史的大事件にはすべて原因がある(決定論)」「好景気と不況は周期的にやってくる(周期発生論)」「100年おきに大地震が発生する(これも周期発生論)」「ある英雄の強い意思によって偉業は為される(自由意志論)」

大きな出来事を前にすると、上述のような考え方で私たちは歴史を物語として理解したがる傾向がある。この本は、そんな通説を間違っているとして、物理学のアプローチで鮮やかに切り崩していく。

種の絶滅、大地震、戦争、革命、経済恐慌、科学的なイノベーション。著者は、歴史上の大きな出来事を、物理学の世界で一般的に見られる、臨界状態からの相転移過程に働く冪乗則(グーテンベルク=リヒター則など)で説明する。

この本では砂山の例を使って主な概念を説明している。砂粒を上から一粒ずつ床に落としていくとやがて砂山ができる。砂山にはなだらかな面と、急な斜面ができる。どこかの段階で、臨界状態にある急な斜面に、ある一粒が落ちたとき、巨大な雪崩が発生することがある。

雪崩の発生過程を調査すると、大きな雪崩が一回起きるとき、その半分の規模の雪崩が2回、その半分の規模は4回、さらに半分の規模は8回といようように、二乗の数で発生していることが分かる(冪乗則)。そして、絶滅、地震、恐慌、戦争、都市の人口、お金持ちの比率、落として割れたガラスの破片、などの規模を調べても同一の冪乗則が成り立っているそうだ。自然や社会を広く支配している法則なのである。

物理現象から社会現象まで幅広い実例と、分かりやすい数学的モデルの解説が展開されていく。物理学と歴史がシームレスに統合される過程が見事だ。著者は理論物理学の博士で、科学誌「ネイチャー」と「ニューサイエンティスト」の編集者を歴任してきただけに、正確で分かりやすい記述に優れる。

この本を読みながら、因果律や正規分布、単純な確率論の考え方では説明できないことの多さ、自分の安易な現実理解に幾つも気がついた。目からウロコな部分も多かった。

読みながら考えたこと、調べたことは次のようなこと。

■人気ホームページの数

この本でも紹介されているが、科学論文における参照回数(リンク)もグーテンベルク=リヒター則に従うことが分かっている。特定の論文が多数回参照され、大多数の論文はほとんど参照されない。

・Available Citation Data
http://physics.bu.edu/~redner/projects/citation/index.html
論文参照数分析に関する論文へのリンク(Sidney Redner)

・Who is the best connected scientist?
A study of scienti¯c coauthorship networks
http://www-personal.umich.edu/~mejn/papers/cnlspre.pdf
論文の共著関係を調べて誰が最も「つながっている」科学者かを調べた論文

・CiteSeer
http://citeseer.nj.nec.com/cs
忘年会議でも紹介した論文検索。参照関係やキーワードの発生回数グラフなどを調べることができる。研究の影響伝播や、流行テーマを調べるのに強力なツール。


この参照に起きた現象は科学論文に止まらない。

世の中には少数の人気ホームページと、多数の無名のページ、その中間の人気のページが存在している。1億ページビュー(PV)のページがあれば、5千万PVのページが2つ、2.5千万PVが4つ、1250万PVが8つといった具合で存在することが考えられる。実際、そのような事実も以下のページからたどれる研究で証明されつつある。

・Zipf's law
http://linkage.rockefeller.edu/wli/zipf/
ニュース記事における言葉の発生率や、WebへのトラフィックがZipf's lawに従うことが示されている。多数の関連論文へのリンク。Zipf's lawは歴史の方程式とほぼ同義。

思うに、インターネットが一般に普及した頃の方が、ポータルサイトの寡占率は低かったのではないかと思う。その理由は、この本の歴史の方程式で完全に説明できるのではないか?。それはWeb利用のツールが未発達で、ナビゲーションが整理されておらず、一部のユーザだけが必死に情報流通をしようとしていたから、ではないか。

歴史の方程式の条件は、(1)相転移を発生させる臨界状態であること、(2)個の影響力が他に伝播すること、である。ユーザが情報流通に必死になること、競争が激しくなることで(1)が満たされ、通信環境と情報流通ツールの発達で(2)が満たされる。

つまり、皮肉なことに、

・個人が情報発信をしやすくするツール
・ページ同士のリンクを張りやすくするツール(ブログのトラックバックなど)
・ナビゲーションを効果的にするツール(検索エンジン、リンク集など)
・情報発信者たちがベストを尽くそうとする気持ちと頑張り

という状況が完璧になればなるほど、ポータル寡占は今後も進行していくことが予想できる。

■都市の人口や経済規模の分布

もうひとつの問題は大都市と地方、中心と周縁の問題である。

・複雑系とまちづくり (5)
http://www.kobe-toshi-seibi.or.jp/matisen/0urban/urbantalks/200009c.htm

本の中でも世界中の都市の人口や経済規模がグーテンベルク=リヒター則に従うことが解説されていたが、このページでは日本の都市でも同様の法則が適用できることを実証している。

・An introduction to geographical economics: trade, location, and growth
http://www.few.eur.nl/few/people/vanmarrewijk/geography/zipf/
世界レベルでの人口データと分析。データはダウンロード可能。

以前、気になって読んでいた議論にこのブログのスレッドがある。地方からの人材流出とブログがテーマである。(私は地方都市出身、在住なので中立の立場で読めた)

・「blogに関する中央と周縁」と改めて言われると
http://blog.readymade.jp/tiao/archives/000518.html

一般論として、ITや通信の普及によって、大都市と地方の人口や経済規模の格差が縮まると期待する声はあるのだが、インターネット普及以降、私にはあまりその格差が縮まったように思えない。

グーテンベルク=リヒター則は、個人の影響力が伝播する確率が高い系において強く発現することが知られている。よって、ITはこの格差を縮めるのではなく、逆に固定化しようとする力になると考えることができる。

地域におけるインターネットの啓蒙、地域からの情報発信の強化など、施策を否定したくはない。ある地域をITで活性化することはできるはずだ。だが、デジタルデバイドの真の解決には、二つの壁があるように思った。

1 影響力伝播の双方向性の壁

地方の活性化について、良い情報も悪い情報も出入りする。かつてテレビやラジオの普及によって、地方が都市文化に染まり、都市へ移動した人口や経済は多い。地域振興を考える上では、もう一歩進んで、このパラダイムから逃げるための複合アプローチを探っていかねば、効果はないのではないか、と思う。

2 相対的な都市部と田舎の壁

特定の地方が振興に大成功し、人口、経済規模を大きくすることはありえる。しかし、全国レベルではグーテンベルク=リヒター則に従い、その2分の1、4分の1の小さな地方が、形成されるだけで、中心と周縁の分離が解決されるわけではない。(中央政府の施策はこちらの視点も持つべきなのではないかと思う。経済や人口規模以外の国民が納得できる多面的評価尺度の導入など)

■冷たい方程式を暖かくする考え方を探して

歴史の方程式は、カオス、複雑系、バタフライ効果SmallWorldといったキーワードともリンクしており、インターネット、情報技術的に非常にホットなテーマと言えそうだ。

この方程式は、自由意志による決定論を否定するものである。ある行為が臨界点に落ちる最後の砂粒であるかどうか、自分が歴史を動かす英雄なのかどうかは、自身では分からないことになる。そんなタイトルのSF小説があったが、冷たい方程式のひとつと言える。

冷たさはたぶん、ある行為や状況の「偉大さ」「重大さ」「豊かさ」を単一の尺度で測る考え方に起因するのは間違いない。この計算では極一部の人に影響力と富が集中してしまう。21世紀は、多面的な尺度をどう成り立たせていくかが課題になるのではないか、と、この本を読んで考えさせられた。

私の大嫌いな評論家にテレビにもよく登場する森永卓郎氏がいる。彼は景気を一層悪くするような意見ばかり書いている。いつもうんざりする。

・年収300万円時代を生き抜く経済学 給料半減が現実化する社会で「豊かな」ライフスタイルを確立する!
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334973817/
「これから9割のサラリーマンは「負け組」の方に向かう。そのときに、可能性のない「成功」をめざすのか、割り切って自分にとって「幸福」な人生をめざすのか。安定が崩れ去った日本社会での「森永流前向き生き方」を緊急提言。」


そういう浅いレベルの価値観のすり替えの未来が理想ではないと思う。経済は重要だと思う。世界の富の所有量、お金持ちの発生率も冷たい方程式に従うことが明らかになっているが、富の再分配を諦めてはつまらない。冷たい方程式に真っ向から戦いを挑むのが正論と思う。

富の再分配を、コミュニズム以外の方法で、実現する方法をITやネットワークを使って模索できるのではないかと思っている。明確な施策が思い浮かぶわけではないのだけれど、私のアイデアは「価値観、経済を多様化し、(富の獲得の)チャンスを均等にすること」であり、以下のような施策を漠然と考えている。

1 影響力と報酬の多様化メカニズム

私が大尊敬する友人に伝播型流通貨幣PICSYプロジェクトの鈴木さんがいる。彼は20年後、ノーベル経済学賞を受賞するのじゃないかと密かに期待している。

・PICSY
http://www.picsy.org/
・ネットコミュニティ・通貨
http://www.hotwired.co.jp/matrix/0104/

PICSYはネット上の影響力の伝播を計算し、経済につなげる仕組みの研究。ITを使ったリアルタイム計算などの点が、従来の地域通貨とは質的に違う気がしている。多様な価値観を経済的報酬へつなげていく仕組みが重要と考える。

2 めまぐるしく変わる社会システム、情報技術

情報や影響力、富の分配システムが固定化しないこと。社会と情報技術が革新を加速させること。インターネットも黎明期の不安定な僅かな期間だったが、均衡を破って、新しいヒーローやビジネス成功者、ライフスタイルが生まれた。

3 臨界状態を回避する遊び、ゆとりの仕組み

生活や仕事に、遊び、ゆとり、冗長性がいきわたると、競争や集中による臨界状態の起きる場所が流動化され、チャンスの均等化が起きるのではないか、と考える。

冷たい方程式をしたたかに利用して暖かい方程式を作るための技術。私は、そういうものを開発していきたいと思った。冷たい方程式は厳然と存在し続けるのだろうけれど、めまぐるしく長者リスト(とそこに出てこない、準じる層)は数年おきで入れ替わる経済。どんな社会的地位や職業、在住地域にあっても、誰にでも経済的チャンスが期待できる社会。中心と周縁が正の効果を生むように刺激しあう社会。それを実現するための情報技術という理想。

と、年頭ということで、随分大げさに筆が進んでしまいましたが、そう思いますた。

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2003年12月27日

ナレッジサイエンス―知を再編する64のキーワード

知識科学関連の書評の本。

・ナレッジサイエンス―知を再編する64のキーワード
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■日本人の平均読書スピード

どの本を読むかを決めるのは難しい。

日本人の読書の平均速度は、各種調査を調べると、1分に平均600字〜800字程度と言われる。本はデザインによって1ページ当たりの文字量は異なるが、私が普段読んでいる本の平均値を大雑把に見積もったところ、1ページ当たり640字という数字が出た。250ページあるとしよう。

すると一冊当たりの文字量は、

640文字 × 250ページ = 16万文字

である。

読書の平均速度で割ると、1冊読み終わるのに3.3時間〜4.3時間が必要になる。この数字は私の感覚では短すぎるような気がする。多くの場合、何度かに分けて読む際の再開リードタイムや、調べたり考えたりする時間も必要だろう。

だいたいそれらの時間を1.5倍として考えよう。1冊読むのに5,6時間というのが平均の目安になるだろうか。

■個人差の計測と平均読書量、所要時間

読書スピードには無論個人差が大きい。以前紹介した速読メソッドの本では、1ページ1秒などという信じがたい数字が達人の速度として挙げられている。実際に自分のスピードを計算したい場合は次のサービスが参考になる。小説の見開き2ページが表示されるので、読んだらクリックすると、自分の読書スピードと評価が表示される。

・読書速度測定
http://www.zynas.co.jp/genius/sokudoku/sokutei.html
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私のスピードは1000字/1分程度で平均を少し上回ることができたが、司法書士試験合格者などは2000字程度をこなすらしい。心の中で声を出して読むことを内読と呼ぶらしいが、これをすると速度が落ちるらしい。私は内読のこだわる派なので、これくらいが限界かもしれない。

日本人の平均読書量は、政府の国語に関する世論調査によると、1から10冊である。

・ 国語力低下とその背景  〜文化庁「国語に関する世論調査」結果を中心に〜
http://www.keinet.ne.jp/keinet/doc/keinet/jyohoshi/gl/toku0309/prt1_3.html解説ページ。「1か月に読む本は、「1冊〜10冊」が最も多く過半数を占めている(58.1%
)。だが、その一方で「まったく読まない」人も37.6%にのぼっている」

1から10冊では参考にならないので、こんな数字の方が気になった。

・雑誌プレジデント 月平均読書量4冊
http://www.president.co.jp/pre/special/editor/150.html

雑誌プレジデントは恐らく経営者、マネージャ層によく読まれている雑誌である。このアンケート調査によると月4冊だそうだ。4冊では64万。純粋に読むと640分だが、上述の根拠により、1.5倍にして必要時間は960分。1日当たりにすると31分の読書でノルマを達成することになる。

毎日読書をする時間を効率的に使うには、

1 上記の読書スピードを高速化する
2 読書時間を増やす

が考えられるが、普通はどちらも難しいもの。

結局、効率を考えると、適切なときに適切な本を読むこと。ハズレを引かないことが一番、良い効果を挙げるのではないだろうか。

■知識科学のキーワードを俯瞰し参考文献を探す最適の書

読書速度の話が多くなってしまったが、この本は情報科学分野で著名な国立大学の北陸先端科学技術大学の先生方が、知識科学におけるキーワードごとに名著を選んで解説したもの。各キーワードは2〜4ページ程度に上手に要約されている。キーワード解説集としても十分に勉強になる。私もこの本で見つけた本を何冊か、この書評で紹介してきた。

紹介されている本はハズレが少ない。2002年12月初版のため、最新の本は少なめだが、古典的な本ばかりというわけでは決してない。新しくて充実した名著をバランスよく選び出している。書評は、そのテーマの面白さ、その本に何を期待して読むべきか、適切に書かれている例が多いので、読書方針を決める際の羅針盤として、一級品の本である。

評価:★★★☆☆

参考URL:

・俺と100冊の成功本 blog.自己啓発.com
http://blog.zikokeihatu.com/
「このサイトは、いわゆる成功本を100冊読むことで、成功できるかを検証するページです。」。アツイ。

Posted by daiya at 23:59 | Comments (3)

2003年11月02日

つながりの科学―パーコレーション

・つながりの科学―パーコレーション ポピュラー・サイエンス
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パーコレーションとはこの本によると、こういうことである。

箱にパチンコ玉とガラス玉を適当な割合で、上下左右が隣接するように整列させて、大量に詰める。パチンコ玉は電流を通すが、ガラス玉は通さない。上から電流を流すと、ガラス玉が多いうちは電流は下まで伝わらない。しかし、パチンコ玉の数が一定の割合(31%)を超えると電流が伝わるようになる。ミクロな原子のレベルでも同様で、電流を通さない原子に、通す金属イオンを一定量加えると、全体が金属的に振舞う。

噂やデマの研究事例として有名な、1972年の愛知県豊川信用金庫事件。美容室で女子高生が「信用金庫は就職先として危ない」という会話を美容院で話したことがきっかけで、伝言ゲームのように内容が誤解されて広まり、大規模な取り付け騒ぎに発展する。人間のコミュニティでは、情報は一人が平均4.5人に話すと全体に行き届くことが数学的に知られている。さきほどの例でいうなら、話す人がパチンコ玉で、話さない人がガラス玉にあたる。

物質や人のつながり方によって、この31%や4.5人の数字は上下する。この値のことを浸透閾値、パーコレーションの閾値と呼ぶ。この理論を使うと、コーヒーフィルターの抽出時間から、情報の伝播や伝染病の感染拡大の速度までも予想できる。

この本は、自然科学から社会現象まで事例をあげて分かりやすく、100ページ足らずの分量で、パーコレーションの世界を鮮明に描き出すことに成功している。

パーコレーションはネットにおけるクチコミ戦略や、通信の高速化技術の開発にも応用できる。この本を読んでいて思い出したのは、この記事だった。

・Webの「地図」の研究成果が公表。10%はリンクされていない
http://www.watch.impress.co.jp/internet/www/article/2000/0512/bowtie.htm
・IBM Research Maps the Web
http://www.research.ibm.com/resources/news/20000511_bowtie.shtml
・Graph structure in the web
http://www.almaden.ibm.com/cs/k53/www9.final/

IBMやCompaqの研究者グループがWebの5億ページのリンク構造を解析した結果、Webの90%の領域は4つのグループ(起点、終点、結び目、分離された領域)を形成しており、蝶ネクタイのような構造をしている、という。リンクをたどることで自然に到達しやすいページとそうでないページがあること、領域同士をつなぐハブになっているWebサイト群があること、他の領域からリンクされていない分離された領域が10パーセントも存在していることなどが分かる。Webの構造のつながり方や次元数がわかってくれば、パーコレーション閾値を発見でき、ネットビジネスの予測や戦略に使えるというわけだ。

Webではなく人間のつながりも同じだ。友人の友人を6人たどると全世界の誰とでも連絡することができるというパーコレーション的な考え方をWebに応用した友人発見サービス「6degrees」が数年前に話題になった。最近ならば、Friendsterが同様のコンセプトの出会いサービスで百万のオーダーで会員を集めた。

・FreindSter
http://www.friendster.com/index.jsp

FOAFという友人関係をXMLで記述する形式があるが、このような出会い系サービス、インスタントメッセンジャー、メールソフト、Webのリンク集、掲示板などが、このような同じメタデータを作成し、交換するようになれば、より鮮明に友人のネットワーク構造が浮かび上がりそうではある。

・FOAF
http://www.foaf-project.org/
・FOAFメタデータによる知人ネットワークの表現
http://www.kanzaki.com/docs/sw/foaf.html

そういえば、データセクション社経営パートナーの小橋さんも同じようなことを書いている。ケビン・ベーコン数についての以下のコラムである。

・地球の果てまで6人
http://www.zatsugaku.com/stories.php?story=03/08/14/1606547

私たちは、10年後、20年後になると、今は曖昧な「人脈の力」をメタデータとして数値化しているかもしれない。就職の選考や、経営者が投資を受ける際の判断材料として、「キミの人脈データを提出したまえ」なんて言われたりする。業界や職種ごとのパーコレーション閾値と人脈力を組み合わせて雇用や投資の決定が行われる。まあそこまでいかないとしても、オンラインでの人脈、声の大きさ、影響力のある人材は私の会社にも欲しい。いまどきの会社ならどこだって歓迎されるだろう。

パーコレーションという概念はネットビジネス、サービスのアイデアを広げていく要素として興味深い。「つながり方の科学」は物理学の先生の著書だが、私にはまさにネットワーク時代の一冊だと、思う。

評価:★★★☆☆

Posted by daiya at 23:59 | Comments (0) | TrackBack