2004年08月22日

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科学の最前線で研究者は何を見ているのか
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日経サイエンス2002年11月号から2004年4月号まで18回にわたって連載された対談「時空の旅」をまとめたもの。著者は、薬学博士で「パラサイト・イブ(第2回ホラー小説大賞)」、「BRAIN VALLEY(第19回日本SF大賞)」を書いた小説家の瀬名秀明氏。

情報科学、人類と歴史、時間と空間、バイオとナノなどの研究領域の最先端科学者へのインタビュー。著者はインタビュアーである割には、自分の考えを積極的に述べていて、それが相手からうまく話を引き出した回もある。ひとつひとつの対談は短いので、読みやすい。

■若年層の科学離れ

ところで、若者の科学離れが進んでいると言われている。

文部科学省の「我が国の科学雑誌に関する調査」によると、日本で唯一正確な部数がわかるのは、科学雑誌は「Scientific American」の日本語版である「日経サイエンス」だが、これも部数は伸び悩んでいると言う。

・調査資料 - 97 - 我が国の科学雑誌に関する調査
http://www.nistep.go.jp/achiev/ftx/jpn/mat097j/mat097j.html
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「日経サイエンス」は、1973 年の調査開始以来、1981 年の科学雑誌創刊ラッシュまでは順調に発行部数を伸ばした。しかし、新雑誌創刊を受けて、1982 年には前年比 5.4% 減、1983 年は 13.0% 減、1984 年は 7.0% 減と大幅に発行部数が減少し、1987 年、1988 年と発行部数を伸ばしたものの、その後また減少傾向をたどり、2001 年時点ではおよそ 25,000 部程度で、公査を開始した 1973 年当時と同水準となっている。

では、2004年4月に竹内均編集長が亡くなった「Newton」の方はどうかというと、公称部数では。


「Newton」の公称発行部数は、「雑誌新聞総かたろぐ」では 1987 年版まで 40 万部、1997 年まで 41 万部、1998 年版以降 31 万部とされている

であるとのこと。


学雑誌の発行部数は減っているが、科学雑誌の読者として期待される自然科学系の研究者及び学生の数については大幅に増加している。具体的な数字でみると、2001 年の自然科学系研究者数は 63.1 万人で科学雑誌創刊ブーム前年の 1980 年の自然科学系研究者数は 30.3 万人 35、2001 年の自然科学系(理学、工学、農学、医・保健系)の学部学生数は 77.2 万人、1980 年は 56.4 万人、2001 年の同大学院修士・博士課程の学生数は 13.2 万人、1980 年は 3.5 万人 36 である(表 11)。この 20 年間に自然科学系研究者数、自然科学系学生数でそれぞれ 30 万人以上増加している。自然科学系研究者数、自然科学系学生数が増加しているにもかかわらず、科学雑誌は売れない状況が続いている。

この文部科学省の調査では、科学雑誌の読者の高齢化が進んでいることも報告されている。これに対して米国は「日本同様、米国でも過去に科学雑誌ブームがあり、現在はピークから後退したといわれるが、人口あたりの科学雑誌の発行部数が日本の 10 倍以上であることがわかった。」であるという。

■先端科学者たちの東洋的世界観と物語性

18本のインタビューに面白く感じたのは、東洋的な世界観を自覚している研究者が多いこと。そして、先端領域では物語性がイノベーションを生む上で大切だと考えている人がいること。

・公立はこだて未来大学学長 中島秀之氏 工学で探る知能とは何か

自然科学は明らかに系を外から眺める。観測者ができるだけ系に影響を与えないように実験する。それに対して、知能は自分が考えているわけですから、中からしか見ていない。それを外から見ているかのように研究するのはどうも変だ。中から見ているということをもっと真正面からとらえた方が面白いんじゃないか。そういう意味で、知能を計算機で作るという完全自立知能はあきらめたんです。

要するに完全なものを作りたいというのは、自然科学的な方法論です。我々人間と切り離したってちゃんと機能するものを発明したいのです。反対に我々と切り離すんじゃなくて、自分が常にインタラクトしていないといけないようなシステム。例えば人工知能(AI)のプログラムの制作者自身がプログラムのループに入る。そして、プログラムを変更しながらその振る舞いを見て、また変えていく。そんな方法論に変わってきたんです。

複雑系の関係する科学の研究者には特にこうした考えが共有されてきているようだ。日本人が心の根底に持つ、東洋的世界観がイノベーションにつながる。ただ、こうした東洋的世界観は、論理的記述が難しいもので、直感的に分かる物語性をもって語れるかどうかが鍵なのではないか。

物語性について語る研究者も多くいた。

・国際日本文化研究センター教授 安田嬉憲氏 環境がつくった文明と科学


日本で理科離れが起きたのは、理念がないからではなく物語をなくしたからだと思っています。大学の先生が自然科学の学生の卒業論文を採点したり、学会で誰かの発表をするとき、「君のは物語だ!」と言うのは「君の論文や発表は最低だ」と言うのと同じ意味ですよ。私も学会発表ではよく言われました。

物語性が創造性を発揮するはずなのに、今までの学会では物語性は評価されなかったという話。だが、先端領域では、研究室の実験で事前に証明できないことは増えている。近年重要視されている「日常の科学」は特にそうだ。

ナノテク(マイクロ流体デバイス)の研究者はこんな発言をしている。

・大阪府立大学大学院工学系研究科教授 関実氏 机の上で実現する化学プラント」

いい例がSF映画「スター・ウォーズ エピソード1」の中にあります。ある男が将来人類を救うことになる主人公を探し出す場面です。少年が人類を救うジェダイの騎士になれるかどうかっは血液中のミディ・クロリアン値でわかります。騎士の体にはもともと別の生命であったミディ・クロリアンが共生しており、それがフォースと呼ばれる力を決めるからです。

これに対してミトコンドリアの研究もしていた瀬名氏は、ミトコンドリアがまさに他の生命由来のものだということを指摘する。生命の中に別の生命がいるという、最初は突飛な物語がミトコンドリアの解明に役立った例になる。

ノーベル賞級の科学者はよく研究が他の科学者との雑談から始まった例などをセレンディピティ(偶発的創造性)と呼んで振り返ったりするが、雑談の基本は物語性であると思う。東洋的世界観を持つ日本人の、内側から湧き出てくる、面白くてリアリティのある仮説が、将来の科学技術の革新につながりそうな気がしてくる。

「ムー」と「Newton」の間に入るような雑誌が必要なのではないだろうかと思った。

・【裳華房】自然科学系の雑誌一覧(最新号の特集等タイトルとリンク)
http://www.shokabo.co.jp/magazine/



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Posted by daiya at 2004年08月22日 23:59 | TrackBack このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーをはてなブックマークに追加
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Comments

>「ムー」と「Newton」の間に入るような雑誌が
>必要なのではないだろうかと思った。

必要は発明の母ですね。
そこで、月刊「橋本大也」ですよ。

【裳華房】さん便利でいいですね。
教えてもらって、ツイてる!

Posted by: 聖幸 at 2004年08月23日 17:04

>「ムー」と「Newton」の間に入るような雑誌

橋本さんの考えられた物とは違うかもしれませんが、
以前、学研より出ていた「UTAN(ウータン)」という雑誌を
思い出しました。
環境汚染問題とピラミッドパワーを同じ紙面で扱ったり、
スプーン曲げを超伝導理論で説明したりと、
当時中学生だった私は楽しく読んでいた記憶があります。

Posted by: TOBI at 2004年08月25日 19:44
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